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2010年12月

まくら

クリスマスに、妻がまくらをプレゼントしてくれました。

頚椎ヘルニアがひどくなって以降、わたしは長い間まくらをして寝ていません。天下のテンピュールまくらも持っていますが、あれをもってしても首が痛くなって肩が凝るのです。まくらをしない方が安眠できるので、どこに行ってもまくらは除けて寝てきました。ただ、最近、「毎晩のようにうなされている」らしいのです。どうも、真夜中に別世界に生きている様子のわたしの姿を、こっちの世界から眺めている妻が心配して、某通販でまくらを買ってくれました。

これが如何に最新技術を駆使させた素晴らしいものかという薀蓄(うんちく)を生返事で聞き流しながら、どうせ返品になるかもしれないとパッケージの箱も残したままに使い始めましたが・・・なんか、良い。安眠かどうか、あるいはうなされなくなったかどうかは、その後妻が批評しないのでわかりませんが、夜中に何度も行っていたおしっこにほとんど起きなくなりました。おかげで起床時の気分が断然違います。

今、世間で問題になっている睡眠障害。他人事の様に偉そうにアドバイスをしていましたが、実はわたし自身がしっかりと睡眠障害だったのかもしれません。むかし、「どうもないから」といって内服しなかった降圧剤を試しに飲んでみたら異常に頭がすっきりして驚いたのと同じかもしれません。

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新モダリティ

先日シンチグラフィの読影をしていたら、わたしのうしろで某メーカーの営業の方が技師のリーダーに新しい検査機械のプレゼンをしていたので、聞くともなしに聴いていました。今度開発された新しいSPECT/CTがどれほど正確で繊細な画像を作れるかを切々と語っていました。それが今までできなかったどんな検査に応用できるとか、今まで読影者の熟練度にかかっていた部分が誰でも客観的でブレのない判読をできるとか、必死に説明しているのを聴きながら・・・天の邪鬼なわたしの心がピクピクっと騒ぐのです。

「そんな機械、要るのかしら?」

それは極端にいえば20年前に東京で初めてシンチグラフィを専門にするようになってからずっと感じていたことです。もちろん技術の進歩は素晴らしい。おかげで、どうしようかと悩むような所見がかなり正確に確定できるようになりました。手術をするべきかどうかに悩む症例に自信を持って方針を進言できるようになるでしょう。でも・・・この検査機器のおかげで検査を受ける患者さんは余分なレントゲン被曝を受け、高い検査代を支払うことになります。多くの人にとって方針決定のために無くてはならない必要不可欠な検査ではなく、熟練した医者が居れば従来の検査機器で同じ判断はできるのかもしれないのなら、むしろ医者の方が修練してレベルアップすることの方が患者さんには絶対的に有益なのではないのか。「それは在った方が良い」というのは、もしかしたら検査をする側のエゴイズムなのかもしれないと思うのです。

来春、九州新幹線が開通します。便利で素晴らしい世界が始まります。でも、「全員がそれに乗らないと福岡に行けない」というなら、それはムダ以上の何者でもありません。何かそんな思いと同じものを感じてしまうのです。

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人間ドックって何?

「検査メニューの割に人間ドックの料金が高すぎる!」・・・先月の宿泊ドック受診者からのアンケートにこういう内容が数件続きました。「午後にムダな時間が多すぎて、もったいない」「この程度のメニューならうまく詰め込めば1日でできる」・・・こういう意見は昔から何度もいただきますが、最近の方が増えたかもしれません。サービスを提供する側もされる側もいつの間にか何かを忘れてきている気がしてちょっと気になっています。

「人間ドック」という日本独特のシステムはなぜできたのか?ある政治家が、仕事で疲れたカラダと心を休めながら、カラダの隅々を点検するために1週間近く入院したのが始まりだと聞いています。だから、船のドックに準(なぞら)えて『人間ドック』という名前にしたのです。つまり、そもそも『健診』と『人間ドック』は別のモノでした。「カラダの隅々まで細かくチェックして病気を見つけだす(=健診)」だけでなく、「俗世を忘れて心とカラダのリフレッシュを図る」という重要な目的があったからです。でも、時間の効率化と検査の高度化が人間ドックの売りになり、検査に関係ないもの(食事会やヒーリング体験など)は徐々に排除され、結局いつの間にかただの「高価な健診」になってしまいました。

うちの健診センターができたとき、フロアに時計を掛けませんでした。「ドック受診中だけは俗世から離れて、時間など気にしない空間と時間であってほしい」という願いが込められたからです。受診者さんからは不評でした。いつの間にか小さな時計が置かれるようになりました。「何時までには帰りたいから急いでくれ」という要望も増えました。それが現代社会のニーズなのだ、だからそれに合わせないと誰も受診しなくなるのだと、経営陣は主張します。でも、このまま行くと結局ただの健診屋に成り下がりはしないか?「高性能のCT検査で専門医が診断してくれます」という謳い文句より「日常のしがらみをリセットして新たな活力を漲(みなぎ)らせて再出発できます」の方が、本当は現代社会では必要ではないか?それは決して『贅沢』ではないと思うのです。・・・わたしはこれから、『健診』と『人間ドック』の違いをできるだけ意識することにしました。

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原点回帰

この4~5年、いろいろなことを思いついて愉しみながらやってきました。ゴルフ、自転車通勤、朝食抜き、昼休みのフィットネス、エレベーター使用拒否、一日おき禁酒、禁ピーナッツ、バスケットボール、脳トレ、ブログなどなど。「面白い」というよりも、頑張って続けている自分に浸るのが何となく心地よかったのだと思います。

でも、今年はその半分以上が続けられなくなっています。「ただの習慣だからどうってことないよ」などと云っていたのが懐かしいくらい、なんとなくダラダラした日々。「ま、いいか」「どうせ自分の問題だし」・・・自分を律して自分に厳しいのがわたしのモットーだったつもりなのに、最近は、しなければならない仕事もギリギリまで手をつけなくなってきていて・・・なんか何をするにも面倒くさいのです。ちょっと忘れていたことを思い出すのも面倒くさくてすぐに「わからん」と云ってしまう昨今です。

「原点回帰!」・・・さすがのわたしも、これではいけない!と思って、来年のスローガンとしてこのことばを選んでみました。奇しくも、わたしが応援しているJリーグのサッカーチームのスローガンが「原点回帰」。経営難で主力選手がすべて売られていく中での<夢に向けての再出発>・・・また一から出直す心意気を示しています。わたしも、若返りのために初心に戻ってメリハリのある人生をやり直してみようかなと思うのであります。

年賀状を書くに当たって、密かにそんな決意をした昨夜でした。今に見てろよ!もう一度、心身ともにハガネのような偏屈オヤジになってやる!

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アナログさ加減

健診の心電図所見に『反時計方向回転』とか『洞性不整脈』とか書かれていると、「去年まで『異常なし』だったのに心臓が悪くなったのだろうか?」と悩む人がいます。眼底検査でも「去年は『細動脈反射亢進』で軽度動脈硬化だったのに今年は『異常なし』になっているのは、運動に心がけたから良くなったということ?」などと思う人もいます。

以前にも書いたように、どうもわたしたち判読医の心構えがいい加減なのかもしれませんが、これは大した意味を持ちません。おそらく今年と去年の検査結果はまったく同じだと思います。決まった定義に従って判読しているとはいえあくまでも判読医の主観の世界なので、病的意義がない所見は読んだり読まなかったりがあるのはやむを得ません。判読医が替わってもそうですが、同じ人が違う日に読んでも違う読み方をする可能性はあります。病的な意味があったりこれから経過を見ておくべき所見を見落としたら大問題ですが、「主観の差」「価値観の差」レベルで揺れ動くものはあまり目くじら立てないでいただきたいところです。

ところが、こういうことがあると「ここは信用できない」と不信感を持たれる方がおります。「同じ検査結果に対して違う所見が出たらどっちかがウソなのでしょ?」・・・医療従事者の中でも数字を扱うことの多い臨床検査技師さんや病院事務の方にそういう方が多いような印象をわたしは受けますが、では理系の職場で働く人に多いのかというと、むしろ文系の方の方が多いように思います。それでなくても『洞性徐脈』など、心拍数が1つ違っただけで病名が付いたり付かなかったりするのです。上記所見のどちらもウソではありません。『異常なし』とは所見があるかないかに関わらず、『日常に問題がない』という意味なのですから。もうちょっと人生をアナログ的に生きても良いのではないでしょうか。

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広がらないCKDとロコモ

「一昨年の『メタボ』、去年の『かくれ糖尿病』に続いて、今年は『CKD』がブームになります!」と今年の初めにあちこちの講演で豪語したのに、世間のほとんどがこの『慢性腎臓病(CKD)』を知りません。市をあげてキャンペーンを張った熊本市ですが、熊本市の職員ですらあまり知らない様子です。たしか、2009~2010年は国を挙げてCKDに取り組むことになっていたはずですが、政権交代で後回し事項になったのでしょうか?

もっとも、『メタボリックシンドローム』もその概念が発表されてから1年間は泣かず飛ばずでした。突然のように国がマスコミを使って大々的にPRし、その1年後には特定健診に組み込んだからこそ、良いも悪いもひっくるめて世間の皆がその存在を知るようになったわけです。CKDももう少しテレビでブームになるかと思ったのに、最近では健診現場を除けば言葉そのものもあまり聞かなくなった感がありますが、大丈夫でしょうか。

同じように、現場の目論見が見事に外れたものに『ロコモティブシンドローム(ロコモ)』があります。整形外科分野(の一部?)では「メタボの次はロコモだ!」と騒いでいたはずなのですが、こちらは健診のスタッフですら知らない人の方が多いみたいです。

予防医学の世界は、最初にどれだけの金をかけるかが定着のための必須条件のようです。身体に良いことだから、草の根運動のように地道に啓発を続けておけば世間に爆発的に広がっていく、なんてことには絶対になりません。健康食品の販売ツールに乗っかったとしても知れています。やはり最大にして最低限の条件はとにかくマスコミを動かすこと。ですが・・・今、政府はそれどころじゃないのでしょうか。

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心がなごむ歌、心が沈む歌、力が出る歌

「こんな澄んだ声で歌を歌えたら気持ちいいだろうな!」

車のラジオから流れてきた小田和正さんの奏でるクリスマスソングに心を奪われながら、思わずそうつぶやいてしまいました。そうしたら助手席の妻がすかさず応えました。「これいい歌だよね。でも、前にこの歌が入ったアルバムを借りてきて全曲聴いたことがあるけど、聴いているうちにどんどん心が沈んでいくんだよ。なんかとてもさびしい気持ちになって・・・あのときは心を元に戻すのが大変だった!」

たしかにスポーツ選手がよく聴くExileの曲は、自らの心を鼓舞しながら静かに力をみなぎらせてくれるものが多く、これから闘いに向かう前に聴くにはこっちの方が適しているのは明白です。心を落ち着かせたいとき、必ずしも静かで清らかな歌声がマッチするとは限らず、その一方で、往々にして、元気いっぱいの歌声を「うるさい!」と感じることがあるのも事実です。

理屈ではない感覚の中で、単純に「静かに歌声に浸れる時間がほしい!」と感じている、ただの忙しがり屋の独り言でした。

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国旗

昨日の天皇誕生日は実家の墓参りに行きました。途中、阿蘇の小さな派出所前を通ったとき、大きな国旗が掲揚されているのに気付きました。

そういえば、家で国旗を揚げなくなったのはいつの頃からでしょうか。むかしは祝日にはどの家でも朝から軒先に大きな日の丸の国旗を揚げていました。「祝日に日の丸を揚げるのは国民の義務」と親に教わっていたので、社会人になってアパートを借りるときも家を借りるときも、「国旗をどうやって揚げたらいいのか?」と悩みました。なのに、いつの間にか国旗を揚げる家が少なくなり、今では揚げていると「あそこは右翼?」などと揶揄されるようにさえなりました。ですから15年以上前に我が家を建てたとき、国旗セットを買うことなど全く念頭にありませんでした。

卒業式に君が代を強制するのはおかしいとか、祝日に国旗を掲揚することを強要する権利はないとか、わたしはその下らない屁理屈がまかり通るようになってきたこと自体に恐怖を感じています。そんなことで国民が国家主義や全体主義になるという発想はあまりに国民をバカにしていますし、歌わない権利とか揚げない権利とか、食べたくなかったら給食を食わなくていいとか・・・何をことさらに強調する必要があるのでしょうか?むかし、共産党や社会党支持者だったうちの親たちも当たり前のように国旗を揚げていました。ところがいつの間にか日本は、つまらぬ屁理屈を通すのが文化的だと<どや顔>で勘違いしている御仁に支配され始めました。最近の隣国の騒ぎにアタフタしている日本国を見ていると、ちょっと末期的な気さえしてくるのはわたしだけでしょうか。

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人気の店(後)

仰々しいサービスもなければ、頼んだものがなかなかやってこないイライラ感もない、付かず離れずの位置でしっかり教育された若いスタッフが心地よいチームワークで場をつくっています。素晴らしいなあと感動すら覚えた2時間でした。なのに・・何だろう?その完璧なまでに行き届いた環境が、もしかすると小市民なわたしには<こそばゆい>のかもしれません。ホテルやブティックなどではそういう気配りこそがリピーターになるかどうかの重要なポイントなのでしょうが・・・。宴会の幹事なら一番に選ぶ店でしょうが、プライベートで飲みに来るときにはわたしの選択肢の最初の方に上らないかもしれません。

こんなわたしにも行きつけの店が数軒あります。ありふれた居酒屋さんや小料理屋さん。もちろんどれも料理は美味しいけれど、店の騒がしさや注文してからの待ち加減は、くだんの店と比べものになりません。それでも「あっちはえらい楽し気だけど今日は何かのお祝いかな」と一緒に幸せな気分になったり、「忙しそうだからもうちょっと待ってみようかな」という気にさせるものがあって、それが『居心地の良さ』なのだと思います。

きっとそれは店側の努力だけでは解決しないもの・・・集まってくるお客さんの問題なのかなと思います。たまたまその日に出くわしたお客さんたち同士がその場の空気を作ります。高級料亭やホテルの最上階のレストランといった別世界を好む人達は別にして、居酒屋さんの喧騒はそれがある程度伝わってきて初めて自分たちの空気と溶け込む感じがあります。その居心地が良ければ次にも何となく足が向きますし、逆なら足が遠のいていく。だから結果として、同じ空気感を求める人たちが何となくやってきて、自分たちが自分たちなりの周りへの気遣いで<居心地>を作っているから<落ち着く>のかなと思います。

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人気の店(前)

その店は、料理がとても美味しいことと店のスタッフの気配りが素晴らしいことで、『人気の店』ランキング上位にいつも位置しているそうです。

そんな店に先日、知人を招待するために予約をし、初めて行ってきました。団体さんの忘年会の予約が入っているためにカウンター席になりましたが、目の前では大将が休むことなく料理を作っていました。その合間に客の料理の進み具合をさりげなくチェックし、団体が出て行ったらすかさず次のパーテーションの切り替えを目くばせと小さなジェスチャーだけで指示していました。一方生ビールをお代わりしようかなとお姉さんの顔をみたらすでに彼女の手元には並々と注がれたビールがあり、「次も生ビールでよろしいですか?」とにっこり。もちろんこの強面(こわもて)の大将が作り出す料理の美味しいことは云うまでもありません。早すぎず遅すぎず、有りがちなコテコテ料理や山盛り料理はどこにも存在せず、かといって高級料理店のような”お上品な量”ではない、とても手頃な味と量。「・・・美味しいね。ここはすっかりわたしのお気に入り店になったわ!」と、酒を呑まない妻がとなりで満足げなのもよく分かります。

ただ、わたし自身が次にこの店を選ぶことがあるかどうかとなると、あまり自信がありません。何の不満もありません。むしろ今書き並べたように痒いところに手が届くすばらしいお店で、料金もリーゾナブル。騒がしくもなく静か過ぎもせず、人気店であることは来てみたらすぐにわかります。なのに・・・行きつけになるか?となると、どうも、「居心地が良い」という心境になれない。それは何故なのだろう?と帰りの車の中でずっと考えてみました。

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ストーカー

年末の忘年会で躍るために、某人気女性グループのダンスの練習をしています。「先生の担当はこの写真の中のこの娘です」という写真付き伝言文といっしょに自主トレ用のDVDを渡されたのが本番3週間弱前でした。10日前になって初めてDVDを拝見。昭和の踊り手であるわたしにとってK-POPは別世界のもの・・・とにかく来る日も来る日も何度も何度もDVDをリプレイします。ただし、わたしの目が追うのはあくまでもわたしの担当のS嬢のみ。彼女の姿のみを必死に追いかけ、彼女の表情と動きを何度も真似し、上手くできては安堵し、できなければ落胆し・・・。

ずっと彼女ばかりを追いかけているうちに、一度も会ったこともない彼女が何か他人とは思えなくなってくる錯覚に囚われてきました。夜床について目をつぶっても、食後にコーヒーを飲んでいても、アタマに浮かぶのは同じバックグランドミュージックの中で躍りまくる彼女の姿ばかり。彼女の笑顔を眺めているとちょっと胸が高鳴る不思議な感情・・・。

もしや・・・ストーカーって、始まりはこんな感覚なのかしら?わたしは本番を終えたらとりあえず彼女とはお別れですけれど、そのままテレビや雑誌のグラビアで彼女を追いかけるようになったら・・・危ないかもですね~。

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労災二次健診

厚労相が、労災保険に関わる事業所の労働者の健康を管理するために、平成13年から始めた「労災保険二次健診等給付」(略して「労災二次」)というシステムをご存知でしょうか?肥満、高血糖、高血圧、脂質異常のいわゆる『死の四重奏』が職場健診で認められた労働者は、その結果を事業主に届け出て手続きをすると、タダで頭と心臓の検査をしてくれる上に、保健師、栄養士、運動指導士から生活習慣改善のためのアドバイスをもらえるシステムです。

基本が労働安全衛生法(労安法)に紐づいている上に、手がかかる割に効果が乏しいとか、儲けが少ないとか、いろいろな理由で、指定施設として手を挙げない健診機関も少なくないと聞いています。うちの場合も、「そんな人は直接うちにある生活習慣改善のためのプログラムや特定健診・保健指導に回せば良い」という意見が多数を占めてきまして、わたしはちょっとガッカリしています。彼らはタダ(労災保険が費用を出してくれる)だからこそ受けるのです。タダだから、そして1回だけの介入だから効果が上がった人が少ないのだと云う人も居ますが、逆にタダだからこそ受けて、自分が甘く見ていた「死の四重奏」の改善に目覚める動機付けになった人も決して少なくないことを、担当者であるわたしは知っています。何万円も払うモノだったら絶対受けなかったであろうそんな人たちがいることを考えると、人生を確率論で語れないのだろうなと思います。公の金を使う以上は費用対効果が上がらない事業は見直すのが事業仕分けだということは、もちろん重々承知しておりますけれど・・・。

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師走

わたしは「師走」が好きです。

年末は坊さんが忙しく走り回るから「師(=僧侶)走」・・・今の風習とはちょっと違いますが、いずれにせよこの忙(せわ)しなさが好きです。本当に12月は過ぎるのが早くて、「あっという間」という日本語が一番似合う月だと思います。1月も2月も3月も早いですけれど、1月2月3月は心構えのある早さであって、12月のように「つい油断してたらもう大晦日!」みたいなアタフタさに欠ける気がします。

冬眠をしない私たち人間であっても冬の寒い中では明らかに活動量が減ります。明日は朝から部屋の片づけと大掃除をしよう!と思って寝るのに、翌朝は寒くてなかなか布団から出れずファンヒーターの前に鎮座していたらもう昼ごはん・・・なんてこと、あるよね~。こんな自己嫌悪の中で、日はすぐに過ぎていき、年賀状も書かなければ、これだけしないと年が越せない!と焦る、そんな毎日が好きです。そして、今年も中途半端なまま大晦日を迎えた!と後悔しながらも、午前0時になった途端に、「明けましておめでとうございます~♪」と何事もなかったかのようにリセットできる、とってもいい加減な幸せさが好きです。

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おやじギャグ

これでもか!というくらいにおやじギャグ連発の山本晴義先生の講演を聴きながら、意外に場内がざわめかないのが気になりました。まああまりにもコテコテすぎるものもありますが、クスクスという声が出る程度なんて。これは、「くだらない!」とちょっと引いている場合と、何がギャグなのか気づいていない場合と2つの理由が考えられますが、なんか場内の反応をみていると意外に後者が多いのではないかなという印象を受けました。僕だけ気づいているの?もしかしたら考えすぎ?

さすがに年間の2/3を講演で走りまわっているだけのことはあって、山本先生のおやじギャグは講談師のように流ちょうに口をついて出てきてちょっと感動しますし、受けようが受けまいがお構いなしに押し通せるあの自信は、実にうらやましい限りです。わたしもそれなりの数の講演をしますが、何度も同じところで同じギャグをかませるだけの自信がありません。第一、自分に新鮮味がないのでわざとらしくなります。目論見通りにドッカーンと笑いを取れれば良いですし、全然気づかれなければそれも良しなのですが、気づいて下向いて侮蔑の目で失笑されるくらい辛いことはありません。とてもナイーブでプライドの高いわたしはすぐに傷ついてしまうのです。・・・まあ、それでも自分が気に入ってるギャグはまるで初めてしゃべるかのような顔をして何度も使ってしまいますが・・・。

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その他の語録

久しぶりにいろいろなことを書き留めておきたかった講演でしたが、今回までにしておきます。彼の語録の中から、わたしが書き留めたものをいくつか書き並べておきます。

●日本では毎年3万人以上が自殺して死んでいます。13年連続です。忘れないでください。この中には2回自殺した人はいないのです。今生きて働いている人がこの中に入らないでほしいという想いで、わたしはこの仕事を続けています。

●デジタルとアナログ
「むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがおりました。」
「昔っていつ?何年何月何日の何時何分?あるところってどこ?何県何市何町?番地は?おじいさんって何歳?名前は?どういう漢字を書くの?おばあさんは何歳?名前は?」

「死ぬほど好き!」「何%愛している?」

デジタルに取って代わろうとしている現代社会はすべてをギスギスさせているようにわたしも思います。今朝のような寒い朝に目覚まし時計と闘うなら、アバウトなアナログ時計の方が数字しか出さないデジタル時計より断然闘いやすいです。

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コミュニケーション

山本晴義先生の講演のはなしを続けます。

診察室の中での医者と患者の位置関係が変わったことは、外来をしなくなったわたしにも分かります。昔はお互いに向かい合う形で対座していました。それがいつの間にか医師はパソコンに向かい、電子カルテとやらに何かを打ち込みながら耳だけ話を聞いている(「『聞くhear』は耳だけ傾けている形。『聴くlisten』はみみへん+目と心と書いて聴く~だから相手を見ながら聴くのです。因みに『訊くask』は問診などで使われるけれどいわば尋問です。」と山本先生)構図。患者さんの話の内容云々よりも前に、患者さんの顔つきの変化に全く気付けない環境にあることは薄ら寒い現実です。にもかかわらず、医者も患者もそれを「いたしかたない」と思ってやり過ごしているわけです。

山本先生が某IT企業の産業医として職場巡視をしたとき、「一番健康的なところはどこでしたか?」の産業保健師の問いに「ダントツで『喫煙室』!」と即答したという話に皆の反応は今ひとつでしたが、わたしには笑えない現実としてとても強く印象に残りました。現代日本では、うつ病に罹るのは女性が2/3を占めているのに自殺者はその7割が男性である!何故か?自殺者の8割は人に相談をしない・・・女性と違い、男性はひとりで悩む人が多いから女性の倍以上の自殺者が出るのではないか?と山本先生は分析していました。今や一日中他人と何も話さなくても生活できます。仕事の間中パソコンに向かい、昼食は自販機で食券を買い、隣の人への伝言も社内メールを使い、コンビニで弁当を買って帰る昨今、たしかに、『喫煙室』だけに<生きた人間><人間らしい本物の人間>が居る空間だったというのは、単なるブラックユーモアではない厳しい現実だと思いました。

参考曲:「目を見て語れ 恋人たちよ」(高橋真梨子)
http://www.youtube.com/watch?v=Wp3W2nmahcA

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ストレス一日決算主義のすすめ

横浜労災病院の山本晴義先生の講演を聴きました。メンタルヘルスのカリスマ心療内科医はさすがに壇上に上がるときから元気はつらつ~っオロナミンC!でした。

厚労相の後ろ盾で行っている「心の悩み相談メール」への原則24時間以内回答のきっかけになったエピソードを聞いて涙しました。「友人から悩み相談のメールが自分の手元に届いたとき、それに何とか良い答えを返してあげたいと思い、あなたがどんなに親身になって一生懸命考えてあげていたとしても、返信をしない限り、相手は『無視された』と思うのです。相手は悩みに悩んであなたを最後に選んだのに、です。だから、何でもいい、一言でもいいから、大事に至る前にとにかく早く返信してあげてほしい。」・・・とても重いことばだと思いました。

心療内科外来(治療学)とメンタルヘルスセンター(予防学)の違いについての話も興味深く拝聴しました。弱い所を指摘して改善させる治療学に対して、長所を引き出して活用するのが予防学~これはよく考えるとかなり深いお話です。過去志向ではなく現在から未来に向けて考えていくのが予防学、という違いもあります。その現象が起きた原因は何か、何があったからそうなったのか探って治療するのではなく、予防学はこれからをどう生きるかにのみ意味があるというわけです。

参考曲:「知りたくないの」(菅原洋一)
http://www.youtube.com/watch?v=h1eYlBckXlk&feature=related

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早く帰っても・・・

不況の中、働く方々の仕事量は決して減っていません。いわゆる「過重労働」の数は少なくなく、過重労働による過労死とメンタル不全(うつ病)対策について厚労相が本腰を入れ始めてから数年になります。

わたしが産業医をしているT社は、会社全体で過重労働対策をしっかりしていますが、それでも過重労働の方が毎月ちらほら出てきます。先日、労働時間が極端に長すぎた社員のひとりと面談をしました。自ら、「最近考えがまとまらない、物忘れが激しい」などの自覚をするようになった38歳男性。・・・現場からも少し早く帰るように指示され、週2~3回はちょっと早めに帰らせてもらっているのだと云いますが・・・帰った頃にはもう家は真っ暗。家に小さな子がいるから、電気をつけようものなら妻から怒られる。・・・リフレッシュできているのかどうかわからない、と浮かない顔をしていました。

「親が起きていたいから子どもを夜中まで寝させないというのもどうかと思うけれど、うつになったダンナが家に帰っても心の安らぎを得られないなんて大きな問題だよね。あれじゃ、うつ病は治らないかもしれない。」・・・面談の後でわたしが小さくつぶやいたら、「これくらいの子が居る家庭はどこもそんなものですよ」と保健師さんに返されました。「ダンナはどうせいつも夜遅くしか帰ってこないし、ダンナを待つタイプの奥さんは夜遅くまで起きているかもしれないけど、そうじゃない奥さんはお子さんと添い寝しながら一緒に寝てしまうのが普通ですね」・・・結局、遅くまで会社で仕事をしている方が返って安らげるのかもしれない。「亭主元気で留守が良い!?」・・・実はあまり元気でもないのでしょうが、現代社会の構造はバブル期のそれとあまり大差ないような気がします。

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眠って生きろ

睡眠障害(不眠・睡眠不足)の影響は、思いの外現代人の生活を蝕んでいるようですが、わたしたち医療人が常識だと思っているほどには一般社会の皆さんは重要視していない印象を受けます。それは、やはり「眠れない=病気」とは思っていない人が多い、ということなのだと思います。とても危機的状態だと云えましょう。

そんな中で、第35回日本睡眠学会学術集会(名古屋)の市民公開講座の記事を読みました。10年前に愛知医科大学に睡眠医療センターを開設した塩見利明先生のお話はどこかで一度聴いてみたいなと思いました。

「・・・『回復医学』という言葉を掲げました。いかに睡眠を健康に役立てるか、どうすればよりよい睡眠がとれるかについて、医学はもっと関心を持つべきだと私は常々思っています。(中略) 今回の講演タイトル『眠って生きろ』、そして『眠って治せ』ということを、私は今皆さんに一番伝えたいと思っています。・・・」

実はわたしも最近とても眠い。どうも夜中に眠れていないのではないかと懸念しています。「真夜中は別の顔」・・・無呼吸にはなっていないけれど、なんか苦しそうな顔をして寝ていることがあるよ、と妻が云います。もしやわたしが思っているよりもっと全然別の顔があるのやも・・・。

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カラス

朝からゴミを出しに行って、寒さに身を屈めて小走りに家に帰ろうとしたら上の方から鋭い視線を感じました。

おそるおそる見上げた先には、電線の上から偉そうに見下ろすデカいカラスが1羽。黒いので良く見えませんが、なんかいやらしくニヤニヤ笑っているように見えます。「おいカラス!オレのちょっと薄くなった頭のテッペンを上から見下す感覚は、どうよ?」・・・声に出せない声で睨み返してやりましたが、彼はまったく意に介さない様子でした。

最近あまり天空を飛ぶ夢は見なくなりました。空を飛ぼうと思ったら少しずつ身体が浮いていくのです。部屋の天井辺りからさらに屋根の高さへ、そしていつの間にか町並みを見下ろす形で飛んでいる自分。高すぎもせず低すぎもせず、道行く人の視線には入らない程度・・・ちょうど、このカラスの視線の高さが夢でわたしが飛ぶときの高さです。

彼はわたしが過ぎ去ったのを確認したら一気に舞い降りてゴミの物色を再開しました。「害鳥」の代表にあげられているカラスたちは、それでもそんなことは気にもとめていない様子でわが道を進んでいます。きっと彼らには彼らなりの生き方があって、人間の思惑など何の妨げにもならないのでしょう。

わたしにとって、まるであのカラスのような存在の人間が居ます。彼はわたしをどういう目でみているのだろう?いや、きっとわたしなどまったく眼中にないのかもしれない。 ・・・早朝、それも普通の平日の早朝にゴミを出しに行っただけでこんなことまで思いを巡らせるなんて・・・かなり疲れいるのだな、きっと。

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野菜を食わないんだ?

若いお兄さんたちが立ち去ったテーブルには、皿の半分以上を占めていた野菜(キャベツ)だけがまったく手付かずで残されていました。たしかあの皿にはトンカツが載っていたはず。ごはんは丼に強引に大盛りについでいました。先日行ったゴルフ場の昼食のときの光景です。ごはんもトンカツも舐めるように食べ切っているのに、キャベツはまったく・・・。わたしなんか、キャベツの方が先になくなっておかわりがほしいくらいなのに。

小児科外来に高尿酸血症で受診した小学生の母親が、「お肉は食べるけど、野菜は出してもまったく手を付けないんですよね。」と他人事のように語ったという話を知り合いの小児科医に聞かせられたことがあります。

「ピーマンがキライ!」とか「ニンジンが苦手!」とか、むかしはもうちょっと一品ずつの好き嫌いだったように思いますが、最近は若い親御さんが食べようとしないからか?あるいは学校給食が無理強いしなくなったからか?「『野菜はキライ』だから食べない」というこどもや若者たちが極端に多くなったような気がします。くだんのゴルフ場の若者たちも、あれだけごはんを大盛りにするなら、醤油かマヨネーズをかけてでもちょっとくらいキャベツ食ったら良いのに・・・と、つい要らぬお節介。食っても損はないだろうに、そんなに嫌いなのかなあ。あれで「腹八分目」なんて云うなよ!

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へたりこむ

先日、イヌの散歩から帰ってくる途中で急に妻の身体に異変が起きました。

「身体からチカラが抜けていく」・・・蒼白な顔色に尋常ではない状態が見て取れました。明らかな低血糖状態です。「何か買って食べたら?」と目の前のコンビニを指差すわたしを制してそのまま自宅まで辿り着きましたが、玄関のドアを開けるなりへなへなと倒れこんでしまいました。わたしは前日知人からもらったお菓子があるのを思い出しそれを掴んで大あわてで持っていきました。まあ単なる低血糖ですから、彼女はそれを1個口にしたらすぐに何事もなかったように元気になりました。

そういえば、そんな経験がわたしにも一回だけあります。中学時代でした。いつものようにバスケットボールの部活動をこなし、バス乗り場までいつもの道を歩き始めたのですが、何かがいつもと違っていました。大量の汗がしたたり始め頭がもうろうとし、歩いても歩いても前に進みません。息も荒くなりました。痛くも痒くもないのに何故だかチカラが出てこないのです。携帯電話などない時代、やっと這うようにして当時の県立病院の前の公衆電話に辿り着き、家に電話をかけました。迎えに来てくれた父と一緒に我が家の隣りの医院に行って診てもらいましたが、そのやぶ医者の下した診断は「空腹による低血糖」。簡単な点滴を受け、帰ってご飯を食ったらすぐに元気を取り戻しました。実はお腹の調子が悪かったわたしは昼の弁当にほとんど口をつけていなかったのです。

「低血糖」というのはこんな感じになるんだということをあのとき初めて知りました。本当にチカラが出なくなるんです。ガソリンが切れてエンストする感覚・・・ブドウ糖がエネルギーとして如何に重要かということを思い知らされました。

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「あなた、手が歳取ったね~」・・・つい先日、パソコンを打つわたしの手の甲を横からのぞき込んだ妻がそんな失礼なことを口走りました。

いらん世話じゃ!と思いました。でも、たしかに手が歳取ったなあと自分でも思います。健診で診察をするとき、必ず受診者の両手首で脈を触れます。ですからイヤでも皆さんの手を見て触ることになります。見た目がどんなに若くても、あるいはメイクを施していても、手の甲だけは年齢相応の皺があり張りが落ちています。ちょっと悲しい現実がそこにあります。それでも、年齢より明らかに若々しい手の人、そして真逆にあんたホントに二十代?と云いたくなるような年老いた手の人・・・水仕事でかさかさになっている女性も少なくありませんが、どうか手のケアにもっと神経を注いでやってください。他人様は、特に異性は、体形や顔立ち以上に手先を観察しているものでございます。

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理解能力

<「敗北の官能」から自由が立ち上がる>という題名の対談記事が週刊医学会新聞(2010.11.15号)に載っていました。『リハビリの夜』(医学書院)という脳性麻痺の小児科医熊谷晋一郎先生の本が第9回新潮ドキュメント賞を受賞したのを記念して、社会学者の大澤真幸氏との対談が行われたのです。

この本(『リハビリの夜』)にとても興味があったわたしは、先日時間を見つけてこの対談記事を読んでみました。・・・さっぱり理解できませんでした。何度字面を追いかけ直してみても、まったくわたしのアタマに入ってきてくれないのです。耳と目の中間点当たりに大きな門があって、そこで受け入れを完全拒絶している光景が見えてきたので、途中で読むのをあきらめました。専門用語が並んでいるわけでもなく、英語論文なわけでもないのに、アタマに入ってこないのです。両者が東大卒の学者さんだからかも、とも思いましたが、一般医療者向けの新聞ですからあくまでも一般啓発誌です。なのに・・・たとえば科学者が生理学のメカニズムを喧々囂々やっている文章を読んだとき以上の拒絶状態をアタマがしたのでちょっと戸惑っています。まるで法律関係の公文書を読んでるのと同じ状態なのですもの・・・。

まずは、この『リハビリの夜』(医学書院)を読むことから始めてみましょうか。

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学校教師の健診

学校の先生方は人数が多いので、どの都府県の健診施設でも大口のお得意さんです。むかしは夏休みや冬休みに集中していましたが、最近は普通のウィークデーにも多くの受診者の方が来られます。

先生方を診察しながら、「今日は授業どうされたのかな」などと思ったりしました。「今日はどうして先生は休みなの?自分の健診?そんなことのために授業を休むなんて・・・うちの子の授業はどうするの?」なんていう、最近はやりの理不尽なモンスターはいないのだろうか。医者も似たようなものだけれど、「先生も忙しいんだからたまには休まないとね。」「いえいえ、休むんじゃなくて自分が病院を受診するんです。」「まあ、『医者の不養生』ってやつですか?」なんて感じで、一般的には好意的です。

むかしは、予防医学をするのは本人の勝手だけれど、そのために周りが迷惑を被るのはまっぴらゴメン!という風潮があり、職場健診を義務づけられているのにやらなかったり、仕事に影響を受けないようにやるのが最低条件だったりしたのですが、だから特に学校の先生や公務員さんが病気でもないのに休むなんてことは論外だったのですが、最近「自己管理をするのも仕事」という考え方が普及し始めました。とても良いことだと思います。先生方も、ウィークデーに堂々と休んで健診を有意義に受けていただきたいと思います。ただ・・・やっぱり有休扱いになるんでしょうか。

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健診の心電図

わたしは循環器科医を名乗っているけれど、専門医資格は持っていません(諸般の関連学会の所属などの問題で何かとクリアできない条件がありまして・・・というのは言い訳ですが)。そして、わたしの専門は心臓核医学検査です。健診の心電図判読を担当しているけれど、心電図のエキスパートではありません。

健診の心電図を読むに当たってのポイントは、「専門医に紹介すべき所見かどうか」ということと、「急を要するものかどうか」という2点に尽きると考えています。そこにある期外収縮が心室性に見えるけれど先行P波があるので上室性かも?とか、この伝導障害は房室解離なのか完全房室ブロックなのか?とか、学問的には興味があるかもしれませんが、疑わしいものは専門医に委ねればいいことであって、健診医がそこに悩む必要はないのだと割り切ることにしています。だから、たとえ学問的な興味があるとはいえ、「そのメカニズムは?」とか「これは生理学的にどんな意味があるのか?」とか、そんな質問はNGですからね、優秀な技師さんたち!

循環器内科医だから循環器のすべてを事細かに分かると思ってはなりませぬ。大学病院の循環器内科教室の医者ならそりゃ詳しく知っておかないといかんかもしれないけれど、わたしは似非循環器科医なんですからね。心臓核医学検査のことであれば誰よりも細かくレクチャーしてあげるけど、心電図なんて学生時代から大嫌いだったんだから、分からないものは「わからん!」てすぐ云っちゃうんだからね。

心電図レクチャーするに当たり、これくらい防衛戦を張っておけば大丈夫かな?

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太っていないのに

「先生ちょっとお聞きしていいですか。わたしは、こんなにやせているし、食事も少ししか摂らないのに、どうして体脂肪率が30%以上もあるのでしょうか?どうしたら良いのでしょうか?」

人間ドックの診察をしている時に、不安そうにそんな質問をされたやせ形の60歳の女性がおりました。
「それは簡単にいえば『筋肉が少ない』ということになるのですが、『体脂肪率』はあくまでも比率ですから、太っているとかやせているとかいう絶対値の問題ではありません。体脂肪率30%という数値自体はさほど高すぎるものでもありませんし、きちんと皮下脂肪があった方が動脈硬化は進みにくいのですから、絶対値を考えるとこんなもので良いと思います。これから気を付けるべきことは、しっかり筋肉を維持させることです。それでなくても筋肉がなくなると途端に老化します。アンチエイジングの意味でも何とか意図的に動くように心掛けてください。」
「最近、朝のウォーキングを始めたところなんです。」・・・彼女は安堵した表情でそう話して、診察室から出ていきました。

体脂肪率が多い=脂肪が多い、と勘違いする御仁が女性の中に、特に若い女性の中に多いのでご注意いただきたいと思います。標準体重かむしろやせているのに体脂肪率が多い場合は、脂肪が多いのではなく脂肪以外=筋肉が少ないのです。

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予防接種に関するガイドライン

医療情報をWebで眺めていたときに目に入った記事です。

「小児期の予防接種における痛みを減少させるために:エビデンスに基づく実地臨床ガイドライン」(Can Med Assoc J)

カナダの予防接種、小児科、疼痛管理、EBM、教育などさまざまな領域の専門家委員会が検討した結果なのだそうで、書かれていることは至極当たり前で想像以上でも以下でもないことなのだけれど、「こういうガイドラインがきちんと出されるんだ!」ということにちょっと感動しました。推奨度Aとされたのは「授乳期の場合には授乳で、授乳期が終わっている場合は甘いものを与えて痛みの気持ちを減少させる」「可能な場合はより痛みの少ないブランドの注射針と交換する」「局所麻酔薬を使用する」だそうです。一方、推奨度D(推奨しない)とされたのは、「摂取時に上向きに寝させる」「注射の前に”痛くないよ”と諭す」だそうですので、医療従事者の方はどうぞご留意ください。

関連記事として、日本小児科学会からの注意声明(2010/9/27)も興味深いです。
「10歳以上で報告増加中『注射怖い!』で失神」~予防接種の機会が以前より増えたとはいえ、10歳以上での失神の報告が増えているというのはちょっと驚きです。注射による痛み、恐怖に伴う血管迷走神経反射によるのだろうと指摘されていますが、これは筋骨隆々の若いお兄さんの専売特許だと思っていました。「今どきの子は痛みに弱い」というのではなく、むしろ最近の子はじっと我慢しすぎるから自律神経反射を起し易いのではないかと、わたしは推測しています。子どもはやはり見栄を張らずに泣いた方が良いのでしょう。

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ホンマでっか(2)

テレビの罪

米国ハーバード大学Frank B.Lu先生はThe Nurse's Health Studyの一環で疾患も肥満もなかった女性看護師50277人の追跡調査を行い、週当たりにテレビをみる時間の長さとその後肥満になるリスクを検討しました。ものの見事に時間の長さと肥満リスクが正比例していました。その理由として①運動をしなくなり消費カロリーが減る、②テレビを見ながら食べ物を口にする、③CMや食事シーンの影響を受ける、などと考察されていました。

子ども時代の食習慣

食習慣は子どもの頃にできあがります。典型的な日本食に含まれる脂質は20~25%、米国の場合は40~46%、それに対して日本の学校給食に含まれる脂質は何と30~36%もあります。若い頃の油食い習慣はそのまま成人後も引きずります。最近は3歳児でもハンバーガーを平気で食わせています。戦後の栄養失調の是正として始まった学校給食がいまだに欧米の栄養学のみを基本にしているのはおかしいのではないか?という思いは、わたしの気持ちの中にずっとあります。

エネルギー代謝力の男女差

女性が皮下脂肪を付けやすいのは、授乳のニーズや胎児保護のニーズからエネルギー貯蔵をするのに男性より適しているように作られている可能性が高い。一方、同じように肥満になった場合、男性は過剰なエネルギーを処理する予備力が女性ほどは備わってない可能性もあるのだそうです。それは、健診の仕事をしていると、毎日実感としてわかります。

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ホンマでっか(1)

先日、糖尿病と肥満に関する話題で講演をするために昔作ったスライドを確認していましたら、いくつか面白い内容のスライドを見つけました。まるで『ホンマでっか○○』か『おもいっきり○○』のような内容ですが、なかなか良いことが書かれていました。

産熱効果

熱を生み出す量が多いほど太りにくく、正常体重の人は糖尿病があってもなくても、休憩中にも運動後にも高い熱産生をします。それに対して、肥満の人は休憩中の熱産生が正常体重の人の半分以下に下がります。それでも運動後には熱産生がかなり上がりますから、太っている人は運動が有効です(Segal et al,1997)。とはいえ、運動が好きじゃないから太るのかもしれません・・・。ちなみに、産熱効果が一番良いのはたんぱく質で、次が炭水化物、最後に脂肪です。

噛む

噛む動作は内臓脂肪を燃やすのだそうです。中村学園坂田利家先生の報告は前もってガムを10分間噛ませた群と噛ませなかった群で、その後にそうめんを食う量を比較したというものです。もちろん、ガムを噛まない方が噛んだ群の2.5倍多く食ったのだそうです。ま、これは何となくわかります。腹が減った時に小さなガムを噛んだらガムの内容にかかわらず空腹感が一気に薄らぎますから。でも「噛んだ方がかえって食欲が増す」という人・・・要注意!

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ライフコーダー

今度、生活習慣病改善のためのプログラムに取り組む人たちにライフコーダーを貸し出そうということで、デモンストレーションのためにわたしが一週間借用しました。

  火曜日 11532歩
  水曜日 10256歩
  木曜日  7460歩
  金曜日 10805歩
  土曜日  9890歩
  日曜日 23009歩
  月曜日 24497歩

ちょっと過大評価しすぎる(数字が多めに出る)感はあるものの、歩いたのにカウントされないのに比べたらちょっとくらい多めに出る方が明らかに気分は良く、数字を少しでも増やしたくなって返って無意味に動くようになるかもしれないと感じました。

今回ライフコーダーを付けてみて、わたしは日頃から意外に良く歩いているのだなということが分かりました。木曜日と金曜日は午後に同じ場所に講演に行きました。講演の間中立っているのだけれどそれではカウントにならないものだなと思いました。そして一番驚いたのは、イヌの散歩の効用です。金曜日の帰宅直後のカウントは3750歩でした。ということは残りの7000歩の大部分は帰宅後に行ったイヌの散歩で稼いだ数だということになりましょう。家の近くを小一時間歩くだけなのに・・・。たしかに、木曜日も同じ生活だったけれど夜に雨が降って散歩に行けなかったのです。日曜日と月曜日は昼間も動きましたが、夕方は2匹のイヌを別々に連れて回りました。イヌの散歩はバカにならないなと深く感動した次第です。

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