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2012年1月

無意識の習慣

「しまった!」・・・思わず舌打ちをしたのを、若いスタッフさんに見られました。

昼休みが終わって、午後の診察室に戻ったわたしは何も考えずにデスクのパソコンのスイッチを入れたのですが、実は、午後に使う必要がなかったので敢えて午前中に切っておいたパソコンなのです。せっかく切っておいたパソコンに無意識に電源を入れてしまったのは、あきらかに現代を象徴する病気ですね。

朝、職場に来たら挨拶をしながらデスクのパソコンをオン。外から自宅に帰ってきたわたしが最初にすることは食卓にある自分のノートパソコンのスイッチをオン。・・・目的とは全然無関係にそういう操作をするのは習慣だからでしょうが、今回の失敗は自分にとってとてもショックなことでした。日常で、いかに何も考えずに行っていることが多いかということを示しているからです。行動の一つ一つに意識を持つなら疲れ果てますけれど、こうやって無意識に何かをしてしまっていることは、気付いていないだけで実は他にもあるのではないか?という不安が襲ってきます。

最近、携帯電話の通信トラブルが問題になっていますが、たまにはこういうトラブルでパソコンも何も使えなくなるのも重要なことかもしれないと思うことがあります。外との交通を遮断して、ワイン片手にゆっくり読書に耽る・・・今のわたしには憧れです。でもたぶん、5分もしないうちに意識消失、かな。

立ち上がったパソコンをそのままシャットダウンさせながら、そんなことを思いました。

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悟り過ぎ

「来年、もっといい結果を出せるようにがんばります!」

先日人間ドックを受診された初老の男性が、帰り際にそう決意を語りました。乱れていた生活習慣病の値が年々改善して、今年の結果はほとんど問題のないレベルになっていました。無理している様子もなく、日々の生活も充実するようになったそうで、成績発表である年一回の人間ドックが最大の楽しみのようです。

「もうこれ以上良くならなくてもいいですよ」・・・結果説明をしているうちに打ち解けてしまった勢いで、わたしは彼に本心を云いました。今の生活を続けていたら勝手に良くなったというのであれば何も問題ないですが、さらに良くさせるためにもっと悟った人生を迎えようとストイックな修正を加えようとするのであれば止めた方がいい、とそう思います。「これ以上良くなったら悟り過ぎです。これ以上悟ったらこの世を卒業させられますよ!」・・・冗談とも本心とも取れるトーンでそう付け加えました。目標を持ってそんなストイックな人生を送っていくのは楽しいことかもしれませんが、やっぱり人間、もっと煩悩を残して生きていっても良いんじゃないんでしょうか?

なまくら坊主のお説教のようなはなしを、彼はニコッと笑いながら頷いて受け止めてくれました。げー、マジでこの人、悟り過ぎー!

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街のはずれ

わたしの実家は大分市の東のはずれにあります。次男坊だった父が大きな借金をして今の場所に家を建てました。世間の人は、あそこは大分市ではない、と云いました。たしかに合併して大分市になった地だそうです。中学と高校はバスやJRに乗って毎日通学しました。繁華街に住んでいる街の連中と一緒に遊んでいると、やはりちょっと劣等感を感じました。なにしろ、私が年に数回一張羅のよそ行き服を着て出かけていた街中の商店街で、普段着を着て毎日普通に遊び回って大きくなった連中です。普段着といっても、わたしのようなヨレヨレのTシャツではなく、全身をきっちりとIVYファッションなんぞで決めている連中です。正直なところ、わたしにはいまだに彼らに対する劣等感が払拭できていません。

東京で生活の場に選んだ石神井もまた、「練馬なんて東京じゃねえし!」と何度も云われて、田舎者のわたしたち夫婦は萎縮しました。でもまあ、わりと長閑に田舎者的生活ができました。とはいえやはり横浜方面からやってくる連中や山の手線の内側で生活している連中とは一線を画しておりました。池袋より外側の話をしてもだれも理解してくれませんし・・・。

そして熊本に帰って住んだ場所(今の自宅のすぐ近く)もまた、熊本市の東のはずれ・・・ほとんど隣町の文化圏でした。今でこそ便利になりましたが、当時はまだ迷路のような小道が多く狐に化かされたような迷い方をしたものです。それでもここは主要ゴルフ場に行くのにも近いし電車の終点に近いし、良い選択をしたなと思っているところです。

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ステンドグラス

テレビで東京の新大久保駅付近の紹介番組を見ていました。ふと、東京に住んでいた頃のことを思い出しました。パニック障害に悩まされていた妻がそれを克服するのに重大な役割を果たしたステンドグラス教室・・・『みきデザイン工房』があったのが、この新大久保駅近くだったなあ、と。

「まだ田中幹敏先生はご健在なの?」・・・一度、作品の搬出の手伝いのために車で教室まで行ったことがあります。中途半端なパソコン知識で、そこの事務所にあったレンタルパソコンのシステムをいじってしまってデータを壊したこともあります。田中先生にお会いしたのはたぶんその2回だけ・・・でも、割と鮮明にお顔が浮かびます。そういえば、妻の時空を超える超能力の現場になったのも、この事務所でした。

・・・「わからない。もうずっと連絡を取っていないから」と、妻は申し訳なさ気に答えました。ホームページをみると3年前にはお元気そうな写真がブログにアップされています。東日本に初めてステンドグラス教室を開設した人だということは、このホームページで初めて知りました。今はきっとお弟子さんたちが教室を大きくして活動を引き継いでいるのでしょうね。間違いなくわたしたち夫婦の人生にとって重要な役割を演じた存在でした。

「久しぶりに新大久保に行ってみたいね」・・・今はコリアンタウンになってきた(当時はもっと多国籍でした)らしいこの街が、妙に懐かしくなった次第です。

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医者は文系か?

昨日、いつもコメントをいただけるasuka3hさんの意見を読みながら、いろんなことを思い出していました。

「医者は文系か?」・・・答えが「イエス」であるのは明々白々です。なぜ「理系」という考えが出てくるのかといえば、それは「医学は科学である」という想いが邪魔をしているからでしょう。「医学に従事する者」=「医学者」、「医学者」=「科学者」、だから「医者」=「科学者」。違うと思います。「医者は学者であってはならない」と思います。学者になりたいのなら医者を辞めて研究室に行けばよいこと。医者にとって、知識も人徳もなくてはならない絶対条件ですが、「医者」の相手は病気ではなく人間、人体ではなく人間そのものなのですから、「理系」では務まるはずがありません。医学は科学でしょうが、医者は科学者である必要はまったくありません。50+47が97でなければならないと思い込んでいる人間に医者は絶対務まるはずがありません。

  「医学は科学ではない(前編)」(2008.10.30)
  「医学は科学ではない(後編)」(2008.10.31)

と、そう思って生きてきました。わたしは精神科医になりたくて医学部を目指した(「私が医者になった理由」)から尚のことですが、いまだに数字第一主義がキライです。EBMだとか、発生率だとか、あるいは受診者数だとか収益値だとか、その場しのぎで覚えることはあっても翌日には忘れています。目の前の患者さんが100%なのだからそんな数字どうでもいいじゃねえか!といつも反骨オヤジです。

ま、この考えだけは、一生変わりそうにありません。だからわたしは絶対、経営者や大学教授になれるタイプではないと断言します(その前に、そんな器じゃないか)。

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第二の人生?

「女性は更年期以降になって初めて人生が始まりますから、心してください。本領発揮できずに持ってきたものがいよいよ出てくる時期ですから」・・・妙齢の女性に健診の結果説明をするときに、わたしは必ずそういう云い方をします。

すると、しばらくキョトンとした後、知たり顔に微笑んでから、「なるほど。第二の人生ってやつですね。承知しました・・・」と分かったような反応をされることが先日ありました。すみません。そうなると、わたしの天邪鬼スイッチが突然オンになってしまうわけです。

「『第二の人生』ではありません。『初めての人生』です。今まで女性ホルモンが勝手にやっていた『仮の人生』からの卒業です。今までのことはすべて忘れてください。今まで糖尿病にも高血圧にも興味なんかなかったかもしれませんが、出てくるならこれからです。皮下脂肪も一気についてきますし、悪玉コレステロールも増えてきます」・・・それを聞くと皆さんの顔色がちょこっと変わるわけですが、ま、それだけのことです。きっと、まだまだ他人事だと思っていることでしょう。

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ムダ吠え?

我が家のワンコたちが大騒ぎするのは、わたしが出勤するときと夕方に散歩をしようとするときです。それはもう尋常ではない吠え方で、「こらァ~!」とか「うるさい!」とかいうわたしたちの怒号もあいまって、それはもう修羅場です。

こういうのを「ムダ吠え」というのでしょう。「うちの子たちはしつけされていないバカ犬だからね」と、ちょっと自嘲気味に妻が云います。でも、わたしはこの「ムダ吠え」ということばは好きではありません。なぜなら、彼女たちにとってはどうしても云いたいことがあって吠えているわけで、それがムダかどうかは人間社会の秩序に合うかどうかという事情。彼女たちにすれば、「どこに行く?さびしいから行くな~!」(あるいは「早く行け行け、あんたが出かけないと私たちの朝飯が出てこない」)とか、「わたしを散歩に連れてって!」と無邪気に喜んで騒いでいるだけですもの。それを「ムダ」と云っちゃ、かわいそうなんじゃないかしら? 年がら年中騒いでいるわけじゃないのだから、それぐらい許してやりなよ!と、甘いおとうさんを決め込むのであります。

とか云いながら、毎朝切れまくって「ムダ吠え」しているのはむしろわたしなのですけど。

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じいちゃん子

「先生、うちのじいちゃんが脳梗塞で倒れてしまいました」・・・若い男性スタッフがボソッとつぶやきました。
「オレはじいちゃん子だったから、すごいショックです」

いつも元気一杯な男なのに、萎れて寂しげです。ある基幹病院に緊急入院した祖父を見舞ったけれど、何もしゃべれなくなっていた様子で、かなりご高齢なのでこのまま寝たきりになるかもしれない、と悲観していました。

今までとても元気だったのに突然倒れてしまって、まったく別人の姿になる・・・自分の人生を一緒に過ごしてきた身近な存在であればあるほどに、耐えられないショックだと推測します。突然亡くなって存在が消えるのもショックですが、幸運にして命が助かったことに安堵しながらも別者になった存在を受け入れるのは辛いことでしょう。脳梗塞に限らず、ご高齢の方は、入院してしまうと突然病人になってしまいます。

そんなじいちゃんが可能な限り回復できる方法は、やっぱり生きる気力。もう一度元気に戻りたいと強く思うモチベーション。カラダのリハビリと同様、急がないとココロが死んでしまいます。老化のターニングポイントは何か一点が衰えたときです。放っておくとすべての機能が落ちてしまいます。じいちゃん子だった彼の使命は、忙しい仕事の合間を縫って可能な限り語りかけにいくことだと思います。それが最大の恩返しであり、じいちゃんのモチベーションを維持させる唯一最大の手段かもしれません。

わたしはばあちゃん子でしたが、彼女はわたしが高校生のときに居なくなりました。寝たきりになったまま自分の運命を勝手に悟って静かに眠るように逝ってしまいました。ばあちゃんと話すのを敬遠していた思春期の自分を今でも後悔することがあります。

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歩きながら見えること

「仕事帰りに自宅まで歩いて帰ることにしました。1時間ちょっとかかるのですが、その間にいろいろなことを考えながら頭を整理することができるんです。」

先日、わたしが産業医として担当したメンタル障害の方との面談中にそんな話が出てきました。仕事復帰に向けてのリハビリ期間なので時間に余裕があるのだそうです。順調な回復の様子で安心しながら、しばらくウォーキング談義が続きました。

わたしも街中から自宅まで1時間半かけて歩いて帰ることは良くあります。健康のために、というよりも、この1時間半が自分だけの世界に浸ることのできる充実した時間なので好きなのです。不思議なことに、どんなに悩み事があったり仕事で不快なことがあったとしても、歩きながら考え事をするときにはほとんど後ろ向きな発想が浮かんできません。夜に床に就いてから同じことを考えると必ず悪い方向に向いたり怒りで興奮したりしてしまってなかなか眠れなくなるのと見事に正反対です。ああすれば良くなるとか、今度これをやってみようとか、明るい未来のイメージに満たされているうちに目的地に到着します。「家まで1時間半かけて歩いて帰る」と云うと必ず驚かれますが、そんな思索の時間なので当事者は大した疲れもないのです。おそらく友人や妻と話しながら帰ったとしたらそうはいかないかもしれません。

「頭の中がスッキリ整理できますし、あちこち道すがらの風景を見ていると毎日新しい発見ができて楽しいです。」・・・そう語る彼女の発する言葉は、おそらく本心なのだろうなと思いました。

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にんじん

スーパーに行きました。

大きなにんじんが1本40円でした。2本買おうとしたら、妻が悩んでいます。4本130円の袋が横にあったから・・・。

「うちは2本で十分でしょ。4本買ったって使わないんだから。」
「でも30円も得なんだよ。」
「4本で130円と2本で80円なんだから、結局50円も高いじゃない!」
「多く買っても食べればいいんだし・・・。」
「要らない、要らない。」

こうやって、ケンカになる前にさっさとその場を離れるのが常です。

こういう悩みは世の中にたくさんありますが、わたしはどうしてもこの手のはなしがダメ。「だんなさん、だんなさん、今ならこれがお買い得ですよ。こんな高級商品が今なら半額ですから」と、某デパートの衣料品売り場でしつこくわたしについて回る店員さん。「あんた、半額ったって、元が高すぎるでしょうが。買わなかったらタダだよ!」とココロの中で反論しながら、愛想笑いして逃げるようにしてその場を離れるわたし。本当はその隣にあった特売のポロシャツを買いたかったのに・・・。

2本80円と4本130円、考えるまでもなく明らかに2本80円の方が安いと思うわたしは変でしょうか。

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存在の意義

最近はビール類の売り上げが減少している一方で、ノンアルコールビールやノンアルコールカクテル・梅酒などが人気なのだと先日のテレビでいってました。

わたしにはその存在意義がわからない、ということを昨年ここに書きました(「アルコールフリー」)。糖質0とか、プリン体カットとか、そんなビールですら飲む意味がわからないのに、アルコール0%なら炭酸水を注文した方がおいしいのじゃないのかしら?と素直に思うのであります。実際、かなり質は上がったとはいえ、ノンアルコールビールはビールとは全く異質。第三のビールを超美味い!と思うほどの許容範囲の広いわたしの舌でも、これは別物と判断してしまいます。酒の飲めない人が「飲んでる空気を味わいたい」という気持ちはよくわかりますが、酔うわけじゃないんだから、こんな不味いものを「ビールの味」と思われたら、それは心外です。たとえ酒が飲めない状況(日帰りのサッカー観戦とか、ゴルフの昼食とか)でも、絶対注文しない部類だなと確信しています。

でも・・・どうかな。「存在の意味がわからないから絶対手を出さない!」と、つい最近宣言したばかりのfacebookやtwitterの世界に、今はどっぷり浸かってブログとの棲み分けをしている状態のわたしです。今年の夏には「やっぱりビールはヘルシーなノンアルコールに限るよね!」なんて偉そうに語っているかもしれません。とりあえず、ノンアルコール梅酒とやらを今度ちょっと賞味してみましょうかしら。

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返してよ、本。

「どこかに書いてあったんだよな」「あ、その本持ってたと思ったんだけど」・・・そう云いながら医局の書棚をさがしても、どうしても見つからないことが何度もあります。

年末にスタッフがまとめて本を返してくれたのですが、実は、これらの本を彼の手元に貸したままだったこと自体を忘れていました。わたしの本、そういえばかなりの数がうちのスタッフの手元にあるはずです。興味があって衝動買いし、読んだら面白かったから「読んでごらん」と貸したもの、こんな本がありませんか?と聞かれて貸してあげたものなど、千差万別です。読む前に貸してそのままになっているのも何冊かあった気がします。あの本たちは今どこにあるのでしょう?先日、事務所の模様替えがあってみなさん机の整理をしたようですが、わたしのお貸しした本は転がっていませんでしたでしょうか?たとえば、わたしのバイブル=『牛乳神話完全崩壊』とか・・・赤い派手な表紙なんですけど・・・。

なにしろ、わたくし、誰に何を貸したのかほとんど覚えておりませんのです。思い出した方々、大変恐縮ですが良い頃合いに返していただけると幸いです。でも、きっと皆さんもわたしに借りたこと自体を忘れていると思うのです。皆さん、自分のデスク周りとか自宅とかにそんな本が転がっていないか、一度探してみてはくれますまいか。

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興味

書店でチラッと見ては「やっぱ、買うのやめとこ」をここしばらく繰り返してる本。故障しない走り方の秘密とは何かに興味があるだけなんだけど、感化されて走りたくなるのは避けたい。 これ以上趣味は増やせないから。

・・・知人がこんなことをfacebookに書いていたので、「そんなことを云わずに、是非趣味を広げてください」とコメントしました。

物事に興味を持つということはとても大切なことです。そして興味を持ったら可能な限り入り込んでいくことをわたしはお勧めします。なぜなら、人間はすぐに興味が失せて何もかもが面倒くさくなる時が突然やってくる生き物だから。それが老化の始まり、ボケの始まりだと云われています。かく云うわたしも、ホントに最近何をするにも面倒くさい。ほんの数年前、小さなことだけれど興味を持ったものには何でも手を出していました。自転車、フィットネス、ダイエット、バスケットボール、写経・・・今、どれをとってもなんか全部面倒くさいと思います。ゴルフやサッカー観戦はまだまだ軽いフットワークですが、これらは仲間がいるからでしょう。自分が面倒くさいと云って参加しなかったら誰かに迷惑かけるから。続けてるからこそ面倒くさくないし楽しいのだということも実感しています。一旦中断すると再開にはかなり大きなエネルギーが必要です。

もう一度、何にでも興味を持つウキウキな軽いフットワークな人生を送り直してみたいものですね。とりあえず、冒頭の彼がfacebookに紹介していた本をAmazonに注文いたしました。1年後にわたしがマラソンランナーになってたら、ゴキゲンですよね~。

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精進料理

ヘルス&ビューティー・レビュー(HBR)というアンチエイジング雑誌があります。これも本の整理で発見しました。中に、吉川敏一先生が永平寺を訪ねた企画がありました(2010.11)。食に関するとても奥深いと思える内容でした。全文を読んでほしいけれど叶いませんので、ちょっと長くなりますが、永平寺の台所・大庫院内を守る三好良久典座老師の語録を中心にただただ転記してみます。

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見た目を若くすることでもなく、長生きすることでもないアンチエイジングがある。それは「与えられた命をていねいに悔いなく生きる」こと。これは永平寺に800年近く続く道元禅師の教え(特集の扉文:宇山恵子さん)。

「それは食に対する感謝の心を忘れてしまったからです」~「食育」という立派な言葉だけが独り歩きし、作る時間も食べる時間もない現代人が結局低体重で生まれて朝食抜き、孤食児童、個食家族、ダイエットで体を壊し、メタボに悩む、その理由について三好良久典座老師が発した言葉がとても心に響きました。

「私たちが食事を口に入れるまでに、何人の力が必要か、想像したことがありますか?野菜を作ってくれた人、運んでくれた人、調理してくれた人・・・どの人も汗を流してあなたにおいしくたべてもらおうと、心を込めてくれたことを知れば、感謝の気持ちが芽生えてくるはずです」

「おいしく召し上がれ、とまごころが込められたおにぎりは本当においしいもの。ロボットや手袋をはめて作ったおにぎりでは、パワーが出ません」

「精進料理という肉や卵を使わない料理のことだと思いがちですが、作る側の基本である『三心』と、いただく側の基本である『五観の偈』を忘れずに、日々の食事をいただいていれば、それは立派な精進料理であり、修行になっているのです」
  ※五観の偈(ごかんのげ):道元禅師から食べる人へ
  ※三心=「喜心」「老心」「大心」:道元禅師から作る人へ

「精進料理は若返るためでも、痩せるためのものでもありません。清らかで平安な世界を求め、修行をする人々のための料理です。細かい栄養バランスなどは考えず、雲水(修行僧)の日頃のようすを見て、季節に合わせて、心を込めて調理しているだけです」

「三徳を持ち、六味が調和した料理でなければ、典座(てんぞ)の料理とは言えない」
  ※六味:苦味、酸味、甘味、辛味、塩気、淡味
  ※三徳:軽軟(口当たりがやさしくさわやか)、浄潔(衛生的な調理場)、如法作(仏の教えを守った作法)

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mitame

返してもらった本の中に「mitame」(創刊準備号)という薄いフリーマガジンをみつけました。抗加齢学会の分科会「見た目のアンチエイジング研究会」発刊のものです(「今秋創刊予定です」と書かれていましたが実際には今も発刊されているのかしら?)。

「見た目」・・・アンチエイジングを語るときに避けて通れないことばですが、医療の現場では「見た目」を表に出すと途端に何か怪しい世界のような空気が流れます。美容整形や皮膚科を除けば、「アンチエイジングは見た目ではなくうちから湧き出てくるもの、ココロの在り様が大事」という云い方で見た目は二の次に置かれます。

でもこのフリーマガジンの<ミタメの科学>で論じられているように、「見た目が若いと長生きできる!」というデータが世にはたくさんあります。ここでは双子400組の行く末を追跡したところ、亡くなった人は老けて見えたグループに有意に多かったこと、遺伝子要因が同じ双子同士でも若く見えた人の方が長生きだったこと、さらにテロミアの長さを測定したら若く見える人ほどテロメアが長いことなどを報告しています(南デンマーク大学クリステンセン教授,BMJ,2009)。つまり「見た目の年齢が加齢のバイオマーカーになりうる」というものです。単に見た目が若いと人生に自信ができて免疫力が増すとか、タバコや日焼けの機会が多いと皮膚が老化してしまうとかというのはあるのかもしれませんが、「見た目が若くてかっこいい」というのが健康長寿の目安になれるなら、体重とか採血結果とかよりもはるかにクリアカットでやり甲斐があっていいな、と思います。

あとは、今の自分が実年齢より若く見えているのか見えていないのか、その客観的事実を誰が語ってくれるかという問題ですね。

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「老い」に勝つ!

うちのスタッフに貸してあった本が数冊まとまって帰ってきました。アンチエイジングに関する本です。その中で、慶應義塾大学眼科の坪田一男先生の「最新長寿医学がみつけた『老い』に勝つ!10の秘訣」(宝島社)をパラパラとめくってみました。坪田先生は、アンチエイジング学会の中でも特に元気印の塊のようなひとです。

「もしあなたが充実した人生を送りたいと思うなら、まずはじめにすべきことは『筋肉』をつけることです。」

<125歳までハッピーに生きる10の決意!>
1.しっかり睡眠を確保する。
2.よい水を十分に飲む。
3.運動を日常に取り入れる。
4.野菜や果物の抗酸化栄養素を中心とした良質な食事をとる。
5.不要なものは排出する。
6.呼吸を深める。
7.新しい友達をつくる。
8.1日1回は感動する。
9.何がなんでも「ごきげん」を選択する。
10.「元気で長生き」を決意する。

怪しいといえばなかなか怪しいこの世界ですが、この本なかなか面白いので興味があったら読んでみてください。

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善意のタイミング

わたしの前を走る軽トラが急にブレーキを踏みました。右側の側道から右折でこの車線に入ってこようとしている車を入れてあげるためです。自分でもそうしてあげることはよくあります。自分の前に入れてあげることで皆が幸せな気分になれるならそれに越したことはないから。

ただ・・・軽トラの後ろに付いていたわたしは、ちょっと不満でした。なぜそこで入れてあげる必要があるのか?だって、わたしの後ろに車は一台も来てなかったのです。対向車線も車は走っていません。だから、そこでわざわざブレーキを踏んでまでして入れてやらなくても、さっと走り去ってしまえば2台の後にその車は普通に入ってこれるのです。そしたら、わざわざ頭を下げて恩を着せられなくてもよかったはず。

せっかくの善意なのに、反感を持たれるなんて、あの軽トラの運転手さんは思ってもいないでしょう。わたしは自分が入れてあげようとするときには必ずバックミラーで後ろの状況を確認します。無視して走る冷たいやつと思われるかもしれないけれど、後続車が少なければやはりそのまま通り過ぎるのが皆のために最良の方法だと思うのであります。

基本的に、こういう細かいことが気になることが問題なのかもしれませんが・・・。

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くる病

Nikkei Medical 2012.1号にちょっと信じがたいショッキングな記事が出ていました。

ビタミンD欠乏症=くる病を発症する乳幼児が増えているというのです。くる病なんてもうとっくになくなった病気だと思っていました。ところが、母乳栄養の推奨と日光浴の不足が再びこの病気を引き起こし始めたのだそうです。

母乳栄養が成長、感染防御、母子関係確立などに有利である一方で、「母乳にはビタミンDがあまり多く含まれていない」ということ、実はわたしも存じませんでした。完全母乳栄養にこだわっているとビタミンD不足による低カルシウム血症やくる病になりやすいということは、もっときちんと強調しないといけないと思います。

もう一つが日光浴不足。むかしはビタミンDを多く合成させるためにできるだけ日光に当たるのがよい、と云っていたのに、今は紫外線が皮膚がんを起こしやすいとか美容に悪くてアンチエイジングの敵だとか云って過度に紫外線を避けるようになっています。乳幼児にまでそれが徹底された(というか、それに付き合うお母さんの都合かもしれません)結果としてビタミンDの皮膚合成が障害されてきたというわけです。

現代社会の落とし穴を象徴する現象だと思います。「母乳が良い」と云われればそれに固執し、「紫外線が悪い」と云えば一切与えないのが良いと思い込む・・・特に日本人は考え方が極端なもので・・・その結果として、こんな重大な病気が生み出されるということをもっと深刻に受け止めてもらいたいと願います。何事ももう少しだけズボラに生きていけませんか?

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HbA1cは全国区ではない?

産経新聞のオンラインニュースで『糖尿病早期発見に「HbA1c」値』という記事をみつけました(2011.11.29付)。

健診や人間ドックで「血糖値が高め」「糖代謝異常(境界型)」といわれている40~50代男女1200人を対象に行ったノボノバルディスクファーマの調査で、「自分のHbA1c値を覚えていますか」に対して77.7%が「覚えていない/分からない」と答えたそうですが、これは実際のところ健診結果を医師や保健師に説明してもらった人たちでない限りそんなものだろうと思います。「糖尿病は予備群のときから動脈硬化が進行する」とか、「糖尿病の人は心筋梗塞や脳梗塞になりやすい」とかを半数以上は知らなかったという結果は、質問の仕方が悪かったきらいもありますが、少なくともわたしたちの啓発不足であることは反省すべきです。

これらはすべて、わたしたち予防医学に従事する者の役目であり責任なのですが、こういう仕事をしていると、わたしたちは「世の中の多くの人がこの程度くらいは知っている常識だ」と思い込んでしまっているきらいがあります。毎日毎日同じことを云いまくっていたり、テレビの健康番組でいつも云っているような気がするからです。でも、実際には健診を受けている大部分の人はまともに知らないのだから、相手は何も知らない人だという大前提で、話を端折らずにきちんと説明しなければならないのだということ、肝に銘じておかなければならいな、とこの記事を読みながら痛感しました。「くどい医者だ」と思われてでも云わなければいけないのだな、と。

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視力という数値

15年ぶりくらいでメガネを作り替えました。近視+老眼のわたしにとって普通のコンタクトレンズでアバウトな人生を送るのにちょっと自信がなくなってきたので、遠近両用メガネとやらを作ってみたくて。

この「視力」として記録される数値がどうもなじめません。同じ数値でも血圧や血糖値のようなデジタル数値とはちょっと意味が違います。なにしろ勘が当たればとんでもない数値になります。「わたしの視力は0.5」などと云ったところで、きちんと二重にならずに開いている穴が見える限界線という意味ではなく、目を細めたり斜めにしたりしながら何とか根性で導き出せる限界線なわけで、この境界線は性格や根性でどうにでもなることは、皆が感じているところでしょう。

健診で得られる数値は成績表ですから、見栄も含めてできるだけ良い数値にしたいというのが皆の本心です。でもメガネを作るための視力は自分の生活に絡む数値ですからどのレベルで妥協したらいいのかいつも迷います。二重ながら自信をもって見える「左」の答を、店の人はクッキリ見える「左」と勘違いしないかなとか、そのデータをもとにして作られたレンズが本当に自分に合った度数なのかとか。最終的に自分の感覚として「これでいいな」と思うところがメガネの度数として決まりますが、そのときの視力データがわたしの視力の数値になり、自己申告するときはこの数値を云わなければならないのがちょっと気になります。明らかにアナログな感覚を無理矢理にデジタル化させることへの違和感、でしょうね。

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三つ子の魂

定期コラムの1月号はいつもより若干早めの発刊でした。

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「食事療法の基本は、作りすぎないこと!運動療法の基本は、ムダを作ること!」・・・相変わらずのわたしの持論を展開しながら日々生活相談をやっています。運動療法については皆さん理解をしてくれます(実行できるかどうかは別にして)が、食事療法はそう簡単ではありません。「夫の晩酌の肴を作らなければ機嫌が悪い」「若い者が嫌がる」「育ち盛りの子どもがいるから無理」「ばあちゃんが作るから逆らえない」・・・いろんな言い方で抵抗されます。

「孫に食べさせるために買ってきたお菓子をつい摘んでしまうんです。がまんしないといけませんね」・・・糖尿病の食事管理をしている50歳代半ばの女性が、自己反省を込めてそんなことを言いました。「そうじゃない!そうじゃなくて、それをお孫さんに買ってきたことが大問題なんです。あなたの糖尿病体質を確実に引き継いでいるであろうあなたのお孫さんにはそれそのものが毒。なのに、『おばあちゃんがいくらでも買ってあげるからどんどん食べなさい』って言う・・・あなたはお孫さんに毒を盛っているのですよ!」・・・という熱い話をしたら、案の定、苦虫を噛み潰したような嫌な顔をされました。かわいいお孫さんに嫌われたくはないですものね。

ところで、「晩酌の肴が必要だから作りすぎる」という話を聞くたびに、毎晩晩酌を欠かさなかった父のことを思い出します。酒の肴はいつもいりこ茄子でした。ちょっとだけ炙ったいりこを刻んで、焼き茄子に和えただけの料理です。自分でいそいそと作って、それを肴に熱燗をチビチビ呑むのが習慣でした。それを子どもの頃から見ていたせいか、酒の肴にから揚げや大量の油炒めが必要だという感覚をどうも理解できません。でも、たしかに今の居酒屋にはそんなメニューしかありません。夕飯のおかずといえばレストラン料理、酒の肴といえば居酒屋料理、そんな中で過ごせばそれしか浮かばないのもやむを得ないのかもしれません。今となっては、質素で田舎者だったわたしの親に感謝です。わたしの子どもの頃、特別なお祝いの席以外でジュースの類を飲ませてもらった記憶がありません。暑いときはいつも鉄管ビール(=水道水)でした。おかげで今も炭酸飲料水やジュースを飲みたいと思うことがほとんどありません。都会育ちのわたしの妻が気軽にジュース類に手を出すのが昔は不思議でたまりませんでした。子どもの頃に覚えた食習慣は良くも悪くも修正しにくいものです。だからこそ、食育が本当に大事だと思う次第です。

一年の計は元旦にあり!老婆心ながら、糖尿病や高血圧の家系のおじいちゃん、おばあちゃんは、心を鬼にして正月にやってきたお孫さんの舌に不要な情報をインプットさせないでほしいと切に願います。

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記憶力の自信

「あのとき、彼女はたしかうちに泊まったんです。」
「いいえ、わたしは泊まってないの。あのときは最後は家に帰ったの。」
「あら、そうだったっけ。わたしはうちに泊まったと思ってた。」

「あの振り付けは、本番直前に初めて教えられて短時間の練習でそのまま番組収録に臨んだの。」
「いいえ、あれは生放送だったんです。」
「え、そう?わたしは収録だから間違ってもいいかって思ったと記憶しているんだけど。」
「ううん、あれは生放送だった。」

先日のテレビ番組で、ある女性グループの思い出話の光景・・・これ本当はどっちが正解なんだろう?そんなことを思いながら見ていました。まるで自信を持って語る女性の記憶が正しいように思えるけれど、でも彼女の方が記憶違いをしてるだけなんてことはあり得ることです。

中学時代の友人に昔のことを事細かに覚えている男がいます。「あの日、あのときに誰々がこう語った」・・・なんでそんなことを?と思うような些細なことを鮮明に覚えています(もっとも彼の記憶が正しいかどうか実証のしようはありません。ほかに覚えている人間は居ないのだから)。一方、同窓会の名簿を見ながら、「この人誰?聞いたこともない」と云う同級生もいます。

昔のことを思い出そうとすることを繰り返し、こまめに記憶の引き出しを出し入れするほど正確にメモリーとして記録されるそうです。また、思い出そうとすることが認知症予防の一番有効な方法だそうです。旧知の友人と昔話に花を咲かせることは、とても重要なことだということになります。そうなると、『昔話は後ろ向き思考。わたしは未来に向かって生きているのだから懐古はしない』という人と比べて、どっちが若さを保つためには有効なのか?ちょっと興味があります。

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『合わせ技1本!』のメカニズム

連載中の健診シリーズ第5回(2012.1号)が公開されました。今回は挿絵も自分でパワーポイントを使って書きましたが残念ながらここではお見せできません。

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『合わせ技1本!』のメカニズム~動脈硬化の始まり~

『動脈硬化』・・・この用語、世間でもそれなりに認知されてきましたが、「動脈硬化って何?」と聞かれたとき、皆さんはどんな答え方をしているのでしょう? 分かるようで分からない、微妙に怪しい『動脈硬化』について整理しましょう。

●動脈硬化の始まり

動脈の壁は内膜、中膜、外膜の三層に分かれています。その内膜の表面(血液が流れている側)に血管内皮細胞という一層の壁があります。血液に乗ってやってきたリポ蛋白のうちLDLが最も酸化を受け易く(錆びやすい)、酸化(変性)LDLが内皮細胞の隙間から動脈壁内(内皮下)に入り込んだ瞬間、動脈硬化へのスイッチがオンになります。変性したLDLは生体にとってはまさしく“異物”、本来あるべきでないものは速やかに排除しなければなりません。その使命を担うのが単球という白血球です。変性LDLの血管壁内侵入を合図に、血管内皮細胞に向かって単球が呼び寄せられ、細胞表面にくっつき易いように接着因子も増やされます。単球が内皮細胞の隙間から壁内に入り込むとマクロファージ(Mφ)に分化します。Mφは別名“貪食細胞”と呼ばれ、とにかく何でも食い尽くします。酸化(変性)LDLを食ったMφは膨張した泡沫細胞と変わり、そして泡沫細胞が壊れてそこいらにぶちまけられる・・・動脈の内膜下が病的に肥厚して粥状にブヨブヨしている(アテロームプラーク)ものの正体は、そんな酸化(変性)LDLとMφの死骸です。このメカニズムは太古の昔から何も変わらないのに、今になって動脈硬化が大きな問題になっているのは、LDLを大量に含む食事(飽和脂肪酸)が増えたことよりも、引き金となる「酸化ストレス」が異常に増えたせいだろうと思われます。

●たとえば・・・

これまで3回に渡って説明してきた内容を今一度思い返してみてください。インスリン抵抗性などによる「食後高血糖」はそれを繰り返すたびに動脈壁の隙間から変性LDLを動脈壁の内側に引きずり込み易くさせますしそれを処理するための白血球(単球)を動脈壁にくっつきやすくさせます。LDLは血液中を流れている間は抗酸化物質に守られていますがひとたび動脈壁にくっつくと酸化を受け易くなり、多すぎるほど血管壁に留まる時間が長くてその分動脈壁内に引きずり込まれるチャンスも多くなりますし、中性脂肪の増加がLDLをさらに動脈壁内に入りやすいように加工します。血圧は高ければ高いほど、常に動脈壁に圧力をかけて小キズを付けて回り、コレステロールの動脈壁内進入をさせ易くサポートしています。そして、肥満やタバコやストレスや運動不足などと同様に高血糖も高血圧もそれ自体が酸化ストレスとして常にカラダに負荷をかけている、それがまさしく現代社会に生きる私たちの姿なのです。

●危険因子の合わせ技

プラークが成長して内皮細胞が持ちこたえられなくなると血管内膜は破れます。これがプラーク破綻で、一気に血液がよどみ始めて完全に詰まってしまうと梗塞になるのですが、プラークの破綻は必ずしも著しい動脈硬化の部位に起きるわけではありません。実際、心筋梗塞を起こした部位の約70%は、直前の冠動脈狭窄度がひどくなかった場所に起きています。何が違うかといえば、内膜表面の皮膜の厚さやプラークの安定性の程度です。安定した血管壁は皮膜が厚くて簡単には壊れませんが、不安定で薄い壁のプラークはちょっとした弾みですぐ壊れます。そしてそんなプラークの不安定さが、動脈硬化の危険因子の数に比例しているわけで、それが有名な「死の四重奏」のデータです。たしかにコントロール不良の糖尿病単独も危ないですが、ちょっと血糖が高くてちょっと小太りで若干高めの血圧でタバコがやめられない・・・そんな人は下手をすると健診で異常なしと判定されたにもかかわらず、その日の夜に心筋梗塞で倒れるかもしれないということです。

<ポイント>

付いて来られましたか?

・動脈硬化の始まりはLDLの酸化であり、酸化ストレスがそれを助長する。

・食後高血糖+高LDLコレステロール血症+高中性脂肪血症+高血圧(正常高値血圧)+喫煙は最強の布陣・・・合わせ技一本!の見事な連携で動脈硬化を加速させる。

・プラークの破綻は著明な動脈硬化部位に起きるわけではない。

・・・『動脈硬化』の実態を、何となくでもつかめてもらえたら幸いです。

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喜劇役者

昨日、「サワコの朝」(TBS)を見ました。喜劇役者『伊東四郎』さんがゲストでした。

わたしも家族も三波伸介さんのファンでした。太っていたわたしを親は「三波伸介に似ている」と囃し立てました。一方で、若い頃の伊東四郎さんは目つきが怖くて嫌いでした。電線音頭も何が面白いのかさっぱり分かりませんでした。あのわざとらしいオヤジ臭い男は見ているだけで子どものころのわたしを苛立たせていました。そんな伊東四郎さんが徐々に私を捕まえていったのはいつの頃からでしょうか。人間味の深さと仕事に対する真摯な取り組みと、垣間見せる照れとが妙な魅力を見せてくれて、彼が出ているとどこか安心できる。これは単なる年季(彼も自分も)の問題でしょうか。

わたしも多くの人に嫌われて生きてきました。ちょっとしたミスも見逃さず、プロであるなら完璧でなければならない、と尖がりまくっていたころ、きっとわたしの顔を見るのも嫌だったスタッフが上にも下にもたくさんいたこと、わかっています。そんな自分を彼らは受け入れてくれるようになっただろうか?わたしが大嫌いな伊東四郎さんを好きになったように・・・。

早朝から、そんなことを思いました。

彼の、舞台に対する考え方がいい。「面白くないネタでも一生懸命取り組むと、見てくれる人はちゃんと見ている」「喜劇はドキュメント。今作られたものは、今見てほしい。来年になったら色あせるから」・・・いまだに舞台人にあこがれているわたしは、こういうこだわりの話が好きです。

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夜勤と糖尿病

とうとう世の中から正月休みという単語を消し去った感のあるコンビニ業界。そして年末年始にかかわらず24時間働き続けるタクシーや救急病院。利用するわたしたちにとっては心強くありがたいことこの上ないのですが、明らかに人間のあるべき姿を壊していく実態は少しずつ明らかになっているようです。

ケアネット.comつながりの話題でわたしが気になったのが、『夜勤シフトが女性の2型糖尿病発症リスクを高める』(ハーバード大学Frank Hu教授)というもの。「夜勤シフトのあるローテーション労働は、単に疲労を溜め込むだけではなく糖尿病を起こしやすくする」という報告で、ローテーション勤務をしていた期間が長いほどそのリスク上昇程度が増す(3~9年で20%、10~19年で40%、20年以上で58%)のだそうです。たしかに、勤務期間が長いほど歳を取って更年期が近くなるのだから当たり前と云えば当たり前ですし、夜間勤務の方が夜中に物をたくさん食べるとか、ストレスがかかりやすいなどということもあるのでしょうが、やはりこれは体内時計のトラブル。もともと日の出とともに起きて日の入りとともに寝るように作られた人体のメカニズムの基本を狂わせたまま、それを何年も続ければインスリン感受性が落ちることは想像に難くありません。

それでもその生活リズムに甘んじなければならない人はたくさんいます。そんな方々にどんなミッドナイトライフを提案したらいいのか?「真夜中は別の顔プラン」をうちのスタッフに考えるように求めたのはもう遠い昔。いまだに何の返答もありません・・・。

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肥満は乳がんリスク

「60歳以降の肥満は乳癌(がん)リスクを高める」・・・昨年末にケアネット.comからいただいた情報です。他にいろいろ書くことがあって、気付いたら年を越してしまいました。

「60歳以降で糖尿病あるいは肥満の女性は、乳癌(がん)発症リスクが高いことが新しい研究で示された。・・・」と続くこの記事は、ルンド大学(スウェーデン)Hakan Olsson教授が発表したもので、肥満と乳がんリスクの関係は周知の事実だが、糖尿病との関連が明確になった点が新しいのだ、とのこと。でもまあ、閉経以降の女性の脂肪増加による肥満はメタボのことよりも女性ホルモンに関与する乳がん・子宮がんへの影響の方が重要である、ということはわたしも知っていましたから、総じてさほど新しい話題でもないように思います。

ただ、糖尿病治療薬のタイプによっては乳がん発症リスクに差が生じる(グラルギン(ランタス)は乳がんリスクを2倍にするけどメトホルミンはわずかに減少させる)から60歳以上の女性糖尿病患者は薬選びを慎重にすべきだ、などというかなり過激な発言までやってのけていたのには驚きました。コレステロールが低すぎると乳がんになりやすい、という報告は何となくわかるような気もします。この発表が今後物議を醸しだすのか、あるいは簡単に抹殺されるのか、ちょっとだけ興味を抱きながら注目してみようと思いました。

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石川遼に人生を重ねる

「石川遼、20歳 担当記者4年半の取材記」(日テレ系)を見ました。たまたま昼間にもCSで石川遼選手の2011年を振り返る番組を見ました。

あの運命の3.11を海外で迎え、動揺の中で「自分に何ができるか?」を考え、自分の技術を模索する一方でプロとして皆に何を与えられるかを悩み続ける若干20歳の苦悩・・・結局彼は、2011年、1勝もできないシーズンを終えました。

トッププロが、オリジナルの自分を極めるためにどんなに苦悩し、どんなに頑張ったかの例をたとえば王貞治を引き合いに出す。ビートたけしに話を聞く。彼らの云うことは本当にココロに響きます。でも、彼らはみんなすでに成功者なのであって、彼らの意見は極めた人の意見でしかない。石川遼くんは、「これから極める」の未来の人間である。どうなるか分からないのに、彼はどうして自分を信じられるのだろう?自分のやり方は間違ってないか悩まないのだろうか?・・・実は、そんなことに一番興味があります。こんな凡人の代表のような自分であっても、もしかしたら眠っているオリジナルの飛びぬけた実力があるかもしれないと密かに思っている節がわたしにはあるようです。

だから、彼が、超人的な実力者であるタイガーウッズとはまったく違う、フラミンゴ王貞治のようなオリジナルで世界を極めたのとも違う、もっと異次元の人間として飛びぬけてくれたらカッコいいし、めちゃくちゃ嬉しいのです。それによって、自分もさらにもっと高く飛んで行けるかもしれない、なんて若干20歳の若者に無理やり自分を重ねながら鼓舞できることがうれしいオヤジなのであります。

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年賀状の返事に思う

お正月、年賀状は楽しみのひとつではありますが、最近はちょっと気持ちが盛り上がりません。その多くが、すべて印刷だけだからです。家族の写真と近況が印刷されているのはまだいいけれど、機械的に印刷された既製品の年賀状の頻度が明らかに多くなったような気がします。一番身近な人はツイッターやfacebookやメールで連絡を取っているし、最近は職場の虚礼廃止で年賀状のやり取りを禁止しているところも多い(うちもそうです)のも、少しは影響しているのかしら。でも、仕事場に来る年賀状やお店から送られる年賀状ではないのだから、機械的なものだったら無理して出す必要ないのではないかしらとか思ったりします。

そういう点では、元旦の年賀状よりも返事として送られてくる年賀状の方が少し期待が持てます。相手がリストに選ばなかったのにこっちからの年賀状で返信を無理強いしているのではないか?と悩まないでもないのですが、返事の場合には何かわたしのコメントへの反応が書かれていることが多いから好きです。返事なら1年前の情報ではなくリアルタイムの反応をしてもらえるのもうれしいことです。「元気にしてますか?」の一言が付け加えられているだけでもうれしく感じます。だから、返信なのにも関わらず全てが紋切り型の印刷物が送られてくるときが一番凹みます。宛名印刷してそのまま投函?・・・それだったら、別に出してくれなくてもいいけどなあ。

毎年必ず年賀状について何か書きたくなる。それだけ、年賀状の存在は良くも悪しくも大きなものだという証拠でしょう。

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ろうそくの火

2012年元旦。いつものように、仏様の水を替えて、線香に火を付けました。合掌。

いつもは椅子に座って点ける火を、何となく立ったままで点けてみました。ちょっとだけ違う角度からみると、小さなろうそくがまったく違う形に見えました。毎日毎朝行っている日課なのに、もう何年も続けている日課なのに、思いがけない見え方をしたことにとても新鮮な感動を覚えました。今年は何か違う目線の発想ができるかもしれない、そんな根拠のない期待感が湧きおこりました。

あらためて、合掌。

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今年の目標

2012年も無事に明けました。ありがたいことに、どんなに大掃除をやり残していても、どんな悩み事を抱えていても、勝手にそして確実に新年はやってまいります。今年が皆々様にとって良い年でありますことを祈念いたします。

今年のわたしの最大の目標は、飲みすぎてこれ以上頭が溶けてしまわないように自粛すること(笑)・・・これはかなりの難問です。元旦早々に撃沈・・・。

それから、これ以上ココロが年寄りにならないことと、今より少しでもカラダが若返ること・・・『億劫』と『臆病』への挑戦です。

そして、「『あなたがしたがっていたことをする時期が今来ているよ』と天国からお母さんが云ってるよ」、とある霊能者にいわれているその「したがっていること」に早く巡り合えること。「わかっているはず、ってお母さんは云ってるよ」って追い打ちをかけられてすでに3年以上・・・ばかぁ、鈍感な自分! あのときその方の伴侶に書いてもらった色紙『こころざし』を久しぶりに眺めてみました。

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冬はやせる?

正月早々からこんな話題ですみません。

先日送られてきたメルマガにこんな話題が書かれていました。「『冬は太りやすい』は嘘 エネルギー使い痩せやすいと専門家」(女性セブン2011.12.22号)

「冬だから太る」という言い訳は、実は間違いだ!と解説する「専門家」が『ホンマでっか!?TV』の澤口俊之先生(脳科学者)なのでこりゃちょっと怪しいか?と思いましたが、書いてあることをみると確かに納得できるものでした。本来、冬は体温を維持するためにエネルギーを使って熱を産生しなければならないわけだから、やせて当たり前だ!というわけです。実は、わたし自身のことを考えても、冬よりも夏の方が明らかに太ります。異常なまでの汗っかきであるわたしですが、それでも夏の方が太りやすいのは、暑くて活動量が減りがちなのと食べる量が増えるからでしょうか。

それではなぜ現実には冬が太るのか?寒くないように暖房でヌクヌクの部屋の中にいるからだと・・・だからダイエットしたければ室内温度を上げないようにしましょう!と結論づけていましたが、それはなかなか難しいでしょう。ただ、今年は電力問題の影響で節約が常識の冬・・・着込んででも(ユニクロは最大の敵か?)設定温度を下げられる最大のチャンスかもしれません。

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