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2013年3月

褐色脂肪

加齢に伴う筋肉量の減少と内臓脂肪の増加・・・現代社会がかかえる大きな問題を解決させる方法はわかっています。下がっていく代謝を高く保つこと、つまり、しっかり運動しながらエネルギーを溜めこませない食事をとること=「無駄に動く、無駄に食わない」・・・わたしが10年来ずっと云って回っていることです。でも、そんな単純明快なことなのにできないのは、それが人間の性(さが)だからでしょう。

ここで代謝量アップに大きく寄与するのが褐色脂肪です。褐色脂肪を如何に増やして如何に活性化させるか、いろいろなところで研究され続けてきています。先日のMTPro(2013.3.28号)に天使大学の斉藤昌之先生が「辛みの少ない唐辛子成分”カプシノイド”が褐色脂肪を有意に活性化させる」ことを研究したニュースが載っていました。寒さ刺激があると褐色脂肪は増加する(だから「冬場は脂肪が蓄積して太る」は間違いだ、ということをむかしここでも書いたことがあります)とか、運動により筋肉からイリシンが分泌されて白色脂肪(普通の脂肪細胞)のベージュ細胞誘導(白色脂肪が褐色化する)が起きるとか、さかんに研究発表されているようです。

食事の内容や運動の実施がそのまま褐色脂肪を活性化させたり白色脂肪を褐色化させたりする効果にあふれていることが有名になったら、ヒトは少しは行動に移るのでしょうか? そう甘くはなくて、単にそんな効果が濃縮されたサプリが売れるようになるだけ?という懸念もありますね。

ところで、「天使大学」って・・・知りませんでした。中国か韓国の大学かと思いましたら、北海道にできた私立大学、まさしく白衣の天使を巣立たせる大学なんですね。「愛をとおして真理へ」を建学の精神としているのだとか。

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脳卒中リスク予測

最近、国立がん研究センターから、脳卒中発症の確率を自分で計算して出せる算定表が開発・発表ました。

10年間で脳卒中を発症する確率について -リスク因子による個人の脳卒中発症の予測システム-

40~60歳代の日本人が今後10年間に脳卒中になる確率なのだそうで、年齢、肥満度、性別、喫煙歴、糖尿病の有無、血圧値の6項目を各々点数化して、合計点から脳卒中の発症確率を予測するものです。ちなみに、高血圧症の内服治療中のわたしを当てはめてみたら合計24点、発症確率は3~4%になりました。さて、わたしの年齢としてこの確率は高いのか高くないのか?そこのところが分からんバイ!と嘯(うそぶ)いていましたら、ちゃんと表の右端に「血管年齢」の表記がありました。スコア合計24点は血管年齢にすると64歳・・・ひゃあ、年寄りだわぁ! ちなみにあと1か月後なら30点、確率が6~7%に上昇し血管年齢73歳になってしまいます。

勘弁してほしいものです。だって血圧は高血圧症であればたとえ内服薬できっちり良いコントロールができていても10点、それは野放しの中等度以上高血圧症と同レベルなのです。年齢はいかんともしがたく、変えられるものと云ったら頑張ってやせてスコアを2点下げることができるかどうか、だけ・・・厳しいですね。「脳卒中予防で重要なのは、第一に高血圧対策、次いで禁煙といえます。この算定表を、生活習慣を見直し、健康診断を定期的に受け、改善していくきっかけにしてただきたい」という藤田保健衛生大学の八谷寛先生のコメントがある紹介記事に載っていましたが、これ、高血圧症治療中の患者さんのモチベーションを本当に上げられるのでしょうか?

「くすり飲んだって一緒じゃねえか?」という疑問にどう答えたらいいのでしょうかね?

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そろえる

断捨離で熱帯魚セットを処分し、靴箱などを修理したら、我が家の玄関が新築当時のようにすっきりきれいになりました。実はそのときからずっと続けていることがあります。

玄関の靴をそろえることです。夫婦だけしかいないので大して多くはないですが、外から帰ってきて上がるときだけでなく、ちょっと玄関に行ったときに乱れているのに気付いたらその場でもそろえています。雑然と、モノに溢れていた昔と違って、ちょっとそろえるだけでそれはそれはとても爽快な気持ちになれます。初めの頃は、玄関にしゃがんで靴をそろえながら、「妻はどうして何も云わないのだろうか?」とグチったことがありました。絶対気付いているはずなのに、彼女の目の前でもそろえることもあったのに、どうして褒めたり礼を云ったりしてくれないのか?と。

でも、意外なことにそんな不平不満の気持ちはそう長くは続きませんでした。それはきっと、わたしが他人(妻)に喜んでもらいたくてやり始めたことではないからだと思います。自分で気持ちよくなりたいからやっていることであり、その成果がテキメンであることはすぐに確認できています。好きでやっていることなのだからと思うと特に気にならなくなるのもまた、年齢と経験のなせるワザでしょうか。

とか云いながら、いまだに洗濯物を夜中にひとりで畳んだり、土曜の昼下がりにひとりで家の掃除をしたりしている最中に、いつもブチブチとグチをつぶやいているわたしです。これは長い人生の中で培ってきたわたしの処世術なり。

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バーボン

「ご主人はお酒何にしますか?残念ながらうちには洋酒しかないですけど」

15年くらい前、ある知人のお宅にお邪魔したときのことです。「バーボンいかがです?実はわたしはバーボン派でいつも何本も箱買いして仕入れるんです」ということばに乗せられて初めてバーボンを口にしました。洋酒があまり好きになれず、ウイスキーを飲むと頭が痛くなって口の中がアルコール臭で満たされるのが苦手だったわたしは、初めて飲んでみたバーボンの甘さ加減がとても気に入りました。「どうです?美味しいでしょ?」と主人は嬉しそうにおかわりを注いでくれました。

「お酒は?」「バーボンをロックで」・・・その後はそんなオシャレなことばに酔いしれていました。ところがある日、知人の誘いでパーティの帰りにバーに行ったとき、「何になさいますか?」「あ、わたしはバーボンで」いつものように即答したら思いがけない返事。「バーボンは何になさいますか?」

「は?何?バーボンはバーボンじゃねえんか?」と狼狽えるわたし。「あまり銘柄がわからないんですよね、以前知人宅で飲んだバーボンが美味しくて・・・」何とか取り繕うわたしをもてあそぶかのようにマスターは確認を怠りません。「ターキー、ハーパー、アーリータイムズ、フォアローゼズ・・・何かボトルに特徴はありませんでしたか?キャップが馬だったとか?」・・・どうでもいいんだよ、バーボンはバーボンなんだよ~とココロの中で叫びながら、さてあのとき結局何を飲んだのだろう?わたしはこの雰囲気が好きなだけ。「バーボン」と答えるスマートさが好きなだけで、銘柄のこだわり(焼酎は兼八やろ!みたいな)はありません。

でも、それからは何事も知ったかぶりはしないことにしました。ツーぶったところで大してメリットはないから、知らないものは「知らないから教えてちょうだい!」というようになったわたしは、さて、成長したのかそれとも年取ったのか・・・ま、いいや。今夜もおいしいお酒をありがたくいただきましょう。

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日頃を知る

「先生、ちょっと来てください。受診者さんが気分不良を訴えていて、心電図を取ったらものすごく異常なんです!」

フロアマネージメントをしているナースから電話が入りました。駆けつけてみるとベッドに横なった受診者さんを取り巻くように数人のスタッフが立っています。ちょっと吐き気があったそうですがもう落ち着いたとのこと。でも、透析の歴史が長いその方の心電図を見たら広範囲で著しくSTが低下していました。「これは重症の虚血発作ではないでしょうか。早く救急外来に連れて行った方が良いのではないでしょうか?」・・・心電図を取ってくれた検査技師さんが色めき立っています。

何となく違和感・・・ご本人の表情、心電図波形、病歴・・・まだ電子カルテになる前のことでしたので手元には分厚い外来カルテが取り寄せられていました。そこで、「外来カルテに入っている最寄りの心電図を出してください」と指示しました。やはりそうです。1か月前に取った心電図の波形、あるいはその1年前のそれと今日の心電図の波形、なんら変わりはありません。そこにある派手な心電図異常の波形は長い透析の歴史の中でできあがった左室肥大の波形であって、今まさに心筋梗塞になろうとしている重症虚血発作の波形ではありませんでした。

心電図は日頃と比較する・・・それが基本です。そのためには日頃のそれがなければいけません。この受診者さんの場合はたまたま透析に通っていたら良かったけれど、多くの皆さんは異常があったときにしか病院に行かないので日頃のそれを持ち合わせません。何もないとき・・・それが健診です。会社で受けるごく簡単な法定健診でも心電図はあります。あんなもの受ける意味がないという人もおりますが、是非定期的に受けてください。そのコピーを持ち歩いていると、さらに完璧です。

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試練

わたしたち夫婦の間に子どもが生まれなかったことについて、時々考えることがあります。

神からの授かりものが得られなかったことについて、「どうして自分たちだけこんな仕打ちを受けるのか?」とか思って悩むことも、若い夫婦が赤ちゃんを抱いて幸せそうにしている姿に羨ましさを覚えたりすることも、ないといったらウソになるけれども、それでもわたしはあまり感じませんでした。

わたしの今回の人生で、「子育て」という項目がカリキュラムの中に並べられていないわけです。これは、もはやわたしにとってこのカリキュラムは前世までの間に合格証をもらっているから要らないというのか、あるいは逆に、まだそんな高度なカリキュラムに入る前段階をクリアしていないというのか? または、これを入れてもらえないということ自体が「試練」としてのカリキュラムなのか?

考えてもしょうがないような、そんなことをいろいろ考えてみたりするわけですが、結局何も結論は出てきません。・・・きっと、今はまだ、そんなことを考えているべき時期ではないのだろうな。ただ、人生を共にする妻に対しては「寂しい思いをさせて申し訳ない」という気持ちに苛まれることがあります。

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思い上がり

先日、サッカーJ2の試合で、アウェイ側のチームのサポーターがホームのチームのマスコットを捕まえて被り物の首を取るという前代未聞の事件が起きました。当事者たちは単なるノリでふざけているつもりかもしれませんが、もはや論外の出来事に開いた口がふさがりませんでした。今年初めて上のカテゴリーから落ちてきたチーム・・・もしかして「俺たちはこんなJ2の田舎者とは格が違うぞ」という思い上がりがあるのではないか?そんなことを思いました。

沖縄で米兵が住民に暴行を加える事件が後を絶ちません。これも同じような思い上がり・・・おまえたちはしょせん白人には勝てない・・・ナンセンスだけれど払拭できない潜在意識の思い上がりに起因しています。人間に一旦芽生えた「思い上がり」の芽は、理屈ではないので、そう簡単には抜き取ることはできないものです。「ガラの悪いガキの集まりなんだね」・・・事件のことを聞いた妻が一言そう云いました。よほど、今回のことを自分たちの問題として受け止めないと、世間はサポーター(サッカーのサポーター)全員がそんな非常識人だと感じています。

そういえば、高級外車がモラルを無視した行動をとっているのをよく見かけます。駐車場を2人分取ったり突然の車線変更や割り込みをしたり・・・結果としてこの手の高級車が走っていたら中に怖い人が乗っているかもしれないから離れるようにしよう・・・庶民はそう考えるようになりました。「ずっと努力を続けて、やっとわたしも憧れのベンツに乗れるようになりました」・・・よくそんなインタビュー記事を見ます。本来、高級車のドライバーは生き方も運転も常に模範者でなければなりません。まるで逆の印象にされてしまっているのも、ごく一部の思い上がり者の愚行のせいでしょう。

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プラークの破たん

ここのところ医者らしいお話しばかり書いているのにはわけがあります。ネタがないからです(笑)

先日、保健師さん方を前に動脈硬化についてレクチャーをしました。動脈硬化を語るときにはどうしても避けて通れない「プラークの出現と破たん」・・・皆さん理解しているようでしていない感が満載でした。わたしたちが医者になった当時、動脈硬化は少しずつ起こって血管壁を蝕み、徐々に内腔を狭くさせて最後に壊れて詰まってしまう(梗塞になる)と考えられていました。でも、それが間違いであることがわかっています。心筋梗塞の7割は、大して動脈硬化のひどくない壁が壊れて突然起きるのです。内腔の90%以上が詰まって階段を上るだけで狭心症を起こさせている血管が心筋梗塞の原因になるのは14%に過ぎません。狭心症と心筋梗塞は基本的に別物だ、と考えるのが今の常識です。死の四重奏や危険因子のたくさん重なっている方に「こんな状態が続くと将来心筋梗塞や脳梗塞になる危険性があるのですよ!」と脅している保健師さんがいますが、それは間違いです。「将来」ではありません。「今」です。

そんなプラークについて書いて一回分記事を稼ごうと思ったのですが、このメカニズムの解説はすでに何度もやらかしていました。それに気づいてしまった以上は書けません。過去の記事を是非お読みください。

酸化ストレス>2009年9月12日

『合わせ技1本!』のメカニズム>2012年1月9日

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時が来た

先日、友人の紹介である女性の相談を受けました。難治性高血圧の治療についての相談です。風邪で近くの内科を受診したときに高血圧を指摘されて内服を開始したのが2年前。それからなかなか下がらない血圧と付き合ってきたけれど最近動悸息切れが強くなった、というものです。

治療や精査のことはまあ信頼できる同僚に紹介することにしたのですが、彼女のココロの引っかかりは「どうして自分が高血圧になったのか?」ということ。若いころはずっと低血圧だった自分。今は何かの原因で一時的に血圧が上がっているけれどいつまでも通院して薬を飲んでる病人で居続けるのは本意ではない、と云うのです。

わたしと同い年の妙齢の彼女に、わたしは粛々とお答えしました。「それは、その時が来たからです」・・・おそらく彼女の高血圧はもう少し前から続いていたのだろうと思いますしホルモンの異常などの二次性高血圧の可能性も否定できませんが、決して忙しい職場に移ったからとか更年期障害のひとつだとかそういうものではなく、お母様、そのお母様・・・と綿々と続く高血圧家系の由緒正しい流れを引き継ぐ時が来た、ということでしょう。

なかなか受け入れてもらえませんが、女性の方は閉経前と閉経以降ではまったく別のカラダになります。「だって、昔は・・・」という過去の栄光はすべて忘れてください。それは脱皮前の別人が作った栄光であって、本当の姿になった今の自分とは別人の仕業です。種の保存のために優遇処置の着ぐるみを着させられていた過去の自分は夢の中の話だと割り切ることが肝心です。やっと自分の本来の人生が始まりました。過去のことは忘れて、今の自分としっかり向かい合いましょう。何よりも今の自分を愛することです。

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座らない

座っている時間が長いと糖尿病を招く」という記事が2013.3.14のCareNetcomに出ていました。

イギリスのレスター大学から発表されて「Diabetolodia」オンライン版に掲載されたそうですが、要するに「座っている時間が長いほど2型糖尿病になる率が高くなるから、運動自体を勧めることよりも家や職場で座らないように働きかける方が糖尿病予防に効果的かもしれない」というものです。つまりエネルギーを使う=身体活動をする、ということは「運動、運動」と大げさにがんばらなければならないわけではないことを示していると云えましょう。

ただ、この程度の内容なら、わたしは10年近く前に田中逸先生(当時は順天堂大学助教授、現在は聖マリアンナ医科大学教授)のセミナーで教えてもらった記憶があります。「主婦は昼間はテレビを見るから運動する時間はない」と患者さんが云うから「それなら立ってテレビを見ろ」あるいは「家事をしながらテレビを見ろ」と指示したらウソのように血糖値が改善した、というものです。だからそれ以降、まるで自分の手柄のようにあちこちの講演でそのエピソードを話してきました。

うそのような本当の話。なんだ、そんなものなら簡単!・・・当時者でないヒトはそう思うでしょう。でも、当事者にとってはそう簡単なことではありません。もともと運動が好きではないヒトたちです。わたしは何をするにも立っていることが多いので気になりませんが、「ムダに動く」ことをわざわざ自ら課するなんて馬鹿げたことは普通はしません。面倒くさいからテレビを見ているのに・・・座ってできることをわざわざ立ってするなんて殊勝なこと・・・健闘を祈ります。

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尿酸の恩恵

血中に7.0mg/dlまでしか入らないはずの尿酸がそれ以上増えると血管壁から浸み出してきて、関節に溜まって痛風になったり動脈壁に溜まって動脈硬化を作ったり腎臓に溜まって腎臓結石を作ったりすることは「高尿酸血症」としてよく知られています。

一方、血中尿酸値2.0mg/dl以下の状態を「低尿酸血症」といいます。血中に尿酸が少ない理由は、もともと尿酸を産生する力がない場合と尿酸を通常以上に大量に腎臓から排泄する場合の2種類ですが、日本人の場合は後者が大部分です。これを「腎性低尿酸血症」と云い、その頻度は0.15~0.4%くらいです。腎性低尿酸血症は尿酸結石を作りやすいから水分をたくさん取りましょう・・・わたしはずっとそう説明してきました。ところが、低尿酸血症の弊害はもうひとつ、運動後に急性腎不全を起こしやすいというのがあります。この原因は、どうも尿酸には抗酸化作用(運動によって生じる活性酸素を除去する作用)があって、これによって酸化ストレスに対処しているらしいのですが、「激しい運動時に腎血流が低下し、大量の活性酸素は生じるものの、通常は尿酸によって迅速に処理されるのに対し、低尿酸血症では活性酸素が処理されず、腎血管れん縮を招き、持続性の腎血流低下から尿細管壊死にいたる」ということらしいです。激しい短時間の無酸素運動を避けること、脱水にならないようにすること、あるいは抗酸化作用のあるサプリやビタミンC/Eや薬を飲んで運動すること、などが成書には書かれていますが・・・。先日うちの泌尿器科部長に聞いたらその病気すら知りませんでした。

それにしても、痛風の犯人として悪者扱いされる尿酸にそんな大事な仕事があったなんて知りませんでした。ということは痛風持ちのひとの方が動脈硬化になりにくいってこと?あれれ?逆だぞ!

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陰性T波の注意点

心電図つながりで、ちょっとだけ細かいお話をいたします。ここで書くべきものではないだろうと思いますが、まあ、その気になったのでご容赦ください。

「陰性T波」が保健師さんたちにとっては難敵なんだそうです。あんなもの・・・主役にもなれないくせに・・・(笑)

T波は上向きが正常なのですから、平べったい(平低T波)とか下向き(陰性T波)とかは正常ではありません。下向きは心臓の筋肉の酸素不足を示しますから、一番多い原因は「心筋虚血(狭心症か心筋梗塞)」か「心筋肥大」です。そしてその深さは異常の程度を示します。はい、それだけです。どうですか、T波なんて単純ですね。ですから、陰性T波を見るときの注意点は、それが前回からどう変わってきたかということだけです。形も大事ですが、まあ大局的には大した問題ではありません。

●「急に」:昨年まで上向きだったのに今年は突然下向きになった~これは心臓に何か起きている証拠です。一度心エコー検査や運動負荷検査を受けることをお勧めします。急に陰性になったときはそれが虚血か肥大か区別がつきませんが、逆に一旦明らかに陰性になったものがまた正常に戻ったときは要注意です。この場合は多くが虚血性だからで、また再発する危険性があります。

●「徐々に」:陰性T波の深さの程度が軽くても、経年的な変化を眺めたときに徐々に陰性に変わってさらに深くなっていくなら、その大部分は心筋肥大です。この場合は、長い間心臓への負荷が続いたことを示しますから、その原因(高血圧や肥満など)の管理を速やかにかつ厳格にする必要があります。

T波の変化は、「急に」と「徐々に」のときに是非ご注意ください。

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心電図への期待

先日、地域の保健師さんたちの勉強会に招かれて「健診の心電図」のレクチャーをしました。頑張ったけれど、あまり分かってもられなかったかもしれません。うちの職場のナースたちも、いや、健診の医者たちも「心電図はわからないから」と、信じられないくらいの拒絶反応を示します。

思うに、みなさん心電図に異常な期待をいだいてはいますまいか?心電図を見たら、心臓の状態がわかる、と錯覚してはいますまいか?健診で取ってもらう安静時心電図には心臓についての情報はほとんどありません。何の症状もないヒトの心電図異常はほとんどの場合問題になるモノではありませんし、逆に「心電図に異常がない=心臓は大丈夫」というものでもありません。そこのところをしっかりと認識しましょう。健診の結果票に書かれている所見が何であれ、その判定が軽いのであれば、あまり問題はありません。というか、そこに書かれている所見と今の心臓の状態とは何の関係もないのです。狭心症は発作中でない限り正常所見ですし、弁膜症や心筋症でも進行していない限り大した異常を示しません。毎日動悸がある場合も心電図が正常だからと云ってその原因が不整脈や心不全ではない理由にはなりません。

「ST低下とか陰性T波とか書かれていると狭心症が心配だから運動制限をさせないといけないのではないか、と心配していましたが、その心配はないのですね?」・・・わたしのレクチャーの後、ある保健師さんが質問されました。そうです、その所見を心配する必要はありません。ただ、ちょっと厄介なのですが、「その所見は心配ない」ということを免罪符にされては困ります。「その所見は心配ない」のではなく、「その所見には意味がない(情報がない)」のです。みなさんが日ごろ相手にしているひとたちは死の四重奏です。今晩心筋梗塞になるかもしれない危険因子をもっているひとたちです。運動負荷心電図検査をしない限り、運動をさせてもいい心臓の持ち主かどうかなど何も言及できないのだということ、忘れないでください。

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「その時は、来ます!」

「『たばこを止めようかな』と思ったときは、迷わず禁煙外来に行ってください」と云ったら、「ははは。そんなときは、絶対来ないと思いますよ」・・・そう答えて診察室を出ていきそうになった40歳前のスモーカー男性に、「そう思うでしょ。でもね、その時は、きっと来ます!」と、きっぱりと云い返してあげました。

タバコを止めたことのないヒトは、タバコを止めたいと思うきっかけは「健康に悪いから」とか「家族に懇願されたから」とかそういうものだと、思い込んでいます。自分はそんなことでタバコを止めるようなカッコ悪い人生を送る気はないので、だからそんな日は来ない!と想像しています。経験したことがないのだからしょうがないのかもしれませんが、本当に止めるきっかけはそんなものではありません。少なくともわたしは、健康のために止めたわけではありません。

「吸うこと」に何の価値も感じなくなるときが来ます。「税収以外に何の価値もない」とわたしがいつも云っている意味が、「これか」とふっと分かる瞬間。そんなはずはない!と自分に云い聞かせても、ただの「けむり」にしか感じられなくなる瞬間。それが絶対来ます。慌てる必要はありませんが、それを感じたときには自分に素直になってください。軌道修正することはプライドが許さない!などと意地を張らないでください。

「でもね、その時は、きっと来ます。いつかその日がきたら、そのときには禁煙外来に行く勇気を持ってください」・・・しつこく云うわたしの顔から怪訝そうに目を逸らしながら、彼はそそくさと診察室を出ていきました。

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考える(後)

(つづき)

たとえば、「減塩」といったら何を考えますか?どうやって薄味に慣れるか考えますか?あるいは塩分を薄くしてもあまり気にならないように味付けの仕方を工夫しますか?高血圧の人は塩分が好きです。ちょっと薄くなっただけで舌は敏感に察知します。「体のためだからやむを得ない」と自分に云って聞かせながらおいしいとは思えない料理の味に慣れる努力をしますか? 考えてみてください。醤油や漬物だけではなく、ハムやソーセージなどの加工品の塩分はバカになりません。たとえば、おかずの量をただ単純に半分にしてみたらどうでしょう。味の濃さには何の変わりもありませんが、摂取ナトリウム量は単純に半分になります。味が濃いとたくさん食べてしまう?いやいや、最初から少なく作れば早食いもバカ食いもしなくなります。これが高血圧症であるわたしが考えた独自の減塩法です。屁理屈かもしれませんがちょっと楽しいやり方だと自負しています。

やれば、できるのです。休肝日が必要だとはあまり思いませんが、月曜と水曜に酒を飲まなくなって1年以上、自分には絶対ムリだと思っていましたが、意外に飲まなくても何も困りません。人間は、もともとできるように準備されているはずなのだから、できないはずはないのです。できなくはないけど続けられない?そんなことはありません。少ない量でも腹いっぱいになれます。早食いでも噛むことはできます。ただ、やってみてできてしまうと、「それはムリ」と云い張ることができなくなって元に戻せなくなるのが不安で、やる前から無意識に「続けられないはず」と防衛線を張ってしまうだけだと思います。

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考える(前)

講義をしていて、云い忘れたことがありました。保健指導に携わる皆さんのそれぞれが考えていただきたいことです。わたしは基本的に教科書がキライです。「先生、何かお薦めの本はないですか?」と、ある保健師さんから質問されましたが、「ありません」と答えました。

生活習慣病に対する生活習慣の取り組みは、乱れた人生を見直して理想的な人生に修正することだと思っているでしょうが、それが容易いことではないことを知っています。「わたしは腹いっぱい食わないと満足いかないのです」「わたしは食べるのが早いですもんね」・・・そういうことばが口をつくのは、少なくともこれだけは譲れない、と前もって防衛線を張っているわけです。そんな人たちが「なるほど」と油断してココロを許してしまうようでなければなりません。それは、教科書や成書を読み漁ってみても上手くいきません。もっと自分なりに考えましょう。自分が当事者になってみて、自分独自の楽して上手くいくであろう方法を考えます。考えるだけではダメです。考えたことは実践して実験してみましょう。

(つづく)

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今ガマン?

先日、地域の保健師さん方の勉強会で講師としておはなしをさせていただいたとき、気付いたことがあります。

特定健診、特定保健指導で生活習慣病の改善に取り組んでいる皆さん、その多くが今頑張っている理由は何でしょう。「将来自分のやりたいことができるように」「将来楽しい人生を送れるように」、今、がんばってガマンして頑張ろう!・・・頑張る側も頑張らせる側も、疑うことなくそう考えているのではないでしょうか?

でも、それは、きっと間違いだと思います。

「将来ガマンしなくていいように、今ガマンする」~どうしてだろう?将来だけじゃなくて、今もガマンしないで頑張れる方法が絶対あるはずじゃないだろうか?「ガマン」は、しないで済むならしない方がいい、とそう思うんです。きっと生きとし生けるモノは「ガマン」をすることを前提に生まれてきたのではないと思います。将来のために必死でガマンしていたら、ずっといつまでもガマンし続けなければならなかった、なんてことはよくあることです。

きっといい方法があります。ガマンしない方法、探しましょう。

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こっちの都合

国際的な医療施設認証機関であるJCI(Joint Commission International)の認証を取得するために、うちの病院もその準備を行っています。

その項目の中に、誤認防止のために必ず各検査の際に患者(健診では受診者)さん自ら自分の名前と生年月日を云ってもらわなければならない、というものがあります。受診票を元に検査する側が名前を呼んだのでは本人確認が不十分で、取り違えが起きる危険性があるというわけです。セキュリティと危機管理と云う点で、それは十分わかるものの、健診の場合は20項目以上の検査があります。その各々で毎回名前と生年月日を云わせられたら、普通怒るでしょ!と懸念しておりましたが、やってみたら意外に皆さんきちんと答えてくれます。日本人はマジメだな、と痛感しました。

ただ、それでも「そんなかったるいことはしたくない」というヒトは必ず存在します。もしそれを否定された場合にどうするか?と云うマニュアルが回ってきました。そこにはあくまでも誤認防止であることを強調し、「病院の決まり」とか「病院の方針です」とかは絶対云ってはならない!と書いてありました。

「なんで?」とわたしは思います。「病院の方針です」で良いんじゃないの?と聞いたら、「それはこっちの都合でしょ!」と云うんです。「こっちの都合」で何か悪いの?「うちはそういう病院にすることにしました。それがイヤなら是非他の施設に行ってください」でイカンのかな?今まで土足で上がれたレストランがリニューアルオープンして土足厳禁にしたとき、「昔はこのまま上がれたじゃないか」と云って靴のまま上がろうとする客を「こっちの都合だから」と云って許しますかしら?どこか、『顧客満足』の考え方をはき違えているような気がするのですが・・・おかしいかしら?

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かなえたい夢

プロレスラーになって有名プロレスラーと戦う夢や、もう一度バンドを組んでステージで演奏したい夢・・・そんな「かなえたい夢」を実現させるあるビールのCMを見ながら、考えました。私の「かなえたかった夢」って何だろう?と。でも、考えたけど、必死に考えたけど、何も浮かばなかった。寂しいはなしです。わたしが生きていくのにどこか積極的になれない理由は、そんな目的や夢を子どものころから一度も抱いたことがなかったからではないか、と思いました。

小学校の卒業文集に「将来の夢」というのがありました。たしかわたしは「パイロットになりたい」と書きました。子どものころから高度の高所恐怖症で小さな田舎の橋の上を歩くのも怖がっていたわたしがそんなことを書いた理由は、母が望んでいたからです。「オトコだったらパイロットになって大空を飛び回るような壮大な夢を持ちなさい」って。特に何も書くことがなかったから、わたしは「パイロットになりたい」と書きました。本心ではありませんから、もちろんわたしはパイロットにはなりませんでした。今後もなりたいとは思いません。

「おとうさんみたいな建築家になりたい」「おとうさんの夢は?」そんなクレジットカードのCMもありますね。なりたい夢・・・ないなあ。かといって、今急いで適当なものを見繕えばいいというものでもないし。何となく漫然と自分を眺めていたら、いつか何かが浮かぶのかしら?

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重症熱性血小板減少症候群

「重症熱性血小板減少症候群(SFTS)」って、ご存知ですか?中国で報告されたことはほとんど知りませんでしたし、昨年の秋から日本でもこれで死亡した例が出始めたというニュースもほとんど他人事のように聞いておりました。

国内で初めて診断された重症熱性血小板減少症候群患者

新規ウイルス=SFTSウイルス(SFTSV)によるダニ媒介性感染症だそうですが、先日うちの病院の感染管理室から職員向けに一斉メールが配信されました。

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熊本市保健所より、SFTS (病原体がフレボウイルス属、SFTSウイルスであるものに限る)の四類感染症指定および届出基準改正が、2013年3月4日から施行されると通知がきましたので、周知頂きますようお願いします。

(SFTSについて)
SFTSは主にマダニに刺されて感染します。
潜伏期は6-14日。発熱、消化器症状を主張とし、時に頭痛、筋肉痛、神経症状、リンパ節腫張、出血症状などを伴います。
血液所見で10万/mm3未満の血小板減少、4000/mm3未満の白血球減少、AST, ALT, LDH上昇が認められ、致死率は10-30%程度です。
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マダニが活動を開始するのは春から。そして子どもたちは公園でいつも裸足で遊び回るのが仕事です。これからパンデミックになるんじゃないかと懸念されていますので、是非情報を入手しておいてください。PM2.5といいSFTSウイルスといい、だんだん無防備に外に出ることが制限され、最後は近未来のアメリカ映画のように核シェルターのようなものの中でしか生活できない時代が本当に来るのではないかと心配になります。

 

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血の通ったインシデントレポート

日経メディカルオンラインの尾藤誠司先生のブログ「ヒポクラテスによろしく」の2013.3.7号に、「血の通ったインシデントレポートを書きたい」という文章が載っていました。

医療の現場では、インシデントレポートというのがあります。「ヒヤリハット」報告とも云います。ぼーっとしてて違う薬を注射しそうになったとか、血の付いた注射針が床に落ちていたとか、すんでのところでアクシデントや事故が起きそうになった事例を報告して皆が情報を共有することで予防の意識を持とう、というものです。でも、たしかにインシデントレポートは始末書的な要素があり、何か犯人探しと責任の所在の確認みたいなところがありますから、みんななかなか書きたがりませんね。真面目に書いただけ損、という感じはします。

そんな中で尾藤先生が書かせようとしたインシデントレポートはインシデントレポートらしからぬもの。持続点滴のルートが取れず何度も針を刺して結局患者さんに注射を拒否されたという出来事で、いつまでも自分がルート確保することに固執して薬剤投与開始が遅れたというインシデントではなく、「患者さんに気の毒なことをしてしまった」という感情を共有しようというものでした。医者は合法的に完全弱者の患者さん相手に危害を加えます。相手を押さえつけて刃物をかざしたり太い針を突き刺したり毒を盛ったりするのに有難がられる商売です。だからつい「してやっている」という錯覚に陥ってしまうバカがいます。未熟者のわたしに身を任せていただいたのに期待にそえるような処置をしてあげられなかったときは、素直に「申し訳ない」という気持ちを抱くこと・・・至極当たり前のことなのですが意外に今どきの若い先生方の中にはそういう感情の持ち合わせがない人も居るように聞いています。「『気の毒なことをしたのでみんなで反省したい』という意識を職員同士が共有していくことは、必ずその病院の文化を成長させる」という尾藤先生の考えにわたしも賛同します。

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パラレルワールド

我が家は、二階北側の3畳の部屋(本来は私の書斎兼仕事部屋にするはずだった部屋)に本棚に囲まれる形で小さな仏壇があります。朝、線香をあげて形だけのお参りをして出勤します。

先日、寝室に行こうと前を通った時、その仏壇の部屋のドアが半開きになっているのに気付きました。「あれ?」・・・ワンたちが粗相をしないように普段は閉め切っているはずの部屋。時々妻が空気を入れ替えるために開けることはありますが、たしか仕事から帰った時は閉まっていなかったかしら? なんてなことが、時々ございます。半開きのドアの隙間から、リフォーム中の実家から持ち帰ってきた父の遺影の写真が見えました。偶然、昔の父と目が合いまして、「おっとっと」っと言いながら慌ててドアを閉めたりした次第でございます。

我が家の一階のトイレ。誰も居ないのにここのドアが開いていたり電気が点いていたりすることは、18年前にこの家を建てて以降何度も起こります。数少ない住人たちはお互いに相手が消し忘れていると思い込んでいます。でも、少なくとも私に心当たりはございません。

きっと記憶が間違っている(自分でやったことを忘れている)だけなのだと自分に云って聞かせながらも、この大きな家の中にはパラレルワールドへの”どこでもドア”があちこち開いているかもしれない、という思いは抱いております。何しろ、わたしの相棒は平気で時空を超えてくる御仁です。

真実を知っているのは、今ぐっすりと大の字になって寝入っているワンたちだけなのでございます。

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「忘れてはいけない、がん予防」

この連載記事は全12回、今回で最終回になりました。続けたい気持ちは満載でしたが、もうネタがございません。

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忘れてはいけない、がん予防~日本人の死因の1位はがんです~

健診医になる前は循環器内科医だった私は、がん治療と縁のない人生を送ってきました(心臓にはがんができません。その原因が心臓から分泌されているANPという物質のせいらしいことが最近話題になっています)。そのためか、いまだにがん予防への思い入れがあまり強くありません。生活習慣病の双璧を成すがんと動脈硬化性疾患を比較すると、明らかに動脈硬化の方がやっかいで不治の病だと思うからです。

ただ、周知のごとく、日本人の死因の1位はがんであり、それは全体の1/3を占めたままです。死亡数の低下したものがあるとしても、必ずしも発症が減ったわけではありません。現代社会が生み出した運動不足や食習慣やストレスやあるいは環境汚染のもとで、がんは確実に増えています。

●がん検診の現状
がんは早期に発見して名医にかかれば治るから、自分の力で一生頑張らなければならない動脈硬化性疾患より気が楽だ(図)と私は思うわけですが、その代わり、がんを早期発見するための努力は不可欠。それが「がん検診」です。がん基本法に「がん検診を受けなければならない(国民の責務)」と謳ってあるにもかかわらず受けているのは国民の20~30%にすぎません。たしかに特定健診が動脈硬化予防に特化したためにがん検診は疎かになり、「補助金が出ないなら検診なんか受けん!」という人も少なくないでしょう。子宮がんや乳がんやあるいは大腸がんの罹患率が増えていると必死に叫んでも、どうもないのにそんな恥ずかしいところを曝すのはちょっと、と二の足を踏むのは人間として自然なのかもしれません。著名人や芸能人ががんに罹患する度にテレビやマスコミが大々的に報道します。すると健診や人間ドックの受診者が急増します。だから、彼らが早期発見の重要性を自らの口から話してくれる方が、我々や自治体が大声を張り上げるよりはるかに効果があるといえましょう。それでもブームは一時的ですし、1回受けて何事もなかったらもうそれで終わる人がほとんどです。むかし、まだ私が喫煙をしていた頃、肺がん予防セミナーに出席するために上京したことがあります。その新進気鋭の呼吸器外科医の熱いお話に聴き入りながら、「もうたばこはやめよう!」と心に誓ったのですが、その晩、東京駅近くのビジネスホテルに帰る途中で私は缶ビールと一緒にたばこを購入していました。“がんは怖い。進行すると命を奪う。予防と早期発見が重要だ”・・・わかっていてもなかなか行動に結びつきません。

●がんは不治の病ではない
がん予防に関する研究はさかんに行われています。“「がん研究」から「がん予防」へ”をスローガンに、国立がん研究センターでも研究報告が適宜発信されています。ただ、食生活とがんの関係はとても難しい・・・昨年の抗加齢医学会総会のシンポジウムを聴いてそれが分かりました。日本人の食事は複雑で、単品栄養素のデータを並べても実際にはあまり意味がない。その物質が身体に良いかどうかを調べるためにサプリを短期間に大量摂取してみること自体が不自然であり、結論は「質のバランス、量のバランスが一番大事」ということだけだ、という某教授の話が私の心に一番響きました。現時点で、日本人のがんに明確に影響を与えるものは、喫煙と感染(ピロリ菌やHPVなど)だけです。○○が胃がん予防に良い、と聞いてそればかり食っていたら脳卒中で倒れたとか、予防のために●●をサプリとして取っていたら返って別のがんのリスクが急増したとか、そういう話はざらにあります。質のバランスと量のバランス・・・“カラダに良いもの”はそればかり取るとただの「偏食」である。それは、動脈硬化予防の食事の考え方と何ら変わりません。

がん予防の最大にして唯一の武器はきちんとした検診を受けることです。動脈硬化は自分で頑張って修行僧のような人生を送れば何とか予防できるかもしれませんが、がんに勝つ最終手段は早期発見しかありません。その代り、早期発見さえできればがんは不治の病ではないのです。怖れず、億劫がらず、勇気をもってがん検診を受けましょう!

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2年間私のつたない文章にお付き合いいただいてありがとうございました。今回で連載を終わります。健診業務に携わるようになって12年、私の中ではっきりしてきたことがあります。予防医療とは、病気にならないように未病の状態から節制すること(させること)ではなく、“病気予防“”未病“などという概念そのものを考える必要のない人生を送る整備をする作業である、ということです。そんなことは医者や医療従事者のする仕事ではない!と嘲笑っていた方々もたくさん居ました(今も居るのでしょう)が、是非、そういう人たちに会わないですむ(縁がない)人生を送りましょう。

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めんどくさくなってきた

また、書くのがめんどくさい周期に突入中です。

書きたいことはたくさんある(はず)。アタマの中ではたくさんのことが浮かんでは消えしているので、書き始めたらすらすら書ける、と思っていたのだけれど、そうでもないみたい。何か、「書く」という作業自体が億劫で、このブログでもコメントをいただいた皆さんへの返事も遅れ気味です。すみません。ブログだけでなく、仕事上の書類やレポートまでもが書くのがめんどくさくなってきていて、ついつい溜まり気味になっています。

慢性疲労・・・公私ともにそして心身ともに、ちょっとだけ切羽詰っている気がします。

ま、いつものことですので、しばらくご容赦ください。

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がんばりますので

「がんばりますので、応援をよろしくお願いします。」

先日、ミスユニバース日本代表のお嬢さんがテレビのインタビューでこう云ってました。さすがはミスユニバース!・・・何かとてもスッキリした気分になりました。

最近はどんな正式の場でも、アイドルからスポーツ選手や文化人の人たちまで、みなさんこう云いますよね・・・「がんばるので、応援をよろしくお願いします」って。「がんばるので」って。

それが、自称国語博士としてはずっと気になっているのです。文章を書く仕事をしている友人は「これは別に気にならない」って云うんですけど、わたしはとても気になる。もちろん、自分の行為を表現するのだから「がんばる」で使い方が間違っているわけではないのだろうけれど、でも「がんばりますので」って丁寧語にした方が絶対に優しい表現になるし、お願いされる側としては気分が全然違うと思います。

とても些細なことですが、これを聞きながら、このお嬢さんを密かに応援したいな、とココロから思った次第です。

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「牛になれってことですね」

「なるほど。牛になれってことですね。」

逆流性食道炎の自分の経験から、「飲み込みかけたものを『おぇ』って戻して再度噛むとすこぶる胃の調子が良くなった。3回くらい繰り返すと完璧だ!」と助言するようにしていますが、それを聞いた受診者さんが、奇しくも二人続けてこう答えたのです。

「違います!牛の”反芻(はんすう)”は一回胃に入れてから簡単に消化したものをもう一度戻して噛み砕く作業でしょ」・・・せっかくウイットに富んだうまい云い方をしたとご満悦な受診者さんがちょっと顔を曇らせるのを確認しました。ほら、わたし、いけずだから(笑)。

まあイメージ=「牛」でも全然かまいませんが、放っておくとベルトコンベアに乗った回転寿司のように喉の奥に流れて行ってしまいそうな食材を、「おぉっと危ねぃ!」とばかりに吸い込まれる直前に引き戻してから「まちっと味わう」という作法をこっそり身に着けることをお勧めしているわけです。わたしのような典型的なバキューム食い男ですら”噛み尽し”の魅力にハマってしまったのですから。

「第一、牛になったらいかんでしょ! 食ってすぐに横になって牛になるのが逆食には一番イカンのですから」・・・最後に完全否定でとどめを刺しておきました。せっかくわたしの”極意”をこっそり伝授してやったのに「今日、先生から『牛になれ!』て云われたよ」なんて笑い話にされたらたまったもんじゃないから(ま、これでも結局、はなしの種にされるんだろうな、自分でもこうやってネタにしているんだから)です。

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春眠なんたら?

やっばーい!

昨日は、眠い眠い眠い眠い~の一日だった。前の日の夜はうたた寝ありの2時就寝-6時起床だったから、まあいつもと同じ睡眠時間。実家のことで抑うつ気味ではあるが寝つきは良かったし朝の目覚めも良かった。夜中に一度もションベンにも起きなかった。なのに、出勤途中から急激に眠くなって、それが一日続いた。これって、何か「睡眠時無呼吸」に典型的な症状ではないか、と自分を病人に仕立ててみる。

意外に、「眠いか眠くないか」なんて、睡眠時間とか、目覚めの爽快感とか、夜中に起きる回数とかにあまり関係ないんだな。

あんなに眠たかったのに、夜になるとどんどん冴えてきたなーーーって、おいおいもしやこれは、「うつ病」なんじゃないの?

いや、「アル中」か?

今朝も同じパターンの寝覚めだけれど・・・今日は良い日でありますように。

 

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ジョーク

わたしの担当の営業の男性が、笑いながらわたしにある冗談を云いました。

カチンときました。

「どうして、この男はこんなつまらないことをまるで気の利いたジョークだといわんばかりに誇示するのだろう。そもそも、その下品な笑い方がキライなのだ!」

そこまで嫌悪感を感じている自分に驚きました。自分の中で何が彼をそこまでセンスのない非常識人という評価に引き落としたのかはっきりしません。でも、冷静に考えても、そんなタメ口で友人のような冗談を云うのはTPOをわきまえていなさすぎるだろ、と思いました。

ただ、同じようなシテュエーションであっても、同じようなくだらない冗談を同じような口調で云われたとしても、それを微笑ましいユーモアと感じることもあることを、わたしは分かっています。何が違うのか?結局、相手のことを好きかどうか、信用しているかどうか、それにかかってしまうのだろうと思います。彼とは数年前にトラブルがありました。その後もあまり気の利いたことをしてくれず、「営業のくせに」といつも不満を感じていたのです。

そんな彼が、どうしたことか、人が変わったかのように妙に何度も電話を掛けてきて小回りの利く態度を取り始めました。くだんのタメ口も一切云わなくなりました。どうした?何があった?と密かに面喰いながら、でもちょっと見直しました。現金なもので、そうしたら、彼がしっかり者に見えてきました。何か、自分のココロの浅さに気づかされた気がして、恥ずかしくなってきました。

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寝かせておく

まだ話の途中じゃないか!この人はいつもこうだ。どうして他人が話すのを最後まで待っておれないのだろうか?横で聞いていてイライラするけれど、さらに上乗せして割り込んだら収拾がつかなくなるから、わたしはじっとがまんしているんだぞ! こんなヤツ、居るんだよ。何でも自分の思う様に進まないと落ち着かないヤツ! バッカじゃないの!

・・・ある人のそんな態度に、カチンと来て、眉をひそめながら悶々とすることが多くなった昨今。この人のこの態度は今に始まったことではないのに、これまではもっと冷静に聞き流すことができていたのに、どうした、自分?・・・ダメだ、かなり余裕がなくなって追い詰められている、と、自己分析。

くそったれー!と思い、怒りにまかせて文章にしようとする。なかなかまとまらない。ちゃんとした文章にならないので、そのままネタを寝かせておきました。そろそろ良いかなと、もう一度冷静に書こうと思って書き始めましたが・・・もうすっかりココロが落ち着いてしまっています。怒りで冷静さを欠いたと思われるときは、恋愛で何も見えなくなったときと同様に、しばらく棚に上げて寝かせておくことが重要なんだと実感しました。

これもまた、処世術のひとつなり。

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話題

「先生のところのワンちゃんは、まだ元気?」

先日、久しぶりに昔の上司に出会いました。そういえば、彼は昔からわたしの顔を見ると決まってイヌの話題を振ってきました。それが、出張中でも、パーティ帰りのタクシーの中でも、わたしに聞くことはいつも「ワンちゃんは元気?」 

同席した他の同僚には、やれ「あの患者さんの治療は・・・」とか、「今度の学会のテーマは・・・」とか、仕事の話ばかりなのに、こっちを向くと「うちの犬は年老いて・・・」と始まる。当時、とても寂しい気持ちになったことを覚えています。この方はわたしに何も期待もしていない。表面上はニコニコして話しかけるけれど、少なくとも仕事上の信頼はしてくれてはいないのだな、と。

でも、それは勘違いなのかもしれないと思うことにしました。もしかしたら、私にだけ気を許してくれていたのかもしれません。あるいは、仕事のことは何も云わなくてもちゃんとできると思ってくれていたのかもしれません。定年退職されて仕事の関わりが無くなった今でも、会うと「先生のところのワンちゃんは?うちはね・・・」~だいぶ歳を取られましたが、相変わらずイヌの話をするときの彼はクシャクシャの顔でした。

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リスペクト

「目下」と「目上」で態度があからさまに違う人がいます。裏表がある態度なので、傍から見て良い気がしませんし、「信用できない人間」とレッテルを貼られます。

ただ、こういう人は、云い方を変えれば”プロ”。あるいは生まれ持ってに備わった”才能”。何をもって「目下」「目上」を区別しているのか分かりませんが、自分の中の利害関係で管理された何かのセンサーがあるのでしょう。そのセンサーで無意識に判断して瞬時に使い分ける能力は、大したものです。残念ながらわたしにはその能力がありません。小学生にも敬語で話しかけてしまいますし、直属の部下にもタメ口をなかなか使いきりません。だから、こんなプロの人間にちょっとだけ憧れもあります。

対峙する相手によって使い分けをする・・・この行為の真意は何でしょう。「使い分ける」ということは、どっちかの相手に向かって(あるいはどっちにも)「リスペクトしたくない」という思いが強いのだろうなと思います。相手を認めたくないのではなく、自分を認めてほしい・・・自分がいつも一番でいたいという向上心の表れなのかもしれません。でも自分にはそんな実力がないことを分かっている。そして残念ながら現実は完全に裏目になる。でも、こういう人が何かのきっかけで心からすべてのヒトをリスペクトする気に変わったときに、本当に一番上に立てる人間になるのだと思います。

わたしも自分に自信がない。自信の無さが、「態度の使い分け」に向かわずに、「全てにへりくだる」となった。どっちも”卑屈”なのだろうけれど、わたしの態度には”リスペクト”ということばを使うことがおこがましい(自分にはまだその立場の実力がない)という思いが表われています。

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