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おりあいがつく

わたしがまだ尖がっていたころ、『おりあい』などということばは単なる妥協で、堕落の象徴だと信じていました。

「わたしの方が、絶対に正しいのだから、そのことを相手が認めない限り解決などありえない!」と。

『おりあい』をつけるのに絶対に必要なことは、相手をわかろうとすること。相手をわかろうとすると、相手もわたしのことをわかってくれる。でもそれは自分に余裕がないとできないことなの。

『おりあいをつける』というのは、自分のココロにもカラダにも余裕がある証なのだと思うようになりました。むかしのわたしはココロに余裕がなくて尖りまくっていたから、『おりあい』がつかなかったのは当たり前のことだったのかもしれません。今でも時々『おりあい』をつけたくない(自分から折れたくない)と思うことがあります。そんなことを思う機会はかなり減りましたが、まだ時々あります。それはわたしのココロがとても弱っているときです。そのときは、『おりあい』を付けるべきときではないのだから、無理して『おりあい』をつけようとしなくてもいいんだ、と思っています。いつかつけるべきときが来たら勝手に『おりあい』はついてくるものなのだから、そのときを待てばいいのだ、と。

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