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あきらめる寂しさと悟り

先日、テレビで『老眼』についての健康番組をやっていたので何となく見ていました。わたしが老眼で悩み始めたのはもう10年くらい前でしょうか。小さい文字が読めなくて、近づけたり遠くしたり・・・。もともと強い近視でしたから、遠くても近くても見えない(近視の人は老眼になると遠くが見えるようになると思っている人がいますが、それは間違いです。見える範囲が狭くなるだけです)状態に閉口し、そんなカラダに成り下がってしまった自分はもはや人生の終焉だと悲観したものです。

老眼を改善させる方法をスタジオの皆さんがやっているのを眺めながら、「ムリ!」・・・真似する気が全くない自分にちょっと驚きました。わたしの眼筋が、いや、眼筋以上にわたしのココロが調節すること自体をあきらめています。「見えないものは見えない」・・・そう思ったら、遠くを見ても近くをみても眼筋が焦点を合わせる努力をほとんどしなくなる、ということは分かっています。でも、努力をしても見えないという経験を繰り返したあげくの悟りではあります。

カラダの老化も「あきらめる」と前向きに踏ん切れるものだ、ということを以前ここに書いたことがあります(「ガタが来た身体もおもしろい。」2008.12.10)。それとも違うあきらめ感。ま、あきらめたところで何も失うものはありませんし、生活にさほど困りませんけど、やっぱりちょっと寂しい、かな。

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心と体」カテゴリの記事

コメント

あきらめる…というと

なんか『負けた感』があるので、
私は『広い心で受け入れてあげようじゃないか』
と、上から目線で『衰え』に対応しています。

たまにブチ切れますが。。

投稿: 向日葵 | 2012年2月18日 (土) 11時24分

向日葵さん

ま、あきらめは悟りの裏返しではありますが、小市民の私にはなかなか悟りは開けません。まあ、こんなもんやで、と自分に言って聞かせる分はまだいいとして、そんな姿を見て年寄りを見るような目で納得したように私をみる若いスタッフが気に入らねえっす。だからもう少しは悪あがきしておきたい。

投稿: ジャイ | 2012年2月18日 (土) 17時40分

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