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2011年10月

月曜日

ほんの2、3年前まで、わたしは月曜が大好きでした。昔から土日はとことん動きまわっています(遊びも家事も出張もあります)が、その上で月曜の朝には、さあ今週も頑張るぞ!という爽快な気分でした。サザエさん症候群なんて全く縁のない人生でした。

それがどうも最近、月曜日がいけません。今までと同じように爽快な朝なんですが、職場で仕事を始めてみると感じる変なリズムの違い・・・妙に周りの皆さんとの波長がずれているような気がするのです。月曜の夕方にはほぼ解消され、火曜日以降はまた普通のウィークデーに戻るのですが・・・。

おそらく、わたしの週末モードが完全に仕事から離れた趣味の世界だから、それがサッカーであれゴルフであれ犬であれブログであれ演劇であれ庭掃除であれ衣替えであれ、そのモードからの切り替えに若干時間がかかりはじめたのかもしれないな、と自己分析しています。それが歳のせいなのかもしれないと思う反面、こういうのがもしかしたらうつの前兆なのかもしれないから要注意だな、とも考えながら、今のところつつがなく仕事をしています。

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墓掃除

先日、1ヶ月ぶりに墓参りに行きました。また生え始めた小さな雑草を小まめに抜きながら、今回もいろいろなことを考えました。

洋の東西を問わず、人は墓参りに行ったら必ず墓掃除をします。自分の部屋をどんなにちらかしていても、自分の家の庭がどんなに草茫々であったとしても、そんなことに関わりなく墓にきたら皆掃除をします。荒れ果てた墓の前で、そのままただ手を会わせるだけで帰る人はまずいないでしょう。

「ご先祖様が天からちゃんと見ている」というのは否定しませんが、でもそれは部屋にいてもどこにいても同じ条件です。だからそれは墓掃除だけ頑張る理由にはなりません。

たぶん墓掃除するときの自分は、ご先祖さんへの具体的な思いが自然と湧きあがり、自分の心の区切りとして慈悲の心が純粋にそうさせるのだろう、とか思ってみたりします。誰かにそうしろと云われて嫌々するのではないこういう行為が、人間の心を豊かにするのではないかと思います。

そんなことを考えながら草取りをしたので、いとも簡単にことを終えました。墓掃除をするのが心地よい気候になりました。

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病気を見ていない

若手スタッフの知識向上のために、休日に勉強会をすることにしました。1週間前に第一回目を開催し、まずとっかかりとしてわたしが生活習慣病の基礎をレクチャーしましたが、その資料を作りながら、ちょっと驚いたことがありました。

いつも住民のみなさんにお話している講演のスライドや健診ナースへの特定健診に関わるスライドなどを並べて準備していたら、あることに気づきました。「病気のスライドがない!」・・・心筋梗塞や不整脈はもちろんですが、たとえば糖代謝異常やインシュリン抵抗性のスライドはあっても糖尿病の分類や治療に関するものは皆無、ちょい悪血圧のスライドはあっても高血圧症の原因や合併症や治療法についてのスライドはない。住民や役場職員の皆さんにいつも生活習慣病の話をしてきていたつもりで居たのに、病気になる前の話しかしてなかったことに気づいて、ちょっと驚きました。要するに、保険診療の対象になるような病気にまったく興味がなくなって、病気になったら病院の専門医に任せてしまえばよい、と割り切っているということでしょう。心から臨床の医者から健診の医者に変わったんだなと思うと、ちょっと感慨深い気がしました。

大慌てで病気のスライドを作ってレクチャースライドに加えました。

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「いつもいわれます。」

「健診ではいつも異常といわれます。平成15年に精査(心エコー、トレッドミル、ホルター)を行って異常ありませんでした。だから何ら検査は行いませんでした。」

少々不機嫌そうな表情で書いている姿が目に浮かぶ注釈付きの返信が返ってきました。ある男性が受けた健診の心電図で高度の陰性T波所見が認められ、「左室肥大」の診断で精査依頼書を発行したのです。この文章は、受診先の医療機関からの返信です。まあ、問診票に心臓に関する記載が全くなく、毎年精査依頼書を発行するのに受診していない歴史があるから今年も発行したわけで、ちゃんと診ている医者がいることがわかったので、おそらく来年から「経過観察」に評価をかえることでしょう。

「それにしても・・・」わたしはその返信を読みながらつい苦笑いをしてしまいました。心電図は明らかな左室肥大所見です。気になっているのは肥大型心筋症などによる突然死の危険性です。いくらなんでも8年も前の若い頃の検査結果が異常なしだったからという理由で今回も自信有り気に「異常なし」と書いてよこしたのはいかがなものだろう?毎年検査しろとは云わないまでも、せめて数年に一回くらいは検査して悪化していないことを確認する方が良いと思うのですが・・・受診者本人もきっとこれから先もずっと「異常なし」を主張し続けることでしょう。なんか、残念で勿体ないですな。

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つぶやきの哲学

ブログを書くようになって、いつも何をしていても何かをつぶやいている自分を自覚します。きっと昔からずっとそうだったのだろうけれど、それをいつも頭の中で文章にしている自分がいるのでそれに気付いたのかもしれません。残念なのは、その大部分が刹那刹那に消えていくことで、以前はそれで何も思わなかったけれど、浮かんだ文章が消えていくもどかしさを最近はとても悔しく思います。

頭の中に次々と生まれ出るつぶやきの中には、思いはしたけど口にしてはいけないこと、書かないほうがいいことがたくさんあります。それを判断するのは自分自身の良識にかかっています。ツイッターや2ちゃんねるなどのように思い立ったらそのままことばになって世界中に広がっていく昨今、そういうことの区別がされなくなっていることに思いの外危機感を感じています。こんなことを書いているわたし自身もまた、こんなことを書いて良いのか?とかなり悩んでいたブログ開始当初と比べると、とてもゆるくなっています。考えることが面倒くさく、「ま、いいか」と思ってしまう自分が怖くなることがあります。

法律や規定があるわけではない分だけ、「良識」や「常識」の哲学を自己責任でしっかり成長させないと、文化そのものが壊れていくような気がします。

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サンプルモデル

先日、某医学雑誌に、ある簡易型検査装置の装着例の写真が載っていました。正式の説明書に掲載されている写真の転載なのだそうです。その写真のモデルになっていた若いお嬢さんが黒縁の今流行りのメガネをしていました。ついそこに目が行ってしまったのですが、そのメガネ、写真に写るに当たって、なぜ外さなかったのでしょう?

役者として舞台に立つときに、目が悪いからといって役と関係ないメガネをかけることは当然のことながら御法度です。ライトに光って目の表情が見えないからという理由で、よほどのことがないかぎり役の上でも小道具にメガネを使いません。最近は普通にコンタクトレンズがありますが、学生時代のわたしは見えない目で見えるフリをして拙い演技をしておりました。そういう面倒くさいシテュエーションではないこのサンプルモデルであっても、器械を腰に装着するにあたって何ら意味のないメガネは、外して写るのが当たり前だと思うのですが・・・。おそらくそれ用のモデルさんではなくて、そこいらにいた社員か助手のお嬢さんだと思いますが、それがずっと公の写真として残るのだからこそ、たとえ装置と関係ないことであってもきちんと配慮してほしかったな、と思いました。

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磯村毅先生

リセット禁煙』の磯村毅先生からメールが届きました。いつも拡散希望!がモットウのはずだから、急いで転記します。わたしは26日の夕方から東京出張で、20時といえばまだお江戸の街中を大荷物抱えて右往左往しているころ、残念です。どうぞ、時間があったらご覧ください。

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【TV】 10/26(水)20時 NHK総合 『ためしてガッテン』に、私、磯村が出演します!
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「感動!禁煙がこんなに超簡単だなんて!SP」
10/26 (水) 20:00 ~ 20:43 (43分) NHK総合・神戸(Ch.1)

体に悪い、お金もかかる。そんなこと分かってるけど、止められないのがタバコ。
でも最新情報!脳科学で「ラクにタバコを止める方法」が分かったんです!
今度こそ、必見!
【ゲスト】バービー,カンニング竹山,井森美幸,山瀬まみ,
【解説】トヨタ記念病院禁煙外来…磯村毅,【司会】立川志の輔,
小野文惠,【語り】生野文治
http://www9.nhk.or.jp/gatten/

リセット禁煙研究会・予防医療研究所
トヨタ記念病院禁煙外来
動機付け面接トレーナー
磯村 毅

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「わがまま薬学生」さんへ

コメントを有り難うございました。一年も前から読んでいただいているなんて、なんと光栄なことでしょう。でも、いつも独り善がりな拙い文章で恐縮です。「医療が人の日常の生活を担うもの」ということばはとても良い表現ですね。そのまま戴きます(笑)。

医療の現場では、予防医学なんて医療ではないという空気がずっと漂っていました。医者は病気を治す専門家、難病を治せるスーパードクターほど価値が高く、それを目指して日々研鑽を重ねる格上の存在・・・そう思っている。だから「健診で『メタボリックシンドロームと診断された』と云って患者が受診した。医者をバカにしているのか!』と、かなり強い口調で医療雑誌に投稿した開業医が存在するわけです。医者のプライドからすると、そんなものは医者の仕事ではない、ということなのでしょう。

でも、医療現場の予防に対する考え方はここ5年くらいで大きく変わったように感じます。メタボ対策の具体的なアドバイスのできない医者なんて、今はもてません(笑)。患者さんから選んでもらえません。クスリを処方するだけが医者でなく、臓器のスペシャリストのみがもてはやされるのではなく、人間を「人間」として診ることのできる医者を社会が求めるようになってきていることは事実のように思います。いい傾向だと思います。きっと薬学の世界も同様なのでは?

それでもわたしはまだまだだと思っています。まだ、『人生は病気ありき』の感覚から医療者も一般の皆様も抜け出せていないと思うのです。

是非、これからもいろいろご意見をお聞かせください。

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たばこの放射線物質測定

「たばこの放射線物質測定を」日本禁煙学会が厚労省と財務省に要望書提出

10月17日に日本禁煙学会がたばこに含まれる放射性物質ポロニウムの危険性を喚起する緊急声明を出したそうです。ポロニウムはウランの100億倍の強い放射能を有しており、これがたばこに含まれているのは周知の事実で、"吸殻にも近づくな!"という強い口調の声明です。それと同時に国に対して、
  1.東北地方、関東地方の葉タバコの放射性物質(ポロニウム・放射性鉛・プルトニウム・ストロンチウム・セシウムなど)の測定
  2.製品化されたたばこのポロニウム測定
を要望したそうです。たばこは土壌中の放射性重金属を高率に取り込む性質があるからだとか。

学会の皆さん、よく精力的に頑張るなあと感心します。大麻や原発事故よりもたばこの害の方がはるかに危険であることは火を見るより明らかな事実であっても、できるだけ話題に出さないように全てのマスメディアを抑えこんできた国ですから、そして税収が予算に組み込まれている以上健康被害などという些細なことで騒ぐな!と堂々と声を上げる国会議員のいる国で、どうあがいても要望書なんて無視されるかほどほどの値を書き込んで済ますかをすることは目に見えています。それでもあの手この手で揺さぶりをかける姿は偉いなあと思います。今回の放射線の切り口は意外に民意を動かす力になるかしら?・・・いやぁ、無理だろうなぁ。

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「厄明け」

ちょっと出来が今ひとつでしたが、機関誌の定期コラムが公表されました。

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  「厄明け」

数ヶ月前に、私の知人の厄明けパーティがありました。

『最近、ちまたでは男の25歳、42歳、61歳、女の19歳、33歳、37歳を厄年といい、男の42歳と女の33歳は大厄という。男性41歳を前厄、43を後厄といい、41~43歳の前後3年は注意して過ごさなければならない』と江戸時代の文献にありますが、これはどうも平安時代からの風習のようです。「男は厄の期間よりむしろ厄明けしてからいろんなことが起きるんですよ。カラダの代謝が急に変わって大病を患うし、事故やら身内の災難やら社会的にもいろんなことが起きるのはこれからですよ」・・・酒を注ぎながら知人にそんな脅し文句を言っていたら、彼が重い口を開きました。「やっぱりそうですか。今までそんな話は聞いても全然興味がなかった。ところが最近、周りにがんになったり突然死したりする人が妙に多くて、あんなに強気だった人が『早く死にたい』なんて言うんです。それを見てたら、自分のこれからや健康のことや死ぬことの意味や、そんなことを急に考えるようになりました」・・・それは、いつも見せる怖いもの知らずの表情とは全く違う神妙な顔つきでした。

陰陽道で『男の42歳、女の33歳が厄年である』というのは、<42歳は4も2も陰数であり、読んで「死」、男性は最もこれを恐れる。33は陽数が重なり、事の敗続するのを「散々」といい、いずれも「サンザン」と同訓であるから最も恐れるとしている>という、何ともいい加減な語呂合わせ的な理由だそうです。厄年辺りの歳が公私共に一番疲れの出る大変な時期で、それを昔の人は経験で分かっていたのだろうなどと思っていましたが、統計上もそんな事実はないみたいです。当時に比べたら寿命そのものが全く違っていますから、「そもそも現代社会に当てはめること自体がナンセンス」と一笑に付す人も多いでしょう。それでも、長い間この仕事をしていると、特に男性の場合はこの『厄明け』は大きな境目のような気がしてなりません。高血圧や糖尿病の家系の人は、たしかに厄明け辺りから急に発症の兆候を出し始める印象があります。43歳の時に父が急逝し、翌年に車が大破するような大事故に遭ったのは単なる偶然でしょうが、ほとんど大病のなかった私が突然高血圧になったのがその頃ですし、その後に続けざまに小脳梗塞になったりうつ病になったり・・・だから『厄明け』を偶然の重なりと言い切るにはちょっと抵抗がある次第です。

それが単なる迷信であれ単なる風習であれ、『厄明け』をはるか前に経験した身として自分の人生を考えると、少なくとも人生の節目として、あるいは自分自身をみつめるきっかけとして、厄という風習はとても意味のある大事な儀式だなと思います。もちろんそれは、それまで以上に健診を受けることの重要性が増すという意味でもあることを強調しておきます。ちなみに、女性の場合、その節目は33歳というよりもやはり閉経後・・・こちらはホルモンの変化が出てくる明らかな節目です。

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人間の権利

健診の世界に入ったときからずっと抱えていた違和感がありました。それが最近だんだん大きな存在になってきました。

「悪い生活習慣を正して良い生活習慣にしないと、脳卒中や心筋梗塞やがんになって人生を棒に振る可能性がある。そうなりたくなかったら、とにかくがまんして生きなさい!」・・・医療者もそして一般の皆さんも、少なくとも先進国の多くの人間がそういう感覚で日々を過ごしています。『健康』を得るためには、食べたいものをがまんする人生や動きたくもないのにがまんして動く人生は避けて通れないものだ、という暗黙の共通認識の下で生きているように見えます。

でも、一体それは何のためなのだろう?病気にならないためにがまんする人生はそのこと自体が人生を棒に振っていないだろうか?人間には、持って生まれた「楽しい人生を送る権利」があります。がまんの人生は楽しい人生なのか?楽しい人生を送るためにがまんの人生を強いるのは、完全に矛盾していないか?おそらく、人間にはもともと本能と一緒に節度が備わっており、また生存のための遺伝子は自然にしていれば絶対に有利になるようにできているはずです。煩悩という抵抗因子を作ることでモラルが生まれ、哲学が生まれたのだとしても、神様はがまんで人生を作りこんでいくようなことは求めていないと思うのです。いわゆる「発展途上国」の人たちやあるいはもっと未開の原住民族の人たちの何と晴れやかで楽しそうなことか・・・世界は、文明の便利さを取るか、未開の楽しさを取るか、二者択一の選択肢であるかのように振舞っていますが、2つは普通に共存できるのではないだろうか?

なんか文章が難しくなってうまく整理できなくなってしまいました。この問題は、いつかまた改めて。

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病気は不健康?

秋になってまたあちこちの依頼講演が増えてきました。もちろん内容は生活習慣病。さすがに最近は「心筋梗塞について」とか「心臓リハビリについて」とかいう内容でわたしに依頼が来ることはなくなりました(当たり前ですね)。相変わらず、同じ題名でもスライドが微妙に異なる毎回ですが、最近の講演のテイストが去年までより若干変わって来ているのに自分でも気付き始めました。『健康とは何か』・・・その命題の答が少しずつ見え始めてきているのかもしれません。

「健康とは病気にならないこと」というのが間違いで、「病気にならないために頑張る」がナンセンスだということは周知のことですが、では、「病気は不健康か?」の問いの答えはイエスですか、ノーですか?わたしが最近使う3枚のスライドがあります。かなりむかしに作ったものですが長いこと使わないようにしていました。病気の病態や予防についての講演依頼なので、少し主旨がずれるかなと思って。でも最近はあえて使うようになりました。

●健康とは何か?

<とりたてて「病気」がないのにみるからに不健康な人>
  *覇気がない
  *心配ばかりしている
  *欲求を抑えて生きている
  *何の楽しみもない

<病気療養中なのにとても健康的で元気はよい人>
  *活き活きとしている
  *やりたいことがある
  *くよくよせず前向き志向である

●健康とは何か?

 病気にならないこと ≠ 健康であること
  病気にならないこと ≠ 楽しい人生
   病人  ≠  楽しくない人生
    病人  ≠  不健康
     健康  ≠  がまんする人生

●今、求められているもの

 ◎病気と関係ない人生つくり
   体質を知り、体質に合った生活をこどものうちから習慣づける
 ◎長生きは人生の目標ではない
   楽しい人生であること
      *食べたいものを食べ、
      *したいことをして、
      *したくないことはしない


 

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りんごは炭酸より歯に悪い?

困ったものです。

りんごは炭酸飲料よりも歯に悪い / 英国メディアが報道

英キングス・カレッジ・ロンドンのデンタル研究所、David Bartlett教授らの報告によると、りんごの酸性が歯質に与えるダメージは普通の3.7倍、フルーツジュースの酸性がエナメルに与えるダメージは普通の4倍で、ビールも歯質損傷の可能性が3倍なのだそうです。なのに炭酸飲料にはそんなリスクはない。・・・なかなか厄介なデータが発表されたものですね。果物が酸性の物質だから悪いのであって、カルシウムの多い牛乳やチーズと一緒に食べると中和されて良い、などとまことしやかに専門家たちが論じてはいますが、りんごをたべた直後に水を飲むと良いとか、フルーツジュースを飲むときはストローを使って歯にできるだけ触れないようにするのが良い、などというレベルになるとちょっと行き過ぎのような気がします。

この発表をマスコミが今後どういう切り口で一般市民に伝えるか・・・これまでここでも何度も書いてきましたが、同じひとつのデータでも伝える側がどう伝えるでその後の扱いが全く違ってしまう現在社会です。これをみて、「だからりんごを食べるくらいなら炭酸飲料を飲んだほうがまし!」というフレーズだけが一人歩きするだろうことを想像するわたしが考えすぎなのかしら。

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運動はなぜするのだろう?(後)

食事の改善によって便通が良くなったとか吹き出物が出なくなったとかいうことよりも、血液データの改善の有無の方が重要だという風潮もあります。おそらく、数字で効果が客観視できるもの、定量評価できるものが科学的で、そうでないと活動の成果を主張できないからだろうと思うのですが、数字に表れない成果は眉唾ものでアカデミックでないという風潮は、いかがなものか。本当は、とっかかりが病気だったり健診のデータ異常だったりしたとしても、頑張ってもあまりその数字が変わらなかったとしても、それが体調を良くするきっかけになって運動や食事療法を続けるきっかけになったのだとしたら、それは十分健康的なことです。それをさらに検査データを良くするためにもっと激しい運動や厳しい食事管理を強いる必要などないはずです。

むかし、生活のために労働し、生きていくために物を食っていた時代とは明らかに違います。人間の生きていくための道具である運動と食事が、飽食機械化という時代の流れの中で煩悩の象徴となったことはやむをえないとして、ただこれが「病気予防の道具」や「病気管理の手段」として存在させることを第一義とする時代がこのまま続くのだとしたら、やはりそれは異常だと思います。人間の本能の源に立ち返ったら、ゴロゴロすることより動くことを、石ころを食ったあとのような超満腹感よりやっとあり付けた大好物をゆっくりいただくことを幸せと感じられる社会が、本来の姿なのではありますまいか。そして今、密かにそういう時代になりつつあるということに気づかないのは勿体ないのでなないか、とそう思う次第です。

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運動はなぜするのだろう?(前)

運動はなぜするのか?食事量を減らしたり内容の見直しをするのは何のためか?

「健康」を見るようになって10年経ちますが、半年前くらいから溢れ出してくる疑問に自分で答を求める日々が続いています。運動や食事の改善への試みは、自分の病気を治すために必要だからしなければならない・・・させられる人たちはそう自分に云い聞かせて日々努力しています。それを指導する側もまた、悪いデータを改善させるのに必要なことで、もっとひどくなりたくなかったら頑張りなさい!と叱咤激励するのです。それでいいのだろうか?もちろん、そんな嫌々の大義名分でやっているから長く続かないのだ、という意見はその通りだと思うし、それをどう解決させ、維持させるかが健診現場の命題であるということは承知しています。でも、何か違う。何かおかしい。現代社会の中でやるべきことはそんなことじゃないのではないか?そういう思いが払拭できないどころか、どんどん強くなっていくのです。

戦後の高度成長期やバブル期と違い、世間の皆さんは思いの外健康に目覚めていて、人間の本来あるべき姿をめざそうと頑張っています。何もしなくてもいいのならしない、というのが本当に人間の本性なのか?「人間に運動欲はない」「運動はその結果として得られる報酬のためにするのだ」という理論は理解できますが、その報酬として、体重や内臓脂肪の減少や、あるいはコレステロール値の減少は価値あるものだけれど、筋力がついた気がするとかゴルフの飛距離が伸びたとか、あるいはマラソンを走れるようになったとかいう実感は、その付加価値にすぎないという風潮があります。(続く)

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叱る

「先生がきちんと叱ってくれないから、ミスが減らないのですよ!」と、云われました。

そういえば、叱らなくなったな、と思います。やるべきことがちゃんとできてなかったりそれによって間違いが起きたときに、烈火のごとく叱るのがわたしのトレードマークだった時期があります。「人様にお金をいただいてやってるプロの仕事なんだから、仕事中はいつも神経を尖らせて集中していなければならない。一生懸命であってもミスしてしまったらそれは詐欺師である」・・・そういうポリシーで働いていましたから、自分にも厳しかったですが他人にも厳しかった、そんな時期がありました。

それが変わったターニングポイントは以前ここにも書きました(恩師の遺言)。その後も、「優しくすると付け上がる?」とか、「上司がゆるいとメリハリがない仕事場になる?」とかいう心配はずっとありましたが、長い年月が経つうちに少しずつわたしも変わってきました。みんな大の大人なんだから、自分の失敗を自分なりに反省しています。「ヤバイ、失敗してしまった!」と自分では分かっています。「ラッキー!叱られなかったよ!楽勝、楽勝!」と意に介さないバカ者は世にはたくさん居るらしいですが、幸いうちの職場にはそんなガキは居りません(居ても居心地が悪いのですぐに消えてしまうみたいです)。わたし自身が失敗したとき、上司に会ったら何と云われるだろう?と思うと出勤するのが憂鬱になります。仕事が面白くなくなります。自分がそんな感じになる以上、他の人にもそんな気持ちにさせない毎日であった方がいいんじゃないかなと思うようになった今日この頃です。

ただし、相変わらず、上司や管理者には目くじら立てて反抗しますから、まだまだ悟りを開けたわけではなさそうです。

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なにもかも

なんか、心身ともに行き詰っています。
なんか変えたい。なんか壊してみたい衝動に駆られながら、そのまま不完全燃焼。

とりあえず、物に溢れすぎている我が家の中を隅々まで整理してすっきりさせたい!冬毛になってきたワンたちのブラッシングをきっちりやってやりたい!溜まっている本を全部読破したい!と思って仕事から帰ってくるのですが、小一時間のワンの散歩と夕食とパソコン起動の流れの中ですでにすっかり疲れてしまっていて、少量の晩酌でもすぐに意識がパラレルワールドへ。パソコンは急に動かなくなるし・・・。

秋の夜長を充実させる一番良い方法は、きっとパソコンを立ち上げないことなんじゃないかと思う今日この頃。だって、メールチェックの後にブログの書き込みを始めるとそのまま意識を失うまでエンドレスになりかねないのです。パソコンさえ開けなければめちゃくちゃたくさんの時間が用意されています。大好きな掃除も箪笥や引き出しの中の片付けも何でもできるでしょう!そうだ、休パソ日を作るべきだ!ブログを皆勤で頑張ることよりも、お酒の休肝日を作ることよりも、今のわたしはパソコンに触れない日を作ることの方がはるかに重要だ!

なんて、思いながら、昨夜もうだうだADSLでパソコン三昧の夜でした・・・今朝も、眠い。

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ピンク男子

いまどき、ピンクを着る男子が増えたのだと、昨日のTV放送で云ってました。何でも、男が戦わなくて良くなったから、優しさを求めるようになったから、なんて専門家の解説が入っていました。

数年前に夏スーツを新調したとき、一緒にデザインの違う3枚のピンクのワイシャツも買いました。そのとき作ったスーツには、ズボンのボタン穴や上着の裏地などにさりげなくピンクが入っています。ちょっとお気に入りのコーディネートです(今年の夏は、ちょっとキツキツで往生しましたが)。初めてピンクのワイシャツで出勤してみた56歳の男性が「話しかけやすくなった」「優しそう」と若い女性スタッフに好評で、まんざらでもない、って顔をしていたのをみてにやっとしてしまいました。たしかに、最初は、「大の大人が、ピンク?」なんて思いましたが、意外に細い優男よりわたしのような厳つい強面男の方が似合ったりするのでございましょう。

最近は、ショッキングピンクのナイキのスニーカーとショッキングピンクのウインドブレイカーを通勤時にも身に着けている派手派手オヤジにもなりましたが、これ全部うちの妻のコーディネート・・・やはり、こういうことは文句を云わずに素直に聞いておくべきですよ、世のおじさん方。

めずらしく、流行の先端をいっていて、ひとりほくそえんだ一日でした。

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脂肪細胞アップデイト

20年以上も前、わたしは肥満教室のために脂肪細胞について勉強しました。当時のものの本には、「脂肪細胞の数は人生のうちに3回しか増えない」と書いてありました。それは胎児期と誕生直後~3歳頃まで、および思春期(第二次性徴期)です。このときに増えなければあとは大きさが大きくなるだけだから、だから子どものころや思春期に太らないようにすれば肥満にはなりにくい、と教わりました。大人になってからは脂肪細胞は原則的には増加せず、BMI35以上のような超肥満状態になって初めて増加するのだ、と。小学校に上がる前にすでに健康優良児という名の超肥満児になっていたわたしは、まさしくそのパターンでした。

ところが今は全く違うことが云われています。皮下脂肪と内臓脂肪とに分けられ、内臓脂肪はたしかに肥大する細胞ですが、皮下脂肪は大して肥満が強くなくても容易に細胞数を増やすようです。それは性徴期かどうかに関わらず、大人になってからも増えていきますし、女性は更年期以降に確実に皮下脂肪を増やします。

どうして、たかが20年ほどで普遍的な事実までもが変わってしまったのか?この間に何があったかというと、バブル・・・やはりバブル期に人間の食生活がまったく変わってしまったことが影響しているのでしょうか。むかしはよほどでなければ入らなかったエネルギー量を、グルメを気取った人間どもがいとも簡単に摂取するようになりました。安くて高エネルギーの食品がたくさん出回り、今まで余裕で吸収できていた脂肪細胞にキャパの限界がきてしまいました。そんな危機的有事の際に緊急避難的に細胞を増やす隠し技がもともと用意されていて、そのベールを脱いだのでしょうか。

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アルコールフリー

ノンアルコール(アルコールフリー)飲料はホンモノを越えられるのか?

ビールモドキだけでなくカクテルモドキ、焼酎モドキまで、アルコールフリー飲料は最近さらに種類が増えたようです。このアルコールフリー飲料の立ち位置がどうもわたしには理解できません。ビールを飲みたいけれど運転していたり仕事があったりして飲めないとき、その欲求を満たす代用品として生まれた飲み物だと思っていました。でも、その割には味が全くビールではなく、これだけ味が違うのならわざわざ高い金払って偽物を飲むより、清涼飲料水や炭酸水を素直に注文した方がはるかに美味しいと思われます。

それでもまあ、ドライブ先の野原で皆が揃ってそれを飲むCMは一応理解できました。ところが最近のCMでは、自宅で洗濯をしてその労働後の一杯としてこれを飲みよる。運転しないで良いんだから、そんな偽物を飲まなくても、ホンモノのビールを飲めばいいやん?「そのシチュエーションはおかしい!」とひとりで突っ込んでいます。でも、もしかしてこれは、ビールの代用品ではなく、ファーストチョイスの飲み物としてこれを選ぶことがアリ!という攻めのコンセプトなのかしら?だからビールがあまり強くない俳優さんを使っているのかな?

ちなみに、このアルコールフリー飲料はうちの職場の中にあるコンビニで売られています。これってどうなんでしょう?患者さんや、あるいは昼休みに弁当を食っている職員が片手にアルコールフリー飲料を持って飲んでいるって風景は・・・やっぱりそれはナシではありますまいか?あるいはアルコール0.00%の飲料なら何缶飲んでも運転はできる、というイメージは本当にOKなのかしら? アルコールが飲めないうちの妻はノンアルコールビールで見事に酔いますが、0.00%は本当に0%なのですか?0.000001%なんてことは本当にないんですかね?

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「ねえねえ日野さん」・・・大人数を引き連れて一緒に歩いてた友人の女性が突然そう声をかけました。
「え?おれ?おれ、日野じゃねえし」・・・ムッとするわたし。
「あ、ごめん、宇野さん」
「おれ、宇野じゃねえし」
「矢野さん?」
「矢野でもねえし。第一、○野じゃねえし」
「ま、何でもいいわ。でね、あのさあ・・・」
「まてまてまて。人の名前を『何でもいいわ』かい?」

「もしも~し、せんせ~い!」・・・横断歩道を走って渡ってくるスーツ姿の男性。
「え?おれのこと?」・・・見覚えもない怪しい男が向かってくるのを睨みつけるわたし。
「せんせい、ちょっとお話したいことがあります。車を用意しましたのでどうぞこちらへ」
「どこの誰かは知らんけれど、今は用事があるし、これだけの連れがいるから」
と振り向いたら、えっ!誰もおらん! 今まで居た、くだんの女性の友人すら消えた!
「え?あんたたちみんなをどこに連れて行った?」
ニヤッと笑う男。

ここで意識が戻りました。夢でした。

先日は久々に美輪×江原をTVで拝見。しかも、妙なご縁があってツイッターで美輪さん名言集を眺めるようになったのが一昨日の朝・・・わたしに何かを語りかけたがっている者がいる。

そんな気がします。

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阿蘇

最近、阿蘇を題材にした旅番組をいくつか続けて見ました。毎月2回も3回も車を走らせるわたしにとって、阿蘇は当たり前にそこに横たわっている山です。熊本が世界に誇る「阿蘇」でありながら、大学の時から事ある毎に仲間と出かけた阿蘇は、草千里も大観峰も俵山も米塚も、あるいは高森も、あまりに生活に入り込みすぎて、さほど凄いものだとは感じられずに生きてきました。

でも、テレビ番組を眺めながら、阿蘇っていいところなんだなと素直に思いました。かつて、今は亡きわたしのボスは、県外からゲストが来ると必ず自ら運転して阿蘇外輪山を案内して回りました。今は見違えるような道になりましたが、熊本市の東のハズレ、空港の脇の西原村の小路から民家の軒先を抜けるような道を通って高森に出て、南阿蘇を一周しながら産山へ抜け、さらに阿蘇カルデラの壮大な風景を抜けて空港に戻ってくるコース(そのまま飛行機に乗ってゲストは帰っていくのです)。「ボクは子どものころからずっとこの風景が好きだった。阿蘇の雄大な自然の中に居ると、自分のちっぽけさを痛感するとともに、すべてを包み込んでくれる安心感がみなぎってくる。こんな絶景をいつでも見れるこの地に生まれたことを幸せに思う」・・・彼が生前口癖のように語っていたのを思い出します。それを、この人は郷土愛の強い人だなと感心していたら、わたしの妻も宮崎県との県境から阿蘇を眺めて絶叫したことがあります。「ここから見える阿蘇は反対向きだ!気持ちが悪い!」と。

でも、阿蘇五岳・・・中岳、高岳、根子岳、烏帽子岳、杵島岳を眺めながらも、残念ながらわたしには雄大な単なる九州山地にしか見えません。そんな、だからこそ熊本県民になりきれないのだな、と合点してしまう自分がちょっと寂しかったりし、大分県出身のわたしにとっての[阿蘇」ってあるかしら?と首をかしげる自分が妙に悔しいわけであります。

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原因不明

皇后陛下がふくらはぎの腫れと痛みを訴えられて、原因不明の筋膜炎と診断されたというニュースを見ました。

この「原因不明」ということばを世間の皆さんはホントに嫌いますよね。症状があって病院を受診した患者さんなら尚のこと、結果として症状が治ったとしてもそれはたまたまかもしれず、原因を示さない限り末代までヤブ医者扱いされます。医療者側も「原因不明」=「敗北」という発想で患者さんがヘトヘトになるまで検査をしまくったりします。

でも、もしかして原因がわかるものというのは、森羅万象の出来事からすると極めて特殊な一部のものだけなのではないのでしょうか。コンピューターや精密機械のトラブルですら機械全部を解体したり過去ログを細かく解析したりしてもわからないことの方が多く「とりあえず様子をみる」という解決方法がまかり通っています(若い頃はそんな逃げ道は絶対許さなかったわたしも、最近機械なんてそんなもんだ!と納得するようになりました)。それよりももっとはるかに複雑で四六時中大量の敵が体内に入ってくるわたしたちのカラダ・・・たまたま原因がわかることより、わからないままに自分の力で治ってしまったことの方がはるかに多いはずです。それで済ませてはいかんのかしら?

ただ、症状というものはカラダの中からの叫びではあります。「何かがおかしい」ということを伝えるための表現です。必死でSOSを出しているのに、十把ひとからげに抗生剤や解熱剤で消し去ってしまうことは、重大な訴えを見逃してしまう危険性があります。それだけは忘れてはいけないと思います。

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階段

「ベルちゃん!早く降りておいで。庭にオシッコに行くよ!」・・・徐々に声を荒げながら叫んでいるわたしの姿を階上から憮然と見つめている老犬ベルは13歳半です。大好きな散歩のときには大慌てで降りてくるというのに、それ以外は面倒くさがって寝てばかりです。最近膝を痛めて、さらに目も悪くなってきた彼女にとって、我が家はとても住みにくい構造の家だと同情します。生活の中心が中二階で、寝室が二階で、家族全員が上に住んでいる家なのです。「面倒くさいならいつも一階に居ればいいのに」とイケズなことを云ってみたりしますが、皆が上の階に居るだけでなく、もうすぐ3歳になる同居犬のセイラが跳ね飛ぶように家中を駆け回る姿をみると、負けず嫌いのベルは根性で上がってくるわけです。

見えない目で階段を一段一段確認しながら降りてくる姿はとても痛々しく、上がるときには痛い膝をかばいながら「よっこらせ」と上ってくるので上に付いたらふうふう云ってます。「あと20年もしたら間違いなくわたしたちにも住み辛い家になるよ、ここは」と横から妻が呟きました。20年も先の話ではないかもしれません。グルコサミンとセサミンを飲んでしっかり運動して・・・この住みにくい家でいつまでも快適に生活できるように今を頑張らねば!と思う反面、一階だけで生活できるためのリフォーム資金をこっそり貯めておいた方が得策なのかもしれないとも思う今日この頃です。

今朝もベルは二階の階段に腹ばいになって階下のわたしを目だけでしっかり見つめていますが、無駄に降りてくる気配はありません。

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食後の運動

「食後すぐに運動するのが一番いいんでしょ?」

軽度の2型糖尿病のある女性がわたしに相談してきました。1年前から、朝昼晩、食事をとったら必ず散歩をするようにしたそうで、おかげでHbA1cは見事に正常値になっていました。ちょっと誇らしげに、それでいて妙に不安げに彼女はわたしの顔を見上げました。

食後に軽く運動するだけで、食後高血糖は簡単に改善できます。食後に昼寝をすると食後高血糖がいつまでも続くことも証明されています。だから彼女の云うことは蓋し正論だと思います。ただ・・・。毎食毎食、食事を取ったらすぐにウェアに着替えて散歩をする生活って、普通じゃないのじゃないでしょうか。今だけすれば良い話ではありません。これからの人生、ずっと毎食後です。おやつのときはどうするのだろう?外食やパーティのときはどうするのだろう?大変じゃないのかなぁ、などとつい思ってしまいます。

「食事の後は消化のために胃に血流が集まるべきなのに、そのときに運動すると血液が全部筋肉に集まる。だからそんな生活を続けていると胃の疎血状態が続いて胃がんになりやすい」という理論をずっと唱えていた元東大教授の小山内博先生(『生活習慣病に克つ新常識-まずは朝食を抜く!』)のはなしを引き合いに出しながら、これからの人生を考えたらもっとほどほどにして、その分食べる方を少し減らした方が良いのじゃないですか?と助言しました。彼女は何となくホッとした顔を見せたように思いました。

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肥満税

世界初の「肥満税」がデンマークで施行 

興味をそそるタイトルに目が止まりました。10月1日からとうとうデンマークでは太ったら税金が掛けられるようになったのか?と思ったら、一定率以上の飽和脂肪酸を含む食品に税が掛けられるようになったという話でした。

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産業界や販売業者は、「行政の悪夢だ。これで国民がより健康になるとは思われない」と反対している。一方で、欧州連合(EU)がこの措置には問題があるとして調査に乗り出したともいい、長くは続かないのではとの見方も出ている。
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なんてなことが書かれていますが、利権が絡むこういう政治的な話題はなんともキナ臭い。ただ、「飽和脂肪酸が動脈硬化の悪の根源であることは明白で、飽和脂肪酸の多く含まれる食品は肉の脂と牛乳が双璧です」と説明すると、「え、牛乳もですか?」と皆が口を揃えて驚きます。検索をしていたら、「肥満税」で肥満問題を改善できるか?というタイトルでアメリカでの高カロリードリンクへの新税の話題が書かれているのも発見しました。でも「肥満税」はデンマークが世界初というのだから、このアメリカの新税は成立しなかったのでしょう。

タバコがそうであるように、税金を掛けても嗜好が変わるはずはないという意見はその通りなのでしょうけれど、まるで韓流の歴史ドラマのように、前時代的な大人気ない利権争いがいまだに繰り広げられているのは、何とも情けない話ですこと。悪魔の食べ物は安い方がいいに決まっているのだし。

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かなり日が短くなりました。ちょっと薄暗くなった公園でワンたちの散歩のために歩きながらふと空を眺めたとき、遠い空で点滅する薄い光に気付きました。

「あの光は飛行機かなんかかな?」

と聞いたら、

「そうなんじゃないの」と、妻からつれない返事。

「ふ~ん」と答えながらその光をずっと眺めていたらその横にもちょっと濃い光の線。突然近くの街灯が点灯したかと思えば周りを飛び交う妙な飛行物・・・あれは鳥?虫?

日ごろ下ばかり見て歩いているので気付かなかったけれど、良く考えたら、空には想像以上にいろんなものが飛んでいるんじゃなかろうか?などということをしみじみと思いながらしばらく天空を仰いで歩いてみました。本当はもっとたくさんのものがわたしの周りには溢れているのに、天空からずっとわたしを睨んでいるものがいるかもしれないのに、自分の目で見て気付いていることなんて、人生の中ではほんの一握りなのではないか?と考えたら、空の広さが文字通り「空恐ろしく」なりました。

ところで、くだんの点滅の光ですが、ある地点でフッと消えちゃったんですけど、あれは本当に飛行機だったんだろうか?

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『健康本』は『病気本』

うちの施設で『健康本』を発行することになりました。わたしもその一部を執筆するように指示され、執筆概要を読ませていただきました。病院のそうそうたるメンバーが執筆担当に当たっており、臓器や病気別に各々の概念や診断/治療、予防などをまとめるようになっていました。

そんな概要をぼーっと眺めながら、「これは『健康本』というより『病気本』だな」としみじみ思いました。明らかに病気が主体で、まずそこに病気ありき・・・病気になることが大前提にあって、病気を知って、病気にならない人生を送ってもらおうというイメージでしょうか。やっぱり、これが医療者の考える『健康』なのだろうかな、と思いました。

そして、そんなことを考える自分は、やっぱり医者じゃなくなってしまったのかな、とも。健康とは病気にならないことでもないし、病気と戦うことでもないし、そんな概念とはまったく別次元にあるもの・・・でも、そんなことを云ったところで、それを本にしたらただの偏屈哲学書になるのが関の山、かしら。

とりあえず、〆切に遅れないように少しずつ資料を集めないといけません。なかなか憂鬱で大変な仕事になりそうです。

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家系

「うちは家系に糖尿病や高血圧の人が少なくないので、自分は大丈夫かとても心配なんです。だから人間ドックを受けに来ました。」

40代半ばの女性が、健診結果の説明を受けるに当たって、まずそんなことを云いました。

「がん家系だから心配で検査を受けに来た」ということばはわたしにも理解できます。我が家もそんな家系ですから定期的に胃カメラや大腸ファイバーなどを受けています。検査を受けて、今年も問題なくて良かった!と胸を撫で下ろしています。

でも、「生活習慣病の家系だから心配で健診を受けに来た」ということばにはわたしは素直にうなずけないところがあります。家系だから心配?体質がありそうだから心配?・・・そうかしら?何も心配なんかしなくていいのじゃないかしら。だって、家系なのだから、体質がある可能性が高いのだから、若いときからそれに合った生活に変えることができるのです。いや、「変える」というよりもむしろ、初めから(生まれたときから)そんな生活を送ることができるです。なってから慌てる必要のない立場なのだから、こんな幸せなことはありません。遠慮は要りませんから、もっと堂々と、一族郎党、老若男女、そろって生活を変えてください。やって後悔することは絶対ありませんから。ブラボー!です。むしろ、健診を受けて何も異常がなかった、良かった、良かった、となった方がはるかに危険です。そうなっても迷いは要りません。今はなくてもどうせ10年後には必ず異常になっていますから。

いつもそんなことを思って生活相談を行っているしだいです。

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「『二十世紀梨』買ってきてあげたよ。」と云う妻に、「なんで今頃『二十世紀』なの?懐かしいねえ。でもおいしい『豊水』をたくさんもらっているのに、なんでわざわざ買ったの?」と云ったら、「あなたが好きだって云ってたからじゃない!」と、しこたま叱られました。

「梨といえばやっぱり『二十世紀』だよ。熊本の『幸水』や『豊水』は水分が多いけど甘すぎて、でかさが下品で・・・あれは梨じゃないね!」・・・などと、若いころわたしがいつも云っていた・・・らしいです。

慣れというのは恐ろしいものです。熊本に来るまで、わたしの認識は「梨=二十世紀梨」でした。それ以外の梨を食べたことはなく、他が存在することなど考えてもいませんでした。熊本では地元で作り出した梨があり、梨もぎは県民に定着した秋の風物詩です。"梨"らしくない甘さと大きさなのに、熊本県民にとってはそれこそが梨。文化の違いを痛感した挙句に云ったことばが「あれは梨じゃない」だったのだと思いますが・・・全然覚えていません。今は、「梨=豊水」(昔は幸水が一般で豊水は贅沢品でした)とインプットされてしまい、二十世紀梨は"よそ者の梨"という感覚になってしまいました。

二十世紀梨と豊水の優劣を語っているのではありません。慣れの怖さとともに、嗜好に関しては一度口にしたことを他人は良く覚えているということを再確認しました。昔、母が事あるごとに干しぶどうを袋ごと買ってきていました。「なんでこんなに買ってくるの?食べるとアタマが痛くなるから買ってこないで!」とガマンできずに訴えたら、「あんたが好きって云ったからじゃない!」と困惑顔・・・記憶になかったその事実・・・無責任なことは云うちゃならんなと思ったものです。

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巻き添え

思い立って、庭の小さな花壇の草抜きを始めました。花壇にはセイジしか植えていないのに、花壇の大部分をセイジもどきの雑草(名前はまったく存じ上げませぬ)が占領していたのです。

妻にどれがセイジでどれが雑草かの区別のポイントを教わり、花壇の真っ只中に入り込みました。花の形、葉の形を確認しながら根本まで茎を追いかけて根っこから抜くわけですが、残念ながら抜いてはいけないセイジの茎も時々抜いてしまったります。「しまった、間違った。まあしょうがないよ。これだけたくさんの雑草とセイジがあるのだから、全壊戦術を企てる限り少しの巻き添えは目をつぶらなきゃ!」と、自分に云って聞かせながら作業を進めました。

「世界を破滅させる悪魔の軍団を壊滅させるための正義の戦いなのだから、一部の一般市民が巻き添えを食うのはいたしかたない」という公式声明を発表する大国の云い分に、「そんな理屈は通らないぞ!大義名分のために尊い人間の命を虫けらのように扱うのか!」と思ったりする自分なのに、なのにこのセイジの茎の巻き添えは良いの?なんで?人間じゃないから?人間じゃダメだけど植物なら良いの?なんで?虫けらなら・・・?

・・・そんな自問自答をしながらひとり黙々と庭の花壇の草抜きをしているごま塩アタマオヤジって・・・面倒くせ~、ってか?

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