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心の張り

友人のお父様が亡くなりました。

長い間、闘病を続けていました。何度も心臓発作を起こして生死の境目をさまよいながら、徐々に心機能と腎機能が低下していきました。何度も危篤状態を乗り切っては、病院嫌いなので自宅に帰ってきました。「生に対する執着が異常に強いのよ。だからなかなかくたばらないわ!」・・・彼女は、そう云って笑っていました。なのに、海外赴任していた長男が帰国して3日目にあっけなく他界しました。

「会えて良かったね」と云ったら「いや、会ったのがいけなかったのかも」と、彼女は答えました。顔色が悪いので酸素をさせようとしたら、お父さんが初めて拒否したのです。「してもどうせ良くならないから、したくない」と云って・・・。

長男が海外赴任の任を解かれて帰ってきた。息子に会うまでは、と強い生への執着で何度も訪れた危篤状態を乗り切ったと云うのに、あまりにもあっけなく逝ってしまった。娘はそんな印象を抱いています。「兄が帰ってきてから、急に父の執着が消えて行ったのがわかってとても心配だった」と。

兄が帰ってきたことが、父にとって良かったのだろうかと悩む彼女に云ってあげたい。良かったさ。もはやとっくに途絶えてしまっていたはずの寿命を生きながらえさせたのは、家長として家を守ってきたお父さんがその仕事を長男にバトンタッチしたかったのだろうから。苦しかっただろうお父さんがやっと楽になれた瞬間なのだから、と。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

うまく言えませんが、涙が出るエピソードです。遥か昔に旅立った父を思い出しました。
闘病二年の父が亡くなった時、楽になったねと思ったことを思い出します。

投稿: karakara | 2012年12月19日 (水) 23時54分

karakaraさん

ありがとうございます。
「生」と同様、「死」には大きなエネルギーの移動があります。「闘病」は何の為にするのだろう。当の本人にも周りの人間にもそれぞれの試練の意味があるに違いない。そう思いながら手を合わせています。

投稿: ジャイ | 2012年12月20日 (木) 01時25分

1日遅れのコメントでスンみません。

この様な話題に接しますと、私は必ず「田辺英蔵」氏の語録を思い出します。
氏は元、西武ホテルグループの功労者であり、私の道楽(ヨット)の大先輩であり、各種の執筆者でも有ります。

「父親は息子への『死への防波堤』」と言う言葉です。
父親が健在なうちは息子らは「死」への世界へは無頓着でいられる。

しかし父親が亡くなると、その瞬間からは「ア、次は俺の番だ!」と必然的に自覚せざるを得なくなります。

また、親父からみて「息子も充分な防波堤に成長したな!
もう、俺の防波堤の役目は終わったナ」・・・で、静かに、
満足げに消えていく。
男親の冥利に尽きるものと思われます。

そう言えば、英蔵先輩にはかれこれ十年以上もお会いしていないな~。

                 青春ど真ん中のasuka3h 拝

投稿: asuka3h | 2012年12月21日 (金) 09時14分

asuka3hさん

良いお話をありがとうございました。まさにそうだと思います。父が死んでから自分もそうなるかもしれない、と実感しました(母ががんで亡くなっても思わなかったのに)。ご先祖を考え、墓参りをするようになったのも、父が居なくなってから。45歳にしてやっと認めてもらったってことですね。

投稿: ジャイ | 2012年12月21日 (金) 20時20分

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