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運動はなぜするのだろう?(後)

食事の改善によって便通が良くなったとか吹き出物が出なくなったとかいうことよりも、血液データの改善の有無の方が重要だという風潮もあります。おそらく、数字で効果が客観視できるもの、定量評価できるものが科学的で、そうでないと活動の成果を主張できないからだろうと思うのですが、数字に表れない成果は眉唾ものでアカデミックでないという風潮は、いかがなものか。本当は、とっかかりが病気だったり健診のデータ異常だったりしたとしても、頑張ってもあまりその数字が変わらなかったとしても、それが体調を良くするきっかけになって運動や食事療法を続けるきっかけになったのだとしたら、それは十分健康的なことです。それをさらに検査データを良くするためにもっと激しい運動や厳しい食事管理を強いる必要などないはずです。

むかし、生活のために労働し、生きていくために物を食っていた時代とは明らかに違います。人間の生きていくための道具である運動と食事が、飽食機械化という時代の流れの中で煩悩の象徴となったことはやむをえないとして、ただこれが「病気予防の道具」や「病気管理の手段」として存在させることを第一義とする時代がこのまま続くのだとしたら、やはりそれは異常だと思います。人間の本能の源に立ち返ったら、ゴロゴロすることより動くことを、石ころを食ったあとのような超満腹感よりやっとあり付けた大好物をゆっくりいただくことを幸せと感じられる社会が、本来の姿なのではありますまいか。そして今、密かにそういう時代になりつつあるということに気づかないのは勿体ないのでなないか、とそう思う次第です。

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