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2012年2月

2月29日

今日はエキストラの日。4年に1回のずれ合せのうるう年の1日。暦と太陽や月の動きとのズレの修正日。

エキストラでおまけの日なのに、いい加減でとてもアバウトな単なるつじつま合わせのような日なのに、この日がないと自然の摂理は成立しない。逆の云い方をするならば、この日があるから普遍ができあがる。考えてみればすごい日だ。

この1日を「儲け」だと喜ぶひとにも、「ムダ」だと嘆くひとにも、平等にやってくる余分な日(余分なようで必然の日)。

誰に対してでもいい、何に対してでもいい、そんな、どうでもいいように見えて実はなくてはならないような存在に自分もなってみたい。

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セピア色の写真

地下に降りる階段に足をかけたときから電気ギターの振動が伝わってきました。重い扉を開けたらその音はさらに大きくわたしたちを受け入れてくれました。暗闇の中、スポットライトに照らされたステージには、店のマスター、元ロック研の岩さんのギターを中央に上手の青年と下手の少年(岩さんジュニアだそうな)の3人。わたしたちがその店に入ったときはちょうど恒例の生演奏が始まったところでした。

席に着いてバーボンを注文したままステージをぼんやり眺めていたら、3人だけのはずのステージに何かもっとたくさんの人が見えてきました。何と先日勝手に逝ってしまったKさんがとても楽しそうにドラムを叩いています。中央付近で不器用にマラカスを振り回しているのは長崎の徳さんと福岡の武さん。ステージ前には上機嫌でウイスキーのグラスを高く掲げている佐伯の飯さん。そして客席には懐かしい演劇部の連中に交じってKさんの奥さんの姿・・・私の目、どうしたのだろう。でもとても嬉しい気持ちになりました。わたしの目の前に広がるちょっとセピア色に褪せた光景は、まるで写真かアニメのセル画のようにくっきりと目に焼き付きました。・・・ただ、それは1分も経たないうちに溢れる涙で流されてしまったけれど。

「なんか10年ぶりに急にあいつと話したくなって2、3日前に携帯をかけたけど運転中で、折り返しでかけてくれたときには仕事中で、とうとうそのままになった。それが今でも心残り」と岩さん。あの晩、一緒に酒を飲みかわすことを思っていたという飯さん。未明から今まで経験したこともない頭痛に襲われたわたしも含め、Kさんの別れの合図に振り向いた仲間たちのいかに多かったことか・・・Kさん、うらやましいわ。

「さっき、Kさんが一緒に演奏していた気がしました」と云ったら、「来てたのかもしれん。いやきっと来てるよ、あいつ」と岩さんは素面でそう答えました。

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王道の理屈

何度も云ってきましたよ。

「いつもあまり食べないのに太る理由が分からない」って言い張っているあなた。冷静に自己分析してみましょうよ。「腹が減って夜中に目を覚ましたこと」が、ありますか?生きているものにとって、『やせる』というのはイコール『飢餓状態になること』なんだから、大なり小なり「腹が減った」を経験しない限りやせることはありえないのよ。もし、空腹感を何も感じないままやせていくなら、それは病気。胃腸障害による食欲不振でもない限り、がんやホルモン異常ではないかと考えなければならない状態なんだからね。「わたしはこんなにがんばっているのに・・・」と云いながら、本当に空腹感がないのなら、それは云うほどはがんばってはいないってことを認めないとね。

別にわたしはどうでもいいんです。あなたがやせないからと云って別になにも困りませんし、特段やせなければならないというほど太ってはいないと思います。でも、「やせたい」って云うんだったら、やせるってことはそんな大変なことなんだということは納得しないとしょうがないんじゃないんですか?

『食事療法』というのは「食べないこと」ではなくて「考えて食べること」だ、って先日どこかに書いてあったのを読みました。あまり理屈で物を食うとため息しか出なくなるからもっと好きに食べたらいいんじゃない?と思うけど、でもがんばるんだったらもっと冷静に自分を分析して楽しくたべましょうよ。

なんてなことを、云われるんだろうかな・・・今日はわたしの職員健診日・・・。

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育児と禁煙

次期健康日本21「育児中の禁煙を目標に」-厚労省会議で委員が提案

今月初めに配信されたCareNetで気になった記事です。「次期国民健康づくり運動プラン策定専門委員会」という会合で、委員から「子育て中の禁煙などを盛り込むべきだ」との意見があり、厚労省はそれが具体的な数値を揚げることでどれだけの効果を見込めるかを検証できれば取り上げる方針であると答えた、と書かれていました。

これ、とても貴重な提案なので、ぜひとも目標に盛り込んでほしいと思います。喫煙による健康被害は、ほとんど放射線被ばくと同様かむしろそれ以上だと云われています。特にお母さんが吸うタバコの子どもへの影響は絶大で、奇形児が生まれる、低体重児やキレ易い子が生まれる、喘息や精神遅延が進むなどというデータはすでに大量に発表されています。大人の病気になるリスクよりはるかに大きな損失であることは明白です。

愛しいわが子がお腹にできたことがわかったとき、妊娠中や実際にこの世に生まれ出たとき、親は一番素直になれます。子どものためにはやめられる可能性は高いですから、それがとても大切だということを国を挙げてあちこちに掲げてくれるなら、絶対効果はあるはずだと思います。それをきっかけに家族みんなが禁煙をしてほしいという思いもありますが、それ以上に、子どもたちの生きる環境の中に初めからタバコが存在しなくなることこそが、将来タバコのない社会ができることにつながる最も重要な効果だと思います。

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突然の訃報

昨日の朝10:04、携帯に一通のメール。

******
本日未明、Kさんが亡くなりました。
突然死でした。
******

Kさんは大学の演劇部の先輩。大きなカラダで熊五郎みたいでした。演劇部に入るために私が初めて薄汚いプレハブの演劇部室に行った時、一人で長椅子に寝そべって漫画を読んでいた熊五郎のKさんが、顔だけ振り返ってニコッと笑ったのを覚えています。やりたいことがあると何日も一睡もしないで平気だった人でした。芝居のムシで演劇の天才だけれど自由人で麻雀とパチンコが好きでした。いつもニコニコしてガハハハハと長崎弁で笑っている顔しか思い出せませんが、幼馴染の奥さんにいつも頭が上がりませんでした。

今年の年賀状を見つけ出しました。大きなおなかであくびをしているKさんの写真。部室のあの時のままでした。あれから1か月あまり、未明に何が起きたのでしょう。苦しくなかったら良いのだけれど・・・。

「男は54、5歳に人生の節目が来る、というのが私の持論なの」・・・妻がそんなことをポツリとつぶやきました。人生の卒業試験・・・Kさん、いつの間にそんなに簡単に合格できるほど悟りきってしまったんですか?ご冥福を祈るとともに、残した奥さまをちゃんと守ってあげてほしいと願います。 合掌。

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健診の心電図の使命

心電図に『異常Q波』という所見があります。心筋に傷害があるとQ波という下向きの鋭い波が出るのです。『異常Q波』はつまり「古い心筋梗塞の跡がある」可能性を示しています。ですから、すでにはっきりと心筋梗塞の診断がついていたり、それに対する治療をしている人でなければ、健診の心電図に『異常Q波』があれば精査を勧めることになっています。

ただ・・・循環器専門医であればあるほど、なかなか要精査の判定は下せないものです。思いの外『異常Q波』所見はたくさん見られます。その大部分は心エコーなどの精査をしても梗塞所見はありません。太っているとかやせているとか、あるいは小さな冠動脈の枝が発達しているとか・・・そんなことでも『異常Q波』になります。ですから、既往歴や問診に問題がない限りつい軽めの判定にしてしまいます。

でも、あるんです。まったく症状もないのに健診の心電図でひっかけられて検査したら心筋梗塞がみつかり、さらに精査をしたらバイパス手術を受けなければならないほど重症だったということ。そういう方の主治医をしたことのあるわたしは、心電図を見て「こんな小さなQ波でひっかけるのか?」と驚いた(少なくとも自分なら「異常なし」と判定するだろうと思った)記憶があります。あれを経験しているわたしならもっときびしく判定しなければならないのかもしれません。・・・でも、調べても大部分が正常なんです。ほとんどが病人ではないんです。ただごくまれにこんなことがある・・・どうしたものでしょう。そのために仕事を休んで高い金を払わせる勇気が要るのですが・・・。

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実物に会うのははずかしい

このブログから始まり、ツイッター、Mixi、Facebookと知らない間に世間様にわたしをさらす機会がとても多くなりました。Facebook以外は匿名であり、基本的に不特定多数の他人様の目に触れることになるので、それにともなう弊害をいろいろな方から忠告されてきましたが、おかげさまでわたしにとっては良いことばかりでした。

むかし、ワンたちのメーリングリストを通してオフ会に行きました。富士にも滋賀にも大山にも香川にも行きました。皆がハンドルネームで呼び合って、「ああ、あなたが●●さんですか?初めまして」「想像してたより○○なんですね~」みたいな会話があちこちで飛び交いました。あちこちのSNSの世界ですぐにリーダー格にのし上がるうちの妻は、あれで意外に若い女性だと思われているようで「こんなおばちゃんだと気付かれるわけにはいかないから絶対どこにも顔を出せない」と云っています。こういう世界はウソの付き合いだから・・・と敬遠する人もいますが、ブログを通して実物にお会いして個人的なお付き合いをさせていただいている人はたくさんいます。

ただ、最初から相手を知っていてパソコンを通してはかなり仲良しな関係であっても、実際に会うとこれがなかなか気恥ずかしいものです。職場のスタッフと前夜かなりコアに話し込んでいても、朝になって職場でそのことに触れることはまずありません。今度の週末にfacebookの知り合いのお店にfacebookで予約したので知人を連れてお伺いします。この店には何度か来たことはありますが、実はマスターとまともに話をしたことなんか一度もありません。ちょっと会釈する程度・・・。たぶん今度もそうでしょう。そして帰ってから「ごちそうになりました」「ありがとうございました」の会話がキーボードを通して交わされる。

変だと云えば、変な関係。でもまあこれも、ご縁。そう考えております。

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云った云わない

先日、ある受診者の女性から駐車券の使い方でちょっとした苦情をいただきました。「サービス券の入れ方が分からずに、結局現金を払った。皆が知っているわけじゃないのだから受付でサービス券を渡すときにきちんと使い方も教えてくれたら良かったのに」というものです。

苦情投書だからきちんとお詫びの文章を添えてお返ししたそうですが、「でもわたしたちきちんと説明していますよ」・・・当該部署の担当者は不本意なクレームに不愉快感を示していたと聞きます。

彼女たちがきちんと使い方の説明をしたのは間違いないのでしょう。リスク対策の委員長は「このケースに限らず、毎日150人以上に同じことを説明するうちにことばが流れがちになり、ココロを込める努力が疎かになりやすいから、皆さんこの機会にもう一度自分の言動に注意してみましょう」と総括してくれました。それは蓋し正論だと思います。

でも、どんなにココロを込めた説明をしても、受け取る側が受け取る態勢にないと成立しないのが会話というキャッチボール。それが「云った云わない」の水掛け論になり、クレームになり、訴訟になり、そうならないようにと、やれ録音だ、やれ監視カメラだ、やれ承諾書署名だ、とどんどん殺伐とした関係になるのが怖い気もします。権利と義務にコーティングされたツルンツルンの地面に立って、滑らないようにばかり気を付けながらココロを込めた会話をするってこと、できるのだろうか?

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仕事人Oさん

「先生、お疲れさまでーーーす!」

伏し目がちに歩いていたわたしは驚いて目を上げました。環境整備の仕事をされているOさんが深々とアタマを下げながらいつもの笑顔をみせてくれています。定年退職後に今の仕事に付いた彼は、いつも遠くからわたしの姿を見つけてはこうやってあいさつをしてくれます。

「すごいな!」と思います。いつも一生懸命に清掃や患者さんの案内の仕事をされているのに、どうしてわたしを見つけられるのだろう?先日は、いつもの白衣ではなく、スーツとコートに加えて大きなマスクとメガネまでかけて下を向いて歩いていたのに、いとも簡単に見つけられました。わたしが逆の立場だったら、絶対気づかないと思うのです。何が違うのだろう、と考えてみました。決定的に違うことは、彼は常に目に入る人のひとりひとりに対して誰なのか、何をしようとしているのか、手助けを求めていないかと確認の意識を絶やさないでいることでしょう。わたしは、むしろ周りを見ないようにして、目に入ってもアタマに伝えることを意図的に遮断している気がします。見えているのに気付かない・・・「あなたの目は節穴?」とわたしがよく叱られる所以。彼は、仕事をしている間、ずっとヒトを観察し、神経を研ぎ澄ましているに違いありません。だからこそ滅多に外来に行くこともないわたしを遠くからみつけてくれるだけでなく、困っている患者さんを逸早く見つけて声をかけてくれることになるのでしょう。プロの仕事人である以上、すべての人が彼を見習わなければならないな、と思う次第です。

彼がゴルフもお上手な理由も何かわかるような気がします。

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お上品なんだけれど。

神戸の研究会に参加するため、主催メーカーが用意してくれた駅近くのシティホテルに泊まりました。貧乏性のわたしには不似合いな大きなホテルです。広すぎるホテルロビーの中を迷いながら20階の部屋に入ると、早速困ったのは照明のスイッチの位置がわからないこと。夜に着いたものだから真っ暗な部屋の中を端々まで探索し、スタンドの電灯を点けて回ったものの、それでも薄暗く、もしかして『雰囲気のある上品な灯り』がコンセプト?と心までちょっと暗くなっていたら、少しずつ明るくなってきました。目が慣れたのではなく、エコ点灯か?

さて、次に困ったこと。このホテルのインフォーメーション書類がどこにあるのかわからない。卓上には数枚のスパや料理長自慢のメニュー表が整然と並べてあるのに、肝心なこのホテルの見取り図やこのホテルのある駅前ビルのインフォーメーションやホテル周辺地図といったどこにでもあるパンフが見当たりません。タオルや部屋着もそっと引き出しの中に潜ませて表に露骨に並べるような下品なことはしない!という強い意図はよく分かるのだけれど、またまた薄暗い部屋の中を探索し回る羽目になりました。結局わたしの求めるものは存在しませんでした。「そのようなものはフロントに申し付けていただければすぐにお渡しできます」とか云われるのだろうな・・・。

シティホテルに慣れている方にはどうということもないのでしょうが、田舎者のわたしの印象はかゆいところに手が届かない不便さと居心地の悪さでした。ふと心配になりました。このホテルのコンセプトによく似た施設を知っています。わたしの仕事場です。現実の喧騒から離れて、高級ホテルに居るような気持ちで健診を受けていただく。だから、下品な表示を一切排除し、さりげない案内表示を嫌味のない程度に・・・。めっちゃ不便! きっとわたしのような小市民の方々には居心地の悪い施設なのでは?と思った次第です(そんな人は来るな!ってことかしら)。

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眠れない

運動中の突然死の誘因として、体調不良、とくに睡眠不足や過労が重要であるということをつい先日の研修会で学びました。だから体を動かすイベントがある前日は深酒せずにきちんと睡眠をとりましょう!と。

そういえば、若いころはゴルフやウォーキング大会がある前日でも遅くまで飲んだりして、数時間睡眠でことに臨んでも、何の問題もありませんでした。さすがにこの歳になると、そんな無理は利かないからちゃんと寝なくちゃ、と思うのですが・・・。これ、逆にイベント前だからこそ眠れないところがあってちょっとディレンマ。子どものころの運動会の前日の様なワクワク高揚感で眠れないというのとはちょっと違います(それもないわけではない。奇跡のパープレイでダントツ優勝したら表彰式の時に何て挨拶しようか?なんて考えること、ないわけではない)が、早く寝なくちゃ!と思えば思うほどアタマは冴えわたり、眠れない自分に一層焦り・・・。結果として、若いころと同じくらいかそれ以下の睡眠時間だったりします。

「カラダを使うイベント前夜にゆっくり睡眠をとって健康管理するだけで突然死は予防できます」と、あのとき坂本静男先生は話してましたけど、それって意外に難しいかもしれない。一週間前のゴルフコンペでまたまたほとんど熟睡感のない朝を迎え、季節外れの好天の元で生あくびばかりしながらプレイしていたときに、そう実感しました。

今日は第1回熊本城マラソン。参加する皆さんもあまり寝れていないかもしれません。どうか無理せずがんばってください。

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あきらめる寂しさと悟り

先日、テレビで『老眼』についての健康番組をやっていたので何となく見ていました。わたしが老眼で悩み始めたのはもう10年くらい前でしょうか。小さい文字が読めなくて、近づけたり遠くしたり・・・。もともと強い近視でしたから、遠くても近くても見えない(近視の人は老眼になると遠くが見えるようになると思っている人がいますが、それは間違いです。見える範囲が狭くなるだけです)状態に閉口し、そんなカラダに成り下がってしまった自分はもはや人生の終焉だと悲観したものです。

老眼を改善させる方法をスタジオの皆さんがやっているのを眺めながら、「ムリ!」・・・真似する気が全くない自分にちょっと驚きました。わたしの眼筋が、いや、眼筋以上にわたしのココロが調節すること自体をあきらめています。「見えないものは見えない」・・・そう思ったら、遠くを見ても近くをみても眼筋が焦点を合わせる努力をほとんどしなくなる、ということは分かっています。でも、努力をしても見えないという経験を繰り返したあげくの悟りではあります。

カラダの老化も「あきらめる」と前向きに踏ん切れるものだ、ということを以前ここに書いたことがあります(「ガタが来た身体もおもしろい。」2008.12.10)。それとも違うあきらめ感。ま、あきらめたところで何も失うものはありませんし、生活にさほど困りませんけど、やっぱりちょっと寂しい、かな。

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医療者のがん

ケアマネージャーをしている妻の友人から、妻に電話がかかってきました。

「むかし一緒に働いていたSさん、覚えてる?彼女のお宅に久しぶりに電話したら娘さんが出てきて、『母は昨年の1月に亡くなりました』って!子宮がんだったんだって・・・。ずっと一緒に仕事してたんだけど、ここ2、3年年賀状も途絶えてたんだ・・・」

Sさんはとても物静かで優しそうな物腰のナースでした。若い頃から同じ釜の飯を食った同僚の若くしての訃報は、ショックも大きいことでしょう。彼女を知っているむかしの同僚たちに連絡している途中で更なるショックの上乗せ。「実は、Nさんも4年前に乳がんで亡くなっていた」・・・Nさんは妻より1学年下ののんびりタイプの可愛いお嬢さんだった。彼女は仕事を続けていたのだろうか?結婚して子どもがいるとしたらまだ未成年なんじゃないかしら。

健診に携わるわたしたちは、がん検診、特に子宮がんと乳がんの検診だけは毎年必ず受けてほしい!と訴えます。若い女性が罹患するから。でも恥ずかしくて受診しにくい臓器なだけに受診率は異常に少ないのが実情です。ただ・・・残念さが拭い去れません。SさんもNさんもとても優秀なナースでした。なのに、なぜ?ついわたしたちはそう思ってしまいます。実際は医療従事者だからといって早々に受診するとは限りません。年齢的に一番ハードで責任が重く、なかなか休めない世代でしょう。おりものがあっても更年期のトラブルと片付けるかもしれません。オッパイにしこりがあっても自己診断して様子を見るかもしれません。総合病院や大きな病院でないと職場健診で婦人科や乳がん健診はないでしょうし、市町村の検診は仕事を休まないと受診できません。とは思うのだけど、医療従事者だから特別というのじゃないのだけれど、知識がしっかりあるだけに、やっぱり残念。遅ればせながら、ご冥福を祈ります。 合掌。

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脳梗塞?

以前、結果説明をしているうちに泡を吹く悩みをここで書いたことがあります(「泡を吹く」2012.8.1)。

それはそれでそれなりに落ち着いていました。でも、どうも10日ほど前からまた、明らかに左の口角からよだれが漏れてくるようになりました。話を始める時点では何も問題がないのに、話しているとすぐに左の口元で冷たいものが濡れ始めるのが分かります。持って歩いているタオルで拭きながら話を続けますが・・・これ、以前と同じ場所なんだけど、でもあれとは全然違う感じなんです。なんか勝手に染み出る感じ、と云ったら良いのでしょうか。

それは、説明しているときだけ感じます。結果説明の仕事をしているときだけです。日常で会話するときには気になりません。結果の用紙を眺めながら受診者に説明しているときだけなので、下を向いて話すからでしょうか?あるいは左を斜め下にする顔の向きに問題があるのでしょうか?どうだろう。これって、客観的に見て、脳梗塞かなんかなんじゃないのかしら?わたしには小脳梗塞があります。鏡を見ると確かに左の口が下がっているように見えます。最近は脳ドックも受けていません。もうちょっとひどくなるまで様子を見ていてもいいものでしょうか、しら。

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校正ショック

「先生、1回目の原稿校正をお願いします。確認したかったところだけ網掛けにしているそうですから、そこだけは見て確認してください」

わたしの担当スタッフが、そう云って編集者から受け取った原稿をWord文章でわたしに渡してくれました。健康本(私的には「病気本」)は、予定よりかなり遅れ気味ではありますが徐々に形になろうとしているようです。もうほとんどOKなんだなと思ったのでそのまま放ったらかしていたのですが、昨日、時間を見つけて読んでみました。

ものすごいショックでした。こんなに勝手にいじられているとは思ってもいませんでした。”網掛けのところ”どころではなく、手元にあった自分の提出原稿と比べてみたら「こんなこと書いたっけ?」と思ったところは全部編集者が勝手に書き換えていました。これまでも何度もここでグチった「意味もない改行」は今回の編集者もあちこちで行っており、間違った内容をまことしやかに書き加えられたところもありました。平易なことばに書き換えるのはいいけれど、その単語を選んだらそれに続く文の中のことばも替えないとしっくりこないでしょ?と思うところも多々・・・。

わたしの日本語の認識が間違っているのでしょうか?わたしが常識だと思っていた文法は40年のうちに変わってしまったのでしょうか?自分が自信を持って書いた文章を、まるで「文章のプロが書き直してあげる」といわんばかりにここまで壊されてしまうと、自分が丹精込めて生み出した文章をズタズタに切り刻まれたような悲しい気持ちになります。くどいようだけれど、改行は段落が変わるところにだけするものなんだ!単に読みやすくするために改行するなんてやり方は、ブログやプライベート手紙にだけしか通用しないんだぞ!

わたしもあくまでも共同執筆のひとりでしかないからあまり我儘は云えないことは承知の上で、どうしても妥協できない部分は元の状態に戻してもらいました。製本されても”わたしの文章”でありたいから。

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説明は戦場?

「それじゃまず胃カメラの写真をお見せしましょうかね」・・・部屋に入ってきた受診者の方を椅子に促して、わたしはできるだけ静かな口調でこう切り出すことにしています。完璧なる理論武装して来た人も、医者の説教なんか聞き流そうと思ってた人も、一瞬「へ?」という顔で驚きます。「どうしてそんなところから?まずはこの高血圧やら肝障害やらからやないんかい?」と、顔に書いてあります。

健診結果の説明が始まる前というのは、合格発表のときの不安感とか人事考課面接の緊張感とかに似たいろいろが入れ混じっていて、説明をする側とされる側の一種独特な緊迫した空気が流れます。「また同じことを云われたらこう言い訳しよう」と構えて部屋に入ってくる受診者の方と、「今日こそガツンと云って聞かせなければ!」と息巻いて待ち構えている医者や保健師と、そこにはあたかも戦場のような一触即発の張り詰めた空気が流れがちです。

でも、健診は戦いの場ではありません。ましてや高い金払って叱られに行く場でもありません。わたしがまず問題のない胃カメラの写真の説明から入るのは、一緒に眺めながら早く打ち解けた関係になりたいからです。わたしの口調が心を緩め、ちょっとした冗談や云いまわしで笑顔が出るなら、きっとわたしが敵ではないことを感じてくれるでしょう。健診に限らず、こういう初対面の場では、まず早々に対等の”ゆるい”人間関係を作り上げなければなりません。頑なな防御を攻略するには想定を裏切る意外さも必要です。そんな人間関係さえできれば、「一番気になっているのはこれでしょうけど、これ、やっぱそろそろ治療始めたほうが無難なんじゃないですか?」と云うだけで、「そうですねぇ」と意外に簡単に陥落してくれます(相手もつわものですから、実際はどうするかわかりませんけど)。わたしたちもいろいろ工夫しているのです。

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教訓

熊本県知事の名前。

「たしか、『かばしま知事』の『かば』は、きへんに花だよね」と妻。

「え、違うでしょ。きへんに華でしょ」と私。

「え~、そうかなあ?かばしまさんが当選したときに、きへんに花の『かば』っていう字があるんだ、って思った記憶があるんだけどなあ・・・」

「勘違いでしょそれ。つい最近ニュースで見たから間違いないよ」

「ちょっと携帯で検索してどっちが正しいか確認してよ!」

「あ、信用してないんだ?」・・・不服そうに口をとがらせながらわたしは持っていた携帯電話でgoogle検索をしました。

「かばしまちじ くまもと、と。これで検索!」

「どうだった・・・?」

「あ・・・」

「どうだった?どっち?」

「・・・勘違いだったみたい」

「どっちが?」

「・・・どっちも・・・」

「?」

妻が主張する「椛島」でも、わたしが主張する「樺島」でもなく、正解は「蒲島」。

昨日のこの出来事の教訓は、人間の記憶なんていい加減だということと、いい加減でも人生何とかなるということと、やっぱりちょっとでもあやふやだったら調べておくべきだということ、かな。・・・これが、半年後くらいにまたまったく同じ会話をしたりなんかするんだ、うちは。

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空気

フィギアスケートの4大陸選手権をテレビで観ました。

浅田選手だけでなく、真剣勝負の氷の世界・・・「トリプルアクセルを跳ぶか?」とアナウンサーが煽る中、ジャンプへの助走が始まる・・・会場の聴衆もテレビの前のわたしたちも同時に固唾を飲む一瞬。

なんかこの、すべての者が「できるかしら?」の不安オーラを発している空気の中で跳ぶのは至難の業です。案の定、その空気に跳ね飛ばされそうになるヒロインはちょっとだけ失敗しました。そういえば、この娘が劇的デビューを果たしたころ、彼女が助走を始めれば「絶対できる」というワクワクの空気が場内を包んでいました。ジャンプを跳べたとか跳べないとか、跳ぶたびにドキドキする演技が日本人には多いけれど、優勝する選手たちの演技にはそんなドキドキ感が何もありません。跳ぶ跳ばないなどどうでもいいような余裕の空気。

他のスポーツでも、あるいは何かの発表でも、結局、成功は本人の自信や実力だけでなく、周りで見守る聴衆の空気感に左右される気がします。その空気を一瞬にして作り出せるのも本人の実力なのでしょうけれど・・・しりもちをつく選手たちの姿にため息をつきながら、そんなことを思っておりました。

正直、この息苦しい感じ、あまり好きではありません。

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小休止

アタマの中いっぱいに何かが詰まっていてなんかモヤモヤしています。真っ白なのではなく、いろんなものが雑多に押し込まれていて繋がりが鈍くなっているというかちょっと断線している感じ。長年使っているパソコンの断片化がひどくて妙に動きが遅くなっている感じにどこか似ています。

最近ブログを開設されたPさんの文章を読んでいると、書きたいことが次から次から湧いてきて書かずにはおれない感があふれているのが分かります。わたしがこのブログを始めたころを思い出しました。書いておきたいことがたくさんあって毎日ウキウキしていました。

今も書きたいことがあるから続けています。記事一覧の中には題名だけ10件ほど並んでいます。思いついたときに忘れないようにメモしたものです。でも、書き始めてみると何か違う!こんなことを書きたいんじゃない!という感覚が襲ってきて筆が一向に進みません。前は書くことがとっても楽しかったのに、今はなんかちょっとだけ億劫。

こんなときは無理せず小休止。

ということで今日はこんな感じにしておきまする。

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生花

朝から両親の位牌のある小さな仏壇の水を替えてロウソクと線香に火を点けて手を合わせるのが日課です。時間にしてほんの1、2分ですが、心から手を合わせる静寂の時間です。

とか書きながら、そして般若心経を理解するのが夢だ!とか四国の遍路周りをしたい!とか云っている割に、わたしはさほど信心深い男ではありません。忙しい朝の喧騒の中、「浄土真宗は形じゃないから。心で手を合わせておけばそれで十分なんだから」とか自分の心に言い訳をして、仏壇のある部屋にすら行かない日が週に1、2回はあります。決して忘れているわけではないのに・・・。「こらこら」と亡き父と母が苦笑いしていることでしょう。

ただ、切り花が供えられているとそうはいきません。生き物は毎日水換えしてあげないと!という慈悲の心(この使い方合ってるのかしら?)が怠惰な言い訳を許しません。遅刻しそうになりながらも必ず仏前の儀式を欠かしません。仏前やお墓に花を供えるのは単なる自己満足なのだから、気持ちさえこもっていればそんなことに出費する必要はない!とよくテレビで霊能者が云いますが、わたしの場合は自分の気持ちを引き締める重要アイテムなのかもしれません。

でも、花が枯れてしまって数日前から仏壇の花瓶が空なのに、ビールを買うために寄ったスーパーでそこに花があることを認識しておきながら気づかなかったフリをして通り過ぎるわたしって・・・喝!

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老化細胞

加齢に伴って蓄積された老化細胞を取り除くと、加齢による病気や障害の発生が予防できたり遅れさせることができるかもしれない、という動物実験結果がNature(2011;479)に発表されたそうです。

テロメアの発見により細胞の生涯分裂回数が決まっていることが分かり、分裂を終えた細胞は「老化」と呼ばれ、この増えも減りもしない邪魔者が回りの細胞を傷つけて炎症を引き起こす。普通は免疫力によって掃除されるが加齢とともにその効率は低下する。だからこの”腐ったみかん”を取り除くことができるなら、ヒトはもっと健康で長生きな人生が送れるに違いない、ということを示唆する実験に成功したようです。

老化細胞を選択的に死滅させることのできる薬剤があれば加齢に伴う病気から開放される! アンチエイジングの世界では福音のような発表ですし、この領域の研究をしている科学者が色めき立つのも分かります。”若返りの薬”は人類最大の願いですから・・・。

でも、科学者ではないわたしからすると、どうしても好きになれません。老化細胞の掃除がきちんとできるように日々の生活や社会環境の整備で免疫力を高める努力をするというのはOKですが、それ以上は(特に薬剤系の関与になると)自然科学や生物界への冒涜であり、森羅万象の緻密な歯車を目先の利益のためにひとつ弄(いじ)ったら取り返しの付かない異変を引き起こすのではないか、とかなり高い確信を持ってそう思うからであります。

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ことば

以前クラウンをしていたHさんは看護師をしています。彼女がfacebookにアップしたお話です。仕事中に読んだら勝手にボロボロ涙が出てきました。失礼ながら勝手にご紹介します。

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今日の気になる一言。認知症のご婦人が、雨を見ながら。

雨が止まないね。でも、いつかは止むよ。夫婦と一緒。長く続いてもいつかは止むよ。世の中、男と女しかいないんだから。夫婦なんだから。

奥が深い…です。( ̄^ ̄)

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ことばっていつも重いな、と思います。でも、それを感じて受け止める人がいないとそのまま消えていくんだ。ちゃんと拾ってもらえたことばは、どこまでも大きく拡声されるかもしれないのに・・・。だから、生まれてきたことばに最初に出会った人は責任重大だね。

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ストレスホルモン

今年も『健康スポーツ医学再研修会』に行ってきました。その中で、早稲田大学の坂本静男先生の「スポーツ界における2大問題点-スポーツに関連した突然死とオーバートレーニング症候群」を興味深く聴かせていただきました。

スポーツ中の突然死の主な原因が若い人では先天性冠動脈奇形と肥大型心筋症、壮年以降では心筋梗塞などの虚血性心疾患であり、その多くが心室性不整脈を起こすためだということは知っていました。ただ、実際には心臓にそんな特殊な病気を持っていない人の突然死も少なくなく、原因の如何にかかわらず突然死誘因の大部分は猛暑や過労や睡眠不足・体調不良だということが示されました。そこにはストレスホルモンが大きく影響してきます。そんなホルモンの変化を運動負荷後や断眠実験結果で示していただきました。結局は日頃のメディカルチェックで基礎疾患を確認し、体調管理と睡眠管理を心掛け、AEDを普及させればスポーツ中の突然死は予防できる、と結論付けていました。

『オーバートレーニング症候群』は名前くらいしか知りませんでしたし、トレーニングをやりすぎても返って成績は上がらないものだ、という程度の認識でした。これを初期の兆候(原因不明の競技成績の低下)のレベルで気付いてやらないと最悪、うつ病や競技人生の終焉、さらに性機能が一生戻らなくなることもあるということを知って驚きました。これも原因は運動ストレスの過剰で、これによって脳ホルモンのアンバランス(視床下部-脳下垂体機能不全)を起こすのだそうです。いつまでも続けると不可逆的になってしまう怖い病気。これは本人の自覚もそうですが、やはり指導者がしっかり理解しておかないといけません。

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睡眠時間と糖尿病

糖尿病:睡眠5時間以下、リスク5倍 予防「職場環境も重要」

健康支援のNPO団体を運営しているMさんが先日facebookで紹介してくれた記事です。旭川大学から発表されたものですが、糖尿病ではない35~55歳の地方公務員の男女3570人のうちその後の4年間で糖尿病になった121人を分析してみると、糖尿病の家族歴がない人に限ると睡眠時間5時間以下の人の発症率が7時間以上の人の5.4倍だったそうですし、睡眠不足感を感じている人や夜中に起きることを悩んでいる人のリスクが高かったそうです。結局こういう人たちは長時間労働やシフト勤務の場合が多かったことから、糖尿病予防のためには、運動や食事の注意だけでなく、「質のいい適切な時間の睡眠を確保できるような職場環境や社会全体の理解も重要ではないか」と締め括っていました。

生活の不規則性と過剰ストレスの影響も大きく、睡眠時間だけの問題ではないかもしれませんが、糖尿病を体質(インシュリン分泌不全)や食べ過ぎや運動不足だけで説明しきれなくなってきたのは、おそらく現代社会が本来の人間が生きる環境とは程遠いストレス社会になってしまったからだと確信します。『もっと人間的な生き方を』って、夢物語なのでしょうか?

さて、毎晩韓流ドラマの録画を観るために夜更かししている妻やパソコンをいじりながらたらたらと夜中まで起きているわたしは、結局睡眠時間がいつも5時間以下なのですが、これもリスクになるんでしょうか?別に忙しいわけでも夜中まで働いているわけでもないのですが・・・。

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糖質制限食論争

医師用専門情報サイトMTProの2012.1.31配信分に掲載されたDoctor's eye(北里研究所病院糖尿病センター山田悟先生の連載記)に『糖質制限食 vs. カロリー制限食』の不毛の論争に結論を出すべきサブ解析結果の解説が出ていました。

<糖質制限食はカロリー制限食・地中海食と同様にメタボ関連因子を改善~DIRECT試験サブ解析から>

DIRECT試験というのは、肥満のイスラエル人をカロリー制限食(脂質制限含む)と地中海食と糖質制限食(カロリー無制限)の3つのグループに分けて2年間観察した試験で、最も体重減少と糖尿病患者のHbA1c改善が顕著だったのが糖質制限食だった、というものです。これのサブ解析が今年公表されたのだそうです

それによると、減量に伴う代謝指標のうち、初期の6ヶ月(減量期)に改善するが18ヵ月後(維持期)に改善が失われるパターンのものと、維持期でもずっと改善をし続けるパターンのものとがあり、前者がインスリンや中性脂肪、レプチンなど、後者がHDLコレステロールやアディポネクチンなどだそうです。で、このサブ解析によるとこの2つのパターンの動きには3種類の食事法のどれでも差がなかったのです。他の論文(Am J Clin Nutr 2011;94)によるとコレステロール吸収やコレステロール合成のマーカーでも3つの食事法で差がなく、結局これらの行く末の動脈硬化予防効果は3つの方法に差がないということが云えるだろう、と山田先生は解説していました。

;まあこれも今までに何度も書いてきましたが、結局どれをとっても差は微々たる物なのであって、極端な食事法を求める意味もなく、腹二十分目くらいまで食わないと気がすまない人間はどんな理由付けしても腹十分目までに減らす必要はあるのであって、食べる楽しみを取り上げない方法はもっとシンプルな世界だと云えそうです。

途中に紹介されていたAHA(米国心臓協会)の発表(Circulation 2011;123)の「脂肪摂取は少量よりも中等度(エネルギーの30~35%以上)の方が中性脂肪の減少に役立つ」という話はおもしろいと思いました。

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何かおかしい

今年になって、忙しく仕事をしているうちにもう一ヶ月が終わりました。「2月はもっと早いよ」と誰かが云ってました。去年までと何も変わらない毎日の積み重ねのような日々なのですが、何か違う、妙な違和感がわたしにくっついて重なっていくような気がします。『うつかもしれん』・・・そんなことばが心の片隅に浮かんでは消えしています。

1月から職場の組織構成が変わりました。わたしも職務以上の仕事を若干任されることになりました。医師スタッフの新しい研修を始めることになり、不具合や提案をスタッフから聞いて説明したり調整したりするわけですが、特にそれを重荷に感じているわけでもなく、性格上それを家庭に帰ってまで引っ張ることもありません。たしかに年末から会議が夜遅くまで続くときがありましたが、自分的には特に疲れている感じもありません。わたしはよく『うつ状態』になります。急に人生が虚しくなったり将来の不安に襲われたり自分の存在価値を自問自答したりため息ばかりついたり・・・傍から見ても明らかに「暗~い」姿になってしまいます。でも今回はそんな感覚はありません。特にイライラするでもなく割とはつらつとしている方だと思います。やらなければならない仕事が毎日山積みになってきて今まで暇だった昼休みや夕方にも仕事をするようになって、帰る前にも一仕事することが当たり前になりましたが、そんな自分に妙な充実感が襲ってきたりします。酒も飯も旨いし、朝もすっきり起きれますし、仕事に行くのがいやだなーという感じもしません。

なのに何か違う。どこか危ない感じがするのです。うまいこと表現できません。ふと気づいたら何も考えないでボーっとしていたとか、パソコンのキーを打ち間違える回数が急に増えたとか、散歩などしていると周りがパラレルワールドに感じられたり、ワンたちを撫ぜていたら突然意味もなく涙が出てきたり、あるいはfacebookにあちこち書き込みしてみたり・・・。

こういうのが本当の『うつ』の入り口なのでは?と思うので、何か打開策を講じねばなりますまい。

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BNP高値

脳性ナトリウム利尿ペプチド(BNP)は主に心臓から分泌されるホルモンで、心臓(特に心室)に負荷がかかると上昇します。これを利用して、潜在性の心不全などを見つけだす手段として健診現場でも導入されています。重症心不全患者さんの心機能を評価するのとは違い、健診では大した値でなくても厳しい判定になるので無意味に不安を煽るだけだとか、ちょっとした体動でも簡単に変化するから当てにならないとか、いろいろ批判を浴びている検査です。まあ、それでも毎年受けていただく受診者さんの経時的な変化は心臓負荷の指標のひとつになれると感じています。

先日、うちの施設の職員健診で幹部医師のBNP値が100pg/mlを超えていました(正常は18.4pg/ml以下)。ご本人はみるからに元気そうで毎日忙しく駆け回っています。でもこれまでのデータを見ると昨年は60台、一昨年は20台・・・加速度的に上昇しているのがわかりましたので、心臓のチェックだけは受けるようにお勧めしました。数年前には他の幹部医師がやはり100pg/mlを超えていて、話を聞けば親御さんの法事で不眠不休の1週間を終えた翌日に検査したのでした。

こういう方々はおそらく心臓エコー検査を受けても運動負荷検査を受けても「異常なし」の結論が出ると思います。でも、だから「心配ない」のではないことを肝に銘じていただきたい。BNP 100pg/mlという数値は尋常ではありません。おそらく、身体全体からのSOSです。疲れているカラダに鞭打つことをカラダ側が拒否しようとしています。組織の幹部だから少しぐらい疲れていても頑張らねばならないのだと自分に云って聞かせていますまいか。医者という人種は、こういうところに融通が効かないというか鈍感というか・・・カラダの中からの訴えであるこういう値には素直に耳を貸して、勇気を持って心身を休ませていただきたいと切に願います。

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この中途半端さときたら

厚生科学審議会の地域保健健康増進栄養部会が、2013年度から始まる次の健康日本21(国民健康づくり運動プラン)にタバコに関する数値目標を明記することにした、ということが先日配信されたCareNet.comに出ていました。

喫煙についてはこのブログにこれまでにも何度も何度も書いてきました。今回、成人の喫煙率や受動喫煙の割合などに数値目標ができるというのは画期的なことだといえるのでしょうが、この数値が実のあるものになるかどうかはきわめて疑問です。この団体は結局は厚労省の管轄で活動しているのでしょうけれど、喫煙が健康に悪いから全廃すべきものだと強く主張しているのも、タバコ税の税収が減ると困るからタバコを吸わなくならないように配慮すべきだと堂々と主張しているのも、どっちも「お国」です。結局は政治的な力が強い方が押し切ってしまうのが現実ですから、最終的に妥当な数値が示されるのかどうか・・・きっと形だけの意味のない数値をこっそりはめ込むだけになると思いますので、見ていてください。

「タバコが1000円になったらやめる」「タバコがなくなったらやめられる」と主張している人は世にたくさんいます。実際にできるかどうかは別にして、少なくともやめられるものならやめたいと思っている人が増えてきているのだということ、もっと強調しても良い時代になってきたんじゃないのでしょうか?

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なんともややこしい切り替え

今年の4月1日から糖尿病の指標であるヘモグロビン(Hb)A1cが国際基準表記に統一されます。糖尿病治療中の方や医療に従事しているみなさんは良くご存じでしょうが、HbA1cの値が日本で普通に使われている単位(JDS値)と外国で使われている国際標準値(NGSP値)で約0.4%ほど違っています。この複雑なズレが国際時代における日本からの情報の信頼性を下げるために統一させることになったわけで、「糖尿病関連検査の標準化に関する検討委員会」はいよいよ4月にそれを決行すると発表しました。

ま、単なる数字の統一ですから、最初は混乱してもそのうち落ち着くでしょう。ただ、どうしても今年じゃないといけないのかしら?今年の4月に保険診療報酬改定がなされるからそれに合わせて一斉移行するというわけですが、わたしたち健診機関が関与する特定健診・特定保健指導だけは2013年3月まで今まで通りのJDS値を使うというのです。それは、特保のシステム見直しが今行われており、2013年からシステムソフトの改修が行われる可能性が高いからだそうです。その結果、この1年間、完全に2重支配の数値が渦巻きます。それでなくても一昨年に糖尿病の基準をHbA1c(JDS)6.5%から6.1%に引き下げたばかりなのにそれがまた6.5%(NGSP)に替わるのです。数値だけ見るとあたかも元に戻った錯覚にとらわれます。現場はかなり混乱するでしょうね。だって、糖尿病の治療を受けている患者さんは、病院ではNGSP表示のHbA1cで評価されるのに健診結果はJDS表示で打ち出されるのです。・・・書いているだけでアタマがついて行かない感じがしますが皆さんはついてこれていますか?

なんかいろんな利権と政治的な何かが支配している臭いがしますが、今でも実質2重表示の中にいるのですから、完全移行を次の保険診療報酬改定の年(2014年?)にしても困らないんじゃないのかしら?学会発表する人が補正すればいいだけのこと・・・明らかな主役の取り違えが気になります。

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