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ありとあらゆる?

「わたしは、ありとあらゆることを試してみた」とか、「ありとあらゆる検査をした」とか、そういうことばを使いたがる人がいます。サッカーの某有名監督や、新リーダーとなるべき若手政治家が、あるいは地元の名士が、意外に好んでこの「ありとあらゆる」を使われます。「できる限り・・・」ではなく「ありとあらゆる」です。その自信は、一体どこから来るのだろう?わたしは、昔からこのことばに何か胡散臭さを感じずにはおれませんでした。

「一週間かけて人間ドックに入ったから、すみからすみまでありとあらゆる検査を受けることができたんだ」と自慢する人もいます。云いたいことはわかるのですが、思わず「ありえん!」と突っ込みたくなります。「ありとあらゆる」は「すべての」とか「あらん限りの」とかそういう意味なのだけれど、病気でもない身体に「ありとあらゆる」検査をすることなんか、どうしてできましょうか?もし仮に金に糸目をつけずに、あるいは検査の侵襲が強いことやら検査のもつ危険性も無視したやり方で、本当に「ありとあらゆる」検査をしてあげたとしたら、それは犯罪ですもの。

「ありとあらゆる」ということばが好きな人は、決して傲慢な性格なのではなく、何事も理論的に解決させないと落ち着かないタイプのような気がします。「ありとあらゆる」には「自分で出来ることはすべて」ではなく、「その筋の専門家が考えついてくれたすべて」という意図が含まれているようで、つまりそんな専門家の後ろ盾があることを暗に誇示したいのかもしれません。

いずれにせよ、自信も人脈もないわたしには、一生使うことのないであろう単語です。

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