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2011年11月

脱稿

健康本』のわたしの担当章の原稿を、やっと書き終わりました。今日が〆切日です。もっと早くからとりかかるつもりでしたが、結局最後の5日間で書き上げました。編集者には大変申し訳ないが、完全なる突貫工事でした。

総字数10200字・・・自分なりに良い文章ができたと思います。ただ、図表1枚につき400字を割り当てるのだそうで、4枚分1600字を削らなければならなくなりました。一字たりとも削りたくないのに必死で校正していって何とか帳尻合わせはしましたが、こういう修正をしているといつもとても残念な気持ちになります。

文章というのは本筋の芯の部分だけで成り立ってはいません。自分の伝えたい表現はむしろ本筋以外のところに多く含まれています。でも大きく字数を削らなければならない場合はどうしてもまずそんな部分から削除するしかありません。せっかく優しい丸い文章で包んでおいたのに、結局ギツギツの無骨な文章になってしまうのが辛いのです。遊びというか、余裕のある軽快な文章は読み始めるとつい引きこまれていくものです。その方が本筋も伝わりやすいというか、きちんと読んでもらえます。それが核心だけになると、内容はシンプルですが興味のない人は最後まで読んでくれないかもしれないと思います。書き手として、一番さびしいパターンです。

「生活習慣病(糖代謝異常・脂質異常・高血圧症)」・・・『健康本』の発刊は来春です。

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不思議なつながり

時代の趨勢に合わせてfacebookの登録をしていますが、先日、10年以上前に一緒に働いたY先生からわたし宛に友達リクエストが届きました。「あらぁ久しぶり!」と思い、「へえ、今は東京で働いているんだ」と知り、「どうして今、ボクなの?」と考えました。同じ職場だったとはいえほとんどプライベートで話したことはありませんでした。医療者の友人登録は数名しかなく、しかもほとんど何もアカデミックな内容を発していないわたしのことを一体どこで見つけ出したのでしょう。

Y先生のリクエストを承認し、彼の100人以上登録された友人リストを眺めていたら、消息を知りたかった人を数名発見しました。そして、特に何をしたいというわけでもないのに、何となくつながっていたくてそんな人たちに友達リクエストを出してしまいました。FacebookやTwitterなどのソーシャルネットワークの世界は、自分から特定の人たちと連絡を取ったり、あるいは不特定多数の人たちに何かを訴えたりしなければ、単なる他人の生活の覗き見です。

ただそれだけのことだと思いながら、遠い昔に付き合った人たちを登録する。その人たちの友達リストを眺めて、また他の知人をこっそり見つけ出す。・・・昔好きだった人の名前をそっとググってみるようなそんな行為に似ていますが、そこに何となく軽い罪悪感を感じてしまうわたしは、やっぱりちょっと前時代的な人間なのでしょうか。

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こんなに頑張ったのに

妻の知人の話です。

人間ドックで、諸般の検査結果が著明に悪化していることが分かった四十男。彼は自分なりに必死で生活改善を図りました。「自分で自分をほめてあげたい」と云わしめたほどです。そんな彼が、先日職場健診を受けました。どの検査項目も思いの外改善しており、正常上限をわずかに超えてはいましたが自分なりに十分満足できる結果でした。

ところが、会社の産業医から結果説明を受けた彼は大きく落胆することになりました。産業医は、「この状態では今夜突然死しても不思議ではない。今すぐ生活の改善をしなさい!」と、かなり厳しい口調で叱ったそうです。「オレはこんなに頑張って、こんなに良い成果を出したのに・・・」と、うちの妻にグチった彼の気持ちがよくわかります。

その産業医が云いたかったのは、いわゆる『死の四重奏』でしょう。肥満、高血糖、高脂血、高血圧・・・これが揃うと心筋梗塞発症率が30倍以上に跳ね上がる、という、例のやつです。たしかに、「頑張った」と云ってもまだその発症率に変わりはないのだから叱咤激励は妥当なのかもしれませんが、努力の成果を素直に褒めてもらえないとモチベーションは落ちます。この話は、そのままわたしたちの仕事ぶりにも警鐘を鳴らしてくれたと思います。目の前にある検査結果だけにとらわれず、その背景にある各々の人生の中でのその値をきちんと見極めてあげられる広い視野を持って指導にあたりたいものです。

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もっこす

『肥後もっこす』というのは、熊本の頑固おやじを指すことばで、Wikipediaに「純粋で正義感が強く、一度決めたらテコ梃でも動かないほど頑固で妥協しない男性的な性質を指す。それと相俟って、曲がったことを好まず駆け引きは苦手で、他者を説得する粘り強さに欠け、プライドや反骨精神も強いため、組織で活躍することは向いていないと言われる」と書かれていました。「津軽じょっぱり」や「いごっそう」と同じ流れだそうです。

「にゃぁ~んそんなもん・・・どぎゃんもなかっだけん、気にせんちゃよかっ!」

健診で、たとえば便潜血陽性だとか血圧が高いとかの異常を指摘しても、そう云って聞き流そうとする男性が熊本には多く居ます。熊本の県民性がそうさせるところも多分にあります。そう云って見栄を張っているくせに、内心とても心配しています。表面で単に強気なフリをしているのに実はとても気にしている、というのが「肥後もっこす」の特徴です。ただ、これが一番ストレスのかかるパターンなので危険なんです。人間もっと素直になりましょう。心配なら心配だと素直に相談し、無視するなら芯から無視する(自己責任ってやつですね)・・・どうせ自分にしか返ってこない結果なのだから、そこはひとつ男の本分としてスッキリさせてはいかがでしょうか。

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肥満遺伝子と運動

先日、CareNetに、「肥満や脂肪関連遺伝子を持っているとしても、その影響は運動することで27%低下する」という報告記事が載っていました。

日本人の肥満関連遺伝子はいくつかの組み合わせがほとんどなので極端な肥満家系に出会う機会は多くはありませんが、欧米では単独の肥満遺伝子家系があります。そのどちらにおいても、「肥満しやすい体質だから運動してもムダ」「体質は変えられないのだからしょうがない」と諦めている人のモチベーションアップには有効な結果だと思います。もっとも、当人としては「わたしは特別だから」という言い訳ができなくなるのだから、あまり嬉しくはないのかもしれませんが。

「平均よりも遺伝的に肥満になりやすいと知らされた人は、続く3ヶ月間の脂肪摂取量が増加する」というデータも報告されていましたが、これは実に面白い結果だと思いました。つまり、自分に肥満遺伝因子があると知ってしまったがために、「自分は頑張っても太るんだ」という諦めを感じてしまった表れだと云うのです。わたしは、よく「水を飲んでも太る体質だから、食べなくても生きていける体質だから、すっかり割り切って、日頃から食べないように心掛けてください」という叱咤激励のことばを受診者の方に伝えることが多いのですが、これはまったくの逆効果なのかもしれません。

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鶴の一声

「この人はわたしの知り合いだけん、今回だけ例外で外来予約手続きしてやってくれ。」

某幹部の鶴の一声があったらしく、健診結果に特別な異常などないのにある受診者の外来受診手続きをさせられた、とスタッフが苦情を云ってきました。これは、例外なく絶対に行わないと決められているうちのセンターの決まり事です。

冗談じゃねえぞ!なんで結果説明をするオレに直接云ってこない?オレは、「この結果では紹介はできませんから、今の主治医と相談して、必要なら主治医を通して紹介してもらってください」って、ちゃんと説明して、そういう手紙まで手書きで書いたんだぞ!全部書き直しじゃねえか!文句を云わないイエスマンの部下にだけ語ってるんじゃねえぞ!

紹介状を一から書き直しながら、基本が清武元巨人軍代表のようなタイプのわたしは、煮えくり返るこの思いをどう表現しようかとカッカしながら考えていました。・・・でも止めました。考えれば考えるほど明らかに血圧が上がっているのがわかったからです。ヤバい!このままこれにかかわっていると倒れるかもしれん、と危機感さえ感じました。若いころ、どんな偉い人間にでも食って掛かっていったわたしとしてはきわめて不本意ですが、ここで愚痴るだけにしておきます。少なくとも、受診者さんには良いことをしたのですから。

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ダンナ

「先生、うちのダンナに、『良い感じのデータが続いているから、今のままで良いです』って云ったでしょ?ダメですよ。だって、『食べてない食べてない』と云いながらどんどん腹が出てくるんだから!わたしが一生懸命食事の管理をしているのに、あれは絶対外で隠れて食べてるんだ!」
「奥さんは料理が上手いし、最近は量も良い感じに減してくれたら、助かってる、ってダンナさんが云ってましたよ。」
「とにかく、もっとうちのダンナには厳しく云ってください。わたしが云っても聞かないんだから!」

うちの健診を受けてくれている60歳前後のご夫婦の、奥さんとの会話です。彼らとはもう長いつき合いになります。ダンナさんのメタボのお腹と生活習慣病を改善させるために奥さんがうちの運動施設に連れてきたのです。おかげで、肺気腫のCTを前に禁煙を成功させましたし、忙しい仕事の合間を縫っての運動もコンスタントに続けています。まだまだ内臓脂肪は多いのですが、検査データも良くなって、頑張ってるなぁと思ってみていました。

一家の大黒柱がいつまでも元気でいてほしい、という思いで口うるさいのだろう、とスタッフの皆が思っているようですが、今回の会話でわたしの印象はちょっと変わりました。彼女は、いつまでも若くてカッコいいダンナさんであってほしい、自分が出会って惚れたころのスマートでダンディな男に戻ってほしい、と強く願っているのだろうなと思います。「今日は出てくる前に、ダンナの大きな腹をポンポンと叩いてきてやりました」と笑う彼女の乙女心を、そっと拝見させていただいた気がしました。

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行動変容

職場の健診結果がもう何年も異常値で、毎年大量の紹介状を添えられるのに頑なに病院受診をしない人がいます。

先日はその企業の産業保健師さんから相談を受けました。高血圧症と糖尿病、脂肪肝と肝機能障害、脂質異常症、いずれも<要治療>のカテゴリーに入っていますが、以前受診したクリニックの医者が「ヤブ医者」で、そのとき処方された薬を飲んだけどちっとも良くならなかった。それ以降「病院嫌い」になった、と本人は主張しています。でも相当高い血圧がもう10年近く続いており、心電図ではすでに左室肥大所見を呈してきているので、何とかもう一度かかりつけ医を作って治療を開始して欲しい、と保健師さんは願っているのです。

先日、本人との面談をしたというので、手応えを聞いてみました。とりあえず心配していることを正直に告げて、自分たちが推薦できる医療機関のうち自宅に近い数件のリストを渡したそうですが、それを眺めながら「ふ~ん、こことここはうちの近くだなぁ」とつぶやいてくれただけ・・・自分の手応えとしてはかなり不満なのだ、と彼女は云いました。でも、行動変容というものはそんなものなんじゃないかしら?きっと本人も長い間不安になっているはずです。「ヤブ医者」とか「病院嫌い」とかいうことばが、その場逃れの詭弁であることくらい自分ではわかっているはずで、症状がないとか面倒くさいとかいう実感を踏まえても、そろそろ何とかしとかないとヤバイんじゃないかな、とは思っているはずです。保健師さんの渡した医療機関リストに興味を示したというのはかなりの前進だと思います。これからそっと見守りながら時々後押ししてあげたら、きっと受診に踏み切ると信じます。

あとは、行った先の先生とウマが合うかどうかだけ。でも、これが一番の難関です。

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痩せていて

「痩せていて、ごめんなさい。」

診察のために60歳前の女性を診察室に呼び入れたとき、彼女が開口一番、申し訳なさそうにそう云いました。「骨と筋しかないみっともないカラダなんで、恥ずかしいんですが」と云いながら検査着を開けてくれました。

メタボ全盛の現在社会において、必要もなく痩せることを求めている女性がたくさんいます。明らかに痩せすぎ、栄養不足と思われるのにそれを維持するために拒食症のようになって頑張っている若い女性を見ると痛々しさを感じます。でもその一方で、こうやって太りたいのに太れないということで悩んでいる女性の方もたくさんおります。「人間は各々の体質に合った体格というものがあって、太れない人が無理して高カロリー食を摂ってもカラダを壊すだけ。普通にバランスの良い食べ方をしておけば、自然と自分の合った体格のところで落ち着くはず。あなたの場合は、それが皮下に脂肪を溜めないタイプなだけで現代社会に一番マッチした体質なのだから、あまり気にしない方が良いですよ。」・・・そう助言はしましたが、「でも、やはり気になりますよ。恥ずかしくて人前で服を脱ぎたくないので、温泉や銭湯などにも行けません」と答えられました。わたしにはそれ以上何も助言できませんでした。若い頃からずっと強いコンプレックスを持って生きてきたのだろうなと思いますが、それがせっかくの人生を楽しくさせていないのなら勿体ない限りです。

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名前くらい名乗れ!

仕事から帰ったらその直後に玄関のベルが鳴りました。出てみると作業着姿の若者が立って深々とアタマを下げています。「すみません。○○システムと云う会社の者です。エコ給湯やオール電化のキャンペーンをしていまして、今度わたしがこの地区を担当することになりました。」・・・爽やかな笑顔で、礼儀正しくハキハキしたあいさつです。好感が持てたので北風の寒い中でちょっとだけ話に付き合うことにしました。

「ご主人、オール電化はお考えになったことはありませんか?」
「ありますよ」
「どうしてオール電化にされなかったのですか?」
「停電になったら使えないから」
「ああ、停電ですね。ところで今度エコ給湯のシステムをPRしているんですが」
「うちはガス給湯システムを去年替えたばかりだから」
「そのとき電気のことは考えなかったんですか?」
「考えたよ」
「なぜ電気じゃなかったんですか?」
「停電で使えないから」
「ああ、停電ですね。今度キャンペーンを前に取り付け工事費無料でこの地域の方々にだけお勧めしているのですがエコ給湯のことを考えてみられませんか?」
「だから、去年替えたんだってば」

「寒いし、お互いこのまま話していてもまったく建設的じゃないから止めません?」
「どうして建設的じゃないんですか?」
「は?あんたは売りたいから意味があるでしょうけど、買う気のないわたしにメリットなどないでしょ」
「でも今度のエコ商品は使ってみるだけの価値はありますよ」
「うちは太陽光発電も今年取りつけたし、今のところ考えていません!」
「ご主人、太陽光発電を導入するときにオール電化を考えようとしなかったんですか?」
「しません!」
「普通は逆ですよ。皆さんは太陽光発電だからオール電化を考えるんで・・・」

門扉の向こう側で勝手にしゃべっている若者をそのまま置いて、わたしは玄関の電気を消して部屋の中に入りました。「話にならねぇ!」・・・ムカッとしながら居間に帰っていきながら気付きました。あいつ、最後まで自分の名前を名乗らなかった!

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あいさつ考

昨日のあいさつの話にコメントをいただいたので、返信をしながら改めていろいろ考えました。今までにも「あいさつ」については何度も書いてきましたので、今から書くことはもしかしたら以前にも書いたことのある内容かもしれません。

うちの病院には知的障碍者施設から社会実習の意味も含めて清掃活動やレストラン・売店レジの補助の仕事をしている方が何人かおります。彼らに共通していることは、誰にでも必ずあいさつをするということです。相手を分け隔てしません。相手が返答しない限りいつまでもあいさつを続けます。それは知的障碍の人だからであって、単にひとつのことに固執しているだけだ、という人がいます。でも、どうでしょう。彼らの周りにはいつもあいさつがあふれています。あいさつは当たり前の空気です。日頃しかめっ面で誰にもあいさつしない若い医者が、彼らの前でいつの間にかあいさつを返すようになったのを見たときは何か痛快でした。あいさつって、そんなもんだと思います。別にあいさつに理屈なんか要りませんよね。

うちのセンターでは、朝は交代で玄関に立って受診者の皆さんをごあいさつで出迎えます。「『おはようございます』って云っても何も答えない人が最近多いよね~」とあるスタッフが云いました。皆が同意しました。でも、その中のひとりが「でも・・・たとえば自分が朝一番のデパートやスーパーに行ったとき、入り口に店員がズラッと並んで『おはようございます』って云われるけど、いちいちあいさつを返さないよな、と思うんだよね。でもそれは無視しているのとは違うし、ちゃんとあいさつを受けて止めているよね。あれと同じなんじゃないかな。だから、自分たちのあいさつに反応を求めるのはおかしいんじゃないのかな」と云いました。皆が納得しました。

あいさつって、いいよね。

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プライド?

病院の管理棟の廊下を歩いているとスーツ姿の男女が医局前や部長室前に立っているのに出くわします。薬品会社のMRさんだったり、医薬品の開発スタッフだったりです。最近は女性の姿も増えてきました。

同僚と雑談してたりスマホやタブレットに目を落としたり、あるいは目的の先生を見逃さないように目を凝らして廊下の先を見詰めていたり、彼らの姿も千差万別です。外来や病棟で治療をすることがなくなったわたしはほとんど彼らと縁がありません。彼らが屯す前を軽く会釈しながら通り抜けるだけです。以前は形だけでもあいさつをしてくれるMRさんが多かったですが、最近はほとんど無視ですね。先日は廊下を歩きながら2人の男性とすれ違ったので会釈しましたが、彼らはわたしに目を向けることもなく、堂々と胸を張って通り過ぎていきました。『自分に用のない人間など眼中にない!』と言わんばかり・・・別にうやうやしくあいさつなんかしてくれなくて良いですが、別に受診のために来たわけではないのだから、ここは市役所か美術館ではないのだから、病院に来ていて白衣を着たスタッフとすれ違ったなら、お互いに会釈くらいするのが社会人としての常識じゃないのか?などと思って、ちょっとカチンときました。特に医薬開発や治験担当の方々へもの申しますが、「自分はMRごときではない(MRさんに失礼ですが」的な感覚があるのではなかろうか?はるばる○○部長に会いに来た自分は、病院スタッフに媚びを売りに来たのではなく、もっとアカデミックなあるいはもっと高い次元の交渉を任せられて来たのだから・・・などと思っては居ないだろうか?廊下をすれ違って会釈をする、などという社会常識すらできない連中に、何ができようか!・・・むかしは良くこう云って息巻いていました。こんな連中の仕事に限って意外に自分に廻ってきたりして、自分が担当だと紹介されると、この無視男たちが突然ペコペコし始めやがるので、「こんな裏表のある人間のする仕事など信用できないから、したくない!」と上司に訴えて呆れられたことがありました。

ちょっとだけ大人になりましたが、大人になったら一層彼らの社会性の無さが情けなくなったりしています。

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パソコン

うちの職場のパソコンの処理速度が、最近ちょっと遅くなったような気がします。ガタガタガタと何か一生懸命やっているようなのですが、読影の作業をしていると時々ボーっと待っていなければならないことが増えました。これだけの量を読むのに制限時間があるのだから、遅いと仕事にならんのじゃ!と独り言を云ってみたりします。

でも、我が家のパソコンはその何倍も遅く、しばらく待っていたら勝手に仕事を放棄していたり(「応答なし」)など日常茶飯事です。パソコンを立ち上げて、何もできないまま1時間を費やし結局強制終了させたことなど何度もあります。そんな仕打ちに慣れてくると、職場のパソコンが決して遅いとは思わなくなります。

ところが今度パソコンを新しくしました。今までのことがウソのようにサクサクサクサク・・・まあとんでもなく優秀な仕事ぶりに惚れ惚れします。ただ、こうなるとまた仕事場のパソコンの遅さが気になり始めました。イラっとします。

人間って、何かつくづく情けない動物だと思います。

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それは夢?けいれん?

熟睡している我が家の13歳半の愛犬がときどき前足を小刻みに動かし、けいれんしているかのように見えることがあります。自分の動きで目覚めるときは安心しますが、そのまま目を上目遣いに見開いているときには、そのまま昇天してしまうのではないかと心配になります。

「あれは、夢か何かみているのですか?」・・・先日、主治医の獣医に妻が聞いてみたら、「実はよく分かっていないんです。夢を見ている行為と実際にけいれん発作を起こしている行為の境目は意見が分かれていて、学会でもまだ結論が出ていなんです」と、意外な返事が返ってきたそうです。人間でも、レム睡眠で夢を見ているときと部分発作のてんかんを起こしているときとの区別となると脳波でも記録しない限りわからないのではないかと思いますから、それを考えると「さもありなん」と思いますが、少なくとも、日常の中のイヌたちは思いの外頻回にけいれん発作を起こしているのではないかと云われているそうです。

開けた目が、ふっと正気の目に戻った瞬間、「あれ?ここはどこ?」という目で辺りを見回している顔を見ると、一層愛おしくなるのでございます。

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意外なトラウマ

「だめ! わたしは吊り橋だけはだめ!」

先日の休み、紅葉狩りのために行った五家荘の樅木の吊り橋の前で、妻が叫びました。高所恐怖症のわたしと違い、妻は高いところが得意で、さらに南の海でのダイビングも楽しんでいます。それなのに「吊り橋だけはムリ!」と叫ぶのには意味があります。小さい頃、この樅木の吊り橋の真ん中で恐怖のあまりひとりで立ち往生したトラウマがあるのだそうです。当時のような朽ち果てた吊り橋ではなく今ははるかに頑丈なものに付け替えられたのですが、それでもそのときの怖さの記憶がそれを凌駕するのだそうですから、子どものころの恐怖体験と来たら、想像を絶するモノがあったのでしょう。さらに、いつもはへっぴり腰なわたしの方が返って普通に渡ったのがよほどシャクだったようで、「なんで、なんで怖くないの?足元に隙間があるんだよ~」と叫びながらワイヤーにしがみついて叫んでいました。

そんなことと引き合いに出すのは妻に申し訳ないのですが、うちの3歳になる愛犬は暗闇の中に入っていけません。日頃好奇心に任せてあちこち飛び跳ねていますが、少しの暗がりでも後ずさりします。引っ張り込もうとすると死にもの狂いで抵抗します。また、人間が外から覗き込もうとすると必死で逃げます。わたしがフェンスの外から近付いただけで必ず逃げていきます。不思議な子ですが、おそらく町田から熊本に送られてきたときの飛行機の貨物室の恐怖が蘇るのだろうと思います。あの日は羽田に引き返すかもしれないというとんでもなく大荒れの嵐の日でしたから。

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哲学者たちの老化

毎年実施している知的障がい者施設の健診に今年も行ってきました。わたしがこの施設の診察を毎年1回担当するのは偶々(たまたま)ですので、顔なじみの哲学者たちに今年もお会いできたことに深く感謝します。

相変わらず幼児ことばで接しているうちのスタッフの声を聞いていると、施設の職員の皆さんが普通に敬語で彼らと接している姿が一層心地よく感じられました。前回も書いたとおり、そんな些細なことなど当事者は何も気にしていないのだろう(ご高齢の方が「オレをバカにしているのか!」と激怒するのとは次元の違うところで受け止めているような気がします)とは思いますが、真実はわかりません。

さてそんな哲学者の皆さん、特に「重症組」と云われる皆さんの顔ぶれは今年もほとんど変わりません。と思ったのですが、中に数名風貌の変わった方々がおられました。あれ、顔が太った?あ、もしかして中年太り?あれ、いつも泣いている彼女は去年まで乙女のような肌だったのに何かおばさんになった?・・・いらん世話ですが、受診票に記された年齢の数字を眺めながら、「そうか、みんな歳取ったんだな」と感慨を込めてそう実感した次第です。もちろんわたしも同じ数だけ歳を取ったのですが、何故か「彼らは歳を取らない」と、どこかで信じていたところがありました。

スタッフも施設職員も当事者も皆が年々健診に慣れてきたせいか、昔あった喧騒や悲鳴もほとんどなく、効率よく静かに淡々と終わったことがその思いを一層深いモノにさせました。

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中性脂肪とコレステロールの親密な関係

連載中のシリーズVol.4(11月号)が公開されました。
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中性脂肪とコレステロールの親密な関係~メタボ基準の中性脂肪の役割は?~

脂肪が世間でこんなに悪者にされるなんて、神様は思ってもみなかったことでしょう。なぜなら、脂肪は生きていく上でなくてはならない存在のはずだから。ところで、「脂肪」「脂肪細胞」「中性脂肪」「コレステロール」~これらの区別はきちんとつけられますか?

●良い脂肪と悪い脂肪

脂肪細胞はもともと小型です。現代人の正常値(直径70~90μm)よりもっと小さいのが本来の姿ではないかといわれています。脂肪細胞は単なる「エネルギーの貯蔵庫・供給元」と考えられてきました。脂肪細胞にエネルギーを取り込んで貯蔵し、カロリー不足の時に分解して肝臓や筋肉に提供する~だから冬山登山の前にはたくさんの脂肪を皮下に溜め込んで事に臨みます。ところが近年、脂肪細胞の主たる仕事はホルモン産生であることが分かってきました。実は、脂肪細胞の本来の仕事は、動脈硬化を抑えて糖や脂質代謝を改善させることなのです。ちょうどよい大きさの脂肪細胞からは、そんな”善玉ホルモン”がたくさん出ますが、細胞が大きくなりすぎるとその働きが低下します。一方で炎症や動脈硬化を誘発する”悪玉ホルモン”が量を増やして活性を促進させます。結果として、大きくなった脂肪細胞が動脈硬化を助長することになります。もともとこれほど大きくなるとは想定されていないからパニクっているわけで、それが飽食や運動不足による弊害だということは明白です。

一般的に皮下の脂肪細胞はある程度大きくなると数が増えます。一方、内臓脂肪はめいっぱい増大するタイプの細胞です。だから内臓脂肪が溜まる方が皮下脂肪よりも動脈硬化を起こしやすい(メタボリックシンドローム)ことになります。よい脂肪と悪い脂肪があって、よい脂肪はきちんとあった方がよく、悪い脂肪はない方が良いのだということを理解してください。

●中性脂肪とコレステロール

中性脂肪は食事だけでなく肝臓からも合成されてエネルギー源として血中を廻っています。コレステロールもその大部分は肝臓から合成されます。油は水(血液)に溶けませんので、これを溶け込ませるために中性脂肪とコレステロールは「リポ蛋白」という塊になって血中を移動します。中性脂肪をたくさん含むVLDLというリポ蛋白が肝臓から放出され、エネルギーが必要な時に分解酵素(リポ蛋白リパ-ゼ)でこれを分解して中性脂肪を取り出す~こういう仕組みを見ていると人間のカラダってすごいな!と思います。VLDLが分解される時にLDL・HDLといったおなじみのリポ蛋白が登場します。

さて、やっと本題に入れます。高中性脂肪血症がなぜメタボ基準なのか? 脂肪は遊離脂肪酸という形に分解されて肝臓に送られた後VLDLに作り変えられるわけですが、脂肪が過剰になると遊離脂肪酸が大量に肝臓に送られ、当然大量のVLDLが作られて大量の中性脂肪を血中に放出します。ところが内臓脂肪の細胞が大きくなると分解酵素であるリポ蛋白リパーゼの働きが低下し、分解されずに徘徊するVLDLが増えることになります。VLDLを分解できなければHDLは作られませんし、LDLも低下します。結果として、内臓脂肪の過剰は血液中の中性脂肪を増加させるとともにHDL,LDLの減少をもたらします。

HDL(善玉)の低下は動脈硬化を助長しますが、LDL(悪玉)も低下するならいいのではないか? いえいえ、VLDLが分解されずに中性脂肪が増えると、サイズの小さな未熟なLDL、「small dense LDL(超悪玉)」ができ易く なります。Small dense LDLは本来のLDL受容体にうまく結合できずにいつまでも血中に滞在します(普通は2日くらいの血中滞在時間が5日くらいに延びます)。血中滞在時間が長いほど血管内皮下に取り込まれる機会が増しますし、サイズが小さいほど血管内皮下に入り込み易いのです。だから、血中の中性脂肪濃度が高いほどLDLは小さくなり、酸化LDLになり易いということになります。

●まとめ

①ちょうどよい大きさの脂肪細胞の主たる仕事は、動脈硬化を抑えることである。
②内臓脂肪は細胞が大きくなり易く、大きくなるほど分泌されるホルモン系が動脈硬化を促進させる。
③内臓脂肪が増えると、血中の中性脂肪が増え、同時にHDL(善玉)が低下してLDL(悪玉)が小型化(超悪玉)する。結果として動脈硬化の引き金になる酸化LDLを作り易くなる。

つまり、もともと細胞内に準備しておいた容量をはるかに越える仕事量を現代社会が要求したために処理不能になったということです。一時代も二時代も前のパソコンで膨大な量の仕事を強いれば、コンピューターが暴走してもなんら不思議ではありません。新型コンピューターを急いで開発するよりも、要求する仕事量を減らす方がはるかに簡単で現実的だということは、誰でもわかることなのですが・・・。  

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ランチメイト

「昼飯食いに行こ!」・・・日曜日の昼下がり、わたしのアパートまで誘いに来てくれた同僚と近くのラーメン屋に行ったことがありました。研修医のころでした。ラーメンを注文したかと思ったら、同僚は早速棚に並んでいるマンガ本を読み始めました。一言も発しません。何もすることのないわたしもやむを得ず適当にマンガ本を持ってきて読みました。ラーメンが運ばれてきても彼はマンガを読みながらラーメンをすすり、食べ終わってもページが終わるまでしばらく座っていました。結局彼とは最後まで何の話をすることもなく店の前で別れたのですが、さて何でわたしはわざわざ誘われたのだろう?今でもあのときの真相がわかりません。

最近は友人や恋人同士でも、飲食店に入ると各々がおもむろに携帯を取り出し、黙々とメールやスマホのネットサイトを扱うのが普通なのだそうです。たしかに、最近のうちの夫婦も世間様と同様です。

ランチメイト症候群ということばが巷でささやかれています。「あいつは友達が居ない、つまらない奴だ」と思われたくないので、一人でランチを食べずにツルむことを指すのだそうで、最近は女性だけでなく男性にも多くなってきた、とどこかの記事で読みました。ところが、そんな話とはまったく逆に、ランチは必ず皆が一緒に取るのが決め事の職場が増えてきており、「出てくる話といえばグチや悪口ばかりでウンザリだ」「ランチぐらい自由に食べさせろ!」と感じている女性も多いのだとか。基本的にランチに時間をかけるのが勿体ないと思っているわたしは、勝手に食べて勝手に居なくなる人種で、それを遮る障害のなかった人生は幸せだったのかもしれません。もっとも、そんな連中ばかりになると、一層コミュニケーション術の未熟な人間だけになってしまうのかも・・・難しいものです。

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低線量CT

先日配信されたCareNet.comに低線量CT検査で肺気腫、COPD(慢性閉塞性肺疾患)のスクリーニングができる、というオランダ・ユトレヒト大学医療センターのOnno M. Mets氏らの報告が載っていました(JAMA.2011.10.26)。

また「肺気腫の肺野内体積および気管支径を定量的に評価できるワークステーションソフト」のデモが行われるという連絡も職場のメールを通して送られてきました。肺気腫の状態が視覚的に表示できるソフトらいしいです。

うちの施設で宿泊ドックの受診者全員に低線量胸部CT検査をするようになって数年になります。当初は賛否両論ありましたが、今では多くの健診機関が取り入れている検査です。ただ、あくまでも肺がん検出目的の意味合いが強いように感じて、それを一番懸念していました。喫煙に関連しない肺がん(腺がん)は進行が遅いので検査の意義があります。でも喫煙に関連する肺がん(扁平上皮がんや小細胞がん)は進行が早く、"タバコを吸っているからがんが心配で"CT検査を受けてたとえ問題がなかったとしても、1年後に生きているかどうか保障できる検査ではありません。がんのスクリーニングを年1回のCT検査で行うためにはまず禁煙することが必須条件です。

ですから、わたしは喫煙者にとっての胸部CT検査の意義をCOPD、肺気腫の検出に絞って説明しています。肺のう胞所見がいくつかみつかると禁煙のきっかけになれるからです(タバコの相性)。そういう点では、上記の報告やソフト開発が健診で行う低線量胸部CTスクリーニングの意義を高めるものとして期待しています。

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何かが違う?

昨年秋に腎摘出術を受けた男性が定期の人間ドック受診に来られました。昨年春に人間ドックを受けたときには全く異常が認められなかった腎盂に悪性腫瘍がみつかったのです。きっかけは血尿でした。春の健診のときの尿検査や腹部エコー検査を見直してもやはり異常は認められませんでした。たしかに早期では見つけにくい部位であり、半年前に見つからないレベルだったからこそ他に転移もなく手術を最低限で済ますことができたといえるのでしょう。「すぐに病院に行ってくれて良かった」・・・その経緯を本人から聞きながら、わたしは強くそう感じました。血尿だと気付きながら、「半年前のドックが正常だったのだからもう少し様子を見ようか」と病院受診を先延ばしにするひとの方が多いのではないでしょうか。わたしの様に尿管結石発作を繰り返す人間は特に、多くのことを何でも結石のせいにしてしまう傾向があります。自己反省しきりです。

先日、自らの急性白血病罹患を公表した民放テレビのアナウンサーも、きっかけは首のしこりだったと自分で語っていました。たまたま首を触ったらいつもはないしこりを感じて、いつもは放ったらかしておくのに今回は何か気になって病院受診をしたのだとか。

「これは何かが違う?」と感じたら、面倒でも、様子を見たり次の健診まで待ったりせずにまず病院を受診してほしい! そう力説したくなるエピソードでした。

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柿の種

ひいきのプロサッカーチームの応援のために3時間愛車を走らせるのもすっかり日課になりました。先週の週末も阿蘇を越えていました。手持ちぶさただったわたしは運転をしながら柿ピーを食べ始めました。よそ見ができませんので、手探りで袋から取り出して口に運ぶ作業を何度も繰り返します。

ふと、指の間から何かが1つこぼれ落ちたような気がしました。それは運転席のシートとサイドブレーキの隙間に落ちたような気がしました。でも、信号停車のときに隙間をのぞき込んだりシートを動かしたりしたけれど見つかりません。手の中の柿の種の数を数えていたわけではないし、見ていたわけでもないし、あるいは音がしたわけでもないので、確信はありません。だから、気のせいかな、と思うことにしましたが・・・たしかに何か落ちた気がするので、どこかスッキリしない感じです。

こんな経験は人生の中に何度かあります。いや、お菓子を座席の隙間に落とした経験ではなく、何かが起きたような気がするのだけれど本当はどうかが分からないままうやむやにしてしまったこと。「ま、いいか」と云いながら、見なかったことにしてしまったこと。自分の人生への何か重要なメッセージが飛んできたのかも知れないのに、気付きながら目をつぶってやり過ごしたこと。良いのか、そんなことで?しっかりと見極めなければならないのではないか?そんな自問自答をすることも最近はなくなってきました。

「運転中にお菓子なんか食べちゃダメでしょ!」・・・全然違うところで妻からダメ出しを食らいそう。

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手のうち

健診結果の説明をしようと診察室に呼び入れると、開口一番、「先生のコラムいつも楽しみにしています」と云われることは最近になっても時々あります。さすがに少々云われ慣れてきたので「そうですか。ありがとうございます。もう次の〆切が近くなっていて焦っています」などと返事することができるようになってきました。

ただちょっと困るのは、わたしの説明の手のうちを相手はすっかり知っているだろうということです。わたしが書きたい放題に書いてきた内容は、たとえば「ムダに動け!ムダに食うな!」とか「食ってすぐ寝るな!」とか、あるいは「食わずとも生きていけるたくましい体質だ!」「理屈でモノを食ってもため息しか出ない!」・・・思いがけずショッキングでアタマに残るような決め台詞として日頃普通に使っていることばの羅列なので、「あ、それ、あのときに書いてあったやつだ」とか相手に思われるのがシャクで、逆に意図的にそれを使わない説明になってしまうのです。

同じように、前回もわたしが説明をした相手に対しては前回と同じ云い回しをできるだけ避けます。「いつも同じこと云ってるんだ」と思われるのがシャクで・・・。

悟りが足りませんねぇ。

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睡眠と食塩感受性

MTProから配信された情報の中に、第34回日本高血圧学会総会の特別企画「東日本大震災と自治医大~現場からのメッセージ」が出ていました。高血圧治療の第一人者である自治医大の苅尾七臣先生からの、「睡眠の質の低下により被災者の食塩感受性が亢進していた」という報告でした。

大きな災害直後はその精神的ストレスから循環器系疾患のリスクが通常の1.5~2倍に上昇すると云われており、それは「血圧上昇」と「血栓傾向」が関わっていると説明されています。これは太古から生き延びるために備えているサバイバル機能だということを以前ここでも紹介しました(狩りや戦の場で食べずともきちんと戦えるだけの血圧を維持し、怪我で出血してもすぐ止血されることが生き延びる必須条件)が、それに加えて災害後の生活環境の変化や不安による不眠、日内リズムの変化、非常食などによる塩分摂取量増加と脱水、身体活動の低下などが上乗せされるようです。

被災者の血圧が上がる理由として、摂取塩分量が増加するためだけでなく、同じ塩分摂取量でも睡眠の質が低下すると食塩感受性が亢進する、という結果は興味深いものがあります。「食塩感受性」とは、塩化ナトリウムに反応して血圧を上げるメカニズムが働く力ですが、これが高齢者ほど高く、肥満者ほど高く、女性>男性、黒人>アジア人>白人、腎機能低下者や高血圧家系の人に高い、ということは以前から云われていました。これが睡眠の質と関連するというのも、おそらくサバイバルの理論(戦いの中で十分な睡眠が取れなくても戦えるだけの血圧を維持できる)によるものなのでしょうか。

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夜間頻尿

先週テレビを見ていたら、夜間頻尿についてやっていました。最近はテレビで専門的なことをわかりやすく解説してくれるので、病気を理解する上でとても助かります(笑)。

夜間頻尿が年齢とともにひどくなる理由は、必ずしも前立腺肥大のせいではないのだそうです。実際、若い人(ヤングチーム)と中年以降の人(アダルトチーム)の夜中の尿量を比較すると、夜中にいく回数だけでなく合計尿量も明らかにアダルトチームの方が多くなりました。わたしはこれまで、前立腺肥大があると残尿が多く、すぐに膀胱が満杯になるから何度も起きるのだと説明してきたので、とても驚きました。

尿意を感じ始めるときの膀胱に溜まっている尿量がアダルトチームの方がかなり少ないので頻尿になるというのもあるのですが、実は人間は元々夜におしっこに行かないように作られているそうです。その体内時計が年齢とともにずれてくるそうで、徐々に昼夜逆転してくるのがアダルトの夜間頻尿の原因だと云います。夜の睡眠障害が高齢ほど深刻なのとも関連があるのかもしれません。でも、いつも朝6時に起きてこのブログを書き始める習慣のわたしでも夜中の頻尿はかなり深刻ですから、本当にそうなのかなあとちょっと疑心暗鬼・・・その解決策が排尿日記だそうで、おしっこの記録をするだけで夜間頻尿は改善するというので、腹部エコー上は前立腺肥大のないわたしが試しにちょっとやってみる価値はあるかもしれません。

「そんなもの、晩酌やめれば良いのよ!」という妻の意見はとりあえず置いといて。

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体重

「要するに、体重を減らしたら良くなるってことですよね。」

こういう総括をしたがる受診者の方が最近多くなったような気がしますが、これは特定健診・特定保健指導の普及啓発の賜物なのでしょうか?でも、わたしは必ず「いいえ、違います」と即答します。イケズですから。

肥満症の定義は、「減量を要する健康障害を伴う肥満、および健康障害を伴いやすいハイリスク肥満(内臓脂肪蓄積型肥満)」です。肥満症は2種類に分類されています。「脂肪細胞の質的異常による肥満症」と「脂肪細胞の量的異常による肥満症」です。後者は、脂肪細胞が物理的に多すぎること自体が問題な、関節症や腰痛症や睡眠時無呼吸などを指します。これは治療の目的が「体重を減らすこと」なのですから、やせる努力が必要です。でも前者はいわゆるメタボリックシンドロームです。メタボについては内臓脂肪が減ればいいわけで、必ずしもやせることを目的にはしていません。運動や食事の取り組みをしたら、結果としてやせるかもしれませんが、別に大してやせなくても内臓脂肪が減ってくれればデータは良くなります。むしろやり方がまずいと、やせたのにデータは悪化したということになります。極端な場合はホルモン異常や拒食症にもなりかねません。

体重の変化は目安にしやすいのでモニターリングの中心であってもかまいませんが、体重減少はあくまでも結果であって目的ではないということは、本人も指導者も絶対見失ってはいけないポイントだと思います。

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精査受診

健診の結果で、精密検査や治療を要すると判定した場合、その指示と紹介状を結果報告書に添付します。ところが、その受診率が極端に低い(紹介状を持って医療機関を受診していない)のが現状です。特に、医療現場で働く人の精査受診率の低さは如実で、うちの病院の場合も例外ではありません。病院職員が受診しない理由は、、専門職であるがために自己判断してしまったり仲間うちで自己解決させたりしている部分もありますが、結局は、忙しくて行く時間がないとか面倒くさい、といった一般社会人の理由と変わりません。むしろ相手が専門職であるがために、健診機関から強く勧めない(云わなくてもわかるだろ、みたいな)心情もあります。

わたしが産業医をしている全国展開の大手企業の二次精査受診率はほぼ100%です。数人の反逆者はいるもののほとんどすべての人間が受診してなんらかの結論をもらっています。うちの病院よりももっと忙しい社員さんばかりだというのに。それを見ていると、結局は組織のトップの考え方次第なのだと思います。自己判断・自己責任と云う言葉は格好いいですが結局単なる野放し。「自分の健康管理が出来ない人間が他人の病気管理をする権利があるものか!」という強い意識さえあれば、受診率100%なんて大したことではないはずです。個人情報保護法のせいで直属の上司に詳しく告げ口すらできないご時勢ですが、組織のトップが「うちはこれから2年以内に健診の二次精査率日本一の病院を目指す!」と宣言すれば簡単に達成できる優秀な組織だと思うのですが、どうしてトップダウンしないのでしょう?先進医療には興味があっても、予防医学の先進にはあまり興味がないのかしら?

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質問の仕方

相変わらず、とても優しい口調でていねいに質問をするN先生。N先生の質問には、相手がどんなに若い先生であっても常に相手に敬意を払い、深い愛情が込められています。だからとても落ち着いて聞くことが出来ます。芯からの教育者だなと思います。

学会の一般演題の発表後、「この演題について何かご質問はありませんか?」という座長の決まり文句が発せられたとき、すでにマイクの前に陣取る聴衆の先生方。医療関係の学会しか出たことがありませんが、特に医者の発表に対する質問はかなり厳しいものが主流です。「そのメカニズムは?」「この研究はもともとここに問題があるのではないですか?」「同じような研究をした我々の結果はまったく違うのですが・・・」~なんとも厳しい詰問に若い医者たちがどう答えるか、試験官というよりもまるでサディストが無抵抗の相手をいたぶって楽しんでいるのではないかと思うような云い方をすることもあります。結局は指導者の立場の共同演者が助け舟を出すことになるのですが、何かそういうのは聞いていてあまりいい気がしません。内容はアカデミックを競っているように見えながら、もっと次元の低いエゴの姿が垣間見えるからです。

科学者であり、研究者であり、教育者である諸先生方の質問の仕方には、それぞれの個性が見えて面白いものです。自分が当事者でない限りは、傍観者として楽しめますが、そんな中で、N先生の静かな口調がとても好きです。

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ホテルの部屋の真ん中に大きな鏡がありました。その前でスーツに着替えながら、目の前にいるオジサンの姿をしみじみ眺めてみました。

何か、1年前と全く違う人みたい。こんなにこのスーツ似合わんかったかなあ。年相応と言えば年相応なんだろうけど、このスーツ着たらもっと若々しくなるから好きだったのに、なんか楽しくないなあ・・・目の前に映る冴えない姿の自分を眺めなから、ちょっと落胆。日頃、白衣を着ていると歳は目立たないもの。普段着もいつもショッキングピンク男子でカモフラージュしているから錯覚していたのかもしれません。

まあ、歳を考えたらこんなものよ、と自己に云ってきかせている自分と、今こそもう一度アンチエイジングにトライせよ!と叱咤激励する自分と。

朝からそんな葛藤があった先週の出張でした。

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区切り

やっとココロの区切りができました。

3月に急逝したKさんのご自宅は横浜の高台にそびえる閑静なマンション群の中にあります。上京したときには必ず街でお会いして楽しい酒を飲むのが習慣でしたが、ちょうど1年前の学会のときが最後になりました。何ら症状もなく、たまたま別件で1月20日に病院に行き、その2ヵ月後には居なくなりました。風のように去っていったKさんですが、職場の厳しい出張制限と関東での学会がなかったために、なかなか仏前で手を合わせることができませんでした。分骨された小さなお骨を前に、やっとそれが叶いました。

初めてお伺いしたKさんのマンションの居間からは、くっきりと大きな富士山が見えました。「ここを見に来たときにこの風景が見えて、主人はここが気に入ったんですよ」・・・奥様が静かにそう説明してくれました。もともと富士の裾野に居を構えておられたKさんにとって、富士山は大きな守り神だったことでしょう。それにしても静かでした。大きなマンション群の中にあって、本当に静かな環境でした。ひとり残された奥様にとっては、静か過ぎるのではないかと他人事ながら心配になりました。幸い、お近くに住む娘さん夫婦のお宅に頻繁に行くのだそうですが、気丈にされている姿の中に時々垣間見せる寂しさと無念の表情が印象に残りました。私が研修医を終えてすぐの頃にKさんに初めて会いましたから、本当に長い付き合いでした。東京に住んだ頃には富士のお宅に夫婦で泊めてもらって2人の娘さんと一緒に富士山や富士五湖まで行きました。娘さんが嫁いだときには嬉しそうに教えてくれました。あまりにも早く仕事を辞めて、悠々自適に見える生活をするようになって、会うたびに妙に達観した好々爺の風貌になっていくのが気になっていました。

戸塚駅に向かうバスに揺られながら、おそらくこの街に来ることはもうないだろうなと思いました。

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放射線専門医の責務

つくば市で行われた第51回日本核医学会学術総会に行ってきました。3月11日の大震災以来しばらく関東以遠への出張が制限されていたこともあり、個人的には約1年ぶりの上京となりました。

放射線医薬品を扱う専門医の学会ですから、冒頭で緊急合同シンポジウム『福島第一原子力発電所事故による放射性物質漏えいについて』が企画されたのは至極当然なことだと思いました。その中で、京都医療科学大学の大野和子先生の「医療関係者に必要な知識」という話が頭に残りました。

わたしたちは医療者であり、特に放射線専門医であるから、初めから放射線の怖さも安全性も心得ています。だから日本中で病的に騒がれている事象が常軌を逸した状況であることは簡単にわかります。がん発症のリスクは日常の生活習慣がその大部分を占めており、今回の放射性物質漏えいは、これまでも、これからも、それにほんのわずかに上乗せするかどうかでしかないことを当たり前のように知っています。日本が今回打ち出した諸基準は世界の基準に比べると2倍も3倍も厳しく設定されています。それは通常ではありえない量の放射線を何年も浴び続けても生体に影響を与えない量をさらに厳しく想定されているのです。それでも一般市民の方々は恐れおののくのです。その理由は、常に放射線が自然界に存在しているというレベルの常識ですら一度も学校で教わらないからだと云います。そして、外国の原爆実験のために昔から日本に大量の放射線が落下し続けてきた事実をマスコミはまったく報道してこなかったからです。

今、国や政府の云うことは何も信じられないという人ばかりです。でも、まだ幸いにして医者には耳を貸してくれます(それでも、「医者も人によって云うことが違う」との苦情)。わたしたちは、きちんとした知識の確認をして医療人として意思統一を図り、その上で正しい情報を発信する義務があるのです。・・・最後に大野先生はそう締め括りました。

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