運動はなぜするのだろう?(前)
運動はなぜするのか?食事量を減らしたり内容の見直しをするのは何のためか?
「健康」を見るようになって10年経ちますが、半年前くらいから溢れ出してくる疑問に自分で答を求める日々が続いています。運動や食事の改善への試みは、自分の病気を治すために必要だからしなければならない・・・させられる人たちはそう自分に云い聞かせて日々努力しています。それを指導する側もまた、悪いデータを改善させるのに必要なことで、もっとひどくなりたくなかったら頑張りなさい!と叱咤激励するのです。それでいいのだろうか?もちろん、そんな嫌々の大義名分でやっているから長く続かないのだ、という意見はその通りだと思うし、それをどう解決させ、維持させるかが健診現場の命題であるということは承知しています。でも、何か違う。何かおかしい。現代社会の中でやるべきことはそんなことじゃないのではないか?そういう思いが払拭できないどころか、どんどん強くなっていくのです。
戦後の高度成長期やバブル期と違い、世間の皆さんは思いの外健康に目覚めていて、人間の本来あるべき姿をめざそうと頑張っています。何もしなくてもいいのならしない、というのが本当に人間の本性なのか?「人間に運動欲はない」「運動はその結果として得られる報酬のためにするのだ」という理論は理解できますが、その報酬として、体重や内臓脂肪の減少や、あるいはコレステロール値の減少は価値あるものだけれど、筋力がついた気がするとかゴルフの飛距離が伸びたとか、あるいはマラソンを走れるようになったとかいう実感は、その付加価値にすぎないという風潮があります。(続く)
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