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2013年7月

「十七歳だった!」(2)

ただ、読んでいくとなかなか面白い。20年前でそうなのだから、もはやほとんどが夢の中のような高校時代。「青春とは大きな誤解だッ!」という著者にこっそり頷く。意味もなく自信過剰で何となく世間の皆が自分を見ている錯覚に捕らわれていた・・・もっとも、わたしの場合はそれは高校時代ではなくて大学生になってからでした。「晩生」というよりも、とにかく高校時代は自分に自信がなかったのです。中学の部活を卒業してから20キロも太り、それでなくても田舎坊の慎み深い風貌が一層地味になり、友人と映画を観に行くとき以外は完璧なる帰宅部で、帰って勉強机に向かうもののついつい悶々としたカラダに反応して、気づけば全然違う雑誌を広げている、そんなむっつりスケベな高校時代でした。それでもちょっと学生帽を目深にかぶって格好つけてみたり、噛んでもいないガムをエアークチャクチャやってちょっと不良さん気取りしてみたり、そんな背伸びもしてみました(だーれも気づいていない、というか見てもいなかったと思うのだけれど)。

自信過剰だったわたしの大学時代のことはむかしここに書きましたが、若干のアレンジは必要だけれど、この本に書いてある内容はわたし的には大学時代のそれと重なることが多かった気がします。それでも完全に色あせています。これを書いている今が二日酔い気味のためにアタマの中に靄がかかっているというのではなく、何もかもが薄れかけた夢の中の出来事のような感じです。縁あって、中学時代の同級生とはいまだに事あるごとに会っていますから、中学時代だけがどんどん鮮明に色付いていきますが、その他の青春時代は青色どころか見る見るセピア色に変わっていきます。引き出しから引っ張り出す機会がないと、見ることのない昔の押し花の標本か子ども時代に買ってもらった百科事典の様に、それはまだらに消え去ろうとしているのです。

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「十七歳だった!」(1)

先日、暇つぶしで入った書店で、店頭の棚に平積みされていた文庫本からこの赤い表紙だけが妙に目につきました。

「十七歳だった!」(原田宗典著、集英社文庫)

作者の名前からして、青臭いにおいのする青春ストーリーか?と思って手に取りました。決して帯にあった人気アイドルグループの女の子の写真に目が眩んだのではありません。

「高校生の頃の話をしようと思う。
どうしてそんな昔の話をしようと思い立ったのかというと、理由は単純だ。ぼくは今、忘れ始めている。あんなに楽しくてムチャクチャ充実している一方で不満だらけだった鮮やかな時間が、遙かに遠くなって霞み始めているのだ。」

その冒頭の文章を読んで、「たしかにそうだな」と思ったわけです。なぜなら作者はわたしと同じ学年で、同じ時代を生きていた人に他ならなかったのです。ということで、単なる暇つぶしの予定だったのに、荷物になるのを顧みず、この赤い文庫本をレジに持って行ってしまいました。買った後になって次の行を読んでみたら、なんと、「ぼくは今や三十四歳で、・・・」とある。慌てて最後を見たら第1刷は1996年6月25日で、その数頁前を見たら「この作品は1993年6月、マガジンハウスより刊行されました。」とある。しまった!これは20年も前の話だったのか~! 

というちょっとした勘違いで、この本はわたしの手元にやって参りました。

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アンチエイジングの鑑?

「いい歳なんだから、歳相応の格好しなさい。そんなキャピキャピした若作りの服なんか着ないよ!」って、いつも○○さんが云うけど、わたしは絶対にイヤ!

先日、妻がキッパリとした口調でそう云いました。そんなことを云うヒトでなかったので、びっくりして顔を覗き込んでしまいました。「歳相応の格好すると歳相応になってしまうのよ。わたしは絶対に若いままの自分を維持させるの!」~彼女を知っている人はわかると思いますが、本当に彼女は若いと思います。特段エステをしているわけでもないですが、そこに、そんな覚悟があったことを初めて知りました。

「これかわいいね」と云っては服を買ってくる彼女は、超ゲーマーで、チームのリーダーをしています。きっと自分の息子ほどの年齢であろう若い子たちと徒党を組んで、夜中までLINEで長電話しながら戦略を立てています。「死んでも歳なんて明かせられない」と笑いながら・・・彼女をみていると、これこそがアンチエイジングの鑑かなと思います。

でも、毎晩午前3時過ぎに床について昼ごろに起きる、人気バーのチーママみたいな生活をしているのだから、これでアンチエイジングを語るのはお門違いかしら(笑)。

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免疫療法

うちのスタッフに、身内が末期のがんに罹り、大学病院でも治療法を決定できずにいるというはなしをされました。このとき話題になったのが「がん免疫療法」。近くにそれをメインで行っているクリニックがあるので、もし治療法がなかったら受診してみようかと家族が云っているけどどう思います?と聞く彼は、きっと”免疫療法=まゆつばもの”の感覚を拭い去れないのだと思いました。

免疫療法とは、人間のもつ自然治癒力(=免疫力)を強化して、病気を治療する方法ですが、気休め的な免疫賦活剤の投与や丸山ワクチンなどのイメージが強く、どうも神頼み的な印象を抱く人が日本では多いように思います。でも今、がんの免疫療法は変わりました。むしろ新しい先進治療として脚光を浴びていると云っても過言ではなく、くだんのクリニックなどは、疑心暗鬼の日本人を後目に韓国などからの予約でいっぱいになっているそうです。

わたしはあまり詳しいことは存じませんが、患者さん自身のリンパ球を活性化させる方法やNK(ナチュラルキラー)細胞を活性化させる方法、あるいは免疫活性化物質や免疫ワクチンを使ったりと、数多の独自の方法があると聞いています。残念ながら保険が利かないので高額にはなりますが、がん=抗がん剤、外科手術、放射線治療だけではない大きな潮流があることもご承知おきください。

そうは云っても免疫療法は3番手か4番手、いろいろ試した挙句に効果がなかった最後の手段として考える人が、医療者の中でもまだ多いのではないかと思いますが、免疫療法は患者さんの細胞の免疫力=治ろうとする力が頼りなのに、強烈な抗がん剤の攻撃で疲労困憊の細胞の免疫を賦活させようとしてももうそんな力は残っていないのではないかしら?むしろまだ何も攻撃されていない無垢な細胞の方が効くのでは?だったら、免疫療法はまず最初に試すべき治療法なのではないか、という気がしないでもない・・・ま、単なる素人の感想ですけど。

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塩梅だから(後)

(つづき)

たしかにそうかもしれません。どんなに自己流でも、頼んでもいないのにまるでそれが王道であるかのようにああだこだと教えてくれる(大阪や熊本のような)県民性とは違うみたい。でもそれは、意地悪なのではなくて自信がないだけだと思います。「これはね、こうなのよ」と理屈で説明することが苦手な人が多いのは、むかしからそういう奥ゆかしさで生きてきた県民性なのかもしれません。そういえば、わたしも、人に何かを教えるのがとても苦手です。心電図読影の仕方、カルテの書き方、試験勉強の仕方、カテーテル検査の仕方など、若いスタッフにうまく教えられません。全部が全部、自己流だから、学問的に系統立ったやり方で覚えていないし、だから間違ったやり方かもしれないし、と思うとどうしても尻込みします。わたしが10kgの減量に成功したときも「どうやったらやせるのですか?」の問いに、「たいしたことはしてません。効果は人それぞれですから教えられません」と逃げました。先日から始めたレッグマジックサークルがもし画期的に効いたとしても絶対いいふらしません。自分のダイエット体験を本にしたり、コツをみんなに断定的に伝授できる人のみなぎる自信がうらやましい。

それにしても、「ちょっと違うけど、これはこれでおいしい」とは・・・負けず嫌いの父らしいことばです(笑)。きっと彼も自信がなかったのだと思いますが、料理自慢の嫁に「こんなものなの」と思われたくなかったのでしょう。褒め方が不器用なのも県民性かしら。そんな15年近く前のことを、もっと負けず嫌いの妻がいまだにグチっていますが、「これはこれでおいしい」というところに絶大なる評価があったと思って喜んでもらいたところです。

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塩梅だから(前)

父が生前酒の肴に作っていた『いりこなす』・・・夫婦で実家に行ったときに、料理が得意な妻が「わたしが作りましょうか?」と声をかけました。「で、味噌や塩加減など味付けはどんな割合で作るのでしょうか?」と聞いたら、父は「まあ、適当に。塩梅(あんばい)だから」とだけ云って去っていったのだそうです。『いりこなす』は父のオリジナルらしく、自己流に好みに合わせて作っていたようです。やむを得ず彼女のセンスで作ってみたら、「ん~、ちょっと違うな。でも、これはこれでおいしい」との評価。彼女はそのことを今でも根に持って話します。「お父さんが作っているのを横で見たわけでもないし、出来上がったものを食べたことがあるわけでもないのに『塩梅だから』だけで茶の間に行ってしまったのよ。それでもって『ちょっと違う』って、ひどいよね!」と。

「そういえば」・・・妻は違うことを思い出したようでした。大分に住む先輩の新婚時代にお伺いしたとき、彼の奥さんが大分の郷土料理『りゅうきゅう』を作ってくれました。その作り方を教えてほしいと頼んだときも、「適当よ。家庭によって全然違うし、うちの味がスタンダードでもないのよ。適当に調味料を混ぜたらいいの」としか云ってくれなかったのだそうです。「大分の人ってみんなああなの?自己流だからとか云って、自分のレシピを絶対教えてくれようとしないの!」

(つづく)

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いい加減だ?

「健診で血糖がちょっとだけ高くなった」と、わたしのゴルフ仲間が云いました。
「いくつくらいなんですか?」
「130(mg/dl)」
「それ、立派に糖尿病じゃないですか!」
「違う違う。ヘモグロビンA1cは7.0%くらいやから」
「それを糖尿病って云うんですってば!」
「違う違う。全然糖尿病じゃない。どうもないんだから!」

医療に関係する仕事をしているのだし、ゴルフのスコアは他人のパット数まできちんと記録するような人なのにどうして自分のことはそんなにアバウトなの?と耳を疑いました。

「だいたいが、すぐ基準が変わって、いい加減なんだから。あんないい加減な基準なんて信用できん!」と、これまたようわからんことを云い始めました。たしかに、糖尿病の基準は大きく変わりました。日本基準から国際基準に変わって、まだ現場が混乱している感じです(もっとも、患者さんはみんなきちんと知っているみたい)。でも、これは基本何も変わっていません。単純に表示方法が変わっただけです。むかしの5.8が6.2である、とそういう関係だから、基準は変わっていません。その数年前に「正常高値」が生まれたり、糖尿病の診断基準になる値が0.4%引き下げられました。「もっと早い時期から生活介入を始めないと、手遅れになる」と分かったからで、より早期からの運動や食事の注意を求めています。

くだんの彼はそれを云っていると思うのですが、でも彼の場合はそんなこと全然関係ありません。もはや初期の「糖代謝異常」のレベルではないのですから。むかしながらの基準を使っても使わなくても、悩むことなく完璧なる糖尿病なのですから。「早く、病院に行ってください」と云ったのですが、「さ、後半もガンバロウ!」と完全にお茶を濁されました。

でも、こういう人、世の中にはたくさんいるのだろうなと思います。

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γGTP

γーグルタミントランスフェラーゼ(γGTP)が高い、といえばイコール「酒の飲みすぎ」と考えているひとが多いようですが、そうとは限りません。「わたしはお酒はほとんど飲みません。何かの間違いではありませんか?」と食って掛かられる場合もありますが、もちろんお酒を飲まないヒトでも高値のことはよくあります。

肝臓は解毒をする臓器です。γGTPやGPTは何かカラダに合わないものが侵入してくるとそれを排除するために働いてすぐ値を上昇させます。それが酒の場合もありますが、脂肪肝の場合もあれば、薬や健康食品、あるいは「カラダに良いもの」と思っていつも口にしている食品だったり、単なる季節性のアレルギーだったり、原因は千差万別なのです。ですから、γGTPのみが何年も同じように高い方で酒を飲まない上に脂肪肝もない場合は、犯人を捜すのは至難の業です。もっとも、体調が悪くなく、数値がずっと同じ値なのであれば総じて大した問題ではないと思っておいた方が良いでしょう。

もちろんお酒の影響で上がる方が多いのは事実です。「指摘されたからちょっと休肝日を作ってみたり飲む量を減らしてみたりしたけどあまり変わらなかった」と云われる方、そのやり方では犯人がアルコールなのかどうかわかりません。1か月くらいスッパリ禁酒してみてから採血して正常値に落ちるようならアルコールの影響の可能性があり、再開して同じように上昇するなら、犯人はアルコールに間違いないということになります。この場合、カラダがアルコールを拒否しているのですから、完全に縁を切る以外の方法はありません。もっとも、酒が犯人かと思ったら酒の肴が犯人だったなんてこともよくあることです。

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不満の克服

昨年県外から転勤してきた新型うつ病の彼、結局最近欠勤することが多くなってきました。復帰は厳しいかもしれないなという印象はありますが、それでも何とか頑張ろうとしている様子。

でも、周りはだんだんイラついてき始めています。計算ずくの”さぼり”ではないか? パワハラになるから退職勧告もできないことを心得ているずる賢い男なのではないか?現場のスタッフは、来るかどうかわからない男に仕事は任せられず、結局自分の仕事量が増える、なのに等級が上の彼の方が給料が良い・・・あいつは給料泥棒だ!と今にも爆発しそうな空気です。

懸念する保健師さんにわたしはこう話しました。解決策はただ一つ。彼が来ようが来まいが自分に何の損もないのだということを見失わないことです。彼に給料を出すのは会社であって、自分の給料を削られているわけではない。彼が居なくてもどうせ自分がするはずだった仕事をしているだけで、減りはしないけど増えもしていない。「あんなサボり魔の怠け者がタダで給料もらっているなんて」と思うからイラつくけど、その部分を全く気にしなければ、ごくありふれた退屈な毎日があるだけ・・・何もイラつく原因はありません。こんなことで自分がイラついてメンタルが疲れたり家族に当たったりすることになると損をします。是非、ココロを落着けて、自分を見失わない様にしましょう。

ただ、彼の居場所がどんどんなくなっていく・・・それが一番心配です。

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一口5000円

「趣旨に賛同していただけるなら、一口5000円でお一人様何口でも結構ですのでご協力ください」

寄付のお願いや、新しい取り組みへの出資企画などでよく目にするこのことば。これが意外に大変なのです。職場や組合などの「何とか基金」とかは最低限の出資で抑えたいものだということを相手も心得ていて、役職などによって「最低○○口以上何口でも」と指定されて、それでもってその最低口数を出すのが常です。

でも、たとえばわたしの友人の演劇団体が活動資金の援助を得て安定した活動をするために会員を募りました。後援会(年会員)のようなものです。その募集のページに書かれているのです。

「一口5000円でお一人様何口でもOKです。」

わたしの大事な友人の活動を何とか手助けしたいと思いながら、ここでハタと悩むのです。「何口にしようか」・・・何口か、選んだ値段がそのまま友情の値段、彼らの商品価値というか存在価値をデジタル数字で表さなければならなくなったとき・・・数字が出せない。誰々さんはいくら出したの?とか、相場はどれくらいなの?とか、まるで値踏みするようなことは何か違う感じがするし、よほど「いくらほしい」「何口以下でお願いします」とか書かれた方が楽です。3口とか5口とかが無難(わたしが入っているプロサッカーチームの後援会はこんな感じ)だけど、そんなもので良いのか?彼らの存在はわたしにとってそんなものなのか?いやいや、そういわれるとそりゃ預金をはたいて生活を切り詰めて10口、20口出資しても勿体ないとは思わないかもしれないけど、それでもじゃあ彼らの価値は5万円、10万円なのか?・・・埒があかなくなってしまいます。

だから、今もホームページのその欄をながめながら、何度も中身を読みながら、結局ずっと手を挙げられずにいます。

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予防医療?

また今年も、特定健診・特定保健指導に関わる新人スタッフさん宛の研修会で講師をする時期が来ました。改めて「予防」とは何だろうか?「予防医療」とは何を求めているのだろうか?と考える機会をいただきました。

うちの施設も名前に「予防医療」ということばが付きます。この名前に変わったときは「一歩前進、よしよし」と思っていましたが、最近の施設全体の動きを見ていると、やはり方向性が自分とは若干違うなと思うようになってきました。「予防医療」の「予防」とは何なのか?何を「予防」したいのか?そう聞かれたら、皆さんは何と答えるでしょうか?

大部分の方は「病気の予防」「病気にならないように予防する」と答えるのだろうと推測しながら、偏屈ジイのわたしは、「違うな」と思うわけです。予防するのは「病気」なんかじゃない!くどいようだけれど人間は病気になるために生まれてきているわけではないのだから、病気を予防するために毎日を生活しているのではあまりに虚しいし、その手助けをするために自分がいるのなら、それはあまりにちっぽけな仕事。もし何かを予防するために生きているというのならば、それは「老化」だと思います。細胞の老化は生物学的にしょうがないとしても、ココロとカラダの老化が病的に進んでしまうのだけは避けたいから、もっと若くいたいから、もっといろいろやりたいことがあるから、だから老化を予防するのだ!

「病気を相手にしなくて何が”医療”か?」「結局同じことだ!」と医療従事者ほどまことしやかに云いますが、同じことのはずがないじゃないですか。基本が病気にある考え方と、基本が健康にある考え方は、それをお互いが主張する限り絶対交差することはないだろうと、最近ちょっと諦め気味のわたしです。もちろん、今度の講義のときにはブリブリとわたしの考え方の主張をさせていただきますけど。

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その時が来た。

7月号の連載コラムは、はずかしながらここに出した2つのブログをただ淡々と並べただけです。こんなことのためにこのブログが有るのですから、これで何の問題もない。ノープロブレム。

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  その時が来た。

先日、ある女性から高血圧症の治療について相談を受けました。風邪で近くのクリニックを受診したときに高血圧を指摘されて内服し始めたのが2年前。それからなかなか下がらない血圧と付き合ってきたけれど最近動悸・息切れが強くなった、というものです。治療や精査のことは信頼できる同僚に紹介することにしましたが、彼女の心の引っかかりは「どうして自分が高血圧になったのか?」ということでした。若い頃はずっと低血圧だった自分。今は何かの原因で一時的に上がっているけれどいつまでも通院して薬を飲み続ける“病人”でいるのは本意ではない、と。

わたしと同い年の妙齢の彼女に、わたしは粛々とお答えしました。「それは、その時が来たからです」・・・それは職場環境の変化や更年期障害といった一時的なものではなく、お母様、そのお母様と綿々と続く高血圧家系の由緒正しい流れをいよいよ引き継ぐ時が来た、ということでしょう。なかなか受け入れてもらえませんが、女性は閉経前と閉経後でまったく別の身体になります。「だって、昔は・・・」という過去の栄光は忘れましょう。それは脱皮前の別人が作った実績であって、本当の姿になった今の自分には関係ありません。種の保存のために優遇処置の着ぐるみを着させられていた過去の自分は夢の中の話です。やっと自分の本来の人生が始まったのです。過去のことは忘れて、今の自分としっかり向かい合いましょう。そして今の自分を愛することです。・・・そういうお話をしました。

違う日に、ある男性受診者にお会いしました。わたしが産業医を務めている企業で2年前まで働いておられた方です。当時から高度の高血圧症で健診の度に紹介状をもらっていましたが受診せず、「もう少し生活習慣を見直してがんばる!」と主張されていました。実は、昨年あたりから心電図に変化が見られ始めており、それは高血圧の影響だと考えられました。心臓に影響が及ぼされ始めたことになりますので、早めに血圧を下げる必要があります。「何が原因なのでしょうか?」と、久しぶりに会った彼は徐に質問しました。当時に比べると15キロ以上はやせましたし、減塩を中心とした食事を徹底し、毎朝の運動も欠かしていないのに・・・と。

だからこれが「体質」。ここまでやっても下がらずむしろ心電図異常まで出てきたのは、生活態度が悪いからではありません。今の彼に必要なことは、修行僧の道をさらにストイックに徹底することではなく、薬剤を使ってでも可及的速やかに心負荷を下げてあげることだとご説明しました。「今度こそは受診します」と言う彼に、「第一、今の血圧の値は毎朝の運動自体が禁止されている値ですよ」と追い打ちをかけてあげましたが、さて、本当に受診されたでしょうか。

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かわはぎ

先日、妻と義母と3人で和食料理を食べたとき、妻はかわはぎの刺身を前もって予約しておりました。

「おかあさん、これ美味しいから食べてみて」と、妻がかわはぎの刺身とってあげようとしたら、義母がイヤな顔をしました。
「いいよいいよ、せっかく頼んだんだからあなたが食べなさい」
「なーん、わたしたちも食べたけん、ちょっと食べなよ。高いんだよ!」と妻はちょっと声を荒げました。

お義母さんは意外に好き嫌いがあります。かわはぎの泳いでいるグロテスクな姿を見たことがあるので、気持ち悪いのだと白状しました。それでも粘る娘に負けて、青じそ(おおば)で巻いて食べました。
「あ、これ、おいしいねえ」
「そうでしょ。おいしいでしょ。食わず嫌いなんだから・・・」
妻もやっと満足そうな顔をしました。

でも、義母はきっと二度とかわはぎを食べることはないだろうと思います。なぜなら、かわはぎが好きではないから。食べてみて「おいしかった」というのはウソではないでしょうが、青じそで巻いたから、そして娘がしつこいから食べただけで、好きでもないものを食べてみておいしかった=好きになったとは限りません。いざどうしても食べなければならなくなったときに食べられないことはないことが分かった、だけです、きっと。

とにかく、丸く収まった、大人の食事会でした。

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減塩

「今までと同じ味付けの料理でも量を半分にしてやれば塩分は半減する。砂をかむような味のないおかずを溜息つきながら食べるくらいなら、単純に作る量を減らすだけでいいんじゃないの!」

以前ここでも書きましたし、実際に説明時にも話している理屈です。皆さん、「なるほど」ととりあえず相槌を打ってくれます。ただ、「それは現実的ではない」と世の頭デッカチさんが批判します。「それは結局はガマンなのであって、味付けを薄くすることに慣れる努力をしない限り、他にたくさん食べられる場所があれば結局全部食べてしまうし、食事で減った分、間食が増えるだけだ!」と。

それって、単純な理屈だと思いますよ。「少ない量を、飲み込む前に何度も噛む」という習慣が身についていると、味付けの濃さが妙に気になり始めます。多いと、噛まずに飲み込むだけだし単なる喉越しが良いから食っていただけだから、かなり濃くないと物足りないかもしれないけれど、噛む習慣がついて何度も噛んで味わうようになると、濃すぎるものをカラダが求めなくなるものです。だから、無理やり変えていかなくても結果としていつの間にか舌が薄味に変わっていきます。実際、わたしがそうでした。むしろ、無理やり薄めた食材を食わされた方が、ずっと濃い味が恋しくてたまらない人生を送るのではないかという気がします。

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何もしなくても良くなる方法?

「先生、ゼチーアにレスベラトロールを一緒に飲んだらどうなるでしょう?これを飲めば食事療法は要らない、となれば楽ですよね。」

先日行った抗加齢医学会総会のあるセッションで座長の先生がそんな意見を云いました。ゼチーアというのは脂質異常症の治療薬で食事に含まれるLDL(悪玉)コレステロールの小腸吸収を抑える効果のある薬剤です。レスベラトロールは長寿遺伝子として有名なサーチュイン遺伝子の活性を高める効果があるタンパクで、サプリとして市販されています。

LDLコレステロールは、肝臓から合成されるものと食事から吸収されるものがあり、肝臓からの合成を抑える薬だけでは効果が頭打ちになることがあります。その場合は食事からの吸収作用が増強されていることがわかっており、ゼチーアはその吸収を抑える効果があります。LDLコレステロールの値を下げる効果ばかりでなく、食べ物の小腸吸収をゆっくりさせる効果が食後高血糖を抑える作用も発揮できるので内臓脂肪量を減らす=メタボ改善にも効果がある薬だと云われています。

座長の先生の意見、とてもごもっともなのですが、結局「人間は食事制限なんてできない」大前提ありきで、いくら「食事を控えろ」「腹八分目で」と云ったってメタボになる体質の人にはそんなこと無理だから、食事をそのまま好きに食べさせても改善する薬に期待するしかない、と云っておられます。「きちんとおいしく味わって食う習慣になったら自ずとサーテュインが賦活できる量しか食わなくなる」と信じているわたしはそこのところが相容れないのですが、翻って考えると、「食事療法=食事制限=ガマン」の概念を医療者側から変えさせない限り、空気は変わらないのだろうなと感じました。そういえば、むかし、「減塩なんて絶対無理だから、努力させるよりナトリウムを減らさせる薬を飲ませた方が効率的だ」と話していた循環器科医のはなしを思い出しました。

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ココログ出版

「ココログ出版」サービス終了のお知らせ (お申し込みの受付終了は8/20)

今まで、毎日書いていて、こんなバナーが出ていたことに初めて気づきました。このブログ、コラムのネタ帳の意味と、将来わたしが死んだときの遺稿になるようにと地道に毎日したためてきました。すもつくれんことも、その場の感情に任せて書きなぐったこともありながらの5年半。まあ、いつでも「ココログ出版」があるし、と高をくくっていました。

時代ですね。さすがにこのデジタル文化の中、SNSの流れも変わってブログで表現するヒトが一気に減ったのと、電子書籍時代になって紙ベースの書籍印刷の注文者が激減したのでしょうかしらね。

とはいえ、こいつはヤバいぞ!とりあえず今までの内容だけでも本にしておくか?とばかりに大慌てで見積もり申し込みをしました。さーて、しかし2000記事近いから何万円になるのだろう?そんな金、出せないよな~。ゆるんだウエストを引き締めるために買おうかと思ったレッグマジックサークルは少なくとも断念しなければ・・・製本をあきらめた方が現実的かしら。

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プロテイン

39歳男性。初めての人間ドック。これまで職場の健診で特に異常を指摘されたことはないといい、診察をするために上着を脱いでもらったら、とても均整のとれた発達した筋肉が日焼けで赤銅色に光っていました。

そんな彼の唯一の異常値が腎機能でした。クレアチニン値1.19(eGFR 56.04)・・・基準上限ギリギリのクレアチニン値ですから当然CKD(慢性腎臓病)の基準でひっかけられる値になります。正常範囲のはなしなのでそう大した問題ではないのですが、彼の体つきとアスリート的な生活習慣を考えたときにとても心配なのは食習慣。きっとこの筋肉を維持するために意図的にタンパク質をたくさんとっているはず。もしかしたらプロテインなども使っているかもしれない。

先日もあるダイエット番組で、医者もアスリートもトレーナーも口を揃えて強調していたのは、「とにかくタンパク質!」・・・炭水化物や脂肪は要らないから、食べたくなったらタンパク質、食べたくなくてもタンパク質、朝昼晩、肉を食べるのが理想・・・その激しい口調を信じられない面持ちで眺めていたわたしです。いや、ダイエット云々、低炭水化物云々はいろいろ意見があるからどうでもいいですし、タンパク質中心の食事にするのはアンチエイジングや美容のために今や常識だと分かっています。ですが、タンパク質が直接腎臓に多大の負荷をかける以上、そんな極端な食事を容認できるのは腎機能が健全であることが大前提です。症状があるわけでもない若い方々、とりわけアスリート系や筋肉鍛えるの命!のヒトたちは、自分の腎臓が健全ではないなんて夢にも思ってもいないでしょう。ボディビルダーの方の食習慣の話題で、以前ここでも触れましたが、「タンパク質至上主義はまず健康腎臓ありき!」であることを、世の体育会系指導者の方々はしっかりと認識していただきたいと思います。

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うんこに行く

職場のせまい職員用トイレに入ったら、個室の方に先客がおり、わたしの入室に気づいたのか何度も水洗を繰り返しておりました。おそらく排便やおならの音が聞こえないようにと云う配慮なのだと推測しました。ここはトイレなのだから、それをするために居る場所なのだからそんなに気にしなくても大丈夫なのになと思いながら、わたしは早めに用を済ませて退室しました。

たしかに高校生のころまでは、学校でうんこをする勇気はありませんでした。「あ、うんこしよるやつがおる」「臭せーのー!」と大声ではやし立てる輩が必ずいて、その後「うんこ」というあだ名がつくこと必至だったから、行きたくてもガマンしたものです。それがために今どきの子どもたちは便秘が当たり前になって、腸が動かなくなっているのだと聞きました。それでも下痢や腹痛でがまんできないとき、ヒトは「開き直る」という行動を学習するのです。

ただ、そんな「学校でのうんこ」のタブーがわたしの中でタブーでなくなったのは予備校のときでした。予備校の昼休みの男子トイレはいつも臭いうんこのにおいが充満していました。用を足したヒトは平然と出てきて、次に並んだ御仁が平然とその中に入っていく姿をながめながら、「トイレでうんこをする」は当たり前の行為だということを体得し、辺りを見回してみると、確かに大人の世界では公衆トイレでもデパートのトイレでもそれは普通だと気付くことになりました。今は消臭の配慮が行き届いていますから、狭いトイレでうんこをしてるヒトが居ても、ほとんどうんこの臭いはしませんね。有難い時代です。

と、今日は朝からうんこの話を長々と書いてしまいました。ご無礼しました。

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栄養精神学

国際栄養精神医学コンソーシアム

精神医学に新たな潮流―。特定の食品による精神疾患予防など,栄養精神医学とも呼ぶべき領域が隆盛しつつあります。各国の専門家が日本に集まり,最新の研究を報告。“食”による精神医学の確立を訴えました。

という切り口で、MTproオンラインに、6月21日に東京で行われた「国際栄養精神医学コンソーシアム」なる会合が開催されたことが報告されていました。うつ病、統合失調、認知機能障害、認知症などまで、食との関連性が研究され、最近は質の高い二重盲検試験まで行われるようになったそうです。

オーストリア(ウイーン)で行われた長鎖ω-3系脂肪酸の精神障害発症予防に対する有効性を検討した二重盲検試験では有意に発症を予防できたことが示され、また赤血球膜のネルボン酸濃度が減少している者に精神障害高リスク群が多い、などの報告も見られています。ω-3系脂肪酸がPTSD予防に有効だとか、ω-3系脂肪酸(青魚)で精神的に健康状態になれるとかいう報告はこれまでもよくなされています。

こういう活動が、系統だって世界レベルで語り合えると、より高度な検証ができるようになるだろうと期待しています。ま、青魚、食っとくことに損はなし!ですかね。

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経過観察

先日の第22回日本脳ドック学会でも話題になった「未破裂動脈瘤の治療」。「未破裂」ではなくて「非破裂」がホントだろうなんて話題もさることながら、5mmΦまたは7mmΦの動脈瘤をどうするかという議論でした。国立病院機構九州医療センターの岡田靖先生の云い方を受け売りするならば、7mmΦ未満の未破裂動脈瘤が破裂する確率は「福岡ヤフオク!ドームで、一試合に1本だけ打ったファールボールに当たる確率」で、ないわけではないけれどきわめて奇跡に近い値だそうですし、それがたとえ破裂動脈瘤の好発部位だとしても小さければ破れる確率は1%を切るのだとのことです。それが5mmΦ以下であれば0.5%の破裂率ではあるけれど、その中に大きくなるモノは必ずあるということ。また、破裂率は年を経るとともに直線的に増加するのではなく、発見された直後の数年にアップしたあとは横ばいになるのだということもシンポジウムを聞いて知りました。

ただここで問題なのは、「経過観察」・・・確率論は重々承知の上でも、そこに存在することを見つけてしまうと人間は不安になります。破れてしまえばくも膜下出血ですから命に関わります。知らなければやりたい放題の人生だったかもしれないのに、知ってしまって、小さいからまだ大丈夫、と云われても、大きくなるかもしれない爆弾をずっとアタマに抱える憂鬱さ。実診療のもとで、「経過観察」が手術に回る場合に一番多い理由は、径の増大ではなくて、「親戚や同僚などの身近な人が破れて亡くなった」などだということ・・・当事者の葛藤が分かります。

担当医師にとって「経過観察」は最大の妥協であり妥当な落としどころだという気がしますが、当事者にとって「経過観察」は生殺し・・・それは、自らが当事者になったときに初めて分かるものなのかもしれません。

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アンチエイジング

「最近、『アンチエイジング』ってことば、あまり聞かなくなりましたよね。数年前には大ブームだったのに、一気にすたれた感じですね。」

先日、うちのある保健師さんが、こんなことを云いました。

バカ云ってんじゃねえよ。逆だよ、逆! すでに『アンチエイジング』が特殊な考え方じゃなくなって、一般常識になってしまったから返って目立たなくなったんだよ。むしろ、サーチュイン(長寿遺伝子)とか酸化ストレスとか糖化ストレスとかホルモン療法とか、より一歩先に進んだ具体的な方策に移ってしまってるんだよ。予防医療をやる人間がそんな認識ではいけませんなあ!

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健康な食事

日本人の長寿を支える『健康な食事』のあり方に関する検討会」というのが、去る6月24日に厚生労働省の主催で行われました。
第1回日本人の長寿を支える「健康な食事」のあり方に関する検討会 資料

外食や中食や宅配食利用者が増えた中で、適正な栄養バランスやカロリー摂取の規範を示すべきだという観点から、有識者や専門家を集めて検討会を開くことになったようです。1回の食事ごとの食品摂取量の基準を作ったり、惣菜などを使った健康な食事の具体的メニューを示したりするらしいです。

正直云って、「要らん世話やな」とは思います。国民のものの食べ方を信用しなさすぎじゃなかろうか、と。最近の外食やコンビニ弁当の栄養バランス管理はかなりすばらしいし、家で好きなものばかり大量に作る昔の食事よりも、外食や宅配食の方が量も少ないしバランス管理もかなり気を遣ってくれています。「食事は理屈で食うな、カラダの欲するものをタイムリーに食うのが理想」をモットーにしているわたしからすると、この「理想の健康食」の提示が返って食事の楽しみを取り上げてしまいはしないかと懸念すらします。日本人にとっての理想食である日本食を日本人が食わなくなったのも、カラダに良いもの情報のために返ってバランスを壊してしまっているのも、結局は理屈で食事管理を押し付けようとした施策の失敗なのではないかと、密かに思っている次第です。

我が家は、週の半分は宅配食の食材です。最初は1人前の食材のあまりの少なさにカルチャーショックを受けましたが、その経験によって今まで食べてきたものが子供のころから徐々にアタマに刷り込まれた間違った教育によることに気づき、理屈抜きでカラダが適量を知ることになりました。

せっかく始まった食への取り組みですので、是非頭でっかちな結論にならないようにお願いしたいものだと願っています。

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あいうべ

先日、中学時代の同級生からメールが届きました。

「免疫力アップ! 鼻呼吸をするように「あいうべ体操」をしよう!! 1日30回だって! ネットで見てみて!」

はい、確認しました。今ちょっと話題で、ブームな今井一彰先生(みらいクリニック院長:福岡市)の直々の生写真とともに。

「あいうべ体操」のすすめ

「あいうべ体操」のやり方

指導してくださる先生方へ

いや、できるだけわざとらしく口を「あー」「いー」「うー」としたあと「べー」と舌を出す。これを1日30セットやるだけ。これで難病に近いたくさんの病気が改善するというわけです。

こういうのを、「信じられない」とか「インチキだ」「偶々だ」「科学的ではない」とか云って批判した挙句に、「世を惑わす悪党」「医者のすることではない」とバッシングする輩が必ず居ます。何ででしょうね? やって何の損もないことで、演劇部出身の私としてもこれはいいな(病気治療云々とは別次元で)と思う運動ですし、つべこべ云わずにやったらいいじゃない?と思います。EBMとかメカニズムとかが必要だから今井先生もいろいろ語ってくれていますけど、どうでもいいですよね。悩んでいる患者さんや子どもたちが、それで良くなるなら、理屈なんてどうでもいい。わたしもこっそり風呂でやってみることにしています。なかなか酔っ払いには30セットは辛いですけれど(笑)

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ダニ

7/2号の日経メディカルオンラインに<お好み焼きでアナフィラキシー>という記事が出ていました。夕食にお好み焼きを食ってアナフィラキシーショックで緊急入院した47歳男性のアレルギーの原因が、タコや小麦粉ではなくて、なんと使用したお好み焼き粉(持参)で、しかも特異IgEが強く反応したのは粉の中にはびこった各種のダニだった、というものです。

開封後のお菓子や粉ものやふりかけなどにすぐにダニがはびこるということは以前テレビ番組で見たことがあって、袋ものは丸めて輪ゴムで留めたままなら大丈夫と思っていた我が家でもその後は必ず冷蔵庫に入れることにしています。

食べ物にはびこるダニがアレルギーの原因になる報告は近年急増していると聞きます。ダニが住みやすい環境になったこと、ダニが好む食材が氾濫していること、さらに人間のアレルギー体質が急増していることなどがいくつも重なった結果、現代社会で思いがけずアレルギー発作出現が増えてきているのでしょう。さらに、そんなことをテレビや雑誌で注意喚起しているにもかかわらず、結局昔からやっている習慣を変えるきっかけにはなっていないという、ヒトのサガも加わっているように思います。意外に気になるのは、家庭の粉ものではなくお店で使用する小麦・・・よほど工場で作り貯めしているものならともかく、その場で手作りする老舗麺屋さんの食材なんて、考えたらとっても怖くなります。

とにかく、粉ものはできるだけ冷蔵庫保存を心がけましょう。あるいは、わたしのようになんでもかんでも食べ尽くして何も残さない、残ったら捨てる、そんな一回至上主義に徹しましょう(太りますけど)!

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がん患者さんのメイク活動

第13回日本抗加齢医学会の話題をもうひとつだけ。NPO法人キャンサーネットジャパンが後援したシンポジウム「Cancer Survivorのアンチエイジング」で、がん患者さんのメイクセミナーを開いている美容ジャーナリストの山崎多賀子先生の講演を聴きました。そこで彼女が紹介した文章を、いくつか勝手にメモしたので並べてみます。

●がんを宣告されると、「重病人のような外見になるかもしれない」と思い、暗い気持ちになる。
●がん患者であっても、元気なときは普通の人間で居たい。
●人生、前向きに行きたいとは思うけれど、前向きに生きるためには、自分に自信がないとむずかしい。
●「装う力」は、患者にとっては「よろい(鎧)」である。
●行きたい場所に、自信を持って行きたい。
●メイクをすると他人に会いたくなる。
●メイクをすると家族や周りの人たちが安心する。
●素顔は「真実」、化粧は「錯覚」

なんかもっとたくさんお話しを聞いたし、もっと感動してたくさん涙したのだけれど、不覚にも忘れてしまいました。がんを宣告されて、抗がん剤治療を受けるときには何よりも命が大事だから気にする余裕もなかったけれど、その後は人間らしく生きたいと思う。顔色が悪く、髪の毛だけではなく眉毛やまつ毛までもが抜け落ちると、自分に自信がなくなり、社会と関わるのが面倒くさくなる・・・でも世間はそれを「しょうがないだろう、命が助かっただけでも幸せ者だ!」と冷たくあしらう。そんな時に、自信をもてる化粧の仕方を体験すると、化粧をすること自体が楽しくなる。そんなお話。

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滞在

先日、東京で旧知の2人の友人(といってもひと回りも年上の方々ですが)とお会いしました。ひとりは16日間のイギリス旅行から帰ってきたばかり。もう一人もご夫婦で尾瀬に数日間の旅行に行ったことを話されていました(夫婦で山歩きをするのが老後の楽しみだとか)。この2人の旅行に共通するのは、どちらも滞在型の旅であったこと・・・同じ宿に泊まりながらあちこちと行動するパターンです。

「どうだろう」・・・そんな彼らの話を聞きながら、わたしだったら?と思いを巡らしてしまいました。わたしだったら?あるいは、うちの夫婦だったら、何日も同じところに拠点を構えるなんてこと、できるだろうか?せっかくの旅行、限られた時間とお金なら、もっとあちこちに行ってみたいと思うのではなかろうか?それこそが「旅行」であり、「旅人」というイメージはそんな根無し草的な振る舞いなのだと思ってきましたから。欧米のバケーションといえば何週間も同じ場所で滞在するパターンなのでしょうけれど、日本人の風土ではないなと。

わたしは旅が苦手です。家に帰り着くまでずっとココロが休まりません。いつもいつも次の行動のスケジュールを考えているので疲れてしまうのです。でもこれは、「旅」のとらえ方を間違えているだけなのかも・・・わたしは意外に滞在型の旅が似合う男なのかもしれません。

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高血糖の記憶(後)

AGEsで老化するのは血管だけではない。老けているほど早く死ぬ!・・・顔が老けると体内も老ける。そんなカラダの老化もまたAGEが犯人です。

AGEsは生活習慣が悪いヒトだけに増えるのではない。活性酸素がそうであるように、生きている限り少なからずたんぱく質はAGEsになって体内に溜まっていくから、加齢とともに増えてしまうのです。さらにAGEsは体内で合成されるだけではなく、食品の中にも入っています。タバコの中にも含まれています。ですから、AGEsの含まれる量が少ない食品を食べると体内のAGEsも減ります。すると酸化ストレスが減少するだけでなく長寿遺伝子(サーチュイン遺伝子)の活性を高め、血管老化の進行を防げます。ご存じのように、サーチュイン遺伝子は本来「適正量の70~75%の食べ方」をするとスイッチオンになるものですが、必ずしもカロリー制限をしなくてもAGEsの少ない食品を取るとサーテュイン遺伝子は活性化しますし、逆に、カロリー制限していてもAGEsが多い食品だとサーテュイン遺伝子は活性が低下してしまうようです。そうなると、大事なのはカロリー制限ではなくて何を食べるかであり(カロリー制限がサーテュイン活性を高めるのではなく、カロリー制限によってAGEs摂取量が減ったことがサーテュインに作用したのかもしれない)、高血糖が続いて体内でAGEsが合成されるのもよくないけれど、食べ物から直接体内に入るAGEsもバカにならないことを、山岸先生は強調されました。

骨の老化(骨質の老化)もAGEsとともにあり、AGEsがはまり込める受容体(RAGE)があることも教わりました。で、最後にAGEsを減らす生活の仕方と食品名ですが・・・それは是非、ご自分でお探しください。

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高血糖の記憶(前)

今年の日本抗加齢医学会総会は昨年に続いてパシフィコ横浜で行われました。わたしは、この学会で語られる内容が予防医療の最先端を担っている気がして、いつも楽しみにしています。

今年、わたしが気になったのはやはり「糖化ストレス」と「終末糖化産物:AGEs」・・・なかなか理解できなかったこの物質のことを明快にレクチャーしてくださったのは、久留米大学の山岸昌一先生です(「AGEを標的としたアンチエイジング療法」~ランチョンセミナー)。

過去にどれくらいの高血糖にどの程度の期間曝露されたかが、その後の糖尿病性血管合併症の進展を左右する、という現象を「高血糖の記憶」と云い、この”むかしのツケを持ち越してしまう”記憶のメカニズムを担うのがAGEsです。軽快な口調で語った山岸先生のお話しからわたしなりに理解したことをまとめてみます。

高い血糖の状態が続くとカラダの中のたんぱく質は”糖化”されやすくなります。つまり、たんぱく質と糖が結合してしまって、”糖まみれになった劣化したたんぱく質”になるのです。これをAGEsと云います。糖尿病の指標になるHbA1cやグリコアルブミンなどはAGEsの前駆物質です。このAGEsが増えると血管が硬くなり(血管拡張障害)、また壊れやすく(プラークの不安定化)なっていきます。AGEsが増える状況(メタボ、NASH、炎症、睡眠時無呼吸など)であれば、たとえ糖尿病になってなくても糖尿病と同じように血管内皮機能が低下してくるのです。ま、要するに、糖尿病の食後高血糖と同じ状態を繰り返すと、糖尿病になっていなくても体内のたんぱく質の劣化が激しくなり、血管がどんどん老化してしまうということになります。

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忍び寄る老化

『人間、めんどうくさくなった途端に老化が始まりますよ!」・・・毎日の人間ドックの説明のたびにそう口にしているわたしなのに、今度の出張で自分の中の大きな変化に気づいてしまいました。

学会場は横浜、ホテルは品川、電車を乗り継いで30分の距離・・・会場もホテルもちょうど1年前と同じ場所なのですが、今年はこの距離を妙に”遠い”と感じたのです。去年はどうということもなかったのに・・・。歩いて1時間以内の距離であれば歩く、がわたしのモットーだったのに、「汗をかくと仕事にならない」「足首を痛めている」などと云い訳して交通手段を探すようになったのも最近のこと。エスカレーターの長蛇の列を後目にガラガラの階段を上っていた偏屈が、いつの間にか群衆の中に埋もれる心地よさに浸っている。「いかん!こんなことじゃ!」と思い、口にはするのだけれど・・・・・・んーーーー、何かココロもカラダも動きたい衝動に駆られないのです。めんどうくさいんじゃない。してもいいけど、しなくても別に困らない感じ。ストイックな日々のころに比べたら緩々になったけれど、そんなにみっともないほどのカラダではないし、高血圧の治療中であることを除けば、健康体の方だし・・・。

こんな感覚になろうとは思いもしなかったので、少しだけうろたえています。老化はあるとき突然に何かのエピソードをきっかけに起こるのだと思っていましたが、どうも違うみたいです。それはいつの間にかそっと忍び寄って来て、油断しているとふっと自分の背中に乗っかって、気付いたら「老人」に入れ替わってしまうものなのだなあ。

どなたか、わたしに巣食う”老化”に声をかけて、わたしを引き摺り戻してはくれますまいか?

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そうじ好き

わたしはそうじが好きです。週末に予定がなければ必ず朝早くからそうじを始めます。妻が居ると何かと気を遣うので、彼女が仕事や所用で家を空けているときが家のそうじをする絶好のチャンスです。

ただ、わたしのそうじは要領が決してよくありません。部屋の床掃除をしていたかと思えば食卓の整理を始めたり、服の衣替えを始めたり、トイレの掃除を始めたり、系統だった動きをしません。そうじ嫌いな妻をして「どうしてそんなにあちこち右往左往しているの?」と云われます。でも、あまり気にしていません。最初に床掃除をきちんと済ませるべきとか、上から順にやっていくとムダなく効率的にきれいにできるとか、そういうことにこだわっていません。目の前の汚れをどうやったらきれいにできるかと考えていると目の前のものをひとつずつ”今”片付けていくことが一番確実(あとでまとめて持っていこうと思っていると意外にやらない)だと思っているので、ムダにあちこち動き回ることを苦にしていません。

そうじ好きなひとはそうじの効率が良くてムダなくテキパキ処理できるからそうじが苦にならないのだ、と思っているひとが多いかもしれませんが、逆にそれはそうじ嫌いなひとの考え方かもしれません。嫌いなことは最低限の努力と時間で効率よくサッサと終わらせたい、と。そうじ好きなひとは、そうじ自体が好きだから、別にそうじ時間が長くなったところで何も困りませんし、むしろ幸せなところがあります。あちこち手を出しながらも徐々にきれいになってきて、ちょうどパソコン断片処理作業のようにトントントントンッと最後にきれいに納まったときの幸福感ときたら・・・。

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先生はお医者さんだから

「先生はお医者さんだから、どんな食べ物が胃に良くてどんな食べ物が悪いかをきちんと分かっているでしょ。だから、日ごろから一番理想的な食事ばかりを取っているのでしょ?それをわたしにも教えてください。」

ある中国出身の女性からそんな質問を受けました。そうですか、そう来ましたか。その女性は中華料理の先生をしており、薬膳料理をメニューにしている方でした。萎縮性胃炎だとはいえ、そんな方に一体何を申せましょう?

「医者は理屈は知っているけれど、それを実践できないから煩悩なんです。ただ、胃に良いものばかりを並べて食ったらただの偏食でしかありませんから、むしろ何を食べるかよりも何でもおいしく味わって食べることだけが理想なんじゃないでしょうか?」・・・何とか苦し紛れにそんな返事をしました。

「うちは唐辛子の料理が多いの。中華料理は唐辛子が基本だから、家でも唐辛子の料理が多くなるよ。唐辛子は大丈夫?」

「カプサイシンはむしろ胃には良い食べ物ですから大丈夫ですよ。でも、多くなり過ぎると逆効果ですからたくさん作りすぎないようにね。中華料理って大皿にたくさん盛ってみんなで腹いっぱい食べるでしょ?あれはどうかなと思います。」と本音を云ったら(実は唐辛子も中華料理も大好きなわたしはいつも食べ過ぎて後悔するのです)、「家庭では外で食べるほどたくさんは作らないよ」と云い返されました。へえ、そうなんだ。すばらしい! 偉そうなことを云いながらもずっと煩悩に勝てずにいるわたしの方が返って教えを戴いた形になってしまいました。

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