« 2011年7月 | トップページ | 2011年9月 »

2011年8月

アルコールとHDL

「わたしの主治医が、わたしのHDLコレステロールを上げるために『アルコールを飲みなさい』というので、晩酌習慣はなかったのだけれど最近はビールを週3回くらいは飲むようにしています。本当にこれって効果があるのですか?」・・・うちの受診者のひとりが管理栄養士さんに質問したそうで、その管理栄養士さんからわたしは相談を受けました。「そんなことってあるんですか?」と。「は~?そんなの聞いたこともないよ。どっかの怪しい健康番組で云ってたのかもしれないから、主治医に直接聞くように云ったらどうですか?」と突き放すように答えてはみたものの、何か引っかかるところがあったので早速調べてみました。

そうです。エチルアルコールはHDLコレステロール値を上げるのです。昔、健診の世界に入ってすぐの頃にその事実を知り、脂質異常(当時は「高脂血症」)の講演で自らそう説明していたことを思い出しました。それもわたしの記憶が正しければ、純正のエチルアルコールほど効果が高く、飲めば飲むほど直線的にHDLコレステロール値は高くなるはずです。そんなスライドを持っていましたがどこにやったろう?

ただ、飲みすぎれば肝臓を傷め、血圧を上げますし、さらに前述の受診者さんのようにビールを選択したのでは、それでなくても最近300mg/dl以上に急増した中性脂肪の値をさらに跳ね上げて間接的にHDLコレステロール値を下げることになるから本末転倒です。飲むなら適量(少量)の蒸留酒なのでしょうが、純正エチルアルコールが良いということになると、不純物だらけの乙種ではなくて甲種。酒好きにとって「適量」は”生殺し”ですし、甲種焼酎単独の飲酒なんてほとんど魅力がありません。

つまりは、養命酒を飲むような心得で食前酒として少量の韓国焼酎を飲むのが、低HDLコレステロール血症に対する治療になります。・・・と、説いたらいいのかしら?

| | コメント (2)

合格点

『病院の合格点』と『健診の合格点』はまったく別のところにある、ということはここでも以前に書いたことがあるかもしれません。そのハザマに立って右往左往させられるのが受診者の方々です。最近かなりそのミゾが埋められてきたような感じはしますが、まだまだですね。

『病院の合格点』とは、病気を軽いうちに何とかして回復させること、つまりは「病気でないこと」が合格点。一方『健診の合格点』は病気にならない状態、健康でいられる状態を維持すること、つまり「健康であること」が合格点。ん?何が違うの?と思ってしまうから悩むことになる。「病気でないこと」≠「健康であること」ということ。境界型や予備群を病気ではないと云って追い返すのが病院の論理であり、それを健康ではないと云って押し返すのが健診の論理なわけでしょう。前者はそれを医者が出て行く次元ではないと主張し、後者は医者が関わるからこそ効果が絶大なのだと云って折れません。

「うちは病院なんだから、少しは病気になってくれる人が居なくては困るよ。」と平然と云ってのけた某医師とはもう長いことまともに口を利いていませんが、いつまでもそんなことば遊びをしても埒は明きません。わたしたちの仕事は、そのミゾをいかに埋めていくかということ以外にはありません。

| | コメント (0)

そんなに歩くのがイヤ?

土曜や日曜ともなると、うちのセンターの裏庭にはスタッフの車がびっちり並びます。いつもは搬入車両が使うスペースです。休みの日にご苦労なことだな、と思いながらも、この不法駐車に何かひと言云わずにおれません。

巨大ショッピングモールじゃあるまいし、自分の指定駐車場から歩いてくるのがそんなに面倒くさいのかしら?中にはいつもは小道を隔てたすぐとなりの駐車場に停めている人の車も見かけます。いつも軒下の一番近いところに停めてある××先生の高級外車だって、自分の駐車場はすぐそこじゃない?雨が降っているわけでもないし、大きな荷物の運び込みをしているわけでもないのに・・・。わたしたちの世代の横着医師だけでなく、若い男性スタッフの車を見ると、つい溜息が出てしまいます。いつも若くて活力ある組織だな!とうちの病院の姿を自慢していたところもありますが、陰のこんな姿をみると、「なんだかなぁ」という気分です。

ま、あまりグチ小僧になっても得はないので、このへんにしておきますか。

| | コメント (2)

三つ子の魂

「わたしは大丈夫なんだけど、孫に食べさせるために買ってくるお菓子をつい食べてしまうんです。がまんしないといけませんね。」・・・糖尿病の食事管理をしている50歳代半ばの女性が、自己反省を込めてそんなことを云いました。このことばはよく聞きますが、わたしにはどうしても抵抗があります。

そうじゃない!そうじゃなくて、そのお菓子をあなたのお孫さんが食べること自体が問題なの。あなたが食べても大した問題じゃないけど、お孫さんにはモロに毒なの。それを、『自分で稼げるようになるまではおばあちゃんが代わりに買ってあげるからどんどん食べなさい!』って云ってる、そのことが問題なんです!

わたしの説明に苦虫を噛みつぶしたような不服そうな顔をするその女性を見ながら、わたしは子どものころのことを思いました。子どものころ、特別なお祝いの席などを除いたらジュースの類を飲ませてもらった記憶がありません。暑いときはいつも鉄管ビール(=水道水)でした。だから今も特段炭酸飲料水やジュースを飲みたいと思うことがありません。一方、都会育ちのわたしの妻は、家の前に自動販売機があったので、すぐに「ちょっとジュースを買ってきなさい」とお母さんに云われていたそうです。だから大人になってもすぐにコーラやジュース類を欲しがります。子どものころの食習慣って、本当に大事だなと思う次第です。子どものころに舌が経験していない食べ物は、大人になって好きになっても止めるのがあまり難しくない印象があります。だから、糖尿病の家系や高血圧の家系のおばあちゃん、おじいちゃんは、ココロを鬼にしてお孫さんの舌に不要な情報をインプットさせないでほしいなと思うのであります。

| | コメント (0)

バカか!

『多重起動できません』

そう云ったなり、デスクのパソコンが指示された仕事をすべて放棄しました。

「バカか、おまえ!」・・・わたしは独り言を云いながらひとつ大きなため息をついてからクリックのし直しをします。日常茶飯事の光景です。職場のパソコンのシステムを起動させるため、デスクトップ上にあるアイコンをクリックしても何も反応しないことがあります。しばらく待ってもウンともスンとも云わないのでもしやうまくクリックできなかったのではないかと不安になり、もう一度クリックしてみたわけです。そうしたら今度は即座に反応して、『多重起動できません』

・・・ちゃんと順序だてて作業しようとしていたのに、おまえがそれを無視してクリックするから全部台無しになったじゃないか!全部お前のせいだからな!もう知らね!何もしてやらね!とへそを曲げた結果が、『多重起動できません』!

その、上から目線の態度がそもそも気に入らないんだ。そりゃオレはパソコン素人だけど、おまえが動いている素振りを見せなかったから心配しただけじゃねえか!オレのやり方が悪かったかもしれないと不安になっただけじゃねえか!「ちゃんとやってるんだから待ってろ、このド素人が!」みたいなその態度は何だ?融通の利かないバカ機械が、偉そうに!

ひとり孤独な診察室で、相棒と朝のバトルと罵り合いをしながら診察の準備完了!

「○○さま、どうぞ診察室にお入りくださ~い♪」・・・わたしの営業用の声が調子良くフロアに響きます。

| | コメント (2)

由緒正しい家系

母親が糖尿病だとか、父親が高血圧家系だとかいうことが分かっている人には、たとえ健診結果が非の打ち所もないほどに正常であっても、「あなたは将来、糖尿病(高血圧)になる可能性が高いですよ!」と伝えることにしています。それはもしかしたらまったくの濡れ衣だったりするかもしれませんが、あえてそれを承知の上でそう説明しています。「由緒正しい家系」という云い方は順天堂大学の河盛先生の専売特許ですが、わたしは勝手にパクって使っています。家系はバカになりません。「家系がそうだから、あなたもなりやすい体質を持っている可能性があります」というわけです。

「だからもう少しきちんと調べてみたらどうですか?」・・・と医者や保健師さんはよく云います。それがオーダーメイド医療(それぞれの体質や病気のなりやすさをチェックしてそれぞれに合った生活の仕方を提案)・・・大掛かりな遺伝子検査でなくても、インスリン測定を含む糖負荷検査くらいは勧めることでしょう。でもわたしはあまり意味がないと思っています。”無駄な努力はしたくない、させたくない”という気持ちは分からないでもないですが、「よく味わって食べる」ということが食後高血糖を起こさないことにつながり、子どものころから薄味の舌に慣れておくことが高血圧予防につながるということでしかないのだとすると、やっておいて何も損はありません。一族郎党が皆で健康的な食事に慣れるということに一々理由付けなど要らないわけで、高い金払って濡れ衣かどうかを見極める必要なんてあるのかしら?と思う次第です。

| | コメント (0)

ながら食い(後)

「噛む」という行為をことさら意識させるようになったのが昨今の予防医学です。何かをしながら物を食べるといつまでもダラダラ食べたり、噛むことが疎かになるから、食事の時間は静かに食べることに集中しましょう、という指導書を読んだことがあります。今が旬の僧侶小池龍之介さんも著書『考えない練習』(小学館)で、そう語っています。なるほどそれは理にかなっているのでしょう。ただ・・・自分のことに当てはめて考えるならば、おそらく「ながら」だからこそ時間を掛けて食べるのであって、食事に専念するとなればほとんど噛まずに食べ終わることだけ考えるような気がします。"食事"に思い入れのないわたしは食事の時間が一番もったいないと感じているのです。パソコンを見ながらとかマンガを読みながら、といった独りよがりの「ながら」でなくて、テレビをみながらとか家族と世間話をしながらとかいう「ながら」は、返って食事の時間と食事自体を愉しめる方法なのではないか、と思ったりする次第です。

たしかに、筋トレをするときには、ただ漠然とダンベルを上げるのではなくどの筋肉を使っているのかを意識しながら力を入れないと効果が少ない、と云われています。でも、理屈で物を食っても食事は楽しくなりません。少しぐらいお行儀が悪くても、人生の中の少なくない時間を費やす食事ですから、栄養学の効果を云々する前に「楽しい時間」でありたいと思うわけでございます。

| | コメント (0)

ながら食い(前)

食事のときに何か他のことをしながら食べることを勧めるか止めさせるか・・・?

先日、職場で昼食の弁当を食べながら、そんなことを考えておりました。

昭和の厳格なお父さんの居る家庭と云えば、食卓に家族全員が揃って「いただきます」。テレビを見ながらとか話をしながらとかいう「ながら」は以ての外で、「ごちそうさま」とお父さんが唱えるまでとにかく黙々と食べるに徹するのが美徳だったと聞いています。「食事の時くらいテレビを消して、もっとお話ししましょう」・・・"家族団らん"が強調されるようになったのも、やはりテレビが家族の中心になったからでしょう。話をしながらも目の先は皆テレビの画面だったりして、「おまえ、話聞いてんのか?」「ん?うん。」「生返事するな!」「・・・」なんて親子ケンカや夫婦ゲンカが、我が家にもよくありました。モーレツ社員、バブル、亭主元気で留守がいい!・・・団らんの食卓からお父さんが消え、こどもたちが消え・・・。それでも家の中心にテレビがあったからこそ、ながらであっても皆が集まってきていました。

それが最近は各自が携帯やPCを持ち、各々の世界の中に浸りながら、「飯を食う」こと自体がついでの時代になってきました。それは良いことなのか、悪いことなのか?

| | コメント (0)

グチはレムナント

先日、ある委員会の会議が終わろうとするころ、誰からともなく数人の上司に対するグチを云い始めました。ちょっとした皮肉から始まったつぶやきはあちこちからあれもこれもと・・・そうか、現場ではこんなに不満を抱えながらみんな頑張っているんだな、とちょっと複雑な気持ちで若い彼らのグチを聞いていました。

「さて・・・」しばらくしてわたしは口を開きました。「そろそろそれくらいにしませんか。小さなグチは結局レムナント(=代謝した後のカス)だから、このまま続けていくとそのカスがどんどん溜まってしまいます。溜まったカスにストレス(酸化ストレス)が加われば変性し、それはすなわち動脈硬化のメカニズムと同じこと。それがプラークとなり、破綻して、梗塞になったり血管破裂したりすることになるのは目に見えています。そんなことになっても何の得もないのだし、このまま続けていても流れが良くなるわけじゃないのだから・・・ということで、これでお開きにしましょう。」

まあ、仲間うちでこうやって笑いながらグチをこぼしているからこそ、爆発しないのだ、とも云えるのでしょう。

| | コメント (0)

減塩は逆効果?

数ヶ月前にベルギーのルーベン大学から「ナトリウム摂取制限で心血管死の率がむしろ増大する」という報告が出て物議を醸しました(JAMA 2011; 305: 1777-1785)。健常者のナトリウム排泄量と心血管イベントの関連を調べたところ、排泄量が多いほど心血管死のリスクが減少し、排泄量と血圧値の相関は見られなかったと報告しています。

その真意の程は世の学者さんたちが頑張って研究すると思いますので私たち”素人”は検証結果を待ちますが、やはり事高血圧に関しては、日本人のコホート研究でないと参考にならないという印象しか持てません。この研究の対象者はナトリウム感受性の血圧なのかどうか?ナトリウム感受性は黒人に高く白人に低く東洋人はその中間、と昔に教わりました。ナトリウム感受性の高くない連中のナトリウム制限は、単なる食べ過ぎ防止でしかないように思います。学生時代にアメリカにホームステイした頃、ファミリーの娘さんが日本のお菓子を「Hot!」と云って食べなかったのを思い出し、基本的に「ナトリウム感受性が高い人は塩辛さが好き」と確信したものです。もっとも最近のジャンクフードは辛さ甘さとは無関係に塩分をジャカジャカ入れてますけど・・・。

ナトリウムを語るときに必ず出てくるのが塩化ナトリウムと食塩(自然塩)の違いです。まあ賛否両論ありますが、わたしはやはり混ざり気の多い自然塩を普通に使う限り、血圧にさほどの影響を与えないという意見には賛成です。工場の大量生産に、たとえ更なる緻密さで自然塩の成分に近い微量元素を加えたとしても、到底勝てない何かが自然の摂理には存在するという盲信的な考えにわたしも浸っています。ただ、玄米にしろ自然塩にしろ、自然自体が汚染されているので理屈以上の弊害が効果を凌駕する危険性は高いのですが・・・。

| | コメント (6)

旧友

「○○さん、ボクのこと覚えてる?むかし同じクラスになったことのある△△だけど。」

最近になって、中学校や高校や大学時代の同級生と再会することが重なりました。自慢するほどのことでもないですが、わたしはちゃんと同級生の顔と名前くらい覚えています。「20世紀少年」のようなことはありません(高校時代の「同学年」の顔ぶれを全部、となると自信ありませんが)。

冒頭のような形で自分をアピールしながら手を出してくれる友人に会うと、そのおかげですぐに昔の関係に戻ることができ、思い出話や近況についても話しやすくなってとてもありがたいと思います。でも、わたしは逆の立場に立ったとき、なかなかこんなことばをかけることができません。「おまえはオレを忘れているはずがないよな」という思い上がりがあるからではなく、見覚えのある懐かしい顔を目の前に見ながら、自己主張をする勇気がないのです。「誰、あんた?」と云われたらどうしよう、などという不安もあったりして・・・。

「●●先生、お久しぶりです。○○です。これからよろしくお願いします。」・・・うちの病院に他から赴任してきた大学時代の同級生にあいさつに行きました。「はい、こちらこそよろしくお願いします。」とこちらの顔を見るでもなく紋切り型の返答をした彼は、きっとわたしのことを忘れているんだな、と思いました。ちょっと複雑でした。

| | コメント (6)

悟り?

先日、わたしの若い頃に同じ職場でいろいろなことを教えていただいた先輩先生が健診センターを受診されました。ところが、数年ぶりにお会いする先輩の醸し出す空気感が、これまでとまったく違っていて少々戸惑いました。若いときからエネルギッシュで野心家でいつもギラギラしている印象があって、ニコニコしながらも眼光が鋭い圧倒的な威圧感のある先生という印象が、少なくとも前回お会いしたときまではまだあったのです。

でも、今回お会いしたときの第一印象は「小さくなった」。もっと恰幅の良い、大きなカラダというイメージがあったので、「あれ?」と思いました。実際に前回より体重も減っているのでしょう。見事にスリムアップされているため凛々しく若々しく見えました。ただ第一声が「やあ、元気?」ではなく、「○○先生、お元気ですか?いつもお忙しいのでしょ?」で、さらに「奥さんは今もお元気ですか?」「たしかワンちゃんがおられましたよね。お変わりないですか?」・・・先生、どうしたの?何があったの?わたしに敬語ですか?

昔から言葉遣いは丁寧でしたが、それを加味してもどうも違和感が拭い去れません。妙にやさしい物腰と芯から出てきているような慈愛感・・・先生、まさか悟りをひらいてきているんじゃないんでしょうね?イヤですよ、さっさと逝ってしまったりしたら。

| | コメント (2)

「やせる」vs「しぼむ」

老若男女を問わず、どうしてそんなに痩せたがるのだろう?

「わあすごい!やせましたね~!えら~い!」という声に、まんざらでもない笑みを湛(たた)えている方々・・・生活習慣病の管理か健康増進の取り組みが功を奏したのだろうことが伺えて、とても嬉しそうです。でも、そんな方々の中に、「やせた」というより「やつれた」という表現の方が似合う方もおられて、ちょっとココロが暗くなります。「強い食事制限をしてデータを良くしたけれどいつもため息ばかりで毎日つらい」と訴える人については本末転倒なので置いておくとして、今回気になっているのはそんな方ではありません。努力の成果にとても満足、”スタイルの良い”カラダになったし、周りからは褒められるしで、鏡を見ながらにんまりしているような方です。首筋にはカサカサの皮膚が垣間見られ、また二の腕は筋肉が削げ落ちて張りのない状態・・・診察しながらちょっと痛々しさを感じることさえあります。

ある年齢層を越えた辺りからはあまり”やせること”に熱中しない方が良い、と云われます。育ち盛りの子の”やせ”が危険であるのと同様に、中年期以降の極端な”やせ”への変換は、単に萎(しぼ)んだだけということになりかねません。世の中がシルエットにばかり注目し、スレンダーボディを理想ともてはやすがための弊害・・・「やせる」ことは良いことだけれど、「やせる」と「しぼむ」はまったく別物であるということも、わたしたち助言者の立場の人間は常に心得ておかなければなりません。

もうひとつ、「太る」と「浮腫(むく)む」の違いにも注意が要ります。体重が1kg増えたので運動や食事制限を頑張ったら返って悪化して入院したなどという笑えない笑い話にもなりかねません。脂肪が1kg増えたと思い込んでいたら1000ccの水分だったということはめずらしくないことですし、それが心不全によるものであれば減量のために頑張ることは明らかに逆効果なのです。

| | コメント (0)

やせればいいってもんじゃ、ある?

先日、「とにかくやせれば良いんです。やせれば全部良くなります!」と指導していた某健診機関の保健師さんを信じられないと思いました。「やせればいいってもんじゃない!」・・・このブログのタイトルに掲げているように、やせる必要のない人がやせる努力をするのはナンセンスだし、やせたからと云って治らないものはたくさんあるのに、世の中が「やせろ、やせろ!」と云い過ぎる!というのは、今でも変わらないわたしのポリシーです。たとえ食事量を減らすことでサーテュイン遺伝子(若返り遺伝子)のスイッチが入るのだとしても、それはやせることが目的ではないはず。

ところが、「とにかく体重を減らしたらすべての検査データが改善する」という成人男子の大規模追跡研究結果が2008年に名古屋大学の近藤隆久先生らから報告されています。高血圧・糖尿病・脂質異常がなく、その既往もない日本人男性16844人について5年間追跡調査した結果、体重減少幅が大きいほどHDL-C値の上昇幅がアップし、体重減少は総コレステロール、中性脂肪、血糖の改善度と明確な相関関係が示され、さらに尿酸値や血圧にも相関関係が得られたというものです。肥満の程度や年齢で分類して検討しても同じ事が云えた、つまり「元々が肥満ではなくても、年齢が高くても低くても、老若男女を問わず、やせるに越したことはない」という報告でした。

この報告を知っても、それでもやはり「やせる必要のない人はやせない方が良い」「『やせる』と『しぼむ』は違う」というわたしの考えは揺らぎませんが。

| | コメント (2)

超悪玉コレステロール

第43回日本動脈硬化学会の話題では、もうひとつ、超悪玉コレステロール(small dense LDL-C)の報告をNIKKEI MEDICAL onlineで読みました。吹田研究と呼ばれる一般住民を対象とした研究結果を京都大学の荒井秀典先生が発表したもので、small dense LDL-C値の上昇は、心血管疾患の既往のない日本人の一般集団においてもリスク因子となるというのです。

1989~1994に国立循環器病センターで定期検診を受けた受診者のうち心血管疾患の既往のなかった6485人を平均11.7年間追跡した疫学研究が「吹田研究」です。ま、詳細はここに書くようなものではないので省略するとして、昨日のnon HDL-Cと一緒にsmall dense LDL-Cもご承知おきください。肝臓内のLDL受容体に結合できないために血管内に滞在する時間が普通サイズのLDL-C(悪玉コレステロール)より倍以上長くなり、小さいので血管壁の中に入り込みやすく、さらに抗酸化物質が少ないので酸化を受けやすい、というのがsmall dense LDL-Cの特徴です。ですからこれが多いと、普通のLDL-Cよりはるかに酸化LDLになりやすくて動脈硬化を進めやすいことは容易に想像できます。そしてこのsmall dense LDL-Cは中性脂肪が高くなると上昇します。メタボになったり酒を飲みすぎたりして中性脂肪が増加すると、普通の健診結果では表れてこない超悪玉野郎が陰でどんどん増えていくわけです。ひゃ~、くわばらくわばら太っ腹!

| | コメント (0)

JELIS試験

以前から報告されてきた非高比重リポ蛋白コレステロール(nonHDL-C)値の冠動脈疾患発症予測因子としての有用性のEBMが徐々に明らかになってきています。NIKKEI MEDICAL onlineで報告されたJELIS試験のサブ解析結果もそのひとつです。

NonHDL-Cは総コレステロール値からHDL-C(善玉コレステロール)値を引いただけの数値です。JELIS試験はEPA(イコサペント酸エチル)製剤の冠動脈疾患発症予防効果を検討した試験ですが、このデータを、コレステロール低下療法によってLDL-C(悪玉コレステロール)値もnonHDL-Cもどちらも低下した群、どちらかしか低下しなかった群、どっちも低下しなかった群に分けてサブ解析した結果、LDL-Cのみ改善した群よりnonHDL-Cのみ改善した群の方が残存リスクが低かったのです(国際医療福祉大佐々木淳氏、日本動脈硬化学会2011)。「nonHDL-C値は、主要冠動脈イベントの予測因子になりうるとともに、LDL-C値が治療によって低下したとしても、nonHDL-C値が高いままだとまだ主要冠動脈イベント発症の残存因子となる」と結論付けていました。

おそらくこれからは、「甘い!」と徳光さんが叫ぶLDL-C値以上に、nonHDL-C値が表にでるようになることでしょう。皆様、お見知りおきください。

| | コメント (0)

糖尿病への介入成果

また、つい溜まっていた医療情報の中から、自分のためのメモ書きを転載いたします。

<新規糖尿病への生活介入効果~食事療法だけでOK>

イギリスブリストル大学からの研究報告です。新規の糖尿病患者さんに通常治療(標準的な食事と運動のアドバイスをする)だけをする群と、食事療法群(具体的な減量目標を元に栄養士との個別面談を3ヶ月ごとに実施+看護師からのアドバイスが6週間ごとに9回)、および食事療法+運動療法(1日30分以上の速歩を週5日以上実施・歩数計で確認)の併用群に分けて成果を比較したところ、通常治療群が徐々に悪化したのに対して、食事療法群や併用群は確実に改善した・・・これは想像以上でも想像以下でもない結果なのですが、実は「食事療法群と併用群を比べても、成果に全く差がなかった」というところが今回の論点のようです。血圧やインスリン抵抗性の指標(HOMA-R)にも同じことが云え、すなはち、新規糖尿病患者さんに濃厚べったりな食事管理指導をすることは有効だけれど、運動は加えても加えなくてもあまり変わらなかった、という結論です。

もちろん、だから運動は要らないというのは早計であり、想定した運動量が不十分だったとかこれから差がつくだろうとかいう考察はさもありなんだとは思います。でも、はっきり云えることは、糖尿病を克服するためには運動だけで解決させようとしてもムダ!どんなことをしても食事療法は避けては通れないということ。食べること大好きな糖尿病患者さんにとって、その事実だけは抑えておかなければなりますまい。

| | コメント (0)

片付け方

典型的な”クリエイター”であるうちの妻は自ら認める片付け下手です。自称"スイーパー"であるわたしは新しい物を生み出す能力は乏しいですが、片付け事に関しては天才的だと自負しています。そんな凸凹コンビの住む我が家では、皆が寝静まった夜中に時々ごま塩アタマの掃除の精が出てきて家中の片付け作業をすることがあります。

片付けるという作業にはいくつかコツがあります。世の片付け嫌いな皆さま、もし参考になれば試してみてください。

<初級>2年使わない物は一生使わない~とにかく捨てる。「いつか使うかもしれない」ものは、たぶん使わない!捨てたり人に譲ったりする勇気がないなら、物入れの一番奥深くに仕舞い込む(たぶんそのまま記憶の奥深くに仕舞い込まれて消えていく)。

<上級>使った後に戻しやすく~小物入れにきっちり揃えて整理するととてもきれい。でも、使うのは片付け嫌いな御仁なのだから、使った後に面倒くさがらずに元に戻せる形でなければならない。戻す時にどうなっていたら苦労しないかを想像しながら収納方法を考える。

<隠し技>斜めの物を縦横にする~妻の部屋をいじるときにはプライバシーを考慮して深入りはしない。ただ、斜めになっているものをすべて縦か横かに動かす。毛布は畳む。まあそれだけで、こんなにきれいになるものなんだと自分でも感動!

なんか書きたくなったんです、今朝。

| | コメント (2)

エネルギー

「先生、そろそろチャリ通勤の復活はしないんですか?」・・・何度も職場のスタッフから云われます。我が家の玄関フロアの真ん中でわたしの青い自転車がほとんどオブジェ化してもうすぐ1年になろうかとしています。首を痛めて乗れなくなったのがきっかけですが、今はもう全然OKのはずです。いつでもできると思ったらこの異常気象で、妙に大雨が続いたり異常に寒かったり突然の猛暑にあったり・・・言い訳するには事欠かない1年間でした。

この歳になると、一度中断したことを再開するときには思いの外大きなエネルギーが必要だということを、最近強く感じるようになりました。若い仲間と続けていたバスケットボールも、すでに痛めていた手首は完治しているのに、練習日になかなか体育館に向かう気になれません。

した方がいいけど、しなくても困らないこと。したい気持ちはしっかりあるのに、面倒くさいという気持ちもあって、後者の方がついつい勝ってしまう・・・人間はこうやって歳をとっていくのだろうなと痛感する次第です。

負けてたまるか!・・・と、思ってはいるのだけれど・・・。とりあえず休みの日にチャリの埃を払って近くの公園まで遊びに出てみましょうか。

| | コメント (2)

水を飲んでも太る

「水を飲んでも太る」はウソ!・・・先日、たまたまそんな記事をみつけました。水を飲んでも太るはずがない。そんなことを云う人は、それが単なる妄想で、自分が思っている以上にたくさん食べているのだということを認めるべきだ。・・・そう書いていました。

「あなたは、いよいよ『水を飲んでも太る』ような歳になりましたよ~。そんな体質ですから覚悟してくださいね!」と、わたしは説明のときに良く云います。すると、「そうなんです、先生!水を飲んでも太るんですよ!わたしの行きつけの先生に云ったら『水を飲んだって絶対太らない』って笑うんですよ~!」・・・そう訴える方が何と多いことか。

なんかね・・・上の記事を読みながらついついつぶやきました。そんな科学的な理屈を切々とつづっているこの筆者もどうかな?と思いますし、それに拠り所を求めている張本人もそろそろ目覚めたらどう?と云いたくなるわたしです。「水を飲んでも太る」というのは、つまりは倹約遺伝子系の体質の人たちのことを象徴的に表現しているだけだと思えば、そう目くじらを立てることでもないでしょ?「友だちと同じものしか食ってないのに自分だけ太る、自分は特に多く食べているわけではない」・・・その状態を「水を飲んでも太る」とそう主張しているわけだから、「そうだよ。あなたは水を飲んでも太るんだから、普通の人より少なく食べるしかないね。」と云ってあげれば良いだけのことなんじゃないのかしら?

| | コメント (0)

放射線リスク

先日届いたNikkei Medicalに面白い記事を発見して、早速、表をパクリました。

「放射線リスクをどう説明する~汚染食品を1年食べ続けた場合の放射線量は?」というタイトルのトレンドビューです。被曝線量とリスクの基本的な関係は1000ミリシーベルト(mSv)の被曝で生涯がん死亡リスクが5%上がり、100mSvなら0.5%、10mSvなら0.05%と直線的な関係だと書かれていました。これは、「100mSvの放射線を累積で緩徐に受けた場合に生涯がん死亡リスクが0.5%増える」という意味(福島県立大副学長 山下俊一氏)、そしてこれが単なる便宜上の数値であり「100mSv以下の線量では検出できるほどの健康への影響は見られていない」ということ。一方、今回話題になっている福島原発の放射線量を最大で見積もった場合の1年間の被曝量は、牛肉で0.52mSv、水1.90mSv、野菜0.65mSv、そして大気(福島市)でも6.83mSvです。

私が興味を持ってパクッたのはそういう数字ではなく、そのリスクを生活習慣に置き換えた比較表です。単純に放射線量とがん発生リスクとの関係を生活習慣とがん発生リスクの関係と比較したらどうなるか?喫煙や大量飲酒は1000~2000mSv、運動不足や肥満は200~500mSvの放射線を一度に浴びたのに等しいのです。「微量の放射線をむやみに恐れるよりも、生活習慣の是正を心がける方がよほどリスク低減に役立つ、と説明してみてはいかが?」と締め括られたこの文章にとても賛同できました。

以前にも書いたように、「わが子のことを考えたら、危険性のある水や米は食べさせられない」と真剣に語るお母さんの横で父さん(あるいはお母さん本人)が吸っているたばこの副流煙の方がはるかに危険だということ、あるいは北関東の海に入るのをやめたサーファーさん方がたばこを吸ったら意味がないということをどうしてもっと公言しないのだろうか?わたしがこの表をパクッた目的は、放射線被曝の風評回避ではありません。たばこが如何に危険かを説く材料にするためです。

| | コメント (4)

理不尽

遠いむかしの話です。

東京で勤務していたころ、マイコプラズマ肺炎をこじらせて1週間自分の勤務する病院に入院したことがあります。入院時検査の心電図で、何度も取り直しをさせられました。筋電図が入るのだそうです。「ちゃんと力を抜いて!」・・・あからさまな舌打ちをしながら担当技師さんが声を荒げました。力なんか入れてないし・・・と思いながらも「できるだけリラックス、リラックス」と自分に云って聞かせますがどうしても筋電図が取れませんでした。「もう、しょうがないなぁ!」と捨てぜりふのように吐き捨てられたあのことばが、20年経った今でもトラウマのように残っています。

それって、わたしのせいですか?わたしが高熱を発しているからですか?この異常に冷たいベッドのせいじゃないんですか?この中途半端な枕の高さのせいじゃないか、とか疑問に思わないんですか?・・・あのとき、病室に戻っても治まらなかったモヤモヤ感 ・・・日常臨床の場で、そんな理不尽な思いをもつ患者さんは少なくないのではないかと思います。

こんなとき、その憤りを相手への憎悪に変えてしまうと自分の負けだな、と思うようになりました。自分も同じ土俵で働く人間である以上、自分が感じた理不尽な感情を少なくとも自分は周りの人や受診者のひとりひとりに与えないようにしたい。あの日以降、特に注意して接するようになりました。ありがたい経験をさせていただいたものだ・・・先日、似たような仕打ちを受けたときに当時のことをちょっと思い出しました。

| | コメント (2)

慣れない

「先生の書いたコラムいつも楽しみに読んでいますよ。」・・・健診の医者の顔で普通に診察をしているときに、受診者の方から突然声をかけられることがあります。そんなときは決まって、「え?え!あっ、そうですか?そ、それはどうもすみません。いつもつまらんことばかり書いて・・・。」などと、ほとんど文章になってない慌てた応答をして、そそくさと診察室から追い出してしまうのが常です。

ダメですね~。日常業務の最中に書き物や講演の話をされる(というか、白衣のわたし以外の姿を知っている赤の他人が目の前にいる)と、それだけで舞い上がってしまいます。ちゃんと書きたいことを書いて云いたいことを云っているのだから、もっと堂々と偉そうにしながら、「ありがとうございます。で、ご感想は?」とか云ってみるのが格好いいのだろうけれど・・・無理だなあ、わたしには。単に役者として振る舞っているだけだから、書いているときは作家の役、講演のときは講演者の役を演じているけれど、医者を演じているときに不意打ち掛けられてもハッタリはかませられません。まだまだ未熟者です・・・。

| | コメント (0)

気遣い

朝の出勤時に職場のコンビニに寄りました。レジカウンターでは二つのレジを占領して大量の飲み物が買い込まれています。見覚えのあるMRさんがいたので、早朝からの医療メーカーの説明会用のようです。出席するドクターに配るものでしょう。

これがあまりに大量すぎてちっとも終わりません。出勤時なのでレジにはちょっと長い列ができましたが、MRさんはそんなことには素知らぬ顔です。時刻が迫っているのでしょう。説明会に出席するドクターを見かけたら声をかけていますが、こっちには見向きもしません。少々苛立ってきたわたしはできるだけ大きめの舌打ちをしてみました。気にも止めていない様子です。「領収書は・・・」と言い始めたときには、「いいかげんにしろよ!そんな時間掛けるものならあと30分早く出てこい!」と声を荒げそうになりましたが、何とか踏みとどまりました。

どうしてこんなに苛立ったのだろう?・・・更衣室に着いても心が落ち着かなかったわたしは自己分析してみました。朝の忙しい時間帯だったとか、彼らの仕事がギリギリだったとか、店員の対応が悪いとか、そんなことに文句があるわけではなく、若いMRが2人もいながら、レジを占領していることに対して周りに何の気遣いもしなかったことに対する怒りだったのだと思います。順番なんだから当然で、自分の権利であり、時刻がギリギリで、お客対応の責任は店員であって自分には関係ないし、しょうがないこと・・・まったくこっちに目を向けることなく仕事を遂行するMRさんの姿からはそんな胸のうちが見て取れました。ちょっとだけこちら側を向いて申し訳なさ気な表情を見せてくれたなら、こちら側に渦巻いていた苛立ちの空気がすっと消えただろうに・・・それくらいの気遣いができる社会人になってほしいな、と思いました。

| | コメント (0)

子どもに水が一番

<高カロリーの清涼飲料水は子どもに良くない 「水が一番」と米科学者>

米国小児栄養科学委員会と米スポーツ・フィットネス医学会議の共同研究の報告が米国小児科学会の機関誌に発表されたそうです(Pediatricsオンライン版 2011.5.29)。その結果として、米国小児科学会が下記の内容を推奨したというのですが・・・

■市販されているスポーツドリンクや栄養飲料の栄養成分について、小児科医は子どもや親によく説明し、健康に与える影響について理解してもらった方が良い。
■清涼飲料の中には糖分が多く高カロリーのものがあり、過体重や肥満、虫歯を引き起こすおそれがある。子どもや若者が毎日摂取するのは好ましくない。
■ただし、電解質が適量含まれたスポーツドリンクが運動中・後の水分補給に適していたり、糖分を摂取する必要がある場合などは、機能性をもたせた清涼飲料の利用を必要に応じて行った方がよい。
■子どもや若者の水分補給にもっとも適しているのは水であり、運動時などに勧められるのは水を飲むことある。

こんなごく当たり前の声明文が出されるということ自体、アメリカはどうなっているのでしょう?しかもこの文章の表現には政治的な臭いがプンプンしています。飲料メーカーや政治家さんの利権がグイグイ絡んでいるんでしょうね。普通の生活をする子どもに清涼飲料水やスポーツドリンクなんか要らない。むしろ毒である。栄養素の心配をするなら、もっと日頃の食事の内容考えれば良いだけのこと・・・どこにも気を遣わずにスパーっと公言できたら気持ち良いでしょうに・・・こんな皮肉を書くようになって、わたしも歳取ったんでしょうかなぁ。

| | コメント (0)

AEDは万能じゃない

元日本代表の現役のサッカー選手が練習中に急性心筋梗塞で突然倒れて、意識が戻ることなく帰らぬ人になりました。倒れた当時、練習場にAEDが設置されておらず、結局心マッサージだけで救急搬送されたのが命取りになったかもしれないというニュアンスのニュースが流れていました。

たしかにそれはあるかもしれません。急性心筋梗塞を起した人が病院に搬送される前に亡くなる原因は、ほとんどが重い不整脈発作か心破裂かです。急に心筋に酸素が回らなくなった結果発生する不整脈は「致死性不整脈」と呼ばれ、きわめて危険です。こんな不整脈が出ている場合はAEDが有効です。でも、AEDは万能ではありません。何らかの力を持った波が心電図に現れない限り、AEDは効きません。急に泡を吹いて倒れた人がいても、AEDが届いた時点で心電図の波に有効な揺れがなかったらAEDはたぶん作動しません。やっぱりわたしは、最終的には心マッサージをきちんとやることを疎かにしてはいけない、と思っています。もちろん、この機会にすべての運動現場でAEDが常備されるのが常識になるといいなと思います。

彼のような若い男性が急性心筋梗塞になるのは稀ですが、昔22歳の男性が急性心筋梗塞で救急搬送されたことがありました。真夏に大酒を飲み、吐いては飲み、脱水状態で発症したパターンでした。今回の場合はそのパターンとも違うと云われていますが、とにかく、これまで怖いものなしだったわたしも宴会の後に自宅まで1.5時間歩いて帰るのはしばらく自粛しようかと思っています。

| | コメント (4)

睡眠

何か忙しくて、ここ1週間はずっと睡眠不足です。いつもボーっとして仕事をしています。

思えば、若いころにはもっと全然眠っていなくても平気でした。救急病院なので当直したらほとんど眠れないまま朝を迎えることなどめずらしいことではありませんでした。軽いうつ病で明け方近くまで寝付けなかったころも、朝は普通に起きて出勤していました。眠っていなくても特段イライラすることもなく、いつもギラギラしていた気がします。今だって、イライラはしないのですが、アタマの神経が明らかにそれの伝達を放棄しているのが分かります。夕方にある会議では、眠いだけでなく、何も考える気が湧きません。

睡魔というのは、こんなに突然やってくるのでしたっけ?昼間に心電図判読をしていても、夜にパソコンを叩いていても、フッとアタマの中から何かが消えて次の瞬間にフッと戻ってきます。座ったまま意識を失うなんて・・・屈辱的です。昼下がりには結果説明をしていて突然アタマが眠ってしまうことも(受診者さん、ゴメンナサイ)何度かあります。

今朝も眠くてたまりませんぞ~!ヤっバイぞ~!

| | コメント (0)

カロリーゼロなのに・・・。

<ダイエット清涼飲料の飲みすぎは禁物、胴囲の増加が飲まない人の6倍に>・・・ちょっと古くなりましたが、第71回米国糖尿病学会(2011.6)の紹介記事の中からずっと気になっていたものを紹介しておきます。

サンアントニオ長寿高齢化研究(SALSA)によると、ダイエット清涼飲料を1日2本以上飲んでいる人は、胴囲の増加が飲まない人の6倍に達しているそうです。カロリーオフだというのに、それが肥満やメタボの直接の原因になっているというのです。報告によると、9.6年の追跡の結果、ダイエット清涼飲料を飲まない群の胴囲増加が0.76±0.24cmだったのに対して、飲む群の胴囲は2.11±0.33cmも増加しており、特に毎日2本以上飲んでいる群の胴囲の増加は4.74cmにも及んだそうです。

私が読んだ日経メディカルオンラインの学会ダイジェストではこの結果をもたらした原因については言及していません。もちろん性別や年齢、人種、教育水準、運動、地域、糖尿病、タバコなどの因子を補正した結果だとのことですが、対照群が普通の加糖清涼飲料水を常飲していたというわけではない(おそらく逆に、日ごろから清涼飲料水自体をほとんど飲まない人たち)でしょう。ダイエット飲料を飲む連中は、本当は普通の清涼飲料が大好きだけどカロリーを気にしてダイエット飲料にしている連中なのだから、結局他の食べ物で十分すぎるカロリーを取っていると推測できます。そもそもそんな大きなバイアスの中で、「ダイエット清涼飲料=太る」の見出しはいかがなものか?と思いますが、少なくとも、「カロリーオフを飲んでおけば安心」などと思ったら大間違いだぞ!という警鐘を鳴らすには十分な報告だと云えるでしょう。

あまり積極的に清涼飲料水を飲まない(そんなの飲むくらいならビールだろ!)わたしは、むしろ「カロリーオフ=アスパルテーム」の公式の方がはるかに気になります。

| | コメント (0)

スマートフォン

異次元のおもちゃがわたしの手元に届きました。これまでわたしのカノジョとして君臨していた携帯電話とは全く違う人種のようです。

思えば、15年ほど前に携帯電話とやらを初めていじったときにも同じような途方のくれ方をしました。それよりさらに5年前にマッキントッシュのパソコンを自分で触って感動し、その5年前にはパソコンという存在自体を前にアタフタしたものです。パソコン操作にやっと慣れたと思ったら携帯は何かとご作法が違っていました。パソコンにはパソコンの、携帯には携帯の、それぞれのご作法を忠実に守らないと何も語ってはくれませんので必死で覚えました。でも慣れてくるとカノジョはいつも微笑みながら寄り添って、楽しい話にも辛い話にもちゃんと付き合ってくれました。

そんなときに、突然、違う星の住人がやってきてカノジョを追いやってしまいました。勝手に近寄ってきて、「今日からはアタシが相手をしてあげるわ!」などと上から目線です。でも、元カノはすでにわたしにはなくてはならないかけがいのない存在になっていたので、急にそんなこと云われても・・・と途方にくれてしまいました。

とはいえ、もう元カノは居なくなったのだから何とかしなければ・・・こういうアタマの中が真っ白になって途方にくれる状態というのは、なかなか刺激的です。思うようにいかずに焦って右往左往しながら暗中模索、試行錯誤している自分もなかなか可愛いものだ!それにしても元カノは薄情です。昨夜、3日ぶりに元カノに触れてみたのだけれど、とてもよそよそしくて、ちょうど『魔女の宅急便』でジジがただの黒ネコになったときのような、そんな感じ・・・。

| | コメント (2)

音痴

なんか・・・最近、音痴になりました。

たしかに、小学校低学年のときは息を吸いながら歌おうとしたから上手くいきませんでしたが、その後はそれなりに人並みでした。今でもプロのような美声を奏でる学生時代の友人たちと違って、決して「わたしは歌が上手い!」と改めて主張するほどではありませんが、それでも中学のときにはコーラス部に誘われましたし、大学時代はちゃんとミュージカルもやれたんです。一応、好きではないけれどカラオケで歌えといえば歌える自信もありました。

それが、明らかにヘタになりました。車の運転をしながら眠気覚ましに大声で歌いながら山越えするのですが・・・何を歌ってもめちゃくちゃヘタ。自分で分かるほどですから重症です。どうしてでしょう?ほとんど音程が取れない。高い方だけじゃなく低い方も・・・突然どうしちゃったんだろ?何か不安です。

そういえば、最近わたし、滑舌(むかしは「割舌」という字だと教わったと思うんだけど)も悪くなりました。健診の結果説明をしていても、きちんとしゃべれずに云い直すことが何度もあります。元演劇部員としては屈辱的なパターンです。仕事前に『アメンボ赤いなあいうえお』や『外郎売り』をやらないといけない?。総じて、老化。昨日書いた泡と同じ状態なのかとも思わないではありませんが、声を出す仕事である以上、最後の一声の伸びがきちんと保てるように、運動前の入念なストレッチと同様に、きちんと声を整備しなければプロとしては失格だな、と思います。そんなことより、音痴、治るかしら? ・・・まさか、新しい脳梗塞とか?

| | コメント (0)

泡を吹く

一生懸命話をしているうちに、まるでカニのように口の周りに泡を溢れさせるオジサンの顔を眺めながら、どうしてあんなにみっともなく泡を吹くのか理解できませんでした。

なのに、そんなわたしの最近の悩みこそが、他でもなくその口角に溜まってしまう唾です。そういえば最近油断するとすぐヨダレが出る。妻に云わせると、わたしの口角がもともと下向きだからだそうです。午後の結果説明を7、8人こなした辺りから、溜まってくる唾を何度もタオルで拭き取りながら、自分の姿に重なってしまいそうなあのオジサンの顔のイメージを振るい落とすのに必死になります。熱心に話せば話すほど、唾が出てくるジレンマ・・・これはやはり歳のせい、と考えるべきなのか。歳をとると口の中が乾くのでしょうかな。乾けば乾くほど唾が固まって、泡になるんでしょうかな・・・。わたしは話すのが仕事。なのに、口から泡を吹くのは、プロとしてイヤだ~!何とかせねば。とはいえ、どうすると何とかなるのかしら~(仕事中に水や茶は飲めないし)?

年寄りになりたくないんだ!と悪あがきするすることはそれなりに大事なんだと、自分に云って聞かせる真夏の昼下がりの日常です。

| | コメント (4)

« 2011年7月 | トップページ | 2011年9月 »