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2013年10月

プロフェッショナル

「今日、巨人が勝たんと大変なことになるんでしょ?」と妻が聞きました。
何言ってるんだか。

「別に。ただ楽天が勝ったら明日日本一が決まるかもしれないだけ♪」「え、でも今、巨人は負けてるじゃない? まずいんじゃないの?」・・・昨夜の3回裏あたりでの夫婦の会話。全然かみ合わないのは、彼女が野球に全く興味がなくて、おそらくネット仲間のオジサンたちがジャイアンツファンばかりだからでしょう。

「あなたは巨人がキライなんだっけ?」「巨人? キライじゃないよ。全然興味がないだけ。選手の名前もほとんど知らないし」「そうよね。あなたは、いつも、”アンチメジャー”だもんね」「は? 違う違う。そんな判官びいきじゃないし。第一、巨人を”メジャー”とか思ってないし。単に僕はパリーグファンだから」「ほら、セリーグに興味がない、っていうのがアンチメジャーでしょ。だってパリーグってものすごくマイナーなんでしょ?」・・・お~い、この人にこんないい加減な情報を吹き込んだ奴、出てこ~い!

そんな私も、子どもの頃は100%巨人と大鵬のファンでした。川上監督率いる巨人のV9戦士たちの名前と背番号を全員云えました。彼らの強さはまさしくプロフェッショナルでした。その後、高校時代に阪急ファンになりました。地味で全く人気がなかったけど、めちゃくちゃ強いおっちゃんの集団でした。あの頃からパリーグファンになりました。「人気のセ、実力のパ」と云われていました。スキなく完璧に強くないとプロとは云えない!と思っていました。相撲は、危なっかしいけどイケメンで足が長い北の富士より、絶対に負けないけど仏頂面で足が短い玉の海が圧倒的に好きでした。

冷静に考えると、私は”強いもの”=プロフェッショナルをずっと追いかけていたわけで、全然「判官びいき」じゃない!

亡くなられた川上哲治さんのご冥福を心からお祈りいたします。 合掌。

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我慢すると美味しいのか?

「今日は家の掃除をしたりしてがんばったから『ビール飲みたいな~』と思ったけど、じっと我慢してたんだよ!」と言いながら、夜の宴会にやってきた友人。美味しそうにビールを飲んでいました。

よく、こういうことしますよね。「これがあるから、飲みたい(食べたい)のを一日中我慢してたんだ!やっぱり、我慢してた分だけ、美味いよねー♪」って。でも、我慢して飲む(食べる)と本当に我慢しなかったときより美味しいのかしら? 「今飲みたい(食べたい)」って思うときに飲む(食べる)方が美味しいんじゃないかしら?

その宴会の日、わたしは山の芝刈りでヘトヘトになりながら帰宅して、シャワーを浴びてから宴会に行く前に家で1缶ビールを飲んで行きました。とっても美味しいビールでしたが、宴会のビールも同じくらい美味しかったです。

テンションの問題だと思うから、空気を読まない意見は云いませんが・・・やっぱり、飲みたい(食べたい)ときが一番だぜ。

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活動中の血圧

「家ではいつも120/70mmHgくらいなのに健診に来たり病院に来たりするとすぐ高くなってしまう」

むかしからよくある『白衣高血圧』の方の主張です。だから高血圧ではない!と主張する方々には、日常が良いから薬剤治療の必要性はありませんが、白衣高血圧の方の約1割は10年後には本当の高血圧症に移行しますから、「自分は高血圧の治療をしている」という意識を持って日ごろの生活療法を行ってください(つまり、減塩や有酸素運動や良質な睡眠・ストレスのない生活など)、というはなしをしてきました。

来年、日本高血圧学会の治療指針が改訂されますが、今の血圧の考え方をみなさん今一度再認識させておいてください。「日常の血圧」とは、別に「リラックスして10分くらい安静にして万全を期したときの値」ではありません。毎朝(あるいは毎晩)同じ条件で、深呼吸をしてから測ったらいつも正常だから・・・という白衣高血圧の方は特にご注意ください。知りたいのは日常生活の活動をしているときに上がりすぎていないか?ということなのです。安静時の成績発表は、「高血圧症」の診断をつけるためには必要ですが、治療の指標と云う点ではひとつの参考値でしかありません。日常の仕事というストレスがかかっているときにどの程度上がっているのか、朝起きてすぐに睡眠時無呼吸などの影響を受けていないか、仕事帰りに疲れ切って血圧があがっていないか、役場に出向いたときには血圧は上がっていないか、ジムに行って着替えて運動する直前(後は下がっていて当たり前)は高くないか・・・知りたいのはそんなときの血圧です。だから、「いつも一定の時刻に」とか「安静に深呼吸して」とかいう血圧測定の心得みたいなものにあまりとらわれないでいただきたいと思います。

血圧は「いつかなるときにも上がってはならない」が大原則です。

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「凍結肩」

まったくもって聞いたことのない単語ですが、frozen shoulderの直訳です。東北大学の井樋栄二先生らが「五十肩」の類のいろいろをこれに換えて統一させようと提唱しているのだそうです。そういえば、かく云うわたしもここ数か月”五十肩”らしきものに悩まされており、ゴルフスイングが思うようにできないだけでなく、職場の駐車場ゲートのカード入れにカードを挿入させようと腕を上げるのに毎朝難渋している始末です。

”五十肩”は江戸時代から使われてきたことばで、今は肩痛の原因(腱板断裂、石灰性腱炎、上腕二頭筋長頭腱腱鞘炎など)を除外した上で明らかな原因のないものを”五十肩”というのだそうで・・・そりゃあめんどうくさい。

でも、わたしがまことしやかに理解していた、「”五十肩”の正式名称は”肩関節周囲炎”だ」というのが実は単なる保険病名で、本当は肩関節周囲に存在する炎症を指すものではない!と聞いて、ちとはずかしい(かなりあちこちでまことしやかなうんちくをたれてきてしまいましたから)。正式に云うなら「特発性肩関節包肥厚性制動症」なのだそうです。英語で”frozen shoulder”、そりゃ「凍結肩」で異論はございませんが、でもきっとわたしが元気なうちは一般市民にも他科の医者にも浸透はしないと思います。だって、曖昧な意味のまま、ガタがきたことを揶揄する単語として、”五十肩”の歴史は理屈抜きにかなり長いですから・・・。

NIKKEI MEDICAL 2013.9参照

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腹が減らない(後)

(つづき)

この生活でもなかなか腹が減らないのは、やっぱり運動量が足りないのでしょうか。

7.昼休みのフィットネスジム。
8.夕方のフィットネスジム。
9.夜10時からのワンの散歩。
10.さらに、通勤はチャリ。
11.さらに、月2回はバスケットボールの練習。

運動せずにはおれなかったあのころ。体育会系ではないわたしなので決して激しい運動などしなかったけれど、それでも運動中毒になったのは、カラダが驚くほど快調になったから。

でももうあんなストイックなことは、できません。特にCTで冠動脈の石灰化を見つけてからは弱気です。昼休みの運動はさすがに誰かに文句を云われそう(みんなこんなに働いているのに、と)ですし、夕方の運動は、「そんな時間があったら早く帰ってきてワンズを散歩に連れていけ」と云われます。チャリは玄関のオブジェになっています。

それでも、毎日1万歩以上は歩いています。レッグマジックサークルも日課。運動という点では十分ではないでしょうか。なのに、返って膨らんできている気がしないでもない・・・この生活を続けていたら、また締まってくれることを祈念して、何よりも「腹減ったー!」と心から叫べるようになることを期待して、がんばってみます。

こういう感じの自分が、なんか好き。

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腹が減らない(前)

今週初めに妻に宣言してから、わりと順調にがんばれています。

1.健康のために、朝は何も食わない。
2.喉が渇けば、お茶を飲む。
2.昼は小さな弁当箱の手弁当(時々弁当屋の弁当で妥協)。
3.夕飯はヨシケイ(宅配食材)。
4.酒は1杯(種類は問わない。気が向かないと飲まない)。
5.間食はしない。
6.そして、午前零時までにさっさと就寝。

ん~この感じ、少しずつ思い出してきました。ほんの数年前まで普通だったこの生活もいつの間にかゆるんできて、もうあの日には戻れないぞ!と諦めていましたが、やってみたら意外にすぐに慣れるものです。

ただ・・・いまだにまともに腹が減りません。半日以上モノを食べないので、朝9~10時頃にお腹が鳴るし、夜中に腹が減って目覚めることもあるはずなのに・・・小腹は空きますが、「腹減った~」というあのへこたれる感覚になりきれません。長い歳月の中で、よっぽど溜め込んでしまったのでしょう。「どうせこのオヤジは、すぐにまた食べ始めるよ」とカラダが高をくくっているに違いありません。癪に障ります。(つづく)

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疲れています。

疲れがものすごくたまっているのがわかります。

そんなとき、「今週末は3連休!」だとしたら、あなたはどうしますか?

わたしは、基本、遊び呆けます。仕事で疲れがたまっているのであれ、単なる睡眠不足であれ、あるいは生活上のストレスが原因であれ、やるべき仕事がどれだけたまっていても一切せずに好きなように好きなことをします。たまたま昼寝をするかもしれませんが、「疲れているなら休む」という発想はありません。いつしかそれができるようになりました。

「疲れているならうろうろせずに家で静かにしているべきだ!」とよく云います。毎日疲れ果てている姿をしてるのに週末に街で遊んでいようものなら「あいつは仮病だ!なまけ病だ!」と云われ、いわゆる”新型うつ”の典型だと云われてしまいます。たしかに、わたしが産業医をしている企業の職員で、うつ病のために毎朝仕事に出てこれない男性が居ますが、彼は日ごろは家の中でじっとしているのに週末や連休があると「気分転換」と称して遠出をします。そしていつも最終日の夜に家に帰るスケジュールを組むので、「翌朝ちゃんと出勤できるように、せめて前日は昼過ぎには帰ってくるべきではないか!常識がなさすぎる!」と、わたしたちは陰で悪口を云っていました。

でも、自分の今の状態を考えたら・・・自分ならどうするでしょう? やっぱり、彼のように休みの最終日の夜まで遊び呆けているかもしれません。その方が疲れがとれるような気がするから。家でじっとしてればいるほどうつがひどくなるような気がするから・・・。だよなぁ。

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閃光暗点

あるとき突然、チカチカ光るものが見え始めその部分がはっきり見えなくなる発作が起きることがあります。右目や左目を交互に閉じてみてもチカチカは消えません。偏頭痛の前兆症状として有名なこの発作を『閃光暗点』と云います。

つい先日、午後の結果説明をしている最中にこの発作が出始め、文字が読めないために仕事にならなくなったことがあります。以前、バスケットボールの練習の最中や炎天下のゴルフの最中などに目の前の白黒が逆転して見えた経験はありますが、今回のようなネオンサインのようなダイヤモンド型のチカチカのために部分的にものが見えなくなった経験は初めてでしたので、驚きましたしとても不安になりました。

閃光暗点は、大脳のうしろの方にある視中枢での一時的な貧血発作のために起きる現象だと云われています。眼の奥の網膜のトラブルではないので目をつぶっても差がありませんし、大脳の貧血症状なので両目に現れます。一時的な酸素欠乏ですぐ戻るので後遺症はないのだそうです。

誘因はストレス。偏頭痛は若い女性に多く、40歳以上の男性に発生することは稀だとか。本人は不安かもしれないが、脳梗塞や脳出血などの心配はない、と云い切っています。でも・・・わたしのような中年男性にはめずらしい症状のようですし、ことは脳の一時的な血流低下なわけですが、本当に「疲れ」というくくりだけで大丈夫なのでしょうか。TIA(一過性脳虚血)発作のひとつなんてことは・・・?

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違うってば!

「早朝高血糖になるということは朝のインスリンが回復しきれていないということだから、結局は夕食です。夜遅くに食べないことと夜を軽くすることしかないと思います」と説明すると、

「もうずっと前から夜はコメは食べないようにしているんですよ。晩酌をするから」と、お決まりの返事。

「だーかーらー、単純明快に云えば、『(ごはんはどうでも良いから)晩酌とおかずを減らせ!』ていうことですよ!」と、半ば切れそうになって叫ぶ羽目になる。

だって、どれだけ主張しても、そのパターンだからこうなったのは明白。そもそもカラダがイヤだ!といっている核心に触れようとしない限り何も変わらないのに、アタマがそれをしたくないものだからいろいろ代替案を考えてくる。そんなので解決できるわけがないじゃない? 問題を起こしている当事者自身が、自分が苦労しなくてできそうなことを考えて主張するわけでしょ。そんな甘い理屈で解決するなら、今こんなことで悩むことにはならないはずよ。

そろそろ、あきらめな!

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無視する理由

「ほらワンちゃんよ。かわいーね!」とおかあさんは云うけど、まったく無視する子ども。「ほらほら」とさらに引っ張るけど、いやがってチャリに乗ろうとする。

かと思ったら、「あーワンワン!」「はー?」「ほら、ワンワン♪」「あ、はいはい、ほらこれ面白いよ」と小さな子どものワクワクを無視して話題を変えようとするおとうさん。

近くの公園をいつものようにワンズを連れて散歩しているといろんなヒトとすれ違います。うちのワンズは珍しい(ビアデッドコリー)ので必ず目を引きますから、絶対すべてのヒトの目の中に映っているはずです(「目が見えてなーい」「見えてるさ、そんなもん」「おっきー」「おまえの横のゴールデンの方がはるかに大きいさ」・・・いつもそんな独りツッコミをしながら公園内を闊歩しています)。

それでも無視する理由は大きく2つだと思っています。「興味がない」か「あえて無視したい」かです。あんな大きな犬、見えてないわけないんです。でも、見えていても興味がなければアタマに到達しません。わたしには理解できないけれど、それはある、ということを身近な人間を通して確認しています。冒頭の例の後者です。一方、わかっていてあえて無視する場合。「見なかったことにしたい」・・・冒頭の子どもさんの場合は明白です。怖いから、観なかったことにしたいんです。おかあさん、そこのところを慮ってあげてください。

ただ・・・ワンズの散歩をしながらこんなことを考えていたときに気づいたのは、全てがご両親の育ってきた環境なんだろうな、ということ。子どもの頃から、犬に限らずいつも優しい生き物たちに触れてきた親ごさんは、必ず犬をみつけたら反応します。猫好きでも反応します。でも、子どものころにひどい目にあったか犬を怖がった親御さんに育てられた場合は、無視するか子どもを守るように大げさに避けていきます。とすると、冒頭の後者の若いおとうさんの反応・・・「生き物は嫌い!」なのかそれとも可愛い娘に向かって「犬なんかに負けたくない」だったのか?

歩きながら人間模様を観察するのは、意外に面白いものです。

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忙しければ・・・

いけませんね。

「忙しければしょうがないのか?」

このメモを後生大事に数日間持って歩きました。ここに書く記事のネタです(のはず)。でも、何の意味か思い出せません。どうしても思い出せないので、ネタとして使うことを断念しました。最近はこういうことが多いのでできるだけ長めにメモることにしているのですが、忙しい診療の合間だとこの程度のことばになるし(少なくとも翌日くらいまではこれをみても何のことかストーリーが思い描けていたから安心してしまうんです)、あるいは大急ぎで長く書いたはいいが、殴り書き過ぎてどう想像しても何と書いてあるのか読めないことがしばしば。

まあ、情けないけどそういうことです。また、どっかで思い出したら「忙しければしょうがないのか?」で、書きます(笑)

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向こうからやってくる

きのうは月一回の土曜勉強会があり、先日の人間ドックアドバイザー研修会で東京医大の井上雄一先生が話された「睡眠と生活習慣病」についてと、人間ドック学会のランチョンセミナーで聖隷浜松病院の尾花明先生が話された「ブルーハザード」にブルーライト研究会HPの情報も含めてレクチャーすることにしました。いずれもわたしが今年の研修会や学会で見聞きしてきた内容ですが、まだ一度も他人にレクチャーしたことのない内容だったのでうまく伝わったかちょっと心配です(ちなみに、ブルーライトハザードについては、時間の都合で11月分に延期)。

「糖化ストレス」の話題にしても今回の「生体リズム」や「青色光障害」のことにしても、ほんの1~2年前にはほとんど一般の目に触れることのなかった内容です。今でも多くの方はあまり気に留めていない内容かもしれません。だから、予防医療関連の学会に出席していても、こういう分野はまだマニアックな領域としての感覚が強いようであまり聴衆が多い印象がありませんが、おそらく近い将来には(少なくとも予防医療の世界では)常識になるだろうと感じています。

なぜ、わたしがこういう分野の内容に興味を示すかというと、別にわたしから意図的に探しに行ってないのにあっちから勝手にわたしにアプローチをかけてくるからです。1回や2回ではなく、何度もわたしのところに話題が集まってくるのです。初めは気にも留めなかった異性が何度も挨拶してくれると妙に気になり始めるのと同じように、何度も同じ単語がわたしの前を通り過ぎるようになったからちょっと詳しく調べてみたりするようになるのです。わたしは、意外とそういう形の情報が好きです。だから世間で常識!と思われていることをあまり知らないかわりに、医療現場のスタッフがあまり聞いたことがないという話題に妙に詳しかったりします。自ずと変わり者扱いされるようになる所以です。まあそれはそれで面白いものです。

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高血圧の精査指示

最近は、企業の健康管理が大変きびしくなってきました。大手企業になればなるほど、従業員の健診結果に対する評価は事細かくチェックされてきていますので、以前のように健診はとりあえず受けてさえおけば結果が悪くても大丈夫、とか、精密検査の指示書や紹介状はそのままほったらかしていてもあまりとやかく云われないとかいう時代ではなくなりました。重要なことです、というより当たり前のこと(それが健診の目的なのですから)です。

ただ、そのとばっちりは産業医にやってきます。先日の勤務日には、コントロール不良のために専門医受診の指示を受けた40歳の若い女性の面談をさせられました。相談室に入ってくるなり不機嫌そうにしていました。「専門医宛の手紙をもらっていると思うのですが、受診されましたか?」と聞くと、「いいえ」との返事。「友人知人と相談しましたが、薬をできるだけ飲みたくないので、まずはダイエットしてみてから受診は考えようということに決めたので」と。「いや、会社はそれでは認めないみたいです。早々に専門医療機関を受診して治療するなり検査するなりして方針を決めてもらった上で、産業医が就業制限を加えるかどうかの判定を下さないといけないのです。それも1カ月以内に」・・・明らかに不愉快そうな表情に変わっていくのを認めたために口調がしどろもどろになりながらも、なんとかそう説明しました。

「去年も似たような数字のように思えるのですが、今回の方が悪くなっているということですか?」「いいえ、ほとんど去年と同じです。むしろ去年の段階で専門医受診をするように強く働き掛けないといけなかった状態です。それを野放しにするな!と本社からお叱りを受けた、ということですね」・・・少しずつ落ち着きを取り戻しながらそうお答えしました。

この若さで、日ごろから拡張期血圧が100mmHg近くあるこの女性の場合、若年性高血圧の家族歴もありますし、二次性高血圧の可能性はないわけではありませんが、おそらく薬剤管理が必要になるのではないかと思います。あるいは、今のストレスフルな仕事を辞めるか・・・後者の方が効果があるかもしれません。

あとはこれで病院から「とりあえず食事療法で経過観察して1年後の健診で確認」などという無責任な返信が返ってこないことだけを祈ります。就業許可を出して何かあったときの責任を取らされるのは精査した病院じゃなくて、産業医なんですから。

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「折り合い」

定期の投稿コラムの2013年秋号が発行されました。そろそろこの連載も終わりにしてもらいたいなあ、と思い始めた今日この頃です。

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「折り合い」

一年に二回、私がドキドキする日があります。夏スーツを着始める日と冬スーツを着始める日です。日ごろスーツを着る生活を送ってない私がそれを着るのは年に何回かの講演の時と学会の時と公式のパーティなどの時だけなのですが、お腹が日々成長しているので久々に着るズボンが入るかどうか微妙なのです。何も食べていなくてこのお腹のキツさ・・・これで昼飯食ったら絶対入らなくなるでしょ!と必死に腹を引っ込めながら自己嫌悪気味に朝出勤するのですが・・・驚くなかれ、着ているうちに何となく折り合いがついてきます。なぜだかよくわかりません。確実に成長を遂げたわたしのお腹の脂肪と久しぶりの出番で張り切っているズボンの生地とが、最初は決まった位置関係を主張してギスギスしているのですが、擦れ合っているうちに微妙に位置調整をしたり、脂肪のシフトを試みたり、あるいは繊維を目いっぱい広げたりして、職場に着くころには何となくしっくりきて、不思議と何とかなります。

社会生活においても同じようなことはよくあります。この人とは絶対合わない!一緒に仕事をするなんて絶対無理!と思っていた人とも、付き合っていくうちに互いに何となく折り合いがつく。傍から見ても絶対無理だろうと思っていた二人が普通に仕事の成果をあげていくとか、一緒にサークルの意見をまとめていくとかいう光景・・・これは各々が自己主張をしている限りは絶対に起こりえず、お互いがお互いを認めた上で妥協し合うプロセスが必要です。ただ、それは自分に余裕がないとできません。私がまだ若くて尖がっていた頃、「折り合い」という言葉は堕落の象徴だと信じていました。「自分の方が絶対に正しいのだから、相手がそれを認めない限り解決などありえない!」と息巻いていましたが、今思えば、当時の私は心も身体もまったく余裕がなかったわけで、折り合いがつかないのは当たり前のことだったのかもしれません。誰かと何かをしようとする時、意見が合わずにギスギスした関係になることがありますが、そんな時は、相手の心がとても弱っていて疲れている時なのだと慮ってあげてください。折り合いをつけるのに重要なことは、相手を慮ってわかろうとすること。相手をわかろうとすると、相手も自分のことをわかろうとしてくれるようになります。無理して妥協し合わなくてもいいですが、お互いの心に余裕が生まれてくると、自然と良い関係が生じてきます。

もっとも、そんな折り合いの心地よい関係にも限界はあります。私の場合は、身体をもう少し絞るかスーツを新調するか、どちらかが急務のようです。

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肉体労働はエクササイズか?

MTProの2013.10.4号に「エクササイズとは異なる!?肉体労働による高血圧リスクを検討」という記事が載っていました。中国の山東大学Pengcheng Huai氏らによるメタ解析の報告です。

これによると結局、エクササイズのように趣味や余暇としての身体活動は運動強度が高くなるほど高血圧のリスクが減少するのに対して、力仕事や長時間の立ち仕事などの肉体労働による身体活動の場合は高血圧リスクとの有意な相関関係はなかったそうです。

まあ、意外だとも想像通りだとも云える結果だったのですが・・・エネルギー消費と云う点では就労としての身体活動でも効果はあると思うのです。ただそれが仕事として心身ともにストレスをかける形になれば血圧は上がることはあれ下がることはあるまいし、楽しむ運動とは比較にならないだろうことは容易に想像できます。でも、もしかすると、肉体労働の方は労働の後にコッテリな食材をガンガン食っているから効果が相殺されてしまったということはないのでしょうか。また、”健康運動”と称して、やりたくもないウォーキングや筋トレを無理やりやらされても降圧効果は十分あるのでしょうか。そういうところに言及した研究を読んでみたい気がします。

一方、「肉体労働」といえばすぐに浮かぶのは無酸素運動・・・グッと短時間に力を込めて働くときにはかなり高血圧になっているのではないかと推測されますが、今回の結果(「高血圧リスクとの有意な関連は確認されなかった」)からすると、「肉体労働は高血圧を悪化させない」という結論を得たと考えてもいいものなのでしょうか。

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やせませんね

友人から、劇的なダイエットが実現できるというハーブ系のダイエットコーヒーを勧められて、通販購入を始めました。ダイエットのためには大量に飲まないといけないらしく、毎月の定期購入手続きをしまして夫婦で飲んでいます。日ごろからコーヒーを飲む習慣ではないので大変でしたが、水筒にまとめて入れてもらって職場でおいしくいただいています。

ただ・・・一向にやせません。嬉々として紹介してくれた友人も最初に3kgやせたようですがそのまま停滞期に入っているそうです。わたしたち夫婦は、初めからまったくやせません。「あとは何もしなくてもいい。これさえ飲めばきれいにやせられる」が謳い文句のアメリカからやってきたコーヒーですが、どうもこれだけではやせないのではないかな、と思います。なぜなら、これを飲むようになって、とても食欲が増してきたからです。日ごろ食べなかったものまで食べたくなっておいしくいただいてしまう。だから・・・実は、やせるどころか、夫婦ともに太ってしまいました。まあ、健康的になったという点では、いい成分なのでしょう。

「何もしないで、これだけでやせた」という本や武勇伝はたくさん聞きますが、「何もしないでやせる」なんてことは絶対にありえない、と思います。もしそんな商品があるなら、ホルモン剤か薬物かです。健診のときにも1年前より5kgくらい減っているのに「どうしてでしょう。とくに何もしていないのに」と云うヒトがいます。でも、何もしていないことなんか絶対にありません。ただ意識していないだけです。ちょっと夕食の食卓に並べる量が少なくなったとか、食べる時刻が早くなったとか、日課の犬の散歩が若干早足になったとか・・・。世間の「何たらダイエット」と銘打たれている有名なダイエット法も、きちんとその本を読んでみると、後半に「一緒に注意すること」という項目が必ずあります。芝居やドラマは主役ばかりではできあがらず、必ず名脇役が味を出しているから名作になるのだ、ということ、忘れてはなりませんね。

さて、このコーヒーとレッグマジックサークルに何を加えましょうか。やっぱり酒・・・この聖域に手を出さないとダメですか、神様。

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乳がんとアクティブライフ

保健指導リソースガイドの情報の中でもうひとつ気になったのが、「乳がん予防に効果的な運動 乳がんリスクを下げる方法(2013/10/4)」というものです。「乳がんの4分の1は、運動を習慣として行い、適正な体重を維持することで、予防が可能です。すべての年齢の女性にとって、運動や体重コントロールがもたらす恩恵は大きいのです」という、米ワシントン大学フレッドハッチンソンがん研究センターのアン マクティアナン教授の言葉を引用し、生活スタイルをアクティブに変えることが、乳がんの予防につながることを強調していました。

今月はピンクリボン月間です。女優アンジェリナジョリーさんが遺伝性乳がん(BRCA1異常)のために予防切除術を選んだことはセンセーショナルでしたが、この遺伝子検査による遺伝子変異の有無が人生のすべてを決めるような錯覚に陥っては本末転倒だと思います。前出のマクティアナン教授によると「90~95%の女性では、遺伝以外の環境因子が主に関与しています。つまり、乳がんの発症しやすさに影響する生活スタイルを改善していくことで、乳がんの発症リスクを下げることができる」のだそうですから。

女性ホルモンであるエストロゲンが乳がん増殖の誘因になることから、特に閉経以降の肥満や過体重は発症リスクを高めることは有名です。だから太らないようにすることを勧められます。あるいは、インスリン抵抗性にともなう高インスリン血症ががん細胞増殖を促す働きがあるので、そのためにもアクティブライフを勧めることになっているのでしょう。まあ、くどいようですが「人間には運動欲がありません」から、身体活動を意図的に続けない限り病気をもたらす、というのは、神様が仕組み給うた試練なのかもしれません。でも、乳がんは肥満者にだけ起きるものでもありませんし、忙しく動き回るヒトにも起きます・・・。

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ジャンクフードとうつ病

先日、保健指導リソースガイドから「 ジャンクフードはうつ病リスクを高める 健康的な食事で対策(2013/9/26)」という情報が送信されてきました。

「ハンバーガーやドーナツなど高カロリー・高脂肪の食品を食べすぎると、肥満や生活習慣病を発症しやすくなるだけでなく、メンタルヘルスの面でもうつ病が増えるなど悪影響が大きいことが明らかになった。」というもので、東フィンランド大学が行った2つの研究(クオピオ心臓病危険因子研究とフィンランド糖尿病予防研究)の報告です。「健康的な食事や運動によって、うつ病を予防できる可能性があることを、多くの研究者が指摘しています。今回の研究はそれを裏付けるものです」と、東フィンランド大学のアヌールースネン氏(栄養学)は言う、と書かれていまして、つまり加工肉や糖分の多い清涼飲料を大量に摂取する中高年男性がうつ病になりやすかったことと、野菜や果物の中に含まれる葉酸を多く摂る人はうつ病リスク減少につながっている、とのことです。

良くわかるんですけど、ただどうなんでしょう。何の因子もない人がただ意図的にハンバーガーとコーラをガバガバ食っていたら、生活習慣病になるだけでなくうつ病にもなりますよ、という結論でいいのでしょうか。うつ病になった人が、食事のことなどに頓着する気になれずに不規則な生活の中でジャンクフードだけ食うようになったということはないのでしょうか?うつ病を予防する食材を日ごろから取っていたら予防できるとか、あるいはうつ病の人に健康的な食事摂取をするように介入したらうつ病が改善できた、というのは、つまり食事管理や生活管理に目を向けさせる作業自体が効果をもたらした、ということに過ぎないのではないか、という気がするのですがどうでしょう。毎日料理を作るのが大好き!という人に深刻なうつ病はいないでしょう。ジャンクフードが脳を侵してホルモン活性の異常をもたらすのかもしれないとは思いますが・・・これの白黒をつける方法は、治療薬を葉酸サプリに換えて大量に飲ませたらどうなるかとか、世の中からハンバーガーとコーラを全部消し去ったときにうつ病が減るかどうかでしか判定できないような気がします。だれかやってみてくれて、全然OKですけど・・・ハンバーガー依存症とコーラ中毒の人たちに禁断症状が出たりして・・・。

さらりと書いてますけど、ジャンクフードを食う「中高年男性」が対象って・・・そもそも普通の生活者じゃない気がします。

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キャパ

「グラフの年次推移が頭打ちのところがあってですね、そこに『キャパの限界』って書いてあったんですよ。あれ、良いんですかね?」

先日、職場の学会予演会(学会本番の前に職場でやるリハーサル)で、ある事務スタッフが発表したスライドのことについて、それを見ていた若いドクターが後でわたしに聞いてきました(わたしは所用でその場に居合わせていなかったのです)。

「いや、ダメでしょ。そんな単語を正式な学会スライドに入れたら」と即答してはみたものの、病院中の事務スタッフのチェックの目を通ってきて、誰もそれを気に留めなかった、そのことに大きなショックを受けました。話し言葉と書き言葉の違いではありますが、単なるプライベートの勉強会と正式な全国学会とを混同してはいけないと思います。この場合、口頭で「キャパが限界に達したために最近は横ばいの実績です」と説明するにしても、スライドの文字は、「キャパ」ではなくて「受け入れ許容数」とか「キャパシティ」とか、正式な単語を書き入れるべきです。

でも最近、そういうのをよく見かけるようになりました。もしかしてこれは、わたしの考え方の方が古いのでしょうか。

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体脂肪率

この度、うちの施設の体脂肪率計が新しいものに更新されるのですが、どうもその測り方は変わるらしいのです。体重計の大手企業から発売される新しい体重計についている体脂肪率計は、体組成分析の仕方がDXA法(二重X線吸収法)とかいうのに変わるらしく、それによって判定表も以前のものとは大きく変わりました。よりWHO基準に近くなったのだと会社の方は強調されています。特に女性の判定がかなり甘くなります。「軽度肥満」が30%以上、「肥満」が35%以上だったものが、各々35%以上、40%以上(40歳未満の場合)になるなどです。

いつの間にか肥満が罪に扱われ、その踏絵のような役目を「体脂肪率」が担わされてきたことを考えると、この機会にその基準が見直されたのは大変いいことだと思います。もともと「体脂肪率」というのは筋肉と骨以外の占める割合を電気抵抗や重さなどで大雑把に推測した値に過ぎず、メタボ基準の内臓脂肪と皮下脂肪を区別してくれているわけでもなく、また測定機器や測り方によって全く違う値を出すものなわけで、存在価値がほとんどない!と云っても過言ではありません。以前、栄養失調者が多かったころに脂肪の占める割合が増えたかどうか確認したりするのには意味があったかもしれません。あるいは、体脂肪数パーセントのトップアスリートにとっては、この数値は死活問題になるのかもしれませんが、その他の一般市民にはどうでもいい数値。なのに、世のダイエット番組や通販番組を見ていると、この値こそが効果を表す最高の指標であるかのようなもてはやし方をしています。

だから、うちの施設では、この機会に「体脂肪率」を評価判定の区分から外そう、という意見が大半です。なら、もういっそのこと測らなければいいのでは?まあ、それがあんまりなら、測ってもいいけど報告書に表示しなくてもいいのでは? という気がいたします。こうやって、教育することも、わたしたちの重要な使命のような気がしてなりませんが、世間の皆さんの抵抗も思いの外強いでしょうなあ。

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疲れていますか?

先日、ある保健師さんが人間ドックを受けに来てくれました。熊本市に合併された周辺の町役場の保健師さんとして最初にお会いしてから、もう彼女とは長いお付き合いになります。

「あら?」と思いました。もちろん口には出しませんが、「歳取ったなあ」と思いました。数年前、最初にお会いした時にはとてもさわやかな笑顔がステキな女性でした。でも、いつの頃からか、お会いするたびに額のシワが増えてどこか表情がくすんで見えるようになりました。ちょうど合併が本決まりになってバタバタしているころでした。疲れているんだろうな、と思いました。それが、今回、一層進んでしまった気がしました。今の仕事が以前よりはるかに忙しくてストレスフルなのだろうことは、彼女の顔を見れば容易に想像できました。

むかしが年齢より若かっただけで、今が年齢相応なのかもしれませんが、でもせっかくのあのステキな笑顔が・・・と思うと勿体なくてたまりません。仕事って、何なんだろう?「遣り甲斐」は必ずしも人生を豊かにはしないのかもしれない・・・そんな思いが湧いてきました。とても仕事に厳しくていつも額にシワを寄せていた女性が、定年退職した後にとても穏やかでやさしい顔に変わることがありますが、そんな姿をみると、彼女にとってやり遂げた感のあるであろう現役時代の仕事は本当に彼女に合っていたのだろうか?と考えずにはおれません。

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無意識

「無意識にエレベーターに乗っていた」なんてことは、ありえん。

いつからそんな感覚になったのでしょう。先日、うちの職場の若いスタッフが「考え事していたら無意識にエレベーターに乗っていてびっくりしました」と云ったのを聞きながら、ありえない!と思いました。たしかに、二階に行くのにわざわざ回り道してエレベーターホールで箱が着くのをじっと待っている人が居ますが、不思議でなりません。その距離を歩くなら、そのまま目の前の階段を上った方が明らかに早かったりするからです。わたしは、仕事場でもプライベートでも、キャリーケースでも引っ張っていない限り、エレベーター乗り場に向かう発想はありません。何か考え事をしていると無意識に非常階段を上っているからです。

何が違うのだろう、と思うのですが、おそらくそれは習慣です。「上の階に行くのにエレベーターかエスカレーターがあるならそれを使うべきだ」、あるいは、「階段は未開の道具。エレベータこそ文化的」などと子どものころから親御さんから教育されてきたヒトは、階段なんて非常時かストイックな健康オタクのアイテムだと思っているから、やむを得ない状況以外で選択すべきものではないと思っているのでしょう。わたしにはそこに階段があるのに赤の他人同士が至近距離内に詰め込まれる空間内に自ら入ろうとする感覚の方が不思議でなりません。むかしは階段は疲れると思いこんでいましたが、他人に気を遣わないだけ歩く方が楽だとも思うようになりました。

「常識」は習慣です。何が良いとか悪いとかいう問題ではなく、子どものころから、どんなことを常識として教育されるか、それはその後の日常の行動に大きく影響を与えますよね。

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肌つや

この季節、番組編成の谷間のために、テレビでは毎日特別番組ばかりです。

音楽のランキング番組では往年のアイドル歌手が若かりしころのヒット曲を歌ってくれたりします。さすがにずっと第一線で歌ってきてるだけあって、往年のスレンダーなスタイルを維持し歌声にもまだまだ張りがあります。「さすがだなあ」と思いながら、ふとアップになった顔を見たとき、「あれ?」と思いました。地デジの鮮明な画像は顔のしわや顔色を細やかに映し出してくれますが、どうもそれが年齢よりはるかに進んで見えたからです。「顔色が褪せている」「肌に張りがない」・・・歳を取ったと云えばそうなのかもしれませんが、何かそんなものとは違うもの・・・彼女の歌う姿を見ながら、わたしと妻は、奇しくも同時に同じことを口にしました。

「この色つやは・・・タバコだね、きっと」・・・それはまさしくスモーカーの肌。タバコを長い間吸っているひとの肌は男女を問わず明らかに違ってきます。彼女はきっと若いころからのスモーカーなのだろうと思います。姿かたちや歌声は昔のままで「若いなあ」と思えるのに、化粧を厚く塗りたくってもごまかしきれない肌つや。

なんか、すごく残念です。

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オトナになると聞こえなくなる?

我が家のお隣さんにはチワワのチップくん(”ちゃん”かな)が居ます。うちが庭に出てきたことに気づくと甲高い声でずっと吠えてくれます。かなりうるさいのですぐに庭に追い出されますが、構うことなく我が家との境目の金網にへばりついて吠え続けるのが、いまだに彼の日課です。

ところが、それにいつも呼応して同じように金網のこっち側にへばりついて相手をしていた我が家のワン(セイラ)が、ある日から突然まったくチップくんを相手にしなくなりました。興味がないとかケンカしたとかではなくて、まったく気づかなくなった感じです。ずっと甲高く吠えているのに、チラリとも見ることなく、反対側の道を通る車にばかり意識が行っています。無視しているのかと思いきや、道で散歩中にすれ違うと昔と同じようにとびかかっていこうとします。

もしや、子どものころに聞こえていたのにオトナになったら突然聞こえなくなる周波数があって、セイラには本当にチップくんの声が聞こえないのではないか?という気がしてきました。いや、相手はイヌです。耳に音は聞こえないとしても、波動は感じられるはずじゃないのか?という思いがないわけではありませんが、たしか人間にも、若いヒトが聞こえるけど中年以降のヒトには聞こえなくなる音があると聞きます。

あまりに急で極端な変化・・・オトナになったら機能がなくなるって、何か寂しい気がしますけど、そうすることで必要のない情報を整理することができる(=雑音と区別できる)ようになるのかもしれません。セイちゃんも知らない間に大人になったんだろか。

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いつまでたっても

診察を終えて、受診者さんを導いて診察室の前に出ると、まだたくさんの受診ボードが山積み・・・いくらやってもやっても、減るどころか油断すると返って増えていったりする。普通の外来の診療でも同じ光景・・・やってもやっても積み上げられていくカルテはちっとも減らないで、ため息しか出てこない。でも、一番堪えるのは、待合の椅子で待っている受診者さんや患者さんが不機嫌そうに居眠りしていたりこれ見よがしのため息をつかれたりするときです。

でも、冷静に考えたら、診察をやって次をやってその次をやって、ずっと同じことをしているようだけれど相手はどんどん入れ替わっているのであって、作業は確実に前に進んでいるのです。単純作業のようで、これはとても大事なこと。「診察をどれだけやっても自分のキャリアに何の得もないから、健診の診察担当はしたくない」と云い放った医者がいましたが、決してそんなことはないと思う。少なくとも毎日毎日100人も150人も読影し続ける胸部レントゲン写真だったら実感が湧くでしょう。毎日同じような写真を、ほとんど異常のない写真を半年で3000枚以上読影してきました。これを「同じことしかやってないから時間の浪費だった」などとは思わない。確実に半年前とは違う自分・・・普通、それなりに自信ができているはずです。これがキャリア。

毎日が同じことであっても、きちんと毎日を同じのまま続けていけば、いつの間にか同じものではなくなっている自分に気づくことを祈念して、今日もがんばりましょう!

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治験コーディネーター

うちの病院には治験コーディネーターさんが何人かいます。今は、治験(製品になる前の薬品の効果や安全性を確認するために実際に患者さんに使ってもらう作業)は医者が直接コーディネートせずに、コーディネーターさんが全ての段取りを立ててくれるのでとても楽です。でも先日、わたしは今うちで行っている治験の担当医リストから外してもらうように治験責任医師に直訴しました。治験コーディネーターのMとこれ以上顔を合わせていたら、自分が壊れると思ったからです。

分かりました。彼らにとって、患者さんは「治験対象者」であり、カルテは「治験用必要書類」でしかないのだということ。きっと彼はコーディネーターの中でもかなり優秀なのだろうことは彼の自信に満ち溢れた態度を見たら想像できました。でも・・・最後は彼の声を聞くだけで、あるいは遠くで彼の姿を見るだけで、自分の血圧が跳ね上がるのが分かるくらいになってしまいました。「ちょっと下痢をしたみたいなのですが、話を聞くとくすりとの関連は低そうでした。だからカルテには『問題なし』とだけ書いておけば大丈夫です」・・・彼は、簡単に云ってのけました。「実はビリルビンが2.0まで上がったのですが、これは治験薬のせいではなくて一緒に投与したマグコロールではないかと推測されました。今日の採血でももう正常化していますから、『因果関係なし』とだけ書いておけば大丈夫です」とも。

「『大丈夫』って何が?」・・・思わず聞き返しました。「カルテに書かなくても問題ないみたいです」・・・彼は涼しい顔でそう即答。「何で大丈夫なの?」とカチンと来て言い返したら、「何云ってるの、この素人医者は?」と云いた気にため息・・・ダメです、もうこれ以上は。

カルテは治験のためにあるのではなく、患者さんのカラダの記録です。治験薬の影響だろうがなかろうが、「途中で下痢をした」わけです。治験薬と関係なくても、「ビリルビンが微増した」のであって、それがマグコロールの影響なら、尚のこと次にこれを使うときには注意が必要なのでないのか?・・・患者を思う良識のある医者ならだれでも思うことです。それを治験に関係ないから、治験のために記録の義務はないから、という理由で「書かなくても大丈夫です」と言い切る感覚が、わたしには全く理解できない。

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解説者(後)

(つづき)

それが、中学時代にがんばったバスケットボールだからそう思うのではなく、文化を広げる大使のような立場の人間が、どの分野においても日本には育ってこないのが寂しいのです。そして、呼ぶ側にしても、解説者を選択する時点で、この程度のヒトを呼んでおけば何とかなるだろう(地元出身だし)みたいな選び方をしており、明らかに運動素人が担当していることが見て取れるのもまた悲しかったところです。

解説者というのは、深くて長い経験があったり、しっかりと本を読んで勉強したり、あるいは現地の取材をみっちりやることは当然重要ではありますが、それだけでは価値がないと思います。そこにあるべきは自分のその競技に対するポリシーであり、自分の言動を通して聴衆に何を伝えたいのか、自分のことばで皆が将来どうなってくれるのが理想なのか、というビジョンを明確に持っていないときっと何も伝わりません。聴いている側も単なる小遣い稼ぎにしか思えず、返ってジャマに感じることでしょう。

これまた自分の仕事に投影させるわけです。周りを「前向きにさせる」というのは、とても大変なのです。だから先日書いた「ニュースキャスター」同様、今回の感想はそのまま自分たちの仕事にもつながってしまいます。単に目の前に並んだ健診結果を淡々と説明し、受診者の質問に懇切ていねいにお答えできる健診医や保健師がすばらしいのか?と考えたとき、やはりそこに何らかのポリシーとメッセージが入っていないと、健診を受けた人にとってあまりココロに残る結果には結びつかないのではないか、と思っています。それを「はいはい、わかりました。鬱陶しいオヤジやな・・・」と思われない程度に、これからもがんばって行こうかなと思っている次第です。

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解説者(前)

日本のスポーツ番組で「解説者」の歴史が始まったのは何からなのでしょう。大相撲?高校野球?プロ野球?・・・どれかだと思いますが、どれをとっても言えることは、基本が戒律的だということでしょう。「これじゃいけません」「あそこはこうすべきでした」・・・精神論のスポーツの歴史の中で、必ずしも一流選手=名解説者ではない(むしろ逆)でありながら、上から目線な上に批判が大原則のように思えます。何でこんなことを書いたかと言うと、先週末のNBL開幕戦<熊本vs和歌山>の解説者Oさん(地元出身)の言い方が不愉快で、アナウンサーが気を遣ってタジタジになっているのを見ながら、観るに堪えられずにゴルフ番組に換えてしまったのです。

「これは最悪の試合ですね」「ほら、ダメなんですよこれじゃ!」「もう最悪ですよ」・・・言ってることは分かるんです。日本に来て間もないアメリカ選手が一人で持って一人でシュートするからリズムが出来ていないこと。それ自体はマネージメントがなってないとは思うのです。でも初めて出来上がった地元プロチームに対して、言い方は違うよなと思う。「あそこを少し変えてあげたら良くなると思いますから修正に期待しましょう」「これからですから、地元の子どもたちにために1点でも多く返せるように頑張ってほしいですね」・・・言い方はいろいろある。チームのヘッドコーチじゃないのだから、地元プロバスケ誕生の初試合で、バスケ好きもバスケ知らずも見ているということと、専門知識を話してもらいたくて呼んだのではない(選手たちのために来ているのではない)ということ、つまり、たくさんの人にプロバスケットの世界を楽しみにしてもらえるように分かりやすく教えてもらうために来ているということ、解説者は「ゲスト」ではなく「広報活動のチーフ」であるといことを自負して、「スポーツ界に精通していてその世界をそれなりに極めていたら誰でもできる」というものではないことをもう少しちゃんと勉強してほしいと思いました。     (つづく)

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やればできるうちが花

人間ドックを受けるに当たって、

●受診前に超ストイックな生活を行なって、検査結果が正常になるように頑張るヒト。
●日ごろの評価だからと、むしろ日ごろ以上に不摂生負荷してみるヒト。

の2種類の方がおります(大部分の方は、それ以外=「いつもどおり」なのですが)。

前者の場合、コレステロール値や尿酸値に対してはあまり奏功しませんが、糖代謝や中性脂肪や肝機能の値にはてきめんに成果が出るはずですから、結果がよかったとすると、「やったからよい結果だったのだから日頃からそれを続けなければダメですよ!」などといけずなアドバイスをもらって帰ることになるのでしょう。でもまあ、やればデータは改善するということは、異常があってもあまり重篤ではない、という証にはなりますから、そう厳しいことを云わなくてもいいんじゃないの?と思わないでもありません。ただし、そんなことをやっても改善しなくなってから節制すればいいわ、などと悠長なことを考えていてはいけません。そうなったときはもう元には戻りません。それから慌てても無理なモノは無理であります。そこのところは覚悟が要ります。特にストイックになったり緩んだりを繰り返すうちにカラダはどんどん壊れていきますから・・・。

一方、後者の場合も、結果がよいときには同じことが云えます。優秀な部下を持って幸せ者です(でも優秀な部下ほど突然倒れますのでご用心)。ただ、結果が悪かったときに、健診の臨み方が悪かったせいだ、と言い訳だけはしませんように。大の大人なのだから、素直に反省いたしましょう。

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マンネリ

3ヶ月ごとにコラムを掲載している機関誌の担当者と施設の課長さんが、今年度分の原稿料を持ってごあいさつに来られました。

特別な新規契約書のサイン捺印をするわけでもなく、なんとなくなあなあで「今後ともよろしくお願いします」のことばに濁されながら、コラムの連載の継続を頼まれたわけですが・・・。そろそろ書き手を代えてもらった方が良いのじゃないでしょうか。

新しい人を探すのも面倒だろうし、新しい人に依頼するのも面倒だろうことはわかっているけれど、文章というものは長く続けると必ずマンネリ化します。同じ考え方のヒトが、しかも書くことを生業としているわけではないヒトが書いていると、たとえ切り口を変えて書いていっても必ずむかしの内容と重なってきます。文調も同じなので、読む側としてもだんだん慣れてきます。最初は面白がって発行を楽しみにしてくれる人たちも、徐々に感動がうすれてしまうのが必定です。アイドルの歌にしても、バラエティ番組にしても、だから同じことが飽きられていくのです。読む側もそろそろ違う味の文章を求めるころではないでしょうか?

「だから、ちょっとマジメに後任のヒトを探してくださいよ!」・・・別れ際に強く云ってみましたが、はっはっはと笑ってごまかされました。甘く見てると、わたし、ホントにボイコットしちゃうよ!

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わたしの目は節穴なり

人間ドックの胸部レントゲンの一次読影をやっています。呼吸器内科の専門医ではないので、小さな所見の判定はできませんが、健診医として、異常の有無を見つけ出すくらいはできなければと思ってがんばっています。

二次読影が終わった時点で(レントゲン検査などの読影は各々が別々に読んで結果が一致するかどうかが大事です)判定の違いをチェックし、わたしの判定が「異常なし」なのに他の先生が「異常所見あり」と指摘されているものをもう一度見直してみます。大部分は小さな所見で読んでも読まなくてもいいような正常範囲内の変化なのですが、「左下肺野に大きな線状陰影」とか「右上肺野に結節陰影」とか書かれていると愕然とします。慌てて見直してみると確かに誰でも見つけられそうなでっかい陰影!「あれーっ、さっきこんな影が本当にあったか?」などと一人叫んでみるものの、これは明らかな見落としです。

基本的にはわたしが未熟だからなのですが、健診の現場は、一日に100件も200件もの写真を短時間で評価しなければならないわけで、どんなプロでも見落としは起きます。基本はセンスであり経験値ですが、それでも数が増えれば増えるほど見落としも増えるのは当たり前。だから、どの施設でもダブルチェック、トリプルチェックをしていくわけです。読影者が多ければ多いほど読影者自身のストレスは減らすことができますが、現実には大学でもない限りきちんと読影できる医者がそんなに余っているはずがありません。仕事を掛け持ちしながら最低限ギリギリの人数の中で、見落としのないように、毎日毎日ストレスを蓄積させて身を削りながらみんながんばっているのであります。早く、こんな初歩的なミスをゼロにできるように、わたしもがんばります。

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