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2012年4月

気付かないフリ

「とうとう先日入れ歯を入れました~。悲しいですね、先生」

人間ドックを受診された60歳の女性の診察をしていたときにそう云われました。

「首のリンパ節をいくつか触れるのが気になります」
「特に問題になりそうなリンパ節は触れませんよ」
「あと、首の後ろ側にコリコリするところがあって頭も痛くなるんです」
「そこは筋緊張性頭痛を起こす原因の部分です。視力が落ちたとか、歯が悪いとかでも起きたりしますよ」

・・・という会話の次に出てきた言葉です。

「悲しいですよね。今は小さなブリッジですけど、そのうち全部が総入れ歯になるのかと思うと・・・」と続くネガティブ発言をひとつひとつ前向きに変えていきながら立つように促したら、「最近足もなんか痛くなってきて・・・」と足踏みを始めました。「そんなに無理して調子の悪いところを見つけ出そうとしないでください!」・・・最後にそう云って診察室から送り出しました。

病気は弱気になって悪いところを見つけ出そうと一生懸命の人の前にはオレもオレもと手を挙げて寄ってきてしまいます。病気の早期発見のために健診を受けるのではありますが、元気に生きるために少しぐらいの不調は気づかないフリをすることもときには大事なことだと思います。

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まっぴらごめんだ

「さすがにこんだけ高い値が何年も続くのだからそろそろ観念して病院受診した方がいいんじゃないですか?」

健診のときの収縮期血圧が毎回200mmHg近く、一向に改善の気配がないどころか年々上昇しているのでそう助言したら、笑いながら「まっぴらごめんだ」と云い放って帰っていった御仁が、わたしが経験しただけで2人ほどおります。同じ言葉だったのがちょっと面白かったのを覚えています。彼らは何ら反論せずにきちんと説明は聞いてくれるので助かります。もっとも、逆に言えば、いろいろ云っても無駄だと思っているからそうなのでしょうけれど。「まっぴらごめん」なら受けなきゃいいのに、と思うのがまあわたしたち医療者の本音です。数字が出るからこうなるのだから、数字さえ出なければ何も云われないのだし、あるいはウソでも「診てもらっている医者が居る」と云っておけば何も追いかけないのに・・・そこはプライドが許さないのかしら。

こういうひとはたぶん意外に元気で長生きします。何の確信もありません。循環器内科医の長年の勘です。単に症状がないからとか、ほかの危険因子が大したことないから、とかいうガイドラインのような普遍的なものではありません。ただ、結局第三者の立場で金をいただいて判定をする以上は、確率的に大事に至らないように防衛線を張ります。だから治療ガイドラインが存在するわけで、統計学的に確信があるデータに従ってことが進みます。だから、くだんの「まっぴらごめん」さんは、受診しちゃダメなんですよ、と内心で思っています。だから、笑って出ていく姿を見送りながらあまり罪悪感を感じませんでした。

以前、若いときから著しく高い血圧のまま80歳を超えている女性に治療の要否の相談を受けたことがあります。こんなひとに薬なんか使おうものならおそらく一気にカラダが弱っていくだろうと思ったから、「今のままでいいと思います」とお答えしましたが、身内でもないあの方にそんなことを答えるのはかなり勇気が要りました。

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「高齢者の心電図異常」

数日前のCareNet.comに「高齢者の心電図異常、冠動脈性心疾患イベントリスクを40~50%増」というタイトルの記事が載っていました。JAMA2012.4.11号に掲載されたアメリカの研究報告です。

Reto Auer氏(カリフォルニア大学サンフランシスコ校)らが心血管疾患のない70~79歳2,192人を8年間にわたって追跡し、心電図異常と冠動脈性心疾患イベントとの関連を検討したものです。その結果、試験開始時に心電図異常が認められた人はその異常が軽度でも1.35倍(重度で1.51倍)の冠動脈疾患イベントリスク(心筋梗塞や狭心症の発症・冠動脈疾患関連死)があったと報告されています。さらに試験開始の4年後に心電図の再調査をしていますが、このときに新たな心電図異常が見つかった人や初回から異常が続いている人の冠動脈疾患イベントリスクはさらに増大したそうです。これらの結果を踏まえて、従来のリスク因子に心電図異常も追加すべきかどうか検証するとも書かれていました。

さて、健診で心電図判読を仕事にしているわたしにとってこの結果は忌々しき問題でして、気軽に「軽度異常所見」など読めないのではないかしらと臆病になる次第です。詳しく論文を読んでいないので「軽度異常」の定義がわかりませんが、軽度のST低下や陰性T波や不整脈はまあわかるとして、洞性徐脈や反時計方向回転や異所性心房調律や軽度右軸偏位や、そんなものまで「軽度異常」として狭心症や心筋梗塞の予測因子だと云われてしまうとちょっとつらいかな。

Auer R et al. Association of major and minor ECG abnormalities with coronary heart disease events. JAMA. 2012 Apr 11;307(14):1497-505.

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酒飲みの見解

糖分の分解をじゃまするアルコール

先日こんな記事が紹介されていました。「わたしは夜はメシは食いません。晩酌しますから」と得意げに強調する男性が後を絶たないので、「酒飲むよりメシ食ってくれた方が健康的ですよ」とムキになって云い返すのですが、彼らの云いたかったことはこういうことなのですね。つまり、「アルコールは脂肪にはならないので太らない」とか、「アルコールを飲んでいるときにはご飯は食べないで、つまみだけだからかえってやせる」とか云った情報・・・。こういう理屈が存在すること自体を初めて知りました。

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 摂取されたアルコールはしっかり、体の中で熱源として利用され、しかも優先して使われるため、糖分や脂質の分解は後回しにされます。また、日本酒やビール、カクテルなど甘いアルコール飲料の場合は、アルコール以外に糖分の摂取を行っていることになります。

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この記事で秋葉原駅前クリニックの大和田潔先生が解説しておられるように、相当のアル中にならない限り酒飲めば太るってことは周知の事実。それでも生まれる屁理屈のその各々を、こうやって理屈で答えながら潰していくことは、皆さんの幸せのために重要なことなのだろうなと思う次第です。

別に知り合いでもなんでもありませんが、この大和田先生のブログをご紹介しておきます。

 

 

 

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フィギアスケート

先日、日本の若者たちががんばる姿をテレビで観ておりました。

観ながら、やっぱりわたしはフィギアスケートは苦手だなと思いました。その理由は、きっと評価が減点法だからだと思います。システムからすると難易度の高い技をすれば得点が上がるらしく、成功すればどんどん加算されるらしいのだけれど、でも実際は減点法。「あ、ジャンプに失敗して転んだ」「また回転不足だった」・・・素人のわたしたちですら観ているときに思うのは、いかに素晴らしい滑りができたかではなく、いくつ失敗したかということばかり。贔屓の選手の演技のときも、失敗しないで終わってくれるといいが、ということばかり考えるので、なかなか演技を楽しんでみることはできません。演技している選手たちがみないつも切羽詰っている気がしてならないのです。むかし、わたしの演劇の見方がそうでした。批判しながら観てもそれでも感動できるのが本当に素晴らしいのだと信じていたからです。だから、芝居を観るのがとても苦しかったものです。

「減点法」は厳しい鍛錬の世界の話で、それを勝ち抜けたときには強烈な達成感があるのでしょう。それが苦手なわたしは、やっぱり甘ちゃんなのかもしれません。今でも、職場の企画書や書類は必ず間違い探しをします。でもいつのころからか、批判をしないでできるだけいいところを探すし出す努力をするようになりました。批判からは何も生まれません。他人のいいところを見つけると、自分も相手もとても気持ちがよくなります。

だから、フィギアスケートは、やっぱりアイスショーがいい。

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診察作法

初めての病院やクリニックに行くとドキドキします。常連の患者さん方がテキパキとルーチンの作法をこなしている中、はてまず何をしたらいいのかしら?と呆然となり、見よう見まねで前の人に倣ってみる。次は何を?「中待ちへどうぞ」って、”中待ち”ってどこ?さてこの椅子はどっちから座るのが作法なのかしら?戸惑いのまま緊張感だけアップ。そしていよいよ診察室の中へ。静かな部屋の中で緊張はマックスに達します。まず何から話そう、あれとこれは聞いとかなけりゃ、と意気込んで入ったものの、先生は全然違うことばかりを聞いてきなさる。細かく答えようとするとすぐに話題を変えなさる。あまり話せないままに診察するから前を開けろという指示に従う。云われるがままに従うものの、その横のところが痛いのよね、と云いかけたら「はい結構です」と。間髪入れずに看護師さんが背後から羽交い絞め同時拉致・・・。ん~、なかなかここの作法に慣れるには時間がかかるわ(たぶんもう来ないけど)、などと思いながら会計に向かう。先生も看護師さんもとってもやさしくていい感じの空気なのになあ。

自分が患者さんの立場になったとき、自分の周りの今までの世界が決してグローバルスタンダードではないことに気づきます。それぞれの機関でそれぞれのシステムに合った作法が出来上がっています。健診受診者さんに「ちゃんと主治医の先生に伝えてくださいよ」というと「先生忙しそうだから気を遣ってしまいます」という返事が返ってくるのもわからないでもありません。わたしの診察作法もまた世間のそれとはどこか違うのかもしれません。たまには病人になるのも大事です。

となりの診察室」(2008.1.29)

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オーダーメイド・ヘルスケア

肥満解消のためにがんばる運動や食事療法。皆が必死にがんばり、わたしたち支援者はその方法を伝授します。ところが、同じことをやっても効果があるひととないひとがいるのは周知の事実なのに、誰にも同じ一般論のごり押しで尻を叩いている現状です。肥満のタイプにはいろいろあり、当然おのおので対処法が違います。それを解説した記事が産経新聞に掲載されました。

肥満関連遺伝子 自分のタイプ知り運動と食事療法

立命館大学スポーツ健康科学部の家光素行先生によると日本人の肥満関連遺伝子型は3タイプあり、

1)白色細胞(内臓脂肪に多い)が肥大しやすく腹回りに脂肪が付きやすいタイプ(β3アドレナリン受容体遺伝子変異型)
2)褐色細胞(皮下脂肪に多い)内の熱産生機能が低下して体温が下がりやすいタイプ(脱共役タンパク質1遺伝子変異型)
3)タンパク質を速やかに代謝させるため筋肉が付きにくくてやせているが、その分基礎代謝が少なく一度太ると痩せにくくなるタイプ(β2アドレナリン受容体遺伝子変異型)

だとか。何か難しい云い方をしていますが、1)がメタボ型の内臓肥満、2)が下半身肥満、3)がかくれ肥満として区別されてきた肥満タイプです。1)が甘いものを控えて有酸素運動で脂肪燃焼を、2)は脂肪食を控えてスクワットや踏み台昇降などの下半身を引き締める運動を、3)は赤味肉などでタンパク質をたくさん取って筋トレを中心に、というアドバイスになります。

ところがどっこい、最近は内臓脂肪も皮下脂肪もため込んで、しかも筋肉がないという最強肥満軍団が幅をきかせてきているわけで、遺伝子タイプだけでクリアカットに行くとは限らないのではないか?という懸念を抱いているのは、きっとわたしだけではありますまい。

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南雲流(後)

詳しい内容は、ご自分で買って読んでいただくとして、わたしはこの「『空腹』が人を健康にする~『一日一食』で20歳若返る!」(サンマーク出版)という本の中で、一番最後の章”エピローグ 若さ美しさは内面の健康のあらわれ” が好きです。

岡山で有名なレストランに行ったらシェフが異常に太っていて、そこの料理を食べるとそんな身体になるのかと食べたことを後悔したり、フィットネスクラブの入会のために見学に行ったら常連の会員の人たちが見るからに年寄りじみていて下腹がでていたから、ここで運動するとこんな身体になるのかと思って入るのをやめたり、あるいは書店に並んだ健康本を買おうとしたけれど著者が皆年寄り臭かったからそれを実践してもそんな外観にしかならないのかと落胆して買うのをやめたりした、というところを読みながら大笑いしました。蓋し正論なり!

「20歳若く見えるために私が実践している100の習慣」(中経出版)はまたあらためてご紹介するかもしれませんが、ひとつだけ、ちょうど先日妻とそんな話題になったのでご紹介します。

第1章 「7.胸を張っておなかを引っ込める」

「ウエストが太いのは日本人が獲得した進化だ」~アレンの法則とやらに従うと、寒冷地に住む動物は体の凹凸が少なく、皮下脂肪が多いのだそうです。何故なら凹凸が大きいと体表面積が大きくて体熱の放散が多くなってしまうから、それを防ぐために体がずんどうで手足が短く、あざらしのような体形が理想なのだそうです。だから、シベリアに住んでいたモンゴロイドを祖先に持つ日本人は、胸もお尻も小さくてウエストがくびれていなくて手足が短いのだそうです。顔の凹凸も少ないのもそのためだとか。それこそが、日本人が寒冷に打ち勝つために獲得した進化の姿なのです。・・・どうでしょう。すこしは諦めがつきましたでしょうか?

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南雲流(前)

●「空腹」が人を健康にする~「一日一食」で20歳若返る!(サンマーク出版)

●20歳若く見えるために私が実践している100の習慣~「やめる」だけで、若返る!(中経出版)

最近わたしのもうひとつのブログ(楽天ブログ)のPR欄に何度も顔を出すので気になって買ってみました。著者は乳腺外科のナグモクリニック総院長の南雲吉則氏。どちらの本も今年になって一気に出版されています。

「食べなければ健康になれる」「一物全体のすすめ~丸ごと食」「動物は獲物に塩なんかふらない」「美しくなければ健康じゃない!」・・・単純明快に颯爽と書き上げている前者の本を読んでから後者のハウツー本(各々が1~2ページで完結しているので読みやすい)を読んだ方がわかりやすいと思います

別に南雲先生の本を宣伝したくてここに取り上げたわけではありません。ものすごく変わり者っぽい、インパクトの強い見出しが並んでいるのですが、実はどこを読んでもあまり感動しませんでした。なぜなら、日ごろわたしが云っていることと同じことが書きならべてあるだけだからです。ということは、やっぱりわたしは変人なのかしら?とちょっとだけ心配になります。ただ、南雲先生のすばらしいところは、その提案にゆるぎない確固たる確信がみなぎっているところと、それを長期にわたって実践し続けているところ。書いてあることは疑う余地のない変人ぶり(わたしから見ると超普通)ですが、たとえば「かっこつけて歩く」とか「座るときは深く腰かける」とか、簡単に見えて意外に続けるのは大変なのですが、それをきっちり続けておられる。

ブログで詳細を解説しようとは思いませんが、特に「空腹」を経験することが人生においてとても大切であるということをわたしも改めて強調しておきたいと思います。わたしのブログに付いてきていただいている皆さんなら、この本は買って損のないものだと思います。是非ご一読ください。

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深く掘る

健康支援のための取り組みは常に共同作業です。医師や保健師や健康運動指導士や管理栄養士や検査技師やそして事務方やアテンダントの皆さんや、そのすべてがグループとして生活改善の取り組みの手助けをします。

それを実行するときにとても気になっていることがあります。うちの施設ではすべての職種が各々に強い専門意識を持っています。運動に関わることは優秀な健康運動指導士に聞けば解決させてくれますし、保健指導は保健師さんの仕事。栄養のことは管理栄養士が・・・。各々に聞いても「自分たちは自分の専門領域を深く掘り下げることが一番重要だと思う」と答えました。そこが気になります。専門以外、たとえば運動指導士が保健指導の領域をしようとするとそれはおまえの仕事ではないから口出しするな、という空気が流れるのです。でも本当は、自分の専門以外の領域をもっと知ろうとすることの方が重要なのではありますまいか。

穴を掘るとき、細くて深い穴を掘ろうとしても限界があります。深い穴を掘ろうとすればするほど横に広く掘らなければなりません。それと同じことが仕事の現場でも云えましょう。一見効率が悪そうに見えて、おそらく各々が横に広がる=自分の専門領域以外を深く学ぶことができなければ、全体が深くて大きいものになれるはずはありません。大きな組織になればなるほど、優秀な専門家が多くいればいるほど、専門バカの集まりになりがちです。それがうちの組織の最大の弱点ではないかと思います。ただ、これを解決させるのは大変なことなのだろうなと感じます。

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何が肌を変えた?

海岸沿いの小さな町に医療系のカレッジがあります。そこの学校健診に行ってきました。わたしの担当は新1年生と新4年生。4年生の中に見覚えのある子が何人か居ましたので、たぶん彼らが1年生のときに診察をしたことがあります。

初々しかった新入生のころに比べて皆大人になったなあと思う一方で、気になることがありました。皮膚が荒れている子が妙に多いということです。掌がカサカサだったり赤く変色して皮が剥げていたり、あるいは頸部にみられる強いアトピー性皮膚炎の様相。なんでこんなに荒れているのだろう?と不思議に思いました。こんなのどかな田舎町なのに、空気や水の質が悪くなったとか、使っている消毒液が安物に変わったとか・・・いろいろ詮索してみましたが答がわかりません。

ところが、新1年生の中にも掌の荒れ方が尋常でない子が数人、それも男の子ばかり。「これ、アトピー?」と聞くと、「いえ、あかぎれです」との答え。「えらい手が荒れているね」と他の子に聞いたら「ボクは子どものころからなんですよ」と。新1年生がこれだということは、これがこの土地や学校の問題ではないだろうことを察することができます。

一体今、若い子たちに何が起きているのでしょうか?二十歳前後の男の子がまるで水仕事を生業にしているおばちゃんのような手をしているのです。尋常ではありません。肌に塗る香水や整髪料の影響だとしたら、それは猛毒だと言わざるを得ません。あるいは子どものころから手洗いをし過ぎているのかもしれません。ことあるごとに手洗いを躾けられ、その都度せっけん(下手すると薬用せっけん)を使って温水で洗っているのではなかろうか?もしそうだとしたら不幸な限りです。『自分を守るためにできるだけ手を洗わないようにしよう』運動実行委員長としては、彼らの行く末が心配でなりません。

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腹筋

太ったわけじゃないのにズボンがきついのは、もちろん腹回りが緩くなったから。太ったというよりも緩いカラダになったというのが正解でしょうが、それはつまり筋肉が落ちたことと、皮下脂肪が増えたこと・・・ん?もしや、世間ではこれを一般的に「太った」っていうのかしら?

先日、会食をしながらふと横の窓ガラスに映った自分のシルエットを見てギョッとしました。どうしてそんなに猫背なの?これでもかなり意識していたつもりだったのに・・・。むかし、お腹だけほっこりでてきた保健師さんに「日ごろ猫背になっているから腹筋が休んでるんだよ!」と冷たく批判していたわたしですが、まさしく、その恰好。そういえば日ごろ、説明や判読しかやってない仕事なので、気が付けば背もたれに寄りかかっているかパソコンに目を近づけながら背中を丸めているかのどちらかです。家に帰ってまずテーブルの上のノートパソコンのスイッチを入れると、あとはずっとそれを覗き込んでいます。背筋を伸ばして上方から見下ろす形でモニターを見るのがパソコンを扱うときの基本姿勢なのですからそれに従えばいいのでしょうが、それってきついのよ。しかも目が悪いから遠近両用メガネをはめても結局モニターを覗き込まないと読めないじゃない?画面が小さいから、覗き込みたかったら背中は丸めないと。

歩いているとき以外、腹筋をまったく使ってない生活なのだから、そりゃずん胴のゆるゆるお腹になりますよね。川村先生の腹ペコダイエットが奏効する理由が素直に理解できる今日この頃です。ただ、理解はできても実行はできない。ここに愚痴を並べたからといって実行宣言ではない。ヒトのサガって厄介だね。

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「腹いっぱい」と「腹八分目」の定義(後)

(前からつづく)

先日、うちの施設にお客様が来られたので、自慢のレストランで受診者のみなさんと同じメニューの夕食をいただきました。前菜からメインディッシュ、デザートまで、食べる速さとタイミングに合わせて持ってきていただけるのですが、とてもおしゃれな皿にとてもお上品な量の料理が運ばれてきます。夕食なのにそんなので大丈夫かしら、お客様は足りないと感じないかしらという、当初抱いた懸念はすぐに払しょくされることになりました。すでに前菜を食べ終わる段階で満腹感が出始めて来たのです。メインディッシュがお魚系、次いでお肉系・・・これまたちょこんと小さく盛った高級レストランか料亭のおもてなしのような上品さなのですが、もうわたしのお腹はいっぱいになっています。

これを戴きながら、わたしは「『満腹』と『満足』は違う」と云ってきたのは間違いだということに気づきました。『満腹』と『満足』は限りなく同じでなけばならない、と。「腹八分目」は「食べたい量より減らして我慢すること」と定義されるものだと思います。そもそも「腹八分目」は「腹が不満足な状態を保て」という単語なわけですから、断食修行や貧困家庭の食卓でない限り、食事療法の選択肢として使うべき単語ではありません。だから皆が罪の意識をバックにしながら「腹八分目」ができずに食べてしまって憂鬱になる。だから食事が重苦しいものになって、「えぇい!もうどうなってもいいや!わたしは好きに食べる~!」って爆発してしまう・・・。

食事は戦争ではなく、やはり楽しむべきもの。その原点に立ち返りながら、毎晩腹いっぱいの食事がとれる日々が健康的な人生の理想なのだということ、みなさんもう一度再確認してみましょう。

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「腹いっぱい」と「腹八分目」の定義(前)

「わたしはメシは腹いっぱい食わんと満足できないヒトなんです」と主張する人が最近多くなったような気がします。これはきっと、健診の保健指導か栄養指導で『腹八分目に!』と異口同音に云われるから先手を取っての弁明に違いないなと感じています。

そんな皆さんに「そんなヒトだから生活習慣病になったんでしょうが。それを変えなきゃ治らないんだからしょうがねえでしょうが」と、上から目線で”指導”していましたが、ここ数年明らかにわたしの考え方が変わりました。「腹いっぱい食べないと満足できない」は当たり前のことだから「腹いっぱい食べて満足すべきだ」と。ただ、「腹いっぱい」の定義が間違っているみたい。世間のみなさんは物理的に胃袋からあふれ出るくらいモノが胃の中に詰まっている状態が「腹いっぱい」なんだと定義しているみたいだけれど、「腹いっぱい」は「満腹」ということなのだから、満腹感は別に必要以上にモノを口に入れることじゃない。そこのところ人間が生きていく上でかなり重要なことなのになんか疎かになっています。「腹八分目」ということばがあるからいけないのかもしれません。本当は「腹八分目」が「腹いっぱい」になればいいだけのことで、世間が「腹十五分目」くらい口に入れて当たり前と思っている、その大元の定義を改めさえすれば、この「メタボ撲滅運動」社会に生きていくために、世の多くのみなさんが修行僧を強いられて幸せではない人生を送る必要はなくなることになるはずだ、と思うわけです。

(つづく)

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「月曜日が好き」

定期のコラムの載った機関誌が発行されましたので、公開します。

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「月曜日が好き」

♪お魚くわえたドラ猫、追っかけて~♪

日曜の夕方といえば『サザエさん』。この楽しいはずの番組が始まると、急にうら寂しくなる。何か見ていても面白くない。下らないと思う・・・そう感じることはありませんか? これが『サザエさん症候群』です。以前から問題になっていましたが最近またさらに増えてきているようです。もう日曜も終わり。明日の朝にはまた仕事に行かなけりゃならない。また一週間が始まるのか、憂鬱だなあ。・・・そう思うひとは少なくありませんが、それを「そんなことではいけない。せっかくやり甲斐のある仕事をしているのだから、きついけど頑張らなけりゃ!」と自ら鼓舞しているひとで、この『サザエさん症候群』の症状がある場合は要注意です。本人は気づいていないかもしれないけれど、「うつ状態」がかなり進んでいる可能性があるからです。

わたしは月曜日が好きです。週末はいつも遊び回っていてじっとしていませんが、日曜の夜に疲れが溜まった感じになることはまずありません(好きなことをしているのだから当たり前ですが)。『サザエさん』を見終わったら、「さ、明日からまた一週間が始まるぞ!」という気分です。ウキウキはしませんし、間違っても“仕事が好き”とは思いませんが、月曜がイヤという感覚になることもありません。そんな自分を見ていると、仕事のしがらみでうつ状態になることがしばしばある割には心の健康度はそう悪くはないのだろうな、と判断しています。もっとも、最近は月曜の朝だけちょっと周りのスタッフとリズムのズレを感じます。完全オフモードがオンモードに移るのに時間がかかるようになったのは歳のせいでしょうか。

自分の周りに“ちょっと元気がなくなっている”っぽいひとはいませんか? 職場には気軽に話せる同僚や上司はいますか? 『サザエさん症候群』は自分がそれかもしれないということに気づくことから始まり、休みの日に十分休むことが基本です。それはボーっと一日を過ごすことではなく、面倒くさくても動くこと。とにかく、仕事を忘れてオフモードになれるように努力してみることです。でもわたしは、職場全体の空気がいつも柔らかくて優しいことが何よりも重要ではないか、と思います。和気藹々(わきあいあい)とかアットホームとかいうのとはちょっと違います。自分の悩みを打ち明けるほど心を許したひとが職場にいなくても、空気が優しいと居心地は決して悪くありません。皆が互いを見守ってあげられる『気運づくり』~ちゃんと自分を見てくれている人が職場にいると実感できると、それだけで楽になります。

新年度のこの時期、新しい人間関係づくりをしなければならない重要な時期です。月曜日の朝に、皆が優しく「おはよう」と声を掛け合える、柔らかい空気づくりができる絶好の機会ではないでしょうか。

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無力感

昨日の記事に対するコメントに返事を書いていたら長くなりそうだったので、そのまま今日の記事にしました。

ぱみゅさん

大丈夫です。私は燃え尽き症候群にはなりません。仕事は仕事とわきまえています。これは大きい病院の一スタッフという隠れ蓑があることの特権です。開業の先生方や田舎の総合病院だとそうはいきません。常に24時間患者さんの悩みと向かい合わないといけないこともありましょう。うまいことメリハリをつけられる人でないと潰れてしまいます。

「あの先生は外来には出てないのですか?私の話をあんなにきちんと聞いてくれた先生は初めてだ」って喜んでましたよ、とあとでアテンダントのお嬢さんが教えてくれました。これもまた、わたしが忙しい外来業務の中に身を置いていないからこその特権。わたしの株を上げたのは嬉しいことだけれど、でも感謝されても何も解決していないことに逆に若干の罪悪感がにじみ出てしまう感は否めません。

仕事だからそんなことができる。それでもその刹那刹那は身内だと思う。私はクールな人間なので、困った顔をして佇んでいるヒトがいてもよほどの知り合いでない限りたぶん声もかけずに通り過ぎます。「いらんお節介はすべきでない」と自分に言い訳しながら煩わしいことにかかわらないようにしているから。でも、その人がわたしと目を合わせてわたしに救いを求めてきたなら、わざわざわたしを特定してココロを開いてくれるのなら、それを無視できない性分。単なる良いカッコしぃなんでしょうけど、どこか自分の実力以上のことをしてあげたくなる。その刹那だけは、「わたししかあなたを救ってあげられない究極の救世主になりたい」なんて虫のいいことを考えてしまうわけです。で、自分の力の無さをかみしめる・・・だから、力のある知り合いをたくさん作ることに力を注ぐことにしています。「あ、それなら●●先生のところに行ってみて。きっと良い答えをもらえると思うから」・・・こうやって似非医者のわたしは名医にはなれないけれど名アレンジャーにはなれるのではないか、ともくろんでいる次第です。

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焦り

「ちょっと無理するとすぐ疲れて、熱を出すんです。その後寝込んで点滴に行かなければならないこともある。それが月1回は必ずあるんです。少し動くときつくなるんですけど調子がいい時にはつい動いてしまいます。最近は家事をしても疲れることもしばしば・・・。」

先日、人間ドックを受診された60歳台の女性。2年前に気管支拡張症の診断を受けてからこんなカラダになったと悲観しておられました。問診結果を前もって読んでいたので、本人に会ったときにはちょっと驚きました。もっと沈んだ覇気のないご老人を想像していたのに、話しぶりも快活で、歯切れよく受け答えをしてくれるからです。「昨日も運動負荷検査の後にちょっと時間があったのでフィットネスセンターで15分くらい自転車を漕いでしまいました。そしたら案の定、微熱が出てしまって・・・」笑いながらちょっと舌を出す姿がチャーミング。

しばらくいろんな話をお聞きしました。頑張れるときに頑張りすぎてへばってしまうけれど、きっとそれは早く昔の体力に戻したいから焦っているだけ。きっとその半分の運動量で抑えることができたら動けなくなる時間が減って体力回復も期待できるのではないか。立っているとすぐ背中が痛くなる、というのは体幹を支える筋力が落ちているからだろうが、それをゆっくり鍛えるストレッチ運動を続ければもっと元気になれるのではないか。食欲はあるのに量を食べれないと悩んでいるが、少なくても全然問題ないのだし少ない量をもっと楽しんで食べてほしい。きっとため息ばかりついて食べているから空気をたくさん飲み込んでいるだろう。・・・お話を聞きながらそんなことを思いました。「2年前は何でもできたんですよ!」ということばに、あのころの自分に戻れないもどかしさと焦りが感じ取れました。

「炎症を起こす度に気管支拡張症が悪化して肺機能を落としていくのだから、むかしに戻ろうという夢は捨てて現状維持することを考えた方がいい」・・・内科の主治医の先生が云うことばと同じことをむかしの私だったら云ったかもしれないけれど、人間の臓器の予備力なんてそんな軟(やわ)じゃないのだから、うまくやれば2年前の生活に戻れるんじゃないかしら?という確信があります。そのためには焦らないこととじっと見守って叱咤激励してくれる主治医かトレーナーの存在が必須・・・こんなときにそんな存在になってあげられない自分の無力さを感じるのであります。

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「ふつう」

先日の管理栄養士さんに講師をしてもらった勉強会で、厚労省の「食事バランスガイド」に従って自分の食事バランスのチェックをする実習をしました。

まずすることは自分の適量チェックなのですが、その基準になるのが自分の活動量です。

※活動量の見方
  「低い」:1日中座っていることがほとんど
  「ふつう」:座り仕事が中心だが、歩行・軽いスポーツなど5時間程度は行う

と注意書きがありまして、「低い」に当てはめたのですが、その後ずっと疑問に思っています。座り仕事が中心なのに1日5時間は動く、というのは一体どんな仕事の人なのだろう?営業職の人は良く動き回りますが基本は自動車運転だし、バス・電車通勤でも、その大半は座席に座っているだろうし(まあ、この定義では電車で吊革につかまって立っていても数に入らないのかな)、病院のナースや床屋さんの仕事は座り仕事中心とは云えないし・・・。厚労省の方がいろいろ考慮して作り出した定義なのでしょうが、具体的な姿を想像できません。

自分は高い活動量の生活だとは思いませんが、せめて「ふつう」だろうと思って生きてきただけに、「ふつう」はそんなもんじゃない!と跳ね飛ばされた気分で、それなりにショックだったわけです。

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陳腐であることの幸せ

菜の花が咲き、桜が咲き、そして蓮花が少しずつ田甫を覆い尽くすと春本番。先日庭に出たら、紋白蝶をみかけました。異常気象が当たり前になり、常識が常識でなくなりつつある最近だからか、来るべきものが順番通りに来ると妙に心が落ち着きます。

いつも皆と一緒なのがイヤで、まるでコピーペーストされたかのように毎回同じこと繰り返すのが堕落だと感じてきたわたしでも、みんなの名刺が横型だったから意地で縦型にしてもらったわたしでも、やはり普遍的なものが決まり通りに流れていくことが、人生の中では重要な基盤だということを最近実感として感じるようになりました。その陳腐な土台あってこその変革。土台のない変革は単なる奇抜さ・・・そんなことを、散りゆく桜並木の桜の花を眺めながら思いました。

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『ミッションからはじめよう』

久しぶりにハウツー本を最後まで一気に読み上げました。しなければならないことが山積みなのに(だから)それらをほっぽって一日で読みました。それぐらいとても読みやすいというか、理解しやすい本です。数週間前にSクリニックの院長がfacebookでシェアしたのを見て早速amazonしました。

『ミッションからはじめよう MISSION PEOPLE』 (並木裕太著 ディスカヴァー・トゥエンティワン)

なぜ、問題解決本はリアルな問題を解決できないのか、なぜロジカルシンキングだけでは人は動かないのか・・・「ミッション」(使命)がただの願望や根拠のない夢や額縁の中に入った「理念」ではない、ということ。実際のビジネスの場面で大事なことは、分析することでも整理することでもなく、「実行」することだということ、その「ミッション」を作り「実行」するまでのプロセスを具体的に指南してくれている本です。老若男女を問わず多くのみなさんにお勧めです。わかりやすいのでもちろん理屈は読むだけで理解できますが、むしろ理解することより実行することが重要なのですから、しっかりとしたミッションを作って実社会に活かしていただきたいと思います。

全文の中でわたしが一番好きだったのは、「3.リアライズ編 録音し、再生せよ!?」の中の黒太字(P141-142)です。

「人の感情をなめてはいけない」
「どんなに美しい戦略でも実施されなきゃゴミ」
「どんなお粗末なアクションでも実行されれば、結果につながる」
「だとしたら、実行されれば結果が出る。実行されなければゴミ」
「なので、実行を担保するために、人の感情を動かすステップを大切に歩まなくてはいけない」

うちの組織のみなさん、わかるかなあ、これ?

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長いものには巻かれない

遠いむかし、わたしがまだ血気盛んな高校生だったころ、その事件は起きました。

県下有数の進学校だったわたしの母校には毎日電車で通学していました。まだJRが国鉄だったころのお話です。寒い冬の日、コートの襟を立てて改札を出ようとしたら、駅員が改札に出てきていません。駅舎の窓の向こう側に居て、窓を開けずに座っています。ストーブから離れようとせず、同僚と談笑なんかしています。寒いからサボっているのです。切符の人は勝手にそこに置いて出ていく。定期券の人間は皆律儀に定期を見せていますが、でもヌクヌクの部屋の中にいるオヤジたちは相変わらず偉そうにしています。

カチン・スイッチが入ったわたしは、出しかけた定期券をまたポケットに戻しました。そのまま窓の向こうのオヤジを睨みつけて改札を抜けようとしたら、「コラ!」と血相を変えて国鉄のオヤジが追いかけてきました。「あんた、仕事もしないで偉そうにストーブにあたってたやないか!」と口ごたえしたら、定期券を取り上げられました。日頃の行いの良いわたしは「おまえ、いい加減にしとけよ」と笑われながら昼間には担任から定期券を返してもらったわけですが・・・わたしの憤りは結局ちっともおさまりませんでした。なんでみんなもっと怒らないの?あいつら客のおかげで生活できているのに、平気でサボってるんだよ!

今なら投書のひとつで平謝りだし、ブログやツイッターで一気に広がるし、あのころの親方日の丸さんはみんな偉そうだったなあと、逆に懐かしくなんかあったりします。

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警察官の勘

日本の警察はとても優秀で、特に長年の勘は、隠れた犯罪者を見逃しはしない、ということをよく番組でやっています。

あれを見る度に思い出すのは、遠いむかし、友人と大学受験のために上京したときのことです。渋谷駅の近くのビジネスホテルに数日泊まっていました。一日目の夜、ちょっとコーヒーでも飲みに行こうかと二人で近くの喫茶店に出かけたとき、店を出ようとしたら警邏中のおまわりさんに職務質問を受けました。

「君たち、何しているの?」・・・何しているもなにも、今喫茶店から出てきたことくらい見てたでしょうが!と思いながら、
「ちょっとお茶を飲みに」と答えると、
「実はさっきその近くで強盗騒ぎがあったんだけど何か見なかった?」
「いや、ずっと店の中に居たので知りません」
「ちょっと詳しく聞きたいことがあるので交番まで来てくれないかな」・・・ん?何か雲行きがおかしいぞ。
「僕ら何か疑われているんですか?本当にずっとあそこにいたんですよ」
「いやいや、そんなわけじゃないから。東京で何しているの?」
「大学受験です」
「どこからきたの?」
「九州からです」
「そりゃ、大変だね。そんなに時間は取らせないから。ごめんね、忙しいのに・・・」

どうも、交番で、被害者の女性を面通しするために連れて行かれたらしいことは、無事に解放されてからわかりました。「おまえらの目は節穴か!そんなことじゃ犯人なんか捕まらないよ!」・・・二人で怒りにまかせてそんな会話をしてホテルに戻りました。これで試験に落ちたら責任とるんかな!なんて、恨んでみたりして。それ以降、街中でジャージ・トレーナー姿で歩くのを止めました。

わたしにはこんな経験があるので、警察官の勘なんて絶対信用しません。たまに選び抜かれた人間が居る、それは別に警察の世界に限ったことではありませんから。

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シミ

「あらあ、知らない間にシミができたんだなあ。」

ある保健師さんと話をしていて、ふと彼女の顔のシミを見つけてしまいました。若いお嬢さんにとっては美容の大敵”シミとしわ”・・・きっとそれなりに気にしているだろうなと思ったので、いつもは平気で口に出してしまうわたしもさすがに胸の内で思うだけにしておきました。

わたしも顔のシミが出始めたときとても気になりました。もう20年くらい前のことです。気になり始めると、毎日鏡を見る度にホッペのシミが目に入り、ちょっと大きくなった?とか濃くなった?とか、そんな自己評価ばかりして一喜一憂していました。男は女性のように化粧で隠すわけではありませんから、皮膚科でレーザー治療でもしてもらおうかと真剣に考えたこともあります。

で、今はどうかというと、昔よりはるかにシミは増えましたし、くだんのシミは比較にならないほどデカくなりました。でも、昔ほどは気になりません。不思議なことに、鏡を見てもそのでっかいシミが目に入りません。見えているのに見えないもの・・・「お前の目は節穴か!」と云いますが、世の中、節穴であってこその人生、見えていても脳細胞がスルーするからこそ人間は平穏に生きていけるってこと、段々悟ってきたりして・・・(地デジ対応2008.1.3)。まあ、シミなんかの場合は、アンチエイジングの心を持ってシミ消ししたい!と頑張る気持ちがあるかどうかが、枯れるか若返るかの境目だから、もっと悪あがきしなけりゃいけないのだろうけれど。

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ことばの泉が枯れかかるとき

このブログの記事一覧にはまだ10個近い題名だけの空記事が並んでいます。「これを書こう」と思いついたらとりあえず題名や少しの要点をメモしておくわけです。ネタ帳のその前のメモ。このブログを始めたころ、お題さえあれば文章を書きあげるのに30分もかかりませんでしたから、毎日チョチョンのチョン♪でした。

でも最近頓(とみ)に遅筆です。イメージは湧くのですが、ことばが何も湧いてこないのです。よほど書きたいことがあやふやでない限り、わたしの頭の中にあることばの泉から勝手にことばが湧き出ていたのはつい数年前のことでしたが、その泉が枯れかかっています。この場で一番ふさわしいことばを引っ張り出そうと必死になればなるほど、泉はどんどん枯れていき、とりあえず代用品でその場を凌(しの)ぐしかありません。そんなことなら書かない方がマシだ!と思いながら後回し後回しにしている題材が、このストックの記事一覧です。

枯れかかった泉をまた満たすためには、無理して絞り出さずに、もっと本を読んで癒すことだとわかっているのです。でもやっぱり今日もこんな感じで強引に記事にしてしまうわけであります。ブログホリック?

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医者のつぶやき(後)

(前)からつづき

わたしの推測では、説明した先生は彼女がここまで心配するような内容は語ってないのではないかと思います(少なくとも自分の意志として相手がそんな深刻に受け止めたとは思ってないのではないか)。どう見てもそんなデータではないし、もともとそんなことを語るほどの検査はしていないのだから。でもきっと彼が小さくつぶやいた何かが、彼女に誤解をもたらしたに違いないと思うのです・・・あくまでも推測ですが。

医者って、意外に独り言が多いんです。「あれ?」「ま、いいか!」「なるほど」・・・「え、何のこと?」と云いたくなるような思わせぶりなことを云います。でも独り言は独り言です。単なる接頭語や接尾語だと思って、無視してやってください。「そんなこと云っても目の前で医者がいうことばは重いのだから、心配になるじゃないですか。わたしには内緒にしてるけど本当は重症だったりしてって思って当然でしょ!」。ごもっともです。医者が悪い。でも、不安はわかりますけど、無理です。彼らは変わりません。独り言なんですから。医者とはそんな人種です。だから直接自分に云ってないことは無視してください。もっとも、一番厄介なのは、独り言のようなつぶやきのようなしゃべり方で説明をしてくれるお医者さん。マスクなんかしてたりすると尚一層どっちなのかわかりません。わからないから無視していたら「こないだ説明したではないか!」と云われたり・・・すみません、変な奴ばっかりなんです。

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医者のつぶやき(前)

「先日特定健診を受けたら、説明してくれた医者が『これは心不全だ』とか『心臓肥大だろう』とか云うので怖くなりました。『腎臓も悪くなっている』っていうので慌ててドックを申し込みました」 ・・・先日うちの心臓ドックを受けに来た初老の女性は、開口一番、不安気にそんな受診動機を語ってくれました。

特定健診では心機能検査は行いません(安静時心電図は情報がないに等しく)から、きっとその先生は「あなたは心不全になっていますよ」という云い方はしてないのではないか(その場にいたわけではないのでわかりませんが)。問診に父が弁膜症だったとか心臓で亡くなったとか書いてあったからそれに対して独り言を云っただけではないか、と勘ぐりました。熊本市は過剰なくらいにeGFRを厳しく説明し、今にも腎不全だ透析だ的な脅し方をします。それはそれで問題なのですが、そんな状況を考慮しても『腎臓が悪い』データではなく、いわゆる”年齢相応”よりむしろ若いくらいで、大したことはありません。

「夜に趣味で踊りのけいこをしています。これやめた方がいいですか?」と不安気な彼女に、すべての検査を終えてからこう伝えました。「何の制限も要りません。翌朝に疲れが残るようなら少し軽くしてほしいですが、そうでなければもっと楽しんでください。少なくとも心不全や腎不全はありませんから安心してください」。

(後)につづく

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やせていなくても

「うちは『もったいないから作らない』という家ですから、『おかわり!』と云ったら『ない』って云われます。だからもうあきらめました。おかずは宅食の会社から送られた材料で作る料理だからほんの少ししかありません。それでも、それはそれで楽しいですよ。まあ作りすぎないようにしながらいろいろ試行錯誤してみてください。」

妙齢の女性の健診結果説明は、例によってわたしの決まり文句の台詞で、和気あいあいと終ろうとしていました。「まあ、『好きなものほど少なく作った方がおいしい』ということをやっと悟るようになりましたよ。目の前のものが少ないと嫌でもよく噛みますし、かえって味を味わえておいしいんです」・・・そういいながら立ち上がったとき、その女性がにこやかに受け答えしながら一言云いました。

「でも、先生はやせておられませんね!」

・・・くう~、そのことばに一瞬口をつむんだわたしが次に発したことばは、「最近太ってきたんですよ。それもここ数か月のことです」・・・診察室のドアを開けお互いに微笑みながら別れましたが、自分のドギマギした気持ちが落ち着くにつれて、後悔の念ばかりになってきました。どうしてあんな意味のない答え方をしたのだろう?

「やせてはいませんけど、別に太ってもいませんよ。こういう生活をしていると勝手にちょうど良いところで落ち着くものなんです。あまり気張らずにがんばってください!」と、こう格好良くいなすことが何故できなかったのか・・・。あ~自己嫌悪。

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専門なんだから

わたしは高血圧症の内服治療を6、7年前くらいから始めていますが、最近若干コントロールが良くない気がします。先日来話題にしている動脈の石灰化所見や体重の再増加やそれに伴う高LDLコレステロール血症やも考慮したうえで、今の治療で良いものか、あるいは投薬内容を再検討した方が良いものかと悩んでいるところです。

実は、こういうときの最大の悩みはその指示を出してくれる医者が居ないということです。健診現場のドクターに聞いても「先生は専門なんだから、自分でわかるでしょ」とつれない返事。臨床現場にいる元同僚たちも今は皆偉くなって忙しそう。廊下で会ったときに何気に話してみても、「先生、自分で勝手に処方したらいいですよ」と来る。でも、わたしの臨床医としての知識は外来業務を卒業した10年前からまったく進んでいませんから、専門でもなんでもないのです。「今や循環器は雑学の部類です」と人に云って廻っているわたしです。でもそれでもやっぱり、「あなたは循環器専門の医者」というレッテルは剥がしてはもらえないのです。

やっぱり正式に、主治医を探そうかしら。それもうちの病院ではないところに。身内だと何かと気を遣われて(診察の融通を利かせたり、などなど)面倒くさいから。うちで受診者の方に紹介している先生方の中で、評判がよくで自宅に近いクリニックといえば・・・?

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いよいよ二重構造開始

いよいよ4月から一斉にヘモグロビン(Hb)A1cの表記が国際標準値表記(NGSP値)に変わります。一見、二重支配から解放されるかのように見えて、実はより一層複雑な構造になります。

普通に、突然数値が0.3~0..5%跳ね上がるのにも驚きますが、そんなことよりも多くの健診機関はあと1年間は今のままJDS値表記が続きますから、かけ離れた数字がお互いにまことしやかに横行することになるのです。何よりも大変なのは、おそらくその事実を、患者さんだけでなく多くの臨床現場の医者たちは知らないであろうということです。4月からNGSP値に変わることくらいは風のうわさで聞いていても、「健診の結果表は変わらない」なんて、絶対知らないだろうから、「この健診機関はまだ昔のままJDSを使ってる。いい加減な施設だ!」とか無意味な誤解をされるかもしれません。少なくとも、わたしたち健診機関で働くスタッフはこの事実をきちんと知っておきましょう。

●2012年4月1日以降、HbA1cの表記はNGSP値表記をする(JDS値は参考として併記可)
●健診は2013年3月31日までは今まで通りJDS値のみ表記

    NGSP値(%)=1.02×JDS値(%)+0.25

JDS(%)<5.0     →NGSP値(%)=JDS値(%)+0.3(%)
5.0≦JDS(%)<10.0 →NGSP値(%)=JDS値(%)+0.4(%)
10.0<JDS(%)    
→NGSP値(%)=JDS値(%)+0.5(%)
 

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健康意識が過剰?

職場で、月に一回、土曜日の午後を使って職種にとらわれない勉強会をしています。勉強をしたい人だけが集まる勉強会。

昨日は管理栄養士さんの担当でした。「糖や脂肪は減らした方が良いけれどタンパク質は取れば取るほどいいと云われている。でも腎臓を考えたらタンパク質もほどほどに」とわたしはいつも説明してきましたが、「腎臓のことを考えるとタンパク質は控えた方がよく、タンパクを控えすぎると筋肉を分解しはじめるので、糖や脂肪を増やさないといけない」という。こっちを立てればあっちが立たず、か・・・やっぱ、栄養学はむずかしいです。

ひとつ気になったことがあります。「年齢別脂肪エネルギー比率」のグラフをみると、年齢が下がるほど比率が高くなります。その傾向はほとんど直線的です。<日本人の食事摂取基準>によると、脂肪エネルギー比率の基準は18~29歳が20%以上30%未満、30歳以上では20%以上25%未満ですが、適正な量を摂取している人は各年齢層ともに4人に1人程度に過ぎず、管理栄養士さんは20代、30代の脂肪の取りすぎを強調しました。でも、わたしは別のことが気になりました。50代以上の方々は高齢になればなるほど摂取比率20%未満の人が直線的に多くなっています。適正比率は「20%以上25%未満」なのですから、つまりこれは脂肪摂取量が少なすぎる人が歳を取れば取るほど多くなるっていうことです。

お年寄りほど脂肪が好きでないというのは分かりますが、もしや年齢が上がれば上がるほど健康意識が強く、”健康のため”にあえて脂肪分を少なくするように気を付けているのだとすると、それは”過ぎたるは及ばざるがごとし”で、本末転倒なこと。そっちの方をもっと強調してあげた方がいいのではありますまいか?・・・いかがでしょう。

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