オールマイティ
「◯◯先生と同じようにわたしももっと内視鏡検査をさせて欲しいのに、医師が足りないからという理由で自分にとって何のキャリアにもならない仕事ばかりさせられている。わたしは便利屋のような扱いを受けている気がする!」・・・あるスタッフ医師からのそんな不満を人伝に聞きました。
専門医として高いスキルを維持させるためには、いつも一定数以上の検査や治療をこなしていなければなりません。わたしが昔、循環器内科医として心臓カテーテル検査や治療ばかりをしていたころ、わたしは「専門医こそ最強だ」と信じていました。それだけのプライドがあり、そのプライドを保つために常に研鑽を積まなければならない、とも。ただ、専門医とは、云い方を変えると「それしかできない半端な医者」ということでもあります。わたしは心電図を読めますがマンモグラフィも胃透視も一人前に読影することはできません。それは、医者としてはどうなのだろうか?と、今になって考えるのであります。
医療は科学の仲間入りをさせてもらう代償として、いつの間にかどんどん細分化されていきました。自分の専門分野は何でも知っているけれどそれ以外は何も分からない…他の科学の分野ならそれでいいのでしょうが、医療の場合の相手は細胞や病気ではなくて一人の人間であるということの大切さにやっと皆が目を向け始めてきました。 それが『ジェネラルドクター』です。ジェネラルドクターの養成は思いの外大変なことです。ジェネラルドクターは医学を浅く広く知っている人のことではなく、外来も救急も地域医療や終末医療も、すべてにおいてプロでなければならないからです。そういえば、現代サッカーでも一流のFWは一流のDFができなければなりません。
そういうことを考えると、わたしはくだんのスタッフ医師が羨ましくてなりません。私たちの施設のような質の高い医療を提供するところでいろいろな仕事を任せられるということは、その人がオールマイティに何でもできることの証だからです。
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コメント
自衛隊時代、戦闘とは直接関係ない草刈、掃除、飯炊き、風呂掃除、クルマの整備などなどに明け暮れましたが。古参から「何でも出来なきゃアカン!」とロープ結びから包丁の使い方まで叩き込まれたことを懐かしく思い出しました(笑)。
ジャイ先生のおっしゃるスキルとはちょっとズレるとは思いますが。「全体を診れる医者が少なくなった」とはよく言われることです。つまりは「細分化された技術に特化すること」「病院というシステムの中の業務をこなす」ことが医者である、ってことになってしまったのですね。
昔は田舎の診療所や病院でも必ず赤ひげ先生みたいな人がいて、何でもこなしていた気がするんですが…。
投稿: コン | 2013年4月 9日 (火) 06時46分
コンさん
むかしの先生は自己修練や経験でやっていました。彼らの専門は「医療」と豪語していました。私も若いころには当直で傷を縫ったり脱臼の修復にトラしたりは普通でした。でも、そこに専門がいるなら任せた方が自分も安心だから自分では極力手をださなくなり、患者さんも同じ金を払うのだからちゃんとした人に診てもらいたいというニーズが強くなり、結局、半端な治療は訴訟を招き、どんどん自粛する方向に向かっていきました。
投稿: ジャイ | 2013年4月 9日 (火) 12時27分