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雑草

若葉の季節になりました。庭の木の葉や花壇の草木が一晩で突然別物のように生い茂ってしまう、そんな季節です。

庭先に立ってみると、先週草刈りをしたばかりだというのにすでにたくさんの雑草がたくましく生え出ていました。気になりだしたら放っておけないわたしは、早速くつを履き替えて草取りを始めました。端から順に、生え出ている一本一本の雑草を抜く・・・草刈り機や枝切りバサミで全体を短く刈ってしまうのは云わば床屋のようなものですが、それと違って、明らかに意図的に抜く草を選んで抜いていると、<雑草ってなんだろう?>などという哲学的なことが浮かんでみたりする。「雑草と云う名の草はない」と口にしてみる。「主(=わたし)の意思に反して生まれた草を雑草と称し、それが気に入らなければ排除する権利が主にはある」などというのは人間の勝手な理屈である。<自分の意に反するものをすべて排除する>というのは暴君の悪政の如くであり、民主主義の崩壊ではないのか?本来、雑草には雑草の理屈があり、雑草にとってはそこが誰の土地だとか、そこが花壇の仕切りの内か外かなどということは知ったことではないではないか?何より、勝手に種が飛んできただけのことで、そこに生えたくて生えてきたわけではないのだ!・・・黙々とひとりで作業を続けながらそんなことを考えているうちに、何となく自らの人生を雑草に置き換えてみている自分に気付いて苦笑いをしてしまうわけです。

ところが、そんな思いとは裏腹に立ち上がって振り返ってみると草抜きしてきた庭は想像以上にきれいになっていました。「これが秩序というものさ」・・・雑多で混沌としたものから、自分の基準で気に入らないものを切り捨てるからこそ、そこに秩序が生まれるわけで、そうでなければ物事は効率的に前には進まないのだ、ということも痛感するわけです。

ま、我が家の草抜きごときで哲学を論じること自体に無理がありますね。

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