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「想定外」は「想定内」へ

被災された皆さんのニュースの中で、「電話回線がつながったのに電話番号がわからずに掛けられない」という話がありました。最近はみんな携帯電話に登録しているので覚えていないのだとか。その携帯電話の電源が入らない限り全く情報がないという。

たしかに、いつの間にかわたしもそんな生活になりました。若い頃は10件くらいなら、少なくとも親せきや親しい友人の番号くらいは覚えていました。今は妻の実家の電話番号すら自信がありません。家にある住所録も5年前まではプリントアウトしていましたがやめました。パソコンが壊れるとパーなので記憶媒体へのバックアップはしていますが、どっちにしても電源がない限りただの不燃ゴミ・・・。全くもってどうしようもありません。

いつの間にかわたしの情報の大多数が本当にコンピューター支配下になりました。「電気がある」は大前提です。先日、職場環境を眺めてみたら、停電が続く限りまったくもって無力だということを痛感しました。膨大なデータベースも何の意味もありません。それは存在しないに等しい状態です。今、一生懸命頑張っている『電子カルテ』って、意味があるのか?先日開発担当者はサラッと流しましたが、今回の大震災のようなときに最低限でも対応できるだけのバックアップ方法は「設定済み」と信じていいのか?こんな時期だからこそ、もはやそれを「想定外」のできごとと云って済ますわけにはいきません。

くだんのテレビで語っていた通り、昔の電話機(黒電話)は停電でも使えたし、巷に公衆電話はたくさんありましたが、どちらも今はほとんど存在しません。使われないものは無駄だから排除されるのはやむを得ません。だからアナログ世界へ後戻りすべきだ!というわけにはいきません。ただ、今回の出来事があった以上は、こんな有事の際に対応できる<代わりの何か>を準備するのは「最低限の義務」になりました。みんなの知恵の集結が必要です。

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