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所在不明

とても寂しいおはなしです。

世の百寿者のお年寄りの中に所在不明の方が数十人以上は居ることが明るみなったというニュース。世界最高の平均寿命の数字にも影響が出るのではないかとさえまことしやかに囁かれる事態です。

家族の絆を頼りにして、人間の良心に左右される日本のシステムは、残念ながらほとんど崩壊しつつあります。人間は生まれれば皆に祝福されて出生届を出して戸籍に登録され、死ねば皆に悼まれながら死亡届を出して戸籍から消される。当然の如くに行われると疑わなかったしくみですけれど、戸籍のないこどもたちがたくさん居るのと同じく、生きているかいないか分からないお年寄りがたくさん居る現在、日本には本当は何人の人が生きているのでしょう?なにしろ昨日は、15年前に所在不明のまま死んだことになっていた人が犯罪を起してみつかったり・・・。

「家族の所在がわからない」ということは、昔からさほどめずらしいことではありませんでした。100歳以上のお年寄りの所在不明が騒がれるのは、結局は年金支給が続いているからでしょうが、もっと若い人も含めて、親戚の中に「今どこにいるの?」と聞いても誰も分からない人が何人か居ました。それがフーテンの寅さんのように、あるときふっと現れて「大きくなったなあ」などと頭を撫でてくれるのです。

「弔いのひとつもせず、親の消息が分からないなどとは言語道断だ!」と怒っているある自治体の首長がテレビに出ていました。まるで映画「楢山節考」の姥捨山のような現実が今でもあるのかどうかは分かりませんが、痴呆で徘徊したままどこにいるのかわからなくなった人もいるかもしれません。いつの間にか社会から名前だけ残して消えていった人、その本人であれその家族であれ、どんな思いでその瞬間を迎えるのだろう。・・・昨日書いた餓死の幼子同様、かれらの心の中にはどんな思いがあるのでしょうか?

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