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試練

わたしたち夫婦の間に子どもが生まれなかったことについて、時々考えることがあります。

神からの授かりものが得られなかったことについて、「どうして自分たちだけこんな仕打ちを受けるのか?」とか思って悩むことも、若い夫婦が赤ちゃんを抱いて幸せそうにしている姿に羨ましさを覚えたりすることも、ないといったらウソになるけれども、それでもわたしはあまり感じませんでした。

わたしの今回の人生で、「子育て」という項目がカリキュラムの中に並べられていないわけです。これは、もはやわたしにとってこのカリキュラムは前世までの間に合格証をもらっているから要らないというのか、あるいは逆に、まだそんな高度なカリキュラムに入る前段階をクリアしていないというのか? または、これを入れてもらえないということ自体が「試練」としてのカリキュラムなのか?

考えてもしょうがないような、そんなことをいろいろ考えてみたりするわけですが、結局何も結論は出てきません。・・・きっと、今はまだ、そんなことを考えているべき時期ではないのだろうな。ただ、人生を共にする妻に対しては「寂しい思いをさせて申し訳ない」という気持ちに苛まれることがあります。

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コメント

 飯田 文彦教授の「いきがいの創造」ですね。人は自分で試練を設定して生まれてくるとか。だいじょうぶです、私など「結婚という試練」にすら到達できませんから(笑)。「女性に騙される試練」はたくさん受けてます。エドガー・ケイシーについて研究した「転生の秘密」もおすすめです。
 こういった世界のことを知ったからどうなる訳ではありませんが、自分に起きたことを世間や他人のせいにすることは少なくなります。
 ちなみに私は何回か前の前世で「書」「鍼灸術」に熟達していた、とある人に言われたことがありますが。「おい、ちょっと待て。書道やってる鍼灸師なんて腐る程いるでしょうが!」(笑)。
 

投稿: コン | 2013年3月26日 (火) 06時41分

コンさん

何ですか?前世の再試験ですか?(笑)

いいですねえ、私も何かの達人だった前世があったらもうちょっと人生に自信が持てるのに。

「生きがいの創造」はわたしの若いころのバイブルでした。これによって助けられたことはたくさんあります。

投稿: ジャイ | 2013年3月26日 (火) 08時25分

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