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「人間の権利」

3か月ごとに発行される機関誌のコラム、今回はこんな話題にしてみました。

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  「人間の権利」

この連載コラムの初回に『楽しくなければ人生の無駄遣い』を書いてから2年が過ぎました。その後みなさんの毎日は無駄遣いになっていないでしょうか?

「悪い生活習慣を正して良い生活習慣にすると脳卒中や心筋梗塞やがんで人生を棒に振る危険性が下がるので、とにかく意識して節制しなさい!」・・・医療者も一般のみなさんも、少なくとも先進国の多くの人間が相変わらずそういう感覚で日々を過ごしています。それが「健康を得るためには避けて通れないもの」だという暗黙の共通認識の下で生活しているようです。「もっと運動しないといけませんネ」「こんな生活じゃいけないんですよネ」と、聞いてもいないのにそんなことをあいさつ代わりに言い合う世の中になったのは、ここ5年くらいではないかと思います。

一体それは何のためなのでしょう? 病気にならないためにがまんする人生はそれ自体が人生を棒に振っています。人間には、持って生まれた『楽しい人生を送る権利』があります。がまんの人生は楽しい人生ではなく、楽しい人生のためにがまんを強いるのは完全に矛盾しています。おそらく、人間にはもともと“本能”と一緒に“節度”が備わっており、また“生存のための遺伝子”はふつうにしていれば絶対に有利な方向に流れていくように作られているはずです。“煩悩”という抵抗因子を作ることでモラルが生まれ、哲学が生まれたのだとしても、神様はがまんで人生を作りこんでいくようなことは絶対求めていないと思うのです。いわゆる発展途上国の人たちやもっと未開の原住民族の人たちの表情の何と晴れやかで楽しそうなことか・・・世界は、文明の便利さを取るか、未開の楽しさを取るか、二者択一の選択肢であるかのように振舞っていますが、本来2つはふつうに共存できるはずのものです。

現代は、生活のために労働し、生きていくために物を食っていた時代とは明らかに違います。人間の生きていくための道具である運動と食事が、飽食・機械化という時代の流れの中で煩悩の象徴となったことはやむをえないとしても、これが“病気予防の道具”や“病気管理の手段”としての存在である時代がこのまま続くようであれば、やはりそれは異常だと思います。人間の本能の源に立ち返ったら、ゴロゴロすることより動くことを、石ころを食ったあとのような超満腹感よりやっとあり付けた大好物をゆっくりいただくことを、幸せと感じられる感覚が本来のあるべき姿のような気がします。そして今、密かにそういう時代になりつつあるということに気づかないのは勿体ない、とそう思う次第です。奇しくも今、エコの時代になっています。節電はこれから生きていく上ではなくてはならないものであり、皆ががまんに音(ね)を上げているのかと思いきや、口ではいろいろグチを言いながらもそれなりに節制することを楽しんでいるかのように見えます。おそらくそれが人間本来の力であり、今その能力を発揮できるようになりつつあることに妙にテンションをあげている感じなのかもしれません。 

捨てたもんじゃないぜ、現代人!

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コメント


眉間にシワを寄せてる人見ると


チョキして

ビ〜〜〜〜〜って!!

シワ伸ばしてあげたくなります。。

節電してる銀行なう!

ヒンヤリしたいわ。。

投稿: ぱみゅぱみゅ | 2012年7月20日 (金) 10時48分


これぞ
まさしく

元気人生
応援ブログやと

スカッとココロが
晴れました

投稿: キノシタです | 2012年7月20日 (金) 12時03分

ぱみゅさん

おあつうございますなあ。

あした、高速降りそこねたら、そのまんままぁっすぐ、九州までまぁっすぐ来ちゃってください(笑)

投稿: ジャイ | 2012年7月20日 (金) 22時31分

キノシタさん

豪雨のおかげで、大分は偉い遠いところになってしまいましたよ。

来週末はお気をつけて。どうでもいいことだけど、熊本にも数か所、厳島神社ありますよ(笑)

投稿: ジャイ | 2012年7月20日 (金) 22時44分

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