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墓参り

東京に住む人の約半数が、この1年の間に「墓参りに行っていない」と答えています。盆の墓参り、彼岸の墓参り、故人の命日の墓参り、年末の墓掃除・・・墓参りのポイントは1年の間に何度かありますが、遠いことと忙しいことがネックになっているのだそうです。

若くして母が亡くなり、父がある日突然死して以来、わたしも足繁く実家近くの墓参りに行くようになりましたが、それは母が亡くなったときに我が家に墓ができた(父が建立)からであり、父や母の故郷にある墓参りとなると、もう子どものころの思い出しかありません。今は一人で行けといっても墓の場所が今ひとつ定かではありません。

そういう点を考えると、仏壇の合掌のときも含めて、わたしは父母より先代のご先祖様への感謝をほとんど意識していないことを痛感します。子どものころあれだけ「ばあちゃん子」だったにもかかわらず、そんな祖母の姿を思うこともほとんどありません。顔の面影もおぼろげです。甥夫婦が住んでいる今の実家の家に寄ることはありませんから、山を越えて車で墓地に行き、お参りしてまた車で帰るだけです。墓参りのついでに親類を尋ねるということもまずありません。法事や墓参りは、故人や祖先を思うことを通して、現世に生きる者たちのご縁を大事にすることに意義があるのだと教わりましたが、いつも誰とも会話することなく帰ることになります。

今日もこれから日帰りの墓参り帰省になります。いつもと同じ行程になりますが、せめて手を合わせるときに久しぶりにばあちゃんのことも思い出しながら、ちょっとだけ長めにお祈りしてきましょう。

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