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2012年7月

扇風機は熱風

大学生になった年、初めて熊本の夏を経験しました。下宿の部屋にエアコンなどない時代で、頼みの綱は小さな扇風機のみでしたが、いくら「強」にしたところで送られてくるのは熱風のみ。返って暑く感じてしまうけれど他に術(すべ)もなく、クーラーの効いている図書館や喫茶店に入り浸っていた友人が多かったのを覚えています。

当時の気温はどんなに高くても31~32℃・・・今の比ではありません。エコの時代、がまんして扇風機に頼るご高齢の皆さん、本当にお気を付けください。The Cochrance Libraryオンライン版で英国保健保護庁から研究レシピが発表されました。「扇風機は、一定温度未満で直接人に向けられなければ熱消失の増大に有用だが、それ以上ではかえって暑くなる可能性がある」というものです。「夏は暑くて当たり前」とがまんするお年寄りの皆さん、あなたがそう教わった当時の気温は今よりはるかに低かったことを忘れないでください。

うちの職場の事務室でも数台の大きな扇風機が回されています。それすらない医局はサウナの様相で「ここに長居せず働け!」ってことなのね、などと皮肉を云いながらうちわで凌いでいますが、さて、この扇風機法は本当にエアコンよりエコになっているのでしょうかね?

ゴルフのとき、日陰に入ったりカートで風を切って走ったときの生き返るような涼しい体感は最高・・・幸せはこんな小さなことから感じられるのですね。夏は暑いもの。でもがまんのし過ぎは禁物です。扇風機はその特性を知ってうまく付き合ってください。

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リセットのすすめ

8月にある特定健診・特定保健指導に関連するスタッフへの研修会に、今年も講師の依頼がきました。こんな公の事業に、わたしのような屁理屈こね太郎な、教科書的なことは絶対云わないような人間がはなしをしても大丈夫なのだろうか?と懸念しますが、昨年に続いて2回目の講義になります。

そのときに使おうかなと思って新しいスライドを1枚つくりました(実は2週間後の本番に向けてまだ何も始めていません)。

       リセットのすすめ

  ●とことん腹が減る(飢餓ではなく空腹)
  ●体内リズム(メラトニン)
  ●エネルギーバランスの収支決算
  ●ストレスの清算(月曜は出直し)

内容はこれまでにここに何度も書いてきたことのまとめにすぎませんが、おそらくこれからの人生の心得として一番重要なことは、定期的にすべてのことをリセットさせることなのだろうなと思う次第です。「飢餓状態は不健康だから小腹が空いたら何か食べるべき」と思われていた時代から「一旦、完全に空腹状態を経験させることで体内の代謝スイッチがリセットされる」が常識に変わりました。長生き遺伝子(サーテュイン)もそのひとつです。日内変動の体内時計を司るメラトニンが自律神経にも代謝機能にも影響を与え、これが朝の光を浴びることでリセットされるというのも今や常識。ダイエットの基本はインとアウトの収支決算ですが、食事は2日単位で、運動は1週間単位で考えるのが現実的だということも学びました。食べ放題ではトコトン食って翌日に修行僧になるという、あれです。そしてストレスの清算・・・前日のことを引き摺らないのが理想ですが、少なくとも週末にはリセットさせて月曜に出直すことができればメンタル異常は起きにくくなります。

これをするために生活の中に各々独自の”リセット術”を持てるような、そんな提案を健診に従事する皆さんは行ってほしいと願っております。

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責めず、比べず、思い出さず

かなり前に読んだ本ですが、アップするタイミングを逸しておりました。

『責めず、比べず、思い出さず』 (高田明和著、コスモ21)

浜松医科大学名誉教授で生理学者の高田先生のこの書は、「禅と大脳生理学に学ぶ知恵」とありますが、中身は宗教書であり、座禅と写経を実践しながら前向きに生きることの重要性を説いています。プロローグにあるように、「前向きな心のもち方」「プラスの言葉遣い」「呼吸を変えるだけで平安に」「座禅で無の境地に」「写経・読経で人生を生きいきと」の5つのうちどれか一つを実行すれば、晴ればれとした心になり、苦しみ悩んでいる人たちも、本来もっている輝かしい心と充実した生活を取り戻すことができる、と云っています。

この本を知ったのは、たまたま出張先の広島のホテルで読んだ新聞で、これを見なかったら縁のなかった書。こういう出会いは、”たまたま”ではなくて”必然”だととらえることにしています。どうも最近また、こっちの世界の誘いが多くなった気がします。遠い昔、患者さんたちと広島や道後や宮島に旅行したとき、「般若心経を理解できる方法はないですか?」と聞いたらある患者さんが「写経することです」と一言。あのときにはまったくピンとこなかったけれど、最近少し理解できるようになりました。この本の写経のすすめの中に『延命十句観音経』が書かれています。数か月前、わたしが仏前で唱えるように、とasuka3hさんに教えていただいた経がこれか。こうやって、何故だかわたしの周りにそんな偶然(=必然)が勝手に集まってくるのです。

これから、何度も何度も読む本になる可能性があります。

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酒離れ?

なんか酒がわたしをあまり追いかけてくれなくなってきました。

酒が不味いとは全然思わないのですが、「さ、きょうは帰ったらビールを飲むぞ!」「焼酎にしようかな、日本酒にしようかな?」なんて考えながら帰っていたころのようなウキウキ感が湧かなくなってきました。酒を飲まない月曜と水曜の翌日など、もうちょっと飲めることを幸せに感じさせてくれてもいいと思うのですが・・・我が家の酒たちがわたしに向かってちっとも存在をアピールしてくれなくなってきたのです。特に焼酎なんか完全にソッポを向いています。

昨夜はオリンピックサッカー男子の一次リーグを見ながら、あえてわたしの大好きだった焼酎兼八を飲んでみたのですが・・・ただ酔っただけでした。「これじゃいかん」と量を増やしてみたら、眠くなっただけでした。

なんかヤバい。休肝日なんか作ったのがいけなかったのかしら?ずっと、なくてはならないわたしの恋人のような関係だったのに。縁は切らないだろうけど、「ただの友達でいましょうね」っていわれているような、妙な寂しさがございます。

え?結局、酔っぱらうほどに飲んだんだろ、って? そうですよ。それが、なにか?
しかも焼酎の一升瓶が空きましたよ。・・・だから?

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老子のことば

「断捨離エイジング ひき算の効用」(やましたひでこ、ベスト新書)に引用されていた老子のことばはなかなかよろしいなと思いましたのでそのまま書き写しました。

世の中の行いには
足し算と
引き算がある
足し算は
たやすいが
引き算は
案外むずかしい

新しいことを一つ始めるよりも
余分なことを一つ減らしなさい
有益なことを一つ始めるよりも
無益なことを一つ減らしなさい
意外に思われるかもしれないが
そうする方が
きっとうまくゆく    (『老子 自由詩』引き算のすすめ より)

知識を得たいのなら、毎日増やしていきなさい。
知恵を得たいのなら、毎日取り除いていきなさい。

~知識は、経験や学問から日に日に増えていきますがだんだんつまらない知識で自由を奪われて身動きがとれなくなる。そのときに余計な知識をどんどん減らしていくと自由を取り戻せる。余計な知識は道具の持ち腐れになるので、自分が使いこなせるだけの知識(道具)を手元に残すことが大切。それが「知恵」である。

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断捨離エイジング

先月の抗加齢医学会総会の会場で店開きしていた本屋さんで見つけました。荷物になるのがイヤだから旅先で本は買わないのだけれど、小さな文庫本だったから買いました。

『断捨離エイジング ひき算の効用』(やましたひでこ著 ベスト新書)

著者のやましたひでこさんは、「断行・捨行・離行」というヨガの修行法を使った片づけ術「断捨離」を提唱して一躍ときの人になりました。この「断捨離」の基本である引き算の効用で、美肌とダイエットが達成できる、断捨離をしていると勝手にダイエットできて若返れるというのに興味がわいて買ってみたわけです。

「・・・では、なぜ断捨離で本来の美しさを取り戻し、若返ることができるのでしょうか。それは、モノを管理できるだけに絞り込む作業により、自分に本来必要なモノだけを適量適質に選択できるようになるからです。自分が適量適質と感じるセンサーのことを「内在智(ないざいち)」といいます。この内在智が磨かれると、精神的にも肉体的にも大きな効用がもたらされます。・・・」というんですけど・・・理解できますか?

で、読んでみたんですけどね、わたしにはあまり参考にはなりませんでした。もともと片付け好きなわたしは、若い頃から普通に「断捨離」やってましたから、あまり新しい内容はありませんでした。まあ、残念ながら、にもかかわらず肥満児であり、超メタボであった時期を普通に経験してきました。もちろんだからこの本の云っていることがいい加減だというのではありません。この本に書いてあることが全部抵抗なく理解できるから参考にならなかったってことです。是非、片付け下手な方は読んで実行してみてください。

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生活戻せばやせる?

雨上がりに犬の散歩をしながら、妻がね、云うわけよ。

「最近急に尻が大きくなった。ワンピース着てて腰が大きくなったって感じるのはすごいことよ」、って。
「動かずにいつも食べてるし、ソファに寝そべって携帯いじってる間は腹筋すら使ってないものね」と、わざとイケズなことを云ってみましたが、案の定、意に介していない様子で話を続けます。
「ずっと風邪をひいてこじらせたせいで動けなかったからね。しかもここ2,3日は雨のためにこの子たちの散歩ができなかったのも影響あるわね」・・・一見冷静な自己分析です。
「じゃ、風邪も治ってきたし、本格的に運動を始めたら?昔やっていた、ラジオ体操とか○○マシーンとかやったらやせるんじゃない?」
「いや、大丈夫よ。もうすぐ梅雨明けだし、これからは毎日ワンの散歩ができるから、これを続けたら元に戻るはずだから。」

あれ?何か違うんじゃない?今までやっていたことをやらなくなったから太っていっているとして、今から前と同じことを再開しても体重は減らないと思うよ。今より増えなくなるだけ・・・うまくいって今の体重のまま横ばいになるだけじゃないのかしら。

それ以上いらんことを云うな!という目で睨まれたので、わたしは話題を変えました。

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腹八分目

ねえ、ちょっといいかな。

そろそろ、「腹八分目」とか「七分目」とかいうことばを世の中なら完全追放できないものかな?先週もまた受診者さんから云われましたよ。「やっぱり、腹八分目が大切なんですよね」って・・・。

違うってばさ、「八分目なんかで止めないで楽しく全部食べてください」って答えたんだけどさ・・・。このことばには残りの二分か三分に必ず”がまん”がついて回るわけさ。だから、このことばが存在する限り、この世の食卓から”がまん”が消えないことになるのよ。これまで、「禁煙」と同じくらいの数だけここで云ってきましたけどね、”食事は楽しむもの”なんだから”がまん”の数だけため息が出ちゃうわけよ。もう地球上がため息で押しつぶされちゃうよ。

「バイキングに行くとダメですね。元を取ろうとつい食べ過ぎちゃう。バイキングに行かなけりゃいいんでしょうけど」・・・上で紹介した受診者さんが、まだこんな懺悔を繰り返すのさ。バイキングに行って腹八分目なんて考えちゃダメでしょ。ケーキ食べ放題に行ってダイエットを考えちゃダメでしょ。そりゃ行かないなら行かないでも良いけどさ。行ったらダイエットなんか考えないでとことん食べなきゃ!後悔するくらいしっかり食べて、翌日から修行僧に戻れば、それでチャラさ。そのことは、昔若いバスガイドさんに教わりましたよ。

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運動のむずかしさと食事の理屈(後)

(つづき)

運動のかかえるもう一つのこと。糖尿病や高血圧やの運動療法が必要になる中年期から高年齢層の方々・・・病気の治療のために運動をしなければならなくなったからさあ頑張ろう!と思っても、すでに筋力はすっかり落ちていて満足に運動などできない人が多いということ。もともと運動嫌いだから病気になったひとが多いですから。もっと若くて元気なうちから(まだ病気でもなくムリして運動しなければならない理由もない時期から)筋力をつける努力をしておかないといけません。これがロコモティブシンドロームサルコペニアの概念ですが、さて、面倒くさがってゴロゴロしている彼らにどうやったらことの重大さが伝えられるのでしょうか?

大屋先生のお話の中でついメモったのは、「Fun=Food=Nutrition」。人間の行動はいつも発作的であり必ずしも理屈では動かないということ。食べもの(Food)はおいしいから食べる(Fun)のであって、昔のように生きるための栄養(Nutrition)として食べているひとはあまりいない、というお話です。食行動の変容を促すためには、古典的な行動変容の理論に基づいてもあまりうまくいかず、もっと直接”情動”に訴える方法が必要だということを、”チャンプルースタディ”を通して解説していただきました。

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運動のむずかしさと食事の理屈(前)

第18回日本心臓リハビリテーション学会学術集会(大宮)に行ってきました。

三次予防である心リハの世界なのに、今回は一次予防についてのセッションが目立ったので勉強になりました。心リハの概念が、「起きてしまったものの後処理」から「起きる前の予防」としての考え方に移行しようとしているのは、薬を使って管理するだけでは心疾患による死亡者数がこれ以上は減らないレベルになってきたからかもしれません。中でも、糖尿病の専門家、順天堂大学の田村好史先生のお話と、高血圧・腎臓の専門家、琉球大学の大屋祐輔先生のお話が印象に残りました。お二人の共通点は、きわめて淡々とした口調で話されることです(笑)。

よく見かけるようになった写真~フィットネスジムのアプローチの階段で利用者がみんな脇のエスカレーターを使っているやつ、車に乗ってイヌの散歩をしているやつ、そして今年の国際糖尿病学会の会場で糖尿病専門医たちがみんな階段を使わずにエスカレーターにひしめいている写真~あらためてそれらを眺めながら、「運動」をすることがいかに難しいかを再確認しました。 ”運動療法のガイドライン”に書かれている内容・・・有酸素運動も筋トレも毎日やれる簡単な項目~これくらいならやる気があれば誰でも簡単にできるでしょ?と示された項目~これを作った諸先生方のはたして何人がこれを実践しているだろうか?と考えた時に、その難しさが想像できます。わたしはずっと、変人扱いされながらエレベーターに殺到する中を横切って階段を使っていますが、でも東京で長ーーーい階段があるとついため息が出ます。隣りにエスカレーターがあったら、何かしらの言い訳をつぶやきながらそっちに足が向かってしまうのも致し方ありますまい。

(つづく)

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「人間の権利」

3か月ごとに発行される機関誌のコラム、今回はこんな話題にしてみました。

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  「人間の権利」

この連載コラムの初回に『楽しくなければ人生の無駄遣い』を書いてから2年が過ぎました。その後みなさんの毎日は無駄遣いになっていないでしょうか?

「悪い生活習慣を正して良い生活習慣にすると脳卒中や心筋梗塞やがんで人生を棒に振る危険性が下がるので、とにかく意識して節制しなさい!」・・・医療者も一般のみなさんも、少なくとも先進国の多くの人間が相変わらずそういう感覚で日々を過ごしています。それが「健康を得るためには避けて通れないもの」だという暗黙の共通認識の下で生活しているようです。「もっと運動しないといけませんネ」「こんな生活じゃいけないんですよネ」と、聞いてもいないのにそんなことをあいさつ代わりに言い合う世の中になったのは、ここ5年くらいではないかと思います。

一体それは何のためなのでしょう? 病気にならないためにがまんする人生はそれ自体が人生を棒に振っています。人間には、持って生まれた『楽しい人生を送る権利』があります。がまんの人生は楽しい人生ではなく、楽しい人生のためにがまんを強いるのは完全に矛盾しています。おそらく、人間にはもともと“本能”と一緒に“節度”が備わっており、また“生存のための遺伝子”はふつうにしていれば絶対に有利な方向に流れていくように作られているはずです。“煩悩”という抵抗因子を作ることでモラルが生まれ、哲学が生まれたのだとしても、神様はがまんで人生を作りこんでいくようなことは絶対求めていないと思うのです。いわゆる発展途上国の人たちやもっと未開の原住民族の人たちの表情の何と晴れやかで楽しそうなことか・・・世界は、文明の便利さを取るか、未開の楽しさを取るか、二者択一の選択肢であるかのように振舞っていますが、本来2つはふつうに共存できるはずのものです。

現代は、生活のために労働し、生きていくために物を食っていた時代とは明らかに違います。人間の生きていくための道具である運動と食事が、飽食・機械化という時代の流れの中で煩悩の象徴となったことはやむをえないとしても、これが“病気予防の道具”や“病気管理の手段”としての存在である時代がこのまま続くようであれば、やはりそれは異常だと思います。人間の本能の源に立ち返ったら、ゴロゴロすることより動くことを、石ころを食ったあとのような超満腹感よりやっとあり付けた大好物をゆっくりいただくことを、幸せと感じられる感覚が本来のあるべき姿のような気がします。そして今、密かにそういう時代になりつつあるということに気づかないのは勿体ない、とそう思う次第です。奇しくも今、エコの時代になっています。節電はこれから生きていく上ではなくてはならないものであり、皆ががまんに音(ね)を上げているのかと思いきや、口ではいろいろグチを言いながらもそれなりに節制することを楽しんでいるかのように見えます。おそらくそれが人間本来の力であり、今その能力を発揮できるようになりつつあることに妙にテンションをあげている感じなのかもしれません。 

捨てたもんじゃないぜ、現代人!

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運動を再開してみた。

まだ再開したばかりなのであまり強気では書けません(すぐやめるかもしれないから)が、重い腰をあげて、施設内のフィットネスセンターに行こうと思ったのには理由(わけ)があります。

諸般の事情でフィットネスセンターでの運動はできなくなったものの、ほぼ毎日小一時間はワンたちの散歩を続けてきたし、仕事場のある4階まではいつも階段だし、健康運動という点ではそれなりに合格点のアクティブライフを送っていると自負しています。それでもフィットネスセンターにわたしを引き付けた理由は、”最近、カラダが痛くない”ということ。つい1年ほど前までは、いつもふくらはぎがパンパンに張り(時々、肉離れ)、腰が痛い、手首が痛い、背中や首が痛い、腕が上がらない・・・どこかしらの痛みに苛(さいな)まれていたのに、ふと気づくとそんなことが何もない(ヘルニアの影響で足先がしびれているのは相変わらずですが)のです。

「こんなことでいいのか?」と、思ったのです。「いいのだ」と思いますけど、痛くないのが”健康”なのだと思いますけど、あの毎日昼夜を問わず苦しめられたカラダの不具合をもう一度味わいたい!・・・そんな思いから、再びフィットネスセンターに足を運び始めています。おかげさまで、ここのところ下腿の張りと太ももの筋肉疲れが出てきましたが、どこかまだ今一つです。

つくづくわたしはマゾヒスト・・・。

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良識

よく、ゴルフ場でセルフプレイをします。

自分たちの前を回るグループのプレイぶりがそのままその日のゴルフを楽しくさせたりさせなかったりすること、おそらくゴルフをされる方は皆さん分かっていることでしょう。先日のゴルフでわたしたちの前を行くグループは典型的に後者でした。ゴルフがうまいとかヘタとか、あるいはうるさいとかそんなはなしではありません。ひとつ前のグループがグリーン上でプレイしている間は4人揃ってカートに乗っており(きっと世間話をしているのでしょう)、それが終わったところでおもむろにカートを降りたと思ったら一人がボールの近くに行き、それからまたカートに戻ってクラブを選ぶ。一人が打つのを待って次の男が同じことを繰り返す。打ったらチョロで、悪態をつきながらふて腐れてトボトボ歩く・・・。アタマにくるでしょ。「なにをチンタラチンタラやっとるんじゃ?」とついぼやきたくなるでしょ? 正式な競技会じゃないのだから、各自がさっさと自分のボールのところに数本のクラブを抱えて向かい、打てるようになったら次々と打って前に進む・・・そういうことを当たり前にやってきたわたしたちは、こんな行為ができること自体がさっぱり理解できません。

まあいろんな人がいるよ。そんなことにココロを乱すとゴルフが面白くなくなるし、打ち損じるから、気にしない、気にしない! 誰に云うでもなくそう云い聞かせて待っている。さすがにもう良いかな、と構えたら、どこからともなく一人が帰ってきて打ち始めました。「え、今から暫定球?」

ん~、まだまだ悟れませんね。んでもって、想像通りにチョロを打つ。いやいや、わたしのスコアが悪かったこと自体は決して彼らの責任だとは思いません。わたしが下手くそなだけです。はい。

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日本タバコフリー学会

先週、facebookにはアップして紹介しましたが、いよいよこんな硬派の学会が正式に発足したようです。

日本タバコフリー学会

“分煙は無効,禁煙では不十分” たばこのない社会目指し新学会が始動!

喫煙者の呼気や衣服からの発散による「3次喫煙」は防止不可能!

学会の「早期解散」が最終目標!

MTProに紹介されていた学会副代表理事で東京都予防医学協会健康支援センター呼吸器科部長の金子昌弘先生の対談記事の見出しだけ並べてみましたが、これだけ見ても心意気がうかがい知れます。学会は、2011年11月にNPO法人化に向けた設立総会が開かれ、今月に正式にNPO法人として認められたそうです。とにかく硬派で攻めなければ、国の牙城は極めて硬いから突き破れるものではありません。ニコチンに魂を侵されたゾンビ議員たちの抵抗を突き破れるようであれば世界に誇る学会になれましょう。

既存の”日本禁煙学会”との関係はどうなるのでしょう?

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どうしたらいいっていうの?

別に太っているわけでもないのに脂肪肝が高度で、肝機能検査ではAST(GOT)やALT(GPT)が常に三桁の男性がいます。大酒呑みでもないし大食いでもないし・・・こういう方がNASH(非アルコール性脂肪性肝炎)になるわけですが、さてこんなデータで悩んでいるひとにどうアドバイスしたら良いのでしょう?当然のように健診結果と一緒に専門医宛の紹介状が同封され、外来を受診したとして、最初に云われることは運動と食事の注意、それは王道です。だから云われるがままに頑張ります。でもデータはあまり改善しません。主治医は「まだ食べ過ぎだ!」と責め立てます。でも本当にほとんど何も食べてないんだよ、というひとは確かに居ます。

以前働いていた東京の病院の受付のお嬢さんは健診の度に高中性脂肪血症で専門医受診を指示されていました。そして憮然とした表情で外来から帰ってくるのが常でした。「できるだけ運動して、食べ過ぎに注意しなさい」というお決まりのアドバイスをもらいながら・・・。「一体、これ以上どうしたらいいんですか、先生?」~スレンダーな身体で週に3回以上スポーツクラブのエアロビ教室をこなし、いつ見てもサラダしか食ってないような生活、酒はワイン1杯でも真っ赤になる体質~彼女の日々を知っているだけに、同情しながら苦笑いするしかなかったのを思い出します。

何かもっと他のメカニズムが隠れているのだろうと思いますが、当事者の人生の悩みは深刻です。それがどうやったら晴れるのか?自分がその立場だったらと思うと、本当にココロが痛みます。

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イヌと幼児とカゼ

おもしろい記事をMTProからみつけました。

『生後早期に犬と接触した幼児の風邪リスクが減少』(Pediatrics2012.7.9オンライン版)

フィンランドの前向きコホート研究ですが、生後1歳までに犬との接触があった幼児は,接触のなかった場合に比べ,上気道感染症や中耳炎の罹患リスクが有意に減少していたことを報告した、というのです。家庭で犬との接触があった幼児は全くない場合に比べ,呼吸器症状あるいはまたは同感染症の頻度が少なく、さらに中耳炎の頻度は約半分に減少していたけれど、猫では接触の有無による有意な変化は認められなかったそうです。

これを発表したクオピオ大学病院のEija Bergroth氏は、今回の結果から、生後1年間の犬との接触による呼吸器感染症への保護的作用が示唆されたと結論付け、生後早期のペットとの接触が幼児期の呼吸器感染症への耐性獲得において重要であること、さらに猫についても犬よりは弱いものの保護的作用が期待できるとの見解を示しました。

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免疫が発達していない生後早期の幼児には犬猫のようなペットとは接触させないことが大事なのだと思い込んでいたわたしとしてはとても驚きの報告でしたが、どうもペットの中で犬だけは別格だったようで、「幼少期の犬との接触が風邪エピソードの回数減少に関連する」という報告はすでにあっていたそうです。まあ、犬好きのわたしとしては、そのメカニズムがどういうことかなどに関わらず、とにかくとっても嬉い報告でした。

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CKDの立ち位置

CareNet.comには、

CKDが心筋梗塞発症に与える影響は、糖尿病より大きい

という記事もありました。Lancetオンライン版(2012.6.18)に報告されたものです。慢性腎臓病(CKD)が、糖尿病よりも心筋梗塞発症に与える影響が大きい、という結果を得たというのです。

CKDの基準になる糸球体濾過量(GFR)は本来24時間の尿を溜めて調べますが、それを簡単な計算式に数値を入れて算出する推算式(eGFR)については、臨床現場の先生を中心に強い批判が発せられてきました。「特に病気でもない値が独り歩きして、患者さんが意味もなく悩む」というものです。「このままでは透析になりますよ」と云われてうつ状態になったと嘆いた健診受診者もいます。「計算式は本当の値よりかなり低く(悪く)なる傾向があるから、濡れ衣のニセ病人を作り出す。だからこの値は存在価値がない!」と云い張る医療者はたくさんいますが、わたしはそうは思いません。この値は単なる脅しです。腎臓には治療薬がない。今の生活を続けたら悪化するぞ!そうなりたくなかったら、カロリーを取りすぎず、塩分を取りすぎず、酒を飲みすぎず、たばこを吸わずに、タンパク質とお水はほどほどに・・・、という概念です。”紳士淑女たれ”と云う、ただそれだけのことです。でも、そこで生活を見直すかどうかが人生を変える可能性が高い、ということを今回の報告は示しているのです。

問題は、他の病気の指標と同じです。警鐘を鳴らし脅しをかけている対象になる連中(一番生活を変えてほしい人たち)は「そんなもの意味がない」と嘯(うそぶ)いて聞く耳を持たず、一方で、もう十分管理できていてこれ以上する必要はないと思われる人たちだけが恐々とするわけです。このディレンマを解決できるのは、わたしたち医療者だけです。きちんとした事実を分かりやすく説明してあげられるかどうか、それによって相手の人生が変わってしまうのだという責任感をもたねばなりません。

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タバコと農薬

喫煙、農薬曝露はレム睡眠行動障害の危険因子』(HealthDayNews)

CareNet.comに載っている記事に目が止まりました。「レム睡眠行動障害」といえば、ついこの間行った広島の日本脳ドック学会で教えてもらったばかりの病気。この睡眠中に暴れはじめる凶暴な病気のリスクファクターとして、喫煙と農薬への曝露が挙げられています。仕事として農薬に曝露することがパーキンソン病のリスクファクターであることは知られていますが、それがレム睡眠行動障害でも認められていることは重要なことです。ちなみに、仕事以外で農薬に曝露しても影響はなかったそうです。

ただわたしがこの話題に興味を感じたのは、この農薬曝露と病気との関連ではなく、喫煙が同等に扱われているということです。喫煙者もレム睡眠行動障害が多い(「因果関係を示すものではない」とコメントを入れないといけないところが悲しい)ということ(43%増大)と、タバコ曝露と農薬曝露の脳への影響が同等であるんじゃないか?ということです。まあ、タバコには大量の除草剤や防虫剤やシャンプー成分みたいなものがたくさん入っていることはかなり前に書きましたが、それを間接的に示しているデータのような気もします。

先日、『ニコンチンをブロックするワクチンが開発された』というニュースを読ませていただきましたが、どう考えても本末転倒。そこまでして治療薬が必要なものを売らなきゃいけないと云い張るのは・・・。ちょっと話題が逸れました。

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お酒はいらない?

asuka3hさん、昨日はコメントをありがとうございました。

どうぞお酒はいつでもおいしく飲み続けてください。でも、休肝日というのは作れば作っただけカラダに良いらしいです(あまり興味がないので詳しいデータは存じませんが)。

わたしの場合、”休肝日”とは書きましたが、別に肝臓を休めるために月・水の晩酌を止めているのではありません。今までに何度か妻や病院スタッフが心配するから休肝日を作ってみたことはありますが、それをやってみた結果として、別に体調が良くなった実感もなかったし、むしろ止めた方が太るぞ、と分かっただけでした。

今回、妻の進言に従って週2日のアルコールフリーデーを作ったのは、「自分は酒だけはやめられない」「酒を飲めなければ何らかの禁断症状が出る」と思っているけれど、それは本当か?ただの思い込みではないか?を確認するためでした。「絶対つらいはず」と思ってやってみたら、これが意外にそうでもなかったんです。で、始めてみたら、「飲まないなら飲まないでも別に心は乱れないぞ」「晩酌はしなければしないでも別に困らないぞ」~そう感じたからそのまま続けている、といった感じです。

酒の適量は人それぞれ。強くなったとか弱くなったとか、何合飲んだとかボトルを何本空けたとか、そういうことばは本当の酒飲み(酒好き)のことばではないと思います。若いときのように酒の量を競うのではなく、自分のカラダの反応にココロが素直になればそれでいい。飲みたいときに飲み、飲みたくないときには無理をしない・・・それが、酒に対するリスペクトというものではないでしょうか。

な~んちゃって。

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天寿

先月亡くなられた”ヒゲ殿下”こと三笠宮寛仁さまのお父様である三笠宮崇仁親王(96歳)のうっ血性心不全治療のニュースが連日流れています。寛仁さまのご葬儀の後から体調を崩したと聞いています。あの、いくつものがんを繰り返した寛仁さまのお父さんでありながら、こんなご高齢になるまで病気知らずの健康な人生を送ってこられたご様子。

大変失礼ですが、ほとんど天寿を全うされておられるのではないのでしょうか。「老衰」を「うっ血性心不全」と言い換えてしまってはいけないのではないか。こじらせた風邪を治療するまでは問題はないけれど、上がらない血圧をムリに上げようとしたり出ないオシッコを無理矢理に出そうとしていいのだろうか。素直に悩みます。

もはや現世を悟り、現世に学ぶべきものが無くなれば卒業するのが道理。本来なら「天寿を全うされて大往生されました」となるべきものが、病気治療の名のもとに体内を異物だらけに弄(いじ)り倒されてしまっては何か可哀想な気がします。昭和天皇の場合は、全ての準備が終わるまではどんなことをしても生きながらえさせなければならなかった政治的な事情がありましたから、人間的な扱いを受けなかったとしてもやむを得ませんでした。でも、そんな立場ではない崇仁親王の場合は、今の世の中でもありますしもう少し良識を発揮させる段取りでもいいのではないでしょうか。

実際にはむつかしいのかもしれませんが、でも、何とかして人生の最後を人間として、人間の尊厳の元で逝かせてあげてほしいと願っています。・・・神様的には、そうなるととりあえず一旦元気にして退院をさせる段取りにするしかありませんか。それならそれで、良し。

 

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おめでとうございます。

「おめでとうございます。」

ここ1,2週間のうちに、何回このことばを使っただろう。直接に、あるいはブログやfacebookで・・・結婚式やお子さんの誕生祝いや・・・なんか一気に集中して、いろんな人に向かって使いました。それも、ほとんどが自分に直接関係ない人たちへの祝福のことば。

今までも形だけのご挨拶としてココロがこもっているかどうかに関係なく何度も使ってきたことばです。でも、今回は、自分の中に流れる暖かいココロが妙に心地良くて、思いの外”ココロから”のことばになっていること自体を不思議に感じながら使いました。いろいろな方々との関わりと出会いの中で、自分がいつの間にか変わっていっているということ・・・こんな形で実感するものなのですね。

とてもやわらかい気持ちになれた数週間でした。

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がん予防

抗加齢医学を語る上では、がん予防はどうしても避けては通れないようです。第12回日本抗加齢医学会総会で多くの先生方のレクチャーを聴いてメモを取っていたら、ここで書いておくべきことが何となく整理できました。それはがんに限らず、すべての生活習慣病でも云える真理かもしれません。

●「減らす必要はない」~食べ物や運動など、カラダに良いこと悪いこと、たくさん提唱されています。でも、日本人はそれを考える必要はない。どんなに「欧米化!」だといわれても、日本人は度を越してはいないから大丈夫。それでなくても日本人は真面目に取り組みすぎる。

●「サプリは不足している人にしか効果がない」~多すぎると逆効果なものはたくさんある(カルシウムサプリの取りすぎは心筋梗塞リスクを高める、βカロチンの取りすぎは肺がんを招く、など)。それが含まれている食材を多めにとると「○○に効果がある」というデータに対して、それではそれを大量に含んだサプリを取ったら効果が絶大か?というとそうではない。むしろ効果が消えてしまったりする。

●食生活とがんの関係を語るのはむずかしい~日本人の食事はとても複雑で、単品栄養素のデータを並べても実際にはあまり意味がない。カラダに良いかどうかを調べるために、サプリなどで短期間に大量摂取をしてみること自体が不自然であり、結局は『質のバランス、量のバランスが一番大切』ということに総括できる。

●今、日本人のがんに影響を与える要素で明確なものは、喫煙と感染(ピロリ菌)のみである。

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体内時計

その一週間前の脳ドック学会で聞いたばかりの内容と同じようなことを聴きながら、この単語はどうも今が旬の様だ、と察知しました。

「日内変動と体内時計」・・・第12回日本抗加齢医学会総会の中で、『早起きは三文の得~生活リズムを制御する生体時計機構』というシンポジウムは聴けなかったのですが、『光陰矢のごとし~体内時計からアンチエイジングを考える』は聴講することができました。

体内時計に従って体内のホルモン制御がなされ、ホルモンの日内変動が乱れることによってメタボの原因物質が異常作動するだけでなく、睡眠障害、骨代謝、前立腺がん、老化進行、心疾患リスク増加などをもたらすこと、あるいは朝方は血小板の固まりやすさが増したり心拍数が増したり血液を溶かす作用が低下したりするから心筋梗塞の発症のピークが朝9時ころになること、睡眠障害が高血圧や糖尿病をもたらすこと、今一度再確認させられる内容でした。

海外旅行が茶飯事になっていつも時差ボケし、夜型生活パターンや昼夜交代勤務が当たり前になっている現在、生活リズムを司る体内時計が狂いまくっており、そこにはどうしようもない現代病としての病みに病んだ社会構造が浮き彫りになっています(普通の人に無理やりシフトワークを強いたら簡単に高血圧が誘発されるのだそうです)。さらにメラトニン制御の基本である目からの光刺激も、今やLEDやスマホの強烈な光を24時間直接浴びている時代・・・現代社会の弊害は想像以上に深刻です。やっぱりしっかりエコを強要し、夜10時以降をすべて強制停電にしてしまうことは絶対条件な時代なのかもしれません。

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Successful Aging

第12回日本抗加齢医学会総会が横浜で開催されました。昨年初めてサーテュインという言葉を覚えた学会で、今年も話題満載でした。でも、魅力的なシンポジウムが横並びで一斉だったもので、聴きたい話の1/5くらいしか行けなかったのが残念でした。

「世は、アンチエイジングの時代。健康のためとかダイエットとか、そんな問題ではなくて、歳を取らない生き方をするために運動をし減食をするのだ」とここ1年思ってきましたが、どうも時代はもうそんなところにはないらしい。今回のキーワードは”Successful Aging”・・・「健全な加齢」とか「成功加齢」とか訳されていました。「歳を取らない」「いつまでも若く」ではなく「いかに上手に歳をとるか」・・・きっと云っていることは同じかもしれないけれど、これが究極のアンチエイジングだ!と、わたしは多くのシンポジウムを渡り歩きながら、そう読み解きました。

『健全な加齢を促進する生活習慣』をレクチャーしていただいたのは東北大学の辻一郎先生。

●Successful Cognition Aging:認知機能の健全な加齢を得るために一番重要なことはPhysical Activity、つまりカラダを動かすことです。有酸素運動を続けると脳の海馬(記憶や空間学習能力を司る器官でアルツハイマー病の病変は最初に現れる場所)のサイズが大きくなることがわかっているそうです。これは毎日わたしも受診者さんに話しています。

●Positive Psychology:前向きな生き方=つまり生きがいをもって生きていけるかということです。生きがいのない人に脳心疾患が多く、寿命を司るテロメアの長さが、悲観的か楽観的かで違ってくることが分かっています。

ま、要するに、生活習慣病にならない生活を心がけるのは云わずと知れたことですが、それに加えていつも動いて楽しく生きがいを持って社会とつながっていること、つまりアクティブライフに心掛けることがSuccessful Agingの極意、とうことですね。再来週依頼されている某企業の定年前の皆さんへの健康講話はこのテーマでまとめてみましょう。

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うれしかったこと(後)

翌日、結果説明のために診察室に彼を呼び入れました。どこか顔つきが穏和です。去年までの苦虫を噛み潰したというか誰も寄せ付けないオーラ満載の顔つきと明らかに違いました。データを一緒に眺めます。「ここのところ仕事が忙しくて外来に行けてません」~彼の方から話し始めました。「インスリン注射をしている状態だから血糖管理は最優先に考えてくださいね」というわたしの話も素直にうなづいています。実は、血糖を除くとどのデータも去年より良くなっていることにわたしは気づいていました。「今年も何もしてない」と問診の記録には書かれているけれど何かが違うことを感じました。

「まだまだの値ですけどなんかいい感じですよ。また保健師さんと何か決め事をして帰ってください」、と云って部屋から送り出しましたが、後で担当保健師さんが教えてくれました。「ちょっと野菜を先に食べてみたり夜遅くに食べないようにしてみたりしている」のだと。「あんたたちがいつもわたしのために一生懸命云ってくれてるけん、申し訳ないけん、ちょっとやり始めた!だそうです」・・・彼女はちょっと嬉しそうにそう話してくれました。「へえ、あのAさんがねえ。良かったね、みんなの熱意の賜物だね」・・・うれしくてちょっと目がうるうるしてくるのを誤魔化しながら、わたしは彼女たちの労をねぎらいました。そして、Aさんの表情が穏和になってきた理由がわかったような気がしました。

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うれしかったこと(前)

わたしが担当する人間ドック会員の男性Aさんは、いわゆるメタボの塊のような方で、インスリン注射を必要とする糖尿病とコントロール不十分の高血圧ともちろん脂質異常症や脂肪肝をかかえた100kg超級のアラフィフ男性です。彼は会社の法人会員です。つまり自分で希望して入会しているのではなく、会社の金で健康管理のために入会させられている会社幹部です。ですから最初からやる気がありませんでした。「運動?そんな時間は作れないし面倒くさい」「食事?家では女房が出したものしか食いよらん」「タバコは止めようとは思うとらん」「別にガマンした人生送って長生きしたいとは思わん」・・・わたしの前では従順に話を聞き流していますが、直接生活介入している保健師さんや栄養士さんにはいつもそんな投げやりな云い方をしていました。

今年も相変わらずの大きな身体を引っ提げて一泊ドックを受診されました。「最近、病院に行ってないみたいで、血糖がものすごく上がってます。困ったもんですよね」・・・わたしたちのグループの担当保健師がデータを見ながら眉をひそめました。「先生、ガツンと云ってやってください!」

(後につづく)

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患者

学会に出席していて、ふと気になり始めたことがあります。

『患者』ということば。「患者」「患者さん」「患者様」・・・「さま」が良いとか悪いとか、そういう話ではなくて「患者」という用語自体のことです。この用語は、いつのころからあったのでしょう。「わずらっている人」「どこか調子の悪い人」「病(やまい)を抱えている人」と云う意味で誰もが当たり前に使って異議を唱えることのないことばなのですが、何か気になり始めました。これって、差別用語ではないのかしら?

『患』という字には、わずらう、うれえる、心配する、苦しみ悩み、という意味があります。『患者』についてWikipediaには「なんらかの健康上の問題のため、医師ないし歯科医師や専門の医療関係者の診断や治療、助言を受け、広義な意での医療サービスの対価を払う立場にある人。医者の側から見た語である。」とあります。医者からみたことば・・・医療用語が一般に使われるようになったということか。自覚症状もないし別に気になることもない元気な脂質異常症は本当に「患者」さんでいいのかしら?「わたしは患者扱いされるから病院には行かない!」という生活習慣病罹病者の方の言い分が、何かわからないでもないな、と思うようになってきました。ちなみに、Wikipediaによると、『患』には、「中国に伝わる伝説上の動物。監獄に閉じ込められた罪人達の憂いの気より誕生したとされる」というのもあります。何か、もっといい用語はないものなのでしょうか?

もっとも、医療者同士は「患者(patient)」ではなく「症例(case)」と呼ぶことの方が多く、こうなるともはや相手は人ではなく病気か検査データなのでしょうか。いずれも、誰もが疑問に思わずに戦前の大日本帝国時代の遺産のまま使われているのではあるまいか。

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「運動はからだに良いのだろうか?」

先日ここでちょっと紹介した連載コラムの記事が無事に公開されました。運動に関する話はこんな形にまとめました。

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運動はからだに良いのだろうか?~運動禁忌の考え方~

●運動療法は両刃の剣

ある運動施設で運動をしている60歳以上の方50人に対して、先日、運動負荷検査や腹部CT検査を行ってみました。すると、速やかに治療を始める必要のある重篤な不整脈や高度の高血圧症や腹部大動脈瘤が見つかったために『運動禁忌』(このままでは運動は許可できない)と判定された人が8人もいました。さらに治療の継続や主治医の意見書が必要な『条件付き適応』と判定された人が9人・・・彼らは「もっと健康でいたいから運動をしていい汗を流したい」という思いで何の不安もなく熱心にがんばっていた人たちですし、運動禁忌と判定された8人は自分にそんな重篤な病気があるなど思ってもみなかったはずです。一般の運動施設には思いの外たくさんの危険をはらんだ皆さんが日夜運動に励んでいることを知って驚きました。

肥満、高血圧、糖尿病、高脂血がそろうと急性心筋梗塞の発症率が30倍以上に跳ね上がります。特定健診で“積極的指導”や“動機付け指導”の対象になる人たちは、まさしくそんな危険な人たちです。それだけ危険をはらんだ身体であるにもかかわらず、彼らが運動を始めるにあたって、運動負荷検査が義務付けられていません。そんないつ何が起きるかわからない人に「メタボだから、まずは運動を始めましょう」などと助言し、一念発起してがんばり始めようとする人がいる・・・怖い話です。少なくとも、運動を始める前の血圧が高度(III度)高血圧であれば、まずそれを治療してからでないと運動はできません。コントロールが不良の糖尿病を指摘されたら運動を始める前にまず内服や食事療法でしっかり血糖値を安定させなければなりません。高度肥満の方もまずは食事療法で体重を落としてから運動を始めないと身体を壊します。疲れがたまっていたり睡眠不足のとき、あるいは感染症が治っていないときは運動を中止する勇気が要ります。そんなときに一番突然死が起きやすいからです。運動をするにあたっては「運動療法適応基準」とか「運動禁忌基準」とかが設定されており、おしなべて安全性最優先になっています。運動をしたがっている当事者には不満足かもしれませんが、運動療法という名の治療はそれほど危険なものだということを、する側もされる側も知っておかなければなりません。

ただ、「だから運動はしない方がいい」というのは間違いだと思います。身体を動かさなければ退化します。筋肉が落ちれば老化します。“運動”は健康的な生き方をする上で避けて通れない必須項目です。自分の身体の現状を知り(医療機関でメディカルチェックを受けるのがベスト)、自分に合った運動法を知った(健康運動指導士やトレーナーの指導を受けられると最高)上で、運動することに楽しみをみつけること・・・そこにわたしたちの求めているものがあります。

●メディカルチェックを過信しない

ただし、メディカルチェックをしておけば何も起きないかというとそうとは限りません

いつも忙しく走り回っていた会社経営のIさん。運動なんかしている時間がもったいない。食事に時間をかけている暇はない。健診なんて受けなくてもわたしはこんなに元気だ!と言っていた彼が、あるとき人間ドックを受けたのをきっかけに『健康』に目覚めました。運動は「時間がないからできない」ではなく「自分で時間を作ればいつでもできる」と言い、「まずは野菜から」などと語り始めました。おかげで1年後の健診結果は見違える成果でした。相変わらずの忙しさの中で「健康を維持するために自分を変えるのは楽しい」と言っていた彼が、ある日突然亡くなりました。原因はわかりませんでしたが、彼に関わったすべての人がショックを受けました。

高血圧と脂質異常症の治療中だった更年期前のKさんがうちのフィットネス施設に通うようになりました。口数少なく、スタッフともあまり会話を交わすことのない彼女でしたが、運動など縁もなかった生活から一変して黙々とまじめにがんばったおかげで、3ヶ月後の検査でデータの改善がみられました。ところが、そんな彼女が脳卒中を起こして緊急入院しました。運動から帰ってきてから「少しきつい」と言って横になったまま動けなくなったのだそうです。わたしたちは病室に見舞いに行きました。付き添いの娘さんが、「最近は運動に行くのをいつも楽しみにしていたのに」と残念そうに語ってくれました。

彼らは定期的にメディカルチェックを受け、その都度運動処方を評価して無理しない運動を心がけていた方々です。そんな人でも事故は起きるのです。ですから、日ごろよりちょっと疲れやすくなったとかいつもと何かが違うと感じたときに、「歳のせいかな」「少し運動量を減らして様子をみよう」などと思わずに、すぐに医療機関に相談に行く勇気も必要です。

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鏡・その2

床屋に行きました。

月に一回、まるまる1時間、動くことなくじっとわたしの姿と対峙しなければならない試練の時間。1ヵ月前に比べたら今日はちょっと頬っぺたが膨らみすぎ。太ったか?などと内心思いながら、顔を上下左右に動かしてみたり店主に気づかれないようにちょっとだけ斜めにしてみたり、思いっきり目をつぶってみたり、いろんなことをしてみます。目の前のシルエットが膨らんで見えているのは錯覚かもしれないと思いながら・・・。

いつもの店主との世間話が、今回はほとんど上の空でした。その理由は、「歳取ったなあ」という初めての感覚に襲われてしみじみと鏡の中の自分を見つめていたからです。思いっきり目を見開いてみても、少しだけしかめっ面を作ってみても、できる大きなシワのひとつひとつが、あるいは全体としての表情が「じいさん」なのです。”年齢相応”と云ってしまえば元も子もないないけれど、いつもは四苦八苦しているうちに何とか妥協できる表情に落ち着いたのに、今回は何をやってもダメ。この1ヵ月に何が起きた? もう戻れない一線をついに越えてしまったのではないかという気になります。そういえば最近、若いスタッフから「先生、疲れてますね」とか「どうしたんですか、そんなしかめっ面で?」とか声をかけられる回数が急に増えた気がします。鏡に映る赤いチェックのシャツが無意味に若作りで不釣り合いに見えてきました。

どうも、その原因は「目」にあるように思います。老化のせいで二重になってしまった小さな目が、明らかに疲れを訴えているんだ。サバ目になっている!睡眠4時間の日々ではしょうがないのかしら、と思いながら、まだ負けたくない!と足掻いてみる。「疲れている」と云わせない唯一の方法は、いつでも笑っているしかないな。一層顔が四角くなってしまうけど・・・。

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何か気分が悪い(後)

上司は、「あのとき妻の車に乗らなければ、駅で倒れてAEDで助かったかもしれない」と云っていましたが、たぶんそんなものでもなかっただろうと思います。彼は宴会が終わった時点で(あるいはそのちょっと前から)梗塞を発症し始めていたはずです。

突然の訃報・・・2月に同じように急に逝ってしまった大学時代の先輩のこと、忘年会の帰りに車の中で仮眠しながら亡くなった病院スタッフのこと、朝亡くなっているのを発見された同僚のこと、いろいろな場面が脳裏をかすめます。

「結局、こういう突然死って、必ずと云っていいほどお酒が絡んでいるよね」・・・散歩中にとなりを歩く妻がぽつりとつぶやきました。「それだけでもないさ」と反論しながらも、彼女の云いたいことはわかっています。”次は我が身だよ”ということ。妻には内緒だけれど、実はわたしも最近こんな症状を経験したことがあります。それは酒の席ではありませんでしたが、庭の草刈りをしていたとき(あ、そういえばその前にビールを一缶飲み干していたかも)でした。「これいつもと違う」~とっさにそう感じながら、もちろん専門領域だから心臓発作の可能性はあるなと思ったので、ちょっと仕事の手を休めました。最終的な自己診断は心筋梗塞・狭心症ではないけれど(根拠はありません)要注意!だなと肝に銘じました。

わたしのご同輩かそれ以上の年齢の方々、今までの長い人生で経験したことのない「何かいつもと違う気分の悪さ」は歳のせいではありませんから、すぐに病院に行く勇気をお持ちください。

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