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2011年2月

異常所見がなかったら心配要らないのか?

人間ドックには、一般的なドック(日帰りドックや宿泊ドックなど)と別に、臓器に特化した、あるいは一つの病態に特化した『専門ドック』(脳ドックや動脈硬化ドック、アンチエイジングドックなど)があります。うちの施設では専門ドックの結果説明はそれぞれの専門医がする、というのが売りでした。ただ、ドック件数の増加にともなって、救急病院の専門医が必ずしも決まった時間に来れないケースが多くなり始め、現在はその多くを専門領域の知識のある健診の医師がしています。

その折、『専門ドック』も特定の医師が説明しなくても良いのではないか?という意見が出始めました。、健診結果のひとつなのだから他の説明と同じように健診医が誰でも説明できるようになるべきだ!というのです。

そんな意見を聞きながら、わたしは悩んでいます。少なくとも『心臓ドック』はそれでいいのだろうか?と。自覚症状はないというひとであっても、動脈硬化の危険因子の程度次第で精査の要否は大きく変わります。心臓ドックはそれなりに何か気になることがあるから受けるひとが少なくなく、そんなときに諸検査を受けて有意な異常所見がなかったら「異常なかったので心臓は心配要りません。大丈夫です。」と云えるのか?もちろん、その答えはノーです。そんなことだけで狭心症は否定できません。あるいはその胸の症状が狭心症でないとしたら、それでは何なのか?次に何を考えてどこを受けたらいいのか?そこまでを助言しないと専門ドックは意味を成しません。そんなことが専門知識のない医者に果たしてできるのだろうか?『心臓ドック』は異常所見がないひとの方が多いのです。人間ドックで「心臓は大丈夫!」と云われて帰ったその日に急性心筋梗塞で担ぎ込まれた患者さんを研修医のときに受け持った経験のあるわたしには、皆が考えているほど簡単なことではない気がして気がかりでなりません。

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「それは理想論だ」

「それは理想論だ!」・・・わたしが大嫌いなことばです。

たとえば、健診を受ける方がこれからも健康であるために理想の検査メニューを考案したとします。あるいは生活習慣改善のためのプログラム内容を提案します。ところが、それを上層部に上げていくうちに却下されたり、売りやすいものに変更されたり、あるいは大きな修正をして骨抜きにされる、そんな歴史を何年も経験してきました。

「あんなんじゃ売れないよ!」「あんなのやったら赤字になるに決まっている!」
「でもだからといって、そんな手の加え方したら意味ないでしょ!これをやるからこそ意義があるのに!」
「そんなのは理想論だ!売れなければしょうがないだろう!しかもコストがかかりすぎる。慈善事業をやってるんじゃないんだぞ!」
「商売としての商品を求めていったら、それはただの『健診屋』と同じレベルに成り下がってしまうやないか!」
「それの何が悪いか?だから、どこの健診機関でもあんなことやってないんだ!」

ここまで白熱する議論になる前に、モノは粉々に潰されてしまうのが常でした。他の機関がやっていないからこそ意義がある。現実論を掲げて売りやすいものを作っていくならうちじゃなくてもできるじゃないか?理想論だからこそ、売れにくいものだからこそ、それを実現させるために必死で考え、試みてみる・・・それがわたしたちの使命なのではないか?・・・わたしは経営者でも管理者でもないから、それ以上の駄々はこねられないけれど、こんなやり取りがあるたびに、なんとも寂しい気持ちになるわけであります。

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ものの忘れ方

「あれ?何しに来たんだっけ?」「さっき良いアイデアが浮かんでいたのに、何だったかな?」・・・もの忘れが激しいのは今に始まったことではありません。たしかにそれが頻繁になってきた気はしますが、そんな自分を自覚して、できる限りメモをしておく習慣にはなりました(あとでそのメモを読んでも何のことか思い出せないことが増えてきたのがちょっとシャクですが)。

ただ、最近は、そんなことを思ったということ自体を忘れていることが増えてきました。
「ここ、初めて来るけどキレイだね!」「何云ってるの、ここは二人で来たことがあるじゃない?」という手の会話に出てくる”記憶の欠損”は、もちろんはるか前からわたしの専売特許(最近、本人は否定しますが妻にも散見されます)ですが、そんなのではなくて、例えば朝の洗面中に「洗顔が終わったら爪を切らないと」と思っているのに、洗面を終えた時点でそんなことまったく覚えていなくて、通勤途中に「爪切らないといけないな」と思う、みたいな・・・。もちろん、その時点で「さっき洗面中に同じ事を考えたのに忘れていた」という事実に気づくので、まだアルツハイマーや認知症のレベルではないだろうなとは思うのですが・・・。「思う」「考える」という行為でアタマの中のキャンパスにしっかりした絵を描いたにも関わらず、一旦目を離してから見直したら、そこには何もなかったかのような真っ新(さら)なキャンバスがあるだけ!なんて・・・若い方にはまったく想像できないでしょうね。

以前わたしのアタマを20歳にまで若返らせた「脳トレ」をもう一度やり始めた方が、絶対良いですよね?

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三半規管

もうすぐ13歳になるうちの老犬が、突然右に傾いて歩けなくなりました。イヌの世界では『前庭疾患』というらしいです。ついさっきまで何事もなかったかのようにぐいぐいリードを引いて散歩していたというのに、一眠りした後から急に・・・。

歩こうとしても右の両足が立たずに倒れてしまう。首が傾き、眼振がひどい・・・持ちあわせた人間医者の知識をフル稼働させて考えると、それはまさに脳梗塞か脳腫瘍。目を見開いて強い眼振に為す術を失っている姿はまるで発症直後の患者さんに似ていますし、脳ヘルニアで眼圧が亢進しているのではないかとか、かなわない足の震えはけいれん発作なのではないかとか、医療者の悲しい性(さが)で、物事を重い方へ重い方へと考えてしまいます。「3年前、肝臓がんで亡くなったこの子の父親も発病の最初のきっかけは後ろ足が立たなくなったんだった」「イヌには脳梗塞はほとんどないと聞くから、やはりこれは脳腫瘍だろうか」「明日まで病院は開かないし、今夜が最後になるかもしれない」と、何も云わずに吐いては転ぶ我が愛犬の姿に涙して、アタマは勝手に彼女を死の淵に追いやっていきました。

で、『前庭疾患』。平衡感覚を司る三半規管はイヌにもあって、老化とともにここの機能が低下してしまう・・・まあ、人間で云えば突然メニエル病になったようなものでしょうか。目が回ってまっすぐ歩けない上に、吐き気が続く状態・・・もの云わぬ我が愛犬は、宙を向いてぐるぐる回る目眩く世界をながめて途方にくれていました。が、わたしたちが勝手に殺そうとしていた彼女の予後は少し楽観的になりました。小脳梗塞であるわたしは平衡感覚の揺らめきがとても鬱陶しいことを知っていますが、こと三半規管に絡む回転性めまいは、ヒトでもイヌでも同等に大きな災いであり、あんな小さな器官が、生きていく上で如何に重要かを知らしめしてくれます。

まだ予断は許しませんが、それでも取り越し苦労で良かった・・・我が家の大騒動は落ち着きを取り戻しつつあります。

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野良

「野良」ということばが好きです。

「野良(のら)とは、野や野原のこと。または、『のら』とひらがな表記した時は、放蕩のこと。」とウキペディアにはあります。むかしから「野良仕事」とか「野良犬」とか少し卑下したニュアンスに使われ、最近では「野良パッチ」とか「野良妊婦」とかいうことばまで生まれてきていることを先日たまたま知りました。でも、わたしはこの土臭い単語にものすごい安心感を感じます。そんな思いになったのがいつからなのか良く覚えていません。農家の出である父方の祖母に連れられて幼少時から田舎生活していたからではないと思います。5年くらい前に家庭菜園に精を出して、新鮮な農作物ができる感動に触れたからでもないと思います。若いころにはご他聞に漏れずモダンな世界にあこがれていました。爪の間に入り込んでなかなか取れない土の臭いが嫌だった時期もありました。なのにいつの間にか土が好きになってきたのは、やはり年齢でしょうか。そして、「野良」ということばの響きが好きなのは、そんな生活をしたいと思っている証でしょう。

鎌田實先生の本に出てくる、「どうして本当の病名を教えてくれなかったのか?野良なんてどうでも良かった。もしもうすぐ死ぬとわかっていたら、野良仕事なんてほったらかしてずっと一緒にいて、もっともっといろんな話をしたかった」という下りに出てくる『野良』が好きです。

そうして何のご縁だか、野良の話題で検索をしていたら、こんなページにたどり着きました。~「MIZUKOSHI TSUGIO Official Site 野良」~豊後大野市出身で、絵を描いてバンドを演奏して家庭菜園が好きなわたしと同世代の男性の、とてもやさしい絵が並んでいるページです。「遠い星のような記憶」に並ぶ挿絵つきのエッセイが好きです。

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バカらしくてやってられない?

『冠動脈病変の非侵襲的診断法に関するガイドライン』の策定にあたって中心になられた東京医大の山科章先生の講演を聴きました(第36回 New Town Conference)。

冠動脈(心筋を栄養する血管)病変の評価をするモダリティは、ここ5年あまりで驚異的に様変わりしました。心臓CT検査が爆発的に増加し、我らが心臓核医学はほぼ横ばい、もう少し減るかと思われた心臓カテーテル検査も横ばい。そんな中でトレッドミル検査(運動負荷心電図検査)だけが急激に減っています。座長が心配したのと同じ懸念をわたしも抱きました。なぜ?運動負荷心電図検査は循環器の世界では基本中の基本の検査・・・何はなくともとりあえず運動負荷!のはずではなかったのか?

その理由について、山科先生はいとも簡単に答えました。「おそらく、時間と手間がかかる割には保険点数が低すぎるからです。毎日多数の患者がいて、大忙しの診療の中で時間もないので、どうせするなら少しでも報われる心臓核医学検査や心臓CTを選ぶのだろう。」・・・座長は即座に首を振って苦笑いをしました。これまたわたしと同感だったのでしょう。何ということだろう?たしかに運動負荷心電図検査の病変診断能は他の近代的なモダリティに比べると決して優れてはいませんが、でもやはりこれは基本。これをまず行うことで高価な検査をしないで済むかもしれない。患者さんにとってこんなありがたいことはないのに・・・”安いからしない”、なんて?

何かが壊れてきているような気がします。聴診器を持たない循環器科医やお腹の診察をしない消化器科医と似た違和感がわたしを襲いました。人間ドックで全員に行っている運動負荷心電図検査は無駄だから止めてはどうか?と提案しようと思っていたのですが、むしろ貴重なのかもしれない、と思いなおしつつあります。

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年輪

もう30年以上も続いている心臓核医学の研究会に行ってきました。むかしは、前夜に夜中まで痛飲して当日は半分方居眠りしていたものですが、最近はそんな元気もなくなった分だけ研究会自体がとても勉強になりました。

壇上でレクチャーしているN先生、声はむかしと変わらないけれど、ごま塩頭の風貌に「歳取ったなあ」と思わず呟いてしまいました。彼を初めてみたのは20年以上前・・・新進気鋭の勢いのある若い先生で、わたしのイメージの中ではずっと万年青年のままでしたので、ちょっとショックでした。よく見たら座長のK先生も姿がわたしの記憶の中にあるK先生の姿と全く違っていました。研究会や学会の壇上に居られない限り、すれ違っても”どっかのおっちゃん”としか思えないかもしれません。それはきっとわたしの記憶のファイルの中にインプットされている顔写真が若い頃のままになっているからです。この写真の差し替えは、お会いする度に行っているつもりなのに、いつの間にかリセットされてしまうのです。

もっとも、以前の上司や同僚と久しぶりにお会いする度に「先生、歳取ったねえ!」と云われますから、結局、20年の歳月は皆に平等に年輪を与えていることが良くわかります。アンチエイジングの努力が足りなかったのかもしれませんが、わたしなんかと違って、すでに日本を代表する大先生や大学教授になっておられる彼らに師事する若い先生方は、彼らを今の風貌でファイリングしているわけです。年齢は突然進みはしません。その連続性の中で、一緒に歳をとっていく人間は、同じ列車の中に居るがために列車そのものが前に進んでいることに気付かないところがあります。だからいつまでも若いままでいる錯覚にとらわれるのでしょう。

そんな、妙な感慨にふけりながら、新しい知見のレクチャーを拝聴いたしました。

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受動喫煙

しつこいようですが、九州予防医学研究会の話題から最後にもうひとつだけ(わたしの覚えのために)。

奈良女子大学保健管理センターの高橋裕子先生は艶やかなお着物姿で相変わらず元気いっぱいの講演でした。もちろん高橋先生といえば禁煙マラソンで代表される禁煙指導のパイオニアです。<予防医療に役立つ禁煙の最新知識>と題されたお話は、ぐいぐい強引に聴衆を引っ張り込んでいくパワーがありました。

 ●箱に表示されたニコチンの数値が低いタバコは値が高いタバコより明らかに有害。
 ●非喫煙者(受動喫煙者)の方が喫煙者よりも心臓病になる人が多い。
 ●喫煙者から7m離れているくらいではいつもタバコの煙に暴露する。17m離れていても時々暴露する(室外の話~室内は論外)。それが受動喫煙の常識。
 ●急激なニコチン濃度の上昇を定期的に経験するとニコチン中毒になる。ニコチンは肺に吸い込まれたあとにゆっくり体内に入ると思ったら大間違い。口の粘膜から数秒で入っていく。その点、ニコチンパッチは皮膚からゆっくり吸収されるから有効である。
 ●ニコチン切れは食欲を増させる。だから禁煙すると体重が2~5kg増える。その点、薬剤を使った禁煙治療の方が太らなくてすむ可能性が高い。
 ●女性は吸っている本数が少なくてもやめられない。だからタバコ代値上げの影響も受けにくい。残念ながら本数が少ないと禁煙外来の保険診療の適応にならないけれど、市販のニコチンパッチが有効である。

どうでしょう。喫煙者も非喫煙者も、ヤバイ!と感じていただけたでしょうか?

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意識の切れ目

カウンターのお嬢さんが、やさしく微笑みながらわたしに向かってとても丁寧に対応してくれました。とてもすっきりした気分になれました。よく教育されて洗練されていることが見て取れました。

「ありがとうございました」・・・お礼を云ってその場を立ち去ろうと数歩歩いたときに、「あ、そうだ」・・・一つ聞き忘れたことがあったのを思い出して振り返りました。「あの~」と云ったとき、すでに次の相談の方にやさしい微笑みを向けようとしていたそのお嬢さんが、ちらっとわたしを一瞥しました。その無機質な表情から、明らかに意識がこちらを向いていないのがわかります。一応簡単に対応していただきましたが、もはやその目はわたしを見てはいないことを感じました。

わたしが健診で診察をしている最中にも、ときどきそんな刹那があります。診察室の出口までエスコートして「お疲れさまでした」とあいさつをしながら受診ボードをアテンダントさんに渡したとき、その受診者さんから軽く声を掛けられることがあります。口では返事をしているものの自分の手には次の順番の受診者ボードが握られており、明らかな生返事です。今の自分を客観的に見たら、きっと冷たい顔をして焦点の合わない目をしているのだろうな、と思います。

「意識の切れ目」・・・そのときの対応がそれまでのすべての対応の印象を決めることを実感した以上、なかなかむずかしいのだ!などと容易に言い訳をせず、愛をもってお返事しなければなりますまい。

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心雑音

「軽い心雑音が聞こえます。」・・・健診の診察の際に、軽く首を傾げながら聴診器をはずしてそう云いましたら、その女性はすかさず、「ああ、時々云われます。たしか学生のころから云われてきました。」と慣れっこな口調で答えました。

もちろん、わたしが循環器内科医であることや聴診器が循環器科用なために、細かく聴き取りすぎた感は否めませんが、その気になって聴けば診察の際の心雑音聴取はそう珍しいことではありません。心雑音は血液の流れが心臓の壁か弁膜に当たるときに聞こえる反射音です。ですから、心雑音が聴こえることがイコール弁膜症や心臓に穴が開いているなどの心臓病の存在を示すわけではありません。高血圧や貧血が強い方にもよく聴こえますし、それがなくても若い女性などには聴こえることがあります。これを「機能性心雑音」と呼んでいます。その心雑音が病的なものか気にしなくていいものかは、循環器専門の医療機関で心エコー検査を受ければ簡単に区別できます。むかしは聴診器ひとつで病気があるかないか、重症か軽症かを識別できる医者を「名医」と云っていましたが、正直なところその中には間違い診断も少なくなかったようです。ですから、気になるときはあまり意地を張らずにさっさと心エコー検査を受けることを勧めています。

さて、冒頭の女性です。50歳前後のその女性の雑音はきっと高血圧に伴うものだと推測されました。でも若いときから「心雑音」ということばに慣れっこになりすぎている感じを受けたので、あえて忠告しておきました。「心雑音にもいろいろ種類があります。もしかしたら学生のころの心雑音とは違うものかもしれません。もし主治医の先生が検査を勧めたときには必ず受けてみてください。」・・・むしろ昔からその所見名だったために新たに出てきた病気の発見を遅れさせる場合がある、それはちょうど「機能性血尿」の方々と似ています。

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諦めと風化

日本抗加齢医学学会からは米井嘉一先生の軽快・明快な講義が一時間。その中で「老化とはなにか」の話題だけ抜粋します。

  「老化」とは、「さびる」「しぼむ」「風化する」・・・酸化ストレス(フリーラジカル)による酸化(「さびる」)、細胞数や細胞の重さの減少(「しぼむ」)、そして生き甲斐がなくなる・生きる目的を失う=精神的弱体化(「風化する」)。自分を考えてみると、「さびる」「しぼむ」に対してはいつも食を考え、日々フィットネスセンターに通って努力していますが、「風化する」は簡単には対抗できません。最近マイブームで読んでいる和田先生の「40代からの節制は寿命を縮める」(朝日新書)にも奇しくもでてくるキーワード「体力の老化は、感情の老化から始まる~諦めと我慢が『感情の老化』を招く」と相まって、妙に今の自分に響きます。ほんの5年前、仕事もプライベートも軽いフットワークで何でもこなせる気になっていたころと比べると、一気に歳をとった気がするのは、やはり生き甲斐とやり甲斐への興味が失せてきているからなのでしょうか。

先日、ある女性がわたしを尋ねて来られました。半年前、「もう一度、女を取り戻してみます。」と云って帰っていったブライダル関連の経営者のこの女性のことはよく覚えています。「今までいろいろなダイエットをやってみたし、先生の話も聞いてきたけど、ちっとも変わらなかった。そんなわたしのココロが、あの時先生と話しているときに変わりました。仕事は全部ダンナに押し付けて、わたし、もっともっと若返ってみせますよ。」・・・半年で7kg以上やせたということよりも、本当に表情が華やいで若々しくなったのがとても印象的でした。「わたしのココロを変えてくれた先生に、一言お礼を云いたくて。」・・・奇しくも、「諦める」が老化の最大の敵であることを知り、「自分がきれいになる」ことを愉しめるようになった彼女は、本当にうれしそうでした。

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思いがけないメタボの真実

九州予防医学研究会で、琉球大学の益崎裕章先生のお話を興味深くご拝聴しました。小胞体(ER)ストレス病を軸にしたいろいろな現象に明確なご説明をいただきました。

●アルカリ化療法
  肉食と野菜不足の食事はカラダを酸性に変える~尿PHが年々直線的に下がっていくグラフはとても驚異的でした。この現象とメタボ人口の増加が並行していることから「アルカリ性に変えたらメタボは改善する?」と発想できるところが科学者です。そして本当にアルカリ化剤投与の動物実験でメタボ改善が実証されたのです。人間もまた、カラダをアルカリ性にできるクスリでメタボ改善が容易になる日が来るかもしれません。

●アスパルテーム
  以前ここで話題にしたことのある物質です。カロリーオフの飲料には絶対的に大量に入っている人工甘味料「アスパルテーム」。子どものときにこれを口にすると太りやすくなるという事実をもっと声高に公表していただきたい。カロリーオフだから選んでいるのに高脂肪食を食べた人より太りやすいそうです。糖尿病や脂肪肝にもなりやすいそうです。しかもこれを摂るともっと高脂肪食が欲しくなるそうです。これが大人には見られず、子どもにだけ見られるからこそ怖ろしいことです(脳がまだ未熟な段階で脳関門をアスパルテームが通過してしまうのではないかと)。お母さんがきっちり知っておかないといけない事実・・・一番効果があるのはテレビだけれど、スポンサー企業に気を遣わずにそんなことを云えるのは「ためしてガッテン!」くらいなものか?

●原発性アルドステロン症
  高血圧症の約10%に見られる原発性アルドステロン症は、酸化ストレスの影響を受けやすく、医療者のような不規則な仕事をする人に多いという事実も初めて知りました。高血圧のくすりを内服していても合併症を起こしやすく、さらにうつやパニックにも関与するというから、高血圧症の人は是非一度チェックしてもらってください。かくいう高血圧症治療中のわたしも調べてみなければ・・・。

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26ショック

今年の九州予防医学研究会は沖縄で開催されました。わたしは生まれて初めての沖縄上陸で少しばかりウキウキしました。

沖縄は、2000年(平成12年)にいわゆる「26ショック」あるいは「沖縄クライシス」と呼ばれる大きな事件がありました。この年、沖縄県男性の平均寿命が初めて1位から26位に転落したのです。65歳以上の世代では今でもダントツ一位なのに、50歳台から下の世代で明らかに生活習慣病とメタボが急増しているという事実。子どもの頃からアメリカ型のライフスタイルに触れた世代は、もはや「沖縄」ではなく本土と同じ(むしろもっとアメリカナイズされた)状況だと云わざるを得ません。

沖縄県民の男性2人に1人は肥満です。「小太りの方が長生きだ」という理論の裏付けにされてきた沖縄・・・「沖縄では多くが太っているのに長寿で健康だ!だから無理してやせるべきではない!」という主張の根拠になってきました。ところがその一方で、「沖縄の男性は太ってメタボ体形ばかりになった。だから平均寿命が26位に転落したのだ!」と、現場の学者さんたちは危機感を抱いている様子です。統計学というものはその解釈と利用の仕方次第でまったく逆のデータの根拠にされるので要注意です。

沖縄の伝統的食事が健康長寿の根拠であることは周知の事実です。それがいいことだとは分かっていてもアメリカ食に慣れた若者の舌がその伝統文化継承に動くことはできるのだろうか?その懸念を懇親会の席で聞いてみました。忙しい生活の中で伝統食をきちんと作るのは難しいけれどせめて学校給食ではそんな献立を模索しているとの答えでした。「26ショック」・・・色めき立って慌てているのは医療者や学者たちだけで、現地の若者たちは日本本土の若者たち同様に、青春を謳歌しているように見えました。

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雑食のすすめ

三泊四日で沖縄に出張してきました。

連日の沖縄料理のオンパレードで、同行の若いスタッフの多くは「さすがにもう沖縄料理は見たくない」とギブアップ宣言しておりました。たしかに濃い味と豚肉の脂とそしてあの量・・・どっしりとお腹に響くだけでなく鼻につくにおいは慣れないうちは辛いかもしれません。「もう一回食べたら、沖縄がキライになるかもしれない」とまで云うスタッフも現れました。そんな中、実はわたしはそれほど堪えませんでした。チャンプルもテビィチもソーキもそしてそれ以外の名前もよく知らない料理までもとことん食べ尽くしまして、はち切れそうなお腹でホテルに帰りはましたが、翌朝にはごく普通の状態に戻っていました。何より驚いたのは、この旅の間にまったく太らなかったこと。むしろ姿見に映るわたしのカラダは出発前より締まって見えました(これはちょっと言い過ぎか)。

もちろん食べた量以上に動いたからなのかもしれません。奇しくも沖縄料理の栄養学的理論や歴史・文化的裏付けの講義を受けるために沖縄に行ったわけですが、でも実感として思うことは、学問的な理屈ではなくてやはりこの「雑食」とも云える多彩な食材が自然にごったに混ざった料理だからこそ、カラダが自然に受け入れられるのだろうということ。福岡からの帰りのJRの中で読んだ『40代からの節制は寿命を縮める』(和田秀樹、朝日新書)にも出ていた、「我慢しない食生活~節制よりも、雑食を心がける」のことばが、妙に心に残った旅でした。

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しわ

最近、鏡に映るわたしの顔に、頓に”しわ”が増えました。シミも増え、下方偏位も顕著になりました。ボツリヌス菌毒素の注射(ボトックス)をする気にはなりませんが、せめてアンチエイジングとして、まちっとお肌のお手入れを入念にしなければと思います。

ところで、”しわ”。目尻にできるしわは”カラスの足跡”と呼ばれ、特に妙齢の女性にとっては目の敵のようですが、実質”笑いしわ”なわけですから、若いときから表情豊かに笑ってきた証だと思った方が健康的です。人相学的には、特に上向きに伸びる目尻のしわは幸福を呼ぶのだそうです。一方で、眉間にできる”しわ”・・・縦であれ横であれ、昔から顔相を悪くさせ、自殺した有名俳優さんの名前を出して「早死にする”しわ”」と云われます。クセによってできるしわだから、顔をしかめたり目を細めたり怒ったりしない人生を送りなさい、とわたしも若い頃からよく云って聞かされてきました。

”しわ”は生きてきた人生の証・・・どうせできる”しわ”ならば、自他共に気分の良い”しわ”でありたいものだと思います。あるホームページの記事を読んでいたら、「しわの原因は、紫外線、ホルモン低下、たばこ、洗顔のし過ぎ、コンタクトレンズ」だそうです。ん?コンタクトレンズ?・・・コンタクトレンズを長年使っていると、日々の装着によって目に疲れが出てきてしわができやすいのだとか。「元々一重まぶただった人がコンタクトレンズを装用するようになって、二重まぶたになったという例もあります。二重まぶたもしわの一種といえます。本人は美容整形もする事なく二重になれたと喜んでいるようですが、かなりの眼精疲労によりまぶたがやせてしまった結果です」 ・・・あ~これ、わたし。たしかに疲れ目の時の二重まぶたは尋常じゃないです。そうか~、疲れ目なのか~。

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金がかからないから

「おもしろいもので、金がかからないと人間はいい加減なことをするもので、だから料金はちょっと高めに設定しておいた方が意外に真面目に取り組みますし、そっちの方が食いついてくれるものです。」

人間ドックの検査料を決めるのと同様に、生活習慣病改善のための商品を売り出すときの料金設定をするときに、よくこんなまことしやかな説明を受けます。たしかに、それは正論だと思います。企業や保険者さんが費用を払ってくれる特定健診がなかなか画期的な成果をもたらさないのは、どうせうまくいかなくても他人の金だから(タダだから)と思ってしまうからかもしれませんし、その点、自腹を切って参加している人の目の色が違うのも事実です。お金持ちさんがフィットネスクラブの会員になっても結局幽霊会員のままだったりするのも同じ理由かもしれません。

でも、逆も云えるということも忘れないでほしいと思います。金がかかるならまったく無視していたかもしれないけれど、無料だからこそ自分の健康に目を向ける機会をもらって、初めて自分の病気に(自分が病気だと云うことを初めて理解して)立ち向かう気になったという人たちは、意外にたくさんいます。単に報告書にまとめられた統計を読んでいるだけの管理者にはほとんど気づくことができないだろう現実を、現場の担当者はもっと声高に主張してあげなければならないのではないでしょうか。

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納豆を食べられるワーファリン?

「先生、納豆を食べられるワーファリンがあるんですか?わたしの従弟もわたしと同じような薬なのにわたしと違って納豆を食べても良いらしいのです。そのことをわたしの主治医に聞いたら、『そんなものはない』と云うのです。」・・・わたしにそんな相談をした高齢の女性は、弁膜症に対して人工弁置換術を受けたのでワーファリン管理を余儀なくされています。ビタミンKの拮抗剤であるワーファリンは、納豆を食べるとほとんど抗凝固効果が落ちてしまうために、基本的には納豆禁です。

そんな抗凝固療法の世界に新しい時代が来ようとしています。凝固系に作用する新しい薬(Xa阻害薬、トロンビン阻害薬)が国外ではすでに採用され始めており、これだと納豆の心配だけでなく煩わしい採血検査や量の微調節も要らないようです。残念ながら日本採用はまだまだ先だと思われますので、今は一般病院では処方されない、というのが正解です。

ただ、話を良く聞いてみると彼女の従弟が云うのはどうもこの新薬のことではないようです。現在一般診療で使われている抗凝固剤にはワーファリンやヘパリンとは別に、アスピリン系や抗血小板薬(シロスタゾール、チクロピジン)があります。これらはワーファリンとは作用機序がまったく違いますのでもちろん納豆を食べても何の支障もありません。むしろ納豆は血液をサラサラさせるので奨励すべき食材ということになります。脳塞栓予防にはワーファリンだけれど脳血栓予防にはチクロピジンやアスピリンの方が有効だとか、この辺はちょっと複雑なので省略しますが、要するに、この女性とその従弟さんとはまったく違う薬を飲んでいることになります。そして機械弁置換術後のこの女性は今のところワーファリンでなければならないので、やはり大好きな納豆は当分食べられません。もっとも、どうしても納豆を食べたいときは毎日同じ量の納豆をきちんと食べた上で大量のワーファリンを服用する、という掟破りの方法もありますけれど・・・。

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低脂肪食

「やっぱ、アブラもんはカラダに悪いんでしょうね?お酒も止めた方がいいんでしょうね?」

ある74歳の女性受診者がそう質問しました。矍鑠(かくしゃく)とされて現役の社長をされている彼女は今でも週2回は会合を兼ねた宴席に出なければならないのだそうです。今回の健診結果を眺めてみると、胆石を認めた他は、体重が年々増加するだけで特に大きな異常はありません。いわゆる年齢相応の検査データ。年々太っていくわけだし、胆石もあるわけだから、たしかに敵は「高脂肪食と高カロリー食と酒」・・・ご本人のおっしゃるとおりなのですが・・・。以前、ある先生が、「わたしは乾杯したらさっさと薄い水割りに持ち替えてビールをついで回るから、ほとんど呑まなくて済む」と自慢されていました。「会合だから仕方なく呑んでいる」とか云っても、結局は好きだから呑むのであって、「精進料理をつまみながらウーロン茶を飲むくらいなら口実作ってその場には行かない!」とそのときに思ったわたしと、彼女は同じにおいがします。

「食事量に合わせて、胆のう・胆管が収縮して、胆汁が分泌されます。規則正しい食生活をして、過食は避けるようにしましょう。規則正しい食生活は、胆汁濃度を一定に保ち、胆石の生成を予防することにもなります。胃液の分泌を促進するアルコール、炭酸飲料、香辛料、カフェインを含む飲料は避けましょう。」・・・胆石・胆嚢炎に対する低脂肪食のレシピにコメントされた管理栄養士の宗像伸子先生のことばを読みながら、理屈で食事して楽しいのかなあ、とついついわたしの持論が浮かんできてしまいました。このご年令でこれだけ活躍されている方ですから、胆石がある、体重が重い、ただそれだけであれば少なくとも現状以上の摂生は要らないと思います。

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スポートロジー

ある医学雑誌を読んでいたら、糖尿病研究の第一人者である順天堂大学の河盛隆造先生の肩書きが『スポートロジーセンター センター長』になっているのに気づきました。

『スポートロジー』?・・・わたしが不勉強なのか、初めて聞くこの学問に妙に興味が湧いきました。以前、同僚が「そんな怪しい学会はやめておけ」と忠告されたのに入会してしまった「日本抗加齢医学会」を初めて見つけたときの感動にちょっと似ています。検索したら、「国際スポートロジー学会」~まさしく生まれたばかりの学会~のホームページにたどり着きました。それが何者であるかは同ホームページの「設立趣旨」を読むとわかりますが、スポートロジー(=スポーツ学)は整形外科やトップアスリート育成の単なるスポーツ科学ではなく、"スポーツと健康”をキーワードにし、スポーツと健康の関わりを科学的にアプローチすべく新規に定義した学問体系なのだそうです。

概念はよく分かるけれど、そんな雑多な学問が系統的に展開できるのか?各論を想像したときにちょっとそんな懸念をしたのですが、くだんの河盛先生が所属する順天堂大学スポートロジーセンターの組織図を見るとわかりやすいと思います。スポートロジーセンターにはメタボリック部門と健脳部門と骨力筋力部門があります。脱メタボと脱ボケと脱介護・・・それらは人間ドックセンターやスポーツ健康医科学研究所などとは別組織でリンクしています。

もう少し、概要を眺めて今後を注目してみたい分野です。とか云いながら、わたしはきっと早々に入会することでしょう。

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1/f ゆらぎ

わたしも、おそらく世間の皆さんと同様、<1/fゆらぎ>ということばを知ったのは何かの家電製品(たぶん扇風機だな)のCMからだったはずですし、遠い昔、我が家を建てた時に奮発して天井に電動ファンをつけたときも<1/fゆらぎ>というスイッチに感動したものです。まるで<巨人の星>の星飛雄馬が投げる大リーグボールのようなイメージだけが頭の中に浮かんでますが、いまだに今ひとつ実体を掴めません。

でも、自然界はこの「ゆらぎ」(=ものの予測できない空間的、時間的変化や動き)でのみ成り立っているのであり、そよ風は決して一定には吹いてくれません。もちろん、人間のカラダもゆらぎ、特に1/f(f:周波数)ゆらぎのリズムに支配されているのです。

知ったかぶりしてもきっと最後まで何も書けないだろうから、わたしの知っている<1/fゆらぎ>についての知識を書きます。
●<1/fゆらぎ>はとても心地よい・・・せせらぎや潮騒、音楽や絵画の濃淡まで
●自律神経支配も<1/fゆらぎ>である・・・このゆらぎがないと心拍変動がなく、そうすると糖尿病や不整脈発作による突然死が起きたりします。

理解できない自然の摂理を、「神秘」ということばで置き換えてしまうのは、人間が、森羅万象のすべてを理論と秩序で説明できないはずはない、という思い上がりを抱いているからに他ならない気がします。

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かくれ不眠

2月3日と毎月23日は「不眠の日」だそうです。

今回、「睡眠改善委員会」が立ち上がったというニュースが出ていました。その中に『かくれ不眠』という概念が定義されています。"専門的な治療が必要ではない軽度かつ短期的な不眠症状があり、良い睡眠への積極的な対処を行っていない状態”をそう呼ぶそうです。エスエス製薬が行ったアンケートでは20~49歳の約8割が「かくれ不眠チェックリスト」に該当項目があったと書かれていました。「起きたときによく寝たと思えない」・・・わたしも、その感覚、最近特に感じるようになってきました(もっともわたしはこのアンケート対象の年齢から若干外れますから、単なる『老化』かも・・・)。

何しろ、<眠らない国>世界第2位の日本の中で、我が家はさらに宵っ張り家庭です。風呂は午前0時を超えないと沸かさないし、2時頃寝るのもめずらしくありません。それで6時には起きるのが習慣で、最近何となく一日中眠いようなだるいような感覚が続いています。寝付きは悪くはないのだけれど、たしかにスッキリ爽やかな朝という感覚があまりないなあと思います。かといって日曜に遅くまで寝ていることもできず・・・。「睡眠は仕事の一部。パフォーマンスのために睡眠時間にすごく気を遣っている。」という東尾理子さんのようなプロとしての考え方、しっかり学ばなければなりませんね。

ちなみに、わたしがチェックシートで該当したのは、
・よく昼間に居眠りしてしまうことがある
・起きたときに「よく寝た」と思えない
・夜中に何度か起きてしまうことがある
・仕事が忙しいと、寝ないで夜遅くまで頑張ってしまう
の4項目でした。是非、自己チェックしてみてください。

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脾動脈瘤

医療の検査機器は年々高性能になっていきます。健診や人間ドックで行う検査も新しくなっていきます。

先日、50歳の男性がうちの施設で行っている大腸CT検査(大腸に空気を入れてCTを撮り3Dの大腸画像を作り出すことで大きなポリープなどの病変を検出する)を受けました。この検査は、大腸に大きな病変があるかどうかが大腸内視鏡検査を受けなくてもわかるというのが売りです。その画像の読影をしていた放射線科医が浮かない顔をしました。「大腸には大きな問題はないのだけれど、小さな脾動脈瘤を見つけてしまった。本人に教えるべきだろうか?」というものです。

「五臓六腑」の「五臓」に名を連ねる脾臓の主な仕事は老化した赤血球の破壊と除去です。その脾臓の動脈に瘤があるわけですが、1cmΦにも満たない小さな動脈瘤があるからといって手術適応ではありませんし、特に生活制限が必要なわけでもありません。なのにその存在と意義を話すことで返って本人が爆弾を抱えているような重い気持ちになりはしないか?という悩みです。確かに左の背中を強く打ったときに(格闘技・柔道や事故など)破裂するかもしれませんが、それだからと云ってことさらに強調するべきではないのではないか?大腸内視鏡検査を受けている限り見つけることがなかった病気。見つけておかなければ、将来不幸にして破裂するような破目になっても何ら後悔することはないだろうに・・・。いらないものを見つけだして「困ったな」みたいなことが、これからも少なくないことでしょう。

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食べないと、

食べないとやせるものなのですね。

先週の月曜日に大腸検査を受けました。前日に「大腸内視鏡専用検査食『クリアスルーJB』(キューピー)」というものを戴きました。検査の数日前から低残渣食を食べるように留意するだけではなく、検査前日に食べられるのは準備されたレトルト食材の昼食と夕食(545Kcal)です。朝食の食パン2枚を加えても1000Kcalにも満たない食事でした。

目の前で「なんか悪いね」と言いながら天ぷらとフライを一気に平らげる妻の姿を見ても、「こんなに食事の番組とCMが多いのか」と感動しながら一日中テレビの前に居ても、特に羨ましいとは思いませんでした。「今日は食べたらいけない日」と分かっているから、アルコールを飲めないことも意外に気にならずにおれました。日頃から朝食を食べないわたしでもさすがに朝からお腹は空き空きでしたが、「オレは朝から何も食ってないんだぞ!」と意味もなく怒鳴る受診者さんを思い出しながら、別にイライラはしないものだな~と冷静な自分にさらに感動し、「やればできるじゃん!」と自己満足するわけです。

でもね、分かっています、「食べてはいけない日」だからできるということ。「明日も明後日もこの食事が必要」と云われたら「必要ならしょうがないな」と自分に言って聞かせることはできます。でも、「今日は頑張って食べないでみよう!」などと思っても、迷うことなく目の前で食べている妻のおかずに「一個ちょうだい!」と手を出してしまう・・・わたしはどうせ軟弱者なのです。「やる気になればいつでもできる」は「やる気にならないとやらない」ということ(「女は・・・男は・・・」2008.2.5)、よくわかっています。

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Y先生の手荒れ

最近、診察をしていると自分の指先がカサカサになっているのが気になります。触診しているときに痛い思いをさせているのではないかと懸念します。冬場に皮膚が乾燥するのは当たり前だとしても、こんなに目立つようになったのは、やはり歳なのかしら。

この季節は職場の職員健診が行われています。先日、わたしより3、4歳年上の某先生を診察しました。手首で脈を触っているとき、両手が皸(あかぎれ)のように赤く荒れているのに気付きました。「先生、えらく手が荒れていますね。」・・・思わずそう呟(つぶや)きましたが、先生自身はあまり気に留めていない様子で、「ああ、これね。たぶん頻回に消毒液で手を洗うからじゃないかな。」と答えながら診察室を出て行きました。

そういえば、若いナースや技師さんなどの中にも、妙に手だけが荒れていて「一体あなたは何歳?」と聞きたくなるようなシワシワの掌のひとが少なくありません。くだんの先生をはじめとする医療従事者は、とかく感染予防の観点から頻回に消毒液で手を洗うのは当然の行為であり、そのために手荒れするのは止むを得ないことと思い込んでいるふしがありますが、それは本末転倒ではないかとわたしは常々思っています。

云うならばそれは明らかな「労災」・・・「経皮毒」の象徴のような被害で、手荒れだけでなく、その消毒液は体内臓器にまで影響を与えるのだということを、医療従事者はもう少し意識した方が良いのではないでしょうか。菌を殺すほどの薬液が健常な皮膚を冒さないはずがありません。まあ、だからといってコンビニで無条件に入れてくれるウェットティッシュを意地で店員に返すわたしはやりすぎかもしれませんが・・・。自分のカラダを蝕んでまで他人のために行う行為=「何でも消毒液で手洗い」は自殺行為にしか思えません。

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誤解

有給休暇の日に日頃担当しているルーチンワークをこなしに職場に行きました。顔見知りの職員が自分の私服姿をみて怪訝そうな顔をしました。仕事を簡単に終えて早々に帰っているところを職場の幹部に見られました。別の日には、ある講習会に出席するために業務終了時間ギリギリに職場を離れようとしたところでたまたまその幹部に出会いました。職場のために取った資格を更新するのに必要な講習会です。「みんな働いているのにもう帰るのか?」という険しい顔でこっちを見ているのがわかりました。

そして、その数ヵ月後に直属の上司を通して注意を受けました。「○○先生は真面目に仕事をしていないのではないか?と噂されているから注意しなさい!」と。「褒められることはあっても非難されることは何もしていなでしょ!」と反論すると、「そういう風に説明しておかないと誤解されたままで損をするぞ」と更に忠告。「どうして、そんな勝手に勘違いするような能無し幹部の機嫌取りするために言い訳しなけりゃならないんですか?それでわたしの給料が削られるのでなけりゃ勝手に思わせておけばいいです!」・・・気色ばってその場を立っていったのは、もう何年前になるでしょう。

こういう形の誤解は、職場でもプライベートでも良くあることだと思います。わざわざその場で説明しなくても、きちんとポリシーを持ってやっていればそのうち誤解だということは分かってもらえます。ただ、それが誤解だと分かったとしても、たとえばその幹部にとって、このわたしに対して描いてきた人間像を始まりから修正することはまずありません。誤解を元にして観察されたその後のわたしの日常の姿は誤解が生じないままに培われてきた姿とはまったく違う印象に成長していくからです。今思えば、どんなに理不尽でも、どんなにみっともなくても、誤解は誤解であることを早い時期に修正させておいた方が良かったかもしれないなと思います。

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必要な存在

わたしが産業医をしている企業で、2年ぶりに復職を希望している若者がいます。5年近く前にわたし自身がうつになろうとしたときに初めて会った人です(「円形脱毛症」)。自分の存在価値に悩み苦しみ、そのまま体調を壊してドクターストップがかかってしまった彼女が、今回の復職にあたってその答を準備できたわけではないでしょう。

「自分はこの職場に必要な存在なのか?」と悩み、その答として「存在価値がない」と結論付けたからうつになる・・・彼女の場合もわたしの場合も、そうでした。当時の彼女はそんな自分がイヤになり、それでもここで辞めたら自分が負け犬になると云ってしがみついていました。

人のこころは不思議なもので、「べつに必要な存在でなくてもいいんじゃない?」と思ったときから、突然楽になります。組織にとって自分が必要な存在であるとかないとかいうことよりも、自分にとって今の仕事が必要なものかどうかの方が自分の人生でははるかに重要な問題だからです。「組織にとって必要な存在」だからこそ日に日に疲れていく人たちを眺めているとかえって彼らの人生が心配になったりします。

ただ、そう割り切ることで危機を脱したつもりのわたしでも、この歳になると、こころは毎日揺れ動いています。上司たちはこんな自分をみんな内心白い目で見ているのではないか?部下たちは期待はずれな自分にみんな失望しているのではないか?組織の中にいる以上は、もう少し組織のために職務以上のことをするのが人の道ではないか? ・・・なかなか悟りを開けません。

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生活習慣病とは何か?

新年度に、うちの施設で行っている生活習慣病改善のためのプログラムを一部手直しすることになりました。その中で、3ヶ月めのメディカルチェックを省略して、特定保健指導に準じて<体重・腹囲・血圧測定>だけにしたらどうか?という意見が出ました。これだとサラリーマン諸氏が昼間に仕事を休まなくても良い(夜でもできる)から入会しやすく、売り込みしやすいと云うのです。それを聞いてわたしは猛烈に反対しました。

何か考え方を間違えているのではないか?世の中で、「生活習慣病の生活療法」=「特定保健指導」という勘違いが定着しようとしているのではないか?それはとても怖ろしいことだと思います。国が進めている特定保健指導はあくまでもメタボリックシンドロームへのアプローチであり、肥満へのアプローチです。でもそれは「生活習慣病」のごく一部に過ぎないことを忘れてはいけません。肥満も内臓脂肪蓄積もない高LDLコレステロール血症の人がさらに痩せたかどうかを測っても無意味です。高血圧のない脂肪肝の方が血圧測定を受けても指標にはなりません。頑張りを評価する指標が<体重・腹囲・血圧測定>ではない生活習慣病の方にとって、3ヶ月目の採血はモチベーション維持にとても重要ですし、頑張ってきた運動のやり方に間違いがなかったかを判断する指標は体重減少の有無ではありません。

せっかくメディカルチェックの機会があるシステムなら可能な限りそれをした上でアドバイスするのが本人のためであり、それをしないのならわざわざこのプログラムに参加する意味がない!そう叫びながら、「生活習慣病」ということばの定義が健診現場であやふやになってきている危機感を感じてしまいました。

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「とりあえずやせればよい」?

「うちの職場に健診機関の保健師がやってきて『何はともあれやせればいい。やせればデータは必ず良くなるから』って云ったんです。」

労災二次健診を受けに来た男性が、検査結果を見ながらそう云いました。「あ、それはウソです。」・・・わたしはちょっと意地悪そうにそう否定してあげました。彼の場合、3ヶ月前の健診のデータと比べると、体重は2kgほど減っていましたが、血糖もLDLコレステロールも血圧も若干悪化していました。もちろん、運動と食事とを今後も意識してやって行けばもう少し数字はよくなると思います(某健診センターの判定はいつも厳しいので「へえ、この程度でひっかけられるんだ?」と驚いたくらいの数字でした)。

それにしても『何はともあれやせればいい。やせればデータは必ず良くなるから』は、分かりやすい云い方だけどさすがに乱暴でしょう。特定健診、特定保健指導が始まって以来、保健師さんはとにかく痩せさせることに必死になっています。国が定めた特定保健指導が上手くいっているかの判定材料が<6ヵ月後の体重・血圧・腹囲の改善度>だというのもそれに拍車をかけていると思います。でも、痩せたからと云ってデータが改善しないことは良く経験することですし、逆にほとんど体重が変わらなくても採血データが劇的に良くなることも少なくありません。怪しい企業の怪しい保健師さんならともかく、公的機関のしっかりした保健師さんだからこそ、きっと他にも何か云ったのだろうけれど彼がそう覚えていたということは、やはり云い方を考えてほしいなと思いました。

もっともうちの施設の保健師さんも少なからずそう思っているキライがあります。3ヶ月頑張ってデータ改善が得られたのに、「頑張ればまだ痩せられそうなんですよね。もうちょっと厳しくやってみましょう」と張り切っている保健師さんをみていると、それは違うんじゃないかな?と思うのです。

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