« 肉体労働はエクササイズか? | トップページ | 高血圧の精査指示 »

「折り合い」

定期の投稿コラムの2013年秋号が発行されました。そろそろこの連載も終わりにしてもらいたいなあ、と思い始めた今日この頃です。

*******************

「折り合い」

一年に二回、私がドキドキする日があります。夏スーツを着始める日と冬スーツを着始める日です。日ごろスーツを着る生活を送ってない私がそれを着るのは年に何回かの講演の時と学会の時と公式のパーティなどの時だけなのですが、お腹が日々成長しているので久々に着るズボンが入るかどうか微妙なのです。何も食べていなくてこのお腹のキツさ・・・これで昼飯食ったら絶対入らなくなるでしょ!と必死に腹を引っ込めながら自己嫌悪気味に朝出勤するのですが・・・驚くなかれ、着ているうちに何となく折り合いがついてきます。なぜだかよくわかりません。確実に成長を遂げたわたしのお腹の脂肪と久しぶりの出番で張り切っているズボンの生地とが、最初は決まった位置関係を主張してギスギスしているのですが、擦れ合っているうちに微妙に位置調整をしたり、脂肪のシフトを試みたり、あるいは繊維を目いっぱい広げたりして、職場に着くころには何となくしっくりきて、不思議と何とかなります。

社会生活においても同じようなことはよくあります。この人とは絶対合わない!一緒に仕事をするなんて絶対無理!と思っていた人とも、付き合っていくうちに互いに何となく折り合いがつく。傍から見ても絶対無理だろうと思っていた二人が普通に仕事の成果をあげていくとか、一緒にサークルの意見をまとめていくとかいう光景・・・これは各々が自己主張をしている限りは絶対に起こりえず、お互いがお互いを認めた上で妥協し合うプロセスが必要です。ただ、それは自分に余裕がないとできません。私がまだ若くて尖がっていた頃、「折り合い」という言葉は堕落の象徴だと信じていました。「自分の方が絶対に正しいのだから、相手がそれを認めない限り解決などありえない!」と息巻いていましたが、今思えば、当時の私は心も身体もまったく余裕がなかったわけで、折り合いがつかないのは当たり前のことだったのかもしれません。誰かと何かをしようとする時、意見が合わずにギスギスした関係になることがありますが、そんな時は、相手の心がとても弱っていて疲れている時なのだと慮ってあげてください。折り合いをつけるのに重要なことは、相手を慮ってわかろうとすること。相手をわかろうとすると、相手も自分のことをわかろうとしてくれるようになります。無理して妥協し合わなくてもいいですが、お互いの心に余裕が生まれてくると、自然と良い関係が生じてきます。

もっとも、そんな折り合いの心地よい関係にも限界はあります。私の場合は、身体をもう少し絞るかスーツを新調するか、どちらかが急務のようです。

|

« 肉体労働はエクササイズか? | トップページ | 高血圧の精査指示 »

心と体」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 肉体労働はエクササイズか? | トップページ | 高血圧の精査指示 »