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「『二十世紀梨』買ってきてあげたよ。」と云う妻に、「なんで今頃『二十世紀』なの?懐かしいねえ。でもおいしい『豊水』をたくさんもらっているのに、なんでわざわざ買ったの?」と云ったら、「あなたが好きだって云ってたからじゃない!」と、しこたま叱られました。

「梨といえばやっぱり『二十世紀』だよ。熊本の『幸水』や『豊水』は水分が多いけど甘すぎて、でかさが下品で・・・あれは梨じゃないね!」・・・などと、若いころわたしがいつも云っていた・・・らしいです。

慣れというのは恐ろしいものです。熊本に来るまで、わたしの認識は「梨=二十世紀梨」でした。それ以外の梨を食べたことはなく、他が存在することなど考えてもいませんでした。熊本では地元で作り出した梨があり、梨もぎは県民に定着した秋の風物詩です。"梨"らしくない甘さと大きさなのに、熊本県民にとってはそれこそが梨。文化の違いを痛感した挙句に云ったことばが「あれは梨じゃない」だったのだと思いますが・・・全然覚えていません。今は、「梨=豊水」(昔は幸水が一般で豊水は贅沢品でした)とインプットされてしまい、二十世紀梨は"よそ者の梨"という感覚になってしまいました。

二十世紀梨と豊水の優劣を語っているのではありません。慣れの怖さとともに、嗜好に関しては一度口にしたことを他人は良く覚えているということを再確認しました。昔、母が事あるごとに干しぶどうを袋ごと買ってきていました。「なんでこんなに買ってくるの?食べるとアタマが痛くなるから買ってこないで!」とガマンできずに訴えたら、「あんたが好きって云ったからじゃない!」と困惑顔・・・記憶になかったその事実・・・無責任なことは云うちゃならんなと思ったものです。

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