書くということ、覚えるということ
教育現場でタブレット端末を活用する動きが話題になっています。昨日もそういうプレゼンをニュースで見ました。前もって教材をダウンロードしておいたり、先生の板書をあらかじめ入れておくと、「生徒が書き写す時間を省略できて効率的に授業ができる」と云っています。
これは教育現場の先生の生の言葉なのでしょうか?それともプレゼン会社の担当者の理屈なのでしょうか?わたしたちが何かを勉強したり覚えたりするとき、自分で「書くこと」が必須であると教わってきましたし、実際、書くか書かないかは理解するための重要なポイントでした。糖尿病の専門家である河盛先生のセミナーでは、あえて手元資料にはフリースペースがたくさん作られていて、先生が講義中に白板に書くことを書き写すように指示されます。たしかに板書をノートに書き写すことに必死で、内容を覚える余裕なんてないな、と感じることはありますが、後でそのノートを見返すと不思議なことに書いたときの先生のコトバを思い出すことができたりします。
最近は数字を覚える力が低下しています。昔、「人間は10ケタまでの数字は覚えられる」と教わりました。それが電話番号のケタ数です。ところが最近は電話番号を覚える必要がありません。携帯電話にはアドレス帳がありますから、名前を出せば勝手に電話を掛けられます。その結果として、数字を覚える力が極端に低下しているそうです。書くという作業を省略するタブレット端末の利用がそれと同じ現象を起こすのではないか、と懸念されます。
でも、これは古い人間の考え方なのかもしれませんね。パソコン世代の今の子たちは、アタマの中に画像としてそのまま保存されたりするのでしょうか。
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コメント
漁師さんやマタギさん、はたまた職人さんの手記などを読んでいますと、皆さん口をそろえて「機械は発達したが人間はバカになった」と仰いますね。
最近新米鍼灸師として接骨院に勤務し始めたのですが、ホントにそう思います(笑)。通電療法とかに頼りすぎです。あれなら機械があれば自分でも出来ますって。それに患者に上手い事言って一ヶ月も通わせてりゃ、治療しなくても自然治癒しますって。
福島に皆川 雅舟(故人)という書家がいたのですが。豪雪地帯の生まれで、家庭の事情で進学出来ず、肉体労働をしながら独学で書の勉強をされました。当時はろくに暖房もなく、墨が凍るような環境だったそうです。それがいいか悪いかはおいときまして、その逆境が皆川先生が後々書家として大成する素地を作ったことは確かです。…な~んてことは今の教育現場ではナンセンスでしょうね(笑)。
投稿: コン | 2013年5月16日 (木) 23時14分
コンさん
おはようございます。
まあ道具が人間の脳を退化させているのは間違いないけれど、全体として技能は進化し、これが良くも悪くも文化なんだなと思わないでもありません。道具がなかったから工夫した。道具ができたら別の方向へ工夫する人が現れて、また人類の頭とカラダはそれに合った形へ違った変わり方をするのでしょうか。
ダメだ。風邪がアタマを侵しよりまして、まともな文章になっていません。すみません。
投稿: ジャイ | 2013年5月17日 (金) 06時55分