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カラダがキズモノになった感覚

ある旧知の職員さんの健診結果を説明していました。アラフォーの女性です。

「だれだったか、師長さんがこないだ、『健診を受ける度に異常の項目が増えていく!』ってぼやいてましたけど、わたしもそろそろガタが来始めました。」
「・・・そうですか?○○さん。たしかに受ける検査項目が若い頃より増えた分だけ、異常を見つける機会は増えましたけど、○○さんの場合は問題になるような所見はまったくありませんよ。『異常なし』の判定が『軽度異常』に変わるのは、単に『少し歳をとった』という意味でしかないので、気にしない方が良いですよ。」・・・こともなげにわたしは説明しましたが、でも相槌を打ちながらも彼女はとても複雑な表情をしていました。

「そういえば、わたしもそうだったな」と若い頃を思い出しました。当時は健診結果なんかにまったく興味がありませんでした。それはもらった結果表が全部『異常なし』なのが当たり前だったからです。普通の人間がまっとうに生きていれば、健診結果は『異常なし』のはずだ!と確信していました。なのに最初に腎のう胞を指摘された日、矯正視力が思いの外低値だった日、萎縮性胃炎を指摘された日、そして採血結果も少しずつ基準範囲を外れはじめてきたとき、自分はもう取り返しの付かないカラダになったのだと感じました。もはや無傷の状態のカラダには戻りようがないのだ!と、そして二流・三流のカラダに成り下がったのだと・・・大げさに云えばそんな感じでした。

それが、今はすっかり慣れました。「シミみたいなもんですよ」と説明しながら、組織の老化なんて来ない方がおかしいのだと割り切っています。「老化」などという単語は遠い先まで無縁のものと思って居ましたが、意外に身近なモノでした。「老化」に慣れることは老化の近道になるから良いことではありませんが、悪あがきする彼女をながめながら、そんな区切りの世代になったんだなと思いました。

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