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2013年5月

アタマの誘惑

え、ダイエット?へー、どうしたん?
  食べないの?なんで?
    いいのか?ホントにそんな量でいいのか?
      もっと食べておかないと後で後悔すると思うよー!

一念発起してダイエットに取り組んでいるのに、「アタマ」が執拗にささやき続ける。かなりしつこい。自分の経験したことのない領域で不安なところをうまいこと突いてきやがる。

それを物陰からそっと覗いて、ヤキモキしながら見守るのは「カラダ」。やっと楽になってきて喜んでいたら、天敵の「アタマ」が言葉巧みに云い寄っている。ヤバい!

負けるな、自分! ガンバレ、自分!

なのに・・・「そうかな」とか云ってあっけなく誘惑に負けてしまうものだから、「カラダ」はいじけて反旗を翻すわけだな。結局今回も、「アタマ」には見くびられ、「カラダ」の信用を失ってしまう結果となってしまった。

前途多難だ。

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なんか最近文章が雑です。

このブログに限らず、書いている文章にどこかメリハリがなく、もっと良い表現があるんじゃないのかなとしばし悩むものの、「ま、いいか」と思うタイミングがとても早くなってきた気がします。

無理矢理に文章を絞り出し始めたことの弊害か?あるいはアタマの中を占める他の仕事が多くなりすぎているのか? 何もかもがそろそろ潮時かも?

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遺伝子検査

ヒトゲノム解析が完成し、遺伝子検査をすることでオーダーメイド治療ができるようになった・・・医療の現場ではそのことがあたかも画期的な福音であるかのように云われてきました。がんになりやすい遺伝子や生活習慣病/動脈硬化になりやすい遺伝子の有無を知ることができれば、一律にムダに厳しい予防生活をしたり、必要以上に病気を恐れたりすることもなく、より効率的な治療ができるというのです。

わたしはそのニュースを読みながら、「だから何?」と思っていました。自分の未来予測の遺伝子解析をしてもらったところで、結局は定期的に健診を受け、日々の生活習慣を改めるしかないわけで、高い金を払って遺伝子検査を受けることは究極の自己満足、あるいは”バブル期の遺産”と思っていました。

ですから先日、某有名女優が、遺伝子検査の結果として乳がんになりやすいことが分かったからという理由で自分の乳腺を惜しげもなく予防的に切除した、というニュースを知ってわたしは耳を疑いました。遺伝子検査というのはこんな形で使われるものであったのか?自分の体質ががんになりやすい家系の血を綿々と引き継いでいるから、罹る前に取ってしまう、「それが究極の予防だ!」という発想・・・賛否両論あるでしょうが、残念ながらわたしには付いていけません。それは、「予防」と呼んではいけないような気がするから・・・。そこまで行くとやはり生命への冒涜なのではないか、と。もちろん、がん罹患への恐怖感に直面している当事者たちにとってはまさしく”背に腹は代えられない”究極の選択なのだろうとは思いますが、何か違う気がしてなりません。

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おふくろの味

みなさんのお宅の「おふくろの味」といったら、何ですか?

うちの妻に聞いてみたら「おでんかな」と即答してくれました。でも・・・実は、わたしの場合は『おふくろの味』で浮かぶ料理が何もありません。母は小学校の教師でした。夕方にバスで帰る途中近くのスーパーで買い物をして帰ってきました。いろいろな料理を作ってくれましたし、特に不味いとも思いませんでしたが、でも申し訳ないけれどこれと云って思い出せる料理もありません。

結婚して、料理好きな妻の料理を食べるようになってわかりました。わたしの母はきっと料理が得意ではなかったのだろうこと。うちの妻と比べると、おそらく2つか3つ手の入れ方が足りません。そんな母だったからかもしれませんが、姉もまた料理が得意というイメージがありません。父が亡くなった時に久々に実家で料理を作ってもらいましたが、いつも形ばかりの一品ずつと数枚のレタス・・・うわ、彼女の息子たちは生まれたときからこんなのばかり?と思ったときに、きっと自分も子どものころはこんな感じだったのだろうなと気づいた次第。

先日、中学時代の友人にその話をしました。「そうか、だから君は『食べること』にこだわりがないんだね!」と云われました。たしかにそうかもしれません。子どものころから、味のこだわりや味付けに執着した料理をほとんど口にしなかったから、わたしの舌は味に対して極端に淡泊になってしまったのでしょう。

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「水に流す」(後)

(つづき)

ところが今は、逆に「水に流す」と云う行為にあこがれています。これができるようになるには、自らの心身の成長と成熟が必須なのだということに気づいて、自分にはまだまだ修行が足りないことを痛感しました。形だけ「水に流す」行為をしたとしても、ココロにわだかまりが残っていては成立しません。「許してやろう」みたいな上から目線でも成立しません。むしろ、そのときの相手のココロをおもんばかり、労をねぎらうことがココロの底からできるようになることが重要なのです。「そんなこと、できるもんか!」と突っぱねていたけれど、最近少しずつだけれどそれが分かるようになってきた気がします。

お近くの某国は、大量の泥水で覆ったり、違う色のペンキを上から塗りたくったりして、「何もなかった」と主張したり、逆に事実は逆だと口裏を合わせたりします。あんな連中を見ていると、日本のような清らかな水文化の中で生まれた「水で清める発想の文化」がひときわ輝いて見えます。是非、大きな誇りを持って今後もつなげていってほしい文化だと思います。

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「水に流す」(前)

「水に流す」とは、過ぎ去ったことをいつまでも咎めたりせず、済んでしまったことはしょうがないという行為のことです。これはすべてのけがれや邪悪を川で洗い清めて流してしまうことが語源で、日本独特の文化なのだそうです。過去の失敗やひどい仕打ちも許容し、次に頑張る礎(いしずえ)になるなら良しということ。いつも次の成功のために前向きに物事を考えようというココロが込められています。ところがこれがとかく「いい加減で無責任な態度」と取られがちで、そんな日本人の国民性が国際社会の中ではトラブルの原因になるのだとか。

たしかに、わたしは「水に流す」という行為が一番嫌いで、そんな”なあなあ”な姿勢を見ていると耐えられない気持ちになっていました。なぜ曖昧にする?なぜきちんと原因究明しないでOKなのか?反省というものはないのか?・・・可能な限り尖った生き方を佳し!とし、「いい加減さは人間を堕落させる」と信じていた当時のことです。

(つづく)

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専門家の責務

「この所見は突然死したり、急変したりする危険があります。生活に注意して、一度専門医を受診してください。場合によっては内服治療が必要になるかもしれません。」

できるだけ言葉を選んで説明します。頻発する不整脈だったり、コントロール不良の高血圧だったり。でも、本人はどうもないわけですからほとんど意に介していません。「はい、大丈夫です」・・・明らかに、「いつものことだから」「うっとうしい」「大げさな」というあからさまな顔をして聞き流されます。「仕事も忙しいですし」とも。・・・きっと自分の身体に自信があるんだろうなあと思いつつ、責任ある仕事で忙しい世代だからこそ受診してほしいんだよなと、真っ当なことを思ったりしながら、診察室を出るのを見送るのです。そして、「どうなっても知らないよ。わたしはちゃんと説明はしたんだからね」と云わんばかりにカルテに記録し、冷たい顔をしたわたしは次の仕事に戻るわけです。

こんな中のごく一部ではありますが、本当に突然死してご家族や警察からの健診結果の問い合わせを受けることがあります。「説明したことをきちんと書いておいてよかった」と胸を撫で降ろしながらもやはり釈然としない気持ちになります。説明したのに行動に移さないのは聞く耳を持たない相手の問題だけなのだろうか?まがりなりにも自分は”健診の専門医”である。”専門医”を名乗るのであれば、この不幸な結末を回避することができなければならなかったのではないか。それがわたしたちの責務なのではないのか、と。

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日焼け止め

昨日の朝のワイドショーで今日びの日焼け止めクリーム事情が話題になっていました。SPFとかPAとかの紫外線対策の説明とともに、最近は若い男性も日焼け止めを塗っている話でした。

司会のアナウンサー(わたし世代)は「わたしはそんなもの塗ったこともありません」と胸を張り、もう一人の若い男性アナウンサーも「わたしも、日焼け対策なんかしたこともありません」と間髪入れずに主張し、さらにアシスタント役の若い女性アナウンサーまでもが、「やっぱり男性はもっと男らしくいてもらいたいですね」とまとめていました。それを眺めながら、「ちがうよ」とひとりつぶやくのであります。

「日焼け」は定義の問題は抜きにして、要するに「皮膚のやけど」です。最大のバリアである皮膚に多大なる衝撃を加えますので、日焼けは思いの外体力を奪いカラダのあちこちを老化させます。日に当たることでビタミン活性を上げて骨粗鬆症の予防をするとか、目に日光を当てることで体内時計をリセットさせるとか、もちろん日光のもたらす恩恵は多大なるモノがあります。ただ、神様が人間を造り上げ給うた当時と比べて、紫外線量が莫大に増えていることを忘れてはなりません。想定以上の紫外線は皮膚を予想以上に冒し、メラニンの異常暴走は単なる”シミ・そばかす”以上の弊害をもたらし、目から入る紫外線が皮膚の老化を促すとともに白内障の進行を一気に促進しています。

何の防御も受けなくなって矢面に立たされるようになった人間の皮膚や角膜にとって、現代の紫外線は強敵過ぎます。サッカー観戦やゴルフのたびに「バカ殿様」張りの日焼け止めの塗り方をして長袖アンダーウエアを着るわたしたちを「いい歳をして」「男のくせに」と云っている人は、時代錯誤です。ま、屋外活動もほとんどしない男の子たちが「コスメコスメ」と騒いでいるのは、また別物だとは思いますけれど。

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アメリカは、さもありなん。

米国で減塩論争勃発、推奨量5.8g/日未満に根拠なし?

Medical Tribuneの配信でこういう題名が飛び込んできました。アメリカのガイドラインでは、14~50歳の食塩推奨量は5.8g未満で、51歳以上かまたは黒人や高血圧・糖尿病・慢性腎臓病があるなら3.8g未満にするべき、となっていますが、こういう過度の塩分制限は逆にインスリン抵抗性に悪影響を与え、結果として心臓病や脳卒中のリスクを高めるのではないかという意見を、米国医学研究所(IOM)が検証したのです。これに対してAHAは真っ向から反論し、「過度の食塩摂取は血圧への影響だけでなく、心臓、腎臓、血管にも悪影響を与えると訴えています。何か不思議ですね、。翻訳した文章だからニュアンスが分かりませんが、方や「過度の塩分制限が悪い」、方や「過度の塩分摂取が悪い」・・・その「過度の」という接頭語がどこか言い訳のような印象を受けます。

以前からずっと書いてきてるように、わたしは、アメリカ人、特に白人にとっては塩分制限はあまり効果がないのではないか、と思っている人間のひとりです。白人はナトリウム感受性が低く、昔から塩っ辛い食べ物が苦手だった人種。こういう人種が黒人や黄色人と同じような高度の減塩食を食べていたらヘナヘナと萎んでしまうのではないかと懸念します。精進料理は白人さんには似合いません。やはり白人さんはお肉をバリバリ食って塩分なんて気にしないのが良いと思いますよ。いや、エビデンスはあるというからあるのでしょうけれど・・・。

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督促がくるまで

「自動車税は、そげえ急いで払うもんじゃねえんぞ! 督促が来てからゆっくり払えばいいんじゃけん!」

今月末が納付期限の自動車税納税通知書を見ながら、そんな生前の父のコトバを思い出しました。社会人になって初めて車を買ったとき、わざわざ家に呼び出してわたしにそう忠告した彼の本意がよく分かりませんでした。一体何の意味があるのでしょうか?「今月はいろいろ出費が多くておカネに余裕がない」とか「遅らせた方が納付額が減る」とかいうなら分かりますが、そんなのではなく、「今払おうと思えば払えるけど、わざと払わない」で、督促状がくるのをほくそ笑んで待ってやる・・・上から目線で偉そうにしている相手に、ささやかな抵抗でもしてやろうというのでしょうか?・・・そんな反骨精神とこだわりがうちの父にあったとしたら、ちょっと見直すのですが。

そしたら、昨日、大分の友人が自らのfacebookに書いてあるのを見つけました。「大分県は昨年の期限内(5月末)納付率が全国最低だそうです」・・・あいたぁ、これは県民性か?

 

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どんどん遅くなる

「定刻ではございますが、まだ受付が混雑していますので開始を5分間ほど遅らせていただきます」・・・司会役の若いスタッフが申し訳なさ気に声を上げました。確かに、受け付けあたりがざわついています。

「なんだよ、こっちは仕事を途中で切り上げて大急ぎで来てるのに」とどうしてもココロの中で舌打ちしてしまうわたし。「いつもこうだよ。次からはもう少し遅れてきた方が得だな。」

方や、受付をしながら中を覗き込む。「なんだ、やっぱり時間通りには始まらないんだね。この調子ならもっと仕事してても全然大丈夫なんだな」という顔をしているヤツがいるように見える。こうやって、開始が徐々に徐々に遅くなっていくのが当たり前・・・そんな会議があるのは事実です。

会議というものは、組織が大きくなればなるほど、忙しい組織であればあるほど、定刻に集まるのは至難の業になってきますが、でも一般企業ではあまり開始時間が遅れることはありません。トップが定刻に来ていれば、メンバーが揃っていようがいまいが定刻に始まるのが常だからです。うちの組織は、時間にルーズなことに対して寛大すぎるのではないでしょうか?「忙しいからしょうがないよね」という空気が遠い昔から存在しています。会議によっては委員長が一番最後に遅れてくるところもあって、そりゃ定刻で始めるなんて絶対ムリやわ。

時は金なり!・・・古くて新しい真理をもう一度皆で再確認すべき時期ではないでしょうかしら。

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凝固性亢進

心臓発作原因に新たな可能性 【米国心臓血管造影検査インターベンション学会】

数日前に配信された米国心臓血管造影検査インターベンション学会(SCAI)の報告で、若い人の急性冠症候群(不安定狭心症や急性心筋梗塞など)は、不健康な生活が原因ではなく、凝固性亢進と呼ばれる血液が凝固しやすい疾患が原因である可能性が示唆された、と発表されました。

若い人の心筋梗塞がコレステロールや動脈硬化の結果ではないことは容易に想像できます。人間のカラダはそうヤワではありません。十年二十年そこらで血管が壊れるとしたらそれはよっぽど乱れた食生活でないと難しい。でも、血液が固まりやすいのが体質や病気であるとしても、そんな人が固まりやすい生活をしているから起きるのではないか。結局、その人の不健康な生活パターンが、「原因」ではなくても「誘因」ではあるはずではないのか、という思いはあります。・・・それだけでは説明がつかないヒトも確かにいます。

昔、循環器内科の外来をしていたころ、ある高校の先生で動脈硬化の危険因子をほとんど持たないのに脳血栓や動脈血栓を繰り返す人が居ました。もちろん凝固系検査も行いましたが調べる限りでは問題になる結果は見られません。脱水になるような生活パターンでもないし、不規則な生活を送っているわけでもなく、結局わたしは彼に何もしてあげられませんでした。

でも、それは本当に特殊。若いヒトの凝固系異常は環境因子も含めて、やはり生活要素が大きいのではありますまいか。

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BNPについての指標発表

心機能を評価する指標として普及しているBNPについて、先日、日本心不全学会が指針を発表しました。心不全や心臓負荷の早期発見と経過管理のために有効なバイオマーカーではありますが、たしかに数字に攪乱されてしまう傾向はありますから、こういう正式な学会からの指針公示はとても助かります。とくにわたしたち予防医療の世界で扱うBNP値は、外来の循環器患者さんの所有する値とは全然次元の違うところにありますから、「その程度の微々たる値の変化に右往左往して無駄に病人を作り上げる」と揶揄される一方で、正常値でない値に対して何らかの解釈を与えなければならないのが臨床検査値の宿命でもあります。

血中BNPやNT-proBNP値を用いた心不全診療の留意点について

1.BNPまたはNT-proBNPの生物学的特徴
2.それぞれの閾値(心不全の早期診断への活用)
3.慢性心不全例の病態管理の指標
の3つに内容が分かれていますが、わたしたちが留意するのは2についてです。

●18.4pg/ml未満では潜在的心不全の可能性が極めて低い。
●18.4-40pg/mlには直ちに治療が必要な心不全を発症する可能性は低いが、症状や症候を十分加味する。
●40-100pg/mlは軽度の心不全の可能性がある。危険因子が多ければチェックをすることを勧める。重症である可能性は低い。
●100-200pg/dlは治療対象となる心不全がある可能性がある。早期に心エコーを受けるべき。
●200pg/dl以上:治療を要する心不全の可能性が高い。

読んでみるとほとんど今までと同じ解釈だと思われます。やはり厳しいのは厳しいですね。もうひとつ、慢性心不全の管理ではその値の絶対値の評価ではなく、「前回の値の2倍以上に上昇したときには何か理由がある」と考えるのがよい、という指標は分かりやすいと思いました。

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負けるもんか!

ここのところの体調の悪さときたら尋常ではありません。

歯の治療が10年ぶりに始まったあたりから怪しかった。ゴールデンウイーク半ばに突然始まった左のギックリ腰、やっと落ち着いたと思ったら何の前触れもなく急性咽頭炎、一旦小康状態になってからの再燃、そして強烈な夜間咳嗽で睡眠障害・・・昨日、旧知の呼吸器クリニックを受診してそれも何とか目途が立ったな、と思った矢先に今度は夕方から右尻の痛みが徐々にその度合いを増して腰を伸ばせなくなった・・・わたしのカラダの中で何が起きているのでしょうか。

「今は溜まった膿が出ていってるだけだから、また元気になるよ」となぐさめてくれる友人がいる。でも、それはきっと違うんだ。あちこちのガタが治ったとき、わたしのカラダは若返るのではなく、逆に二回りくらい歳を取るのさ。人間のカラダは全体としてバランスを保っているので、何かの機能が低下するとそれを補うために周りが調節し合い、周りも機能を落とすことでバランスを保とうとする・・・人間が歳を取るというのはそういうプロセスである、ということをものの本で読みました。だから一つの病気をきっかけにガタガタガタと壊れていくのだそうな。くそう・・・わたしのカラダはそんなにガタがきていたということかしら。今週末は家でじっとしていることになりそう(今日は仕事ですが)。週末に何もしないでいるなんて、なんと屈辱的な!

見とれよ!わたしの人生、そんな陳腐なシナリオ通りにはいかないからな!負けるもんか!

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食べることに興味がない

先日受診された50歳の男性は、この1年で4kg近く太ってしまいました。

2年前に感染性心内膜炎を起こして入院して以来、ちゃんと食べるように云われて、意識的に食べていたのだそうです。体重が増えただけでなく、糖代謝異常や脂質異常まで表に出るようになったので、ちょっと本格的な食事療法が必要なレベルになってしまいました。この方の悩みのタネは「食べることに興味がない」ことだそうです。2年前に病気になったのも、食べる時間を惜しんで(というか別に食べなくても気にならなかったから)仕事をした結果だったわけですし、今回は「きちんと食べろ」と目の前に食べるモノを置かれるから食べているだけだと云います。

その気持ち、なんかよく分かります。わたしも食べることに興味がありません。食べなくても気になりませんし、ずっと食べていろと云われたらずっと食べていることもできます。「この料理は不味くて食えたもんじゃね」とレストランで突然怒り出した同僚を後目に普通に全部食べつくすのがわたし。まあ、興味がないから食事療法は簡単といえば簡単です・・・なければいいんですからね。でも、「食事は美味しく楽しく食べるべきもの」というのを体現するのがむずかしいんです。何しろ「食事をしている時間が一番もったいない」と思っている人種ですから。

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書くということ、覚えるということ

教育現場でタブレット端末を活用する動きが話題になっています。昨日もそういうプレゼンをニュースで見ました。前もって教材をダウンロードしておいたり、先生の板書をあらかじめ入れておくと、「生徒が書き写す時間を省略できて効率的に授業ができる」と云っています。

これは教育現場の先生の生の言葉なのでしょうか?それともプレゼン会社の担当者の理屈なのでしょうか?わたしたちが何かを勉強したり覚えたりするとき、自分で「書くこと」が必須であると教わってきましたし、実際、書くか書かないかは理解するための重要なポイントでした。糖尿病の専門家である河盛先生のセミナーでは、あえて手元資料にはフリースペースがたくさん作られていて、先生が講義中に白板に書くことを書き写すように指示されます。たしかに板書をノートに書き写すことに必死で、内容を覚える余裕なんてないな、と感じることはありますが、後でそのノートを見返すと不思議なことに書いたときの先生のコトバを思い出すことができたりします。

最近は数字を覚える力が低下しています。昔、「人間は10ケタまでの数字は覚えられる」と教わりました。それが電話番号のケタ数です。ところが最近は電話番号を覚える必要がありません。携帯電話にはアドレス帳がありますから、名前を出せば勝手に電話を掛けられます。その結果として、数字を覚える力が極端に低下しているそうです。書くという作業を省略するタブレット端末の利用がそれと同じ現象を起こすのではないか、と懸念されます。

でも、これは古い人間の考え方なのかもしれませんね。パソコン世代の今の子たちは、アタマの中に画像としてそのまま保存されたりするのでしょうか。

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兼八

「今日の兼八はえらい美味しい」・・・そう感じたのは久しぶりでした。

兼八はわたしの大好きな焼酎・・・大分県宇佐市で作られた、麦の香りと味がプンプン匂う麦焼酎です。でも、これがいつもおいしいかと云うとそうでもない。あれ?今回の兼八はちょっと水増ししてないか?と思うくらい味がしないときもあるし、あるいはムカムカするほど臭くて飲めたもんじゃないと思うこともあります。考えてみれば、最初に兼八に出会ったころは毎日美味しかった。お昼の仕事中に突然鼻の奥で麦の香りが甦ってきて、夜になるのが待ち遠しかったものです。でも今は、自分の体調が素直に味覚に表れます。体調が良いと、つい兼八の一升瓶に手が行きますが、そうでもないと見たくもない、と思う。見事に体調のバロメーターになっています。

こんな文章を書きかけて下書きのままでした。先週の土曜日にこれが届いたとき、思わず「美味しい!」と思ったのだけれど、風邪をこじらせてしまった今は、酒を飲む気にもなれません。わたしが酒を嫌がるなんて・・・重症です。

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なんでもない日おめでとう

「なんでもない日」は「なんにもない日」じゃない。私たちは気づいていないだけ。「なんでもない日、おめでとう」

綾瀬はるかさんのCMのキャッチコピーをちょこっとメモってみる。不思議の国のアリスの有名な一節らしい。なんでもない普通の日にも自分の周りで何かが起きている。それに気づくか気付かないかは、きっと大きな違いである。こんなことを書きながら、最近アンテナが低くなってココロが騒がなくなってきた自分を実感する。これも、鬱陶しい風邪のせいか?こういうときは焦らずに気持ちをゼロにセットし直す。焦らない。じっと、耳を澄ましながら目を瞑ってボーっとしてみる。それが、なかなか心地良いことをわたしは知っている。しばらくすると、良い頃合いにツツツツーっとアンテナが伸び始める。自分がちょこっと高い位置に俯瞰する感覚がわかる。ちょこっと高い位置から俯瞰すると、今まで見えなかったものがふっと見え始めてくるのがわかる。

大事なことは、焦らないこと。

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ペインシフト

今月の初めから悩まされているギックリ腰。簡単に治ると高をくくっていたのですが、思いのほか回復が遅くて特に朝起きてから昼頃までの痛みときたら、何も考えたくなくなるくらい辛いものでした。寝ていても座っていても痛いのです。もうどうにでもなれ!と思いました。

それがある日を境にピタッと止まりました。

突然咽頭炎を起こしました。それは何の前触れもなく突然襲ってきました。喉の奥が痛くてつばを飲み込むこともできず、熟睡することもできない悲惨な状態になりました。声がまったく出なくなり、仕事になりません。悲惨です。でも・・・喉が痛くなった途端、腰の痛みが消えました。ウソのようです。あれだけ辛かったのに・・・。人間のカラダは知覚線維の通り道が1つしかないのかもしれない、と思いました。そういえば、この論理を使って治療するのが「ペインシフト法」だと、行きつけのO整骨院の院長が云っていたような気がします。

ひとつの知覚異常が現れると他の知覚異常が薄れてしまう。痛みだけではありません。悲しいことや辛いことも・・・もう生きていけない!と思うような試練に苛まれていても、新たな試練が舞い込んできたらより辛いことの方だけがココロを占領します。いつも「あそこが痛い、ここが痛い、今度はこっち」と会う度に不具合を訴えてくる患者さんが居ます。あれもこれも、と云っているけれど、良く聴くと悩みの主体はどこか一か所です。、あれもペインシフトだなと思います。でも、これがあるから人間は生きていけるのかもしれません。

この真理、喉の痛みが薄れるにつれて、また腰の痛みが生き返ってくるのが悩みの種。

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スローカロリープロジェクト

現代のダイエット事情は、「サーテュイン(小食)」と「スローカロリー(食後高血糖阻止)」に尽きます。

と、まことしやかに書いてみましたが、「スローカロリー」という単語をわたしは今年になって初めて知りました。だからこの「スローカロリープロジェクト」なる活動そのものがあることなど知る由もありませんでしたが、読んでみるとなかなか面白い。食事をゆっくり吸収させるということは単なるメタボ対策だけではなく、”「心と体のアンバランス状態」から解放するため、 人間に本来備わっている「健康になろうとする力」を引き出す方法”だと云っているところが、気に入りました。そう、”世界の人々が「心から食事を楽しめる世界」を創るプロジェクト”、期待してみましょうか。そのためには、まずこの「スローカロリー(スロカロ)」ということばをもっと普及させなければ! 第二の「ロコモ」になってはいけません。

各食品企業が、小腸吸収をゆっくりさせる食材を研究している、というだけではあまり面白くありませんが、「小腸吸収をゆっくりさせる」方法をいろいろ研究して提案してもらえるのであれば、わたしたちが生活指導をする上でこの上ない情報になりますよね。是非、そんな前向きな情報を提供してほしいものだと思います。

「面倒くさくなればなるほど歳を取り、食べなければ食べないほど若返る、そしてゆっくり味わえば味わうほどココロもカラダも豊かになる」・・・もはや、これを覆す真理はないように思われます。

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目標体重?

「なんとかあと5キロ体重を落としたいのでどうしたらいいか教えてください」「残り3か月であと3キロ落とせるようにがんばりましょう!」・・・数日前、こんな似たようなセリフを別々のシテュエーションで聞きました。最近は、本人も、あるいはそれを指導するスタッフも、あちこちでこんな云い方をします。メタボ健診のあとの特定保健指導では、その昔、虎の巻に「(腹囲-85)キロが目標体重になるための当面の減量目標である」と書いてありましたが、あれはまさか今でも生きているのでしょうか?

『目標体重』とは誰のためのものか・・・そんなことを考えたことはありますか?理想体重が何キロで、だから目標体重を何キロに設定しよう。そのためには何カロリーを食べて何カロリーを消費するとうまくいくはず。今は何キロだから、この方法でこれから何ヶ月以内に何キロ落としましょう!・・・これは一体、何のためにしているのでしょうか?何かが本末転倒になろうとしている気がしてなりません。

自分の体重を理屈で管理しようとすること、自分の理想体重を計算で出そうとすること、これはまさしく生き物への冒涜ではないでしょうか。自分の理想体重はたぶん自分の身体しか分かりません。自分の欲する生活パターンを続ければそれが良くても悪くてもどこかでプラトーが訪れます(全く同じ生活なのにいつまでも増加するか減少する場合は何らかの病気です)。そのプラトーの状態(”もう何年も変わりません”状態)こそが、そのひとの真の理想体重なのではないでしょうか?それが標準体重より多いとか少ないとか、そんなことどうでもいいような気がします。

だから、『目標体重』ということばの存在自体が無意味なのだと思うようになりました。変でしょうか?

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心筋梗塞騒動

話題の演劇公演期間中に人気女優さんが心筋梗塞で倒れ、公演が2日間中止になりました。昨日はわたしも熊本でライブビューイングに行く予定にしていましたので、それが中止になってとても残念です。

おかげで昨日のテレビニュースはどの局も過熱した「心筋梗塞」報道ばかりでした。が、なんかとてもいい加減な報道が多くて驚きました。命に関わる病気の話ですから、もう少し専門医の監修をきっちりしてもらってほしいと思いました。素人がネットで調べた知識を急いで並べているか、あるいは専門医が話した内容の本筋とは違うところだけを勝手に使ったのではないかと思うような乱暴な内容だったからです。

彼女は45歳です。閉経前(あるいは閉経直後)の女性はそう簡単には動脈硬化にはなりません。それは女性ホルモンが守っているからで、同じ病名だからといって中年オジサンや高齢女性の心筋梗塞と一緒にしてはいけません。日頃よほど乱れまくった生活をしていたり、あるいは濃厚な遺伝因子がない限り、女性である彼女が心筋梗塞になった原因は、決して動脈硬化などではなくて、スパスムス(心臓を栄養する冠動脈が強いけいれんを起こして一時的に閉じてしまった)か血栓(極度の脱水や過労が誘因となって傷ついた血管壁で血液が固まる)だったことが想像できます。すぐに血液の流れが再開したから軽い梗塞ですんだのでしょう。

なのに彼女の発症をネタに、梗塞を予防する生活=生活習慣の改善(あれをしない、これを治療する、あれを食べない、これを控える・・・)の一般論を並べるのはいかがなものでしょうか。これではまるで、彼女が生活習慣病の塊のような自業自得の生活を送っていたかのようです。そういえば、彼女はCMでそんな「余分三兄弟(脂肪・塩分・糖分)」を退治する役目をしていました。

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わけあって

今日はお休みします。

もしかしたら、あしたも。

今日が皆さまにとって佳き日でありますようにお祈りいたします。

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就寝のエネルギー

今夜も、つい夜更かしになってしまいました。生理的に眠くてしょうがなくなったときを除くと、わたしは床に就くのが苦手です。酒飲んでうたた寝するとかしないとかとは関係なく、「さ、寝よう」という区切りを作るのが思いの外大変なのです。

まあ家人が居れば、「そろそろ寝るよ」といって電灯を消すタイミングができますが、留守番で犬たちしか居ない日などは、寝れません。何をしたいとか、何かをしなければならないとかいうものがあるわけではないけれど、「覚醒」を自らシャットダウンさせるにはものすごいエネルギーが要るのです。。今の継続を自ら断つのですから、ある意味、自殺するのと同じくらいのエネルギーなのかもしれません。

だから、いつの間にか、風呂に入ったらそのまま勢いでベッドに入る、という習慣になりました。睡眠障害が大問題になっている昨今です。寝酒に頼る気持ちがわからないでもありません。良く眠るためにきちんと朝日を浴びるとか規則正しい生活をするとか、立場上理屈はたくさん知っていますが、実はそんな物理的な問題ではなくもっと大きなエネルギー移動が必要だから大変なのかもしれません。「唾を呑み込むこと」・・・日頃は無意識にできるその動作が、意識したら急にできなくなることってありませんか?オンとオフの境目のスイッチを入れる(切る)ことは、少なくともわたしには毎日大問題なのです。

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ドライバーの男女差

久々に街に出ました。腰を痛めていたので、妻が化粧品を買っている間、椅子に座って外を眺めていました。華やかな格好をした若いお嬢さん方が、とても長いカッコいい脚を惜しげもなくさらけ出してたくさん歩いておりました。良い季節になりましたね♪

ふと、むかし、免許更新の講習会で講師のオジサンが話していたことを思い出しました。

「運転をしていて、道を異性が歩いていたとするでしょ。男は、キレイな女性が歩いていたら必ず確認します。それが好みだとか好みでないとかに関係ありません。でも女性は違います。女性は、どんなにカッコいい男性が歩いていてもそれが自分の好みでなかったら絶対見ません。だから、わき見運転の事故も男女差があるのです。」

いや、だからどうだと云っていたのか、それは全く覚えていませんが、彼がそう話したことだけは覚えています。女性のことはわかりませんが、たしかにかわいらしいお嬢さんやキレイな体つきの女性がいたら、とりあえず見てしまいますね。見ておいて何も損はないですし、朝そんなお嬢さんに出会ったら、きっと一日が幸せな気分になれるはず。こんなラッキーなことはございません。

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偏食

「カラダのために良いものだから食べる」「カラダに悪いから食べない」というのは、単なる”偏食”だと思います。

「好きだから食べる」は”偏食”ではないと思いますが、「嫌いだから食べない」は果たして”偏食”なのか・・・難しいですが、やっぱり”偏食”ですかね。「好き」はカラダの欲求だけど、「嫌い」はアタマの欲求のような気がするから。

自然の摂理として、自分のカラダに合うものだけをカラダは求めています。だからカラダの欲求に素直に従うのが一番自然体だと思います。でもアタマは、欲求ではなくて理屈で整理します。栄養学としての理論や臨床データとしての統計学的結論で良いか悪いかを決めます。

カラダの求めているものとアタマの求めているものは必ずしも一緒ではありません。”偏食”とは、アタマの求めにカラダが本意ではないのに従わされた状態のことをいうのだと思うので、”偏食”にならないようにするには、カラダの欲求をそのまま行動に移せるよう、子どものうちから訓練しなければなりません。これ、難しそうで、たぶんそうでもないと最近思うようになりました。ところが、子どものころに親御さんや学校の先生が「それはカラダに悪いから食べちゃダメ!」とか「これはカラダに良いから苦くても食べなさい!」とかそんな入れ知恵をしてしまうから、常にアタマ優先の考え方で洗脳されて、カラダの欲するものを理論抜きで食べるのは「いけないこと」とインプットしてしまっているのだと思います。

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脳卒中になりにくい方法

昨年12月13日号のMedical Tribuneでは、リンゴやナシなどの白色果肉の果物を多くとると脳卒中になりにくい、というドイツからの報告を紹介しておりました。リンゴやナシ以外には、オリーブ油、チョコレート、さらに身体活動にも予防効果があり、適度の飲酒も良いらしい。

そして本年3月30日のCareNet.comでは、緑茶やコーヒーが脳卒中リスクを低減させるという日本からの報告(国立循環器病センター:Strokeオンライン版2013.3.14)を掲載しておりました。45~74歳の男女8万3000人を平均13年追跡してみたところ、毎日コーヒーや緑茶を飲む人のリスクは飲まない人より有意に低く、飲む回数が多いほどその傾向が強くなっています。血液凝固を抑制する特性や抗酸化・抗炎症作用(カテキン)、糖尿病発現抑制(クロロゲン酸)、コレステロール値/血圧/インスリン感受性改善効果(カフェイン)などが原因ではないかと考察されていました。

こういう報告は定期的に出てきますから、世界各地でこういう研究は日々行われているのでしょうね。ただ、問題点はいつも2つ。こういう報告が出るとしばらくこれらの消費量が増えるのだけれど、健康に真面目に取り組む人ほど必死でこればかり口にするから、ただの”偏食”になりはしないか、ということ。もう一つは、単体(ひとつの食べ物)の効果は必ず逆向きがあり、脳卒中予防に有効な物質が他の臓器や病気に悪影響を与えることはめずらしいことではないということです。

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回盲弁症候群

わたしの受け持ち会員さんの大腸内視鏡検査の結果に「回盲弁開大」とか「バウヒン弁開大」とかいう所見を毎年書かれるので、一体どんな影響があるのだろう?とばかりに、勉学意欲の高い(?)わたしは早速パソコンで検索してみました。たぶん、わたし的には初めて聞く単語なのです。

「回盲弁」:、回腸と盲腸の境界にある弁。バウヒン弁ともいう。回腸末端が結腸に入り込んだ形で、上唇と下唇を区別する。胃の幽門部などと違い括約筋で閉じているわけではなく完全な弁を形成しており(わずかだが括約筋があるとする文献もある)、結腸からの内容物の逆流を防いでいる。

というのが、wikipediaの解説。結腸からの逆流防止効果があるのと、胃で分泌されるガストリンが弁の緊張を落とすので胃にモノが入ると弁が開くらしいことは、なんとなく理解しました。で、そんな検索をしていると圧倒的な数で「回盲弁症候群」という単語がヒットします。だからついつい開けて読んでみました。何しろ、「回盲弁」を知らないのだから「回盲弁症候群」なんて聞いたこともないわけで、興味津々です。回盲弁から内容物が逆流すると毒素が吸収されて、自律神経系に作用した結果いろいろな症状を起こすらしい。動悸とか原因不明の胸痛とかめまい、たちくらみ、偏頭痛、耳鳴り、関節痛などなど・・・。

よくよく見るとどうもカイロプラクティス系のページが多いから、もしかしたら消化器内科の医者は知らないか、知っていても”まゆつば”と思っているのではないかという気がします。そうなると、わたしは断然興味が湧きます。でも、あちこち読んでいても一般的な生活の改善とカイロプラクティス以外の画期的な解決策が記されていないので、ちょっとガッカリ。それでも、少なくとも少しだけ賢くなった気がしました。

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あなたの意見を聞きたい

「問診票に『治療中』と書くと、値に関係なく『現在の治療を継続してください』となり、説明医師も『結果はかかりつけの主治医に指導してもらえ』と流してしまう。わたしは今の治療がうまくいっているかを聞きたいからドックを受けているのに不本意だ。だから、『未治療』にする!」・・・受診者の一人からそういうお叱りを受けました。おそらくその流し方を昨年したのはわたしだと思います。それを人伝に聞きながら、それでもわたしは「かかりつけ医を無視してコメントはできない」と思いました。

年1回のデータだけで治療がうまくいっているとかいないとか、今の薬が良いとか悪いとか、止めても良いとか悪いとか、コメントのしようがありません。特に血圧や血糖や脂質やといった生活習慣病関連の検査値は日ごろの流れを見ながら評価すべきものです。「この値は薬が効いてないから替えてもらうべきです」とか「こんな値程度で薬なんかもらう必要はありませんよ」とか、平気で口出しする先生もおりますが、わたしにはできません。わたしが主治医だったらイヤだからです。「この人は他にこんな病気の歴史があるのだし、合わない薬が多いから今少しずつ調整しているところだ」とか、「ここの家系はこういう病気の家系だから、早めに手を打った方が本人のためだ」とか、主治医の思惑があるかもしれないのに、初めて見る他人が横やりを入れたために無し崩しになることだってあり得ます。だから心配ならばもっと外来主治医に聞いてもらいたいと思います。

「あれはただの町医者で、薬をもらっているだけだから」という云い方をする患者さんが少なくありません。それは主治医にとっては屈辱的な云われ様ですが、結局そこにはお互いの信頼関係が出来上がっていないことになります。主治医の先生方も是非自分の思惑をいつも患者さんに説明して、患者さんの不安に答えてあげる努力を惜しまないようにしていただきたいと願います。

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平成表記

先日、日本医師会認定産業医の認定更新完了通知が届きました。

認定証の有効期限に「平成30年5月26日」とあるのを眺めながら、「平成30年かあ」とつい独り言。どうなんでしょう。いや天皇陛下の寿命を云々ではないのですが、「平成30年」があるかどうかわからない微妙なこの時期。「あなたの生年月日は?」に対する答えを「昭和」で答えても問題はないのです。それは消えることがないのですから。でも未来のことを不確定な年号で推測表記するのは危険ではないのかしら。

わざわざ5年後の有効期限を平成で表記したのは、変更するのが面倒くさいから?それとも天皇に気を遣って?あるいは諸般の印刷物の変更が大変だから? うちの病院も昨年から正式表記をすべて西暦に変更するようにお達しかありました。ある時点で一斉に変更しないとなかなか統一は難しいと思うので、こういう一方的なお達しはいいことだと思います。そう云いながら、まだまだ正式書類に「平成  年  」と書かせるものはたくさん残っていますし、きっとみなさん気づいていません(気づいていても気にしていません)。

年号表記の変更はやっぱりなかなか大変だなとは思いますが、時期を逸してはいけません。じゃあいつするか?「今」でしょ!(古~っ)

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隠し味

最近は、厚生労働省から「ジェネリックを優先的に使え」っていう圧力がかかるのよ。少なくとも患者さんが求めるなら絶対その期待に添うように努力し、患者さんが先発品を求めるなら「どうしてもそれがほしいのならやむを得ないけれど」という顔で処方しろ!って。

クリニックでパートで働く妻が、そんなことを曝露してくれました。お国のお役人ときたらマジでこうですよね。でも、現場の医者や看護スタッフはちゃんと知っています。先発品と後発品、主成分が同じなら効果がほぼ同等なんてことは絶対ないことを。一般の皆さんは想像すらできないかもしれませんが、「会社が違うだけで効果は同じですよ」と謳いながら、全く効果がない後発品がたくさんあることを。「安い上に、こっちが効いて良かった」と喜ばれる方は、それはそれで全然問題ないですけれど、どうしてこれが製品として認められたのか理解できない薬・・・・どれだけ安いといっても効かなければ高い買い物なんですけどねえ。なお、その代わり、後発品しか効かないとか、後発品の方が効くという患者さんはいます。その薬が10人中9人効かないのに1人だけこれしか効かないというヒトがいたり。

きっと主成分に変わりがなくても、隠し味として工夫する何か、公表されていない隠し味・・・これが無機質の化学物質に色を出させて物凄く効かせているのだろうな。

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