« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »

2011年4月

制限時速

「ここは制限時速50キロの道なのに、どうして40キロで運転してんだよ~!」・・・ひとりで山道の国道を運転しながら、前の自家用車のマイペースぶりにイライラしてついグチってしまいました。

大学時代、夏休みに自家用車を持っている同郷の同級生が里帰りするというので便乗させてもらったことがあります。「経済速度は大体50キロなんだよね。自分は制限時速の10キロオーバー以上は出さないことにしている。ただ、流れに乗ることは大事なことで、制限時速どおりに運転するのはまだ許せるとして、それより遅いのは周りに失礼だと思う。」・・・運転する同級生が、目の前の車のすぐ後ろにぴったりつきながらそんなことを云っていたのを良く覚えています。運転免許は取ったものの自家用車など持つことは出来ないわたしは、彼のことばがなんかスゴイ大人の話のように聞こえました。

そうか、わたしの運転中の走行速度の基準は、きっとあのときの友人のことばの刷り込みなんだな、と悟りました。それが正しいのか間違っているのか分からないので、他人に自分の考え方を主張することはしませんが、「これが自分の流儀だ」と思っていたものがほとんどそのまま「友人の流儀」だったということ=他人の受け売りって、意外によくあります。最初に刷り込まれた考え方って、なかなか払拭できないものなのですかね。

| | コメント (0)

くやしい視力

小さな文字が読めません。いや、もうかなり前から不自由していますが、最近頓に・・・。

「『近づけても遠ざけても、どんなことをしても読めないのよ!』というお母さんのことばが全然理解できなかったんだけど、最近それが実感できるようになったこと自体がくやしいのよね!」と、わたしと同じような悩みを抱えている妻がぼやきました。「すぐ慣れるよ、そんなこと。」と横やりを入れたら一層彼女のこころを掻き立てました。「その『慣れる』のがくやしいの!」・・・彼女はメガネを掛けていますから、近くをみるのにメガネさえ外せば何とか読めます。ただ、これまでは近づけていけば読めていた文字なのに、いつの間にかアタマをどんどん遠ざけている自分の姿に気づいて愕然としたのだと云います。

明るい昼間なら読めるけど夜の電灯の下ではどう頑張っても読めない、ということがわたしには良くあります。そこに文字があることはわかる。にじんでいるわけでも二重に見えるわけでもない。でも、それをアタマに伝える段階でそれが何という文字なのか、わからない・・・何を云っているのか、若い人には絶対理解できないであろうそんなことが、今や日常茶飯事です。

コンタクトレンズを遠くも近くもアバウトに合わせることで日常生活をこなしているわたしにも、ちょっと限界が近付きつつあります。<遠くがきちんと見えるコンタクトレンズ+老眼鏡>あるいは<遠近両用コンタクトレンズ>・・・見えたら世界はまったく変わるんだろうなと思いつつ、何か負けた気がする。達観しているつもりで、なかなか譲れない線が、まだまだ自分にもあるんだなと思います。

| | コメント (2)

適量の酒は心疾患予防に効果あり

「アルコールは日本酒換算1合/日未満でも有意な高血圧の危険因子」などと先日読んだ久山町研究の先生に明言されており、こっそりショックを受けていました。ですから、酒飲みオヤジは逆に酒に対して肯定的な研究には必ず目を止めます。

ロンドンからBMJという医学雑誌に2件の研究報告がなされたわけですが、1つはアルコール摂取と心血管疾患による死亡のリスクを解析したもの、もう1つは生物的マーカーとアルコール摂取との関連を示したものです。前者では飲酒者の非飲酒者に対する心血管疾患の死亡相対リスクが0.75で、一日1~2杯(1杯はアルコール換算で12.5g)程度で一番死亡リスクが低いとか。つまり、ちょこっと酒を飲んだ方が飲まないより心臓死を起こしにくいということですって!後者の報告では、非飲酒に比べて飲酒後にHDL(善玉)コレステロール値やアディポネクチンの濃度が有意に増加したのだそうな♪さらにフィブリノーゲンの減少(=血液が固まりにくい)も飲酒後に認められたのだそうです。

酒は飲まないより飲んだ方が心血管疾患で死なない、あるいは動脈硬化を進展させにくい、ということを支持しているわけです。有難いデータでございます。こういうときには、ヨーロッパ人のデータだということはまったく気にせず、有難く信じさせていただきます。ま、分かりきっていることながら、適量(=ちょこっと)ということばが超ジャマですが。

| | コメント (0)

肉声

元キャンディーズのスーちゃんこと、女優の田中好子さんが自らの告別式で肉声のお別れのあいさつをしました。亡くなられる数週間前に録音したものだそうです。

わたしは、自分の告別式で自分の声でお別れのあいさつをした人をもう一人知っています。スーちゃんのことばを聴きながら、わたしはわたしの一番尊敬する恩師H先生が話された肉声のお別れのあいさつ(「前向きに生きる」2008.5.28)を思い出していました。彼の場合は自らが闘病生活に入る前に、無駄になるかもしれないけれど、という期待にも似た前置きの中で録音した決意表明でした。

でも、田中さんの場合は2月から急激に悪化した闘病の中で、終焉の日を自覚したときに自ら願って声に残したお礼のことばでした。公人だからこそ大多数の皆さんに伝えなければならないという使命感はあったかもしれませんが、でもやはりそれだけでは決してできることではありません。たとえ死を覚悟したとしても、人生を達観したとしても、心静かに人生を見つめられる状態になったとしても、必ずしもこんな肉声メッセージを録音する気になるとは限らないからです。それは、自分がその立場だったらどうするだろうか?と考えてみれば一目瞭然です。

本当に残念です。もっと生きていたかったのだろうなと思います。でも、あの肉声を聴くことによって、わたしたちは一つの区切りができたような気がしました。

| | コメント (0)

胸を開ける

健診で必ずしなければならないのが<診察>です。うちの施設内では受診される方全員が検査着に着替えていますので、診察するときには検査着の前の紐を解いて開けていただくか、上にたくし上げていただいています。

最近、単なるわたしの印象だけかもしれませんが、ちょっと気になる傾向があります。
「それでは、診察をさせていただきますので、検査着の前だけ開けてください。」・・・診察室に入ってもらって椅子を促しながら、そう説明します。このとき、あまり躊躇することなくバンと開けてくれるのは明らかに女性の方が多く、逆に何となくモジモジして時間がかかるのは男性、しかも若い男性の最近の特徴のような気がします。もちろん女性は検査用下着を着ているからなのかもしれませんが、アンダーシャツを半分しか開けずに、「その下から聴診器を忍ばせてくれ」といいたげな表情の若者男子を眺めながら、何を出し惜しみしているのか良くわかりません。たしかに最近は修学旅行でも大きな風呂には入らないか海水パンツを穿く男子がいるという噂は聞いていますから、子どものころからの習慣なんでしょうかね?見る限り、胸毛が生えているわけでもないのだけれど。

「草食系男子」を越えて、最近は「レディス男子」なる子たちがいることを、先日朝のテレビで知りました。レギンスやスカートを穿きこなす男子たちなんだそうですね。

ふ~ん、と半ば感心し、半ばあきれながら、中途半端な開け方の検査着やアンダーシャツはめいっぱい開けさせて診察しています。意地悪なオジサンだこと。

| | コメント (0)

Tシャツ

診察をするために、時々企業の健診にでかけます。作業着やユニフォームを開けてもらうと、下からいろいろなTシャツが出てきます。よれよれのTシャツ、ファンキーな絵柄、かわいいプリント、どぎついスラング、イベント記念のロゴなど千差万別です。汚れてもいいものですので着古した感じのものが多いのですが、それがたとえユニクロで安物をまとめて購入したのだとしても、やはり気に入らないものをわざわざ選びはしないでしょう。

いくつもあるTシャツやトレーナーの中にはかならず「お気に入り」があって、袖や首元がそぜて(これ方言なんですって?)穴だらけになってもついつい選んで着てしまうものがあります。「みっともないからもう捨てたら?」と云われて、「そうね、さすがにそろそろ限界だね」と答えながらもなかなか捨てきれずにいるTシャツ・・・それなりに気に入った新しいものを買ってみても、やはりあのTシャツのテイストやグレードには及ばないんだよな~みたいな、別れた恋人に未練タラタラな軟弱男のようなことって、ありませんか?

シャツの上から聴診器を当てながら、絵柄を眺めたり英語の文字を読んで意味を考えてみたり・・・そんなことをしながら、ふと昔のことを考えてみたりすることがあります。ちゃんと聴診音は聴き取っていますからご心配なく。

| | コメント (2)

「特保の功罪 ~腹囲攻防戦の意義」

定期の依頼原稿が掲載されました。

『特保の功罪 ~腹囲攻防戦の意義』

ときどき温泉センターに行きます。湯船に浸かってボーっとしていると、目の前をいろいろなお腹が通り過ぎていきます。超メタボなお腹、引き締まって縦割れのお腹、貧相なお腹、若いお腹、年寄りのお腹、毛むくじゃらのお腹、真っ白なお腹、うつむき加減のお腹、上向きのお腹・・・。同じ日本人でありながら、お腹は千差万別なのだなあ、と感心しながら他人のお腹を眺めるのが常です。

先日も阿蘇にある温泉センターに行きました。ちょっとぬるめの湯に浸かりながらいつものように他人のハダカを眺めていましたが、気のせいか、数年前より大きなお腹の人が減った気がしました。この日がたまたまかも知れませんが、中肉中背のいわゆる『日本人的体格』(ただ痩せて貧相なそれではなく、それなりに「均整の取れたカラダ」)の人が増えている感じ。これはきっと、国を挙げてのメタボ対策が、何のかんの言われながらも、それなりに奏功している証拠ではないかと実感した次第です。流行りというのはそれなりに重要なことです。女性の胸が流行りによって豊満になったりこじんまりしたり変幻自在に変化するのは男性にとっては摩訶不思議な現象ですが、同様に男性もメタボ対策が流行りになってくれると健康的なお腹が自然と増えていくかもしれません。わたしも、どっかのCMのように、自分のお腹を隣りのお兄さんのお腹と比較して、そっと引っ込めて見栄を張ってしまいました。

新年度になりました。日本のメタボ基準に必須の腹囲測定。カーテンの陰で冷たいメジャーをお腹に巻き付けられる光景がまた繰り広げられます。外国にバカにされ、測る人や日によって数字が違うのに当てになるのか?・・・そんな疑念を抱く人は少なくなく、健診現場のスタッフですら無意味だと思いながら測っている人がいます。でも、これが意外に当てになります。日本の学者さんたちが頑なまでに腹囲を必須条件から外さないのは、あくまでも内臓脂肪の溜まるタイプの人を見つけたいからです。内臓脂肪が溜まっている人は自分の努力だけで何とかなるかもしれない人、そうでない人はクスリなどの病院の手助けが要る可能性が高い人、その区別をつけるために腹囲を測定しています。つまりメタボ腹の人の方がラッキーかもしれない、ということです。

最近、世の中が「メタボ対策」と「やせること」を混同しているのが気になりますが、それ以上に「生活習慣病」と「メタボ」を同じものと勘違いしている医療者を多くみかけます。やせる必要のない生活習慣病の方の治療は、特定保健指導で保健師さんに追い回される「メタボ」の方とは根本的に違うということを、この機会にしっかりご理解ください。

| | コメント (0)

ここ数日、良い夢をみません。

苦手だった職場の元幹部に出会いました。斜に構えて私を一瞥、「お前、少しはマシになったんか?」と云います。<私が何をした?あなたが勝手に誤解ばかりしているだけじゃないか!バカみたい!>と昔いつも反発していたのに、「どうでしょうか?最近は自分ではそれなりに真っ当になったと思ってるんですけど、そう見えませんか?」などと、思いがけない返事をする自分・・・その日は一日重い心を引きずりました。

郊外のお店の駐車場に停めてある私の愛車の横で重機作業が続けられていますが、どうも危なっかしいので、「すみません。車を動かしますよ~」とニコニコして合図をした後に、急いで車に乗り込みました。エンジンをかけたそのとき、ガガガガガと大きな音がして車が振動しました。重機のアームが車のボディを引っ掻いたのです。「何やってるんだよ!」突然頭に血が上って運転手に食って掛かるわたし。「今すぐ警察を呼べ!」と騒いでいます。相手は恐縮しながら「ちょっと事務所に連絡しに行きます」と云っているのに、それがその場から逃げているようにしか感じられないわたし。そのまま居なくなって、後で「その傷はいつできたものか証明できない」とかいう云い逃れをするつもりだろ!と云い張っています。・・・そこで目が覚めました。冴えない一日になりました。

これはどうも、うつの周期に入ったような気がします。

| | コメント (0)

これは現実じゃない?

定期的にやってくる肥満への不安。

顔を洗うときに掌に感じる頬っぺの存在感、仕事着を着たときに感じるボタンのきつさ加減と太ももの張り・・・。半年前には感じなかったそれらの感覚が、間違いなく膨らんでいることを示しています。洗面所の鏡に映る我が姿を確認し、そっと服を上げて腹を出してみる。「正面像は見たくない」と我が脳が主張するので、すかさず横向きになり、某特保飲料のCMの様に腹を引っ込めてみる。まだまだ引っ込めるじゃない!「太ったと思ったのは気のせいだ、きっと」と自分に云ってきかせる。でも、力を抜いたら途端に膨らむ腹。いくら力を入れても引っ込まずにズボンからはみ出る皮下脂肪。いやいや、普通にズボンは穿けるし、ちょっときつくなったけどまだしゃがむこともできるし、少しは増えたけどそう悲観するほどじゃないわ!と思うことにする。仕事場で、たまたまガラスに映った我が姿。厚くなった胸。「太ったんじゃない!胸筋が発達したんだ、きっと」・・・そう思って鏡の前でポーズをとると、意外にアスリートの筋肉の様に見えないこともない。

時々、通りすがりに鏡の前に映る我が姿がスリムに見えることがある。ほらみろ!これが真実なんだ!と口ずさむものの、確認のためにもう一度見ると元に戻る。だから、二度見は厳禁!

昔みたいなストイックな生活はしていないのだから、年齢とともに基礎代謝は落ちるのだから、年齢相応に筋肉は落ちるのだから、無理して運動しようとしても筋肉を痛めるのだから、今を受け入れて今より増えないようにすることが一番健康的な生き方なんじゃないの?・・・もしわたしがそんな悩みの受診者さんにアドバイスを求められたら、間違いなくそう云います。でも、わたし自身に対して、わたしはそんな戯言は云いたくはないのであります。

| | コメント (2)

自分は別物?

生活習慣病の予防に取り組む施設や病院の中で最近時々目にするのが、「生活習慣病の生活改善はまず職員から始めよう!」「自分たちが取り組むことが成功のカギ」などという話題です。

自分にできないことは他人に勧めても説得力に欠ける。まず自分で試してみれば当を得たアドバイスができる。・・・一応わたしも、できる限りそのことを意識しながら生活しています(できる限り、ですが)。もちろん、自分ができないからといってアドバイスは無意味だとは思いません。例えば自分が禁煙できないからといって患者さんに禁煙を勧める権利はない、とは思いません。でもやはり自分で頑張ってみた方が、アドバイスが具体的になって現実味が増す印象はあります。

当たり前のことだなと思いつつ、でもこんな話題が出るということは、いずこも同じ、健診従事者や病院職員は自分の生活を棚に上げている人が多いということでしょう。職員健診で診察の時にお会いする師長さん方は、毎年成長していくカラダを持て余しながら、まだ何も聞いていないのに口を揃えて「やせなきゃいけないんですけどね」と云いますが、同時に「しなきゃいけないんだけど忙しくてできないの」と言外のボヤキが聞こえます。仕事をしている限り無理です、とか、ついつい・・・とか、ほとんど健診受診者のメタボ腹のおじさんたちと同じ言い訳をしています。他の会社の人たちができるのですから、自分たちができないはずがないじゃないですか。自分たちの生活が特別だとかそれどころじゃないとか思っている皆さん、健康を扱う仕事をしているのだから、逃げるのを止めて他の仕事の人以上に工夫してみましょうよ。

| | コメント (4)

納得しないとできないタイプ

「わたしは何事も納得しないと行動に移せないタイプなんですよね」と自己分析する人が居ます。生活習慣病の生活療法をアドバイスする上で、ちょっとだけ厄介なタイプです。

食後高血糖のメカニズムやLDLコレステロールの役割や、あるいは仮面高血圧の弊害を説明して、「初めて理解できました。わかりやすい説明をありがとうございました。頑張ってみます!」と云われる方々もある意味このタイプです。彼らが、実際に行動変容するきっかけに少しでもなってもらえれば幸せです。

ただ、それでも「納得できない」と云われる方。基本的にはやや若い男性に多い印象がありますが、体質だと云うけれどうちの家系にはそんな人は居ないからその理屈はおかしいのではないか?と言い張るコントロール不良の糖尿病の人や曖昧な説明に細かい数値データを求めてくる人などです。彼らは、「納得しないとできない」のではなく、「したくないから納得しない」わけですから、あまり彼らのペースにはまり込むとこっちが疲れるだけです。行動変容のステージから行けば、ほとんど無関心期に近いレベルですから、あまりムキにならないようにしましょう。こういうタイプの人は概ねアタマの良い人が多いので、口ではそんなことを云いながらも内心「何とかしなければヤバイ」と分かっています。こっそり試すようになりますから、しっかりとした情報提供だけはしてあげるようにしています。「理屈は何であれとりあえず1ヶ月試してみるか」という気になるのを待ってあげましょう。

| | コメント (0)

接遇

わたしの職場では、健診受診者の方からいただくアンケート内容とその対応を委員会で毎月分析しています。3月のアンケートではいつになくお褒めのことばを多くいただきました。特に接遇に対する褒めことばばかりで、「笑顔が良かった」とか「細かいところまで気配りができていてさすがだと思った」とか、読んでいてこそばゆくなるような褒めことばばかり。つい数ヶ月前、とくに夏場などには「ことばが事務的で冷たい」とか「無愛想だ」とか接遇に関するお叱りのことばが多かったことを思い出しながら、「嬉しいことだから今度全体ミーティングで紹介してあげたらいいね」などと他の委員と話しました。

ただ、どうしてこんなに違うのだろう?と考えたとき、明白な事実に気づくことができます。3月は年度末なので受診者の数が少なくなります。殺人的な受診者数の夏場に比べると約半数のときもあります。つまり、3月は余裕がある。いつもいつも同じことをしているつもりでも、心身共に余裕がある分だけその心が伝わりやすいのではないでしょうか。忙しければ忙しいだけ心身共に心の余裕がなくなって・・・<接遇は余裕>・・・致し方ないことではありますが、せめて心に余裕を持たせる練習だけはこの時期にきちんとしておきたいものだなと思います。もちろん受ける側(受診者)の気持ちも大きく影響を受けます。夏場の芋洗い状態のフロア内では殺気立っていますから、ちょっと待ち時間が長くなるだけでイライラした空気が漂います。3月は本当に時間の余裕がありますから返って待ち時間は生じません。

・・・人間ドックを受けられるときは、この季節が一番お勧めです。

| | コメント (0)

モラルパニック

 「もう私の前で募金の話はしないで!」・・・先日仲間と開いた恒例のゴルフコンペで募金箱を回していたときに友人の女性が小さく叫びました。

東日本大震災の被災者支援のための義援金は世界中から大変な額に及んでいます。人間の助け合いの精神の崇高さには驚くばかりです。自分たちにできることは何か?できることは何でしもしよう!その気運が生活にゆとりがある人ばかりではなく、失業者や不法入国者と云われている人たちも寄付金を出さずにはおれなくさせるほどの未曾有の大惨事でした。わたしも少額ですがあちこちの募金箱に寄付をさせていただきました。ただ、この気運はたしかに周囲の空気を重くさせています。和田秀樹先生のことばを借りるなら、「震災後、心なしか、うかつなことが言えない雰囲気が漂っている。社会全体が正義のために動き、被災とはほとんど関係がない地域でも自粛と応援が当たり前とされる。・・・これが息苦しいと言えない、言ってはいけないことろがモラル・パニックなのだろう・・・」。

回ってきた募金箱にできる限度で募金をする。「別に強制ではないですよ」と云いながら、うちの職場では「一口1000円以上」という注意書きが付いていました。回って来た募金箱をパスさせると「エアー募金」と批判され、なにがしかの金を入れないのは許されない空気があるのは事実です。冒頭の友人は職場だけでなく所属するいろいろな組織から執拗な募金要請があり、「任意」と云いながら明らかな割当と役職に比例したノルマがあることに対して怒り心頭に達していたわけです。『見栄も正義』というのも日本特有の文化ではありますが、モラル・パニックは自分のメンタルを破壊する危険性があるので、要注意です。

| | コメント (4)

話を奪う

昨日テレビを見ていたら、進行役の若い女子アナウンサーが段取り立てて説明しようとしているのに話半ばにしてメインキャスターが云いたい放題まくし立て始めて、進行が滞ってしまいました。見ていてイライラしたので、他の番組にチャンネルを替えてみたら、その番組では女性キャスターがゲストコメンテーターに感想を振っておきながら、話している最中に話を奪ってしまいました。生放送の中で、おそらく予定した段取りが終わらないかもしれない、と焦ったのでしょう。大して長い話もしていないのに横入りするのだったら、最初から振るな!と独り言を云いながらスイッチを切りました。最近は以前にも増して話をぶつけ合ったり人の話を聴かずに上からかぶせて騒いだりする番組がゴールデンタイムにも増えてきた気がします。きっとその方がもてはやされて視聴率を稼げるのかもしれませんが、見るに堪えないのでできるだけその手の番組を避けています。動悸がして血圧があがっていくのが自分でも自覚できるからです。人の話を聴かない風潮になってきたのは、時間がせわしすぎるからか、それともそうすることがグローバルスタンダードと勘違いする輩が多くなったからか?

わたしも反省するところはたくさんあり、意識して相手が話している最中に横入りはしないように心がけてはいますが、「時間がない」とか「話が違う方向に行ってしまう」とか勝手にヤキモキして、つい主導権を自分に引っぱり込もうとしてしまうところがあります。こういう番組を批判するだけでなく、自分の日常をみる鏡にしなければ、と気を引き締めているところです。

| | コメント (0)

ころ愛ダイエット

「ころ愛ダイエット」は岡山県の水島協同病院の外科医、石部洋一先生が考案したダイエット法です。

ダイエットをマラソンに例えて、はじめに一生懸命走っても息切れしてリタイヤしたり、たびたびレースに出ても走りきれずにリタイヤを繰り返す人たちに、無理なく走り続けられる方法として「ころ愛ダイエット」を考案したそうです。必ずデジタル体重計に乗り続けることと炭水化物の摂りすぎに注意することだけに留意して、自分に合った食事量のころ合いを自分で探していくとそれだけで着実な成果が出ることが、先日開催された第39回日本総合健診医学会で報告されました。

興味のある方は、水島協同病院のHPからイケメンのいしべっち先生の記述をどうぞ。

こういうオリジナルのダイエット法に成果が出ていることをとてもうれしく思います。何よりも、ダイエットに栄養学の理論を振りかざしていないところがいい。”食事は理屈で食うな”~楽しい食事なくして楽しい人生はない、と考えるわたしにはドンピシャのダイエット法だと感じています。そして、命名力がいい。”はらすま”もすごいと思いましたが、こんな医療者としてはちょっとこっぱずかしい命名を許していただける病院がうらやましいです。「ポイントは 優しい心と素敵な体型を手に入れること だと思います」「優しい心を育てるには、感謝の気持ちをあたえることが良いようです。・・・」と続く石部先生のコメントにこそ先生の愛と感謝のメッセージが込められているように感じました。

| | コメント (2)

久山町の胃がん

久山町研究はもともと脳卒中に対する疫学研究として始まったもので、これにより高血圧と脳卒中の関連は明白なものとなりました。日本人はこのエビデンスを元に積極的に高血圧治療を行った結果、脳卒中を減らすことができたという事実があります。

わたしも久山町といえば脳卒中であり心筋梗塞であり、今はそれの危険因子である高血圧や糖尿病の解析、というイメージを持ち続けていました。でも、よく考えたら、ここには50年の間途切れることなく繋がれた、個人としての、あるいは社会としてのすべてのデータがあります。Medical ASAHI 2011,Aprilで取り上げられた「久山町研究を日常臨床に活かす」を読みながら、その事実に初めて気づきました。九州大学の若き先生方がここに集まってくるのも分かるような気がします。

この特集の中でわたしが一番興味を持ったのは、胃がんの危険因子の研究でした。胃がんの最大のリスクはピロリ菌感染。でも、日本人の約70%が感染している(わたしもその中の一人)にもかかわらずその多くは胃がんになっていないということは、それに加えて何かが存在する必要があるわけです。九州大学の池田文恵先生の報告によると、それが食塩であり、タバコであり、高血糖である、ということを久山町研究のデータから明確にすることができたそうです。亡くなった方の解剖所見でみつかった潜在的な胃がんも含めて町全体が登録されている研究ですから、ある意味一番正確なデータかもしれません。

| | コメント (0)

ひさやま(後)

鎌田實先生の諏訪中央病院の再興の歴史も然りですが、その地に住む方々やその地を統括する行政に、「○○してあげることが私たちの使命だと思ってやってきました」みたいな態度で接していったとしたら、きっと簡単に跳ね除けられたことでしょう。久山町や諏訪のようなことをやってみたいと思う若い先生方も多いでしょう(一時期よりは多くなったと信じたい)が、よそ者の若造学者がやってきて偉そうなことをいくら吼えたところで、住民の方々はそう簡単には心を開いてはくれますまい。当初からその点を強調されてこられた、教室の歴代の教授たちの真摯な熱意にも敬服します。

清原先生が自ら口にされているように、この久山町研究が秀でている理由のもうひとつは、これが臨床の医者が行ってきた疫学研究であるという点です。EBM(根拠に基づいた医療)がもてはやされるようになればなるほど、疫学者が机上の空論を展開させてしまい勝ちになる懸念があります。人間を相手に人間の健康の実態を探る疫学調査には、やはり臨床の医者としての目は必要不可欠なことだと思います。若き清原青年を投影させるような優秀な研究者が歴史を引き継いでくれることを切に願います。

最後に、久山町研究が脳卒中vs高血圧の歴史からvs糖尿病の研究に替わろうとしている現在、対策に時間がかかるか?という問いに答えた清原先生のことばがとても好きでしたので記しておきます。
「・・・日本人は賢い国民なので、正しい情報を提供すれば、多くの人たちはきちんと自己管理をされると私は思っています。・・・」

| | コメント (0)

ひさやま(前)

Medical ASAHI 2011 Aprilに特集された久山町研究の、今やその中心的存在になられた清原裕教授のインタビュー記事はとても興味深いお話でした。わたしが初めて「久山町研究」という名前を知ったころには「九州大学の若き青年医師」として清原先生の名前が出ていましたので、ずっと若い人だと思い込んでいました(自分と一緒に世間も歳を取るということを忘れていました)。

九州の小さな町久山町で、今や日本の疫学研究の代名詞となったこのプロジェクトが成功した理由は、一にも二にも研究グループの並々ならぬ熱意と努力に他なりません。大学にありがちなどこかいつも上から目線で、現地にちょこちょこっと出向いておいしいところだけを掠(かす)め取っていくようなそんな態度では、3年と持たなかったでしょう。日常診療は町の開業医が担うけれど医療相談があればすぐに自分たちが出向き、入院したら週数回会いに行く。「住民との距離を縮めるために、研究スタッフは全員久山町内の研究所にいます。久山町はいつでも無料で相談に応じる”お抱え医師団”を10人以上抱えているようなもので・・・」などと簡単に云っておられますが、常に中に入って住民目線で疫学調査をする姿勢を50年貫くことで築きあげられた住民との信頼関係に、圧倒的な自信がみなぎっているようにみえます。

| | コメント (0)

健診年齢

「この歳になって、まだ健診を受ける意味はあるのかしら?」・・・当センターの人間ドックを受診された83歳の女性が、診察の途中でわたしにそう云いました。

たしかに老健施設などの寝たきりでコミュニケーションが十分とれない超ご高齢のみなさんの健診結果を判定しながら、「これは意味があるんだろうか?」と疑問に思うことは多々あります。この方々が糖尿病や脂質異常症の所見を呈したからと云って、食事療法や薬物治療を開始する可能性はほぼ皆無でしょう。心電図で不整脈がみられるとか診察で心雑音が聴かれるからといって循環器内科を受診する指示を出したりはしません。法律で決められていることだから施設側もそれを実施して、実施したという証明と健診結果というお墨付きをもらうことで義務を果たした感がある、というのが実体ではないかと思います。正直なところ痛い思いをして血を取られ押さえつけられて心電図やレントゲンを取られるだけのメリットはない、と言い切っても良いように思っています。

ただ、くだんの女性の場合はまったく異なります。たくさんの持病を抱えているとはいえ、杖歩行で膝をかばっているとはいえ、お元気に毎日を前向きに生活しておられる方にとって健診は重要な道しるべになると自負しています。もちろんかかりつけ医がおられるわけだから日常診療の中で必要な検査は受けているでしょうが、どんどん専門化していく医療の弊害として、たとえば10年も胃の検査をしていなかったなどという意外な穴が生じるものです。たまにはそういうチェックを受けて、まだ実年齢は10歳以上若いのだということを確認することは大変大事なことです。・・・とお答えしました。

| | コメント (0)

酒と膵臓がん

「たばこを吸うと若くして膵臓がんになりやすい」とか、「大酒飲みは膵炎になりやすい」ということは知られていますが、「酒飲みは膵臓がんになりやすい」と云えるのかどうかは、どうも明確ではなかったらしいです。そこでArch Intern Med 2011.3.14に報告されたSusan M.Gapstur氏らの前向き研究(全米とプエルトリコ人(30~111歳)を登録したCancer Prevention study II)ですが、簡単に云えば「たばこを吸うか吸わないかに関わらず、大酒飲みは膵臓がんによる死亡リスクを上昇させる」を明確にしたそうです。

ああそうですか、一日3ドリンク(1ドリンク=エタノール換算14g)以上を続けると有意なのですな。3ドリンクはビールなら350cc缶×3以上、毎日そげえは飲まんやろ!ん?あ、2缶+焼酎2杯じゃダメ?ほう・・・なるほど、ビールやワインより蒸留酒の方がいかんのですな。あれ?焼酎は蒸留酒じゃねえの?ひえぇ~、そらいかんですな。でもほら、よく見たら、オッズ比で1.25とか1.32とか1.16とか、その程度の違いって統計学的なまやかしじゃないん?その程度では重い腰は上がりそうで上がりませんな。ほら、しかもこれアメリカとかプエルトリコとか、あっちの方の人種の話でしょ?しかも蒸留酒=ウォッカとかテキーラとかのことでしょ?日本人がたしなむ乙種焼酎と一緒にしたらいかんのやないかな?・・・中年の酒飲みおやじは、どうしても首を縦には振ろうとしないのであります。

ちなみに、1ドリンクはアメリカでは14gですが日本では10g、ということはビール250ml、酎ハイコップ一杯、焼酎(25度)1/4合、日本酒1/2合・・・かんべんしてください!

| | コメント (0)

聞こえるけれど聴き取れない。

「周りの人の声が音としてはきちんと聞こえているのに、何を云っているのか理解できないのです。」

聴力検査では問題がないのに実社会では苦悩しているひとたちが居ます。若いころのわたしは、脳の病気でもない限りそんなことはありえない、と思っていました。そのうち、どうも老化とともにそういうこともあるらしいということを知るようになりましたが、そのメカニズムが理解できないので疑心暗鬼でした。それが今、自分がその「聞こえるけれど聴き取れない」ということをいつの間にか日常でよく体験するようになって、「老化とはこういうもんなんだな」と納得しています。目の前で明快な発音で説明している男性の声が音にしか感じられず、まるで異星人になった気分。しかも、昔はテレビの声を聴き取りながら横で話す家人と普通に会話できていたのに、今や会議中にとなりで小声で電話しているひとが一人いるだけで会議の内容はまったく耳に入らなくなってしまいました。

近くの文字が見えなくなったときには、「まだそんなはずはない!」とアタフタしましたが、耳の方は意外にすんなりと成り行きを受け入れています。そういうひとが周りにいるという事実だけで、「自分だけの異常ではない」と安心することができるなんて、ほんの5年前には想像すらしませんでした。アンチエイジングのためにはもっとジタバタすべきなのでしょうが。

| | コメント (0)

白衣高血圧は心配ないのか?

日頃は130/85mmHg以下のまったく正常な血圧なのに、医療機関で血圧を測るといつも高血圧になる場合を『白衣高血圧』と云います。わたしが外来をしていたころには、自宅血圧が110~130/70~80mmHgなのに診察室で測定すると必ず200mmHg以上に跳ね上がっている人が数人おりました(日頃から内服をしていますから厳密に云えば白衣高血圧の定義には当てはまらないのですが)。そういう人たちには、家庭で測定している血圧を記録してきてもらってそれで判断することにしていました。

高血圧には、いつも高値の持続性高血圧とこの白衣高血圧、それにこれまでにも何度かここで書いてきた仮面高血圧の3種類があり、仮面高血圧は持続性高血圧と同じ程度の脳卒中罹患率であることは有名です。一方で、白衣高血圧の脳卒中罹患率は正常血圧とあまり変わらないのであまり心配はいらない、と説明している医療者は少なくないのではないでしょうか。

でも、実際には正常血圧の人と白衣高血圧の人とでは明らかに違います。自律神経過敏状態だから血圧が上がるのでしょうが、白衣高血圧は長期的に見ると正式な高血圧に移行する率が高くなり、また心肥大や腎硬化症、心脳血管障害の発症リスクは15年以上の経過では有意に増加することが分かっています。だから、「白衣高血圧はあまり心配しなくてよい」などとは簡単に云わないでほしいし、自分がそうであれば軽症高血圧の治療を意識した生活に心がけていただきたいと思います。

| | コメント (0)

セカンドオピニオンは名医か?

テレビで「名医のセカンドオピニオン」という内容の番組をやっているのを何となく見ていましたが、何か制作意図の中に「病気がなかなか治らないのは最初に診た医者がヤブだったからだから、早めに名医にかかり直すのがよい」という雰囲気が伝わってきて、ちょっと気になりました。

たしかに「餅は餅屋」・・・それをピンポイントに診てきた医者ほどいろいろな例を経験しており、経験値がものを云うのが難病治療の世界です。教科書にない意外な症状の出方は経験していないと頭に浮かびません。その番組で<原因不明の強烈な頭痛の例>を見たうちの妻がすぐに「これ、帯状疱疹じゃない?」とわたしの想像すらしなかった病名をあげましたが、その根拠は「自分の経験した帯状疱疹の症状に似ているから」でした(もちろんこの診断が正解でした)。

ただ、やみくもに「セカンドオピニオン」を勧めるのは、単にドクターショッピングを勧めていることにならないかとも懸念します。早く治ることを願って病院を受診して、最初の治療を受けても治らないとすぐ次の医者を求める人たちがいます。でももうちょっとだけ待っていただきたい。医療はマジックではありませんので、医者は最初に診断処方した成果を確認しながら試行錯誤して正解を導き出そうとしています。最初の処方がうまく奏功した場合は良いですが、芳しくないときはすぐにその病院を再受診して次の指示を仰いでいただきたいのです。もちろんそのためにも、医者はそうなる可能性とこれからどう治療展開していく予定かをきちんと患者さんに説明しておくことが前提ですし、医者に何か云うのは失礼だからと何も告げずにクスリだけをもらっている(そのまま捨てている人が少なくないみたい)のでは良くなりませんが・・・。

| | コメント (0)

行動変容への関与

職場のパソコン内にある講演スライドの整理をしました。その中に、生活習慣病に対する指導者の皆さんに講演をしたときのスライドが出てきました。『行動変容への関与』と題されたそのスライドにはわたしの想いが込められていて、手前味噌ですが良いスライドだなと思いました。

 ***************
 ●自分が該当者であることを明確に知らせる。
  ”予備群”という言葉は無意味。
    ※特に30~40歳代の男性(若い女性は痩せすぎに注意)
 ●具体的な意見と助言をいう。
    ※概念的・常識的な話は不要(無意味)
    ※自分だったらどうするかを考える
     自分にできないことを相手に期待するのは失礼である
 ●完璧を求めない。

   ⇒それによって、今すぐできることが何か、自分で考える気になる
 ***************

とかく「こんなことをしていると大変なことになりますよ」的な脅しや批判をしがちですが、それは逆効果であることを実感として感じます。そんな上から目線のお節介は要りません。粛々と理論的な事実だけをわかりやすく説明していけば(食後高血糖・仮面高血圧はなぜ問題なのかなど)、受診者の皆さんはそれだけで十分に意識を変えます。そう簡単には行動変容は成功しませんが、その手助けをそっとしてあげるだけで十分です。

| | コメント (0)

医療雑学3;がんと運動

Medical Tribune(2011.3.24)の話題から

『WHOの身体活動に関する勧告』

2/4の「世界がんの日(World Cancer Day)」にちなんで、WHOが健康のために必要な身体活動に関する勧告を発表しました。Non-communicable disease(NCD:感染症を除いた慢性疾患)の予防のために必要な運動量や強度、頻度、期間、種類などに関する具体的な推奨レベルが示されています。

現在、世界人口の31%が運動不足の状態にある、というのが多いのか少ないのか良く分かりませんが、運動不足に関連するとされているものに、
・年間320万人の死亡
・67万人以上の早死(60歳未満死亡)
・糖尿病や虚血性心疾患の疾患負担の30%
などがあるそうですから、「運動不足」というキーワードは単なる愚痴や逃げ口上では済まされないものを持っているようです。

具体的な勧告内容は、成人(18~64才)の場合、中等度の有酸素運動を150分以上/週行えば乳がんや大腸がんや糖尿病や脳血管障害などのNCDが予防できるのだそうです。いわゆる「運動」ではなくて日常生活運動を含む「身体活動」としての合計時間です。65歳以上は健康問題があるときに無理しないでね、という忠告のみ追加・・・少しでも運動習慣のある人間には何を今更、という程度の内容ですが、動かない人は本当に動かないので、「何でもいいから無駄に動け!」と指示する必要はあるのでしょう。

| | コメント (0)

医療雑学2:糖尿病と毛細血管

糖尿病についてはWeb版の産経ニュースから。これが配信されたのは2011.3.11 07:26です。この5時間後にあの大惨劇があったことになります。

『血管の異常が糖尿病の一因に』

マウスの実験結果から得られた肥満と糖尿病と毛細血管異常の関連を、東京大学の門脇孝先生らが発表したものです。血糖コントロールの主体をなしているインスリンは普通は毛細血管から染み出して筋肉に達し、筋肉の糖分取り込みの手助けをしているわけですが、肥満になるとインスリン分泌量が変わらないのに血管から出て筋肉に達するインスリン量が少なくなってしまい、その結果として筋肉が取り込む糖分の量が半減するというのです。

何のことだかお分かりでしょうか。血糖コントロールを実際に体内で行っているのは肝臓と筋肉です。急激に入ってきた糖分のうち当面必要ないものを肝臓や筋肉に蓄えておいて、必要なときのためにそこに蓄えておくことによって血液内の糖分(血糖値)を一定に保っているわけです。その筋肉取り込み機能が、太ることによって破綻をきたしてしまって取り込めなくなると、結局血液中に糖分があふれることになります。脂肪肝がひどくなると血糖値が下がらなくなるのと同じようなことが起きるのです。

| | コメント (0)

医療雑学1;食後高血糖

健診の医者として生きていく上で知っておきたい最新情報。送られてくる医療情報から興味があるものを忘れないように書き留めておきます(決してネタがないときの場つなぎではありません)。

東京慈恵会医大の西村理明先生の糖尿病診断セミナーから

●食事と食後高血糖の関連
  1.間食は明らかに食後の血糖上昇をもたらす。
  2.朝食を抜くと昼食後の血糖上昇が著明になる(第二食効果)。
  3.炭水化物を抜くと食後血糖の上昇が目立たない(ただし長期的には脂質・タンパク質の量が増えて血糖上昇抑制効果を打ち消してしまうという意見が大勢)。

●運動と食後高血糖の関連
  1.食後に運動することは食後高血糖の是正に有効
  2.食後の昼寝は食後高血糖を長時間持続させる(200mg/dl以上を4時間持続させることも)。

糖尿病の患者さんに24時間持続血糖モニターをつけてもらって得られたデータです。もっともなデータばかりですが、キーワードの「食後高血糖」是正に向けて、当事者の説得にはありがたいデータです。

| | コメント (0)

数値

福島原発問題で、マスコミの皆さんが毎日必死で伝える放射線量。マイクロシーベルトがミリシーベルトに突然変わっておののき、更に今度はベクレル。ところが、全くその単位の意味が理解できない報道者(一般の方々はもちろんですが)は、数字の大きさに必要以上におののいているように見て取れます。

わたしたちのように医療の現場で核医学検査を専門とする人間でも、今まで1mCi(ミリキューリー)と云っていたのが突然、「今日から1mCi=37MBq(メガベクレル)です」と云われたときにはひっくり返りそうになりました。ミリが突然メガですから!

「先日うちのかかりつけ医が血圧の薬を変えたのですが、今まで8mgだったのが突然40mgになりました。そんなに自分は悪くなったとは思えないので、不安だから新しい薬を飲むのを止めました。」と話す患者さんは少なくありません。「それは、全然違う種類の薬ですよ。8mgの薬と40mgの薬は、全く別物ですからちゃんと飲んだほうがいいです。たぶん8mgの薬より40mgの薬の方が軽い薬だと思いますよ。」・・・真実を伝えているのですが、それでも彼らは納得いかない素振りです。

数値の印象というものはバカになりません。おそらく逆に数値が減っても心配になるのでしょうが、インフレやデフレとは違って、数値が変わっても中味は全く変わっていないということは世に少なくありません。数値を扱う専門家たちは、その点をできる限りしっかりと伝える義務があると思います。

| | コメント (0)

集中力とやる気

先日、学生時代の恩師の個展に行ってきました。

世に名の知れた美術家である彼は、多くの役職と肩書きを持っていつも忙しそうに飛び回っています。ですから、人の世話ばかりやっていて自分の本来の仕事をやれないのでは本末転倒の人生ではないのかとわたしは日頃から懸念しておりました。

「毎日お忙しいのに、描く時間はあるんですか?」とお聞きしたら、「・・・ないなぁ。だから作るんや。」・・・一番のお気に入りの絵を眺めながら、先生はそう答えました。なんと、今回の個展に展示されている絵の大部分は、この半年間に書き上げたものだそうです。会場になるギャラリーの10周年記念のイベントとして依頼されたのだそうですが、その集中的な創作には驚くばかりです。

「やはり、『いつまでに仕上げないといけない』という〆切があるからこそ集中力が増して良い絵が描けるんだろうね。もしゆっくり時間があって、描きたいときに描ける状態だったら、たぶん一枚も描かないかもしれない。」・・・ちょうどお客様の流れが途絶えて静かになったとき、奥様に入れていただいたお茶を戴いていたら、先生はしみじみそう話されました。たしかにそうだな・・・自分の場合を当てはめてみても、先生のその言葉は良く理解できます。時間がないときほど自分でも驚くほどの集中力が発揮できるもの・・・もっと早くから取り掛かっておけばもっと良いものが出来たかもしれないのに、と思っていましたが、それは真理ではありませんね。

これからもご自分を追い込みながら、さらに研ぎ澄まされた創作を続けてください。

| | コメント (0)

洗濯と健診

我が家の洗濯物を畳むのは、基本的にわたしの仕事です(それが好きだから)。

洗濯物を畳みながら、ふと思いました。『健診は洗濯と同じかな』なんてことを。

洗濯は「洗うこと」ではなく「干すこと」でもなく、「畳んで仕舞うこと」まで済んで、やっと『洗濯』です。それを健診に例えたらどうでしょう?「洗うこと=検査を受けること」、「干すこと=結果を聞いて判定をしてもらうこと」がメインだと思っている人は多いけれど、「畳むこと=結果をまとめてこれからどうするかを考えること」と「仕舞うこと=それを行動に移すこと」までしなかったら、全く意味がありません。せっかく洗った(検査を受けた)のにいつの間にかシワシワになって(受けただけでそのまま放ったらかされて)、どれが洗濯物か区別もつかないまま(何が悪かったのか良くわからないまま)、結局洗い直さなければならない(治療しなければならない病気に進展してしまう)かもしれない・・・なんて馬鹿げています。しかも、そんなことみんな分かっているのに、面倒くさくて実行に移せないうちに、「そのうちに」と思っているうちに取り返しのつかない状態になる。

これ、なんかいいな。どっかで使おう!

| | コメント (0)

« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »