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2013年4月

酒好きではない?

わたしの酒の弁明が続いて申し訳ありませんが、わたしは実は「酒好き」ではないような気がします。

いや、今夜も(このブログは、基本的に夜に書いていますのであしからず)ワインを飲み干して焼酎に手を出したので、潰れるのは時間の問題なのですが、なぜ酒を飲むのだろう?と考えると、どうも酒の味が恋しいわけではないような気がしています。

「酒?やめられません!」
「酒の肴? 絶対やめません!」

と答えた人間ドック受診者さんが先日おられましたが、わたしは突き詰めてみると酒の肴を美味しく食いたいから酒を飲んでいる気がします。よく、少しの漬物や乾きモノをアテにお酒だけチビチビ時間をかけて飲んでおられる人が居ますが、あれが”酒飲み””酒好き”であって、「酒の肴がないと酒は美味くない」と感じているわたしたちにとって酒はその口実のような気がします。ダイエットのためにピーナッツ類や惣菜や刺身などを一切買わないようにしたら、帰ってからビールを飲もうとしてもどこかココロが盛り上がらず1缶飲み干しただけで止めてしまうことが多くなりました。

それはさぞかしダイエットが進んだでしょう、って? いえいえ、この事実に気づいた以上、酒の肴を準備する習慣がこっそり復活したのは当然の摂理でございます(笑)

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中庸

ココログのパソコンのつながり方が不安定で、コメントの返信がなかなか書けなかったので、コンさんへのお返事を今日の記事にさせていただきました。

コンさん、この記事は大酒飲みの方しか反応しない、ということがfacebookにリンクしてみてわかりました(笑)

「過ぎたるは及ばざるがごとし」「中庸」・・・古来から先人はすばらしい教えをこういう凝集されたことばでもって後世に伝えて参りました。人間が生きていく上で、万事これ正論です。特に予防医療の世界においてこれ以上の妙薬はございません。

ただ、この教えをどう具体的に紐解くか、というときに方向性を誤らない様にしなければなりません。「中庸」の中はどこか?「過ぎたる」の物差しは何か?おそらく先人が体得したこの摂理は、各々が各人各様の自分なりの物差しをもって判断するものだったはず。それを無知で節度を知らない庶民に任せると病気になる、と判断した学者さん方が、「正常値」とか「基準値」とか、あるいは「適量」とかを数字で示して振り分けしてしまったところからちょっとおかしなことになり始めました。

一律に同じ量りの目盛に従って平均点で評価することは、大きく外れた人を出さない代わりに、本当は犯人ではない人を凶悪犯人に仕立て上げる危険性も秘めています。若い女性に「高脂血症だから治療を受けなさい」と強制通達(紹介状)が突きつけられたり、「酒の『適量』とはアルコール量に換算して・・・」と表示することでわたしをアル中呼ばわりしたり・・・これは、冤罪でございます!

最後の一行を書きたいがために、つい長い文章になってしまいました(笑)

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ハゲオヤジと心疾患

<禿頭症の男性は心疾患リスクが高い>

オンライン医学誌BMJ Openに掲載されたというこの研究論文の出所は、東京大学の山田朋英先生のグループで約37000人の男性を対象とした6件の研究の分析によるもの、と2013.4.16配信のCareNetComにありました。

一言でいえば、「てっぺんハゲ」タイプの男性の禿頭症は心筋梗塞になりやすい(生え際後退タイプは関係ない)というものです。このタイプの禿頭症はそうでない男性より心疾患リスクが33%高く、55~60歳では44%に上昇します。こういうタイプを男性型禿頭症(アンドロゲン性脱毛症)というらしいですが、男性の40%がそれで、80歳までの5人に4人は禿頭になるということです。

この事実から、禿頭がインスリン抵抗性や慢性炎症やテストステロン感受性のマーカーになるのでは?と書いてありましたが、わたしは遠い昔からとっくに知っていました。まだ循環器科医師だった15年くらい前に、どっかの論文発表データとして原文で読んだことがあります。ずっと周知の事実としてあちこちで偉そうに触れ回っていましたから、今頃新しい事実のように云われるとちょっと困ってしまいます。

ちなみにわたしの父は若くして波平さんタイプのツルッパゲでした。わたしは残念ながら母型の血を引いたようで白髪型です。テッペンは、うつ病で円形脱毛症になったとき以外は薄くなったことがありません(見えていないだけかもしれませんが)。 なお、ずっと「禿頭症」を「はげあたましょう」と入力してきましたが、正式には「とくとうしょう」だそうですので、あしからず(覚えきらんな)。

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体質

先日、久しぶりに、ある男性受診者にお会いしました。数年前まで、わたしが産業医をしている企業で働いておられた方です。高度の高血圧症のため、胃内視鏡検査を実施してもいいかどうか判断するためにわたしのところに回されてきました。

当時から高度の高血圧症が続いており、毎回紹介状をもらっていましたが受診せず、もう少し生活習慣を見直してがんばる!と主張されていました。実は、昨年あたりから心電図に変化が見られ始めていたので注意を促していました。高血圧性の心電図変化だと思われ、だとすると心臓に高血圧の影響を直接及ぼし始めたことになりますので、早めに血圧を下げる必要があるのです。

「何が原因なんでしょうか?」と、彼はつぶやきました。現役中から体重を減らすことに留意して15kgくらい減量しましたし、減塩を中心とした食事に注意し、さらに毎朝の運動も欠かしていないのに・・・と。だからこれが「体質」。ここまでやって下がらないどころか心電図異常までもたらされ始めているとなると、今必要なことは修行僧の道をさらにストイックに徹底することではなく、早く薬剤を使ってでも心負荷を下げてあげることだとご説明しました。「今度こそは内科受診をします」と云われましたので、すかさず「第一、今の血圧なら運動禁忌ですから、『毎朝の運動』自体をやってはいけないことになりますよ」と追い打ちをかけてあげましたが・・・さて、本当に受診されるでしょうか。

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お酒と血糖

節酒・禁酒は、生活習慣病や健康を語る上で避けて通れない用語です。でも、詭弁でもなく堂々と云いますが、「酒は百薬の長」であります。タバコは弁解の余地なしですが、酒は人間が生き延びるためになくてはならない永遠の恋人に違いない、と信じているのであります。

酒はカラダにいいのか? イエス!

健診現場で、皆が知っているくせに触れたがらないタブー=「エチルアルコールは摂れば摂るほどHDLコレステロールを直線的に上昇させる」んです。どうです、すごいでしょ?わたしのHDLがうなぎ上りなのを運動を毎日続けているせいだと思い込んでいたけれど、もしやコンスタントに飲んでいたからかも。最近低下してきたのは、運動が減ったせいではなくて、休肝日なんか作ったせいかも? いかんいかん、そらいかん。

適量のアルコールは血管拡張作用とリラックス効果があって「血圧を下げる」というのも、今や常識です。高血圧には飲酒、やるべきです。

そして、血糖。糖尿病の専門医の中には、「アルコールはカロリーが少ない上に血糖上昇効果が高くないので、血糖コントロールをするにはむしろ酒(特に蒸留酒)を飲むのが効果的なんじゃないか?」という先生が何人も出てきたんです。

「先生にお願いがあります。今度の勉強会で『酒がいかにカラダに良いか』、1時間くらい褒め殺しの講演してくれませんか?」と、うちの施設の管理栄養士の先生に懇願しました。「ムリでしょ」という顔をしたので、意地でもやってもらおうと思います。

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みせしめ

関西の某有名大生によるUSJ迷惑行為事件に続いて今度は都立高校生によるディズニーランドでの迷惑行為事件が報道されました。子供じみたアホが騒いでオトナ(というよりも社会)に迷惑をかけたというだけで収まらないのは、それをわざわざ写真に撮って自分のブログやツイッターで自慢してしまったこと。Jリーグの老舗チームのサポーターが相手チームのマスコットの被り物を奪って写真に撮ったものをツイッターで公表した事件もありました。

オトナたちは、幼稚だ、バカだと呆れ、会社はお客様なのであからさまに公表できず、今回の都立高校生のような未成年者では「お叱り」だけで済ませられてしまう。実際のところ、こんなアホが何をしたところでわたしの生活には何の影響もないから無視すればいいのだけれど、それでは「こいつらつけあがる!」という思いが払しょくできず。社会は妙に寛大だけど、あれで迷惑を被ったお客さんが訴えたら、賠償請求できるのだろうか?

昨日の朝には大手民放局のすべてが一斉に報道していたから、あれは「みせしめ」なのでしょうけれど、社会常識のある若者は初めからそんなことはしないのであって、おそらくは以前流行った成人式の大暴れ現象と同じように、もっと目立つような事をして写真や動画をアップしてやろうという輩には単なる刺激にしかならない。こういう前例のないアホ事件には前例を無視した常識はずれの罰則を科してやるべきではあるまいか。

などと、いつになく怒りに任せて一気に書いたけれど、実はインターネット上では事件を起こした当事者たちの実名や無修正のデカい写真はバコバコ出ていて、検索すれば簡単にヒットします。たぶん一生消されることなく公開され続けるのでしょう・・・こっちの方がはるかに恐ろしい。

いつの間にかとんでもない社会になったものだ、と思います。

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インスリン分泌不全が改善する?

2013年4月16日のMTProに出ていた「Doctor's Eye~衝撃!身体活動量はβ細胞機能にも影響?!」という北里研究所病院山田悟先生の記事には、わたしも衝撃を受けました。身体活動がインスリン抵抗性の改善だけではなくインスリン分泌機能にも影響を与えることが示唆された研究が報告されたのです。

この研究はインスリン抵抗性やインスリン分泌不全といった糖尿病に関わる遺伝子の検討をするためのコホート研究(betaGene研究)の一環として行われ、メキシコ系米国人の妊娠糖尿病既往者とその兄弟・いとこを対象に日ごろの身体活動量と諸般の検査データとを比較検討したものです。

・女性は低活動、男性は中等度活動が半数を占めた。
・活動量が高いほどカロリー摂取量は増加していた。
・oGTT検査結果では活動量が低いほど血糖値が高く、インスリン値も高い。空腹時でも2時間後でも同様である。
・活動量が多いほどインスリン感受性が良くなるとともに、β細胞機能や血糖に対するインスリン分泌増加反応も高くなった。

山田先生が最後に考察しているように、戦後の糖尿病患者の増加が身体活動量の低下と脂肪摂取量の増加によりもたらされたという仮説のうち、脂肪摂取量増加との関連は否定されたようですが、身体活動量の減少がそれだけで本当にインスリン抵抗性とインスリン分泌不全の両方の原因になりうることを示したことは意義が大きいと思います。

むしろわたしは、もはや持って生まれた体質だからしょうがないとあきらめていた由緒正しい家系の皆さんに対して、その体質は運動によって変えられるかもしれないと云えるデータであったことがすばらしいと思って山田先生の解説を読みました。

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健康づくりのための身体活動基準2013

「健康づくりのための身体活動基準2013」と「健康づくりのための身体活動指針(アクティブガイド)」が本年3月18日に厚生労働省からリリースされました。2006年に初めて運動基準や運動指針が出されてからもう7年も経つのですね。何メッツだとか何エクササイズだとか、あちこちで説明した記憶があります。

何が変わり、どう利用したらいいのか、運動指導や特定健診に従事する方は”追って沙汰があるまで待とう”というのではなく、概要だけでも是非読んでみてください。年齢別の指針があることも重要ですが、保健指導で運動指導を安全に勧めるために具体的に手順が書かれているらしいのが意外に大事な気がします。

今年から健康日本21の第二次の取り組みがスタートしたことを、さてどの程度のヒトがご存知でしょうか。「第二次があるということは、第一次もあったんですか?」などと云うヒトはまあ置いておいて、第一次の結果を反省材料にして新たにスタートしたこの取り組みの軸を成すものでもあります。ちなみに、第一次での身体活動に関する目標は、①日常生活における歩数の増加と②運動習慣者の増加、でしたが、第二次ではそれに加えて③住民が運動しやすいまちづくり・環境整備に取り組む自治体数の増加を掲げています。予算や人手不足を理由にちっとも自治体が動いてくれなくて悔しい思いをしてきた、現場の保健指導に関わっている皆さんにとって福音になることを祈ります。またNPO法人「くまもと健康支援研究所」などのアクティブな活動がもっと重要になるだろうと期待しています。

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スプレッド

某社の『 ぬりやすい ソフト&バター』

なるモノを妻が買ってきました。昨日の朝、焼いたパンを食べながらそのパッケージを眺めていましたが、「ぬりやすい」の横に(バター比)とあり、「ソフト&バター」の横には(バターを主原料とするスプレッド)とある。さて、「スプレッド」って何?このあやふやでよくわからない単語をあえてパッケージに書き込んで、このバターもどきは何をごまかしたいのだろうか?と真面目に悩みました。

「乳等を主要原料とする食品」
「乳脂肪分31.5% 植物性脂肪分29.1%」
「有塩バター(日本食品標準成分表2010)に比べ コレステロール50%カット、カロリー25%カット」
「バターのおいしさで、パンにぬりやすいホイップタイプ」
裏面には、
「ホイップしているので、カップからすくいやすいスプレッドです」とか
「バターを38%使用。(減量油脂中にバター由来の乳脂肪分が50%含まれています。)」とも。

ぼーっと眺めながら、「結局、これ、何?」「数字の意味がさっぱりわからないけど、動物性脂肪でも植物性脂肪でもない残りの40%は何?」など、得体のしれないことがいっぱい書かれています。コレステロールの溜まるバターでも、トランス脂肪酸が問題のマーガリンでもないことを強調し、健康に良いというイメージをにじみださせる魂胆かしら。わかりません。何より、「スプレッド」という聞いたこともない言葉をわざと選んだ時点で胡散臭い!と思うのが正直なわたしの感想です。この会社の企画の皆さん、ごめんなさい。

ちなみに、味はおいしいです。きっと中味も安全なんでしょう。でも、怪しい商品だと思います(笑)

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心電図拒絶反応症候群

「心電図」と聞くと、「むずかしいもの」「わからないもの」という拒絶反応を即座に示す医療人が多いのが現状です。看護師さんや保健師さんだけでなく医師も循環器系の経験のないヒトはあからさまに敬遠する傾向があります。

最近、心電図や心臓病のレクチャーをさせられる機会が増えましたが、聴く側の立場のみなさんにお願いがあります。「心臓病はむずかしい」「心電図はわからない」という先入観をとりあえず取り払いましょう。今までの経験で植えつけられたあらゆる雑念を取り払って、ニュートラルな気持ちで対座しましょう。心電図は必ず緊急性の高いものから教えられます。これを見たらすぐ対処すべき、すぐ対処しないと命に関わるといった心電図です。で、それ以外の心電図レクチャーがあるかというと、それはほとんどありません。だから、心電図=急変、重篤、緊急、怖い、と植えつけられたまま医療経験を積んでいくことになります。そしてできたらそんな責任の重い場面には直面したくない=心電図を見ないで済むように・・・とココロが敬遠していくのではないかと推測します。

その呪縛からまず逃れないと、心電図とお仲間にはなれません。少なくとも健診現場で見る心電図は、そんな若いころに植えつけられたような選び抜かれたエリート心電図波形ではありません。ST変化?狭心症?? 大部分は違います。不整脈?運動制限?? 大部分は大丈夫です。わたしたちが知りたいのは、元気に生活しようとする人たちに安心して人生を送ってもらうための知識なのです。

第一(以前にも書きましたが)、国家試験で循環器の内容をすべて捨てたわたしが心電図を語るのです。脱分極とか再分極とか何のことかさっぱりわからないわたしが自己流に覚えた知識を恥ずかしげもなく披露するわけですから、逆に、嘘八百並べて、間違った知識を植えつけさせるかもしれません。でも、それでいいんじゃないでしょうか。だって、そんな知識で少なくとも25年以上循環器畑にいて、今まで何の間違いも起こさなかったのですから。

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あとぜき?

「あとぜき」は、熊本弁で「開けたドアを閉めろ」という意味です。人気のくまモンのくまモン体操の〆にもありますが、なにしろ熊本にくると公の場所でも普通に「あとぜき」の張り紙だけがあります。

朝、更衣室から仕事場に続く廊下を歩いていると、前を歩いているスタッフがわたしのためにドアを開け放してくれました。「ありがとう」と云って通り過ぎようとするとき、後ろにはちょっとだけ離れて数人のスタッフが同じように歩いてきている気配があります。 さて、その場合、あなただったらどうしますか?

わたしは、間違いなくあとぜきします。すぐ後ろを来ているのに閉めるのはさすがにありませんが、少し離れていたら閉めます。閉めておかないと、わたしの後に続く人たちはそのまま開けっ放しにするでしょう。だって「初めから開いていた」と思うでしょうから。ドアは、空調管理やセキュリティ管理のために閉められているのが基本。前の前の前のヒトが好意でやってくれたことが最終的に無責任な行為になる。誰の責任でもないこんな現象は、結局その場にいる当事者が、何が真実かを後ろに続く人にきちんと伝えることができるかどうかにかかってる、とそう思うのです。

そうやって真実が何だったかだれも分からなくなるのが伝言ゲームです。自分があとぜきしようがしまいが自分がとがめられることはないでしょうけれど、自分が真実を誤らせるきっかけを作ることだけはイヤだ、とそう思うのです。

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医者の不養生?

ケアネットで医者に出したアンケート「自身の健康管理について」で、健診を受けないという医者が12%あったそうです。それは若い医者よりも年代が上がるほどに漸増し、受けない理由は、「忙しすぎる」「仕事を休めない」という”受けたいのに都合がつかない”場合と、「自分のことは自分で分かっている」という”受ける気がない”場合に分けられ、高齢ほどその二分化が著明になったそうです。

でもこれは、どちらも同じだと思います。「受けたいけど時間がない」という云い方はある意味詭弁です。「仕事が忙しいから受けられない」と云うことばはつまり「受けたってしょうがないだろう」という”受ける気がない”派と同じ土壌にいる気がします。「受けることが大事」だと思うヒトは、万難を排してその一日を捻出するからです。そういう先生は何人もおられます。仕事を言い訳に使う人に比べたら「受けたってムダ」と主張する先生方の方がはるかに潔い。

まあそれは、各々の人生観や医療観があるので大して言及する気はありませんが、ただ、健診後の二次精査や治療指示に従ってくれないのが断然多いのが医者。これはちょっと迷惑で厄介です。二次精査や治療指示を無視するのは上記と同じ理由でしょうが、自己判断で想像して放ったらかす確信犯です。生活習慣病にいたっては、「行ったって云われることは分かっている」と・・・。知識が半端にあるだけに厄介です。「わたしには他人を救う大事な使命があるのに、このために休んで助けられるべきヒトが助からなかったらどうするのか?それも結局精査結果が正常だったら目も当てられない」・・・そんなことが免罪符になると思っているのは本人だけで、とてもみっともなく映るのですけど、どうでしょうか。そんな勝手な理論をほざく医者に自分の運命を委ねる勇気はありますか?というか、そういう先生は健診を受けないでもらいたい。わたし的には、別にどうでもいいことだから。

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『腹八分め』

広報誌の今回の連載コラムは、わたしがいつも口にしていることをそのまま書いてみました。ただ、最近自分がこれをきっちり実行できておらず、”云うは易し、行うは難し”を体現中です。

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ねえ、ちょっといいかな。

そろそろ、「腹八分め」ということばを世の中から完全追放できないものかな? 人間ドックの受診者さんが言うのよ。「やっぱり、腹八分めが大切なんですよね」って。違うんだってば。「八分めなんかで止めないで全部食べてください」って答えたんだけどさ。「八分め」で止めようとすると残りの「二分め」を“がまん”しちゃうわけでしょ。このことばが存在する限りこの世の食卓から“がまん”がなくならないのよ。食事は“楽しむもの”なのに、“がまん”の数だけ溜息が出ちゃう。このままじゃ、地球が溜息で押し潰されちゃうよ。「8」を忘れて「10」全部を食べ尽くそうよ。いつも「20」も作ってるから、残すかどうか悩むんだ。最初から「10」だけしか作らない勇気を持とう。それがきっと世間で言うところの「腹八分め」なのだから、そこんところが分かれば、みんなもっと食事の時間が楽しくなると思うよ。「好きなモノほど少なく作れ!」は大原則。人間、目の前にないと分かったら、勿体ないから簡単には飲み込まないものさ。そうすれば、「残す」とか「腹八分め」とかいうことばそのものがこの世から簡単になくなってしまうと思うよ。

「バイキングに行くとダメですね。元を取ろうとつい食べ過ぎちゃう」・・・くだんの受診者さんが、まだこんな懺悔を繰り返してた。バイキングに行って「腹八分め」なんて考えちゃダメでしょ。食べ放題に行ってダイエットを考えちゃ本末転倒でしょ。そりゃ行かないなら行かないでも良いけどさ、行ったらダイエットなんか考えないでとことん食べなきゃ!後悔するくらいしっかり食べて、翌日から修行僧に戻ればそれでチャラよ。そのことは、昔、観光バスの若いガイドさんに教わりましたよ。「観光旅行に来て、ダイエットのことなんか考えたらイカンですよ!ご当地の名物はきちんと食べるのが礼儀です!それをがまんするくらいなら来ない方がまし!」・・・10年前に心臓病患者の会のメンバーさんたちと旅行に行ったときに乗った観光バスのガイドさんのことば。たしかに、ご当地の名物が精進料理のことは少なく、せっかく来たのに「ダイエット中だから」という理由で食べるの制限したんじゃ旅の楽しみは半減だわ。どうせ最後は言い訳しながら食べるんだもの、そんなことに罪の意識を感じたら勿体ないっちゃ。

目指せ、完食!

 (この世から「腹八分め」を撲滅させる運動実行委員会会長)

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運気の考え方

「このコンタクトレンズ、かなり古いでしょ?」と、眼科の看護師さんが大きな声で聞いてきました。

先日、ゴルフ中にゴミが入って全く目が見えなくなったので翌日眼科に行ったときのことです。目の診察と併せてコンタクトレンズのキズを確認してもらったのです。
「4年くらいでしょうか?」と答えたら、呆れ顔で高笑いされました。
「4年は長すぎるでしょう!」って。そうか、4年は長すぎるのか。
「4年の年月なんて、あっという間なもので・・・」などと取り繕ってみたりなんかしましたが、今度のゴールデンウイークにコンタクトレンズを換えないといけないかな。

義母の話では、「今年のわたしの運気はとても良い」のではなかったのか? 今年になって実家の補修に大枚をはたき、突然被せモノが割れたのをきっかけに歯医者通いが続き、さらに今回は眼科+コンタクト・・・ちっとも良いことはないんですけど。

あれ、待てよ?もしやこれが「良い運気」ってことか?放ったらかされていた実家がきれいに生まれ変わって良い借り手ができそうだ。突然降ってわいたような歯の治療やコンタクトレンズの新調は、こんなことでもない限りやらないだろうから、大事なこと。これらによって、わたしは健康になろうとしている、って考えるべきなのでしょうか。

とはいえ、受診のたびに3000円前後の金がかかるのは、やっぱり堪えます。

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めまい

小脳梗塞の影響か、相変わらず時々急に平衡感覚がおかしくなります。まっすぐな片道一車線の自動車専用道路などではてきめんで、側壁に衝突するような錯覚にとらわれて前に誰もいないのについブレーキを踏んでしまいます。日常生活の中では、例えば診察室のある4階まで階段を上っている途中に急に後ろに倒れそうになって思わず手すりを握ってしまうことなど。

もう慣れてしまいましたが、こういう症状は、何か考え事をしていたり話していたりすると起こりにくいのでメンタルの問題が大きいのではないかという気はします。「あ、ヤバい。おかしくなるかも?」と思うと一気に制御できなくなる恐怖感に襲われますから、それを意識しないようにしたら良いのだろうなと思うのですが、意識しないようにしようと思うこと自体が深く意識していることになるわけで・・・難儀です。

・・・もしかして、そもそも「小脳梗塞のせい」と思っていること自体が勘違いなのかも(単なる自律神経失調症や頭位性めまいだったりして)しれませんが、症状さえ出なければ診断なんてどうでもいいんです。だから、そのうち歳を取って勝手に神経が鈍くなってきたら平気の平左になるものと大いに期待しています。

ただ、今頃の季節の変わり目が、ちょっといけません。

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別添資料

先日、職場のデスクに一枚の書類がおかれていました。「印鑑を押印の上、回覧してください」というメモとともに、重要規則の内容変更の伺いが書かれていました。

一通り読んで印鑑を押そうとしましたが、最後に、「詳細は別添資料の通りです」と書かれていて手を止めました。一枚しかありません。裏面印刷もありません。『別添資料』って何?

書類の出所の部署に突き返して注意はしましたが、まあこれ自体は単なる添付ミスなのでしょうがない。でもこの、わたしが読む前に回ってきて押された他の皆さんのたくさんの印鑑はどうしたものでしょう? 「読んでねえな、おマエら!」と独り言。

「いやいや、添付資料は付け忘れだと思ったし、この部署からの書類は信用してるんだ」・・・そう言い訳するであろうメンバーたちの顔を思い浮かべながら、それは当事者にとって有難迷惑な話だぞ、と思うのであります。注意されなければこの不備のまま上申されます。あるいは見ていない別添資料の中に重大なミスがあるかもしれないのに、それを皆が承諾したということになると信用問題。きちんとそこまで確認して責任を持って印鑑を押してもらいたい。少なくとも盲印のクセはなくしてほしいものだ、と強く思いました。

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タブー

以前、福島原発の放射能漏れの話題のときに、「放射能も怖いがタバコの発がん率は放射能汚染と同等かそれよりも高い」ということを書きました。

今騒がれているPM2.5について、禁煙学会は「タバコの中にどれだけ高濃度のPM2.5物質が含まれていて体内曝露しているか」を公表しています。

でもおそらくどちらもほとんど公衆の面前におおっぴらにはならないでしょう。なぜなら、見事なまでの報道自粛(規制)が行われ、”当局”からの露骨な圧力はいまだにかけらていると聞くからです。こんな民主主義の文化国ニッポンで、ここまで徹底した”対策”が行われるのも珍しいことだと思いますが、大国アメリカでも似たようなものだと聞いています。

数年前に大麻を不法に栽培する事件が起きたとき、「大麻はタバコの害より安全だ」というデータに対して、「だからタバコは危険!」ではなく「だからといって大麻は大丈夫ということにはならない」という論調にまとめられたとき、この国はダメだなと落胆しました。それでも少しずつその網はほころび始めてきています。これから、ネット(網ではありません)やSNSの役割がたいへん大きく重要になっていきそうです。

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アンケート

<アンケートご協力のお願い>
先日「ご購入時の販売店の対応についてのアンケートのご案内状」をお送りさせていただきましたが、ご覧いただけましたでしょうか。・・・お客様から頂戴した貴重なご意見を、今後の商品や販売店のサービス改善に役立てさせて頂きたいと存じますので・・・。

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車のディーラーからこんなはがきが届きました。今どきのアンケートは、パソコンホームページからアクセスして、該当する項目にチェックを入れるだけのものですからきわめて簡単です。でもわたしは無視しています。以前に購入したときに、いくつかトラブルがあってそのときの対応や、その後にまったくアプローチしてこない担当者に腹が立ち、アンケートで抗議しよう!と構えてログインしたのですが、ただ粛々とポッチを押すだけの作業。結局最後までフリーコメントを書く欄は見つからず、「この苛立ちをどこにぶつけてくれようか」と思った苦い経験があるからです。

相手は極力細かい意見を集めないようにしているのが分かります。フリーコメントは集計できません。この会社がほしいのは統計学的な結果だけで、いちいちコメントを入れられるとそれに応答するだけで莫大な時間と労力が費やされるから集計だけしたい、という思いがひしひしと伝わって来ます。

うちの施設のアンケートも大なり小なり似たようなものです。Yes、Noの設問は答える方も簡単ですし、そのままエクセルデータとして簡単にグラフ化できます。傾向とニーズなどの解析も簡単です。フリーコメント欄はありますがまとめようがないので最後に羅列されています。その意見に各自感想を述べながらも「世の中にはいろんな意見の人が居るからね、いちいち答えていたら埒が明かないよね」と流すことも多々。

「よかった」「ふつう」「わるかった」の集計数に何を得ることができるのだろう?「わるかった」が多かったとして何がどう悪かったのか具体的に知らなくて何が改善できるのだろう。こんな不本意な内容でも返信してしまえば、「忌憚なきご意見はいただきました」とばかりに免罪符にされてしまうかもしれない。そう思うと、指名されたホームページにアクセスすること自体、二の足も三の足も踏んでしまうわけです。

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思い入れ(後)

(つづき)

建て直したのはわたしが高校2年の年でしたので、今の家で生活したのは2年弱です。だから家そのものにはあまり思い入れがありませんでしたが、大学時代以降のわたしの写真の中にはたくさんの家の写真が残っていて、いつも家族や友人と満面の笑みで映り込んでいます。思い入れがなかった家でしたが、この歳になって半年間、ひとりで何度も家中を動き回ってみているうちに、端々の小さな小キズや汚れた床のひとつひとつに込められた思い出が呼び起こされていきました。二階に集めていた小物や、捨てるに捨てられず倉庫に投げ込んだままだったむかしの農機具や戸棚など、何もかもを捨てました。仏壇の魂抜きもしました。正直なところ、壊して更地にするかアパートに建て直すかと思案したこともありましたが、素人の浅はかな頭では行動に移すまでには行けませんでした。

汚れた壁や朽ち果てた玄関扉を塗り直し、屋根や天井板の修理をし、水回りをいじって、シロアリ駆除をしました。全体像として10年前の姿に戻った感じはしますが、もはや半年前と明らかに違う印象が感じ取れます。今ひとりでじっと佇んでいても、そこに「何も居なくなった」ことが分かるのでちょっと感傷的になります。思い入れだらけだったであろう両親の空気がいつの間にか無機質に消えていったことを感じました。

わたしの一存で、こんな形で残すことにした”我が家”ですが、お父さん、お母さん、これで良かったのでしょうか。

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思い入れ(前)

最低限のリフォームが終了し、周りがすべて新しい家に生まれ変わっている中、築38年のわたしの実家は借家としてそのままの形で生きていかせることにしました。

アラフィフの両親が、当時いろいろな思いを込めて建て直した家です。10年前に父が亡くなってから甥っ子に貸していたのでほとんど足を踏み入れませんでしたが、半年前に久しぶりに主の居なくなった家に入ったら、そこにはまだ両親の慣れ親しんだ空気感がしっかり残っていました。

殺人鬼に追いかけられて子ども部屋のベッドの横にある北向きの小さな窓を必死で抜け出て逃げました。大便をしようと家のトイレに入るとそこは悪臭まみれのまるで肥溜めの様相で、用など足せたものではありませんでした。お客さんの気配で大きな玄関ドアを開けるとテラスにあるアケビの実がグロテスクに割れました。・・・そんな夢をいまだに時々見ますが、そんなときの”我が家”は、今の家ではなく、決まって建て直す前の平屋の家です。以前の家は今でも鮮明に間取りを覚えています。庭は全部が野菜畑で、よく畑の中に入っては叱られました。

そういえば、申し訳ないくらい、今の家の夢はほとんどみたことがありません。

(つづく)

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かかりつけ

先日、わたしが担当をしている会員の方から電話相談がありました。何をしたというわけでもないのに数日前から息をすると何となく胸が痛いので、今からわたしの勤務する病院を受診したい。ついては、その段取りを立てて欲しい、という内容です。

この方のお宅は山間(やまあい)の町で、うちの病院までは2時間近くかかります。この方のお宅のすぐ前にホームドクターと言うべき老舗の胃腸科外科医院があるし、あるいはそこから30分もかからないところに町の中枢病院があることを話して、まずそこを受診してみてはどうかと進言しましたが、断られました。あの先生の専門は外科だから、その病院には行ったことがないから、と。 症状を聞く限り緊急性がなく、いろいろな病気が考えれますが決め手がありません。おそらく、うちの病院のように診療科がたくさん別れているところでは、循環器内科や呼吸器科に回された挙句に日を改めて整形外科に紹介されるなんてこともありえます。こういうときは、まず目の前の胃腸科外科医院に行って最初の診立てをしてもらって、行くべき診療科を推定してもらうのが、最良の方法(その場で対処できる可能性が一番高い)なのですが・・・。

町のホームドクターとなる先生こそが、オールマイティのジェネラルドクターです。むかしはだれもが我が家の主治医を持っていて必ずまずは相談に行きました。それが徐々に専門化され、開業しても「俺は専門しかわからない」で通用するようになった一方で、患者さんもまた、病気ごとに自分で直接仕分けをするようになってしまいました。このお互いの信頼関係をどうやったら築き直せるのか?悩ましい問題です。

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オールマイティ

「◯◯先生と同じようにわたしももっと内視鏡検査をさせて欲しいのに、医師が足りないからという理由で自分にとって何のキャリアにもならない仕事ばかりさせられている。わたしは便利屋のような扱いを受けている気がする!」・・・あるスタッフ医師からのそんな不満を人伝に聞きました。

専門医として高いスキルを維持させるためには、いつも一定数以上の検査や治療をこなしていなければなりません。わたしが昔、循環器内科医として心臓カテーテル検査や治療ばかりをしていたころ、わたしは「専門医こそ最強だ」と信じていました。それだけのプライドがあり、そのプライドを保つために常に研鑽を積まなければならない、とも。ただ、専門医とは、云い方を変えると「それしかできない半端な医者」ということでもあります。わたしは心電図を読めますがマンモグラフィも胃透視も一人前に読影することはできません。それは、医者としてはどうなのだろうか?と、今になって考えるのであります。

医療は科学の仲間入りをさせてもらう代償として、いつの間にかどんどん細分化されていきました。自分の専門分野は何でも知っているけれどそれ以外は何も分からない…他の科学の分野ならそれでいいのでしょうが、医療の場合の相手は細胞や病気ではなくて一人の人間であるということの大切さにやっと皆が目を向け始めてきました。 それが『ジェネラルドクター』です。ジェネラルドクターの養成は思いの外大変なことです。ジェネラルドクターは医学を浅く広く知っている人のことではなく、外来も救急も地域医療や終末医療も、すべてにおいてプロでなければならないからです。そういえば、現代サッカーでも一流のFWは一流のDFができなければなりません。

そういうことを考えると、わたしはくだんのスタッフ医師が羨ましくてなりません。私たちの施設のような質の高い医療を提供するところでいろいろな仕事を任せられるということは、その人がオールマイティに何でもできることの証だからです。

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暗黒物質(ダークマター)

先日、NHKのTVで暗黒物質(ダークマター)というもののニュースがありました。

大宇宙の、まるで何もないようにみえる空間にひしめき合っているのが暗黒物質。目にも見えず触ることもできないが、これの持つ重力によって引っ張り合うことで宇宙はまとまっている…つまり、そこに存在するけど見ることのできない何かが宇宙を造っているというのですが、あるのかどうか本当は確証がないらしい。 そんな中、今回、宇宙で暗黒物質同士がぶつかり合って消滅するときに発生する『陽電子』が見つかったようだということで大騒ぎです。これがつまり暗黒物質の存在証明になる!と学者さんが色めき立っているらしいのです。

何ともまどろっこしいのですが、学者さんって、こんなことにもしかしたら一生を捧げるわけですから、エライ!としか云い様がありません。これってつまり、”まっくろくろすけ”の通った後にススが残るのと同じかしら(違うか)。家の外でもあるいは家の中でも、夜の漆黒の闇の中では時々「何かが居る!」と感じることがあります。きっと何かがひしめき合ってこっちをじっと見ているし、時々うしろから肩を叩いたりなんかする・・・わたし的には、そんな実生活の中での実感に宇宙(暗黒物質)を感じることで十分です。

知人から薦められて読んでいる『きいろいゾウ』(西加奈子)の中にもこんな表現があります。 「少し開けた窓から、夜の空気がしのび足で入ってくる」
「窓から夜が次々とやってきた。一度入り込むとそれらは堂々と私たちの周りを囲み、そして居座り続ける」 ・・・こういう世界が、好きなのです。

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確信犯?

先日、突然に携帯電話をdocomoからauに替えました。他意はありませんが、会社が換わって一番厄介なのがメールアドレスの変更通知です。それが面倒だからなかなか携帯を換えられなかったわけですし、そのためにGmailなどに統一するヒトも多いようですが、やはり携帯には携帯のお付き合いがございますから疎かにはできません。

新しい携帯電話のカスタマイズもそこそこに主だった知人・友人にメールアドレス変更通知を出しました。パソコンがクラッシュしてアドレス帳が消えてなくなったときと、携帯電話のメールアドレスが変わったときが”人生のしがらみの整理のしどき”・・・長い人生の中で徐々に溜まっていった連絡先リスト自体の整理はこの時しかありませんが、ここで誰に通知をするかはなかなか重要な仕分け作業です。今までにメールが届いたことのないヒトや主に他の手段で連絡を取り合っているヒト、あるいは連絡自体がほとんど途絶えているヒトは除外します。

問題は、ごくタマに長い相談メールをいただくヒトたち。意図的に避けているわけではないのですが、何か催促するみたいな気がして、今回は通知しませんでした。いや、”外した”のではなく選ぶときに”思い浮かばなかった”ヒトたちですが、さっきふと「そういえばあのヒトには連絡してないな」と思い浮かんだヒトが居ます。

・・・しばらく思案した挙句、わたしは”気づかなかったこと”にしてしまいました。 ごめんなさい。ここに懺悔し、お詫び申し上げます。

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眉間のシワ

街に出かけるのに大急ぎで化粧をしていた妻が浮かない表情で鏡を睨みつけています。

「最近、眉間の縦シワが出てきた!いくらやっても消えない!」

見上げた彼女の顔を覗き込むと、たしかに額に縦シワ2本がくっきり・・・これはヤバいんじゃないか?とわたしも思いました。シワは顔相の中でも一番重要で、目じりのシワは幸せの証=健康と福がやってくる。一方、眉間の縦シワは逆に病気や不幸がやってきて、早死にすると云われてきました。たしかに、眉間にシワのよった有名人や芸能人で良い人生を全うした人をあまり知りません。長生きして幸せそうな人たちを思い浮かべてみてください。みんな目じりが落ちて眉毛が八の字になっていつもニコニコしています。シワは目じりや額にしか見えません。

顔相が変わってきている彼女・・・・必死に化粧でシワを隠そうとしていました。先日の人間ドックで精密検査を指示されましたが、大事でないとよろしいのですが。

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意地を張る

きのうはこのブログももうひとつのブログもアップせずに完全休養する目論見でした。実際、かなり実生活で疲労困憊だったので。

なのに、憑かれたように早朝に起き出してパソコンを開き、結局2つとも記事をアップしてしまいました。

いけません。こんなところで意地を張ってはいけません。

だから、今日はあえて意地を張って「お休み」の張り紙を掲げます。

皆さま、今日一日が佳き日でありますようにお祈りいたします。

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サーヴィスマン

一流レストラン「シャトーレストラン ジョエル・ロブション」の給仕長(メートル・ドテル)として、サーヴィスマン世界一になった宮崎辰氏の話がNHKで放送されました。

齢(よわい)36歳の青年が、店に来るすべてのお客さまのひとりひとりに気配りし、言外にある情報を収集して、いかにしたら喜んでもらえるかを日々極めている。そんな彼のことばの中で印象深いのは、

客が、自分を生かしてくれている。
客は自分のカラダの一部。
だから、自分は自分の身を削ってでもお客さんに喜んでもらうことをする。

というもの。「身を削ってでも」・・・そこに彼のサーヴィスマンとしての決意が溢れているのを感じました。彼は、背後でご婦人がため息をついたのに気付いて料理を取り換えさせました。ご婦人が食べ過ぎてお腹いっぱいの表現だったと察知したからです。その自信はどこからくるのでしょうか?ため息は他の理由かもしれない。いらぬお節介かもしれない・・・わたしだったら、せいぜい「何かお手伝いすることはありませんか?」と声をかけるのが関の山です。なのに彼は何の躊躇もなく厨房に新しい料理の提案をした・・・それは彼のこれまでの豊富な経験による自信なのだと思いました。

彼のもう一つのモットウ=「お客さんと心を開き合う」・・・これはわたしも仕事をする上で一番大事にしていることです。せいぜい会ってから5分か10分のうちに心を開かせないとその後の同じ空間での問題共有が期待できないという点では、わたしたちの方が彼より大変かもしれません。その点はわたしにもそれなりの自信があります。これは、試行錯誤の長い経験がもたらしたわたしの大きな財産です。

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遅れた理由

雨のせいか、いつになく渋滞している。かなり早く出たのに待ち合わせ時刻に遅れそうだ・・・この時点で言い訳を考えています。

「ごめんごめん、早く出たんだけど、思いの外混んでてさ」「出がけに急な用事をさせられてさ」「途中で交通事故があったみたいでさ」・・・別にウソをつくわけでもないけれど、自分がミスをしたわけじゃない、やむを得ないことだということを相手に分かってもらいたくて、ヒトは言い訳をします。

でも、相手はそんなことを特に聞きたいとは思いません。少なくとも、わたしはそうです。何が理由であれ、「約束の時間に遅れた」という事実と、自分たちは約束通りに着いているという事実、そのために待たされていたという事実・・・それ以外には特に興味はありません。許す気があればどんな理由でも許して用件を開始しますし、許さない!と思えばどんな言い訳をされても無視します。だから、「すみません。遅れてご迷惑をおかけしました」の一言があればそれで良いのであって、それ以外はムダな時間の浪費になります。

ただ・・・難しいのは、だからといって遅れてきたヤツが妙に開き直っていたり、何もなかったかのようにふるまわれるとカチンとなりますし、遅れた理由を聞いているのに「言い訳はしません」の一点張りのヒトは、空気を壊します。何事もケースバイケースですね・・・あくまでも社会は人間関係でもっていますから。

そんなことを思い巡らせながら昨日は焦って出勤しましたが、おかげさまで何とかギリギリ間に合いました・・・「お待たせしてすみませーん!」と素直に口に出せました。

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こだわり

「あなた、たまには料理作ってみたいとか思わないの?」・・・ある日突然、妻がそんなことを云いました。

「ん?別に思わない。美味しい料理を自分で作って食べたい、という欲求そのものがないから。食べれたらなんでもいいし」というと、「そうだよね、あなたは、食べることへのこだわりがないものね。食べることへのこだわりがない、というかその他の欲望もあまりないよね?」と、しみじみ云う。

人間の欲望:食欲、性欲、物欲、出世欲、睡眠欲など・・・人間は基本的な欲望があるからこそ人生を活き活きと生きており、その欲の強さが活力である。ギラギラとして生きているいる人ほど”成功”する、というのもあながち間違いではないし、夢を実現させるにはそれだけ強くて継続できる欲望が必要である。それからすると欲望とこだわりの少ないわたしは、人間としては薄くて枯れそうな存在なのかしら。そんなわたしを称して、「あなたはもうほとんど悟りを開いてしまっているんじゃないの?」と妻は云います。若いころから欲望がなかったわけではないし、人生を諦めているわけでもないのだけれど、でも、たとえ今わたしに何でもできる能力があったとしても、速水もこみちさんのようなカッコいい料理の才能を得たいとはちっとも思わないし、大金持ちになりたいとも、ノーベル賞をもらうような研究者になりたいとも、有名な俳優になりたいとも、一流のスポーツ選手になりたいとも、特に思わないんだよなあ・・・。

やっぱり枯れていってる気がする。

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埒は明かない

突然の陽気で我が家のフェンスに張り付いたツタが一気に伸びてきましたので、昨日の朝に頑張ってカットしました。道路に落ちた大量のツタをゴミ袋に入れ、残りの落ち葉を黙々と掃きながらゴミ箱へ・・・ところが、これが凹凸の激しい舗装道路に張り付いてなかなか思うようには取れません。

汗をボトボト垂らしながら、「埒が明かないなあ」とつい独り言。そこから一人、哲学の世界に没頭しました。

「埒が明く」・・・物事にきまりがつく。かたがつく。・・・「埒(らち)」とは競馬場の外にある柵、あるいは駅の改札口近くの仕切り板のようにモノの周囲に設ける柵のことをいうらしいのですが、「埒が明く」「埒が明かない」ということばは、基本的に「埒が明くのが当たり前」ということを前提に成立しているコトバだという気がします。明くのが当たり前だと思うから、明かないことに苛立ち、思う様にいかないことを悲観するわけですが、埒は明かないもの、柵の中には入れないもの、と思ってしまえばどうということないのじゃないかしら。それを自分の当然の権利だと思い込むから手に入らないと腹立つのかもしれませんが、普通は手に入らないものだと思えばどうということはなく、逆に、頑張って手に入ったときにのみ至福の喜びを得ることができます。

「埒は明かないもの」と考えるのがよろしいなあ、などと思っているうちに何とか掃除が終わりました。まだ少々貼り付いたまま残っているけれど・・・人生なんて、まあこんなもんだろ。

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