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2012年6月

何か気分が悪い(前)

2週間ほど前、わたしが産業医をしている某企業の職員さんが急逝しました。61歳でした。高血圧と脂質異常の治療をきちんと受けていた彼は、その日まで特段の不調を訴えることもなく、定期的にやっていた同期会(定年まで勤めた前の会社の同期が集まって毎月親睦宴会を開いていたそうです)に出席しました。いつものように楽しい宴を終えての帰り、電車から自宅の妻に電話をします。「何かちょっと気分が悪いから車で迎えに来てくれ」~自宅近くの駅に迎えに来た奥さんが彼を車に乗せ、5分ほどで着く自宅に到着したとき、彼の心臓は止まっていました。奥さんは救急車を呼ぶと同時にすぐに心肺蘇生を行いましたが、結局意識が戻ることはありませんでした。葬儀の会場では、その日の同期会の最後に皆で撮った記念写真の楽しげな彼の姿が遺影になっていたそうです。彼は、ちょうど1週間前にたまたまうちで定期健診を受けていました。とても良く管理されていました。異常な値や検査結果は見当たりませんでした。日ごろから快活な彼とは、何度かお話をしたことがありました。

おそらく彼は急性心筋梗塞になったのだろうと推測できます。心筋梗塞による心筋破裂、あるいは不整脈発作、これが急性心筋梗塞の急性期死因の大部分です。「何か気分が悪い」・・・これがなかなか厄介なのです。世間で思われているほど典型的な”胸の痛み”で心筋梗塞が起きるとは限りません。「何かがいつもと違うのだけれど、これはきっと今夜ちょっと飲み過ぎたせいだろう、わたしも歳をとったものだ」と自分に云って聞かせながら、「何とか早く家に帰って横になろう。きっと明日の朝にはこの気分の悪さは消えているはずだ」・・・そういう形で心筋梗塞を発症することは珍しくありません。

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箱と魂

わたしのココロの中(アタマの中)にある魂としての自分。鏡に映っている”ワタシ”を包んでいる箱としての自分。この2つの自分が歳とともにずれてくるのは致し方のないこと。一致させる必要もないし、どっちが「真の自分」というものでもない。箱としての自分が徐々に劣化しても嘆くことはないけれど、魂の自分が若さを保っておければ、箱の自分はそう簡単には劣化しないものなのだそうです。

箱と魂・・・この組み合わせを「自分」と認識したときに物心がついたことになる。それが歳とともに徐々にずれ始めたとき、魂に比べて箱が先に劣化するのが普通で、「歳を取った」と実感して「焦り」を隠せません。さらに箱も劣化すると、それは良く云えば「達観」、でも実質は「老化」。もし魂が劣化して箱だけ若い人がいたら、それは初めから組み合わせのミスです。とりあえず神様にクレームは出しておきましょう。

で、今のわたしはまさしく「焦り」の時期・・・さて、この時に、わたしは何をすべきなのか?箱(みため)が先に劣化するはずだけれど、そのまま劣化をするにまかせていると、魂も必ず劣化します。みためを若くすると身も心も若返るということは実証データがたくさんあるのだそうです。だから、今はできるだけ悪あがきをするしかありません。 ただ・・・ここで最大の敵が近づいてきていることを知っています。それは「めんどうくさい」大魔王! こいつに勝つのは至難の業なので、こいつが忍び寄らないように、常に注意を怠ってはなりません。

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最近、鏡をみるのがちょっとイヤ・・・。

毎日わたしを映す自宅の洗面所の鏡はそうでもありません。あれは、少なくとも朝夕2回はわたしを映すので、ちゃんとわたしが気に入る(せめて妥協できる)姿に修正して(そう見えるように錯覚させて)くれるからです。洗面所が少し薄暗いのもいいのかもしれません。公共施設の鏡は、もともとリアルに映し出そうとしていないし、わたしも見ようと思っていないからOK。最大の敵は旅先の宿の鏡です。ホテルの嫌味のように煌々と明るい蛍光灯の灯りであり、温泉宿のやわらかい光の元での姿見であり・・・。

そこに映っているのはわたしじゃない! 少なくともわたしがアタマの中で認識しているわたしの姿ではないし、わたしに手懐けられている我が家の鏡に映る毎日のわたしの姿とは似ても似つかわないもの。「だれ、この人?」~目の前で目線を逸らさずにこっちをにらんでいる男の顔のシワ・シミを、あるいはプヨプヨのお腹を、わざわざわたしに見せようとする意味が分からない!あれは、宿に昔から住む妖怪かキツネの仕業だということを知っています。だから、あまりマジマジと見ていると、突然鏡の中に引き摺り込まれるんだ。くわばら、くわばら。

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梅雨は雨が降るもの。

今日は月に一度の有給休暇の日です。でも、例によって朝から雨。これからさらにまとまった雨になるかもしれない、との予報です。梅雨なのだからそれはそれで当たり前です。しかも、私の有給休暇の場合は、梅雨に限らずこういう形で楽しみにしていたゴルフが中止になることなど取り立てて珍しいことではありません。

ただ・・・昨日が思いがけず好天だったのです。ここのところ九州は本当に大雨だらけだったから、皆さんは「ありがたやありがたや」だったかもしれませんが、昨日が良い天気になってしまった。昨日がぐずついていたなら何も問題なかったのに、昨日は晴れたのです。一週間前の予報では昨日も雨だったのに・・・。今までの仕打ちは、前後が曇りか晴れなのに当日だけピンポイントの雨、それも大雨。ところが今回は、たまたまの晴天が一日前にずれてしまったパターン。 

・・・以前似たようなことを書きました(「順番」2008.1.8)が、今日のようなパターンはいつもより一層堪えます。自分だけが不幸になることより、自分に損はなくても、となりが幸運を得る方がはるかに恨めしいということ。

人間というものは厄介な生き物です。

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クレーマー扱い?

「先生、とても細かい質問でわたしでは太刀打ちできません。電話を代わってください」・・・電話相談担当の保健師さんがわたしに救いを求めてきました。

先日受けた健診結果で、眼底検査に「動脈壁反射亢進」という所見を初めて指摘された。これは光度計か何かで定量するのか?どういう意味なのか?どうして急に悪化したのか?何をしたら治るのか?といった類の質問でした。「健診当日から『事細かに質問するから説明時は要注意』と申し送られていたです」と。毎年きちんと健診を受ける方の中に(とくに男性に多い印象ですが)、ひとつひとつの軽度の所見の変化が気になって、それに囚われてしまって先に進めない人がいます。こういう方々は、納得がいくまで質問責めをするものだから、スタッフからは「クレーマー」と同じ扱いを受けることが多くなります。

電話を代わって、ゆっくりと所見の意味や対処の仕方を説明しました。こういう方は、ごまかさず納得のできる形の説明をすればきちんと理解していただけます。「かなり主観が入る判定なので今年急に出てきた所見ではありません。いわゆる『年齢相応』の動脈だということだと考えていいと思いますよ」と、最後の〆のつもりで総括しました。そうしたら、相手からは思いがけない返事が返ってきました。

「あの所見があったのでわたしは生活を見直しました。毎日カレーばかり食いよったんですよ。だからカレーは止めました。今は和食ばかりです。」
「じゃあ、あの眼底所見が生活を見直す良いきっかけになったのですね。」
「そうです、ありがとうございました。それを云いたくてですね」・・・彼はとてもうれしそうにそう話されて電話を切りました。

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逃げ口上

「法案には反対!と云わざるを得ません!」

「離党を選択せざるを得ません!」

なんとも混沌とした不穏な政治の話題の中、ニュースではいわゆる”造反議員”が地元に帰って大演説をかましていますが、皆が異口同音に叫んでいるこのことば尻が気になってしょうがありません。まるで、「わたしはしたくはないのですよ。したくはないけど、党が悪いから、やむを得ずするのです。わたしは全然悪くないし、わたしのせいではないのですよ」と、必死に言い訳している姿しか目に入りません。支持者の中には、おまえひとりの意見で勝手なことするなよ、というひとも少なくないからなのでしょうけど・・・。

なんか、大の大人がカッコ悪いなあ、と思ってしまいます。

「わたしは納得できないから反対しますし、離党しろというなら離党します。それだけの信念を持って抗議します。支持者のみなさん、申し訳ありません」で、良いじゃない? わざわざ”自主性のない自分”を強調する姿、みっともないと思うなあ。

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酒なら日本酒かワイン♪

第31回人間ドック健診認定医・専門医研修会に出席するために先週神戸に行きました。

「大腸ポリープは小さくても全部切除しないと危ないんですよ!」と力説する佐野寧先生のお話や、ミルクティを飲んでからエコーをすると膵臓が良く見えて膵臓がんを見つけるのに有用だという田中幸子先生のお話は、4mmφの大腸ポリープを複数抱えている上に膵のう胞を精査せず放ったらかしているわたしには重要なのかもしれませんが、実は一番最初の講義「生活習慣と認知機能」にわたしの興味は集中してしまいました。お話しいただいたのは国立長寿医療研究センターの下方浩史先生。高齢者において、さまざまな生活習慣と知能あるいは認知機能の関係を検討した結果です。

・タバコは、高齢になると言語性知能を明確に落とす
・アルコールは、醸造酒(日本酒とワイン)がIQも痴呆スクリーニング検査(MMSE)も有意に良くする
・余暇でも仕事でも、男性の場合は運動することでIQの改善がみられる
・睡眠時間は多くても少なくてもIQを上げない
・動脈硬化とIQは女性の場合有意な関連がある
・余暇活動のうち、「読書」は言語性知能も動作性知能も改善させるけれど、「スポーツ」は動作性知能しか改選しない
・ビタミンCを取ると知能が向上する
・大豆由来イソフラボンとDHAはたくさん取った方がIQが高い(ただしサプリメントではダメ)
・高齢者男性は家族や仕事に「生きがい」があれば知識量を保持し続けられる
・高齢者男性は新しい経験を楽しむ({開放性」)性格が強いと知識量を保持し続けられる
・高齢者で抑うつがあると、その後の4年で情報処理能力が低下する
・定年退職後にも働き続けると情報処理能力はむしろ向上する

ま、結局、お酒は日本酒とワインがボケないために一番良い!ということだけをインプットしました。

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愛あることば

愛あることばは、力を与えてくれるから好きです。『置かれた場所で咲きなさい』(渡辺和子、幻冬舎)からいくつか抜き取ってみます。

「私は、木を切るのに忙しくて、斧を見る暇がなかった」

「『ひま』とは『日間』と記す(「大言海」)。私たちの心が働くことでびっしり詰まっている時、そこには日の光が射し込む隙間がありません。忙しさは、字の示すように、心を亡ぼし、ゆとりを失わせる危険が伴います。」

「うばい合えば足らぬ。わけ合えばあまる」(相田みつを)

「渡辺さんは笑顔がすてきだよ」~何もできなくていい。ただ笑顔でいよう。笑顔でいると、不思議と何事もうまくいく。ほほえまれた相手も、自分も、心豊かになれるから。

”あなたが大切だ”と誰かにいってもらえるだけで、生きてゆける。

「心にポッカリ開いた穴から、これまで見えなかったものが見えてくる。」

老いることが 
こんなに美しいとは知らなかった
老いることは・・・・・・
しだれ柳のように
自然に頭のさがること・・・・・・ (坂村真民)

「毎日を『私の一番若い日』として輝いて生きる。」

「六十にならないと六十のことはわからないよ」

「校門を通る時、必ず帽子を取って守衛さんに、先生にするのと同じ態度であいさつしなさい。」~あいさつは「あなたは大切な人」と伝える最良の手段。
 

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置かれた場所

『置かれた場所で咲きなさい』(幻冬舎)・・・岡山のノートルダム清心学園理事長の渡辺和子さんの本をやっと読み終えることができました。

最近、こういう愛に満ちたことばの本を全く読まなくなった気がします。意図的ではないと思うけれど、おそらく心に余裕がなかったのでしょう。題名にもなった、シスター渡辺のいう「Bloom where God has planted you.」~「置かれたところで咲きなさい」「咲くということは、仕方がないと諦めるのではありません。それは自分が笑顔で幸せに生き、周囲の人々も幸せにすることによって、神があなたをここにお植えになったのは間違いでなかったと証明することなのです。」「置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです。」・・・ということばが気に入ったから買ったのだけれど、それよりももっと好きなことばをみつけました。

「咲けない日もあります。その時は、根を下へ下へと降ろしましょう。どうしても咲けない時もあります。雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。その代りに、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。」

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脳と睡眠

第21回日本脳ドック学会のイブニングセミナーで愛媛大学の岡靖哲先生のお話を聴くことができました。仕事としては、隣の会場の”心房細動の管理”を聴くべきだったのですが・・・。やはり、自分の興味がある話題はすんなりとアタマに入ってきます。この日唯一、うたた寝することなく話に聞き入ることができました。

以前、「体内時計(サーカデアンリズム)とメラトニン」の話はここにも書きましたが、睡眠のメカニズムにはこの機構と一緒に恒常性(ホメオスタシス)機構も働いています。これは、起きていると徐々に睡眠物質が溜まってきて眠くなるというものです。眠るとその物質は急速に減って、また覚醒する・・・だから夕方にうたた寝してしまうと夜になかなか眠くならない、というわけ。

メラトニンには睡眠の深さを調節するMT1受容体と睡眠の時相を前に動かすMT2受容体があるとか、高血圧や糖尿病は睡眠時間5時間以下になると一気に悪化する(わたしは危ない):睡眠時間を少なくする実験を4日間続けるだけで有意に耐糖能が低下する)とか、ナルコレプシー(過眠症)を起こすのは、視床下部から分泌されるハイポクレチンというホルモンの欠乏が原因だとか、レム睡眠行動障害(RBD)といって、怖い夢体験をしているときに実際に夢内容と一致した動きや言動をする病気があるとか、RBDとパーキンソン病との関連だとか・・・いやいやいや、みなさんは何のことか全然分からないでしょうが、何かとってもウキウキして、たくさんメモせずにはおれませんでした。

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「医療は闘い」

第21回日本脳ドック学会に初めて参加してきました。「総合健診医を作る」を目指そう、といううちの施設のミッションを遂行する作業のひとつです。残念ながら一日しか参加できませんでしたが、今まで全くもって縁のなかった世界ですので、他人の家の中を覗いたような面白い空気を感じてきました。

今回の学会長である広島大学の松本昌泰先生の会長講演を聴きました。

『医療は闘い』である。闘うためには大義名分が必要である。

『未破裂動脈瘤』ということばはよろしくない。『未』では「いつかは必ず破裂するはずだけどまだしてない」といっているようなものだ。『非破裂動脈瘤』ではいけないのだろうか?

講演内容はあまり覚えていないのだけれど、こんなことばが印象に残りました。

きっと、とても熱い先生なのでしょうね。

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マドリード

広島のホテルで、部屋飲みしながら原稿書きをしていたとき、点けていたテレビがあまり面白くなかったのでBSにチャンネルを替えてみましたが・・・。

「新日本風土記 京都 洛西 嵐電慕情」(NHK-BS)

「ホテル時間旅行 アルプスの絶景 ウィーン水物語」(BS日テレ)

「ヨーロッパ路地裏紀行 マドリード バルキージョ通り」(BS朝日)

「地球絶景旅行 原生の島 タスマニア/オーストラリア」(BS-TBS)

どうも、BSも視聴者を獲得する気がない時間帯のようだということがわかりました。朝や夕方のTVショッピング競演に匹敵するような、各局似たような番組のぶつけ合いです。

で、外国に何の興味もないわたしが選ぶ番組は当然「京都・・・」と思ったのですが、どこかココロが向きませんで、結局マドリードを選びました。どこも似たような風景と町並みに見えるのだけれど、なぜかあの日はマドリードの風景を見ていたかったわけです。どうしたんだろう?歳とともに、どこか味覚が変わってしまったように、いつの間にか肉より魚が好きになったように、京都の桜よりマドリードの石畳がココロを落ち着かせるようになった自分・・・どこか悪いのかしら?

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アンケート

今、わたしの手元に広島で泊まったホテルの総支配人宛のアンケート用紙があります。サービス業に携わる者として、可能な限りこの手のアンケートには気づいたことを細かく書いてあげたいと思い、持って帰った(郵送できるそうなので)のです。

朝食バイキングのレストランで始業時刻を過ぎてもオープンせず、5分以上遅れて案内の男性が来たときには10人以上が並んでいたのに、彼は詫びのひとつも云わなかったこと。部屋のアメニティがデザイン最優先で風呂や洗面所がとても使いにくいこと。禁煙ルームを希望したのに喫煙ルームだったことなどを書き並べてはみたのだけれど・・・これを読みながら必死に返事を考えている現場スタッフのことを想像したら、何か面倒くさくなってしまいました。うちのスタッフたちのアタフタする様子を思い浮かべればいいのでたやすく想像できるのです。

このいわゆるクレームを、宿を出る前に書いたときは怒りのはけ口でしかなく、文調もきびしく、少々皮肉も交えて(「お宅のスタッフの時計はみんな5分遅れているのかしら」みたいな)しまい勝ち。「あなた方のためよ」「もっと良いサービスをしてもらうために」などと大義名分を並べたところで受け取る側はそんなことを感じる余裕はなく、ただただクレーム処理に追われる。それもまた想像に難くありません。だからすぐに書かずに持って帰ったのですが・・・なんか、どうでもよくなってきました。別にわたしがこれから常宿として使うホテルでもないし、同じようなことを誰かが書くだろうし、そこまでエネルギーを費やしてまで意見してあげるほどのことでもないか。2日間とても気持ちよく安眠できたし駅直結で便利だったので総じて満足なのに、何かこのアンケートを出すことで全否定になるのも不本意。

たぶん、今日のブログネタになるだけで、このアンケート用紙はゴミ箱行きでしょう。

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学会出張をする

むかし、わたしの職場のボスが出張の度に張り裂けそうなくらいに書類を詰め込んだ重いかばんを抱えて行っていたのを思い出します。道中の飛行機の中やあるいは滞在先のホテルの中が一番集中して仕事ができるのだ、たまっている仕事を片付けるには出張中を使うのが一番効率的だ、と云ってました。たしかに日常ルーチンの忙しい仕事時間の中になかなかまとまった時間を作り出すのは難しいし、勤務時間が終わってから仕事をしようとすると職場にいる限り必ず誰かが何かの用事を持ってきます。

ということで、わたしも出張のときには溜めておいた仕事や読みたかった本を持っていくことにしているのですが・・・飛行機に乗って本を開いた瞬間に意識消失し、やさしい客室乗務員のお嬢さんに起こされてお茶を飲んだらまた意識消失。やっぱり仕事はホテルだな、と心を切りかえるのだけれど、部屋飲み用にコンビニで買ってきたビールを開けてしまったらもうどうでもよくなったりして・・・。ホテルの部屋はいけません。部屋の中心に大きなベッドがあり、誰に邪魔されることなくテレビも携帯もいじれます。「ま、いいか。今夜しなければいけないわけじゃなし」・・・かくして、何事もなかったかのように翌朝を迎えるのであります。このままでは筋力つけるためのただの鉄アレイ代わりにしかならないぞとちょっとだけ焦り、せいぜい、早めに着いた空港で帰りの便が出るまでの間に仕事の端をちょとだけ齧(かじ)るのが関の山。

いまだにボスの仕事整理術の域には到達できません。

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6月16日頃

広島へ出張する日の朝、仏壇に手を合わせながら漠然と位牌をながめていたら、「命日 平成14年6月16日」という字に目が留まりました。

そうか、なんとなく忘れていたけれど、16日は父の10回目の命日か、などと思いました。ここでも書いたことがありますが、正式には父の命日は「6月16日」ではありません。死亡診断書には「6月16日頃」と書かれています。少なくとも6月16日の夕方には近所を散歩していたそうですから、状況証拠からしても16日の深夜以降がXデーなのでしょう。母の命日「5月18日」と違って、父の命日「6月16日頃」は真実がはっきりしない分私の中でもつい記憶が曖昧になってしまいます。そして、経緯を説明するのも面倒なので、いつの間にか親族・家族の間でも「父の命日は6月16日」ということで意思統一してしまいました。

うちのご隠元さんが位牌に「頃」という字を入れなかったのは、果たして意図的なのかそれとも単なる彼のアバウトな性格な故か?などと、位牌を受け取ったときには思ったものです。どこか父の生きていた証の最後の区切りの一点の真実をいい加減に汚されたような気がしたから。でも、悠久の大宇宙の無限に広がる時空から考えたら、「頃」の有無などまったくもって取るに足りないものなのだろうな、と最近思うようになったわけであります。

ということで、旅先の広島のホテルから、静かに手を合わせることにします。asuka3hさんに教わった念仏を携帯から覗いて唱えながら 合掌。

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疎外感

日曜の夜、音もなく急にfacebookが使えなくなりました。他人の投稿は読めるし、他人はわたしの投稿に「いいね!」をしてくれるのに、わたしは何も書かせてもらえないだけでなく、「いいね!」を押しても無視されるのです。他人はできるのだからソフト側のトラブルではないし、スマートフォンを使ってもパソコンを使っても同じ結果だからハードのトラブルでもない。

アタマの中では「たぶん明日になったら元に戻る。なぜなら、ソフトでもハードでもないトラブルなのだし、他は動いているのだから」とは思っているのです。「今日は使うな!という神の思召しなのね」と自分を納得させようとも思うのです。でも、何というか、そんな理屈では抑えられないようなものすごい疎外感が津波のように押し寄せてきました。自分だけ無視されている。ちゃんとわたしは読んでる。読んでることを伝えたいのに術がない。「ボクもかてて!」と云いたいのに・・・。コミュニケーションの方法は他にもたくさんあるのにfacebookだけの小さなトラブルに「どうしてわたしだけ?」とすっかり囚われてしまうところは、「病んでるな」と感じました(もちろん今になっての客観的な意見ですけど)。世の老若男女が”○○依存症”になるの、何となく分かるような気がしました。

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とかいいながら

書き続けることにこだわっていることに意味があるのか、さすがに悩み始めたわけです。

ここのところルーチンワークが多くて時間が足りないとか、そのために夜にすぐに睡魔が襲ってくるとかの繰り返して、毎晩ぎりぎりで翌朝の分の記事を書き上げる日が続いておりました。作家もどきの火が付いた時にはパッパッパと5題くらいはまとめて書いていたこともありましたが、どうも作家の神様はわたしの体内から引越したみたいで、勘違いしていたわたしの凡才だけが右往左往しています。

手元にいくつも並べられた題名を眺めながら、大部分はfacebookでも十分語れる内容だしそっちの方がはるかに気楽ではないか、という思いもあり、これまでも何度も悩んだように、続けるために時間を無理にこしらえるだけの価値があるのか?という自問自答を繰り返してきました。本来の目的だった、エッセイやコラムの題材にすべき内容がひらめいたときだけここに書いたらいいんじゃないのか?とか、もうこのブログの役割を終えたからそろそろ一旦閉じた方が良いのじゃないか?とか。でも4年半も続けたのだからもったいないぞ、再開させるには異常にエネルギーが要るぞ!とか。 

はっはっは。今までで一番大人数のわたしのコダマたちがウジャウジャウジャウジャとうるさく論議しております。ただ、一日書かないことではっきりしたことがあります。書かなくなったらずっと書かないな、ということと、アタマを使わなくなったらずっと使わなくなるな、ということ。

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かんがえないこと

とにかく考えないこと。仕事から帰っても何も考えないことって、いつぶりだろう?

考えてみたら、暇があればいつもなにか文章を考えていたような気がします。ブログを続けるためのネタはないか、これをどんな文章にするか、気が付けばいつも考えていたから、何も考えないのがこんなに楽ちんなのかと気づいてしまったのは、大きい。

本当に、まるで作家さんの様に、ずーっと文章を考えていたんだなあ。えらいなあ。

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おやすみ

みなさま、おはようございます。

このブログを日々楽しみにしていただいているみなさまがおられましたら、大変申し訳ありません。諸事情により、数日ブログ更新をお休みさせていただきます。

今週1週間がみなさまにとって良い週でありますようにお祈りいたします。

では、次にお会いできるまでの間、みなさま、ごきげん宜しう! 

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謹呈

うちの施設で作っていた健康本(正式な題名は『健考本』)が出来上がって販売が開始されました。ちょっと小バカにしていましたが、うちの編集スタッフの並々ならぬ努力で思いの外良いものができあがったと思います。

そこでお世話になった上司や親しい友人に謹呈しようと数冊だけ自腹で買ったのですが、「謹呈」という書き込みをするかどうか悩んでいます。以前、わたしの恩師の書いた本が古本屋にありましたが、その本には「○○さんへ 謹呈 ××××」と書かれていました。その本がその古本屋に並んだのにはいろいろな事情があるのでしょうが、いずれにせよ、その本はただの本ではなく著者がある人に贈ったもので、それが捨てられて第三者の前にさらされていたのです。ああなったら、ちょっとイヤいやだなあ、と。

また、この本の著者の中のひとりが今後有名になったとしましょう。そのとき、この本にも価値が出るかもしれません。でも、その本にわたしの名前が書かれているとどうなるか?何も書かれていなければ価値があったのに、その”落書き”のせいでただの紙切れになるやもしれません。もちろんわたしが何らかの形で有名人になったらいいのでしょうけれど・・・犯罪者になるくらいしか手がありません。

とりあえず、本を入れる封筒と一緒に「謹呈」の短冊をもらいましたので、無難に、これに書いて渡しましょうか。

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批判のエネルギー

相変わらずの批判社会です。先日行われた某アイドルグループの一大イベントに対しても、世の有名な文化人やテレビコメンテーターがまあ待ってましたとばかりに公の場で批判コメントを発表し、そのイベントをNHKニュースが報道したことに対してまたまたブーイング。

まあ、平和だと云えば平和なのでしょうが、わたしたちがこんな個人的な日記にグチを書くのと違って、正式に電波に乗ってしまう批判を発するのはかなりのエネルギーが必要ですので、「偉いなあ」とは思います。まあ、世の中の出来事への”批判”をたくさん発するのはきっと自分の人生の不満のはけ口なのだろうと思っています。毎日が充実しているひとはあまり”批判”とかしない(というかそういうことに興味がない)ような気がしますから。ただ、そんなことをすることで実際に不満は解消されるのだろうかなあ?とも思いながら、彼らの文章を眺めています。読んでいる自分の立場として考えたとき、たとえその内容に賛同できたとしてもそれを読みながら「よくぞ云ってくれた!」と自分のココロが晴れやかになったことはほとんどありません。

最近、わたしの人生では”批判”をすることがほとんどなくなりました。人生が充実しているからではありません。なんか、他人さまのことまでいろいろ考えてあげるのが面倒くさいんです。やっぱり、批判をできるひとのエネルギーってすごいんだな、とつくづく感心する次第です。

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ちがうやろ!

「いやあ、『まちっとやせんといかん』って云われてしもうたわ!」

診察室を出ていくなり、一緒に来た同僚に大声で笑いながらそんなことを云っていたおやっさん・・・こら!そんなことひとことも云ってねえじゃろうが!とココロの中で突っ込みました。「要するにやせたらこのデータが全部良くなるんでしょ?」「いや、やり方が間違ってたらやせても返って悪化することはあるんですよ。だから、やせなくていいからもっと動いてくださいね」って云いましたよね、わたし・・・ま、いいか。何でもいいから、何か変えてくださいね。

今週も相変わらずイケズなわたしは、なんでも素直には認めない。

「やっぱり運動不足ですね」「いや、たぶん、食べすぎです」

「週に2回運動しているのになんでやせないのかな」「そんなの運動したうちには入りませんよ」

「夜は酒飲むから飯は食わないようにしてます」「酒飲まないで飯食うのが一番いいですね」

みなさん、何とか持論を認めてもらいたいのでしょうね。・・・だから、大人げないけれど、絶対認めてやらないんだ!

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笑う魚

月刊『たくさんのふしぎ』(福音館書店)の2012.7号は”ヒトスジギンポ 笑う魚”(吉野雄輔)。わたしの中学時代の同級生がfacebookに紹介してくれて、早速買ってみました。

「ヒトスジギンポはきょろりとした目で、カメラのほうをみつめました。こいつ、かわいいなあ。その愛らしい表情に、ぼくはひきつけられました。」

・・・いや、ほんとに良い写真ばっかりなんですよ!

「バクッ!
かみつくヒトスジギンポ。
でも、ヒトデはかみつかれてもへっちゃらのようです。なにごともなかったみたいに通りすぎていきました。ヒトスジギンポの顔の色は、真っ黒に変わりました。ぼくには、ヒトデをにらみつけているみたいに見えました。」

・・・ここのくだりが好きです。大きなヒトデに本当に必死に噛みついているんです。それがまた可愛くて・・・。

「ダイバーたちは『ヒトスジギンポは笑うんだよ』と言います。」

・・・笑ってるさ~。いい写真集だなあ。こんな表情をとるためにずっと水の中で観察を続けていた吉野さんってヒトの人柄もうかがえる本。

あ~全然語り尽くせない~!

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大将の舌

月曜の結婚記念日は、ワンズの散歩の後に近くの和風料理居酒屋のNさんに行きました。だご汁がおいしいことで有名な、オシドリ夫婦でやっている居酒屋さんです。わたしたち夫婦は年に2~3回くらい思い出したようにここに出掛けます。だご汁だけでなくきびなごのてんぷらや焼きなすなど、大将が作る料理はどれもとてもおいしいので、酒を飲まない妻と2人で行くときにはついここを選びます。

その帰りに、妻がつぶやきました。「なんか、味が濃いくなってなかった?」・・・そうです。わたしもそう思いました。ここの料理がおいしいと感じていたのはもっとあっさりした味だったからだと思います。でも、どの料理も濃いかったんです。わたしは酒のつまみだからいいけれど、こんなに濃い味だったっけ?と思いながら食べました。常連は気づかないかもしれない変化だけれど、たまにくる人間には意外に強く感じられることってあります。

大将の味覚が変わったのではないかと気になります。もしかして舌が鈍くなってきているのではないかしら?妙に心配になりました。人間の味覚が鈍麻する原因はたくさんあります。大病が隠れていることもあります。ただ徐々に変わっていくと意外に他人は気づかないもの。本人はもちろん気づかない・・・「大将、高血圧にならないかしら?」と妻が心配していましたが、たしかに。

「ちょっと味が濃いくなっていませんか?」・・・ここのおいしい味をいつまでも守るためにはそう忠告してあげるのが筋なのでしょうが・・・それほどは親しくないのですよね。

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「楽にしてください。」

「大きく息を吸って・・・・止めてください。 ・・・・楽にしてください。」

うちの病院のCT検査のときに、録音されたお嬢さんの声がそう云います。わたしも診察で心音を聴くときにも同じように「息を止めてください。・・・楽にしてください」とよく云います。

以前、ある男性からこのことばにクレームが付いたことがあります。
「いつまで息を止めていたらいいんか?」
「楽にしてください、と云ったら息をしてよかったんですよ」
「そんな説明は一回もなかった。それなら『息をはいてください』と云わなきゃわからんやないか、バカにしとるんか!」

こちらとしては「そんなこと、考えりゃわかるだろ!」と思いましたが、よく考えてみるとたしかにそのおじさんのクレームには一理あります。「楽にする」はあくまで楽にするだけのことであって、肩の力を抜くことと息をすることは別物です。それは決して屁理屈などではなく、マジメな人ほど、云われたことにきちんと守ろうとすればするほど、「息を止める」作業をやめていいのかどうか悩む方が本当なような気がします。小心者で融通の利かないわたしがその立場だったら、たしかにこの男性と同じ行動をとったかもしれません。

どうして、「大きく息を吸って、止めてください。・・・はいてください」と云わないのだろう。「楽にしてください」の方が上品なのかもしれないけれど、わざわざ紛らわしい表現を医療現場で選ぶ必要はないのじゃないか? そしてもう一つ、そんな紛らわしい表現を「考えればわかるだろ」と思ってしまうのは、やはり傲慢以外の何物でもないだろう。

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妻へ

結婚24年めを迎えました。

長い間どうもありがとう。

あなたはわたしと結婚して幸せでしたか?
わたしと結婚したことが正しい選択だったのか、いつも気にしています。

24年間にはいろんなことがありました。
父の反対を押し切って挙げた結婚式。両家の親戚に祝福される形にはしてあげられませんでした。長い間、わたしの父も姉も話をしてくれず、大分の実家に行ったときには一人”針のむしろ”でしたね。「お父さんはわたしと目を合わせてくれない」とぼやきながら、それでもボクがすっかり忘れているような当時のお父さんの自慢話を今でも鮮明に覚えてくれていますね。不器用な親子が再びココロを開き合えるようになったのは、中にいつもあなたが居てくれたからだと感謝しています。今では、南大分のおばさんのようにわたしよりあなたの方を頼りにしている親戚ばかりになりました。

わたしの行動が理解できない、信用できない、と云いはじめて始まった家庭内別居は何年続きましたっけ?お父さんが亡くなったときにもそれは続いていましたよね。食事のとき以外は顔を合わせなかったあの時期、本当に辛かったけれど、きっとあなたはそれ以上に苦しんだことでしょう。2回の流産のあと、東京に居たときから続けていた不妊治療をやめました。一番辛かった時期。将来の子どもたちのためにと作った子ども部屋は主の居ないまま仮住まいのわたしの道具でいっぱいになってしまいました。「将来が不安」・・・それがわたしたち夫婦が再び寄り添い始めた理由でしたね。”おかあさん”になる夢を叶えてあげられずにごめんなさいね。

お互いにこれからは不安なことばかりですが、どうかこれからもよろしくお願いします。

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原稿2

「やせる」vs「しぼむ」

世の中がみんなやせることに必死です。若い方よりも壮年期以降のご年配ほどやせることに熱心に取り組みます。健康番組も健康食品も健康商品も「ムリせずやせられる」がキャッチフレーズです。そのことがずっと気になっています。特定健診が腹囲と体重だけ評価しますし、「とにかくやせなさい。やせればデータは必ず良くなります」と指導している方も少なくないと聞きます。でも、筋肉がなくなっても体重は減ります。食欲がなくなっても体重は減ります。やせていっているようでただ“しぼんでいる”だけの人が増えてきていませんか?体重が減って採血データが良くなったとしても、筋肉が減っていけば老化します。見るからに老けてしまったシワシワ顔には魅力がありません。転んで骨折したまま寝たきりになったら意味がありません。「これからはアンチエイジングです!体重なんか大して減らなくていいから日ごろからしっかり動いて若さを保ってください」~これが最近のわたしの口癖です。

運動すると太る~身体の反応は理屈通りにはいかない

「運動を続けているのにやせない。むしろ太ってきた」・・・よくある不満です。やせたので血糖やコレステロールの改善がみられたのに、中性脂肪が増加して脂肪肝は悪化している。なぜ?そんな質問にどう答えますか?人間のからだはそんなに簡単に理屈と期待通りには動きません。長年親しんできた生活を突然変えられたのです。突然の災難が降りかかってきたのです。ご主人様の突然のご乱心に戸惑いながらも、何とか今までの平穏を取り戻すべく自主的に動くのが優秀な部下たちの取るべき行動です。せっかくの蓄えを取り除かれたら飢餓に瀕すること必至ですから少しの収入から今まで以上に蓄える切り盛りをしましょうし、突然浪費するようになってしまったご主人が困らないようにもっともっと蓄えようと必死になる・・・それが自然の摂理です。それを「それはやり方が悪いのだ」「やりかたがまだまだ生ぬるいだけだ」と、さらに厳しく叱咤激励されるとつらいです。一時的に慌てた部下たちもその状態が続くうちにご主人の意図をくみ取ってきますから、さらなる修行僧に向かおうとせず、焦らずに続けることを勧めていただきたいと思います。

全部書くわけにはいきますまいな。だけん、ここまでにしておきます。もっとも3か月後の原稿ですから使うかどうかわかりません(だからここに掲げておいた、とか)。

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原稿1

尻に火がついて書き始めた原稿書きのためにこのブログの記事を書く時間がとれないので、そのまま原稿の一部をここに書いちゃえ!もっとも、結局この文面は9月号になることになりましたけど。

熱意vsお節介

「がんばりましたね。あともう少しがんばったらもっと良くなれそうですからさらにもう一息やってみましょう」~そういう云い方をよくします。でもわたしは、ほどほどのところで合格点を出すことにしています。生活改善のために自分で決めたことを始めると効果が出てきますが、必ず頭打ちになります。それ以上やっても良くも悪くもならない平衡状態・・・きっとそこがその人の身体が求めている理想線なのだと思うのです。本人は目標値に届かないことを不本意に思っているので、そこからさらにストイックな試練を課してもできないわけではありません。“やればできる自信”がついてきている時だから。でもそれをずっと継続しない限り効果は維持できないし最初ほどの変化は期待できません。せっかく生活改善をするのが楽しくなったところでそれが責め苦に変わってしまったら本末転倒。「主治医が言うほど簡単にはやせませんよ。今でもしっかりがんばっているのでしょ?やせなくて良いですから、その代りまた太らないようにしましょう。毎日体重計に載って1kg増えたらその日のうちに根性で元に戻してください」~その言葉にみなさんニコッとされます。そしてこれがさらに改善するきっかけになることをよく経験します。

相手は必ずしも熱心すぎる指導を受けたいとは思っていません。“自分の親(兄弟)ならどうさせたいか?”ではなく、“自分ならどうしてもらいたいか”~わたしは生活相談をするときに常にそういう基本姿勢で臨んでいます。

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ゆるむ

「先生、『無駄に動く、無駄に食わない』、やってますよ♪」

その40代後半の男性は、2年前に初めてうちの人間ドックを受診したときにわたしが云ったことをそのまま実践して、シェイプアップされたカラダと完璧な検査データを引っ提げて先日受診されました。「あのとき、先生のことばを聞いたときに”やる気スイッチ”が入ったんですよ」とまあ、持ち上げる、持ち上げる。でも2年間、きっちりがんばって続けているのはやっぱりエライなと思います。

でも、わたし、わかってきました。ずっと、『無駄に動く、無駄に食わない』でなんでも上手くいくと思っていましたけど、わたしの歳になるとそれだけではダメなんだということ。『無駄に動く、無駄に食わない』だけだと、カラダがゆるむんです。太らないにしても腰回りにキレがなくなるんですよ。そこのところ、きっと経験者にしか分からないかもしれません。かつてうちの運動施設のメンバーだった方々にときどきお会いします。わたしもそうでしたが、創設期に近いころにメンバーだった方にはかなりストイックにがんばった人が多く、久々に会うとほとんどがゆるんできています。

「先生、ダメですね、この歳になると。また頑張らなけりゃとは思うんですが、なかなか昔のようにはいきません」・・・そういうかつての戦友に伝えます。「年齢相応に『ゆるむ』のは、決して悲観することはありません。でもお互い、悪あがきしましょうね」。

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