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解説者(前)

日本のスポーツ番組で「解説者」の歴史が始まったのは何からなのでしょう。大相撲?高校野球?プロ野球?・・・どれかだと思いますが、どれをとっても言えることは、基本が戒律的だということでしょう。「これじゃいけません」「あそこはこうすべきでした」・・・精神論のスポーツの歴史の中で、必ずしも一流選手=名解説者ではない(むしろ逆)でありながら、上から目線な上に批判が大原則のように思えます。何でこんなことを書いたかと言うと、先週末のNBL開幕戦<熊本vs和歌山>の解説者Oさん(地元出身)の言い方が不愉快で、アナウンサーが気を遣ってタジタジになっているのを見ながら、観るに堪えられずにゴルフ番組に換えてしまったのです。

「これは最悪の試合ですね」「ほら、ダメなんですよこれじゃ!」「もう最悪ですよ」・・・言ってることは分かるんです。日本に来て間もないアメリカ選手が一人で持って一人でシュートするからリズムが出来ていないこと。それ自体はマネージメントがなってないとは思うのです。でも初めて出来上がった地元プロチームに対して、言い方は違うよなと思う。「あそこを少し変えてあげたら良くなると思いますから修正に期待しましょう」「これからですから、地元の子どもたちにために1点でも多く返せるように頑張ってほしいですね」・・・言い方はいろいろある。チームのヘッドコーチじゃないのだから、地元プロバスケ誕生の初試合で、バスケ好きもバスケ知らずも見ているということと、専門知識を話してもらいたくて呼んだのではない(選手たちのために来ているのではない)ということ、つまり、たくさんの人にプロバスケットの世界を楽しみにしてもらえるように分かりやすく教えてもらうために来ているということ、解説者は「ゲスト」ではなく「広報活動のチーフ」であるといことを自負して、「スポーツ界に精通していてその世界をそれなりに極めていたら誰でもできる」というものではないことをもう少しちゃんと勉強してほしいと思いました。     (つづく)

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