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三つ子の魂

定期コラムの1月号はいつもより若干早めの発刊でした。

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「食事療法の基本は、作りすぎないこと!運動療法の基本は、ムダを作ること!」・・・相変わらずのわたしの持論を展開しながら日々生活相談をやっています。運動療法については皆さん理解をしてくれます(実行できるかどうかは別にして)が、食事療法はそう簡単ではありません。「夫の晩酌の肴を作らなければ機嫌が悪い」「若い者が嫌がる」「育ち盛りの子どもがいるから無理」「ばあちゃんが作るから逆らえない」・・・いろんな言い方で抵抗されます。

「孫に食べさせるために買ってきたお菓子をつい摘んでしまうんです。がまんしないといけませんね」・・・糖尿病の食事管理をしている50歳代半ばの女性が、自己反省を込めてそんなことを言いました。「そうじゃない!そうじゃなくて、それをお孫さんに買ってきたことが大問題なんです。あなたの糖尿病体質を確実に引き継いでいるであろうあなたのお孫さんにはそれそのものが毒。なのに、『おばあちゃんがいくらでも買ってあげるからどんどん食べなさい』って言う・・・あなたはお孫さんに毒を盛っているのですよ!」・・・という熱い話をしたら、案の定、苦虫を噛み潰したような嫌な顔をされました。かわいいお孫さんに嫌われたくはないですものね。

ところで、「晩酌の肴が必要だから作りすぎる」という話を聞くたびに、毎晩晩酌を欠かさなかった父のことを思い出します。酒の肴はいつもいりこ茄子でした。ちょっとだけ炙ったいりこを刻んで、焼き茄子に和えただけの料理です。自分でいそいそと作って、それを肴に熱燗をチビチビ呑むのが習慣でした。それを子どもの頃から見ていたせいか、酒の肴にから揚げや大量の油炒めが必要だという感覚をどうも理解できません。でも、たしかに今の居酒屋にはそんなメニューしかありません。夕飯のおかずといえばレストラン料理、酒の肴といえば居酒屋料理、そんな中で過ごせばそれしか浮かばないのもやむを得ないのかもしれません。今となっては、質素で田舎者だったわたしの親に感謝です。わたしの子どもの頃、特別なお祝いの席以外でジュースの類を飲ませてもらった記憶がありません。暑いときはいつも鉄管ビール(=水道水)でした。おかげで今も炭酸飲料水やジュースを飲みたいと思うことがほとんどありません。都会育ちのわたしの妻が気軽にジュース類に手を出すのが昔は不思議でたまりませんでした。子どもの頃に覚えた食習慣は良くも悪くも修正しにくいものです。だからこそ、食育が本当に大事だと思う次第です。

一年の計は元旦にあり!老婆心ながら、糖尿病や高血圧の家系のおじいちゃん、おばあちゃんは、心を鬼にして正月にやってきたお孫さんの舌に不要な情報をインプットさせないでほしいと切に願います。

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