作品展
ある自閉症者施設利用者の皆さまの小さな作品展に行ってきました。
どんな有名な作家の絵や陶芸であっても、あるいはどんな有名な絵画展であっても、実際にはさほど細かいところまで覗き込むものではありません。それが素人さんとなるとさらにアバウトになります。「細かい作業なのに良く頑張ったな」とか「これは伸び伸びとして元気があるな」とか、どこか上から目線なところがあるような気がします。
ところが、この日は最初から圧倒されました。正直なところ、最初はポーズでした。受付に知人が居て、まさかさらっと見て帰るというわけにはいくまい、と。ところが、一枚一枚を眺めているうちに、その一枚一枚が何かを語りかけてくるような妙な感覚が湧いてくるのです。勿体ない気がして数枚前に戻ったりして・・・。これは何を云いたいのだろう?この色に、この形に、何を託しているのだろう?必死で考えながら自分なりに答を出し、自分で満足しながら次に進む作業・・・絵に題名のひとつもつけてもらえるなら想像しやすいのに、などと思っているうちに、もしかしたら全然間違っているのかもしれないという考えが浮かんできました。この空はどうしてこの色なのだろう?この顔は?この服は?この緑色だらけのモザイクの粒の中にどうして数枚だけ白や赤のピースがあるのだろう?そこに表したいのは何なのだろう?とひとり考えたところで真実はわかりません。でも、目の前に作者が居てそれを問うてみたら、彼らは事もなげに「たまたま色が足りなかったから使ってみただけ」「何も意味はない」などと答えるのかもしれません。
書く者が書きたくて書いたその絵に、他人の無意味な意味づけなど無用なのかもしれません。彼らと同じココロになるのは不可能ですが、彼らの筆を握る傍らで見守っている感覚になれたらうれしい。わたしにとって、哲学者の域は遠い世界のように感じます。
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コメント
私も数年前から「天真書法塾」という会に所属して、中国書道を学んでおります。
以前先生が絶賛していたのが、何度かマスコミにも取りあげられている「金澤 翔子」さんの作品です。
先生曰く、
「あの年齢で、まったく邪気のない作品を書く。帰り際に『おじちゃんまた来てね』とか言ってたんだけど、可愛かったね~。
でも『おじちゃん、邪気ないね』とは言ってくれなかった(泣)」
邪気だらけの先生に学んでる邪気まみれの私も、いつか金澤 翔子さんのように清々しい字が書きたいものです(笑)。
投稿: コン | 2010年8月12日 (木) 18時14分
コンさん
邪気のある字もそれはそれでいいじゃないですか。
素直に邪気を表せられたらそれは素晴らしい。
私は、筆字やサインペン字に大きなコンプレックスが
あるので、書を書ける方が眩しく見えます。
投稿: ジャイ | 2010年8月12日 (木) 23時41分