忘れていく
先週土曜日の研修会の最後に、Youtubeの画像が流されました。2011.3.11、東日本大震災の動画です。似たような動画はいくつもあり、何度も見ながら、見る度に涙が流れ落ちます。
でも、明らかに過去のものになっていることを感じて、ハッとしました。あのとき、もう日本は無くなる!と思いました。日本中が一致団結して節約し助け合いました。薄暗い日本列島になりました。自然の驚異と電力の有難さを思い知りました。あれから2年・・・現地の復興はまだほとんど進んでいないのかもしれませんが、遠く離れた九州の地で、私たちのココロの中では過去のものになっているのを否めません。原発問題は尾を引いていますが、それでもあの年の夏のような、日本中のコンビニの電灯が半分以下になったり、空調を我慢したり、単一電池や水が店からなくなったり、必死に募金活動したこと・・・。
去年は九州でも豪雨による大災害が起きました。熊本の街中が濁流にまみれ、阿蘇の山が崩れ街も道も崩壊しました。大分に帰るのに倍近くかかる迂回路を通りました。これは当分元に戻らないと思いましたし、いまだに滝室坂は仮橋です。でも今、現地の住民でないわたしたちは、まるで何事もなかったかのように生活しています。あの出来事ですら遠い過去の出来事のような錯覚に襲われます。阪神淡路大震災はもはや歴史の本の中の出来事になり、復興のシンボルだった神戸ルミナリエは単なる年末の風物詩になりました。
風化させてはならない!忘れてはならない!と呼びかけ、継続的なチャリティ活動が続けられています。でも逆に、忘れていくことによって前に進むことができる、というのも事実なのかもしれないなと、こっそり涙を拭ったその動画を見ながら思いました。
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