« 2012年10月 | トップページ | 2012年12月 »

2012年11月

健診の診察

「あ、シャツは脱がなくて大丈夫です」・・・わたしはそう云いながら肌着の上から聴診器を当てました。シャツをまくり上げようとしていたその男性は、ものすごく怪訝そうな顔をしました。また「いい加減な診察をされた」とか云われるのだろうか?少し気にはなりましたが、急に寒くなった昨今、直接冷たい聴診器を肌に当てたくないし、循環器科用のわたしの聴診器、肌着の一枚くらい全然関係なく聴き取れるわ!と思うわけです。それはわたしの診察のやり方です。

「手を抜かれた」という意見をもらう一方で、「肌着の上からでも診察できるはずなのに全部脱ぐように指示された」と若い女性からクレームが出ることもあり、数年前にうちの施設での診察の仕方のマニュアルができました。「椅子に座ったままで行う」とか、「検査着は脱がせる(Tシャツ1枚は可)がブラは外させない」とか、「後ろを向かせない(脇から後ろに聴診器を回す)」とか・・・。

そんなことまで決めるのだったら、いっそのこと診察は要らないのではないか、という意見があります。昔、「健診の診察は単なるセレモニーだから聴いているフリをすればそれでいい」と云っていた人が居ました。いろいろな検査をするのだから、診察はあっても意味がないと思っている医者も少なくありません。でも、実は診察は意外に重要な情報をもたらします。心雑音の有無は心電図やレントゲンではわかりません。肺雑音もレントゲンでは得られない情報ですし、甲状腺腫の有無、脈拍の左右差、アトピー性皮膚炎の有無など、採血検査や一般的な検査では得られない情報はたくさんあって、それの確認のために診察があります。逆の云い方をするなら、そんな項目をチェックしないのなら健診に診察は要らないことになります。

是非、健診を受けるときには、医者はそんな項目をチェックしているかどうか確認してみてください。

| | コメント (2)

悠々自適

「のんべんだらりんとした生活をしていちゃダメですよね」・・・ある人間ドック受診の女性が、そんな総括をしました。いつでも何かを即座に返さずにはおれないサガのわたしは、「ぐーたらせずに、もっと悠々自適に生きたらいいんじゃないんですか」と答えてやりました。そう答えておきながら、”のんべんだらりん”とか”ぐーたら”とかいうのと”悠々自適”とは、何が違うのか? この似たようなことばの意味を考えてみました。

わたしは、この違いは「自分のやりたいことをやるかやらないか」なのではないかと思っています。元首相の細川護煕さんが人生の目標にしている”晴耕雨読”も、おそらく”悠々自適”に通ずるものでしょう。”悠々自適”の意味は、「のんびりと心静かに、思うまま過ごすこと」で、それはつまり、自分がやりたいと思ったときにやりたいことをやる、ということ=「行動する」ということです。それに対して、”のんべんだらりん””ぐーたら”の基本は、何もやらないこと・・・自分から何かをやるのは面倒くさいから、「やらない」、という態度です。そう考えると、この”のんべんだらりん”と”悠々自適”は、まったく別のものだと云えましょう。

”悠々自適”はしっかりと自分を見つめないとできないことです。自分のやりたいことが分からないと”悠々自適”は実践できません。人生を前向きに!”悠々自適”に生きながら、もっと良い人生になれるよう、がんばりましょう。

| | コメント (2)

早食いと肥満

昨日のCareNetに「早食いは肥満のもと―日本の子どもを対象とした報告―」という題名でJournal of Nutritional Science and Vitaminology誌 2012年58巻4号掲載の報告が掲載されていました。沖縄県那覇市の小学校35校、中学校17校の生徒と名護市の小学校17校、中学校8校の生徒を対象に、子供の食べる速度と肥満の関連性について横断的研究を行った(Ryukyus child health study)というものです。それによると、食べる速度が早いほど過体重になるリスクが高いとともに、タンパク質、脂肪、食物繊維の摂取量とは無関係だったそうです(データはかなり昔のものですが)。

これはつまり、「早食いだと満腹中枢を刺激して食い過ぎるから太るのだ」という理屈ではない、ということを示しています。この手の報告は以前にもあり、たとえば2006年に名古屋大学から報告された「『早食いは肥満の元』は量の多さや満腹感に限らない」というでは、成人を対象に摂取量や運動量を同じに換算して検討しても、男女共に食べる速度が速ければ平均体重が重く、遅いと体重も軽いという結果でした。

この意味づけは学者さんがいろいろ考えるとして(昨今はやりの食べる順番ダイエットの理論も関係するかも)、とにかく量にかかわらず早食いはエネルギーを溜める、という結論をいかに啓発啓蒙し、煩悩と戦わせるか・・・簡単なようでなかなかむずかしいはなしです。

| | コメント (0)

ひげそり

中学1年か2年のころ、「ひげぐらい剃れよ!」と同級生に云われたことがあります。

え?ひげそりなんて大人がすることなんじゃないの?せめて高校生以上がするもので、あとはせいぜい月一回の床屋で顔剃りしてもらうもので、中学生の分際でひげそりしようとしたら、大人に笑われるんじゃないの? ・・・純真無垢に育ってきたわたしは、あのとき本当にびっくりしたのを覚えています。帰って母親に云ったら、「あんたもそんな歳になったの」と笑われ、父親に云ったら嬉しそうに剃刀のセットの仕方を教えてくれました。

『ひげは伸びたら剃ればいい』・・・オトナからみて、あるいは一度経験した人間からみれば、ごく当たり前なことで、「そんなことくらい考えたらわかるだろ」とか、「悩むほど大したことではない」ということでも、自分にとって初めての経験事は、やっていいのかどうか判断する材料すらありません。 いつも優等生で生きてきたわたしの人生は、常に晩熟(おくて)晩熟でした。「そろそろこれをしなさい」と云われたことはした方がいいかもしれないけれど、それ以外は時を待った方が良いのじゃないか、と。 

若いころは「あんたはマジメだねぇ」と笑われるのがコンプレックスでとてもイヤでしたが、この歳になると返ってあの当時の自分の感覚が良い財産になっています。「最近の若いやつは指示されないと何もできない」とぼやく大人たちを見ながら、「それは、やっていいのかどうかわからないからだ」と理解してあげられるから。そんな若者だって、経験値を積みながら、ここは自分の思うようにやっていいんだ、ということを認めてもらえば本領発揮できる不器用なやつはたくさんいるはずだから。

| | コメント (0)

落ち葉掻き

昨日の日曜日は一日に3回も家の前の落ち葉掻きをしました。舗装道路にこびりついた葉を掃くのは意外にやっかいです。まとめて掻き集めてからすくうのが効率的な場合もあれば一枚一枚塵取りで拾った方が早い場合もあり、これはそれなりの経験とアタマが要ります。

一般的に、掃除嫌いなひとほど一網打尽を夢見るように思います。できるだけ最低限の労力で最大限の効果をもたらす方法は?と策略を練るようですが、これが意外にうまくいきません。思ったほどの効果がないことが分かると、もはや完全に興味を失うようで、それが手に取るようにわかるから面白い。もっとも、結局掃除の邪魔になるだけですけど。

方や、一枚一枚異常に時間をかけて拾い上げている御仁も・・・。この場合は、明らかに時間が過ぎるのを待っています。あるいは助け船を待っています。「おいおい、ちょっと代われ!そんなんじゃ終わらんぞ」と云われるのを待っているパターン。きっと、子どものころからそういう人生を歩んできたのだろうなと思います。別にその子を育成したいわけでもないわたしは、そんな場面ではさっさと仕事を取り上げます。

「机の上の整理整頓をきちんとするように!と口を酸っぱくして云ってるのに整理できないヤツがいて、必ず重要書類を失くすんです」と、先日会議中にとなりに座った某部長がぼやいていました。「なんでできないんでしょうね」って。わたしから見ると、部長の机も決して綺麗な方ではないけれど、掃除はセンス。子どものころからの躾の要素もありますが、結局は「あれだけ指導しているのに、どうして音痴なんでしょうね」って云ってるのと同じようなものだと思っております。

そんなことを考えながら黙々と作業していたら勝手に綺麗になっていました。もう少しで、庭のヒメコブシもハナミズキも素っ裸になります。いよいよ冬です。

| | コメント (5)

成長ホルモン

かなり昔に教わったこと。ふと、思い出したので、メモ代わりに書いておきましょう。

”成長ホルモン”のこと。成長ホルモンは、老化を防ぐ重要なホルモンであり、これをきちんと分泌させることがアンチエイジングのキーポイントなのだというのです。

「胃を空にする」・・・小腹が空いたときに何かを食べるのではなく、完全に胃を空にしてから食べ物が胃に入ると、”グレリン”という物質が分泌されます。このグレリンが分泌されると、それを通して脳下垂体から”成長ホルモン”が分泌されるのです。わたしが以前から主張してきた真の意味での「お腹が空いた!」がホルモン活性にいかに重要かのお墨付きをいただいた気がしました。

”成長ホルモン”は生活習慣のいかんに大きな影響を受けます。例えば、十分な睡眠や適度な運動や、あるいはたんぱく質摂取をすると分泌が増加しますが、糖をとりすぎると逆に低下することがわかっています。ホルモンというのは、もともとからしっかりと計算し尽くされた分泌のしくみがあります。乱れた生活が準備されたホルモンの働きをきちんと発揮させられなくするなんて、なんともったいないことでしょう。

| | コメント (2)

ひとり台詞

「恋は夢路の始発駅。どうせ野暮なシャバならば、愛しいあの娘としっぽりナイト! 時の流れをさかのぼり、のぼる気分は、ボ・ヘ・ミ・ア・ン!」

「夢を召しませ、召しませ夢を、お気の召すまま、召しませ夢を・・・」

「大江戸八百八町、銭湯の数五百、東は亀戸、西は角筈・・・」

「春は、レンゲの花の咲きそろうピンク色のたんぼ。だが、百姓の一年は、決してピンク色などでは、ない。甘えてはイカン・・・」

先日亡くなった森光子さんが、病床でも時折台詞のけいこをしていた、というニュースを見ながら、わたしも思わず口から出てきた台詞。「森さんは舞台復帰のために精力的にがんばっていた」とか云ってましたが、役者はヒマならその辺の脚本もってきて大声でセリフってみたり、お気に入りのフレーズをソラで唱えてみたり、などというのは日常茶飯事です。わたしもよくストレス発散のために大声で台詞を云ってみていました。そういえば、最近「大声で台詞を云う」なんてこと、まったくしなくなりました。これも歳のせいでしょうか。世の役者さんが暦年齢よりもはるかに若いのは、実年齢よりも若い役をいつまでもやり続けることで、役の人間になりきることができるからです。「分別はアンチエイジングの最大の敵」・・・たまには書棚の奥からお気に入りの脚本を持ち出して、大声でセリフってみましょうか。

| | コメント (0)

給食はメタボの敵なのか?

学校共済はうちの大口のお客さまです。

小学校の先生方が夏休みを中心に人間ドックを受けに来られました。ご多分に漏れず、先生方にも老若男女を問わずメタボの方が多くなってきました。彼らと話していると、やはりネックは給食だと云います。「給食は残さない」という教育のためには、お手本になるべき教師が”腹八分目”を実践するわけにはいかないのだと。しかも内容は育ちざかりの子どもたちのための食材。量は”大人だから”子どもたちより少なくは盛ってもらえない。「おかしいですよね、あんな高カロリーのもの完食しなきゃいけないなんて!」・・・先日も、ある妙齢の女性がそうぼやいていました。

最近の給食は、「食べたくなければ残しても良い」と聞いていますが本当ですか?アレルギーだとか体格に見合った食習慣だとかを理由に、無理強いは権力の濫用だと親御さんがおっしゃるのか、それともどこぞのお偉い先生方がおっしゃるのか?

話を戻します。で、結果として、教職員のメタボの理由は給食にある!だからやむを得ない職業病だ!と胸を張って答える先生方に喝を入れるのもわたしの仕事です。「あなたがメタボである理由は、給食のせいでも運動不足のせいでもなく、単に学校以外で食べ過ぎなだけです!」と。給食をスケープゴートにしてはなりません。小学校の先生方の昼間の運動量はかなりなものです。給食で取ったカロリーくらいそれなりに消費しています。昼間に十分な栄養素をバランスよくいただいてるのだから、もう後は何も食べなくても栄養失調にはなりません。ありがたいことではございませんか。

もっとも、給食そのものが、子どもの生活習慣病の原因を作っている要素も否定できず、さらに悪の根源(わたしが毒薬だと吹聴している)牛乳神話を作り出しているのも給食ですし、内容の見直しの時期ではあるのでしょうね。

| | コメント (0)

健康学

わたしが予防医学の世界に身を投じた10年前から、わたしのスタンスはまったく変わっていません。求めているものは「健康とはなにか?」ということ、それに尽きます。

「健康」について、これまでにどこかで教わったことはあるか? ノーです。医大生だったときにも、研修医のときにも、それ以降のどの臨床現場でも、「健康とはなにか?」の答えを導いてもらったことは一度もありませんでした。それはつまり、「健康は普通にしておれば自ずと得られるもの」という既成概念が蔓延しており、「病気を制すれば自ずと健康は得られる」という勘違いがいまだに通用しているからに他なりません。

最近、医学部にも「予防医学講座」の類ができてきていますが、それでも「健康学講座」は聞いたこともありません。「健康学」は学問として成り立たないということでしょうか。それとも、医学者の興味のターゲットではない、というのでしょうか。

探れば探るほど、奥深さが身に沁みる「健康学」。それを極めることにもっと精進いたしましょう。

| | コメント (5)

言い訳

「先生、そろそろXデーじゃないんですか?」・・・周期的に、職場のスタッフがチャリ通勤の再開を促してくれます。

「最近妙に目が見えなくなってね。帰りの時間、暗闇が怖いんですよ。ライトが暗くて前が見えにくいんですよね。」
「そりゃ、大変ですね。でも、先生のところは街灯があるでしょ。うちなんか完全に真っ暗ですからもっと怖いですよ。」

「やっぱり、自転車通勤の爽快感ときたら最高です。帰ってからのビールが美味いし、風呂も気持ち良いですよー♪」
「うん、わかる。でも、今でもビールは美味しいし、風呂は夜中に入るからね。」

「結局、いかに第一歩を踏み出すか、だけじゃないんですか。」
「そうそう、一回やってたことの再開なんだから、やりさえすれば簡単にできるはずなんだけどねえ。なかなかその第一歩が出ないねえ。朝のブログ書きを止めたらできるかなあ。」

約2年間止めてしまっているチャリ通勤の再開。朝に時間がない。頸椎を痛めて足がしびれる。体重が増えた。動脈の石灰化がわかって激しい運動が怖い。目が悪いので暗くなると前が見えない。再開しようと思ったらその日に限って雨が降る。・・・言い訳に際限がありませんが、再開したい気持ちはいつもアリアリで、いつでもできるように自転車の整備は続けているのです。

ちょうどこれって、禁煙していた人間がまた吸い始めて再禁煙しようと思っているときに似ています。一度していたことなのだから、その気になればいつでもできるはずなのだけれど、なかなかその第一歩が踏み出せないんだ・・・。

| | コメント (0)

過剰包装

たまった紙ごみを分別していました。読みもしないダイレクトメールの大きな封筒がたくさん、送られてきたままの状態で山積みされています。これの処理をしなければならない、と思うと毎回ウンザリします。最近はどこもみんなビニールに入れた簡易包装だからです。

中が見えるようにすると安くなるんでしたっけ? いずれにせよ、医療関係も化粧品屋も雑誌のPRも毎月の機関誌も、猫も杓子もみんなビニール包装で、こやつがものすごく開けにくいんだ! 紙の封筒だったら、個人情報の宛名タッグだけむしりとればそのまま捨てられますが、ビニールと紙は分別しなければならないものだから、読みもしないのに開封しないといけません。粘着テープで強力に貼り付けてあって、イライラします。さらに中の冊子までご丁寧にビニールで再包装されていたりしてまたまたイライラします。こんだけイライラしながら分別したものを当日は廃品業者のオッチャンが不法に持ち去るわけで・・・あーアタマに来る!

世のダイレクトメールの多くがこのパターンを取るということは、送ってくる企業としては、いかに中身を見させるか、いかに封を開けさせるか、いかに他のダイレクトメールと差別化させるか、いろいろ試行錯誤した結果、今の方法が一番効果的だったということなのでしょうかね。でも、わたしには怒りのネタの過剰包装にしか見えません。ただただ無機質にビニールを開けて中身をそのままゴミ箱に入れる作業の何と虚しく無意味な時間の浪費であることか・・・。

何がエコだ!

| | コメント (0)

快感

朝、荷物を医局のデスクに置くなり、大急ぎでトイレに入りました。

とっても大量のオシッコが、小便器に音を立てて出ていきました♪ 気持ちいい~♪ 周りに誰かがいるかどうかを確認することなく、つい、口に出してしまいました。尿意を催して、便器の前に立って、何の沈黙の時間も空白の時間もなくオシッコが出る幸せ・・・若い人にはわからないでしょうなあ。

でも、朝のトイレの大量オシッコは、ホントにうれしい。すればするほど浮腫みがとれていく気がするのです。休み明けの朝は、わたしはいつも大量のオシッコに行きます。そして、浮腫みきった顔が昼前にはいつもの顔に戻ります。 ・・・一体わたしは、何者だろう?

とにかく、大量のオシッコは、快感だ!というお話です。

| | コメント (2)

悪夢なのか?

この一週間とても眠い日が続いた。毎日眠い理由は、睡眠時無呼吸か悪夢のせいだと自己分析している。

昨日、夢を見た。
決まって目覚める就寝1時間後・・・目覚める前には私はゴルフに来ていた。ゴルフコンペの前の晩にはよくこの夢を見る。もうすぐ始まるはずなのに、何かとトラブルがあって、全然違うことをしている。こんなことをしていたらスタートに遅れるんじゃないかなと思うのだけれど、次から次から用事ができる夢だ。焦っては、いる。でも、何となく意外に落ち着いている自分でもある。

小便して寝たら、また1時間半後に目覚めた。そのときに見ていた夢は芝居の夢だった。劇団ワンツーワークスの公演があったからかもしれない。彼らの芝居がらみの夢は、時々見る。いつも見るのは練習もしていない私が突然特別出演してしまう夢だったが、昨日の夢は違っていた。ワンツーワークスの主宰の古城十忍が、何と!役者をしていた。彼の役者姿を知っている人間は、数少ない。昔よりはるかに良い演技をしていたので、つい感心してしまった。ちょっと得した気分の時に目が覚めたから、目覚めは悪くなかった。

でも、できたら、見た夢なんか何も覚えていないような、スッキリ熟睡の朝でありたいものだ。・・・眠い。

| | コメント (0)

がん検診

肺がん、胃がん、食道がん、前立腺がん、乳がん、子宮がん・・・著名人や芸能人ががんに罹患するとテレビやマスコミが大々的に報道してくれます。するとこのときだけブームになって、健診や人間ドックの受診者が多くなります。

がん基本法に「がん検診を受けなければならない(国民の責務)」と謳ってあるにもかかわらず国民の20~30%しか受けていません。特定健診が動脈硬化に特化したために、たしかに「がん検診」が疎かになりがちで、「自治体の補助なしで自腹払ってまで検診を受けろ!というのならそんなもん受けん!」という人も少なくないでしょう。そんな人たちも、著名人、有名芸能人ががんに罹患すると、途端に自腹を払うことが苦にならなくなるらしいから、彼らが早期発見の重要性を自らの口から話してもらえるのは”啓発”のためにとてもありがたいことだと思います。

ただし、がんが心配で人間ドックを受診した、という人の中には、むしろ糖尿病や高血圧が野放し状態になっている人が少なくなく、説明のときにそっちを強調するのだけれど、彼らはそれを見事にスルーします。「結局、がんは心配ないのですね」と確認して、そそくさと帰られます。あんた、がんの前に心筋梗塞になっちまうぞ!

| | コメント (2)

慣れる

最近、座って仕事をしていると時々足先がチクチクっとします。座っていると足がしびれたりするのは交通事故に遭ってからずっとなのでいいのですが、この足先チクチクは最近出てきた症状です。でも、一瞬で、すぐに消えます。でも、何度も断続的に襲ってきます。

若いころだったら、「これは一体なんだろう?どういうメカニズムで起きている、なんという病気だろう?」「このまま放置したらどういうことになるのだろう?」「どうやって検査したら診断がつくのだろう?」「それを今した方が良いのだろうか?」などと、まるで医者みたいなことを考えていたことでしょう。

でも最近は、こういうのには慣れてきました。歳をとるとこの程度のことはなんでもアリです。こんなもの、すぐに治るのだからそれで良いんじゃない? わたしのカラダの中に配備された優秀な親衛隊が勝手に戦ってくれているんじゃない? 現場に任せとって大丈夫じゃろ!と、そう思うのであります。それがもしかしたら「本当は怖い家庭の医学」的な病気の前触れだったり、坐骨神経痛や痛風の前触れだったりする可能性がないわけではないけれど、うちの親衛隊、今のところ失態は演じてないから・・・。

「この肝のう胞ってどうやったら治りますか?」「食道裂孔ヘルニアって治らないのですか?」とか真顔で聞いてくるお兄ちゃん。無傷のカラダが取り返しのつかないキズモノに成り下がった気分でしょうね。でも大丈夫です! あと10年もしたらそんなものすぐに慣れます。世の中にはもっと気にしなければならない病気がたくさん存在することを知ってしまえば、上には上があることさえ知ってしまえば、へっちゃらです。

| | コメント (5)

健診の日

「わたしは毎年この月に合わせてドックを受けてるのだから、何としても今年も同じ月に予約したい」・・・先日、予約枠がいっぱいだったので違う月を勧めたらそう反論されて予約係の御嬢さんがとても困った、というエピソードがありました。

うちの健診施設はリピーター受診者が多いのが特徴です。人間ドックを受けたその日に翌年の同じ日の予約をして帰る人も少なくありません。毎年、同じ時期に同じ検査を受けて比較すると、年齢や生活習慣の変化の影響を確認できます。だから「同じ条件」にこだわるのはよく分かります。でも、その場合はそれ以外の季節のことがわかりません。健診のときの血糖や脂質はとても良好だとしても、それが正月どうで、盆がどうなって、新年度の始まりにどうなっているかまったくわかりません。日頃かかりつけ医で見てもらっているひとではなく、毎年1回の人間ドックだけが自分の1年間の努力の成果発表の場だと位置づけて、ドックを楽しみにしているひとが、実はたくさんおります。

生活習慣病の異常が発見されて、生活習慣のアドバイスをもらって、「よし今からガンバルぞ!」とココロに決めたひとにとって、その成果の評価が1年後ではちと悠長すぎます。かといって性急にがんばってせっかちに3か月後に正常化したとしても続かなければ意味がありません。

人間ドックは値段が高いのでどうせ1~2年に1回しか受けないのですから、うまく利用してください。たまにはいつもと違う季節にあえて受けてみる、というのも面白いかもしれません。

| | コメント (0)

落ち葉拾い

今年の健康フェアは、始まる頃はあいにくの悪天候でしたが何とか雨は上がりました。ただ、雨と風が強かったために、玄関前の植木の葉っぱが一斉に落ちて舞い始めました。

早速、箒を出して皆で手分けして落ち葉を掃き集めました。なかなか骨が折れる仕事です。掃いても掃いてもすぐに次が落ちてきます。必死で掃いていたら、一陣の風がやってきて、嘲り笑うかのように大量の葉がアタマから降ってきました。

「先生、何か虚しいです」・・・ある保健師さんがぼやきました。
「先生、今やっても無駄ですよ」・・・笑いながら事務部長が云いました。

「気にしない、気にしない。これが予防医学ってもんさ!」・・・意に介さず、わたしは掃きつづけました。「降ってくる上を見ないで、下にある落ちた葉っぱだけ拾って行きましょう。地道にやっていけばいつか必ずなくなります!」

生活習慣病との戦いはまるで落ち葉拾いのようなもの。地道にがんばってもなかなか成果が出てきません。上を見るとため息が出ます。でも、やることをやっていけば、必ず少しずつ変わっていくはずです。わたしたちの仕事もまた、落ち葉拾い・・・地道に働きかけてもなかなか生活を変えてもらえません。でもそれでも続けること・・・そうしていくうちに受診者の皆さんの何かが変わっていくものです。

あの日は、家に帰ったら、我が家の周りにもたくさんの落ち葉が・・・さすがにちょっと閉口しました。

| | コメント (0)

オンとオフ

「妻の存在の有難味を、ひしひしと感じています」

何度かメンタル障害で休職を繰り返したことのある男性が今年の夏に関東から転勤してきました。来てから数か月たち、また徐々にストレスが溜まって来つつあります。上司からは、オンとオフを意識してメリハリのある生活をするようにしてはどうか、とアドバイスをもらったそうですが、それがなかなかうまくいかない、と云います。

仕事が思う様にはかどらず、それでも残業せずに帰れ!と云われ、これまでは1時間かけて新幹線通勤していたのに今は歩いて10分のところにアパートがあるから、気持ちの切り替えができる前に着いてしまいます。そして結婚後初めての単身赴任・・・何よりも、アパートに帰って玄関を開けたときの暗くてひやーっとした空気が一番堪えるのだそうです。こちらに来たころは一人で好きにできて気が楽だろうと思ったけれど、かえって孤独感が強くなる一方・・・。一人でいると夜も床につくきっかけを作りにくく、無理に床についてもなかなか寝付けない日々・・・。

そんなお話を産業医という立場で本人から聞きながら、若いころに経験した自分の単身赴任のときを思い出していました。玄関ドアを開けたときの冷たく寂しい暗闇や、毎晩夜中の2時3時まで何となく悶々として起きていたためにいつも眠たかったあのころ。

そんな彼が最後に云ったのが冒頭のことばです。先日自宅に帰ったときに妻にも話しました、という彼の顔がちょっと柔かだったので、どこか救われた気がしました。

| | コメント (0)

ことばの重み

「説明のときに『連絡します』って云われたのにいまだに連絡がありません」という問い合わせの電話がよくかかります。当事者に確認すると「そんなこと云ってません。『もし異常があったら連絡するかもしれません』とは云ったけれど」・・・この手のトラブルも後を絶ちません。云う側は意図的に区別したつもりなのに、聞いた側が自分で勝手に思い込んでしまうパターンです。でもこれもまた”ことばの重み”に対する想いの違いが表れた結果だという気がします。

「あ、はいはい。それは大丈夫です、はい、わたしの力で何とかできます。」・・・決めていたことを守らない相手に「どうしてしてないの?」と詰め寄ったときに、全く意に介さない云い方で自分の非を認めない返し方をする人がよくいます。「あれはどうなったの?」と聞くとまったく見当違いなことを延々と言い始められて辟易したり、てのもあります。「なんだ、その云い方は!」「何云ってるの?あんた、ホントに日本人か?」と、若いころにはよく怒鳴ったものです。

”ことばの重み”・・・思いを込めた言霊を、するっとかわされて捨てられるもどかしさや苛立たしさを、「あいつはあんな性格だからしょうがないよ」「能力がないやつに何を云ってもムダ」とあきらめてしまうのがなかなかできずに、口論が始まるのでしょう。考えてみればこれは、ことばをしゃべれる人間だけの持つ特権なのかもしれませんが、最近はこんなことでケンカになったり殺人事件に進んだりもする時代になってちょっと物騒です。「ことばはもともとスレ違うもの」「スルーパスはいつも同じようなパスを出していなければキラーパスにはならないもの」・・・日ごろからそう考えておくのが、日々を健やかに過ごす最良の処世法だと思うことにしています。

| | コメント (0)

決まったら連絡します。

「先生の都合がいいのはこの日なんですね。わかりました。また正式に決まったら連絡します。」・・・わたしの勤務の都合でちょっとした検査日程の変更を余儀なくされ、受診者の方の都合などを聞きながら調整をしてもらいました。

さて、その当日になりましたが一向に連絡がありません。「あの件はどうなっているの?今日は検査があるの?ないの?」・・・業を煮やして担当責任者に聞きにいきましたら、「あ、今日ありますよ。皆、それで予定を調整しましたから、問題ありません」という返事・・・。

こっちは当然、「連絡がくるまではペンディング」と思っていますが現場は既成事実として進んでいて、「その日にしろと云ったのはそっちじゃないか!」という空気・・・こういうことは世間ではよくあります。今回は身内のことでしたが、これが受診者さんやお客様の場合は、云った云わないの論争がそのまま大きなトラブルや訴訟に発展することもあって、バカになりません。「決まったら連絡します」ということばにきっとウソはなかったのだと思います。ところがそれを関連部署に伝達する途中でいつの間にか消えてなくなっています。受け手が大事だと思っていることを送り手は最重要項目と思っていない、そんな温度差がこういうトラブルを引き起こします。

そういえば、「午後にあらためて連絡します」と云ったまま1週間たっている案件が1つあるのですが、あれはいいのかなあ、このままほったらかしていても・・・。

| | コメント (2)

判定をにぶらせる

「安静時に、首から胸にかけて痛みが走ることがある」

人間ドックの結果説明をしようとしたら、問診票にそういうメモがありました。曲りなりにも循環器救急をやってきた医師として、この文を読むと、「それは狭心症かもしれない?不安定狭心症や異形狭心症は否定できるのか?」と即座に思います。「不整脈ということもあり得るな」とも。

”専門バカ”といいましょうか、やはり最優先に除外診断の項目に浮かぶのは自分の専門領域ですし、それを見落としたら恥ずかしいという思いもあります。ですから、突然上腹部が痛くなって病院に救急搬送されたとき、最初に診る医者が消化器専門医なら胃潰瘍?と思いますが、それが循環器科医なら急性心筋梗塞を疑ってまず心電図を取ります。今は救急診療の分野がしっかり確立されていますが、以前は、急性心筋梗塞の患者さんに緊急内視鏡検査をしてしまうことは珍しくありませんでした。

そんな中、冒頭の文を読んで、「逆流性食道炎かもしれん」・・・最近わたしはそっちの思いの方が勝る傾向にあります。自分が逆流性食道炎の症状でとても苦しい思いを経験するようになったからです。幸か不幸か、狭心症を経験したことはないので実感がわきませんが、逆流性食道炎のそれはよくわかるのです。

自分で病気を経験することは、患者さんの悩みを実感として理解できるのでいいアドバイスにつながるというメリットがありますが、実は診断をにぶらせる結果にもなるのだなと感じています。知らなければすぐにつけらるであろう診断名なのに、候補の病気の選択肢が増えるほど悩んでしまいます。ヒポクラテス症候群は、結局は未熟な医者であることを示しているのだけれども・・・。

| | コメント (0)

今日は・・・

      休憩。

| | コメント (8)

手書き

最近、キーボード入力かスマホ入力かを駆使しながら、何をするにも「清書は活字で!」が最低限の常識ですが、むかしは「せめて清書は手書きでする」が礼儀でした。今それが残っているのは、「遺言書」くらいでしょうか(遺言は自筆手書きであることが必須条件です)。そういえば、ワープロで下書きして、清書は手書きで、が当たり前だった時期もあります。

わたしの博士号論文はパブリッシュされた論文そのものでしたが、名門大学ではそれと別に手書きの論文を要求するところもあります。以前は大学の卒業論文も手書き・・・同じ下宿の隣りの部屋に住む教育学部の先輩は、何度も何度も書き直していました。なにしろ、原稿用紙の最初の方で間違ったらまだあきらめもつきますが、最終行近くで書き損じたときにはため息しか出ません。それは時間の浪費だ!といえますが、一字一字にきちんと気持ちを込めて書くことの意義は、きっとそれ以上のものだったと思っています。

そうそう。演劇の脚本作り・・・公演する脚本が決まったら、皆で手分けして原紙に書いてガリ版(謄写版)刷りしていました。部室に広がるインクの匂い・・・なつかしい。

「手書き」は、単なる脳トレ、ボケ防止がその存在価値ではありません。字を書く、ということ。人間にしか与えられていないその特権を、勝手に放棄しようとしている現実。わたしも、間違いの訂正や段落組みの全体像確認にはワープロの方が便利だとつくづく思いますが、それでもキレイに手書きのメモをしたり文字を書いたりすることの醍醐味は忘れないようにしたいと思っております。

| | コメント (0)

低炭水化物ダイエット論争

数か月前に報告されて、ここで紹介しておかなければと思いながらつい後回しにしてしまった話題です。もうちょっと旬ではありませんが、重要なことだと思いますのでそのまま並べておきます。

低炭水化物ダイエットご用心…発症リスク高まる
 心筋梗塞や脳梗塞の発症例を、炭水化物とたんぱく質の摂取量によって10段階に分けて分析すると、炭水化物の摂取量が1段階減り、たんぱく質の摂取量が1段階増えるごとに、それぞれ発症の危険が4%ずつ増えた。

極端な炭水化物制限「生命の危険も」…学会警鐘
 炭水化物を総摂取カロリーの40%未満に抑える極端な糖質制限は、脂質やたんぱく質の過剰摂取につながることが多い。短期的にはケトン血症や脱水、長期的には腎症、心筋梗塞や脳卒中、発がんなどの危険性を高める恐れがある。

まあ、日本人でも炭水化物は少なくした方が良いみたいだということを私も認めるようになりました。でもやはり炭水化物を限りなくゼロにしようとしている方をみると、それはヤバいでしょ!と思います。以前にここで書いたように、「炭水化物を制限したら脂質やたんぱく質は制限なく食える」という発想も変だし、そうなるに決まっていると学会が決めつけていることも不思議なのですが、少なくとも何事も極端な健康志向は単なる偏食を作り上げるということを忘れないでいただきたいと思います。

| | コメント (0)

定年後

1週間前にちょっとした用事があって2軒の親戚のお宅を訪ねました。

叔母(亡き父の妹)の家に行ったのは2年ぶりでした。おじ(叔母の夫)が昨年から体調すぐれず寝込んでいるのだそうです。幻覚が見えるようになって病院に行き、その後腰が痛いとかで骨粗鬆症の薬、胸焼けがするとのことで胃カメラをして抗潰瘍剤、今度は便秘になったとのことで緩下剤・・・どんどん増える薬の量もさることながら、定年退職して以来どんどん病人になっていく夫の姿を心配して、相談されました。「ちょっと動きなさい」といっても「腰が痛い」といって寝ているのだと。おじさんは腕のいい電気工事の技術者でしたが現役のころから無口で真面目な人でした。阪神タイガースのファンだけどそっと応援するのがパターン。酒は好きだけどすぐに酔ってしまいます。むかしから仕事以外の趣味がなく、退職後はほとんど話すこともなくなったこと・・・これがきっかけであることは間違いないのだけれど、どうアドバイスしたらいいだろうか・・・何も答えを導けないまま家を後にしました。

次に母方のおば(亡き伯父の妻)のお宅に行ったら、近くに住むわたしの従兄が来ていました。「今日は男の料理教室で、ちょっと多く作ったので持ってきた」という彼は、定年退職後、あちこちのボランティア活動や趣味の教室通いで忙しい毎日を送っているのだそうです。「オヤジが真面目な仕事一筋のヒトで、定年退職後に家に引きこもってうつ病になった。あれを見ていたので若いうちから仕事以外の仲間をたくさん作るようにしていた」のだとか。

同じ日に2つの人生を見てきました。わたしの定年の日もそう遠い先ではありません。

| | コメント (0)

三角食べの弊害

「食べる順番療法」の成果を検査データから実証し、実践継続率98%、血糖改善者数も97%という驚異の食事療法を提唱する梶山静夫先生・今井佐恵子先生の著書、「なぜ、『食べる順番』が人をここまで健康にするのか」(三笠書房)を一気に読み上げて、今は糖尿病で悩んでいる友人に渡しています。

食べる順番療法のルール

1.まず野菜から食べる(野菜を全部食べつくす)
2.野菜の次は、タンパク質のおかず
3.最後にごはんだけ食べる
4.よく噛んでゆっくり食べる

シンプルにこれだけのことだから、試してみてください。細かい解説を知りたい方はどうぞお買い求めください。1200円です。

さて、この理屈や効果についてはわたしもこれまでにずっと話してきていますが、ちょっと違うのは、「食べ始めが野菜から」というのではなく、まず野菜をすべて食べ終わってからメインディッシュに行き、それが全部終わってからごはんを食べる、という「ばっかり食い」の推奨だということです。これは以前ここで取り上げた「三角食べ」を全否定していることになりまして、気づかないふりをしようと思ったら、この本のコラムの中でしっかりと話題にされていました(P122)。

「三角食べ」は、バランスよく食べる方法を学び、行儀を躾けるために子どものころに叩き込むのは重要だけれど、生活習慣病になっている人には不向きだというのです。たしかに本に書かれているとおり、会席料理やコース料理は、最初に前菜や汁物が出て、食べ終わったらメインディッシュで、それが終わるころにパンやごはんが出てきます。わたしはあれは酒の出てくる宴席のパターンであって日常とは違う!と思っていましたが、いや、これはどうも分が悪い。今どきの若者のけしからん食べ方が、わが国伝統の三角食べより優っていると認めたくはないのですが・・・。

| | コメント (0)

文化がかわるとき

先日、テレビ番組で「十割そば」を「じゅうわりそば」と云っているのをみて、「とわりそば」だろ!と夫婦でツッコミを入れたのですが、いつまでたっても訂正やお詫びの対処がありません。何やってるんだよ!と不愉快になりながらWebで検索してみたところ、どうもどっちでもいいらしい。「当然、『じゅうわりそば』でしょ」とか「『とわり』では意味が分からないから『じゅうわり』の方が親切である」とか書いているものもあり、この歳になってちょっとショックをうけました。

米は「研(と)ぐ」ものであって「洗う」ものではない! ・・・亡き母がずっと語っていました。「最近の若い子は『米を洗う』とか平気でいう」と嘆きながら。だから「無洗米」という名前が正式に出たときにはわたしが鼻で笑ってやりました。ところが、最近の精米技術はむかしとは比べ物にならないくらい発達したので研がなくても良くなっただけでなく、むしろやりすぎると栄養素が逃げてしまうという意見もあるのだそうです。だから、「米は洗うもの」が常識なのだと。

むかしの常識がいつまでもそのまま存在するとは限らないことを実感しながら、こうやって文化というものはいつの間にか移り変わっていくのだな、と思います。「情けない」「寂しい」ことではなく、これが”進化”なのでしょうかしら。

| | コメント (2)

ゆううつな季節

政局が不安定になり、やれ総裁選だ、組閣だ、総選挙だ!とうるさくなるに従って、わたしの心は暗くなります。また、不毛の誹謗中傷と、意味のない政治番組ばかりになってしまうから。

どうしてあんなつまらない番組や新聞記事ばかりになるのでしょう。どっかの評論家や元政治家がどんなに政局をメッタ斬りしたところで、あるいは選挙予想や組閣予想をしたところで、一個人の意見でしかなく、実際はそれとは無関係にことが進んでいくのです。いかに自分が正論を云っているか、あるいはいかに斬新な考え方をしているかをアピールして、自分を売り込む効果は当の本人にはあるのでしょうけれど、どうしてそれを見るのだろう?見たい人が居るから放送がなくならないのでしょ?

政治家さんは他の政党を褒めたら叱られるらしい(?)けれど、批判の仕方がマニュアル通りでどうせ想像したとおりに答えるのだから、「インタビューしなければいいのに」といつも思います。相手は質問してくれると思って待ち構えているから、「どうせ答えがわかっているからもう聞きません」とばかりにだれもインタビューに行かなければいいんだ。そうしたら、もっとマジメに考えて、必死に答えるのではないかしら。いっそのこと、批判禁止にして、とことん褒め殺しさせる評論番組にしたらどうだろう。相手の良いところしか云わせない討論というのもおもしろい。むずがゆいくらい褒め殺す姿は見る価値がありそう。

若者の政治離れがどうこう云う前に、もうちょっとおもしろい番組をつくるか、むしろやらないか、報道する側も必死で工夫してもらいたいものだわ。うちは、テレビを止めて奥様の撮り溜めた韓流ドラマのDVDが延々流れことになるでしょう。

| | コメント (0)

NASH

この連載コラムはあと3回で終わります。今回はNASHについてまとめました。

*********************

脂肪肝は単なる貯えにあらず~NASHへの恐怖

今回は、意外に多くの人が持っている『脂肪肝』について書いてみます。30~40歳代のお兄さん方の中には、中性脂肪や血糖の異常を指摘されても聞き流すくせに『脂肪肝』という言葉には異常に反応する人がいます。まあ、切り口が何であれ、生活を見直すきっかけになるのならそれでも良いか、と思っています。

●脂肪肝はフォアグラ

食事で取った脂肪は小腸で脂肪酸に分解されて肝臓に送られます。糖質やたんぱく質もグルコースを経て脂肪酸になります。つまり、消費されずに余ったエネルギーは最終的に“脂肪”の形に落ち着きます。“脂肪”にするのが一番効率が良い(小さい容積にたくさんのエネルギーを詰め込める)からです。そしてそれが筋肉や肝細胞の中に貯蔵されます。『脂肪肝』は“霜降り”ではありません。“脂肪が肝臓の周りに巻いている状態”とも違います。一言でいえば“フォアグラ”。肝細胞の各々の中に脂肪滴が押し込められている状態です。脂肪肝に対峙するにあたって、この“フォアグラ”のイメージをしっかり持つことは大切なことです。なお、脂肪肝になっただけでは採血データに大きな変化はないので、腹部エコー検査を行わない簡単な健診(労安法健診などで脂肪肝の有無は語れません。

●お酒に関連しない脂肪肝の行く末

酒の飲み過ぎによる肝障害と違い、非アルコール性の脂肪肝は心配ないと考えられていました。ところが、そんな脂肪肝(非アルコール性脂肪性肝疾患=NAFLD)でも酸化ストレスなどにより肝細胞に炎症が起きて傷害を受けると、肝炎から肝硬変や肝がんになる人がいることがわかってきました。これを『非アルコール性脂肪性肝炎(NASH)と呼びます。メタボリックシンドロームの要因(肥満、糖代謝異常、脂質異常、高血圧)によりNAFLDは増えています(約1000万人)が、その1~2;割がNASHになり、NASHの20~30%が10年後には肝硬変や肝がんに進行します。「ヤバいっすねー!」とか言いながらも生活習慣を変えられない方にとって、これはショッキングなデータです。日本人のアルコール性肝障害は多くありません。必須条件である『常習飲酒者』とは、日本酒換算で毎日3合以上(女性ではその2/3)とか平均5合×5年以上とかであり、もともと酒の強くない日本人には大変な量なのです(日本酒1合に相当するのはビールなら中ビン1本、25%焼酎ならストレートで0.6合、ウイスキーでダブル1杯)。つまり日本人の肝障害の多くがNAFLDです。また、その成り立ちを考えても容易に想像できるように、NAFLDは生活習慣病の合併頻度が高く(高中性脂肪血症が約60%、低HDLコレステロール血症や高血圧症、高血糖が約30;%に合併)、脂肪肝の比率は肥満度に正比例します。つまり、NAFLDはメタボリックシンドロームの肝臓における表現型だと言えます。

●せっかく倉庫に貯蔵したのだから・・・

脂肪肝』は、すぐにエネルギーを使えるように一時保存しているだけだから、動けば簡単に出ていきますし食べれば簡単に入ってきます。いざという時(何も食えなくなった時)のためにエネルギーをマジメに貯蔵しているのに“いざ”に出会うことなく倉庫の隅から腐り始めている状態がNAFLDです。「毎日ジョギングを始めて体重も2~3kg減ったのに、脂肪肝はちっとも良くならない」という人が居ます。「せっかく地道に貯えたお宝を奪われてはたまらない!」とばかりに、貯める力をさらにパワーアップさせた結果です。だからやせた人でも、ダイエットの仕方が悪いと脂肪肝になります。

食後に血糖が上がったとき、とりあえず糖質を肝臓に仕舞い込もうとするものの、肝細胞が脂肪で一杯になっていると本来の仕事ができずに再び血中に吐き出し、それで血糖値が上がるとインスリン抵抗性が増してさらに脂肪肝になる・・・この悪循環をどこかで断ち切らねば埒があきません。でも、することは決まっています。これまで毎回書いてきたこと、“無駄に動く、無駄に食わない”に勝る方法はありません。特に肝細胞内の脂肪を減らすには食事療法は必須で、それによって25~40%低下させることができるそうです。「運動するから好きなお肉とお酒 は許してください!」と懇願されても、それはちょっとできない相談のようです。

| | コメント (0)

腹が出る理由

見た感じ、上半身はさほどでもないのに、とにかく腰回りに付いてきた肉がちょっと存在を無視できないレベルになりました。今夜のパーティのスーツは着ている間中必死で腹を引っ込め、料理を食った振りすることで何とか切り抜けよう。来週の講演の時は、どんなに汗だくになっても上着を脱がないようにしよう。

こんなお腹に誰がした?と恨み節を書き連ねながら、気付きました。腰回りと腹回りの贅肉が付いた理由・・・このパソコンだ! 我が家のマイパソコン、ノートタイプのVaio(Sony)・・・老眼であることも手伝って、これをいじる時にはいつも前かがみで覗きこんでます。そうです。腹筋を完全オフにして猫背を極めるようにして、家に居る間中その体勢をキープしてます。使ってない筋肉はゆるむ宿命。使ってない筋肉の周りは贅肉の安泰増殖区域。

原因は分かった! 対策方法も知っている! 頑張る気はある! ん~あとは実行だけなんだけどなあ。

「やる気より、やること。 
     やる気があるだけでは
         やらないのと同じです。」   by日野原重明

| | コメント (2)

« 2012年10月 | トップページ | 2012年12月 »