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2010年11月

異所性脂肪

Medical Tribuneには、日本肥満学会のトピックス記事が2つ掲載されましたので、超抜粋で紹介します。

●太っていない生活習慣病にも運動と食事の注意が有効

日本人は欧米人に比べて太っていないのに生活習慣病患者が多い特徴があります。①非肥満性2型糖尿病者は健常人より異所性脂肪(骨格筋細胞内脂肪)蓄積が2倍多い、②日本人男性は米国白人男性より非肥満の段階から脂肪肝になりやすい、③食事療法は肝脂肪(肝細胞内の脂肪)を25~40%減少させてインスリン感受性を高める、④運動療法は骨格筋細胞内脂肪を20%減少させてインスリン感受性を高める。などの研究成果を、順天堂大学の田村好史先生が話されました。

●膵外分泌機能の回復には運動が必要

肥満ラット研究から、肥満することで低下する膵臓からの消化酵素分泌機能は、食事制限をするだけでは十分回復できず、運動の併用が必須であるという結果を発表したのは和洋女子大の代谷陽子先生でした。

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新しい肥満症診断基準

日本肥満学会が「肥満症」の定義を発表してから10年が経ちます。世間で市民権を得た<メタボ基準>とか<内臓脂肪>とかの基本になっているのが、この日本肥満学会の提唱している『肥満症=肥満により健康障害を有するかこれから有する危険のあるハイリスク肥満群』の考え方です。これを元に「肥満症治療ガイドライン2006」が出され、これに従って諸般の治療指針が動いていたのですが、この度「肥満症治療ガイドライン2011」を出すべく学会が検討案を出したという話題が、先日のMedical Tribuneに載っていました。

詳細はまた正式発表があってから覚えればいいとして、こういう基準は病気の治療をムラなくムダなく一律に行うための踏み絵ではなく、『体重を減らすことに大きなメリットがある人を捜し出す』ための基準であるということを、世間の皆さん、とくにマスコミや有識者と称する世間のコメンテーターの皆さんはきちんと分かっておいていただきたいと常々思っております。今回、「診断基準には含めないが肥満に関連する健康障害」という項目が追加され、ここでいくつかのがんや良性腫瘍が肥満と関連していることを具体的に表明されたのは良いことだと思います。その他、CKDに肥満も関連すること、量的異常と質的異常をどちらかに完全振り分けすることはできないこと、高齢者でも内臓脂肪量減少を目指す必要があること、月経異常などは皮下脂肪型より内臓脂肪型の方に多く、痩せると改善すること、などが盛り込まれています。

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アディポネクチン

「ご主人、今度『痩せるお茶』が出たんですよ!」

先日、近くの薬局のレジ前で、店員さんに呼び止められました。「なんで、オレやねん?」と癪に障ったのでしっかり無視しましたが、そのお茶のPRパネルに『アディポネクチン』の文字が躍っていました。アディポネクチンといえば、脂肪細胞から分泌される善玉ホルモンで、これがあるからこそ脂肪細胞が動脈硬化を抑え、インスリンの働きを活発にさせる重要な働きをしていることは以前ここに書きました(「運動療法は16時間」2008.5.14)。京都大学のグループがこれを発見して以降、京大や東大を中心に製品化の取り組みがかなり前から行われていました。

アディポネクチンを増やす食材として有名なのは大豆食品やワイン、食物繊維などですが、今や直接これをサプリで取り入れようとする動きはむしろ一般企業で活発化しているように思われます。動脈硬化を抑える作用はほとんどこの物質が司っているわけですから、直接これを摂取するのはもしや価値があるのかもしれません(あくまでもたんぱく質ですからこれがそのままホルモン作用するのかちょっとわたしには分かりません)が、アディポネクチンを摂取したら「痩せる」っていうのは本当でしょうか?ただこの物質、とても道徳的に分泌します。運動すれば上がるし、質の良い脂肪を摂っても上がるけれど、心身のストレスが溜まれば下がり、運動不足や暴飲暴食や喫煙はテキメンに下がります。つまりは、アディポネクチンの直接摂取が良いか悪いかということよりも、その他の生活まできちんとしない限り、焼け石に水なのではないかしら?

そんなことに思いを馳せながらも、すでに一般社会に入り込んでいる物質なんだということにちょっと感動しました。

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それが正解

先日、うちの病院のあるパーティで昔の同僚のN先生と同席しました。わたしが健診センターに移って以来ですから、かれこれ10年ぶりくらいにグラスを合わせました。

彼は救急現場で忙しい仕事の合間を縫って、定期的にうちのフィットネスセンターで汗を流しています。近くの公園のウォーキングも続けています。「ボクは、若いときからものすごく健康に気をつけて来たんですよ。だってうちの家系は普通じゃないから怖くって!」 ・・・たしかに彼の家系は濃厚な動脈硬化家系です。ご両親を始め、多くの親せきが重症の糖尿病や脳卒中に罹れています。そういえば彼は30歳代半ばからすでに高血圧の薬や脂質異常の薬を飲み始めていました。さほど高い値でもないのに、です。同じように高血圧、脳卒中、心筋梗塞の親せきが多いわたしは、「この若さでそこまで神経質にならなくても・・・」と、当時彼の徹底振りに少々あきれていました。

彼はわたしより1歳年下です。先日の職員健診で撮ったCT検査に石灰化像が多々見られてショックだったことを以前書きました(「運動負荷試験」2010.4.9)が、実は同じ検査で彼は何も指摘されていません。今になって思うと、彼の取ってきた予防治療は正解だったと思います。危険因子であることは重々承知しながら、それでも特段異常値があったり症状があったりするでもない30歳代前半、彼の遺伝子への怖がり方は尋常じゃないと小バカにしていたところがあるわたしは、今になって後悔しています。『備えあれば憂いなし』・・・口うるさく煙たがられる健診医として、これからも辛口のコメントを発信し続けることにいたしましょう!

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完璧主義

先日40歳の男性が人間ドックを受けに来られました。会社の役員として活躍されている方です。1ヶ月前の会社の職員健診で肝機能(特にγ-GTP)や中性脂肪に異常値が出て精密検査の指示を受けた彼は、その日から飲酒を止めました。仕事の席でも一切断ってきたそうで、もちろん想像通り、今回の採血結果はすべて正常になっていました。酒を止めたら正常になったわけだから、もちろんそれは酒の影響でしょうし、一緒について回る酒の肴の影響もありましょう。ここまで徹底できるのはすごいな、と素直に敬服しました。何しろアル中のわたしは「休肝日」設定にも抵抗しているほどですから。

ただ、これからどうしましょう。飲まなければ正常になることは分かったとして、元々嫌いではない酒、仕事の付き合いもありましょうし、適度の酒はむしろストレスをとって動脈硬化予防にも繋がります。時々は飲んでもいいのではないか。そう助言したら彼はきっぱりと拒絶しました・・・「いや、自分を甘やかすと人間が堕落する。堕落した結果があのデータだから、これからも酒は一切やりません!」・・・鼻息荒く、そう云い切りました。

実は、今回の人間ドックで彼には軽度の糖代謝異常もあることが分かりました。いわゆる境界型糖尿病です。これを野放しにすると動脈硬化を進め、将来糖尿病になる可能性が高くなりますが、現在の反応は良好です。低GI食品を先に食べるとか、炭水化物は良く噛んで食べるとか、わたしは基本的なアドバイスだけをしました。でも、彼の目つきがうつろになっていくのに気付きました。「すぐ食べ過ぎるからいかんのだ。早食いだからいかんのだ。」早くも自己反省を始めたのです。いやいや、今の生活に問題があると云っているのではなくて、食べ方にちょっと気を遣っておくと将来楽だ、ということですよ・・・「いや、自分を甘やかしたらいかん」・・・またこのことばが出てきました。食べたいことややりたいことを我慢しすぎると返ってストレスで血糖値が上がるんですよ・・・一応話はしましたが、彼の決意は異常に固そうでした。

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唾液アミラーゼ

アミラーゼというのは膵臓や唾液から出てくる消化酵素です。健診の現場では、急性膵炎や膵臓がんなどのスクリーニングとして人間ドックなどでよく採血されます。この値が少し高いからということでもとても気にしている人が割と多いのは、きっと「膵臓は病気になってもなかなか見つけにくい臓器だ」という知識が先行しているからだと思います。

血清アミラーゼを測定すると正常値(30~130IU/L程度)より若干高めの人は少なくありません。判定は「経過観察」となりますが、とりたてて日常生活に注意することがあるわけではありません。急性膵炎や急性耳下腺炎、あるいは腫瘍を疑う場合は明らかに尋常ではない値になります。唾液由来のアミラーゼ異常では耳下腺炎の他にシェーグレン症候群という病気があります。自己免疫疾患のひとつで、涙腺と唾液腺の分泌が異常に低下するために、ドライアイになったり口が異常に渇いたりする病気です。

そんな病的なことばかりを気にしていたら、先日テレビ番組でストレスチェックの指標としてのアミラーゼ測定の話が出ていました。ストレスが溜まると交感神経が興奮します。交感神経興奮状態はつまり臨戦状態ですから、その防衛反応として唾液からのアミラーゼ分泌が増えるのだそうです。緊張すると生唾が出ますもんねって、なんか分かったような分からないようなお話。しかも、これが不快なストレス(イライラなど)なら上昇するけれど心地よいストレス(運動など)なら低下するというからさらに話は厄介です。それだけ人間の身体はいろいろな物質が微調整しているのだということになりましょうか。

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ふとんあげ

中学生の修学旅行で関西に行きました。京都の旅館に泊まった朝、わたしは自分のふとんを畳んで片付けました。「おとな、こどもならともなく、大の中学生なら自分のふとんくらいきちんと畳まなきゃ!」・・・本当によくできた中学生でした。同じ班の友人たちも見よう見まねで自分のふとんを畳みました。なんか、朝からとてもすっきりしたいい気分になりました。

ちょうどその頃合に、旅館のお兄さんがふとんをあげに部屋に入ってきました。バイトの大学生だと云っていました。「お、すごいね。これみんな君たちが畳んだの?みんな、えらいなあ!」・・・わたしたちが小積んだふとんの山を眺めて、彼は明るく笑いながらそう云いました。わたしたちはちょっと鼻高々・・・「君が班長さんか、ちゃんとみんなをまとめているね」とまで云われてさらに照れまくるわたし。でも、そう云いながら彼はわたしたちが畳んだふとんを一枚一枚広げて畳みなおし始めました。ものすごく手際の良い手つきで次々とキレイに畳みなおしていきます。「なんや、結局畳みなおすんやけん、ムダなことしたんやねえんかえ?返って邪魔やったんじゃ?」・・・それを見た友人が思った通りのことを口にしました。わたしは何も云えずに強張った顔をしてそれを眺めていました。「違う違う。これはぼくたちの仕事だからね。ひとつひとつ確認しないといけないんだ。君たちがきちんとしてくれたから、ほんと、とっても助かってるんだよ。」・・・彼は、ニコニコしてそう云ってから次の部屋に去っていきました。

彼が気を遣ってそう云ってくれたことは容易わかります。でもあのひと言がわたしの心をどれだけ救ってくれたことか。だから、そんな遠い昔の小さな出来事をバイト学生である彼の笑顔とともに今でもきっちり覚えているのだと思います。

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映画館の思い出

熊本の映画館「熊本電気館」がもうすぐ100周年を迎えるのだそうです。DVDの普及やシネコンの台頭のために熊本市の繁華街の映画館は軒並み姿を消しましたが、その中で100周年を迎える電気館は、そのこと自体がすばらしいことだと感服します。

わたしが大学生だったころ、電気館界隈にはたくさんの映画館がありました。現在のような指定席制でも完全入れ替え制でもなく、ただ何となくチケットを買って何となく前から7、8列目辺りの席に座り、上映途中から入って途中で出て行く、あるいは、そのまま一日を過ごす、みたいな・・・映画館とはそんなまったりとした空間でした。わたしが映画館に良く行ったのは、高校時代でした。映画好きな友人に誘われるままに学校帰りに観にいきました。わたしにはちょっと大人な世界でしたが、残念なことに電車やバスの時間のために途中で抜けることが多々ありました。当時は2本立てが普通で、ヘタをすると抱き合わせの映画だけ観て、メインの映画はさわりしか観れないこともありました。田舎に住んでいることを恨めしく思いましたが、子どものころには自宅近くの駅前にも映画館がありました。入った記憶などまったくありませんが、何かとても華やかな町並みだった気がします。映画館の最初の記憶は夏休みの「こどもマンガ祭り」ですが、親と一緒じゃなくて初めて観たのは「燃えよドラゴン」。「映画館はいかがわしい所だから、学校が許可したもの以外は観ちゃダメ!」と教育者の母親からしっかり釘を刺されていたので、ひとりで映画館に入るのはドキドキしました。いまだにあまり映画館に行きたい気分にならないのは、母の教育のせいかもしれません。高校時代に東京まで行って、未成年じゃない!と言い張って成人映画を観たのは新宿でしたっけか?大学時代の「哲学研究会」(日活ロマンポルノを観る会)も懐かしい。

電気館のニュースを見ながら、妙にノスタルジックになった夜でした。

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めっちゃ良い先生

「この間、父を眼科に連れて行ったんだけどね、そこの先生ね、めっちゃ良い先生なんよ。腕が良いのか悪いのかは分からないけれど、とにかくめっちゃ良い先生でね、こんな先生にかかってたら幸せだろうなと思ったのよ。」

訪問看護の責任者をしているわたしの知人が、先日そんなことを云いました。誰にでもとても優しく接してくれるし、決して怒らないし、お年寄りたちのペースに合わせてきちんと治療してくれるのだそうです。

「わたしが信頼している先生はもう一人居て、うちの病院の精神科の先生なんだけどね、この人もまためっちゃ良い先生なの。」

彼女の「めっちゃ良い」の基準がどんなものか良くは知りませんが、医療者の目から見ても患者の家族としての目から見ても「めっちゃ良い先生」というのだから、そんなこと云われたら本当に医者冥利につきますよね。是非ともわたしも、そんなことをどこかで云ってもらえるような医者になりたいものです。

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麺1.5倍増量

先日、夫婦で某大手ちゃんぽん屋さんに行きました。

「『長崎ちゃんぽん』を単品で」と注文しようとしたら、すかさず、「なんで、麺増量しないの?」と、妻がとても不服そうに云いました。「だってそんなに食べられないでしょ?」とわたし。「いやいや、食べれるとか食べれないとかじゃなくて・・・。だって同じ値段なんだよ。少しでも多くもらわないと損でしょ!」・・・結局、『麺1.5倍増量』で手を打ちました。

でも、やっぱり多すぎました。持ってこられた大きな皿の中に麺があふれていました。いくら食べても食べても一向に減りません。途中でため息が出てきました。以前も同じような経緯で『野菜増量』を注文してひどい目にあいました。麺増量にしても、野菜増量にしても、やっぱり要らない物は要らないのだと痛感しました。

「『この子はのう、小さいときから食べ物を与えとったらいつまででん食いよったんじゃ』とお父さんが自慢してたのに?『インフルエンザで熱が40度近くあっても飯は必ずいつも通りに平らげよったんじゃ』とも云ってたのに?歳取ったねえ・・・。」「そうさ。中学3年の夏までは毎晩5杯はご飯食べてたし、部活辞めてから断腸の思いで3杯に減らした男よ、わたしは。小学校の頃、学校から帰って夕飯までの間に出前一丁を2人前食べていた、健康優良児だよ、わたしは。でも、食べれないものは食べれないのさ!」
・・・もちろん残しはしないで最後まで食うのだけれど、ムリしてまでお得感を得るメリットは若いときほどは感じません。しかも、ものには黄金比というものがありまして、やはり絶妙な量の一人前が一番理想なんじゃありますまいか?

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高校演劇

最近、知人のブログで高校演劇の話題が良く出てきます。

わたしは、「高校演劇」というものを観たことがありません。わたしの通っていた高校には演劇部がありませんでしたし、もしあったとしても高校時代には全く興味がなかったので観なかったことだろうと思います。「高校演劇出身の役者は型にはまった演技しかできないから面白みがない」とか、「高校演劇は『芝居』とは別物だ」とか、遠い昔、大学の演劇部に居たころに先輩の誰かがそんなことを云っていたのを思い出しますが、それ自体、意味が良く分かりませんでした。「むしろ高校からやっている人の方が演劇のいろいろを知っているし、さらに若いから伸びしろが大きいのじゃないか?」とか少しは思ったりもしましたが、芝居をかじったことがあるとは云うものの、まあ「あんまり高校演劇の何たるか、なんて考えたこともなかった」と書いた方が正解に近いかもしれません。

でも「高校演劇」ということばはよく使われます。たしかに「大学演劇」とか「社会人演劇」とかいうことばはあまり聞かないので、「高校演劇」には少し特別な意味があるのでしょう。「高校演劇」は教育の一環であり、合唱コンクールや吹奏楽コンクールと同じレベルで高校演劇コンクールがあるのでしょうか。そうなると、普通の芝居が公演という形で世間の皆さんに自分たちを主張するのとは違って、彼らはもしやコンクールで良い成績をおさめることを目標に練習をするのでしょうか?やはり審査員の気に入る芝居をすることが「好し」であり、コツなのでしょうか?ついそんなくだらないことに考えを巡らせながらも、観たことがないものなので意外に何も書けません。・・・そもそも、「高校演劇」とはどんなくくりの世界なのかしら?

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「ネタ作りの苦労」の話

伊集院光さんの「のはなし」(宝島社)の中に、<「ネタ作りの苦労」の話>というのがあります。面白いことを思いついても、思いついた面白いことを覚えておく力がすっかり低下して困る、という話です。

すごく面白いことを思いついたはずなのに・・・という感覚、わたしも多くなりました。このブログのネタ、あるいは講演や広報誌コラムのネタ・・・かなり具体的に思い浮かび、頭の中ではほぼ文章ができあがって「完璧!」と思うのですが、たとえば運転中に思い浮かんで「目的地に着いたらメモしよう」と思うのに、着いたときには何も思い出せないのです。「すごくいい文章だったのに・・・」と思う分だけ必死に思い出そうとするのだけれど、焦れば焦るほど、どんどん消しゴムで消すかのように薄くなっていく感じ。すごく悔しい!忘れないようにポイントだけメモすることくらいは10年以上前からやってますが、悲しいかな、そのメモを見ても何のことかさっぱり思い出せない昨今です。伊集院さんがやっているというICレコーダーの録音も運転中や仕事中にはムリですし・・・。

もっとショックなのは、とても面白い!と思ってあらすじをメモしておくのですが、数日後にそれをいざ本書きしようと思ったら、何度読んでもちっとも面白くなかったとき。いや~もっと面白かったはずだけど~と思えば思うほど悲しくなります。

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ありとあらゆる?

「わたしは、ありとあらゆることを試してみた」とか、「ありとあらゆる検査をした」とか、そういうことばを使いたがる人がいます。サッカーの某有名監督や、新リーダーとなるべき若手政治家が、あるいは地元の名士が、意外に好んでこの「ありとあらゆる」を使われます。「できる限り・・・」ではなく「ありとあらゆる」です。その自信は、一体どこから来るのだろう?わたしは、昔からこのことばに何か胡散臭さを感じずにはおれませんでした。

「一週間かけて人間ドックに入ったから、すみからすみまでありとあらゆる検査を受けることができたんだ」と自慢する人もいます。云いたいことはわかるのですが、思わず「ありえん!」と突っ込みたくなります。「ありとあらゆる」は「すべての」とか「あらん限りの」とかそういう意味なのだけれど、病気でもない身体に「ありとあらゆる」検査をすることなんか、どうしてできましょうか?もし仮に金に糸目をつけずに、あるいは検査の侵襲が強いことやら検査のもつ危険性も無視したやり方で、本当に「ありとあらゆる」検査をしてあげたとしたら、それは犯罪ですもの。

「ありとあらゆる」ということばが好きな人は、決して傲慢な性格なのではなく、何事も理論的に解決させないと落ち着かないタイプのような気がします。「ありとあらゆる」には「自分で出来ることはすべて」ではなく、「その筋の専門家が考えついてくれたすべて」という意図が含まれているようで、つまりそんな専門家の後ろ盾があることを暗に誇示したいのかもしれません。

いずれにせよ、自信も人脈もないわたしには、一生使うことのないであろう単語です。

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ビュッフェスタイル

今回の学会出張も朝食付きのホテルに泊まりました。日頃朝食を摂らない習慣ではありますが、せっかくですから、最近は意地を張らずにしっかりいただくことにしています。

入り口で待っていると、うやうやしくエスコート受け、眼下の絶景を見下ろせる窓際の席に案内されました。「ビュッフェスタイルでございますので、どうぞご自由にお取りください。」・・・爽やかな笑顔を残しながら、お嬢さんは次の仕事に移動していきました。わたし、どうもこのビュッフェスタイル(バイキングと何が違うのかしら)とやらが苦手なんです。周りの老若男女のお皿がどれも彩り鮮やかでおいしそうに見えるのに、わたしの皿は妙に雑然として汚らしいのです。いつも大きなため息をついてしまいます。今回も、大きな皿にきんぴらゴボウ、筑前煮、サバ煮もおいしそうだ・・・順に盛っていたらそれだけで皿が一杯・・・なんと地味な色合い。じゃあサラダだ!皿にレタスと大根スライス、かいわれ・・・どうしてこんなにモノトーン?そうだ、タマゴ焼きを入れればいいんだ!冷奴だ、味噌汁だ、納豆だ!いつの間にかテーブルが食べ物で溢れてしまいました。

取ってきた料理のアレンジに自信がないわたしは人に見られないように大急ぎでバキューム食い・・・とにかく早くお腹におさめてさっさと部屋に戻ろう!・・・そう思って頬張っているとき、先ほどのお嬢さんが若い女性をエスコートして隣りのテーブルに来ました。猫背になって、ガバガバ・ボリボリ貪っていたわたしの口が急に静かになりました。背筋を伸ばしてすまし顔でおちょぼ口・・・ゆっくりと珈琲片手に新宿御苑の緑を眺める紳士(のイメージ)・・・。いやあ、我ながら変わり身の早さに驚き!いやらしい中年オヤジですって?いえいえ、若いお嬢さんの横でものを食べるときのエチケットでございます!

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優先席

学会のために上京しました。1年に一度、この学会のときにあわせて、東京で働いていた職場の同窓会をするようになって、今年で13年目なのだそうです。

二次会から解放されて、JR大宮駅から都内に帰る電車には、当時の部長を含めて4人が乗り込みました。
「ほら、その優先席に座ろう!」
電車に乗るなり、元部長が優先席のシートに座り込みました。
「もうボクはすっかり割り切ったからね。最初からこの席に行くようにしてるんだ。」
「先生はいいですけど、わたしたちはまだ抵抗ありますよ。」
一緒に座りながら、わたしたちはそろって口を尖らせました。
「大丈夫。こんな時間に、優先席に座るべき人は乗ってこないから・・・。」
たしかに、その後電車を降りるまで、乗り込んできたのは宴会帰りのカップルや仕事に疲れた顔のサラリーマンや、若い人ばかりでした。

「最近、自分の前に人が立っても、席を替わってあげるのにちょっと躊躇するようになったんですよね。」・・・わたしの隣に座ったOさんはわたしより1歳年上です。
「だって、下手すると相手の方が自分より若いかもしれないんだもの。何か、声を掛けるのが失礼じゃないかとか思ってしまうんですよね。」
Oさんの云うこと、とても良くわかります。いつまでも若いつもりでいても、世間様から見ればもう立派な初老オヤジ。席を替わってあげるどころか、席を譲ってくれそうになっても不思議ではない世代になってしまいました。
「失礼しちゃうよね!今日、電車で席を譲られそうになったよ!オレを何歳だと思ってるんだよ!」・・・たぶん、自分がそんなことされたら、家に帰ってグチるんだろうな。

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つい

「わかっているんですが、イライラするとついお菓子をボリボリ食べてしまうんですよね~」と云う糖尿病の女性。

「『つい』食べてしまうところに食べ物を置いているからそんなことになるのだから、まずそこから整理しましょう。」などと、まことしやかに助言するわたし。煩悩と闘わなくていいように、初めから買ってこない。『コンビニが我が家の冷蔵庫』よろしく、食べたくなったらコンビニに行けば良いのだから、と割り切って。・・・他人に云うだけでなく、自分自身もかなりマニアックにそれを実践したことのあるわたしは、それがいかにすばらしい成果をもたらすかを、身を持って実証してきました。

でも、「食べる」という欲求は理屈で簡単に抑え込めるほど甘いものではなく、たとえできたとしても、それは往々にして単にストレスを増すだけであったりすることは、皆が実感している事実です。かく云うわたしも、休みの日に家に居ようものなら、パソコンを繰っていても、本を読んでいても、ふと立ち上がって「何かないかな」と独り言を云いながら冷蔵庫と戸棚の間を何度も徘徊するのです。できるだけ休みの日は外に出るようにしているのは、実はそれを免れるためだと云っても過言ではありません。

人間以外の動物にも『つい』はあるのだろうか?と、ふと考えてしまいました。『つい』は、それを「いけないこと」と認識しているから出てくる言葉ですが、冒頭の女性は、自分を責める言葉として使いながら、実はかなり確信犯的にスケープゴートにしている気もします。結局、『つい』は、そう簡単にはその地位を明け渡しはしません。

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喪中はがき

むかしから年賀状とお歳暮のごあいさつを欠かさなかった、昔の職場の先輩ドクターから早々に喪中のはがきが届きました。

ただ、そこにはどなたが亡くなったのか書かれていません。親御さんかな?それともまさか奥さん?夫婦でいろいろと詮索し、結局誰なのかわからないままです。先方は、そんなことに気を回さなくて良いようにという心遣いで書かなかったのだろうけれど、お世話になった方だからこそ返って気になるもの。かと云って、「どなたが亡くなったのですか?」とお電話で問い合わせる筋のものでもないような気もします。順序の違う亡くなり方でないことを祈りつつ、12月に入ったら寒中見舞いでも出そうかと思います。

いつの間にか立冬が過ぎ、年賀状書きのシーズンになろうとしています。慌ただしい日々の中で今年は何通の喪中はがきが届くのでしょうか。同じような無機質な印刷物なのに、毎年書く年賀状よりもはるかに機械的な発送なのに、喪中はがきは形だけの年賀状よりもはるかに鮮明に先方の姿を映します。いつも賑やかで明るい家庭なのに今年は静かで寂しい年の瀬になるのかと懸念したり、あの方が亡くなったのは今年だったかなと感慨に耽ったり、あるいは喪中はがきで初めて訃報を知って驚いたり・・・。

心しておかないと、喪中のために年賀状を出さなかったことで翌年の年賀状リストから消えてしまって、結局そのままになってしまうなどということが往々にしてあります。

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カオス理論

<カオス=chaos=混沌>

混沌(こんとん)ということばを初めて目にしたのは中学生のときでした。むかしまだ宇宙に何の秩序もなかった状態、それをカオス=混沌という・・・何かの小説にでもでてきたのかもしれません。何かものすごく大人の世界のことばのような、そんな感動に浸り、何度もこの漢字を書いてみたことを思い出します。何もかもをきちんと秩序正しく並べることが正義だと信じていた自分にとって、「混沌」は実は一方で最大の憧れだったのかもしれません。それが潜在意識にずっとひっかかっていたから、いつの間にか既成概念を疑うことばかりする今の自分ができあがったと考えると、妙に納得できます。

先日、まったく違うことを検索していて、映画「ジュラシック・パーク」の中に出てくる「カオス理論」とやらのくだりに何となく目を留めてしまいました。「カオス」と「カオス理論」はちょっと違うもののようです。

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マルカムとジェナーロ(弁護士)の、カオスに関する会話:上・147ページ

「物理学は、ある種のふるまいを説明するにあたって大きな成功をとげた。軌道をめぐる惑星、月へいく宇宙船、振り子、バネ、回転するボール、そういう方程式なら数学者はやすやすと解ける。何百年も前から、われわれはそうやってきた」
「わかる」とジェナーロ。
「ところがここに、物理学が苦手とする、まったく別種のふるまいがある。たとえば、乱流に関することはみなそうだ。蛇口や噴水から出る水。飛行機の翼面から流れる空気。気象。心臓から押し出される血液。このような乱流現象は非線形方程式で記述される。これを解くのはむずかしい。というより、解けないことが多い。したがって物理学には、この種のできごとをすこしも理解できない。ところが10年ほど前に、これらを説明するまったく新しい理論が登場した。それがカオス理論と呼ばれるものだ。
 このカオス理論は、もとをただせば1960年代に、コンピュータによる気象モデルを造ろうとする試みのなかからうまれたものだった。気象は一つの巨大で複雑なシステムであり、これは陸地や太陽と相互作用する地球の大気の働きにほかならない。この巨大で複雑なシステムの働きはつねに理解を拒否してきた。したがって、われわれには気象を予測できない。初期の研究者たちがコンピュータ・モデルから学んだものはそういうことだった。理解はできても、予測することはできない。天候の予測は絶対に不可能なんだ。その理由は、このシステムの働きが初期条件に極度に依存し、敏感に反応するからだ」
「もうわからない」とジェナーロ。
「大砲である重さの砲弾を、ある速度、ある角度で発射したとしよう。つぎに、まったく同じ重さの砲弾を、またっく同じ速度、同じ角度で発射する。どうなると思う?」
「その2発はだいたい同じところにおちるだろうな」
「そのとおり」とマルカム。「それが線形力学だ」
「わかる」
「ところがここに、ある気温、ある風速、ある湿度でスタートする気象系がある。これとほぼ同じ気温、同じ風速、同じ湿度でスタートした気象系は---第1の気象系と同じようにはふるまわない。急速に変化していって、第1の気象系とはまたっく異なるものになってしまう。快晴のかわりに雷雨になることもある。それが非線形力学だよ。初期状態に敏感で、微妙なずれがどんどん増幅されてしまうんだ」
「わかると思う」とジェナーロ。
「これを一名、バタフライ効果という。北京で蝶々がはばたけば、ニューヨークの天気が変わるというやつだ」

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夭折(ようせつ)

「昔、歌丸さんと争う形で反対側に座っていたのはだれだったっけ?」

・・・久しぶりに日曜の夕方に『笑点』を見ていて、妻が突然そう云いました。

「三遊亭小圓遊。」「ああそうそう、小圓遊さんだ。たしか早死にしたんだよね。」

ネット検索をしてみると4代目三遊亭小圓遊氏は享年43歳だそうです。そういえば、たしか笑点の司会者をしていた三波伸介氏もその数年後に若くして急死した人でした。52歳でした。こんな<年が若くて死ぬこと・若死に・早世>を、「夭折(ようせつ)」または「夭逝 (ようせい)」と云います。この活字も久しぶりに見た気がします。わたしの尊敬する恩師H先生もまたこの言葉に値する逝き方だったと云えましょう。

「たしか、司会が伸介さんで、その横に歌丸、そして木久蔵、真ん中に圓楽、こん平がいて一番端に小圓遊、最後に座布団運びの『松崎真でございます~』だったよね。」・・・急にそんな画面が鮮明に頭に浮かびました。「まるでV9時代の川上巨人軍のオーダーみたいだ。高田、土井、王、長嶋、柴田、末次、黒江、森、ピッチャー・・・。今でも空で云えるからね。」・・・そんなことまでもが一気に浮かんできておかしくなりました。

ん?大喜利メンバーは6人だっけ?ていうことは・・・圓楽さんの隣りに居たのは、誰?

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じいちゃん呼ばわり

いつもニコニコしている若いスタッフに元気がないと、何かとても心配になります。別に機嫌が悪いわけでも心配事があるわけでもなく、単にわたしにそう見えただけのことかもしれません。それでも気になります。「診察をしたドクターがとても不機嫌で、実に不愉快だった」というアンケートのご意見をいただくことがありますが、これもまた本人は何ら悪意があるのでもなく、たまたまそんな表情だったのかもしれません(もちろんご意見は真摯に受け止めますが)。

わたしの場合も、口笛を吹いて階段を上がっていると「先生は機嫌がいい」と云われ、うつむいて歩いていると「先生は元気がない」と云われます。だからきっと、わたしの表情や態度も、周りからは気にされているに違いないと思っています(だれも思っていなかったらどうしよう、と思うのであえて強気の発言をしてみる)。でも、最近の腰痛や診察中に胸苦しくなってちょっと気分が悪そうな顔をしたら、「先生、何もしなくて良いですからどうぞそこで休んでいてください!」と周りが大慌てしました。軽い荷物を運ぶのも「先生、先生、先生・・・」と追いかけられて奪い取られました。

頼むから、わたしをじいちゃん呼ばわりするのは、やめてくれんかな!わたしは、まだそんな歳じゃないんだからね~!

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同じことをしてきたのに

「1年前から夫婦で一緒に歩き始めたのに、夫だけどんどん体重が減って私の体重は全然変わらないんです。いつも夫にバカにされてくやしいです。」

口調はやわらかく笑みを浮かべていますが、その女性の表情からはちょっと苛立たしさが見て取れました。たしかにその方の旦那さんは、体重が5kg以上減っただけでなく糖代謝異常や脂質異常、血圧や肝機能異常に至るまでかなり良くなっていました。一方彼女のデータは、体重以外も概ね変化がありません。体脂肪率はむしろ増加していました。我が家も妻が同じようなことを云うので、「そりゃそうだよ。だってあなたはいつもお菓子食ってるもの!」などとからかったりしますが、実はそうではありません。

内臓脂肪蓄積型のお腹だった旦那さんは、メタボの典型。それが、生活を見直したおかげで勝手に体重が減り、データも改善してきた・・・これは、単に変わるべきカラダが変わったということに過ぎません。一方、皮下脂肪が若干多めの奥さんはもともと変わる必要のない人。変わる必要のない人が変わらないのも至極当たり前の結果です。本人はもっとスリムなナイスバディを夢見たのかもしれませんが、毎日の努力は決して無駄ではありません。ますます健康増進に磨きがかかっていることになります。このお二人が同じことをして、こんな差が出たということは、取り組んでいるやり方に間違いがないということを物語っています。変わる必要のない奥さんの体重が減り始めたらむしろ要注意です。食事療法のやり方が間違っているとか、他の病気が隠れているとか・・・。

奥さんのことをバカにしている旦那さんに云ってやってください、奥さん!「改善したとはいえ、まだまだ。さぼると前より悪くなるんだからね~!」

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イルカ

ここのところ大騒ぎになっている紀伊半島の小さな町のイルカ漁問題。先日テレビの報道を見ながらとても辟易(へきえき)してきました。

「人間にとって特別な存在だからイルカは食べてはいけない」と云い張る欧米のアンチイルカ漁集団と、「昔から伝統的にイルカを食材として食べてきた。何の問題があるか?」と反論する町長や町民たち。

いろいろな意見はあるのでしょう。わたしは、鯨やイルカをどうしても食べなければならないのでなければ食べなくてもいいのではないかと思います。ただ、ベジタリアンが殺生を批判するのならともかく、牛肉を「美味しい」と云って食べている人間が「イルカは特別の動物だから」と云っても何も理解できませんし聞く耳を持つことすらできません(彼らがどうなのかは存じませんが)。牛肉だって、食べなくて済むならまったく食べなくても困らない食材の代表だからです。人間は(人間だけでなく他の動物たちも)、感謝しながら動物を口にすることによって生きています。そこに動物の下等・上等の差はありません。それが本当の意味での共存であると思います。人は優れているから何を食べてもいいという考え方と、イルカや鯨は優れているから食べるべきではないという考え方の、どちらもまったく同じレベルの傲慢さだと考えずにはおれません。

今回のトラブルのおかげで、かえって映画「ザ・コーヴ」に何ら興味を持てなくなったのはとても残念です。番組の最後に、「アメリカでも鯨漁をする民族がいることをどう思うか」という問いに、「彼らは自分で食うためにだけ獲るから許せる。獲ってそれを売って生活をするのは古来からの方法ではないのだから日本の捕鯨は許せない」と真面目な形相で答える姿を見たとき、諦めて番組を替えました。

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市民公開講座

土曜日の午後に、日本高血圧協会主催の市民公開講座を聴きに行きました。

「自分の専門分野の話なんか、聞きに行く意味があるの?」と云われました。もちろん、大いにあります。大学の先生方はどんなお話をするのかを勉強することも大事ですし、循環器の第一線から離れると新しい情報を得にくくなります。自分が皆さんに話している内容が偏ってないか、間違ってないかの確認作業はとても大切です。でも<自分が高血圧症の患者である>という事実が一番大切かもしれません。専門分野の病気に自分が罹っていると、誰も自分の治療に対して助言をしてくれないからです。

90分間に3人の先生のお話・・・高名なる大学の先生方には大変失礼ですが、ほとんど理解できませんでした。私が感じた素直な感想は、「私って、ものすごく話が上手いんじゃない?」ということ。早口だとか滑舌が悪いとかいう致命的な問題はさておき、今目の前に居る皆さんに如何に理解してもらうかという気持ちがあれば、そんな話し方は絶対しないだろうなと、つい苦笑いしてしまいました。医療者向けの内容をつくり直す時間がなかったのかもしれませんね。

それにしても、私自身、最近講演をしながらどうしたものかと自分で悩むことがあります。わざわざ人を集めて話すことといえば、いかに痩せるかということばかり・・・いかにしたら食べたいものを食べないですみ、いかにしたらゴロゴロしない生活を送れるか・・・どこかおかしいと思います。良い人生を送るための助言のようで、実は戒律厳しき修行僧の教えを自分の生活は棚に上げて白々しく説いているような・・・私たちが今生きている目的は何なのかしら、と哲学的な自問自答・・・何かそれを少しでも変えたくて、いまだにもがき続ける日々です。

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興味

「ほら、○○通りを北に上がっていくと、交差点の右に大きなローソンがあるでしょ?あそこを右折して三軒目にその店があるんです。」
「え~?そんなところにローソンなんかあったっけ?全然覚えがないなあ・・・。ていうかさ、その交差点って、向かいにカレー屋があったところだよね?」
「カレー屋ですか?そんなのないですよ。そこじゃなくて角にローソンがある交差点。わかるでしょ、ほら。」「・・・・え~、あそこじゃないの?」

埒のあかない会話をしていると、じっと二人の会話を聞いていた同僚の女性が頭を上げました・・・「あの~たぶん、それ、同じところだと思います。角に大きなローソンがありますし、その向かい側に昔からカレー専門店がありますから。」

”興味がない”って、こういうことなんでしょうね。人間には、見えていても見えていると認識しない能力が備わっています。ふと、むかし、自動車免許の更新のための講習を受けていたときのことを思い出しました。

「道を若い異性が歩いていると、皆さん運転中でもわき見をするでしょ。危険ですから気をつけてくださいね。でもわき見の仕方に男女差があるのをご存知ですか?男性は、キレイなお嬢さんだったらほとんど全員がわき見をします。でも女性は、どんなイケメンが歩いていても自分の好みじゃなかったら平気で無視します。・・・どうです?当たってるでしょ?」・・・初老の講師がそんな話をして、場内の皆を大笑いさせました。

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減量ダイエットと睡眠

減量のためにカロリー制限していても睡眠不足では効果が落ちる、という報告がアメリカから報告されました(Nedeltcheva AV,et al. Ann Intern Med 2010; 153: 435-441)。

シカゴ大学グループは、睡眠時間の減少がカロリー制限ダイエットの効果に及ぼす影響を検討しました。その結果、14日間の中等度カロリー制限ダイエット敢行で、脂肪の減少は<睡眠時間8.5時間群1.4kg vs 睡眠時間5.5時間群0.6kg>、除脂肪体重の減少は<睡眠時間8.5時間群1.5kg vs 睡眠時間5.5時間群2.4kg>でした。つまり睡眠不足群は十分な睡眠群に比べて、脂肪は半分しか減らず逆に除脂肪体重(筋肉など)は60%も減量したことになります。運動を絡ませずに食事だけで何とかしようとダイエットに励んでいる方、あるいはCRを敢行している方にとって、効果を発揮させる必要条件は「十分な睡眠」だそうです。

以前「寝ない子は太る」という報告を紹介しました。基本的に人間のホルモンは夜の睡眠中に一番活性化され、消耗し壊れたりしているものをしっかり修復する時間に当てているのだと考えると理解しやすいでしょう。ただし、睡眠時間はただ長ければ良いというものでないことも周知の通りです。長すぎる睡眠はむしろ睡眠障害(質の悪い睡眠)の可能性が高いと云われているのです。

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からだが大変なことになってきた。

突然ぷっくり出てきたお腹。全くもってズンドウになっていく脇腹、そしてまん丸くなっていくホッペ・・・。ぎっくり腰になってから早2週間が経ち、思いの他治りが悪いことにも落胆します。それどころか初めの頃より少し悪化したかもしれません。

「腰を痛めて運動が出来なくなってから、一気に太ったんですよね~。」
と言い訳をする受診者に、
「運動が出来なくなって太るのは、運動ができなくなったせいじゃなくて、運動ができなくなったにも関わらず同じように食べているからというだけのことですよね。」
と、冷たくダメ出ししてきたわたし。たしかに食う量は変わりません。むしろ動かなくなった時間が手持ち無沙汰でついつい食べ物を物色してしまうこともあるように思います。でも、自分の経験から、日頃歩くときや腰掛けるときに、背筋をしっかり伸ばして、腹筋にキュッと力を入れて腹を引っ込めてさえおければ、体型は維持できると思っていました。

でも、これは全くの誤算でした。腰が痛いと、しっかりと背筋を伸ばすことは思いの他むずかしい。頑張って伸ばしても若干猫背です。しかも腹に力を入れると腰の筋肉も痛くなったりしますのであまり腹を引っ込められません。むしろちょっと腹を突き出す形を余儀なくされます。前屈みの日々を送っていると力の入らない腹筋はすぐさま衰え始め、腰の辺りに一気に皮下脂肪がつき始めます。その勢いたるやまるで竜巻か雪崩のごとしです。猫背の姿勢は完全に筋肉弛緩状態になることを実感しました。こうやって年寄り体型は出来上がっていくんだな、と思います。

さて、グチと言い訳はしっかり書きました。これからどうやってこの局面を打破するか?

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バーチャル体験

「例えば、わたしのカラダと先生のカラダに一本の線を繋いで、わたしのこの首筋の痛みがそのまま先生の首筋に同じ痛みとして感じられるような、そんなシステムがあったらどんなに良いか!とよく考えるんですよ。」

時々、何かをしている折りに、それは突然やってくる。左の首筋から頭に向かってビリビリビリっと激しい痛みが走る・・・自分のこの症状を、どんな表現をしてもなかなか相手に伝えられないもどかしさがある。・・・先日、健診を受診した女性がそんな話をしました。「だって、わたしのこの感覚、経験したことのない人には分からないでしょ?」

「そうでしょうね。でもわたしはそれ分かります。だって、わたしもよく経験しますから。」・・・それはウソではありません。彼女が話すのとまさしく同じような感覚をわたしも良く経験し、不安になり、病態分析したことが何度かあります。患者さんや受診者の方が訴える症状を、経験がないと想像するしかないのだけれど、一度でも経験したことがあると手に取るように自分の感覚として理解できる。これも医者としての「経験値」と考えていいのかもしれません。もちろんそれがバーチャル体験できたからといって何かが解決するとは限りませんが。

その数日後、今度は65歳を超えた男性が「風呂に入っていたり、横になっていたりして、突然ノドのところが苦しくなって『ゴホゴホッ』とひどい咳をすることがある。このままだと窒息死するんじゃないかと怖くなって胸を叩いていると十数秒で落ち着く。」という訴えをされました。わたしは唾を飲み込み損ねてむせた時の苦しさを思い出し、たぶんあれだろうと考えました。・・・ただ、これはちょっと自信がありません。似たような症状でももっと重篤な病気で彼のいうようなことが起きる可能性はあります。まだわたしが経験したことがないだけかもしれない、と。

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健康への誤解

「でも先生、内臓脂肪がもっと減らないとわたしは心筋梗塞や脳梗塞になるのでしょ?」

うちの施設で生活習慣病改善のための取り組みを半年間行った60歳過ぎの男性が、最後の結果説明の場で不安そうにそう云いました。彼はとても熱心に生活改善に取り組み、半年前に異常だった血糖、脂質、血圧(内服治療中)の値をほぼ正常域にもどすことに成功しました。体重が8kg減り、CT検査での内臓脂肪量も開始時200cm2を超えていたものが150cm2まで減りました。見事な成果です。一応満足してはいるようなのですが、内臓脂肪量が自分で考えていたよりも減らなかったのが不本意のようでした。

10年以上前に日本肥満学会が「内臓脂肪蓄積型肥満」の基準値を100cm2以上と定め、それが現在のメタボ健診の根拠になりました。そのためか、世の中ではこの「100cm2」が踏み絵のように幅を利かせています。特保の担当保健師の皆さん、「半年頑張りましたがまだまだ内臓脂肪が多いですね。もっと改善できる余地はありますから、これからさらに頑張って100cm2を切れるように続けましょうね。」などと、サディスティックな助言をしていませんか?内臓脂肪量は減るに越したことはありませんが、個人差、体質の差というものがあります。この内臓脂肪面積150cm2を半分になるまで生活を締め上げ、さらに身体を絞るだけの意味が本当にあるのでしょうか。わたしは「これ以上減らすことなど考えなくて良いですから、むしろ今の状態を維持できるように頑張ってください。来年のドックを楽しみにしてます。」と説明して、面談を終わりました。

彼は納得したような、していないような顔をして部屋を出ていきましたが、今の生活を続けるうちに身体が必要と認めれば勝手にもっと絞られるでしょう。そうなったときに初めて「自分のもの」になるのです。来年そんな姿で受診されることを願っています。

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何がいいのかわからない

8ヶ月前に禁煙を始めたというある女性が、つぶやきました。

「禁煙しても何もかわらないんです。もう少し食べ物が美味しくなるのかと思ったけどちっとも変わらないし、身体が軽くなるとか云われるけど変わらないし、特別な爽快感もないし・・・。別にタバコをもう一度吸いたいとも思わないけど、でも『やめて良かった』と思うようなことはなにもなかったです。」

ちょっと寂しい感じもしますが、これも正直な感想でしょう。方や、先日奥さんの勧めでいやいや「がんドック」を受けに来た男性は、その1週間前から自主的に禁煙を始めていました。「正直なところ、何も変わらないだろうと思っていたのに、すぐに食べ物が美味しくなっていつも腹が減るようになったし、咳が出なくなったのには驚きました。もうタバコなんか二度と吸いません」と云い切りました。こういう実感があった人は、たとえタバコを再開してしまっても再禁煙しやすい気がします。

最初に紹介した女性はまだ35歳でした。女性の場合は、ホルモンに作用してしまうし、あるいは生まれてくる子どもに影響を受けるから、とりあえずこのまま縁を切っておいた方がいいけどなあ、と思いました。くどいようですが、税収以外にまったく存在価値のない物質ですので、縁を切ろうかなと思った人はすぐに禁煙外来に行ってみることをお薦めします(なんでも、禁煙ブームのためにチャンピックスが品薄気味だそうですが、気にせず受診してみてください)。

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良心

「お母さんがね、プラスチックの容器を洗わないで捨てるのよ。ラベルも剥がないから、『そんなんで良いの?』って叱ったんだけどね、『それなりにしてるけどこれ以上はしょうがないじゃない』って云うのよ。」

熊本では10月からプラスチックの分別収集が始まりました。最初はブチブチ文句を云っていた我が家も、根が真面目な夫婦なもので、1ヶ月もすれば意外にきちんと分別できています。そうすると、他の人のいい加減さが妙に気になり始めるものです。「へ?こんなんここに出してもいいものなの?」と驚くような出し方をしている袋を収集場所で見かけると、ちょっとあっけにとられてしまいます。自治会のおじさんおばさんたちが朝早くから収集場所に立って見張りをしているところがあるのも分かります。

この手の決め事は、基本、各々の良心によって成り立っています。「ルールを守りましょう」と云ったところで、「守っている、守っていない」の考え方自体に個人差があり、「これぐらいはいいさ、わかりゃしないさ、大勢に影響はないさ」と思う人も少なくない一般社会の集合体の中では、そう理想のようにはいきません。そうすると「なんでわたしだけが守らなきゃいけないの?ばかばかしい!」と云いはじめる輩が出始め、「全員がきちんと守らないと意味がないんだ!」と、ぎすぎすし始めるのです。わたしも、若い頃はずっとそう思ってイライラしていました。でも、年齢と云うものはこういうことも合わせて受け入れてしまうものですね。「やれる人からやれば良いんじゃないの?」と思うようになりました。心配要りません。そうしているうちに徐々に皆がそれなりにルールを守るようになり、守らない人が少数派になるにつれて守れない人はさらに減るでしょう。もともと無理難題をルールにしているわけではないのですから。そうやって社会秩序というものは守られていくものだと思っています。

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