『落葉樹と常緑樹』
コラムを依頼されていた機関誌の新年号が発行されましたので転載します。例によってこのブログの繋ぎあわせです。
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いつまでも暑かった今季の秋は例年と少々様相が違いました。それでもこの原稿を書いている頃には我が家の庭のハナミズキの紅い葉は一気に落ちていきました。来る日も来る日も落ち葉を掃き集めるのが大変でずっと舌打ちをしていましたが、なくなってしまうと途端に寂しくなります。街路樹の銀杏も公園の紅葉も今季は色づきに足並みが揃いませんでしたが、それでも普通に落葉しました。「落葉樹」~日本に四季があるのと同じように(四季があるために)、落葉樹の一年はとても華やかです。その大きな葉は、光合成を行う重要な部分であるにもかかわらず、華々しく色づいたら辛い寒さを乗り切るためにさっさと切り離されます。冬眠の季節になって寒さにじっと耐える姿もまた健気です。
それに対して、華やかさはないけれど年間を通していつも青々とした葉をつけているのが「常緑樹」。秋の頃、職場から見える小学校の校庭には紅葉した見事な街路樹が何本もあり、その手前の空き地では緑の葉をたわわに付けた大きな常緑樹が元気に繁っていました。その不思議なコントラストを眺めながら、落葉樹と常緑樹の違いを考えてみました。若い頃、常に青々としている木の方が優れていると思っていました。自分も常に若く活気に満ちている常緑樹のようでありたいと願っていました。でも、ふと、落葉樹の方が生き方に余裕があるのではないかと思い始めました。環境に合わせるかのように姿を変えながら、でも華やかな時をきちんとアピールする落葉樹は、与える印象もその生き方もとても鮮烈で魅力的に見えたからです。そう考えると、落葉樹にも常緑樹にも、違った形で各々に逞しく生きていく姿が見て取れます。
人間はどうでしょう。人間のカラダにも環境に合わせて各々の持って生まれた体質というものがあります。痩せ型(エネルギー消費型)と小太り型(エネルギー蓄積型)の各々はそれがその人に適している最適の体型なのではないかしらと思います。小太りが長生きだからといって痩せ型の人が必死に太る努力をするのはナンセンスですし、小太りは長生きできないといって何十年も同じ体型のおばさんが突然断食を試みてもメリットがあるとは思えません。それを平均点の統計学に当てはめて、BMI22が理想だとか24が良いとか、あるいは内臓脂肪はどれくらいが良いとか、何でもひとつにまとめようとするから無理が出てくる。もしかしたら各々の体質が一律ではないからこそ、人類は生き延びてこられたのかもしれません。飽食の時代にはエネルギー消費型が生き延び、飢餓の時代にはエネルギー蓄積型が力を発揮する・・・それは人類にとって最大の優先事項である『種の保存』のために初めから備わっている秩序なのではないでしょうか。
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