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2010年8月

飲んで騒いで12.7倍

韓国Eulji大学からの報告は、アル中のわたしには耳が痛い内容でした。酒宴で飲んで騒いだときの高血圧患者の心血管死亡リスクは最高12.7倍だというのです(STROKEオンライン版2010.8.19)。

韓国のある地方で6100人を対象に1985年から21年間追跡したコホート研究です。高血圧患者の飲酒習慣は男性の68.5%(正常血圧者は61.2%)、女性の10.1%(正常血圧者10.3%)に認められ、どんちゃん騒ぎをすることをbingeと云うのだそうですが、moderate binge(1回の宴席で酒6~11杯飲酒)の数もheavy binge(12杯以上飲酒)の数も、高血圧患者と正常血圧者で差はありませんでした。そんな中、heavy bingeの男性の心血管死亡リスクは飲まない人の1.88倍、高血圧疾患死亡リスクは3.71倍になりますし、高血圧患者の心血管死亡リスクは正常血圧者の約2倍でした。さらに1回に飲む酒の量と血圧の程度を組み合わせた結果、moderate bingeで血圧168/110mmHg以上の高度高血圧患者の心血管死亡リスクは4.41倍、heavy bingeで高度高血圧であれば12.7倍に跳ね上がりました。

云いたいことは良くわかります。酒飲んで興奮して大騒ぎすると、それでなくても高い血圧が一気に跳ね上がってぶっ倒れるぞ!ということをまさしく現実のデータとして示した結果です。内服を続けているのに、そして枕元でラベンダーのアロマを焚いているのに、最近若干下がりにくくなった血圧計の数値を前にため息をつくことが多くなったわたし。「そろそろ酒の量を減らさないといけなんじゃない?」という妻のことばに生返事を繰り返しながら、マッコリやソジュは飲んでないけど日本酒と焼酎は毎日飲んでいるわたし。「宴席で騒がなかったら良いんじゃろ!」と開き直るのもちょっと怖い歳になってきました。日々修行。

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運動はムダ?

「しばらく止めていた運動を1ヶ月前から再開しました。4kmのウォーキングとその後の約20分間の自転車漕ぎです。ところが昨日、保健師さんが『頑張って30分運動してもせいぜい100Kcalしか消費しません』と云いました。とうことは、この程度の運動を続けても意味はないってことですか?」

先日、宿泊ドックを受けたある受診者の方が、結果説明をしているわたしに向かって深刻そうな顔をしました。一体、どんな説明をしたのだろう?と思いながら、慌ててその考え違いを訂正しました。

「それは、『運動だけ頑張って何とかしようとしてもむずかしい』と云いたかったのです。今やられている運動はとても良いことですので続けてください。その代わり、一緒に食事にも注意を払わないと意味がありません。逆に食事だけでやせようとしても筋肉がなくなっていくだけです。」・・・ひと言ひと言、特に集団に説明をするときには、誤解させないように十分注意して話したいものです。そうでないと、思いもかけないまったく別の解釈をされるのだということを痛感した次第です。

最近あるテレビCM(通販かな)が気になっています。モデルなどをしている、ある有名タレントさんが「わたしは運動なんか全然しないのに、これを飲むだけでウソのようにやせられたんです」と笑顔混じりに話しているCMです。いわゆる「ナイスバディ」なのですが、その身体は結局「かくれ肥満」なんじゃないか?あるいは皮下脂肪がそぎ落とされて将来動脈硬化と老化を進行させるパターンになるんじゃないか?と、とても心配です。わたしはCR理論を否定しません。特にわたしたちの世代には一番良い方法だと思いますが、少なくともこんな若いお嬢さんだけは、必要な脂肪がなくなることを<良し>と考えては絶対いけないのだと信じています。

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ムリができないギリギリの線

日本テレビ主宰の24時間テレビ。今年も恒例の長距離マラソンがあり、人気グループがパーソナリティとして24時間を付き合う集団耐久レースが始まりました。

これまであまり気にしていませんでしたが、心筋梗塞を患ったTアナウンサーにしろ、いつの間にか最年長者がアラフォーになってしまったメインパーソナリティたちにしろ、「君たちはそんなムリして大丈夫か?」と思ってしまう自分が居ます。今までは「男なら、根性があるなら、ちょっときつくても頑張ればまだまだやれる」と自分を鼓舞して乗り越えていた諸般のことに、「これ以上続けたら、何か今まで経験したことのない重大なことが起きるかもしれない」という不安が自分を自粛させるようになったのは、やはり高血圧と動脈硬化の現実なのでしょう。子どもに恵まれなかった私たち夫婦は、結局<歳をとる節目>を経験するきっかけがありませんでした。つまり風貌は中年の真っ只中でありながら、ココロがいつまでも青年のままの連続性を保っています。鏡さえ見なければ少なくとも10年前と何ら変わらない生活をすることができます。それは「若さを保つ」=アンチエイジングという意味ではとても良いことなのかもしれません。それがふと、もしかしたらそれは無謀なのかもしれない、と思ってしまうと一気に臆病になり、歳を感じて戸惑います。フィットネスジムのトレッドミルでヘドを吐くような思いをするほどにガンガン走っていたのが、無理をしないスロージョギングになり、腹筋運動の回数を半分でやめるようになり、庭の草刈りを半分ずつに分けるようになり・・・。

「もうそう若くはないんだと、自分に云い聞かせてくださいね。」と受診者さんに云っている自分自身が、どうも年寄り臭くなってきている気がして、ちょっとシャクです。

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優先順位

「あなたにとって、この案件の優先順位を何番目に定めているか知らないけど、少なくともわたしにとっては第一番目なんだよ! 一体、いつまで放ったらかしておくつもり?」 ・・・今の組織に入ってもうすぐ10年になりますが、これまでに何度こんな場面に出くわしたでしょう。
「あれはどうなった?」
「あ・・・もう少し待ってください。」
「忘れてたんじゃないの?」
「いいえそんなことはありません。少し根回しに時間がかかって・・・。」

簡単なことは優先順が低くてもすぐに済ませるでしょう。本人もあまり気が進まない案件なんだろう、だからついつい延ばしたくなるのだろう、と思うこともあります。あるいは、それが重要案件であることはわかっていても、それよりももっと重要な案件が10個あれば自ずと11番目になるわけで、「それはやむを得ない」と誰もが思いがちです。でも、組織が速度を鈍らせずに進むためには本当はそれではいけません。

「あなたにそれができないのなら、それはあなたの実力不足なのだから、もっと自分をわきまえて、いつまでも抱え込まずにさっさと仕事を他人に渡しなさい。少なくとも、わたしの案件はわたしが直接交渉しに行くから、今すぐ返しなさい!」

・・・そんなことをガン!と云ってやりたいのだけれど、そんな堪忍袋の緒の切れ方をしたのは今までに数回しかなく、多くが口を振るわせながらも妄想に終わってしまうのです。・・・2日続きのストレスマンの独り言。

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中にヒトが入る。

話を進めていくとき、最近<中にヒトが入る>ことが多くて、ちょっとイライラします。

「これをこういう理由でこんな風に変えてみたいんだけど。」と提案すると、それを事務方やパラメディカルのスタッフが仲介して、「わかりました。わたしが上の者に伝えておきます。」と云われます。
「こないだの件、上にはなしましたが、いくつかの点で問題があってしばらく保留にしてほしいとのことです。」
「しばらくって、どの程度?どこが問題なの?」と食いさがっても
「いやそこまでは聞いていませんけど、とにかくしばらく待ってください。」と一点張り。

*******

「わたし宛にこんな依頼文書が来たんだけど、意味がよくわからないから担当者に聞きたい。どうしたらいい?」
「わかりました。わたしが聞いてきます。」
「なんで直接聞いたらいけないの?」
「わざわざ先生がされなくてもわたしが聞いてきますから・・・」
「あなたはいつもそう云って中に入るけれど、結局わたしの云いたいことは何も伝わってないじゃないか!」

組織というものは大きくなればなるほど、フットワークが重くなって、現場の者の気持ちを管理者たちに伝えるのにとてつもなく無駄な時間と体力を費やします。何もかも上げたら到底処理できないから!と云うのだけれど、天皇陛下や将軍様へのお目通りでもあるまいし、もう少し仲介の手間を仕分けして減らしてもらえないものだろうか?

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「夢の捨て方」

<夢捨て応援委員会>編集の『夢の捨て方』(泰文堂)をさらさらっと読みました。

~現代社会における「夢を持て!」「ポジティブ思考がいちばん!」という風潮に疲れた若者を救うために結成されたプロジェクト集団の提言~です。とにかく、成功哲学のすべてを否定し、もっと自分らしく生きると楽しいぞ!と書いてあります。・・・なんというか、それも承知の上でこの本を買い、一気に読みましたが、わたしにはさほどの感動がありません。おそらく、わたしのココロがすでにこの域を脱しているということなのかしら?と自分で解釈しました。それでも、ときどき「自分の人生はこれでいいのか?」と思い、「自分は存在価値があるのか?」と悩むわけです。その揺れ動きのときにこれを読むと落ち着くのかもしれません。少しでも興味がある見出しがあったら、是非買って読んでみて下さい。そんな方にはお薦めです。

夢は、「生きる希望」「人生の目標」じゃない/「夢がかなわない原因」努力不足とは無関係/「目標は高く!」はウソ/「どんなときも前向き」は、後ろを見ることから逃げているだけ/「まず、やめてみる」自然と何かが見えてくる/自分を見つめ直しても、何も見つからない/あなたの人生のピークは、過去にはない/成功者を見習うな!

誰も期待していないのに「いつでも元気!」/「何となくやる気が出ない」の正体/自分を、とことんほめる/ほしいのは、「生まれてきた意味」より今の幸せ/「自分にしかできないこと」なんてない/その失敗、あなただけのせいじゃない/失敗の反省、ほとんどムダ?/「上司の言葉」その行間は、あえて読まない/いくら考えても、いい考えが思い浮かばないのは当たり前/やりたくないことは、やらなくていい/「使えない」と思われたっていいじゃない/自分に合った仕事は、永遠にみつからない/「仕事を通じて成長したい」は迷惑な話/○○は、「特効薬」ではない/「十分な収入と十分な貯蓄」それっていくら?/仕事に全力を注がないほうがいい/「社会に貢献したい」って何で?/「知識と経験と人脈と」全部要らない!/「常に上を目指す」っていつまで?

「本当にやりたいこと」なんて探さない/まわりの評価より、自分の幸せ/恋人がいなくても、結婚できなくても、幸せな人生/人に頼られると、何だか不自由/10年後のビジョンは、10年後に考えよう/「毎日同じことの繰り返し」だって十分楽しい!/解決しなくていい問題だってある/「ひとりでは生きていけない」人間ほど幸せになれる/生きているだけでも、人は勝手に成長する/それでも夢が必要なら、自分に合った夢を!/人生にゴールはない.

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前向き

相変わらずテレビでも新聞でも、毎日のように評論家や文化人と称する人々が政府のやり方の何やかやに批判を浴びせています。先日書いた「批判報道」でも指摘したとおり、まあ彼らは批判してナンボの仕事をしていますから、褒め殺しするわけにはいかないのでしょうけれど、きっと社会を後ろ向きにしている張本人は彼らやマスコミなんだろうなとつくづく思います。

先日、中学時代の友人が二冊の文庫本を見せてくれました。「まだ読みよんけん貸してあげられんけど、面白いよ。」と・・・。それが、伊集院光氏のエッセイ集「」と「のはなし にぶんのいち~キジの巻~」(宝島社文庫)でした。単行本もあるのに、文庫本で出るに当たって撮り貯めておいた写真コレクションを足した、というのも面白いはなしです。

伊集院氏は話力もあり、ユーモアもあり、さらに雑学やクイズでも博学を誇示していますが、彼が多くの皆さんに支持されるのは、考え方がいつも前向きだからではないかと感じます。どんな小さなことも、こじつけてでも何とか前向きな考えにならないかと思案しているように見えます。世の中に起きている事実はひとつです。でも、それがどんなものであれ、受け止め方次第で、前向きにも後ろ向きにもできます。どんなに悲しく暗い話題でも、何とかして前向きにできないかと考えれば必ず何か出てくるものです。伊集院氏を見ていると、額に汗をかきながら、感心するくらいポジティブに発言してくれています。

時代は今、何でも悪口を云う評論家ではなく、伊集院光氏を求めているというのは明白です。是非わたしもこの話題の本を読んでみたいと思います。

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許せない

娘さんが不妊治療を受けているわたしの友人が、先日こんな話をしました。

不妊治療だけを行っている有名なクリニックに通う娘さん、先日妊娠反応が陽性になったそうです。まだ心臓の拍動が確認できなかったので1週間後にエコーで再確認したあと、地域の産婦人科医院に紹介をしましょう、という説明を受けました。娘さんにその話を聞いたお母さん(わたしの友人)曰く、「もう次の受診なんかしなくていいから、他の病院に行きなさい。どうせどっちで受けたって同じ検査をするのだから・・・。」

わたしは耳を疑いました。まだきちんと妊娠が確認されていません。うちの夫婦のように枯死卵かもしれないし、泡状奇胎かもしれない。一回で済むのなら、次までは今のクリニックを受診して紹介状を書いてもらうのが一番良い方法なのではないか?医療者であるわたしは、普通にそう考えたからです。ところが彼女は真っ向から反論しました。

もう何度も受診しているけれど、その医者は、最初から今までまだ一度も娘と目を合わせたことがない。診察室に入って準備されたデータを見ながら書類に何かを書き込んだら、顔を上げることもなく簡単な説明をしてそのまま去っていく。もう出て行っても良いのかどうかすら分からないこともある。人間として許せない。他人同士が会ったら「こんにちは」とか「よろしく」とか、社会人として最低限の挨拶がある。どんなに忙しくてもその気があれば誰でもできること。今回も「良かった」「頑張ったね」の人間的な言葉のひとつもない。これから新しい命が生まれてくる、その大事な第一歩の瞬間をそんな流れ作業の一部にしか思ってないような男に委ねることなどあり得ない。同じ生まれてくる最初の瞬間なら、まともな人間の医者のところに行かせたい。

産婦人科医は内診したら誰だかわかるけど顔を見てもピンと来ない、などと云うのは半ば笑い話でしかありませんが、今の医療現場で、特に先進医療の最先端を走っていると自負している医者たちには、こんなことは取るに足らないこと、やむを得ないことという空気が少なからずあるのではないか?・・・耳の痛い話に耳を塞がず、真摯に受け止めるべき事実であるように思いました。

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健康食(後)

「日本食は、減塩さえしっかり意識できれば、少なくとも日本人には必要十分条件を満たす理想食である」ということは、おそらくわたしたちのような専門家のみならず、一般社会の皆さんも普通に分かっていることだと思います。

「健康にどんなに良いか知らんが、おいしくないものを食べて長生きしてもつまらん!」 ・・・メタボのお腹をかかえて、そう吠えている男性諸氏は少なくないことでしょう。そんな声を傍で聞いていると、妙な違和感を感じるのは何故なのでしょう?「最近、肉を食べたいとは思わない。むしろ魚の煮付けなどが恋しい。」「油モノはちょっと辛いことがある。別になくても良いかなと思うことが多くなった。」・・・10年前、20年前に自分のカラダとココロが強く要求していたことにいつの間にかズレができている・・・そんな感じを抱く人は、わたしの世代には多いのではないでしょうか。

ヨーヨーダイエットの話題のときにも、あるいはBOOCSダイエットのときにも書きましたが、人間はその場の自分の気持ちに素直に従って忠実に実行すれば必ずその人の理想の姿に集約していくはずだという真理に、これも似ているような気がします。若いときから理屈に囚(とら)われずにいろいろな食習慣を経験していくうちに、いつの間にか嗜好が変わっていくことを「歳を取った」というのかもしれませんが、少なくとも冒頭のような食生活をすることが何も苦にならなくなったのは、わたしが日本人だからなのかなと思っています。

「こんな、味も何もないものを食えるか?」と今吠えている人も、舌の味蕾さえ壊れてしまわなければ、きっといつかわたしの云っていることが分かるようになると思います。

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健康食(前)

先日行われた第10回日本抗加齢医学会の報告の中に、「日常食で健康長寿は可能か?~食とアンチエイジング~」というシンポジウムの記事がありました。

最新の疫学調査を分析すると、「禁煙して、減塩と野菜・果物、魚介類などの積極的摂取で、高血圧と脳卒中のリスクを低下させることにより、健康長寿が可能になる」という、至極当然なことを真実のデータとして明確に提示したのは、この世界の第一人者(NIPPON DATA 80/90)の上島弘嗣先生(滋賀医大)でした。

生活習慣の改善で下がる血圧は、減塩3gで3mmHg、節酒ビール1本で4mmHg、減塩3gで3mmHg、早歩き毎日30分で5mmHg、これで合計15mmHgとなり、さらに植物性たんぱく質などの栄養摂取で3mmHgの低下も見込まれるから、「健康長寿のためには、1つ1つの影響は小さくても少しずつ積み重ねて血圧を下げていくことが重要だ」と上島先生のことばとして書かれていました。

またシンポジウム座長の家森幸男先生(武庫川女子大)が、CARDIAC  Studyの結果で検討した結果として、タウリンとマグネシウム摂取が多いほど循環器疾患のリスクが下がることから、「魚介類からタウリンを、大豆・野菜・海草類からマグネシウムを多く取れる日本人は、減塩さえ気をつければ無理なく健康長寿が実現できる」と話したそうです。

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本屋で本を買うことがめっきり減りました。今は、本屋といえば誰かと待ち合わせしているときの暇つぶし場所くらいのイメージでしかありません。

こどものころからあまり本を読む方ではありませんでした。姉が本の虫だったのとは対照的です。だから有名な童話や著名人の名作の類はほとんど読んだことがありません。でも、東京で電車通勤していたころには片道1時間の間にたくさんの本を読みました。携行に便利な文庫本だけでしたが、小さなアパートの本棚が小さな千差万別のジャンルの本で何重にも溢れていたのを覚えています。活字を読むことの面白さをあのときに初めて知りました。

でもまた、最近明らかに本を読む時間が減ったと思います。時間がないというのではなく、時間を読書に費やすのが勿体ないという思いがあるような気がします。紙文化世代のわたしは、どうしても今どきの電子書籍に馴染めず、インターネットの検索で見つけた文章も結局印刷してから読まないと頭に入りません。それもまた面倒くさい作業です。雑誌も含めて、本を買う場合はその多くが買いたいと思う本の情報を得たときにAmazonなどを介してインターネット購入する・・・それが最近のわたしの習慣です。

本屋で立ち読みしながら内容を吟味して気に入った本をその場で購入する、という機会はめっきり減りました。でも先日、暇つぶしに入った出張先の本屋で衝動買いした文庫本は、思いの他面白く、ついつい一気に読み上げました。自分のキャリアに何の影響もない小説でしたが、何かちょっと良い時間を費やしたような得した気分になりました。やはり、それが本のあるべき姿なのかもしれません。

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専門医

「今日人間ドックを受診している○○さんって、あの、内科クリニックを開業されている先生ですよね?」
「そうそう。」
「血糖検査の結果がえらい悪かったですよ。」
「そりゃしょうがないよ。家系だもの。」
「でも、たしか先生は糖尿病が専門でしょ?糖尿病が専門なのに血糖が悪いんだ!?ってスタッフで話題になっていたんですよ。」
「いやいや、だって家系なんだってば。」

以前、うちの病院に勤務されていたことのある先生です。生活習慣病治療をするために実家近くに開業し、運動指導士や管理栄養士さんなどもそろえて、生活習慣病治療に積極的に取り組んでいます。その本人が「糖代謝異常」だというのですが、糖負荷検査をしたら負荷1時間後の値が200mg/dl程度だということをナースたちが話題にしているようなのです。それの何が悪いのでしょう?空腹時血糖も負荷2時間後の値もヘモグロビンA1cも全く正常だということは、とても良くコントロールされているってだけじゃない?負荷1時間後に高値(食後高血糖パターン)なのは体質なのだから、これを正常にさせることをコントロールと云うのじゃないんだから。

○○先生、さすがに専門医。「自分も頑張っているからあなたも頑張りましょう!」で、日々精進しているのでしょう。糖尿病治療の大家の河盛先生や田中先生と同じですね。もっとも、結果説明をしながら状況を聞いてみたら、当の本人は2年前に急に負荷1時間値が高くなってきたことに普通に大きなショックを受けたようでした。

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ひとがら

先日、世界の王さんのお母様が天寿を全うされて108歳で逝かれました。

昔から、「王さんにこの母あり!」ということはよく聞いていましたし、ホームラン記録のときにつつましやかに頭を下げるご両親の姿が今でも目に焼き付いています。あの母にして「何の学もなく取り柄もない私たち夫婦の子として、この上ない親孝行をしてくれたことを誇りに思います」と云わしめ、子は子で「病弱な私を育ててくれた母を誇りに思います。」としみじみ語る・・・そんな王親子の関係に、こころから敬服をいたします。

子は親を見て育つ。人格者かどうかは親を見ればわかる。遠い昔から云われている真理は、この親子を見ているとまさしくその通りだなと思います。人当たりがとても柔らかい王さんのひとがらですが、頑固一徹な哲学がときどき見え隠れし、絶対に譲らない一線もあります。それも含めて多くのヒトが王さんを「王さん」として慕っています。そこには、この親がいたから・・・誰もが相槌を打つ事実だと思います。

「人格」と「ひとがら」の違い・・・「人格」は作り上げるもの。「ひとがら」は持ってうまれたもの。だからこそ、この2つを2つとも優れたものにするためには、親の存在は避けて通れないものだと痛感した次第です。

お母様のご冥福を祈ります。合掌。

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秘密基地

20世紀少年」がテレビで第三章まで放映されるそうで、先日とりあえず第一章を観ました(映画館の最新版を含めてまとめて全部観たのは1年前でしたか)。

1年前にも書いたとおり、わたしたちも秘密基地を作りました。もう跡形もないけれど、1号基地も2号基地もわたしにとっては完璧なものでした(3号以上はちょっといい加減だったような気がします)。そこはとても気持ちの良い空間で、ともだちとそこに居るだけで心が落ち着きました。たしかわたしもケンヂくんが書いたような「予言の書」の類を書いた気がします。この映画ほど壊滅的なはなしではなく、普通のみなさんが想像するような陳腐な未来像です。高層ビルの間を縫うように高速道路があり、腕時計型のトランシーバーがあり、自動運転する自動車があり、きっと鉄腕アトムやウルトラマンなどの影響をもろに受けてかなり重なり合っていた気もします。でも、その予言の大半は、大なり小なり現実のものとなりました。まるで夢物語と思っていたものが21世紀になったときには普通のものになっていました。これって凄いことだとは思いませんか?

そんなことを「20世紀少年」第一章を観ながらぼんやり考えていましたが、それでは、今の子どもたちは私たちがむかし考えたような現代版「予言の書」を持っているのでしょうか?今の子たちの秘密基地はどこかにやはりあるのでしょうか?「将来に夢も希望もありはしない。将来は破滅の道しかないんだ!」と考えがちなのは、単に周りのおとなたちがそう考え、マスコミがそう扇動しているからに過ぎません。今の世の中でも、子どもたちは本当は彼らなりの将来を予想しているのではないのか?満更でもない楽しい将来を予想している可能性はたぶんにあります。それを世のおとなは打ち消さないで居たいものだと思います。

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高齢者の減量は有効

わたしの医療雑学の知識の源"Medical Tribune"で、読まないでずっと切り抜いたままになっていた「高齢者の意図的な減量は有効~過去の有害説を否定」という記事をやっと読むことができました。

Journal of Gerontology:Series A(2010;65A:519-525)という雑誌に報告されたウェイクフォレスト大学バプテスト医療センターのM.Kyla Sheaらの研究報告です。膝関節炎を有する高齢地域住民を対象に、減量と身体活動が身体機能に及ぼす効果を検討するために積極的減量介入群と非介入群に分けて8年後の生存状況を調べました。その結果、減量を目的に身体活動あるいは食事改善を行った群の死亡者数は行わなかった群の半分しかいなかったのだそうです。つまり、「高齢者の肥満関連の健康問題に取り組む際、減量の推奨を懸念する必要はない」と云うのです。

「高齢者はムリに体重を減らすとかえって死亡率が上昇する」というのが、医療現場の常識でした。世のダイエットブームとメタボ健診の影響で、運動や食事療法に一生懸命に取り組むのはいつも高齢者の皆さんなわけですが、ある程度の年齢になったら、「体重を減らすことは必ずしも良しではない、ただ萎んでいるだけだ」と説明して、減量志向を改めさせるようにしてきました。ですからこの報告は驚きでしたし、頑張る高齢者の励みになるだろうなと思いました。

「高齢者は減量により高血圧や高コレステロール、高空腹時血糖値など複数の健康問題が改善するのに、世の医師たちは死亡リスクを気にして高齢者に減量を薦めるのに抵抗を感じている。」
「高齢者で蔓延する肥満に取り組むうえで、障壁となる数々の根拠のない懸念を解除するものだ。」(Kritchevsky所長)

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ベクトル

現場がどうもうまくいっていない、やる気が感じられない、と云うのです。

そう相談されて、わたしはスタッフのそれぞれに直接会ってじっくり話を聞きました。その結果わかったことは、それぞれのベクトルが微妙にみんなずれてしまっているということ。それぞれが考えていること、それぞれが感じていること、そのどれをとっても何ら悪くないし、より良いものを作り出すためにはどうしたらいいのかという夢を皆が各々に持っています。そのためにこんなことをしたいと考えています。ところが、周りの人はそれを感じてくれていませんし、むしろ逆向きに考えていると思っているのです。

この組織ができたころ、それぞれの専門職が知恵を出し合って同じ方向にあるレベルの高い健康支援を目指していました。みんなのとても生き生きとした目が印象的でした。そこにいつの間にか微妙な亀裂が入り、ギクシャクしてきている。一体何故なのでしょう?仕事内容が増えて疲れが溜まってきている?自分だけが仕事を多くさせられて損している気がする?君は考えが甘いんだ!そういう君は他人の話を聞こうとしないじゃない?・・・徐々に生まれてきたそんな不平不満が不協和音を生み出してきていることは明白です。でも、だったらどうしてもっと皆で腹を割って話し込まないのだろう?上司も妙にオブラートで包んだ注意の仕方をする。どうしてストレートに云わないのだろう?

わたしが応援するJリーグのサッカーチームがなかなか勝てません。サッカーでは選手たちだけでなくスタッフも含めた全員が完全に同じ方向にベクトルを向かわせないと勝てません。このときに何をするか?とことん本音で話し合うしかないのです。思っていることはすべてを声に出して訴えなければ、相手にはわからないのです。わからないままに想像をするからどんどんずれていくのです。とにかく、もっと本音で話し合え!・・・彼らに云えたアドバイスは、結局それだけでした。

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墓参り

東京に住む人の約半数が、この1年の間に「墓参りに行っていない」と答えています。盆の墓参り、彼岸の墓参り、故人の命日の墓参り、年末の墓掃除・・・墓参りのポイントは1年の間に何度かありますが、遠いことと忙しいことがネックになっているのだそうです。

若くして母が亡くなり、父がある日突然死して以来、わたしも足繁く実家近くの墓参りに行くようになりましたが、それは母が亡くなったときに我が家に墓ができた(父が建立)からであり、父や母の故郷にある墓参りとなると、もう子どものころの思い出しかありません。今は一人で行けといっても墓の場所が今ひとつ定かではありません。

そういう点を考えると、仏壇の合掌のときも含めて、わたしは父母より先代のご先祖様への感謝をほとんど意識していないことを痛感します。子どものころあれだけ「ばあちゃん子」だったにもかかわらず、そんな祖母の姿を思うこともほとんどありません。顔の面影もおぼろげです。甥夫婦が住んでいる今の実家の家に寄ることはありませんから、山を越えて車で墓地に行き、お参りしてまた車で帰るだけです。墓参りのついでに親類を尋ねるということもまずありません。法事や墓参りは、故人や祖先を思うことを通して、現世に生きる者たちのご縁を大事にすることに意義があるのだと教わりましたが、いつも誰とも会話することなく帰ることになります。

今日もこれから日帰りの墓参り帰省になります。いつもと同じ行程になりますが、せめて手を合わせるときに久しぶりにばあちゃんのことも思い出しながら、ちょっとだけ長めにお祈りしてきましょう。

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線香

旧盆。

いつものように、出勤前の喧騒の中で小さな仏壇のロウソクに火をともして線香をあげ、静かに手を合わせました。最近少し慌ただしくて端折(はしょ)りすぎかなと自己反省しながら。・・・形だけの短いお祈りの後、またバタバタと出勤準備。荷物をかかえて仏間の前を通ると、線香から最後の煙が上がっていました。

燃え尽きる前の最後の火・・・きちんと最後を見届けたい衝動にかられてつい立ち止まりました。そして、ぼんやりと佇んで眺めてしまいました。最後の数ミリ・・・最後だから・・・時計を気にしながらそう思って眺めていましたが、それはなかなか果てません。時間にして1~2分。この時間を、まだかまだかと焦る気持ちでいるか、あるいは時を忘れて何かの思いに耽るのか・・・同じ1~2分がまったく違うものになります。でもその積み重ねが人生を作るのだと考えると、バカにはなりません。

そんなことを思いながら、すぐに「それもどうでもいいや」と思い、額にしっとり汗がにじみ出したとき、朱色が音もなく静かに消えていきました。あとには線香の存在があったことを示すように形通りの白い灰の姿だけが残っていました。

合掌。

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訃報

学生時代のメーリングリストに、同級生の親御さんの訃報が載る機会が少し増えてきました。そういう歳になってきたということでしょう。でも、それに加えて、まれに本人の訃報が入ってきますと、つい考えてしまいます。

自分が死んだらどうなるだろうか。2年前に亡くなったわたしのいとこがメーリングリストに載らなかったのと同じように、もしかしたらわたしも、中学のメーリングリストにも高校のメーリングリストにも載らないのかもしれないなと思わずにはおれません。出身の街に住んでいるわけでもなく、交友のある同級生は何人かいるものの家族ぐるみのつきあいをしている友人は誰一人いないのですから。妻が同窓会の誰かに連絡をしない限り、きっとずっと知られないままになるのでしょう。まあその時に自分はもう居ないのだから別に困らないのですけれど、でもやっぱりみんなに知ってもらえた方がいいなあ。「消息不明」はイヤやなあ。

そんな話を夫婦でしたことがあります。「職場に連絡をするのと一緒に、中学の同級生のMくんにも連絡しておいてくれないかな」・・・そう妻に頼みましたら、「いつもサッカーを一緒に観にいっているKくんじゃないの?」と聞き返されました。「彼は高校の同級生」。「でもわたしの方が先に逝くわよ、きっと!」と云い返されてそのはなしは終わりました。そういえば、彼女が先に逝ったら、わたしは誰に連絡したらいいのだろうかしら?

今日から旧盆。やはり、どうせなら少しは同級生の思い出話の中に出てこれる死に方がいいと思います。

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ブラックコーヒー

健診では、何かを食べてきているとその日に検査ができず後日にやり直すことになります。血糖値や中性脂肪の値に影響が出てくるからです。以前は「食後2時間以上開いていればOK」などというアバウトなことをやっていましたが、今は「10時間以上空腹状態にしなければ正確とはいえない」と云われる時代です。まあ、アバウトな検査でも異常がないなら何も云うことはないのでしょうし、いつも食べてばかりいる人が検査前だけ10時間絶食をしても意味があるのだろうか?などと思ったりしないでもありませんが。

先日、「ブラックコーヒーを1杯だけ飲んできた方がいるのですが、検査を続けてもいいでしょうか?」という問い合わせがナースからありました。自分で豆を挽いて入れたと云います。「まあ大きな問題はないんじゃないの?もし異常が出たら考慮しましょう。」と、ちょっといい加減な答え方をしましたが、何となく心配になって昼休みに調べてみました。

ブラックコーヒーのカップ1杯に含まれるエネルギーは4~6Kcalだそうです。豆に含まれる炭水化物0.7~1.1g、たんぱく質0.2~0.3gが微妙に効いているみたいです。だから「カロリーはほとんどないと考えていいでしょう」という表現になりますし、缶コーヒーもブラックは概ね0カロリーと表示されます(5Kcal/100ml以下の場合は『0カロリー』と表示してもいいそうです)。実社会ではそれで何の問題もないですし、「コーヒーはブラックで飲めばカロリーはほとんどありません。脂肪燃焼を助ける効果もあるのでダイエットには向いている飲み物ともいえます。」などという謳い文句も良くわかります。

話を初めに戻してみましょう。結局、この受診者はブラックコーヒーを飲んだことがデータに影響を与えたのでしょうか?今後、こういう場合は検査をしても良いのでしょうか?例年に比べるとほんのちょっと血糖が高値でしたが、これはコーヒーのせいなのかどうかよく分かりませんでした。「次回は気をつけてくださいね。」ということで話を括りました。

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愚痴

毎日、愚痴りたいことばかりあります。

できる限り前向きな話題を見つけ出して書いていこうと思い立ってブログを始めました。基本的に、ここには愚痴は書かない、というのがブログを始めるにあたってわたしが決めた最低限の決め事でした。

愚痴はそれをどんなに正当化して記録に残したところで、あとに何も残しません。実を結ぶことも花を咲かせることもありえません。だから、できる限りその場で頭の中のみで文章を書いて、そのまま吐き捨てるように心がけてきました。

とか云いながら、これを読んでいただいている皆さんは「うふふ」と笑ってしまうでしょう。ついつい勢いでここに書いてしまった愚痴の何と多いことか。そんな文章をずっとあとで読み返してみても、やはり何も残らず、何も前に進まない・・・そのことを確信するばかりです。

あいかわらずやってくるうつの周期に、一層ココロを震わせながら、日々生きていく中での無力感に苛(さいな)まれています。

ん~。日々、反省。

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作品展

ある自閉症者施設利用者の皆さまの小さな作品展に行ってきました。

どんな有名な作家の絵や陶芸であっても、あるいはどんな有名な絵画展であっても、実際にはさほど細かいところまで覗き込むものではありません。それが素人さんとなるとさらにアバウトになります。「細かい作業なのに良く頑張ったな」とか「これは伸び伸びとして元気があるな」とか、どこか上から目線なところがあるような気がします。

ところが、この日は最初から圧倒されました。正直なところ、最初はポーズでした。受付に知人が居て、まさかさらっと見て帰るというわけにはいくまい、と。ところが、一枚一枚を眺めているうちに、その一枚一枚が何かを語りかけてくるような妙な感覚が湧いてくるのです。勿体ない気がして数枚前に戻ったりして・・・。これは何を云いたいのだろう?この色に、この形に、何を託しているのだろう?必死で考えながら自分なりに答を出し、自分で満足しながら次に進む作業・・・絵に題名のひとつもつけてもらえるなら想像しやすいのに、などと思っているうちに、もしかしたら全然間違っているのかもしれないという考えが浮かんできました。この空はどうしてこの色なのだろう?この顔は?この服は?この緑色だらけのモザイクの粒の中にどうして数枚だけ白や赤のピースがあるのだろう?そこに表したいのは何なのだろう?とひとり考えたところで真実はわかりません。でも、目の前に作者が居てそれを問うてみたら、彼らは事もなげに「たまたま色が足りなかったから使ってみただけ」「何も意味はない」などと答えるのかもしれません。

書く者が書きたくて書いたその絵に、他人の無意味な意味づけなど無用なのかもしれません。彼らと同じココロになるのは不可能ですが、彼らの筆を握る傍らで見守っている感覚になれたらうれしい。わたしにとって、哲学者の域は遠い世界のように感じます。

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敗北宣言

内服を嫌がる人がたくさん居ます。

「お代官様。どんなことでもしますから、どうか内服だけはご勘弁を!」・・・かかりつけの内科医にそう懇願して処方を待ってもらったり、処方されたクスリをそのままゴミ箱行きにさせたり、あるいはそんな医者の元を勝手に去っていったり・・・。「内服を始めるとずっと止められない、というから飲みたくないのです。」と云うことばを発する老若男女もいまだに少なくありません。この考え方の間違いは以前ここでも書きました。

内服を嫌がる人たちの心理が何となくわかってきました。「わたしは毎日何万歩も歩いているし、精進料理しか食べない人生をもう何年も送ってきました。あとは一体何をしろというのですか?」「そろそろクスリを考えたらいかがですか?」「こんなに頑張っているわたしが、なぜクスリを飲まなければならないのですか?何が悪いのですか?」

どうもココロの底でクスリを飲むことを「敗北宣言」のように思っているようです。<内服するのは病人><内服は堕落人間の証し>~自分はそんな人間にはなりたくないんだ!と叫んでいるように見えます。だからクスリの弊害や「クスリを飲むと病気になる」と云った類の意見を楯にしてなんとか現状を逃れようとします。クスリは毒物・・・これがわたしの医者としての基本理念ですので、わたしも飲まないで済むなら飲まないに越したことはないと思っています。それでも中には早くクスリを使った方がはるかに明るい人生を送れる人がたくさん居ます。他人事ではありますが、もっと楽しい人生があるのに勿体ないなあと思います。

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ラストワンマイル

日経メディカルオンラインに帝京大学の情報システムの話題が書かれていて、興味深く読みました。

「ラストワンマイル」というのは通信業界の用語・・・通信サービスの加入者宅から、最寄りの電話局までの回線のこと・・・だそうです。帝京大学本部情報システム部では、これになぞらえて医療情報システムに末端機器から情報を投げ込む回線を「医療ITのラストワンマイル」と呼んでいる、というお話です。

「90年代から、ITの活用が医療を高度化すると言われてきました。さまざまなソリューションが登場してきたものの、期待されるほどの成果が出ていないのが実情です。その理由の1つは、現在の医療ITが取り扱っている情報が、人間が扱える程度の情報量に留まっているからだと思っています。コンピューターを利用することの大きなメリットは、人間では扱いが不可能な膨大なデータを高速処理することによって、新しいパラダイムを生み出すこと。現在の医療ITは、カルテの枠から出ていないのです。そこに記された、頭で理解できる程度の情報量では、人間の思考や判断を超えるような結果は得られません」(帝京大学澤智博教授)

「・・・放射線科や臨床検査部門で発生する情報は。モダリティのディジタル化などにより、かなりの部分を病院情報システムに蓄積できるようになった。一方、体温や血圧など病棟部門における患者のバイタル情報は、現在でももっぱら医療スタッフが手作業で情報を収集し、記録している。これでは、取得できる情報に限りがある。人間の手作業で取得できる範囲の情報をコンピューターで処理しても、分析の支援にはなるが、革新的な成果は得られない。・・・」

それだから、たとえばベッドサイドで血圧を測ったらそのまま直接PC端末に取り込まれ、それを経由して電子カルテ上の「温度板」に自動投入されるソフトを開発した、という話なのですが、はて、それで良いのだろうか?と何か引っかかってしまいます。看護師さんの仕事は、血液分析器やレントゲン装置のようなロボット仕事ではありません。ベッドサイドで患者さんと話しながら、得られたバイタル情報を元に聞くべき内容も変えなければならないし、追加すべき情報も変わってきます。手元にある情報を元に今の患者さんの抱えている問題をその場で分析し把握する必要があると思うのです。このアナログの部分が病棟末端で行われないのであれば、看護師の存在はまったく無用であり、それこそ患者さんが手を握ればバイタル情報が把握できるロボットを開発すれば良いことになります。

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朝カレー

「朝茶漬け」に続いて、最近は某プロ野球選手を使っての「朝カレー」のCMをよく見るようになりました。実際のところ、これらのCMのポイントは「朝食を食べない者たちに朝食を食べさせよう」というよりも、「早朝から起きて料理を作るのが面倒くさい世のお母さん、お嫁さん方に手抜き朝食を作る方法がありますよ」っていう戦略のように見え、「こんなの食育じゃない!」とお叱りを受けるようなCM内容だと感じていました。それでも、「食べる」ということ、特に「朝食べる」ということにすぐに反応できるこれらの企業は、やはり偉いんだろうなあと感心もしました。「朝からカレーかよ?」と突っ込む妻に向かって、「我が家ではカレーの翌朝はいつものことジャン?」などと突っ込み返すわたし。わたしは朝茶漬けより朝カレーの方がマシだと思いました。それは単純に、茶漬けよりカレーの方が少しは噛むんじゃないかな?と思ったからです。

ところが、なんと「朝カレーが体に良い!」というのが今ブームになっているという・・・。そう聞いたら読まずにはおれません!朝カレーが脳を活性化させて病気の予防改善、ダイエットに効果があるという、ブームのきっかけになった丁宗鐵先生の本。

<病気にならない朝カレー生活(丁宗鐵(ていむねてつ)著、中経出版)>

興味がある方は是非お読みください。大リーガーのイチローが朝カレーだということは割と有名らしいですね。高カロリーで太り易いと思っていた方も朝から胸焼けするだろうと思った方も、まあとりあえず読んでみてください。なかなか面白いです。

<朝カレー生活の10のメリット>
 1.眠っている体が目覚めやすくなる
 2.各種の病気を予防・撃退できる 
 3.免疫力が高まる
 4.脳が活性化する
 5.集中力や計算力が上がる
 6.体内の機能が活性化する
 7.「朝型人間」になる
 8.ダイエット効果がある
 9.新陳代謝が上がる
 10.魅力的な人になれる

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所在不明

とても寂しいおはなしです。

世の百寿者のお年寄りの中に所在不明の方が数十人以上は居ることが明るみなったというニュース。世界最高の平均寿命の数字にも影響が出るのではないかとさえまことしやかに囁かれる事態です。

家族の絆を頼りにして、人間の良心に左右される日本のシステムは、残念ながらほとんど崩壊しつつあります。人間は生まれれば皆に祝福されて出生届を出して戸籍に登録され、死ねば皆に悼まれながら死亡届を出して戸籍から消される。当然の如くに行われると疑わなかったしくみですけれど、戸籍のないこどもたちがたくさん居るのと同じく、生きているかいないか分からないお年寄りがたくさん居る現在、日本には本当は何人の人が生きているのでしょう?なにしろ昨日は、15年前に所在不明のまま死んだことになっていた人が犯罪を起してみつかったり・・・。

「家族の所在がわからない」ということは、昔からさほどめずらしいことではありませんでした。100歳以上のお年寄りの所在不明が騒がれるのは、結局は年金支給が続いているからでしょうが、もっと若い人も含めて、親戚の中に「今どこにいるの?」と聞いても誰も分からない人が何人か居ました。それがフーテンの寅さんのように、あるときふっと現れて「大きくなったなあ」などと頭を撫でてくれるのです。

「弔いのひとつもせず、親の消息が分からないなどとは言語道断だ!」と怒っているある自治体の首長がテレビに出ていました。まるで映画「楢山節考」の姥捨山のような現実が今でもあるのかどうかは分かりませんが、痴呆で徘徊したままどこにいるのかわからなくなった人もいるかもしれません。いつの間にか社会から名前だけ残して消えていった人、その本人であれその家族であれ、どんな思いでその瞬間を迎えるのだろう。・・・昨日書いた餓死の幼子同様、かれらの心の中にはどんな思いがあるのでしょうか?

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天使

母親がわが子2人を家に置き去りにして餓死させた事件が報道されています。3歳と1歳の2人は寄り添うように仰向けに死んでいたとのこと。痛ましい事件でした。

つい1年前まで頑張っていたお母さんの突然の育児拒否、母性の欠如、社会的援助の存在を知らない無知など、世間の報道がお母さんのことに終始し、これからさらにワイドショーの餌食になるのかもしれません。ただ、わたしが気になったのは、やはり天使のように生まれてきて天使のように去っていった子どもたちのことばかりです。おとなが虐待されたり殺されたりするのとは違い、子どもたちはほぼ例外なくお母さんを恨みません。「恨む」ということばそのものが存在しないのだろうと思います。親を信じることに何も疑いを持たない子どもたち、「悲しみ」や「辛さ」はあるのかもしれないけれど、お母さんは必ず自分を見てくれる。お母さんが自分を見てくれないとしたら、それは自分が何かしら間違えたことをしたから・・・自分が悪いことをしたから?・・・彼らはどうしてそんな無垢な天使たちなのだろう。誰もが子どものころはそんな天使だったに違いないのに、いつの頃からか親を恨み、憎しみ始めるのです。

3歳のお姉ちゃんが1歳の弟を守るために、弟をじっと抱きかかえて力づけながら、力尽きていく姿・・・どちらか一方が先にこと絶えて一人だけ残ったとき、そのどちらかは何を考えただろう。・・・悲しい姿なのだけれど、彼らもまた役割を持ってこの世に短い生を受けてきたのでしょう。せめて、若いお母さんがこれからの人生の中で、いつも彼らの天使の笑顔を心に抱いて生きていってもらいたいと切に祈ります。彼らは、いつもお母さんが大好きで、お母さんのことを恨んではいないのだから。

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そういえばこんな夢

「○○さんが、『車で人を轢いてしまった』といって私に相談する夢をみたよ!」・・・昼休みのスタッフルームで昨夜の夢の話をしている若いお嬢さんの会話を、お弁当を食べながらボーっと聞いていました。

「はて、そういえば何かわたしも昨日は似たような夢をみた気がする」・・・話を聞ていて頭の中の何かが働き始めました。・・・「そうだ、死体を捨てるところを探していたんだ!」

彼女たちの話ほど細かいところまでは覚えていませんが、何故だかわたしの荷物の中にシーツに巻かれた誰かの死体があって、特段目立ちはしないのだけれどいつまでもそれを持って歩くのはイヤだなと思い、早くどこかに捨てたいなと思っている夢。でも、どこか遠くに車で行って捨てても、きっと何かがきっかけで警察にばれてしまって、捕まるんじゃないかな。そんなことになったら大変だなあ・・・凄く荒んだ気持ちになっていった、そんな夢でした。

・・・と思いますが、もしかしたらあれは夢ではなくて、うたた寝の最中にテレビドラマか何かの内容が入り込んだ空想なんだろうか?昔、ラジオの深夜放送を聴きながら寝ていたら、ラジオであるにもかかわらず頭の中で映像が流れて、あたかもテレビを観ている錯覚に陥ったことがありました。何かあれに似た感じがします。

・・・もはや夢か現かよく分からなくなってきました。ただ、今のわたしは決して良い精神状態ではないのだろうなと思いました。夢判断によるとこれはどういう心理なのだろう?

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胃カメラ

歌手の桑田佳祐さんのがん宣言で、一躍有名になった「食道がん」。奇しくも指揮者の小澤征爾さんが食道がんの手術から生還し、一層、人間ドック受診者さんの関心が食道に向けられています。「ここは食道を診てくれるのですか?」という質問を何度か受けました。小澤征爾さんが「人間ドックは大事。くどいようだけど人間ドックに行かなきゃだめです。」というように、食道がんを早期の段階で見つけるのが健診でしょう。

ところが、先日国営テレビのある人気健康番組で「検診の胃カメラでは早期の食道なんかみつからない」という趣旨の放映があったのだとか?わたしは実際を見ていないので何ともいえませんが、それを見ていた知人の看護師さんが「だから健診で胃カメラを受けても無駄らしい!」と話しているのを聞いて、耳を疑いました。昨日も「胃カメラではなくて食道カメラを受けたい」という受診者からの問い合わせがありました。食道がんを早期の段階で発見できる唯一の方法が健診の胃カメラなんじゃないのか?

たしかに、本当の意味で食道にがんがないかを調べるためにはルゴール液(ヨード剤)を塗る必要があり、誰でも全員に塗るわけではありません。それでも、胃カメラ検査は消化器専門医が行うわけです。彼らには彼らのプライドがあるでしょう。時間がないから健診では食道はいい加減に観てもしょうがない、などと思っている医者がいるとは思えません。少しでもおかしいと思えば必ずルゴール液の塗布はするでしょう。危険因子が多い場合もあえてするかもしれません。それではいけないのでしょうか?ちなみにうちの施設では、ルゴール液によって胸焼け症状が残ることが多いのでルーチンで行わないことにしました、と担当医師が云っていました。

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30歳のみなさんへ

毎年、ある団体から節目の健康講話を依頼されます。これまでは40歳と50歳が多かったのですが、今年は、久しぶりに30歳を頼まれました。

30歳というのは、「健康」とか「病気」とかそんなこと自体にほとんど興味を持っていない世代・・・わたしは勝手にそう位置付けたのですが、今どきの30歳はどうなのでしょう?少なくともわたしが30歳のときは、健診の結果など確認した記憶はまったくありません。今より10kg以上太っていましたが、それでも異常など出るはずがないと思っていました。ただし、20代と比べて突然「歳を取った」と実感したのが30歳の春ではありました。

今の30歳が生まれた頃を自分の歴史で考えてみると、彼らが物心ついた時には、すでにコンビニが普通に存在し(さすがにまだ24時間営業は少なかったかもしれませんが)、車にクーラーがついているのは当たり前だったし、家でも普通にクーラーをつけていただろうし、マックやケンチキといったファーストフード店が一気に増えてきたころでした。つまり、この世代の特徴は、持っている「体質」が旧世代のくせに、日頃の「生活」が新世代になっていて、カラダがそのギャップをきちんと消化できず、それがそろそろ現れはじめる年頃なのではないかな、と感じています。

と、そんな切り口で話してみましょうかなと思っています。結局は、メタボのど真ん中ストライク世代!であるこの世代に、「病気の治療ではなく病気にならないカラダ作りを今からしなければ間に合わない宿命にある」ということをわかってもらわなければなりませんが、一体、どう話したらその気になってもらえるかしら?

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一次予防と二次予防

「それは二次予防じゃなくて一次予防でしょ!」・・・むかし、ある生活習慣病の研究会で、その研究会の重鎮である某先生にそう意見されたことがあります。

肥満症の患者さんにフィットネスセンターで運動を試みた成果をうちのスタッフが発表したときのことです。予防には一次から三次まであります。「一次予防」は未病の状態を病気にさせないこと、あるいは病気とは縁のない健康的な人生を送ること。「二次予防」は病気を早期に発見し、早期のうちに治療して病気を進行させないようにすること。そして「三次予防」は不幸にして合併症を起こしてしまったときに再発させないように対処すること。たとえば、高血圧症を例にとると、軽度高血圧の段階で運動や食事療法に取り組んだり早期に内服を始めたりすることは二次予防、高血圧にならいようなライフスタイルを日頃から心掛けることが一次予防、脳卒中になったので再発しないように血圧のさらなる厳重管理をすることが三次予防、ということになります。

では、肥満症はどうでしょう。<肥満>と違って<肥満症>は「症」が付くのだから病気です。だから肥満症の治療は「二次予防」だ!とわたしは主張したいのです。以前から、<軽度高血圧症>のことを「ちょっと高めの血圧」と云い、「まだ治療するまではないけれど今のうちから注意しておいた方が良い」とか、<脂質異常症>のことを「ちょっとコレステロールが高いから気をつけた方が良い」とか、そういうオブラートに包んだ云い方をするのが健診業界の慣例のようで、臨床現場からこの世界に移ってきたときにもの凄いカルチャーショックを覚えました。<軽度高血圧症>や<脂質異常症>は立派な病気なんだから、それを運動と食事で改善させるのは、誰が何といても「二次予防」だ!

・・・心の中でそう叫びながら、じっとその重鎮の先生のご意見を呑み込みました。

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