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2012年5月

運動は健康にいいのか?

いつも忙しく走り回っていた会社社長のIさん。運動なんかしている時間がもったいない。食事に時間をかけているヒマはない。健診なんて受けなくてもわたしはこんなに元気だ!と云っていた彼が、あるとき人間ドックを受けたのをきっかけに『健康』に目覚めました。運動は「時間がないからできない」のではなく「自分で時間を作ればいつでもできる」と言い、「まずは野菜から」などと口走り始めました。おかげで1年後の健診結果は見違える変化を示しました。相変わらずの忙しさの中で「健康を維持するために自分を変えるのは楽しい」と云っていたのに、彼はある日突然亡くなりました。原因はわかりませんでしたが、彼に関わったすべての人がショックを受けました

健診で高血圧と脂質異常症がみつかってうちのフィットネス施設に通うようになった更年期前のKさん。口数少なく、スタッフともあまり会話を交わすことのない彼女でしたが、運動など縁もなかった生活から一変して黙々とまじめにがんばった甲斐あって、3ヶ月後の検査でデータの改善がみられました。ところが、そんな彼女が、ある日の夕方に脳卒中を起こして緊急入院しました。運動から帰ってきてから「今日は少しきつい」と言って横になったまま動けなくなったのだそうです。わたしたちは病室に見舞いに行きました。付き添いの娘さんが、「最近は運動に行くのをいつも楽しみにしていたのに」と残念そうに語ってくれました。

わたしの心の中に小さな疑問と葛藤があります。「運動は本当にからだに良いのだろうか?」・・・もともと運動すると酸化ストレスである活性酸素が産生されることはわかっています。だから運動のやりすぎは逆効果であるといわれています。もしかしたら、彼らが健康に目覚めなかったら、運動もせずにぐうたらしていたら、データの改善はなかったかもしれないけれど倒れることはなかったのではないか、という葛藤です。3~6ヶ月ごとにメディカルチェックを受け、運動前後の血圧チェックや準備運動を欠かさず、運動処方自体の内容も強いものではありませんでしたから、もちろんこの結末と運動の是非をつなげて考えるのは本末転倒です。でも、少なくとも「健康のために運動をする」という行為が危険性もはらんでいることをいつも意識しておかねばならないと思います。

・・・〆切が迫られている原稿、こんな書き出しでどうかしら。

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「治す方法を教えてください」

「ずっと脇腹に違和感があるので、近くの内科に行っていろいろ調べてもらったのですが特に異常はない、と云うのです。でもその後も違和感が続くので、全身を詳しく検査するために人間ドックを受けました。」

診断が不満というより不安で、原因究明のために人間ドックを予約する人は少なくありませんが、きっと期待したような答えは返ってきません。「検査した項目については特に問題はありませんでした。心配いらないと思いますので、しばらく経過観察してみてください」・・・健診の医者や保健師はきっとそう説明します。

「症状があるのだから原因があるはず(わたしはこの症状の原因を知りたいのよ)」と思っているあなたは、合点がいきません。違和感があるのだからカラダから何らかの警告を出しているのは確かだ!どうしたら良いのだろうか?あなたは、さらにドクターショッピングするか、悶々と悩むことになります。

これは「原因がわかれば解決する」と思い込んでいることに根本的な問題があるのだと思います。つまり、「原因を究明してほしいからここを受診しました。原因は何ですか?」と聞くから「特にはっきりした原因はないようです」としか答えてもらえないのです。だったら、初めから「この症状を治す方法を教えてください」とだけ云うことです。あなたが受診した理由ははっきりしています。原因を知りたいのではなくて今の症状から解放されたいのです。最初からそこのところだけを要求してください。間違っても、「とりあえず様子見ましょう」なんていう逃げ口上を相手に云わせないだけの迫力をもって迫ってみてください。

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待たせる秘訣

  Satisfaction(満足)=Perception(経験)-Expectation(期待)

2週間近く前の日経メディカルオンラインで、渡瀬剛人先生の「ER医のMBA奮闘記」なる連載エッセイが面白かったのでご紹介します。(2012.5.16 患者を上手に待たせる秘訣をディズニーランドに学ぶ)

病院や健診で、常にクレームのダントツ一位を占めるのが待ち時間の不満です。待ち時間がストレスになっているかどうかは、そのままその他の出来事(トラブル)を気にせずに流せるか、怒りを爆発させるかの重大な基本要素です。たしかに食事やトイレもがまんして一生懸命働いているのに、スタッフ全員で頭をひねって可能な限りの工夫を凝らすのにアンケートに「待ち時間が長い」と書かれ、それがきっかけで何でも不満に感じられてしまう。どうすりゃいいんだよ!と陰でグチを云う・・・そんな現実の中でディズニーランド・・・絶対的に待ち時間が長いのに、帰ってから待ち時間の話題になることなどほとんどないディズニーランド、たしかに学ぶことが多い。

冒頭に書いたMaisterの方程式。満足度を上げる方法は、経験(サービス内容)を改善するか、初めから期待を下げておくか・・・なるほど、そらそうだ。

<Maisterの8つの法則>
1)何もしていない時間は長く感じる
2)人はとにかく何かにとりかかりたい
3)不安があると、待ち時間は長く感じる
4)待ち時間がどれくらいか分からないと、長く感じる
5)理由もなく待ちたくない
6)不平等な待ち時間は長く感じる
7)価値あるものに対する待ち時間には寛容になれる
8)独りの待ち時間は長く感じる

本文を読んでみると納得のことばかりです。ただ、「やっているつもりなんだけどなあ」と思うことも少なくなく、『満足度向上』とはなかなかの難攻不落の牙城~一筋縄ではいかないことを痛感させられます。

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肺がんCT検診

第19回日本CT検診学会の記事をMedical Tribune 2012.5.17号で読みました。低線量CTによる肺がん検診は、2010.11にアメリカで有効性を証明する成績が報告され、それまでの逆風から一気に市民権を得たことを知りました。

今回の学会で、日立製作所日立総合病院のデータから、低線量CT検診で50~79歳の全国対照肺がん標準化死亡比が、開始から5~10年経過した時点で20%以上低下したことが示されたそうですが、これにはとても大きな意義があります。「肺CT検査でどんな小さながんが見つかったとしても、その後に胸部レントゲン検査でがんを見つけられてから治療を始めた人と生命予後には有意差がなく、被ばく量が多い分だけCT検査のデメリットが大きいことを受診者にはきちんと説明しなさい」・・・ずっと厚労省からはそう指導されてきて、その後に修正のお達しが正式にあったとは聞いておりません。そんな中で、日本人のデータとして明らかに死亡率が低下したというデータが正式に出たことが重要なのです。なお、肺CT検査でがんが見つかった人のうち、喫煙者の5年生存率はやはり非喫煙者より有意に低いこともわかりました。たとえ毎年肺CT検査を受けていたとしても、喫煙の代わりにはならない(検査をすれば喫煙をしていても大丈夫ということはない)ということが示されたことも大きいです。

非喫煙者の低線量CT検査の意義も重要です。欧米では喫煙者にしかこの検査が薦められていないという記事を読んで、目を疑いました。喫煙者がこの検査をしたところで、肺がん予防にはなりません。今なくても1年後に生きているかどうかの保証はないのですから。わたしは肺気腫の評価以外に喫煙者がこの検査を受ける意義は低い、と主張してきました。むしろ非喫煙者に増えている腺がんの発見こそが重要なのです。腺がんは進行が遅いから1年に1回の検査で十分に完治治療ができるからです。ですから、非喫煙者にも積極的にこの検査をしている日本で非喫煙者にも有意義な検査であることを証明しなければならない使命がある、という金沢医科大の佐川教授の意見に賛成です。

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サルコペニア対策

かなり以前にここに書いたことのあるサルコペニア(筋肉減少症)。その後、意外に世間に浸透しませんでしたが、高齢化社会の中で、健康長寿を考えるときには避けて通れない、かなり重要な問題です。Medical Tribune 2012.5.17の第27回日本静脈経腸栄養学会の報告記事を読みながら、サルコペニアのことを考えてみました。

日本人のサルコペニア有病率は65~70歳で13~24%、80歳以上で50%以上。有病者850万人。65歳以上の3人に一人はサルコペニアである。そんなことを書いてありました。サルコペニア発症の原因は、基本的には加齢(加齢による筋肉減少は30歳から始まる)ですが、それに活動量の低下や低栄養などが加わって発症するわけです。この記事にも書かれているように、高齢者は噛む力が落ちるので食べる量が減り、腸の消化吸収の低下や運動量の低下で低栄養となり、低栄養からさらに活動量の低下がサルコペニアの発症、増悪をもたらしやすくなります。さらにサルコペニアにより転んだりつまずいたりして骨折→寝たきりの構図が考えられます。

ただ、この記事を読みながらすぐに思ったことは、ほとんど同じメカニズムで今の若者たちにそのまま当てはまるのではないかということです。子どものころから家の中でゴロゴロし、痩せてもいないのにダイエットのためにほとんど何も食べないかファストフードや菓子のバカ食いと徹底した偏食ぶり。それを黙認する母親(というか、すでに母親が偏食だから嫌いなものを買って料理するはずもない)。「老化」ということばでカモフラージュされていますが、サルコペニアの真の予防は、子どものころからの栄養管理や生活面の介入に尽きるのではないでしょうか。

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自分で決めたこと

絶対ムリ!と思ってましたが、週二日の休肝日に慣れるのは意外に簡単でした。仕事から帰って冷蔵庫を開けてビールが並んでいるのを眺めながら、その横にある綾鷹のペットボトルを取り出すときにはちょっとだけ葛藤がありますが、これを飲んだら妻に何か云われるなと思うと踏みとどまれます。もっとも、妻が出かけているときに飲んで気付かれないように缶を処理することは簡単なことですが、意外にそんな気にはなりません。

『自分で決めたことだから』・・・これ意外に効きます。オレって大人だな、と思います。単純すぎる暗示ですが、どんな言い訳をしても、なんか自分が負けた気がして、自分で自分を見張っている感じです。以前、糖尿病患者さんに対する「エンパワーメント」という方法を教わったことがあります。治療の方法を患者さん自身で決めてもらい、それを遂行するのを見守って後押しする方法です。今の自分のトライは、それを決めるのも実行するのを後押しするのもどっちも自分ですが、それでもうまくいくものだということが実感できました。絶対ムリ!は世の中にはあまり多くないことも分かりました。是非みなさんも、何か試しにやってみてください。

いろんな思いを振り切って、お茶さえ飲み始めてしまえばもう普通です。え、何ですって?だったらやめられるんじゃないかって? あま~い!

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腹感学

耐糖能異常やメタボについて書かれた指導書やハウツー本を読むと、『いかに満腹にならないようにしながら食欲をごまかすか』・・・良く噛んだり食物繊維を摂ると空腹感をごまかせるとか、あるいはバランス良く食べることが大事とか・・・という記載ばかりが目につきます。

どうも自分の感覚とのギャップが大きくなるばかりです。いつも食べてばかりいて、健康優良児と云う名の名誉ある肥満児時代を経験し、その後も目の前のものをバキューム食いする快感に浸ってきた人生なので、その気持ちは分からないでもないのだけれど、体重が10kgとか15kgとか減ったり増えたりする中で、食欲をコントロールしたことも、食事をがまんするダイエットをしたという感覚も、実はわたしにはほとんどありませんでした。

『満腹感』は”腹を満杯にさせること”ではなく、”腹を満足させること”です。それがいつの間にか”満足させる=満杯にさせる”なのだと、世間のみなさんが勝手に混同してしまって、結果として満たされない日々を悶々としています。世間さまが『腹八分目』と云っているのは実は『腹十分目』で、『腹いっぱい』は『腹二十分目』ですものね、とはなしたところで大部分は苦笑いされるばかり。『空腹感』を一日一回きちんと経験したとき、すべて一旦リセットできる清々しさを、どうやったら皆さんに感じてもらえるのでしょうか。

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「年寄りばかりですね。」

ある若い保健師さんが云うんです。

「なんか最近受診する人はお年寄りばかりですよね。こんな歳になって運動とか節制とか無理してしなくてもいいんじゃないんですか?」

おいおい、ちょっと乱暴な云い方じゃございませんか?70歳を年寄り扱いするのは、相手に失礼だと思いますよ。たしかに政治的な区分では65歳以上は「高齢者」なのですが、突然高齢者になるわけではなく、高齢者になるまで密室に閉じ込められていたのが突然動き始めるわけではないのです。20歳が30歳になり、40歳、50歳、60歳という年月の連続の先に70歳があるのですよ。自分のことを考えても、今の暦年齢がいくつであれ、「自分は30歳のころから比べるとほんのちょっと歳を取ったかもしれないな」くらいに思っています。特に10年来の付き合いで初めからフィットネスジムで頑張ってきていた方に対してそんなことを云われると、「ちょっと違うんじゃないかな」とムキになってしまいます。

ま、70歳といえば、私にとっては自分の親の年齢よりかなり若い世代なのに、彼女たちにとっては祖父母の年齢層なわけで、”もの凄く年寄り”と感じるのは無理もないのかもしれません。

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全勝優勝

「あとどれだけ勝ったら、あの黒星が白に変わるの?」

子どものころ、大相撲放送を見ながら、父にそんなことを聞いたことがあります。

「黒は白にはならんわ。」・・・父は事もなげに笑ってそう答えました。
「そんなのおかしい!だって、それができんと、全勝優勝できんやないね!」
「全勝優勝は全勝やないとイカンのやけん、負けたら全勝優勝にはならんやろ」
「なんで?一回失敗したら、もう許してもらえないの?」

子どもだったからだとはいえ、何とも理不尽な質問をしていたものです。大鵬や玉の海といったかつての名横綱は本当に強く、負ける姿をほとんど見ませんでした。子ども心に『全勝優勝』が彼らの宿命だと思っていました。だから1敗してしまったらそれは取り返しのつかない一大事だけれど、そのあと何回か勝ちを続けておけばじわーっと黒が白に変わっていって、全勝優勝することもあり得る・・・その方法が彼らにはあるんだ、それが横綱というものだ、と本当に信じていたのです。一回付いた傷も、真面目に反省して更正し続けたら消すことができるのだと。

そうか、一回負けたら、もう全勝優勝はないのか・・・そのことを知ったとき、とっても寂しい気持ちになったこと、何故だか急に思い出しました。

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糖負荷試験の誤解

糖負荷試験は、一定量の糖(=ブドウ糖)を飲んで、直後からの血糖(およびインスリン)の上昇する程度と時間経過を調べる検査で、これによって糖尿病の気があるかどうかが判定できます。日本の場合、昔は50gブドウ糖が使われていましたが、体格が大きくなったために現代は欧米と同じく75gブドウ糖が使われています。

人間ドックの場合、宿泊ドックでは75gブドウ糖負荷試験を行うのが一般的ですが、この負荷試験マニアの方がおられます。少しでも糖代謝異常が認められると糖尿病になるまで(なってからも)受け続けなければならないと思い込んでいるヒト、生活療法を頑張って改善してきたはずだから糖負荷試験をしてそれを確認してもらいたいと考えるヒト・・・どこかでだれかがそんな間違った入れ知恵をしたのでしょうか。

糖負荷試験は糖代謝異常の体質があるか、今糖代謝異常になりつつあるかを診断するための検査です。だから検査して自分が境界型糖尿病(糖代謝異常)や糖尿病パターンだとわかったらもう負荷試験をする必要はありません。糖尿病に準じた治療(食事・運動・タバコ・ストレス)を自分で始めればいいだけのことです。あとは食後の血糖やヘモグロビンA1c測定で十分です。日ごろの食事の取り方に注意して食後高血糖にならないように努力したら、負荷後1時間の血糖上昇が改善できるわけではありません。それは単に体質の有無を示すための負荷試験なのですから。がんばってるのに正常パターンにならないのはなぜ?とムダに悩むくらいなら、負荷試験自体を受けない方が身のためです。

ただし、若いときに正常パターンだった方は要注意です。正常パターン=今後糖尿病にならない、という意味ではありませんから。

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運動指導

毎月開催している土曜勉強会、今月は「運動禁忌と適応について」を行いました。

生活習慣病やメタボがあると、「まず運動しましょう」と指導しがちですし、当事者も「よし、今日から運動しよう」と思いがちですが、これはナンセンスです。健康に目覚めて急に運動し始めたおかげで脳卒中になったり突然死をしてしまった人、あるいは膝関節や股関節を痛めて前より動けなくなってしまった人をわたしたちは何人も経験しています。先日来うちの施設で行っている高齢者のメディカルチェックでは、「わたしは元気」と主張しているのに運動禁忌の病気がたくさん隠れていることがわかりました。

健康運動に対して、わたしたち指導者が最優先すべきは安全性です。QOLを侵しながら運動をして自己満足してもなんの意味もありません。ですから「この条件の人は運動をしてはならない」=運動禁忌の基準が設けられているわけですが、特に高血圧症や糖尿病を指摘された方が一念発起して運動を始めるときには注意が必要です。まずすべきは食事療法であったり薬剤治療であったりするのに、多くの人は、何よりもまず「運動不足が原因だ」と思い込んでしまいがちだからです。

後半は運動指導士さんに病気別の効果的な運動の仕方を具体的に解説してもらいました。高血圧症の人には中等度・長時間の運動でまず有酸素運動をしてから下肢レジスタンス運動(筋トレ)をするのが効果的ですが、糖尿病の人には中等度・短時間の運動でレジスタンス運動をしてから有酸素運動に移るのが効果的なのだそうです。ただ闇雲に何でもかんでも「運動!運動!」と騒ぎ立てているのでは意味がないことを学びました。

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消毒オヤジ

ワンズの散歩の途中、いつも家の前に強烈な消毒薬の臭いを漂わせている家があります。「家の前で糞をさせるな!」と怒りの張り紙・・・明らかに散歩するイヌたちの排泄物の臭いを消毒するためであることが分かります。

先日、その家の前を通ったら、大量の毛虫の糞が落ちていました。向かい側の神社の大きな木に付いた毛虫が出したものです。「イヌの糞は毛嫌いするのに毛虫はどうして気にならないのかしら?」と、ちょっと皮肉を込めて妻が云いました。たしかに毛虫には飼い主がいないから「糞をするな!」という文字は無意味だけれど、神社の木に直接殺虫剤をかければ簡単に退治できるはずなのです。

「きっと気にならないんだと思うよ」・・・わたしはそう思いました。結局彼は、別に家の前の糞が汚くてイヤなわけではなく、イヌの飼い主の無責任な行動が許せないだけなのだから、これ見よがしに臭い消毒薬をまき散らすことでやり場のない怒りを主張しているのです。「あ、わたしは良識に反することをしでかしました。ごめんなさい」と、イヌの散歩をさせているすべての飼い主に云わせたいのでしょう。ちょっと大人げない気もするけれど、排泄物の後始末すらしないで放ったらかして行くバカ飼い主が居る以上、わからないでもありません。

ただ、このままでは、この家のご主人はきっと一生ココロ穏やかにはなれません。バカ野郎はただのバカ野郎のままでしょうし、わたしたち良識ある飼い主たちは「ここのオヤジは意地悪オヤジだから」と小声でつぶやきながら足早に通り過ぎるのです。絶対彼の思うようには展開しないはず。彼が報われる、何かいい方法はありますまいか。

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母と息子

今思うと、母と息子が親子として生きた年月は何年あったのだろう。

暦の上でわたしが母の息子として生きたのは25年間でしたが、高校を卒業した後は家を離れて他の県で過ごしました。夏休みや春休みもだんだん帰らなくなり、帰っても友人と遊んでばかりでした。親と過ごす時間より、恋人や仲間と一緒にいる時間の方がはるかに大切だと思っていました。

お互いにもっと時間があると思っていたのです。そんなに突然存在を消すなどとは思ってもみなかったのです。だからそれを親不孝だとも思わなかったけれど、母親としては、きっと寂しかったことでしょう。大学時代に一度だけ下宿に泊まりに来たことがありました。演劇部の公演の日、あなたが舞台に立つ姿が想像つかないから一度それを見てみたいと云い出して。公演の後は打ち上げでしたから、母を残してわたしは夜遅くまで飲んでから帰りました。結局ほとんどはなしはしませんでした。数日後に母から手紙が届きました。「あなたが一生懸命演じている姿を見てほほえましく思いましたが、わたしにはあの演劇自体のおもしろさはよくわかりませんでした。・・・部屋の中に男性雑誌(GOROやプレイボーイ)が何冊もあるのを見てドキドキしましたがあなたもちゃんとした大人だから当たり前ですね・・・」そんな内容だったと思います。

母親から手紙をもらうのは初めてでした。まるで恋人に出す手紙のようなそんな文面に顔が火照ったのを覚えています。あの日、母は本当はもっと親子の会話を、というか最愛の恋人である息子とのデートをもっと楽しみたかったのではないか・・・今になってやっとそんなことに気づきました。離れたままに病気になり、月に1回程度の病院の付き添いをするにとどまりましたが、わたしが帰ってくる日をとてもうれしそうに待っていたと、後で従姉から教えてもらいました。こっぱずかしかったけど、もっと母との時間を作ってあげればよかった。

母親は息子にとっては最初の恋人。息子は母親にとって一生の恋人・・・。

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命日

大好きなわたしの自慢のが亡くなったのは昭和58年の今日。あの日から29年目を迎えました。今年は父が亡くなって10年目でもあります。早いもので、私も、いつの間にか母が亡くなった歳に近づいてきました。

母は、父が教頭に昇格するのを機に、定年までに数年残して教職から退きました。これから好きなことをするし、旅行もするし、悠々自適に生きていくんだ!と云っていましたが、辞めてから3年後に居なくなりました。息子が医師国家試験に合格する1年前でした。長女の初めての子が生を受けるのと入れ替わる形でした。

そういえば、ここ5年くらいは母がまったく夢に出てきません。今、一生懸命に母の顔を思い出そうとしてみましたが、思い出せません。出てくるのはアルバムに写った写真の中の顔ばかりです。どうしたのだろう。いつの間にか動いている母の姿がわたしの記憶の中からすっぱり消え去っているのです。

居なくなっちゃったな・・・初めてそう思いました。今日ぐらいは仏壇の位牌を父のより前に出しておこうと思います。

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二日酔いの経済的損失

飲み過ぎ・二日酔いによる経済的損失額、年間1兆1515億円以上?

5月14日の@niftyビジネスにあったこの記事がfacebookに出ていて、不覚にもつい読んでしまいました。2012年4月11日に、二日酔いになったことのある20―60歳代の男女を対象にインターネットで実施して得られた300人からの回答を分析したものです。「・・・二日酔いによって翌日の仕事の能率が下がると感じている人は90%。普段に比べ「1―4割下がる」という人が43%で最も多く、「4―7割下がる」が31%だった。また65%の人が、酒を飲んだ際10回に1回以上の割合で翌日に影響が出るほどの二日酔いになったと感じている。・・・」 ん~、あまり二日酔いになったことがないからよくわからないけど(はい、ウソです)、その通りですね、はい。

「酔ったせいで現金などの貴重品を含む所有物を盗難もしくは紛失・破損した経験がある人は22%。1回当たりの損失額は平均6万961円。半数以上の人が10万円以上、5%の人は50万円以上の所有物を紛失したことがあるという。」 ん~、物壊したり、盗まれたりしたことはないですね。

「二日酔いになるほど酒を飲んだ際、意に沿わない出費をしている人は35%。1回当たりの平均出費金額は8433円。1回に5万1000円以上意に沿わない出費をしている人もいるという。」 そうだよね。つい部下におごってしまうよね。

「なお、「二度とお酒を飲まないと誓ったことがありますか」という質問に対して、「はい」と答えた人は39%と少なめ。また9%の人は10回以上誓っているがこちらも実効性は疑問だ。いずれにせよ半数以上の人が、二日酔いによる損失を自覚していながら酒はやめられないと考えている。」 当たり前だ~い!

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オブラート

「先生はこんな受診者に対して、どんな云い方で行動変容を勧めますか?あんまり上から目線で『こうしなさい!』って云ってもいけないし、かといってさりげなく伝えようとしても分かってもらえないような気がするし・・・。」

先日、スタッフのドクターからそんな質問を受けました。

「わたしはオブラートに物を包んだような云い方はしません。素直にストレートに『あなたの場合はまず○○をするのが一番重要だと思います』と伝えます」と答えました。

ここにも何度か書いてきた(「以心伝心」)ように、”行間を読む”という”粋”の世界は、俳人か文化人の道楽です。オブラートに包めば包むほど中身は食ってみないと分からなくなります。いや、食ってもなんだか分からないこともあります。オブラートに包めば、その時点で自分の伝えたいことは半分も伝わらない、と心得ています。だから、腕のいい和菓子職人でないわたしは、できるだけオブラートには包まないように心掛けています。

「オブラート」は苦かったり辛かったりしてそのままでは食べづらいものを食べやすくするために存在します。ということは、工夫して中味をもっと食べやすいものに変えてあげればオブラートなど必要なくなりはしませんか? 「あなたは今すぐこうすべきです。死んでもしりませんよ!」と云わなければいけないと思っているからオブラートが必要になるわけで、「今の状態はかなり厳しいですが、これやあれを今から始めると何とかなると思います。今が勝負だから今日から頑張ってみませんか?」と云えば、(実行するかしないかは別として)むしろ邪魔なものがない分素材をかみしめることができます。

ただし、ストレートな伝え方は、お節介ではない情熱に加えてちょっとしたスキルが必要です。そこはやっぱりマニュアルにはなり得ない”経験値”なのでしょうか。

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改行

先日、知人のブログで、改行するのしないのと小揉めしていたのを見ながら、また不愉快なことを思い出してしまいました。

ブログはいい、ただの日記だから。Facebookだろうとラブレターだろうと好きに書けばいい。ただ公の文書とは一線を画してほしい。日本語文法は、改行は意味のまとまりが変わるときにするもの=段落分け、と決まっているのだから。単に「読みやすいから」なんて理由でできるほどいい加減な作法ではないのだから。

約1年前、スタッフのチーフが文書を持ってやってきました。受診者から、クレームの回答をきちんと正式な文書で返すように云われたのだそうで、その内容確認のためでした。その文書を読み始めて、あまりに無意味な改行が繰り返されているのが気になりました。「どうしてこんなところで改行しているの?」と聞いたら、「見やすくするためです。長々と文字が詰め込まれていると不愉快になって読む気にならないだろうと思って。そんなところはどうでもいいんです。内容を確認してください!」・・・おかげさまで、プッチンと切れたわたしは、何も読まずにハンコを押しました。

その受診者と同じように頑固で偏屈なオヤジであるわたしがもしこの文書をもらったら、おそらく数行読んで捨てます。あまりに相手をバカにしてるから。この文書が送られてきたということは上層部まで目を通された正式な文書なわけで、とういことはこの組織は結局こんないい加減な組織なんだな、と結論付けることになります。偏屈オヤジを甘く見ないでもらいたい。というか、日本語を甘く見ないでもらいたい。時代がどう変わって行こうとも、わたしは改行にだけは妥協をしないつもりでいます。

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体内時計.jp

体内時計の乱れが現代人の病気の根源に影響を与えている・・・<体内時計とメラトニン>についてはわたしもむかしコラムに書いたことがあります。

武田薬品から患者さん向けのweb site『体内時計.jp』が開設されたという情報をいただきました。「現代型不眠と体内時計について考える。」と銘打ったこのサイト、少し期待しています。不眠や睡眠障害は現代社会の大きな問題なのですが、妙に軽く考え勝ちです。日本人はどこか「寝る」という行為を軽く見ている気がします。「戦国時代の武将や世に名を馳せた勇者は寝なかった」とまで云われ、安穏と寝ること=怠惰、という空気がむかしから漂っている気がします。”単なる寝不足”と片付けてしまい勝ちですが、うつ病や生活習慣病やがんや、そんな病気に直結すること、そして何よりも生物にとって睡眠は生きていく上で最重要項目であることを忘れてはなりますまい。それを修復するカギが体内時計。

是非、不眠で悩んでいるひとも寝すぎて悩んでいるひとも、一度は足を運んでみてください。ここに掲げてあった<体内時計を整える12カ条>をちょっと書き写してみます。( )内は私自身の評価・・・なかなか理想には程遠いです。

第1条 朝起きたらカーテンを開け、日光を取り入れましょう。(○)
第2条 休日の起床時刻は平日と2時間以上ズレないようにしましょう。(○)
第3条 1日の活動は朝食から始めましょう。(×)
第4条 昼寝をするなら、午後3時までの20~30分以内にしましょう。(△)
第5条 軽い運動習慣を身につけましょう。(○)
第6条 お茶やコーヒーは就寝4時間前までにしましょう。(×)
第7条 就寝2時間前までに食事を済ませましょう。(○)
第8条 タバコは就寝1時間前にはやめましょう。(-)
第9条 就寝1~2時間前に、ぬるめのお風呂に入りましょう。(△)
第10条 部屋の照明は明るすぎないようにしましょう。(○)
第11条 寝酒はやめましょう。(○)
第12条 就寝前のパソコン、テレビ、携帯電話やテレビゲームは避けましょう。(×)

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興味がない

毎日のように医療情報が入ってきます。電子メールでもダイレクトメールでもfacebookでも、いろいろな形の情報が向こうからやってきます。おかげさまで、このブログのネタが切れそうになるときの場つなぎに使うには格好のプチ情報もいただけます。

溢れるような情報のすべてに目を通す能力はわたしにはございませんので、仕事に役立ちそうな予防医療の情報や浦島太郎状態になってきている循環器畑の情報などを中心に眺めています。正直なところあまり興味のない内容がほとんど。それでも、「健診の仕事は雑学が一番! 受診者の知っている情報はわずかでも知っておかないと」という使命感で読んできました。そうすべきだ、と自分を鼓舞しながら。 ・・・が、「興味のないことはどれだけ読んでもアタマに入ってこない」という事実に最近やっと気づき始めました。他の人が薦めていたり褒めていたりするから勇んで読んでみる。何度も同じところで躓(つまず)く。何度読み直しても字面ばかり追って中身が入ってこない。せめてこのブログネタにしようと必死で読んでまとめてみたところで、アップした翌日には忘れている。

文章が下手なのかもしれないしわたしに読解能力がないのかもしれないけれど、たぶん、根本的に興味がないからだと思います。「興味は自ら作り出すものだ」と人生の成功者の多くが語るので、それこそが哲学だと信じてきましたが、「興味のないものは、ない!」が真理・・・これからは興味のあることだけに深く目を向けようかと思い始めました。興味がないと思っていたのに後で興味が湧いてくるものはある。そういうものは放ったらかしておいてもどうせそのうち改めて自分からやってくるから、そのときに拾ってあげれば、きっとノープロブレムだ!

ということで、今後、興味のないものに興味のあるフリは、しませーん!

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やんちゃ

「やんちゃ」ということばの使い方が少しおかしくなってきていて、ちょっと好きではありません。

世間では何でも「やんちゃ」で済まそうとします。やんちゃ坊主の「やんちゃ」は本来「子どもがいたずらやわがままで大人の云うことを効かないこと」という意味ですから、云うならば「いたずらっこ」です。でも、普通世間一般で「昔はやんちゃだった」と云えば、盗む、ケンカする、犯す、ヤクをやる・・・何でもやったぜ!みたいなバリバリの不良青年だったことを指すわけです。最近急に世間のみんなが「やんちゃ」を好んで使うようになりました。「昔は札付きの不良だった」と云っていたのを「やんちゃが過ぎたね」と云います。きっと、「若いころは見栄や虚勢を張って”子ども”だったから、いわゆる”若気の至り”ってやつだから、かわいいものよ」というニュアンスを醸し出す単語として選ばれたことばなのだと思います。優しさに包まれたことばで、最近は有名なタレントや俳優などでも当の本人が「オレは昔はそうとうやんちゃだったから」なんて使い方をします。

ふざけんじゃねえぞ! お前が単なる”若気の至り”で、人生の成長の過程だったとしても、そんなこと他人に何の関係がある?理由もなく殴られて後遺症を残した人や、無理やり押し倒されて強姦された女性や、そういう人たちの存在を、これ幸いにとこころの片隅に追いやって、「オレ、やんちゃだったから」と照れ笑いする連中を見てると虫唾が走る。「やんちゃ」ということばは、優しく見守ってやろうとする周りの人間が使うことばであって、間違っても当の本人が使うことばなんかじゃない! ・・・若気の至りで取り返しのつかないことをしたことを悔い、人生をその償いに費やしている若者が居ます。世間がその努力を認めても、本人は決してその姿勢を崩そうとしません。そんな人間は、自分のことを「やんちゃ」などと絶対に云わないだろうと思います。

いかんいかん。ココロを落ち着かせなければまた持病の高血圧が・・・。

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女性は運動不足?

アメリカのお話ですが、「女性は1日の運動時間が男性よりも少ないから肥満やメタボの危険性が高い」という研究結果が発表されたそうです。

なぜ女性は男性より運動量が少ないのか?男性が車に乗りデスクワークして帰ってきて酒飲んでゴロゴロしているのに対して主婦は子供さんの送り迎えや家事や買い物やと思いのほか動き回っているのではないかと思っていたので、とても意外な結果でした。この研究をしたPaul Loprinzi氏らによると「運動や身体活動に関する生活習慣は5~6歳の幼年期に作られる可能性があり、女の子は静かにおしとやかに過ごすように両親がしつけているのも原因ではないか?幼年期に身に付いた生活習慣は成人してからも続くのだ」と語っているのですが、いかがなものでしょうか?たしかに運動嫌いなひとは子供のころから嫌いでいつも家で本を読んだりゲームをしたりして過ごしていたというのは聞きます。運動が嫌いだから家にいたのか、家にいたから運動嫌いになったのかはわかりませんが・・・。

そう考えると、男女を問わず子供のころからゲームやインターネットに興じ、皮膚がんの元になるからといって外に出してもらえない現代の子どもたちは、当然大人になっても運動なんかしない、というかかったるいので動くこと自体をせず、その結果カラダがどんどん退化していって、昔よく漫画に描かれていた「未来人」に”進化”していくことも、まんざら的外れではないなと思います。

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健康リテラシー

「今、ちまたには『リテラシー』という言葉が氾濫しています。」ということばをインターネットで見つけ、健康情報サイトで「健康リテラシー」という見出しをチラッと見ましたが、『リテラシー』って何? わたしの周辺の巷(ちまた)では特別流行っているようにも氾濫しているようにも見えないのだけれど・・・。

Literacyは「文字を読み書きできること=識字」が本来の意味。転じて「何らかの表現されたものを、適切に理解・解釈し、分析し、また記述・表現する能力(Wikipedia)」とか「 読み書き能力。また、与えられた材料から必要な情報を引き出し、活用する能力。応用力。(Yahoo辞書)」とか解説されていまして、本来の意味で使うときは「識字」で、転じた意味のときは「リテラシー」を使う習慣らしい。つまり知識として理解できているだけでなく、それをうまく応用して活用できる能力のことを云うのだろうことがわかりました。こうやって「リテラシー」の意味が分かったぞと書き並べるだけではなく、実際にこれを使って他人と会話できる能力のことですね。

で、『健康リテラシー』です。これを「妙な健康食品やダイエット本に引っかからないための常識のこと」と書かれていましたが、それは違うんじゃないかしら?

最近やっと「ポゼッション」ということばをサッカーから学んだばかり。それを考えるとこのことば、わたしのアタマの中に定着できる自信はありません。でも、ちょうど1年前の学会で初めて「サーチュイン」という単語を知ったと思ったら一気に知名度が上がって今や世の常識になりましたから、わたしの目に「リテラシー」が留まったということは・・・。

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「由緒正しいサバイバル家系」

一週間前に公開された連載記事。第7話め(かな)

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由緒正しいサバイバル家系

あの人と同じものを食べているのに、なんでわたしだけ太るの? あの人よりやせているのにどうしてわたしは血圧が高いの? ・・・自分の周りを眺めてため息ばかりついている皆さん、あきらめてください。あなたは、たくましく生き延びてきた由緒正しいサバイバル一族の末裔なのですから。

●『生活習慣病』は遺伝病(体質病)

生活習慣病は、『成人病』といっていたもののうち、『外部環境要因』と『遺伝要因』と『生活習慣要因』の3つが揃ったときに発症するものの総称であることを今一度思い出してください。けがや感染症やストレスなどの外部環境要因と、体質や家族歴などの遺伝要因はなかなか自分では変えられないけれど、生活習慣は変えられる。生活習慣を変えれば発症しないのであれば、どれ、いっちょ、がんばって変えてみようかい!というのが生活習慣病の考え方です。

これを別の視点から言い直すと、「生活習慣病は遺伝病である」ということになります。遺伝要因、つまり生まれつきの体質を持つ人が不適切な生活習慣を繰り返すと起きるのが生活習慣病です。もとにそういう体質がない人はそう簡単には発症しないのに、その体質があれば簡単に生活習慣病になります。これはもう『体質』なのですから、運命だと思って、今世の修行だと思って、がんばるしかありません。隣のオヤジは毒食ってゴロゴロしてもどうもないのに、自分は紳士淑女たる人生を送るしかない。“水を飲んでも太れる”体質の人、わずかな糖分でちゃんと血糖値を引き上げられる体質の人、塩分を取らなくても血圧を維持できる体質の人、みんな立派なサバイバル体質であり、ご先祖様から引き継いだ財産です。こんな人はほんのちょっと乱れた生活を送るとてきめんに肥満になったり、糖尿病になったり、高血圧になったりするわけですが、言い換えれば、うまくやれば一番健康的な人生を送れる人たちでもあります。

●『体質』を生活に活かす

病気になるために生まれてきた人などいません。「病気にならないためには節制しなければならない」などという、“まず戒律ありき”のようなチャチな仕組みになっているはずがありません。人体は、自らが安全に生きながらえ、種の保存に一番適している仕組みになるように改造を繰り返しながら進化してきました。長くて厳しい飢餓の歴史を生き延び、内陸部の塩分の少ない環境下でもくたばらないように自らを変化させて乗り越えてきました。だから、肥満や糖尿病や高血圧の人は“選び抜かれた人”であり、世が世なら一番理想的な人生を送れたはずの人です。

初めから自分の体質がわかっているのはラッキーなことです。「どうして自分だけ?」と悲観せず、自分の体質に合った環境を整えるのが得策です。運動も食事も毎日繰り返すことですから、『治療』だと思うと憂鬱になります。せっかくのサバイバル体質を逆手にとって、人生を楽しまない手はありません。下記のような点に留意して『体質』を早い時期からうまく生活に活かしてほしいと思います。

1)自分の体質を知って先手を打つ→発症するはるか前から、いとこや叔父叔母など一族郎党のこれからの人生を観察し、自分がサバイバル家系の人間の可能性があるなら、若いうちから習慣を変えておきます。

2)自分にあれば子にもある、孫にもある、と考えて先手を打つ→大人になってから生活を変えるのは大変。初めからそれが当たり前といった気運を家庭に築きます。わが子、わが孫に毒を盛りませんように。

3)有り難い財産だと受け止め、ポジティブに生きる→こんなエコ体質はありません。あまり栄養バランスに気をとらわれ過ぎず、「食を楽しむ」習慣づくり、量より質を楽しめる絶好のチャンスです。

運命を受け入れることは大切なことですが大変なことでもあります。“紳士淑女”として、エレガントに生きるべく選ばれし皆さんに、幸あれ!

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認知機能低下

どうも、自分がそういう歳に近づいたせいか、『認知機能』ということばを見つけるとついチラ見をしてしまいます。

Medical Tribune 2012.4.26号に載っていたのは、「認知機能が45~49歳に始まる可能性」という見出し記事です。英国の公務員を対象にした研究結果だそうです(BMJ 2012:344)。まあ、簡単に云えば、「ボケは60歳よりもはるか前から始まるということが分かった」という報告です。そして、それを予防できるのは健康なライフスタイルしかない、と結論付けているようです。

実際、自分の生活を客観的に考えてみても、現代社会はアタマもカラダも使いません。使わなくて済むものは自ら意図しない限り絶対使いません。昔は覚えていた友人の電話番号や住所はみんな携帯が覚えてくれますから入力した時点で忘れます。今は名刺を写メするだけで登録してくれる機能もあります。計算も器械がしてくれます。買い物はインターネットでポチっとやれば向こうから持ってきてくれます。

以前、”脳トレ”がブームになったころ、夫婦で競うようにして毎日没頭しました。始めたころに暦年齢をはるかに超えた脳年齢が1か月後には20歳になりました。以前、漢字検定を受けようと毎日地道に漢字の練習をしました。文字がきれいになっただけでなく、とてもアタマが冴えて考えがまとまりやすく、毎日が充実していましたし、そのことが自信にもなっていました。「脳を使う」ということが如何に人間を若返らせて人生を豊かにさせるかを実際に経験したわたしは、今からまたあれをしたら当時ほどではないにしろまた若くなれるのではないか、と思います。でも、しない。実行スイッチを押すために立ち上がろうとしている自分を足元から引っ張っている自分もいる・・・面倒だもの。運動がそうであるように、中毒になればどうということはないけれど、意識しないうちに中毒になった(中毒と云うのは、普通、そうです)ら良いですが、中毒になろうとして中毒になるというのはこれが意外に大変なのです。そこには、かなり大きなエネルギーが必要です。

「歳とりたくないならがんばれ!」・・・そういうこっちゃ。

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傍若無人

ゴールデンウィークの真っ只中、晴天に恵まれた近所の公園をいつものように散歩していましたら、異様に目立つ一団を見つけました。どうもバーベキューをしているみたい。そう若いというほどでもないちょっと強面の父さんと幼い子どもたちといった感じの集団。大騒ぎしているわけでもないのだけれど・・・それを遠巻きに眺めながら通り去る常連のウオーカーたち・・・。

この公園はバーベキュー禁止なんです。この公園を使っている人たちはみんな知っています。なぜなら1時間に1回大きな放送が公園中に流れるからです。「・・・バーベキューなどの火を使った行為は、禁止です・・・」~わたしたちが散歩している最中にも流れましたから、彼らがそれを聞いてないはずはありません。完全なる確信犯です。きっとあんなこと云ってるけど係員が注意しに来なけりゃ大丈夫だよ、知りませんでしたって答えておけばいいんだから、的なノリでしょう。わたしを含めて誰も注意をしません。だって相手は酔っ払いの強面オヤジたち・・・ちょっと怖いんですもの。

「いい歳してどうしてあんな傍若無人なことが平気でできるんだろう」~隣で妻が口をとがらせていました。「黄色の追い越し禁止帯を若いころは平気で無視して追い越してただろ? でも、いつの間にか黄色のところでは追い越しなんかしなくなった。あれと同じだと思うよ。きっと、あの人たちもそのうち卒業するよ。不思議なもので、人間はあるとき突然”良識”が勝り始めるものさ。」~わたしはそう答えながら公園を後にしました。

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高齢者の認知機能は筋トレで改善する

軽度認知障害を持つ高齢者(70~80歳)女性を対象にした介入試験で、有酸素運動よりもレジスタンス運動(筋肉トレーニング)の方が認知機能の改善に寄与し、脳の可塑性に改善が見られた、という報告が先日のMTProに掲載されてました(カナダ、ブリティッシュコロンビア大学Lindsya S. Nagamatsu, Arch. Internal.Med 2012:172)。

レジスタンス運動(ウエイトトレーニング)群と有酸素運動(ウォーキング)群とバランストーン運動(ストレッチ&バランス訓練)群とで比べてみると、レジスタンス運動群で連想記憶能力が有意に改善したというのです。レジスタンス運動で関連記憶が改善し(関連記憶障害がアルツハイマー病初期の特質なのだとか)、同時にそれに関わる領域の血行動態活性に正の機能的変化が認められたそうですので、軽い認知障害が出始めたら積極的に筋トレをするのが良いみたいです。ちなみに、有酸素運動は、平衡性や運動性、心血管能力の改善が有意だったそうです。

もっとも、各運動のコンプライアンスが54~60%しかなかったそうですから、面倒臭がるのを無理矢理に引っ張り出して運動させること自体が重要なのかもしれません。ただボーっと歩くよりは筋肉に力を入れさせる方が楽しいし、興奮しますものね。

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メディカルチェック

うちの施設では、近くのスポーツ施設を利用している方々に希望があればメディカルチェックを行う仕組みがあります。最近、65歳以上の高齢者に対するメディカルチェックを25名ほど行いました。日頃からスポーツ施設で積極的に運動に取り組んでいる方々ばかりです。

ところが、メディカルチェックをやってみたらとんでもない結果が続々と出てきて驚きました。ひとりは、受診時の血圧が180/110mmHgで負荷試験自体を受けられませんでした。もちろん負荷試験そのものはこの血圧でも禁忌ではありませんが、運動前の血圧が高すぎればその時点で運動は禁忌です。「いつも運動後は低いんだ」と主張していたそうですが、運動前の血圧をまず下げる必要があります。運動中には必ず上昇するからです。その他にも、内臓脂肪量をみるために腹部CTを撮ったら異常に大きな動脈瘤が発見されたり、本人はまったく気づかないうちに心電図が心房細動になっていたり、運動負荷をしたら重篤な不整脈が頻発したりする人も・・・皆さん、毎日運動に励んでいる方々ばかりなのです。

高齢者の運動志向は今が旬です。自覚症状が何もなく、がんばって元気な人生を送るぞ!と思っているのかもしれませんが、思いのほか体内に大きな異常が潜んでいることがわかりました。知ってしまうことが良いことかどうかはわかりません(今回の結果でスポーツ施設が運動自体を許可しないかもしれません)が、やはり安心して運動に取り組むためにも、ぜひメディカルチェックを受けてほしいと思いました。

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ダイエット

妻が何度目かのダイエットを始めました。

「突然1kgも太ったのよ。もうダメ!」・・・そう云いながら始めました。

「わたし、甘えてた。言い訳ばかりしてた。今、正直に云います。お昼に食パンを三枚も食べてました。いつも散歩を2往復もしているんだからと言い訳してお菓子を食べていました。それ、やめます!」

良いことだと思います。でも、彼女の悲壮な顔をみるのはちょっと辛いです。いや、そりゃお腹がすごく出たと思いますよ。前にそんなお腹になったときにうちのフィットネスジムでがんばって引っ込めた、あのときと同じくらい出たかな。でも、全体としてはそんなもんだと思うよ。糖尿病家系の宿命だからね。糖尿病のスイッチと、更年期のスイッチと、一緒に入ったんじゃないかね。だから、以前ほどやせないと思うよ。

「ソフトクリームおいしそう」とか、「ダメダメ、ここでこれを食べるから太るのよね」とか、抑圧的なやり方、あなたには向かないと思うよ。うまくいってもいかなくても、その悲壮な額のシワが消えないんだったらやらない方がいいんじゃないのかなー。

わたしも一緒に付き合っているから、わたし的にはちょっとだけ期待しています♪

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名前

「なぞなぞです。自分のものなのに他人の方がたくさん使うものは、なに?」・・・先日、運転中に聴いていたラジオ放送で流れてきたCMの一部です。

答えは『名前』・・・なるほどな、署名したり自己紹介したりするときより他人から呼ばれることの方が多いのが『名前』。お父さんやお母さんがいろいろな願いを込めて、わくわくしながら付けた『名前』。あれやこれやと名前を考え、意味を語り、ああだこうだと話し合っているときのご両親の顔は絶対ににこにこしていたはず。

残念ながら、我が家ではそんな光景をリアルには経験することができなかったけれど、でも本当は二人で名前を考えたことがあります。家を建てて子供部屋を作ったとき、あるいは1回目の妊娠がわかったとき・・・「ボクは『風太』がいいな」「何それ?わたしなら『彩花』かな」・・・結局どっちも使えなかったけれど、楽しいときでした。

名前は記号ではない。番号と同じにしないでほしい。読み間違えのないように、またコンピュータ管理のためにカタカナ表記だったりローマ字表記だったりが多くなりました。せっかくご両親の想いが込められた名前なのに、何かその価値を失っていくような気がします。だからせめて、できるだけ多くの人に声に出して名前を呼んでもらってほしいと思います。そのためには、たくさんの友人を作って、お互いにいつも名前を呼び合う仲間に囲まれて生活できるように、と願います。

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外食

某人気アーチストのラジオ番組で、『昭和の日』にちなんで家族で外食した思い出の話題が出ていました。

「家族で外食」って、今はごく当たり前のことなのでしょうね。家族みんなで近くのファミレスに行くとか、誕生祝いに焼肉屋に行くとか・・・。そんな記憶、わたしにはまったくありません。お寿司を出前でとったことは何度かありましたけど・・・。我が家は父と母と姉とばあちゃんの5人家族でした。わたしが幼稚園に上がる前、家族みんなで宮崎に日帰り旅行したことがあります。あのときにはサボテン公園で何かを食べた記憶がありますが、あれは旅行だからな。

家族というくくりを考えると、結局自分の人生の想いになります。わたしが高校を卒業して福岡の予備校に行ったころから、結局我が家に家族全員が揃うことはほとんどなくなりました。わたしが大学生のときに姉が三重に嫁ぎ、大学を卒業する前の年に母が逝きました。今、子どものいない我が家では、夫婦2人、年老いた義母以外に”家族”はなく、「家族みんなで・・・」などという言葉の響きを使うことは、これからの人生の中にはなさそうだと思うと、ちょっとだけ寂しくなりました。

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語録

大学のクラブの後輩が、facebookに刹那刹那につぶやく言葉がとても深いので、勝手にメモってきました。皆さんにも読んでいただきたいのでまとめて紹介します。

「向かい風を追い風に変える方法は、自分が180度方向転換すればいいのよ。勇気がいるけどね。」

「長続きさせるコツはね、真剣になりすぎないこと。あの人、ほんといいかげんなんだからと言われることを心底楽しむこと。」

「頑張ろうとか努力しますという言葉の中には、まだ迷いがあるから、やっぱり腹をくくろう。」

「楽しくないことはやらないよ。これからは、ワクワクドキドキすることだけをやるんだ!」

「めを閉じて、窓から流れてくる春風をしずかにしずかに感じていたら・・・確実に寝てしまう。」

「これがないとダメとか、こうしなきゃダメという、なんとなく決めてしまっている暗黙のルールを取っ払ってみよう。必ず、新しい発見があるに違いない。」

「敗けを認めないと前には進めません。」

「一生懸命さは大切だけど、それに振り回されないこと。」

「追い風にのろう。。。」

「完璧を目指すよりまず終わらせろ-Done is better than perfect- はい。終わってないことがたくさんあります・・・」

「結局のところ『できるかできないか』ではなくて『すきかきらいか、やりたいかやりたくないか』なんだと思う。」

「物事は予定通りに進んで当たり前。予定通りに進まない時はビッグチャンスの到来だー!と心底思えたら、人生は最高に楽しい。」

「生理学的に、やる気っていうのは、やり始めないと起こらないらしい。ということは、やる気がないから何もしないんじゃなくて、何もしないからやる気がでないんだねー。」

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