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残暑見舞い

先日、大分に住むいとこから残暑見舞いが届きました。9月に残暑見舞いもないもんだ!とか思いながらも、わざわざハガキを出してくれたことを嬉しく思いました。

そういえば、長いこと暑中見舞いや残暑見舞いは書かないなあと思います。学生時代は夏休みの恒例でしたし、社会人になってからもわたしはかなりの期間必ず出していました。結婚して、石神井に住んでいた頃にも、たしかプリントごっこを駆使して書いていた記憶があります。当時、妻が手書きの夏のイラストを何枚も書いていたのを思い出しますので、わたしだけでなく妻も、当たり前のこととして暑中見舞いを書いていました。

年賀状ほど期間にうるさくなく、前もって書いて出す行事でもないので、年賀状よりもはるかに近況報告の色が濃く、当然書く内容は年賀状より手紙的でした。その代わり、期間が長い分だけ書くタイミングを失うとつい書き損じてしまうこともあります。立秋を過ぎて慌てて残暑見舞いに書き直したり・・・。いつから書かなくなったのでしょう?「あれ、もう世間は夏休み?あれ、いつの間に盆が過ぎたの?」・・・忙しい生活の中で、季節の変化すら気づかなくなり、いつの間にか暑中見舞い用のハガキを買うことすら忘れていったのでしょう。そして近況はメールや携帯電話で済ますようになり、年賀状ほど儀式的ではない暑中見舞いはわたしの環境から消えていったのだろうなと分析してみました。

夏の夜や日曜日に、風鈴の音をバックに夏の便りをしたためる、なんて風情をもう一度取り戻してみたいものです。それがまた、自分の人生に余裕を導ける手段のような気もします。まあ、そんなことを夏の終わりに思っても後の祭りなのでしょうが・・・。

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