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「水に流す」(後)

(つづき)

ところが今は、逆に「水に流す」と云う行為にあこがれています。これができるようになるには、自らの心身の成長と成熟が必須なのだということに気づいて、自分にはまだまだ修行が足りないことを痛感しました。形だけ「水に流す」行為をしたとしても、ココロにわだかまりが残っていては成立しません。「許してやろう」みたいな上から目線でも成立しません。むしろ、そのときの相手のココロをおもんばかり、労をねぎらうことがココロの底からできるようになることが重要なのです。「そんなこと、できるもんか!」と突っぱねていたけれど、最近少しずつだけれどそれが分かるようになってきた気がします。

お近くの某国は、大量の泥水で覆ったり、違う色のペンキを上から塗りたくったりして、「何もなかった」と主張したり、逆に事実は逆だと口裏を合わせたりします。あんな連中を見ていると、日本のような清らかな水文化の中で生まれた「水で清める発想の文化」がひときわ輝いて見えます。是非、大きな誇りを持って今後もつなげていってほしい文化だと思います。

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コメント

おはようございます。

「水に流す・・・」
仰せの通り、島国日本の「文化」として
最高の表現と思います。

四方を海に囲まれ、
海水が自然蒸発し、
蒸留水状態で山や街に降り注ぎ、
短い経路でまた海に戻っていく。

鉱物質などは溶解している間も無く、
硬度成分も少なく、殆どそのままで飲用可能です。
この様な国は世界中何処にもないでしょう。

でも・・・
私が好きになれないのは、流したた後の「下流の事」は
全く論じられない事です。
(近年、「公害論」として下流領域や海洋汚染は僅かながら論じられつつ有るようですが)。

でも、人間間の下流領域には及んでいないようですね。
年甲斐も無く、時々頭に来る時が有ります。
                     asuka3h 拝

投稿: asuka3h | 2013年5月27日 (月) 09時27分

asuka3hさん

お水の専門家を前に、エラそうなこと書いて申し訳ありません。

垂れ流しは、やっぱり日本が「国際化」を目指し始めてからの産物ではないか。昔から川でモノを洗い汚物を流してきましたがそれでもきちんと清浄化できる自然のルールはあったのではないかと思いますが、どうなのでしょう。

現代は、とりあえず自分が大事。自分は上流に居るからラッキー、これが勝ち組?みたいな感じなのでしょうか?

投稿: ジャイ | 2013年5月27日 (月) 21時34分

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