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インパクト(後)

10年くらい前のことですが、ある健康セミナーで、ある女性が予防医療のことを熱く語りました。白板に文字を書いたり、手元に持ってきた写真を掲げたりして、経皮毒の危険性と安全な食品の大切さを必死に語っていましたが、結局時間が足りなくて、「もっと聞いていたかったな」と感じたとても素晴らしい講演でした。その女性はその後も精力的に全国を回って、その世界ではカリスマ的な存在になりました。その1年後だったか2年後だったか、また彼女の話を聴ける機会があったので聴きに行きました。手書きだった文字はパワーポイントのスライドのきれいな大きな活字になりましたし、後ろまでよく見えなかった小さな写真もデジカメで取り込んで鮮明できれいな画像になりました。何度も何度も同じ講演を繰り返したことがうかがい知れるほどに、スライドはきちんきちんと進んでいきますし、無駄のないことばの選択により、彼女の有難い講演はきっちりと時間内に終わりました。惜しみない拍手が続く中で、わたしは小さく溜息をつきました。

「ちっとも感動しないのはなぜだろう?」・・・内容もことばの選択も完璧で、時間配分もプレゼンの方法も完璧なのに、最初に聞いたときのほとばしる熱い息吹がちっとも伝わってこないのはなぜだろう?スマートに研ぎ澄まされればされるほどに、きれいに収まれば収まるほどにインパクトが薄れて何も伝わってこなくなるのは、何が足りないからなのだろう?

そんな遠いむかしのことが思い出されました。他人に伝えるということ。気持ちだけでは伝わらず、技術だけでも伝わらない。回数をこなすごとに話し方もことば自体も洗練されていき、無駄が省かれ、新しいしっくりくる表現に入れ替えられ、スライドがスマートに整備されたとき、完璧なはずのそのプレゼンがあまり魅力的ではないものになってしまう。わたし自身も何度も経験したこのジレンマ。もしかしたら、最初のころの荒削りで未熟な講演の方がはるかに意義があるのかもしれない、と悩みます。

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