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2012年3月

わたしは部長じゃないぞ

1ヶ月ほど前、熊本市近郊の某病院から新館落成記念披露宴のご案内状が届いておりましたが、わたしはあえて無視していました。なぜなら、あて名が『●●病院 健診センター部長 ○○様』となっていたからです。わたしは部長でもなければ副部長でもない、ただの平医者です。たしかにその病院には知り合いの医者が何人かいるのは事実ですが、わざわざそんな晴れの宴席に立派な招待状が届く立場ではなく、相手が部長の名前を間違えているに違いありません。考えれば考えるほど「失礼極まりない」という気持ちになって、アタマに来たので放ったらかしておりました。

ところが昨日の昼に、実行委員の方か事務の方かわかりませんが、問い合わせの電話がかかってきました。「とにかく早々に返信はがきを書いて出してください」と云って切られました。電話で話している間は返信はがきを出さなかった理由などすっかり忘れていて、平謝りして「大急ぎで出します」と答えたのですが、やっぱり腑に落ちません。ホントにわたし自身を招待したの?

うちの施設もこういう招待状はいつも大量に出します。データベースに入力ミスがあると、相手が名乗り出ない限りずっとそのまま堂々と郵送されることになります。本当に、データ入力するときは細心の注意を払いたいものです。

あれが部長宛てで、結局部長本人はそれを知らなかったとしたら・・・と思うとどっちかに問い合わせるのが筋なのでしょうが、し~らない。わたしはそんな心の広い大人じゃないんだも~ん。

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捨てられる人への対応

厚生労働省は、2013年度から、メタボ健診で引っかからない(腹囲も体重も基準を超えていない)でも高血圧症や糖代謝異常などの動脈硬化危険因子がある方への保健指導をきめ細やかにやるように、事業所や市町村に働きかける方針を決めたそうです(「腹囲パスの非メタボ、高血圧などあれば保健指導」読売新聞2012.3.27)。

「そこまでは手が回らないんだ」と云わんばかりの対応をされてきたいわゆる『捨てられる人』への保健指導を2013年からは始めます、という発表です。大変重要なことだと思います。とはいえ、おそらくそんなことは、健診現場で働いている保健師さんはこれまでも当然やってきたことです。指導を受ける側の受診者さんも、「メタボじゃないから血圧が高くても大丈夫!」などと思ってはいないでしょう。「メタボになったら不名誉なことだけど、メタボじゃなかったら軽い」などと信じている人がもしいるとしたら、それはどこかの役人さんだけでしょう。ですから、現場としてはそう大したニュースではありませんが、こういうことはきちんと明文化しないと動けないのが行政というものです。保健師さん方がメタボではない人に指導してたら「いらんことはしなくていい」と云っていた上司を黙らせるには重要なことなのでしょう。ただしお役所仕事を甘く見てはいけません。おそらくこれまで必要なかった大量の書類を書かされる羽目になって、現場は別の意味で苦しめられるかもしれません。

という文章を書いた後、詳細を他の記事で読んでみたら、新聞社によって書いてあるニュアンスがまったく違うことに気づきました。

毎日新聞2012.3.29『メタボ健診:見直し 厚労省検討会「非肥満でも指導」 腹囲で判断、根拠薄く』~これちょっと違うんじゃないかしら?メディアの報道の仕方って、本当に大切だと感じます。

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報酬がほしい

この歳になっても、やっぱり、褒めてもらいたい。いつもそう思って生きています。

武田鉄矢さんの云うように、「他人の評価なんて関係ない、自分が納得して生きていればそれでいい」とは思うのだけれど、「見返りを求めない愛こそが究極の愛だ」というのもよくわかるのだけれど、でも、認めてもらえることがモチベーションを上げる最大の力であることも事実。

なのに、それをどうしても表に出すことができないわたしです。仕事や文章やゴルフや生活やのわらわらでときどき「すごい」とか「えらい」とか「さすがですね」とか云われると、ドギマギしてしまってうれしいくせにどういうリアクションをしたらいいのかわからなくなるのです。褒められ慣れていないと云うことになるかもしれません。あるいは、褒められてうれしそうにすることは美徳ではない、という意識が強すぎるのかもしれません。

「わたしは褒めてもらって伸びるタイプだから。ちゃんと褒めてもらえないと何もしたくなくなる!」と公言できるうちの妻は尊敬に値します。

だから、こっそり公言しておきます。やっぱり褒められたい。褒めてもらいたいから何かをしている。それ真実。煩悩のかたまりだな~。

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武田鉄矢

先日の職場研修会で教育用DVDが流されました。かなりむかしに収録された様子のそのDVDは歌手でタレントの武田鉄矢さんのインタビューが収録されていました。この人はさすがは教育大学出身だけあってボキャブラリーの宝庫です。これから社会人になる若者たちへのメッセージがいろいろな形でつづられていました。

●未熟の自覚

●給料分に見合う仕事ができているか

●他人の評価は自分の人生の採点にまったく関係がない

●少年の志がなければ大人にはなれない

●愚直であること

●ぼんやりを眺めると見えるものがある

もっといっぱい語られていましたが、なんか最前列でメモするのが恥ずかしくてこの程度しか書き写せませんでした。まだまだ未熟なわたしの人生、他人の目を気にしているようではどうしようもありませんな。自己反省。

ちなみにこんなDVDです。<武田鉄矢 新入社員に贈る言葉

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お説教ブーム

年度末の特番ばかりで見るモノが何もなかったので、チャンネルを動かしていたらたまたまNHKの特報フロンティア『お説教ブーム 到来!』に行き当たりました。

今、巷ではお説教ブームなのだとか。「何々?最近はマゾの叱られフェチが増えたのか?」などと真面目に思って見始めましたが、『お説教』は悪ガキにゲンコツ食らわすやつではなく、お寺の和尚が教えを説く、あの法事や葬式の時などの有りがたいお話のことでした。

内容的には、もう少し踏み込んだ話になるのかと思いましたが30分番組ではあの程度が限界でしょうか。最近流行りの『節談(ふしだん)説教』や天草のギター和尚・渡辺紀生(曹洞宗向陽寺)の話や、仏教に出会って人生が変わった人たちの体験談などで構成されていました。自分の人生の節目や挫折のときに出会った一言が人生を変える、という話はよく聞きます。そんな特別なことがなくても、和尚のお説教を聞いたり仏教の教えをやさしく説いてくれた教本を声を出して読んだりすると妙に心が落ち着くのは私だけでしょうか。昔、「わたしがやっている講演は、ほとんど『辻説法』みたいなもので・・・」と云ったら、NHKの若いアナウンサーが「つじせっぽうって何ですか?」と聞き返してきたことがあります。そのことを考えると形だけであっても若い人も『お説教』に興味をもってくれるなら、きっと日本は落ち着きを取り戻すだろう、と思った次第です。

バリアを張り続けているとココロが落ちてくる

自分を持てば持つほど、自分の濃度が濃ければ濃いほど、苦しみも増えてくる。

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釣り

「いい歳して、わたしたちは夫婦でよく釣りに行くんですよ」
「へえ、お二人の趣味が一緒なんて羨ましいですねぇ」
「いやぁ、わたしが主人に合わせているんですよ~」
・・・奥さんが笑いながら嬉しそうにそう語り、旦那さんはその横で黙って少々恥ずかしそうに聞いていました。「信頼し合っているんだな」・・・先日健診に来られたのは、素直にそう感じさせる、とてもいい感じの老夫婦でした。夫婦で釣りに行って、どんな会話をするのだろう。

釣りかぁ~実は、わたしは釣りをしたことがありません。釣り堀の釣りすらしたことはありません。わたしの父は釣りが好きでした。わたしが子どものころから日曜の朝にはよく一人で釣りに出かけていました。川釣りも海釣りも好きだったようです。きっとわたしが大きくなったら一緒に連れて行きたかったに違いないと思いますが、それなのに一度も釣りをしたことがないということは、きっと「そんなもの行きたくない」と連れない返事をしたのでしょう。息子と一緒に酒を酌み交わすことと一緒に釣りをすることはきっと彼の夢だったはずなのに・・・悪いことしたな・・・なぜだか、その老夫婦の姿を眺めながらそんなことを思い出していました。

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「アジア人は白米を食べるほど糖尿病になる」

MTProの2012年3月17日号に載っていた報告です。白米の消費量が多いほど2型糖尿病を起こしやすく、1日1杯増えると発症リスクが11%増加する。西洋人よりアジア人で、また男性より女性でその傾向が強い、というものです(BMJ 2012:344:e1454)。

GI(グリセミック指数)値が高いほど食後高血糖を起こしやすいことが知られていますが、白米はGI値が高い食材として有名です。また、白米は玄米からビタミンやミネラルや繊維質といった重要な栄養素を取り除いた単なるカス(カロリーのみの食材)であり、それだけでも糖尿病発症リスクは上昇してしかるべきです。ですからこういう報告が出されたことにはあまり驚きません。うちの妻も最近「太るから」という理由で白米を食べなくなりました。でも、このような結果をみて、だから白米は食べない方が良いとか、さらにだから穀物や炭水化物は糖尿病を作り出す悪の根源であるとかいう短絡的な結論を出すようなら、それはちょっと違うような気がします。わたしはいつも、「ごはんは噛めば噛むほどGI値を下げるからとにかくゆっくり味わって食べましょう。もともと大量は必要ない食材なのですから作りすぎないようにしましょう」と説明しています。それさえ注意しておけば良いのではないかと思います。

ただ、西洋人よりアジア人で白米による糖尿病発症率が高くなったという結果は意外でした。アジア人は農耕民族で昔から穀物を主食にする習慣があるので、西洋人よりも米に合っていて食べるほど糖尿病になりにくい、という結果が出るものだと思っていたからです。これは「米」ではなく「白米」だから導き出されたものなのでしょうか。

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先入観

「書類の確認をお願いします。」

公文書やパンフレット原稿などの承認のためによく書類が回ってきます。大の大人が書いた文章。しかも押された印鑑から判断すると、すでにあちこちの先生たちを回ってきたものなので、さらっと目を通して承認印を押す。・・・ところが、その「さらっと」のときに、「ん?」と目を止めることがあります。先日渡された会議議事録は、開催時刻17:00~20:00と書かれていました。「20:00にはすでにわたしは家に帰っていたぞ!」~1か所間違いを見つけてしまうともはや文書全体が信用できなくなります。先日はもうひとつ、発注前の新しいパンフレットも最終確認のために回されてきました。パラパラっとめくっていたら、目次に書かれた表題と実際の表題が微妙に違う個所を見つけました。「これ、最終校正なんじゃないの?」と独り言を云いながら、1ページ目、いや表紙の端々の小さな文字から確認のし直しせずにはおれなくなりました。

真面目に確認したら間違いの2つや3つは簡単に見つけられます。ただ、もっと疑う目で文字を追うので、文章表現のひとつひとつが気になり始めます。なんでこんな文法を無視したフィーリングだけの使い方をしてるの?なんでここに句読点がないの?悪文過ぎて意味わからん!ホントに日本人かこいつ?こんなものに印鑑押したやつらバカじゃネエのか!・・・ひとりで勝手にヒートアップしていくのが分かります。気づいたらほとんど真っ赤っか。・・・はあ、またやっちゃったと自己嫌悪。そういうことがあると、それ以降その人が書いた文章は初めから「絶対間違っている」という先入観で見るようになり、「この人はいい加減な人だ」とどこかで人間性まで疑い始めるところがあるので、要注意なのです。

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悪玉HDL

HDLコレステロールを「善玉コレステロール」と呼ぶのは、泡沫細胞からコレステロールを引き抜いて肝臓に戻すだけでなく、抗酸化、抗炎症、内皮細胞の修復、内皮細胞のNO産生促進などの作用があるからです。ところが、最近、機能異常をきたした酸化HDL、機能不全HDLが存在することが明らかになった、というニュースを先日配信された日経メディカルオンラインで読みました。

数年前、HDLを増やす薬剤(コレステロール転送蛋白阻害薬)の開発中にHDLコレステロールが上昇したにもかかわらず心血管イベントが有意に増加して、開発を中止せざるを得なかったことがあります。もともと、このコレステロール転送蛋白欠損症という家族性の病気があり、この患者さんは高HDLコレステロール血症なのに動脈硬化が進んだり冠動脈疾患を有していたりする人が多いことが知られています。また海外の報告では、冠動脈疾患患者のHDLコレステロールは健常者のそれより有害作用がある(酸化HDL)ことも明らかにされています。家族性の高HDLコレステロール血症の中にコレステロール転送蛋白欠損症があることは昔から知っていましたが、後天的に本来の仕事である”善玉”機能を十分発揮できなくなった機能不全HDLや酸化HDLがあるということは知りませんでした。

そういえば、最近ちょっと気になっていたのです。特に運動を始めたわけでもないし、特に健康に良いことをしたりサプリを飲んだりしたわけでもないのに、HDLコレステロールだけが1年前より倍増している受診者に遭遇する機会が急に増えました。この中には機能不全HDLの人も少なくないのかもしれません。ちょっとばかり厄介です。

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通勤時間は哲学の時間

月曜の朝はつい寝坊をしてしまい、出勤が遅れました。

いつもなら信号待ち一回で通れるところを3回待ちしたりなんかして、かなりのタイムロスでした。それでなくても遅れているので焦っているのに・・・。と思いましたが、あまりイライラしてない自分に気づきました。いつもなら、「先頭車はよそ見しないで早く行かんか!」「何をトロトロ運転しているだ!」とカテコラミン出しまくりの血圧急上昇状態になるところですが、今回はそうでもありません。睡眠不足でボーっとしていたのかもしれませんが、今日のことや明日のことや昨夜のことやいろいろなことを考えているうちに信号の2回や3回は簡単に通り過ごせました。「出発が遅れてしまったものはしょうがない。遅刻したところでそれはわたしの責任でもないし」みたいな開き直りが、逆に自分の気持ちを冷静にさせてくれたのかもしれません。

赤信号に当たるときにはことごとくに当たってしまうことに対して、「今日はなんて運が悪いんだろう」と思うか「ある意味運が良いのだろうかな」などと思うか、その日の自分のココロの有り様だということを以前ここに書いたことがありますが、今回もそれと同様だったと思います。

朝の出勤時間は哲学の時間。自分の在り様を見つめ、その日一日の自分の注意すべき位置の確認ができる良い時間です。 ・・・ふむふむ。今回はちょっと余裕があったな♪

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濃い味

先日、朝のテレビ番組で『最近は濃い味の食品がはやっています』といっていたのでちょっと興味があって見てしまいました。「どうせ食べるなら味が濃い方がおいしいから、つい『濃厚』とか『濃い味』とか書かれているものを買ってしまいます」と、インタビューに若いお嬢さんが答えていました。

今はヘルシー志向ですし生活習慣病対策も浸透しているので、昔のように『濃い』=『高カロリー』とか『塩分が多い』とかいうわけではなく、企業はちゃんと研究して、塩分やカロリーを控えめにしながら代わりに「うまみ」と「こく」で、濃い、メリハリのある味を作り出しているのだそうです。営業努力のたまものですね。感心しました。

でも、やっぱり、「味が濃い方がおいしい」のかなあ。気になるのは、『味が濃い』=『おいしい』の味覚です。専門家たちが研究し尽くした成果としての「うまみ」を家庭で料理するお母さんが出せるとは思えません。その、巷の『濃い味』を再現しようと思ったら、結局高カロリーか塩分増量かになってしまう、少なくともそれを食べるお父さんやお子さんは、その味でなければ「不味い」と判断してしまう、そういうことになったら皆が不幸。しかも、『濃い味』ばかり好んでいくと、それの中味が何であれ、食べる人の舌(味覚)が鈍磨していく懸念。

わたしはやはり、『薄い味』が当たり前においしい、という味覚になれる工夫にもっと企業は精力を費やしてほしいなと思います。

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死に急いでるよ

今日はこれから大分に向かいます。13時からの贔屓サッカーチームの応援をするためです。試合が終わったらすぐにとんぼ返りして、熊本市内にある料亭で元同僚の還暦祝いに出席します。19時から開催ですがたぶん間に合いません。それでも何とかこなす予定です。

2週間後の日曜日は、早朝から阿蘇でウォーキング大会の試走があります。10㎞を歩いた後、温泉に浸かってから大分に向かいます。16時から始まる試合を応援するためです。途中で居眠りさえしなければ22時ころには熊本に帰ってこれる予定です。

こういうこと、今までごく普通にやってきました。フットワークの軽さは自分の売りだと思っていましたし、そんなことやっても翌朝からシャキッと仕事ができるのがわたしのモットウでした。

先日は、ゴルフから帰ってからワンの散歩に行くまでの1時間、庭の草取りをしました。ヘトヘトになってちょっと血圧が上がったかなとか思いながらも、何とかこなしました。それを見て、「死に急いでるよ、あなた。そんなことばかりしてたら、今に死ぬけん!」と妻に云われました。「そんなことないよ!」と今まで普通に口ごたえしていたわたしですが、今回は何か否定できない自分がいます。いつの間にこんな自信のない人間になってしまったのだろう?やはりあのCT検査の石灰化所見のせいかしら?

その真相はわかりませんが、ただ、今まで絶対なかったこと、こんな過密スケジュールを「面倒くさい」とちょっと感じるようになったこと、これはかなり深刻かも・・・。

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節制と摂生

他の文章を書いているときに漢字が分からなくなって調べていると、意外な豆知識が得られるもの。『節制』と『摂生』も、つい最近になってそんな得方をした豆知識のひとつです。みなさん、違いを整理できていますか?

『節制』とは、健康を害さないように飲酒や喫煙を慎むこと(度を超さずに控えめにする、自制を促す)
『摂生』とは、健康的にはあまり丈夫でなくても健康でいられるように欲望を抑えること(健康に注意して養生する)

と物の本には書いてありました。自分なりに解釈しみると、簡単に云えば、『節制』が一次予防で『摂生』が三次予防(と二次予防)ということになるのでしょうか。そういえば、循環器内科に居たころには『摂生』という文字しかみなかったのに、予防医学の世界に来てからは『節制』の文字が主流になった気がしますが、その理由がやっとわかりました。わたしが酒を控えるのは『節制』で、心筋梗塞になった人が今までの乱れた生活習慣を正すのが『摂生』、かな。

ところが、「ふせっせい」と打つと、ワープロ辞書は『不摂生』の変換候補しか出しません。どうして『不節制』ではいけないのだろう。実は、広辞苑にも『不摂生』しかないのだそうです。「ふせっせいがたたる」のは絶対に『不・節制』だと思うのですが・・・。またこうやって、わたしはアタマを抱えて悩むのであります。

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不平等

ある女医さんが今ちょっと苛立っています。独身でアタマが良くて何でもそつなくこなす彼女に何かと頼みごとが多くなります。○○先生はお子さんの都合で土曜日に出勤できなくなったので代わりに出てもらえないかとか、ちょうど出張や休みが重なって人手が足りないからこれとこれもやってくれないかとか。ずっと文句も云わずに頑張ってましたが、「独身女性だからヒマだと思われている?」・・・自分だけ雑用業務を背負い込まされているのではないかという不公平感に苛まれ始めました。

彼女の姿を見ながら、わたしも循環器内科勤務時代のことを思い出しました。片道90kmも離れた山奥の公立病院の1年間の出向から帰ったかと思ったらその半年後には同じくらい離れた海岸沿いの公立病院へ。「どうしてボクだけ?」と聞いたら「他の先生は抜けると病棟業務に支障があるから」。”つまり、わたしは居なくても支障がない訳ね”と感じたのが循環器科医をやめるきっかけでしたが、まあそれは自分の力だからやむを得ない。でも「他の先生は小さな子が居るので」という答えは悲しかった。”きみは子が居ないから自由が利くでしょ”という言外の発言。何度かの流産や不妊治療に苦しむ夫婦には、辛いことばでした。

でも、その代わりに、わたしはそれぞれの街にたくさんの知り合いができました。「先生が帰ってきたって聞いたから、久しぶりに受診してみたよ」といってくれた患者さん。「先生は厳しいから、また身が引き締まりますね」と云ってくれた看護師さん。街を歩いていても店先から声を掛けてくれる店主や街の開業医の先生方。内部に向かっては、「なんでオレばかり?」と不満を発していましたが、実はとても有り難い経験をさせていただいたと思っています。どうか、さきの女医さんも、自分に任された多くの仕事がきっと財産になる日がくると信じてがんばってほしいなと密かに応援しています。

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うわさ

うちの施設の中心スタッフが急遽退職します。前触れなしの退職届けに、たくさんのうわさが飛び交いました。お母さんの介護をしなければならないから?結婚するから?人事異動の辞令に従いたくないから?などなど、どれもまことしやかにうわさが広まっています。当の本人は『一身上の都合』としか云わないので真実がわかりません。

わたしのむかしのボスはうわさの絶えないヒトでした。「一介の勤務医があんな白亜の豪邸を建てられるのだから薬品会社と癒着しているのだろう」とか「プレイボーイで日本中のあちこちに愛人が居る。病院ナースにも手を出した」とか。二人で出張したとき、酒をいただきながら彼はボソッとその話をしました。「ぼくは、むかしからあることないこといろんなことを云われてきた。家を建てたときのうわさはさすがにアタマにきたけど、どれも聞き流すことにしている。『うわさ』は本人の居ないところで、本人に真実の弁明を求めることもないまま、まことしやかに広がっていくものでどうしようもないから。いいさ、云わせておけば。わたしは誰にも文句を云わせないほど真っ当に一生懸命生きてきているのだから、と自分に云い聞かせている」・・・。弁明や否定をしないから、一層周りは真実だと思い込むんじゃないか?そう感じる一方、そんな内に秘めた気持ちをまだ若造だったわたしに打ち明けてくれたことがとても嬉しかった記憶があります。

『うわさ』は、良いことでも悪いことでもちゃんと本人の耳に入ってきます。根も葉もないのが『うわさ』。でもいいさ、云わせておけ!と打っちゃっておけるようになるためには、日々まっとうな生き方をしてきているという自負が必要、か。わたしも頑張りましょう(どんなうわさが飛び交うのか知りませんが)。

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単身赴任

青年期から壮年期にかけての生活習慣病に大きく影響を与えるのが”単身赴任”です。サラリーマンにとっては避けては通れないもののひとつです。公務員もそうですし、わたしたちのような勤務医も遠い地への出向として単身赴任します。

単身赴任すると食生活が不規則で、好きなものしか食べないし外食が増えるから、データが悪化すると思いがちですが、現実はそうでもありません。

「あれ、例年になく今年はデータが良いですね。何か頑張っているんですか?」
「いや別に。ただ、単身赴任ですかね。」
「単身赴任から帰って来たとか?」
「いや逆です。1年前から単身赴任なんです。」

こういう会話を何人もとしてきました。急にデータが悪くなったと思ったら、5年ぶりに単身赴任から開放されていた、という人も。

世のお父さん方は、ちゃんと自分の健康に気を遣っています。確かに外食が多いし部屋呑みが増えたかもしれませんし偏食が多いかもしれません。それなのに、それの方が返ってデータが良くなるってことは・・・。世の奥様方、もう一度自分の作っている食事内容を吟味してください。自分が食べたいから作っているのかもしれませんし、育ち盛りの子どもさんのためだと言い訳してるかもしれませんが、だんなさんがしっかり実験台になってくれています。栄養バランスがどうだとか、好き嫌いがどうだとかいう理屈の前に、単純に作りすぎなんじゃないですかしら?

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ほらみろ。やっぱり「酒を飲まないと、太る!」は、ワシにとっては蓋し正論じゃないか!

ココロの中でそう主張しながらも、男の意地で月火水の3日間まったく酒に手を出さなくなってから、3週目になりました。飲まなきゃ飲まないでどうということもない、ということが体感として分かり始めました。昔はそんなことはなかったから、タバコをやめたときと同様、カラダが「要らない」と云いはじめているのかもしれないなと思います。

それでも、飲んだら飲んだでやめられない。金土日はそんな煩悩な日々・・・まだまだ、アタマは「要らないわけじゃない」と云っています。それでも、何か一気に酒に弱くなった気がします。家飲みでは、ほんのちょっと飲んだだけですぐに異常なまでの睡魔が襲ってくるようになって、うたた寝必至。

酒まで悟ってしまったら、わたし本当にこの世を卒業しちゃいかねませんから、楽しく付き合っていこうと思っております。ただ、酒飲まなくても、少なくともちっともやせないんですけど、それが何か?

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しあわせ太り

「三日前に私の結婚式があったんですけど、それは影響がありますか?」・・・若い男性の受診者がそう聞き返しました。高コレステロール血症や脂肪肝に伴う肝機能障害を示す自分の健診結果についてです。「もっと前からのことですから、たぶん関係ないと思います。ただ・・・」 話を続けさせてただきました。

ただ、これから太りますよ。男性の場合、大部分が結婚すると太ります。今までのいい加減な食生活がきちんと管理されるようになるから、世間は『しあわせ太り』と云ってもてはやします。でもそれは、結局はメタボ作りを奥さんにしてもらうだけのことです。奥さんは愛するだんなさんのために、姑にも文句を云わせないようなレストラン料理を毎晩作ろうとしますし、たくさん並んだ奥さんの手料理を食べないわけにもいかないあなたは、食べたくても食べたくなくても、あるいはおいしくてもおいしくなくても、それを食べ尽くす義務があります。絶対に食べ過ぎますから、作り過ぎないように、最初からしっかりと奥さんにお願いしてください。しばらく経ってから『減らして』と云ったら、まるで「料理がおいしくない」とか「太ったのはお前のせいだよ」とか云っているように聞こえます。最初が肝心です。「面倒だろうけど、夕ごごはんは少なく作ってちょうだい」って、云ってみてくださいね。

彼は割と神妙に頷いておりました。あとは、奥さんとの力関係の問題でしょうね。同じ日にもうひとり、中年の男性が「オレはそう(少なく作れと)頼むんだけど、『そんなことしたらわたしも少しになるじゃない!それはイヤだ!』ってヨメが云うんですよ」ってぼやいていました。・・・このパターンはちょっと大変かもしれません。

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夢のくすり(後編)

世に”夢のくすり”はたくさんあります。このスタチン系薬剤もそういう類のくすりで、悪玉(LDL)が下がるだけでなく、善玉(HDL)が上がり、中性脂肪もそれなりに低下するため、コレステロール管理は飛躍的に良好になりました。それによって動脈硬化性疾患予防にも奏効しているという客観的データはたくさん発表されています。さらに、心機能改善や腎機能改善にも寄与するようです。でも、長い間使用する中で、今回の報告のように他の面での弊害が出てきました。基本が毒物である以上、その被害よりもメリットの方が大きいから使われています。

医者として理解はしていますが、でもやはりそれは自然のあるべき姿を捻じ曲げていることに他なりません。『食物連鎖』の問題と同じです。食物連鎖は本当に小さな微生物のレベルから綿密にかみ合って成り立っている自然の摂理であり、そのごく一部が狂う(たとえば害虫を集中的に駆除したとか環境汚染で植物が枯れたとか)と最終的に地球の生物すべての生態系がおかしくなることが知られています。同じように、本来異常になるべきでないものが増えたからといってそれを選択的に強制補正すれば、それに合わせてバランスを取っていたその他の反応に対して良い方向に向かわせる場合と悪い方向に向かわせる場合が生じるのは当たり前です。人体や自然界の想像を絶する繊細緻密な組み合わせのバランスの中に生きているわれわれ生物にとって、本来存在を想定されていない”夢のくすり”は単なるエイリアンでしかない、ということを今回の医療情報を読みながら痛感しました。それを「微々たる取るに足らないモノ」と考えていると、さらに想像すらできない大きなしっぺ返しを招くかも知れない、と懸念します。

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夢のくすり(前編)

(1)まれではあるが、スタチン使用に関連して記憶喪失や記憶障害、錯乱など認知機能障害が起こることが報告されている。症状は一般的に重度ではなく使用中止で改善する。
(2)スタチン使用に関連してヘモグロビンA1cおよび空腹時血糖値が上昇することが報告されている。

アメリカFDA(食品医薬局)が2月28日にアメリカ国内で使用されているすべてのスタチンの安全性に関して添付文書を訂正することを発表しました。スタチンは高コレステロール血症に対する降下剤として世界中で”夢の薬”と称された薬剤の総称です。

このうち(2)に関しては数年前からメタ解析などを通して明らかに指摘され始めていましたが、それでもそれにともなう高血糖によって脳心血管疾患が発生する危険性よりも、スタチンを使って動脈硬化を予防することで得られるベネフィットの方がはるかに高いから、スタチン治療中の人はそれを止めるべきではないと結論付けています。

日本の患者さんが使う場合のスタチン用量はアメリカの4分の1程度ですから日本人にもそれが通用するのか分かりませんし、あいつら(アメリカ人)はもともと大量のファストフードを止められずに内服しているわけだから、もしや薬のんでいることを良いこちにちっとも食事療法してないんじゃないのか?などと勘ぐりもするのですが、そんなことよりも、わたしがこの情報を読んで思ったことは、自然の摂理への冒涜です(後半へつづく)。

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批判ばかり

あの忌まわしい未曽有の大惨事からちょうど1年が経ちました。あの日、この世のものとは思えない惨状を目の当たりにして、わたしは「日本がなくなってしまうんだ」と観念しました。でも皆が手を取り合ってたくましく這い上がってきました。まだまだ何も変わっていない現場はたくさんあるでしょうし、いつ戻れるか見通しすらたたない現状の中でありながらも、ここ数日、テレビで当時のことを語りこれからのことを語る東北の皆さんの明るい笑顔がたくさん放映されているのを観ながら、ほっと胸を撫で下ろしています。

ただ、そんな復興の現状を生き抜く現場を置き去りにして、ニュースや報道番組では1年前の政府や東電の対応の批判ばかりが流されています。今回の大惨事の責任者が誰なのかを確定することはもちろん大事なことなのだろうけれど、あのとき首相がなぜあんな行動をとったのかとかどうして議事録がなかったのかとかの問題点を連日並べ上げながら、「国はすべてをなかったことにしようとしていたとしか思えない、国民をなんだと思っているんでしょうか!」などとまくし立てる某有名キャスターや有名大学教授などの勝ち誇った語り口調を聞いていると、ムカッときて番組を替えました。誰も経験したことのない天変地異に皆がパニくった状況を考えれば、まああんなもんなんじゃないのかしらと無責任なことを思うのは私だけでしょうか。それを「私の責任ではない」などとは誰も云ってないんだから・・・。保身と批判に終始する政治の世界が、国民を置き去りにしていることには異論がありませんが、もっとスムーズに前に進ませなければならない施策が山積みなのだから、報道ももっと前に向けての後押しであってほしいと願います。

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気味が悪い

低線量CTには、あちこちにクッキリと大動脈壁の石灰化像が写し出されていました。心筋を栄養する冠状動脈にもキラキラ光る石灰化像があって、妙に目に焼き付きました。それはわたし自身の職員健診の検査結果です。今回初めて出てきた所見ではないけれど、見るたびに気味が悪くなります。

「この程度の所見は、そう大した問題ではありません。動脈硬化を進ませないように血圧やコレステロールの管理をきちんとすれば、特に運動制限も必要ありません。有酸素運動はガンガンやっても大丈夫ですよ」・・・それは、わたしが受診者の方にそう説明しているのとほぼ同じ所見です。他人事ならそんなこと普通に云えるのだけれど、やっぱり気味が悪いから、最初にこれを見たときからは、ガンガン頑張っていた運動をどうしても自粛するようになりました。人間のカラダ、そう簡単に壊れるような軟なものじゃないことはわかっているのです。でも、どこか『ウルトラQ』のオープニングの迷彩柄のような、『ホントは怖い家庭の医学』で何かが壊れていく”最終警告”の絵柄のようなそんなイメージがアタマをよぎって離れなくなるのです。少しずつにじみ出て、ある日「なんか気持ちが悪い」とか云い出して、ぐちゃーっと壊れていく動脈に悶絶するイメージ。「先生はあれだけ運動しているのにこんなに石灰化があるんだね、びっくりしたよ」と上司から云われましたが、これもまたショック。

「どんな治療をしたらこれ治りますか?」と聞いてくる受診者さんの気持ち、本当によく分かります。「もう石灰化してしまったものは治りません。後は石灰化を進ませないことと、石灰化してない動脈硬化の部分を改善させることができるだけです」と淡々と伝えるわたし本人も、できることなら消し去ってみたいと思っているのでございます。

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いらだち

「こら!いい加減云うことを聞かんか!」

突然抑え切れない感情をあらわにして引き綱を強く引っ張ったら、首を突然引っ張られる形になって我が家の3歳になる愛犬がすっ飛んで行きました。一瞬何が起こったのか?という顔をしてわたしを眺めた彼女はまた何もなかったかのように公園を蛇行しながら飛び跳ね始めました。その姿にまたわたしの感情が爆発します。「まだわからんのか!」・・・首元をつまんでグイっと引き上げて左右に強く振りながらにらみつけると、さすがに目を反らしてちょっとだけ反省の色・・・なんかするはずない。手を離したらまたヘラヘラ楽しげに闊歩し始めました。「ふざけんなよ!」・・・もはや収まりがつかないわたしは一層引き綱の引き方を強めるばかり。ひとりで戦いながら(相手はそれも楽しんでいるように見えて一層いらだたしい)散歩を続けるうちに、彼女の舌が妙に紫色に変わっているのに気付いて慌てて綱を持つ手を緩める・・・。

先日、風邪気味のカラダで寒風吹き荒れる公園を散歩に連れ出しているとき、そんないらだつ感情をまったくコントロールできなくなった自分の姿に恐ろしさを感じました。

自由奔放なうちのワン(しつけができてないとも云えますが)は、首が締まってチアノーゼになることなどまったく気にせずグイグイ綱を引き、道路を走るワンボックスカーや4WD車やバイクに向かって飛びかかっていきます。それはいつものことです。楽しくてしょうがないよーという笑顔で時々私の顔を見上げるのをみると「バカかおまえ!」と云いながらつい笑ってしまいます。同じ散歩の風景なのに、癒されて天使にみえるときと悪魔の申し子にみえるときとあるのは、すべてがこちら側のココロの投影です。若いお母さんが、最愛のわが子に対して信じられないような暴力を振るって虐待してしまうことがある・・・まさしくこのことなのだな、と思い、彼女のアタマを何度も撫でてココロから詫びました。

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骨密度

人間ドックで骨密度を毎年測る意味があるか、ということはいつも問題になっています。答からいえば明らかにノーです。

あのアバウトな検査の性質からしても、あるいは骨のカルシウム吸収のメカニズムからしても、それがたとえ更年期真っ只中の女性だとしても毎年微妙に変わる値に一喜一憂する意味はありません。ただ・・・皆さん測りたがります。「あの検査があるからわたしは毎日頑張って運動しているのに」という女性は少なくありません。あの値が数%変わったからといって(それが良くなっても悪くなっても)、たぶん努力の成果とは関係ありませんよ、と忠告してみても「それでもいいんです。励みになるんですから」と・・・。

そんな方に先日MTProで紹介されていた米国のコホート研修の結果を話したら何というでしょう。65歳以上の女性では、骨密度が正常かやや減少している程度であれば全体の10%の人が骨粗鬆症になるのに15年かかり、中等度減少している人は5年かかる(N. Engl.J.Med:2012:366)というもの。これに従えば、75歳で骨密度がOKならたぶんもう一生骨密度など測る必要などない、ということになるし、中等度でも次は5年後で良いということになる(高度減少の人は1年後には全体の10%が骨粗鬆症になるそうですが、そんなことを待つまでもなく高度減少=骨粗鬆症なわけで、健診で云々という次元ではありません)のです。

骨密度は、どんなに良いカルシウムを摂っても良くはなりません。重力に逆らう運動をして骨を軋ませるしかありません。しかも絶対上昇することもありません。となると、日々健康的な人生を送りながら、3~5年後に検査したときの楽しみに取っておいたらいかがでしょうか?

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会議

朝、受診者の胸に聴診器を当てながら、わたしは不謹慎にもまったく違うことを考えています。

「今日の夕方のスケジュールは何だっけ?」

えーと、心電図判読して、眼底を判読して、心筋シンチの判定もあるかな。・・・そして、夕方から会議・・・はあ、あの会議か~。

耳はきっちりと聴診音を聞き分けながらも、アタマはそんなことを考えているわけですが、やっぱり夕方の会議、それも気乗りしない会議(まあ、気乗りする会議なんてほとんどなのですが)が控えていることに気づいた途端に、ドローンとココロが重くなるのであります。いつもの倍の人数の受診者が来て大忙しになったとしても、それで会議に出ないで済むのならどれだけでもルンルンでこなしてあげることができます。会議に出なかったら、少なくとも5歳は若返れるのじゃないかと思ったりもします。

そんな一番キライな会議が今日もあります。だれか、わたしの代わりに会議に出てくれませんかしら?

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バイアス

心筋血流シンチグラフィという検査があります。放射線のくすりを静脈注射すると心臓の筋肉の中の血の巡りがいいところにだけ入っていって、それを撮影すると心筋の傷んでいる部位や程度がわかります。わたしは本来この検査を専門にしています。循環器内科の臨床から離れて10年以上ですが、この検査の読影は特殊技能なために今でも週に数回は読影を任せられています。

心筋を調べる検査は他にもたくさんあります。冠動脈の狭さを調べる冠動脈造影や心臓CT、MRI、心臓の動きを調べる心エコー検査など・・・医者はそれらの検査を組み合わせて患者さんの心臓に今何が起きていて、何をすべきかを総合的に考えるわけです。天皇陛下のバイパス手術もそんな検討の結果決められたストラテジーなのでしょう。

心筋シンチの読影をするときに他の検査結果を総合的に考えてしまう人がいます。シンチに異常所見があっても冠動脈造影に異常がないから有意所見として読まない方がいいのではないかとか、シンチの異常域の広さに比べて冠動脈狭窄の部位が端の方だから過大評価かもしれないとか・・・。それは違うんじゃないか?それは主治医が判断すべきことであって、自分たちは他の検査結果に惑わされずに目の前の画像を読影しないと、返ってバイアスをかけてしまうのではないか?冠動脈造影に異常がなくても心筋に虚血が起きることは珍しくなく、シンチ所見の方が正しい可能性があるのにそれを打ち消してしまうことになるのではないか、わたしはそんな人をみていつも懸念しています。気持ちはわかるのだけれど、ここは心を鬼にしてシンチの結果だけをレポートすべきだと、わたしは思います。

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イヤならそれでいいじゃない?

「へえ、サッカーの応援のために熊本からわざわざ来てるの?エライねえ。」

と云ったあとで、「オレは、あの前の社長がキライだったから応援はしないんだ」とか、「下手くそで勝ちきらんけん、そんなものに金は払われん」とか云い始めたと思ったら、そのまま長々とうんちくを語り始めるひとに今まで何人も会いました。どうせ聞き流していますけど、ホントにうんざりします。

「わたしはこんなに好きで好きでたまらないんだ、それはこんなだから・・・」~自分がどんなに好きでたまらないか、できたらこの魅力をあなたにも知ってほしいんだ!そんな想いを語るのなら分かりますが、聞いてもいないのに「何故キライか」なんて一々語ってくれなくていいでしょ。キライならそれで良いじゃない。キライなんだから、近寄らなければそれで。別にあなたに好きになってほしいと云っているわけじゃないんだし、と内心思いながら愛想笑いするのも面倒くさいものです。

サッカーの話題だけでなく、世の中にはそんな『否定』が生きがいのひとが少なくありません。まあ、昔から「とにかく否定しておくことから始まる」先生方ばかりいる政治の世界は別物だとして、『否定のうんちく』って、客観的に眺めても、とってもカッコ悪いと思いますよ。

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「なぜそこまで腹囲にこだわる?」

Web公開中の健診シリーズ第6回(2012.3号)が公開されたそうですので、紹介します。今回はメタボの腹囲の話です。

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なぜそこまで腹囲にこだわる?~メタボ腹はラッキー!?~

平成20年に始まった特定健診・特定保健指導も丸4年経過しました。医療界やマスコミから批判され、「外国から嘲笑されている」とまで陰口を叩かれた『腹囲測定』も、それなりに落ち着いてきた感じがするのは私だけでしょうか。来年の見直しでこのシステムがどう変貌するかは分かりませんが、諸外国が基準から腹部肥満を除いても、あるいはすること自体が無意味だと揶揄されても、頑なに『腹囲測定』を必須条件から外さなかったことの意味を、是非理解しておいてください。

●マルチプルリスクファクター症候群

生活習慣病の代表である高血圧や糖代謝異常や脂質異常や肥満などはリスクが重積するほど動脈硬化を起こしやすく、その状態をマルチプルリスクファクター症候群といいます。これに類似する考え方(シンドロームX、死の四重奏、インスリン抵抗性症候群、内臓脂肪症候群など)をまとめる形で整理したのが『メタボリックシンドローム』です。つまり、動脈硬化性疾患(脳卒中や心筋梗塞など)を引き起こす原因に高血圧や糖代謝異常や脂質異常があり、その共通の基盤にインスリン抵抗性があり、それを誘起する主体が内臓肥満や内臓脂肪蓄積であり、その原因に運動不足や食べ過ぎや喫煙がある・・・そういう病態をメタボリックシンドロームと呼んで、それに合致する人はこの流れの上流を早めに改善させることで動脈硬化性疾患を予防できる、というものです。

●「生活習慣病=メタボ」ではない

ここで忘れてはならないのは、生活習慣病のすべてがメタボリックシンドロームではないということです。たまたま病気が重積しているだけのことも少なくなく、その場合でも重なる病気の数が多いほど脳卒中や心筋梗塞に罹りやすいのだから、腹部肥満を必須条件にしない方が動脈硬化性疾患に罹るリスクを検出しやすいのは当然です。ただ、この両者では治療のやり方が異なります。どちらも運動や食事に注意する必要はありますが、メタボが内臓脂肪量を減らす(痩せる)のが目標なのに対して、メタボでない生活習慣病では痩せても根本的な解決になりません。ですからこの両者の区別はとても重要で、その指標になるのが内臓脂肪量であり、その基準が腹囲なわけです。整理すると、高血圧や糖代謝異常や脂質異常が重なっている人のうち、内臓脂肪蓄積型(メタボ)の人は生活を見直して内臓脂肪量を減らせば病気の改善が期待できるけれど、内臓脂肪蓄積のない“たまたま病気が重なった人”はそれぞれの治療を受けなければならず早々に薬物治療が必要になるかもしれない人です。メタボ健診は病人を作るのが目的ではなく、むしろ自分で治せそうな軽症の生活習慣病の人を早くみつけ出すために始まったシステムですから、メタボ健診で引っかかる人の方がラッキーだといえるかもしれません。

●腹囲測定の問題点

内臓脂肪量の基準値はそのうち修正されますから、腹囲の基準値も変わるでしょう。腹囲85cmという数字はCT上の基準(内臓脂肪面積100cm2)になる平均値です。85cm以上なら内臓脂肪面積が必ず100cm2を超えているという意味ではありません。「1cm=1kgと考えて減量目標を定める」というのはあくまでも内臓脂肪が溜まっている人にだけ通用する理屈であり、筋肉や皮下脂肪で85cmを超えている“濡れ衣型”の人は痩せても改善につながるとは限りません。85cm以上のお腹の人は腹部CT検査を受けて本物か偽物か区別すべき、というのが日本肥満学会が最初にこの数字を提示した時の考え方です。

それでも“濡れ衣型”は自分の生活の見直しを求められるだけだからさほど問題ではありません。むしろ一番問題なのは、“捨てられる人”です。腹囲が85㎝未満で内臓脂肪面積が100cm2以上の人はかなりいるのに、こういう人は特保の対象として拾ってもらえない可能性があります。せっかくメタボの人をみつけ出すために腹囲測定をするのに、入り口で切り捨てられるのです。ですから、84.5cmで安堵するより無理に腹を膨らませて86cmにしておいた方が得だ、と受診者の皆さんには伝えています。どうせやるなら傍らでブツブツ言ってくれる人がいた方が絶対がんばれますから。

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危機管理

臨時でお願いしているドクターがインフルエンザに罹り、急遽診療できなくなりました。ギリギリでスケジュールを組んでいる現場は駒の割振りにてんてこ舞い。1人足りない分を補う結果として、「朝10時から先生一人しか居ないんですけど」と連絡が入りました。「はい、分かりました。頑張ります」と答えたもののどこか不満気です。「大丈夫でしょうか。宿泊ドックの結果説明と診察とを一人でこなすとなると、受診者の方を待たせないでしょうか」・・・待たせるでしょうね。でも、しょうがないじゃない、居ないんだから。ちょっとお待たせします。すみません、って前もって云っておくしかないじゃない?

最終読影できる乳腺検査の専門医が学会などで不在になる日があります。その場合の対応について医局に相談がありました。健診では、画像診断は二重読影をします。がんなどの所見を見落とさないように、あるいは無意味な精密検査をさせないために、違う人間の目で二重に確認するのです。その最終判定をする医者が居ない場合にどうするか決めてほしいというわけですが、居ないものは居ないのですから、後日に正式に判定するという方法しかありません。それでもまだ不安気です。「一次読影をできる医者も居ない場合はどうしますか?その場の責任を持ってもらう先生は?」・・・そんな特殊中の特殊なパターンをマニュアル化しないといけませんか?後日正式に連絡するってのじゃどうしてもダメですか?

お客様満足度の向上を求め、常に万全を期して普遍的に準備しておくことはとても重要なことなのですが、無理なものは無理。そういうことをお客様に納得していただく努力も重要な危機管理ではないでしょうか?

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死に方

死に方」の理想とは?・・・身近な人や友人の死があると、その都度そんなことを考えてしまいます。

本人にとってみれば、やはり『ピンピンコロリ』でしょうか。「こころざし半ばにして無念だったろう」とか「子どもがまだ小さいから心残りだろう」とか、残った人間は故人を偲びながら云いますが、本人はそんなことを思っているだろうか?自分がまだ経験したことがないのでわかりませんが。でも、直前まで好きなことをしていて、突然発作が起きる・・・できたらくも膜下出血や心筋梗塞のような想像を絶する苦しみではなくて心室細動でふわーっと逝きたい・・・死の恐怖も悲観もないままに、予定のない人生の終焉。少なくともわたしはそうありたい。どうせ魂は生き続けるのだから。

問題は、残される者にとってはどっち?ということ。愛する家族や恋人が、突然居なくなるのと「あと3か月」みたいに人生を区切られるのと。前者が突然死やぽっくり病であり、後者ががんなどでしょうか。居なくなる前に話しておきたいこと、してあげたいこと、してほしいことがあるから後者が良いのか?でも最愛の人が消えてなくなるまでのリミットがどんどん近づく恐怖に耐えられるだろうか?突然死は呆然としてしまうけれど、もしかしたらこっちの方が整理がつきやすいのかもしれないとも思うのです。

手術不能の胃がんで病院で死を待ったと、何の前触れもなく突然居なくなったと、わたしの両親はそれぞれの居なくなり方をしました。後悔し悼むことは残された者の義務ですが、どっちのときも遠く離れていたわたしは、何とも云えません。

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死の理由

「え?なんで亡くなったの?」

今回のK先輩の場合だけでなく、知人や有名人の訃報を聞くと、最初に皆が聞き返すのは死因。「その若さでなぜ?」・・・でも、ほとんどの場合「しらない」「聞いてない」と答えるわたし。

なんか、死因に全然興味がないんだということ、最近やっと自覚し始めました。受け持ち患者さんや仕事上の知り合いなら別ですが、親しかった友人や身内の死を目の当たりにしたとき思うことは、『居なくなった』という事実のみ。歳や状況がどんなに特殊で、どんなに突然であっても、原因なんてどうでもいいし分かったところで何かが変わるわけでもないのだから。

人生を悟ったから卒業しちゃった・・・昔から、いつも自分にそう云い聞かせて身近な人の死を受け入れてきました。「どうして死んだの?」「何があったの?」「苦しそうだったの?」・・・いいじゃないどうでも、そんなこと。

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