« 2013年10月 | トップページ | 2013年12月 »

2013年11月

既読症候群(前)

先日、となりの中学校でスマホやパソコンの医学的な影響について30分ほどお話をしました。そのときには睡眠不足の影響やブルーライトの弊害などについての説明に時間を費やし、スマホ依存・ネット依存の話はあまりする機会がありませんでした。

講演の準備をしていて気になったことがありました。日本小児科学会が「『子どもとメディア』の問題に対する提言」として2004年に5つの提言をしました。心身の成長期である乳児期は身近なひとと関わり合い、遊びの実体験を積み重ねることで人間関係を構築する一番大事な時期で、これによって心身が成長するのに、その時期のこどもをテレビやゲーム漬けにすると、親子が顔を合わせて一緒に遊ぶ時間をなくし、ことばや心の発達の妨げになる、というものです。5つの提言とは、2歳まではテレビ・ビデオを控えようとか、授乳中や食事中はテレビ・ビデオは見ないようにしようとか、あるいは1日の時間を決めたり、家庭内でルールを作ったりしましょう、というものです。

ただ、これを見れば時代がわかりますが、この当時のメディアとは基本的に一方通行のメディアでした。夜遅くまでテレビをみないとかゲームをしないとか、自分が情報を得るだけのメディアでした。でも今は違います。世界中に爆発的にシェアが広がったLINEに象徴されるように、主体はバーチャルコミュニケーションです。ゲームも自分だけが暇つぶしにやるテレビゲームの類ではなく、他人と対戦したり一緒に戦ったりするものです。そこには、良くも悪くも”仲間”がいます。仲間に入れてもらうためにはこのツールが必須アイテムなのです。  (つづく)

| | コメント (0)

オクラをかけて?

食後高血糖を起こさないために、

「白米はよく噛んで食べる」
「すぐにメインディッシュに手を出さずにまず前菜から」
「スキ焼は肉を確保した上でまず糸こんにゃくから」

などというのと同等に、

「白米の上にオクラをかけて食べると小腸吸収が抑えられて血糖上昇が緩和される」

というのを昔『ためしてガッテン』(NHK)でやっていたので、あちこちで話してきました。でも、先日、我が家でオクラをかけて食べてみて分かりました。オクラや納豆は、ご飯にかけたら噛みません。ご飯を噛まずに流し込んでしまいます。

もしかしてこれは、本末転倒かも・・・。でも、オクラとろろかけご飯は、えも云われぬ美味さでした(笑)

| | コメント (0)

数値 

毎年、この季節になると前年度の健診事業業績集の編集が始まり、わたしのもとにも各担当者から原稿が集まってきます。校正して最終チェックをするまでがわたしたちの仕事なのですが、毎年閉口することがあります。

提出される原稿の半数は、基本的な数字が間違っているのです。実際の異常者件数や精検受診者数の値が正しいかどうかなどは存じませんが、もっと基本的な数字です。たとえば「総受診者数」が「男性受診者数」+「女性受診者数」と一致しないのです。一体残りの人の性別は何なのでしょう?年齢別受診者数内訳を全部足し算しても総数と一致しない、とかいうのもあります。

今はむかしのように電卓を各自で叩いて足し算するようなことはありません。パソコンデータをデータとしてExcelなどに移管してデータ処理するのが当たり前です。結局、そういう作業をした結果出てきた数字をそのまま文章に投げ込んでいるのです。どうして、これが間違っているかもしれないと思わないのでしょう。冒頭の単なる足し算が間違っていると、その後に展開されるすべての数値が意味を持たなくなります。残りは全部正しいかもしれませんが、だれも信用してくれません。単なる割り算で出てくる●●率もよく計算違いしています。

文章ができた時点で、少なくとも「検算」くらいするのが、数値を扱う人間の最低限の義務だということを教えるために、数値間違いを見つけた時点でそれ以降を一切読まずに突き返すのですが・・・翌年にはまた新しい若い担当者に代わっていて、結局同じことの繰り返しです。

| | コメント (0)

JCI

医療施設認証機関であるJCI(Joint Commission International)認証を取得するために、病院スタッフ全員が2年弱頑張り、先週が本サーベイでした。多国籍軍のサーベイヤー3人が小便や休憩もなく精力的に1週間走り回りました。で、かなり高い得点の承認を得る成績で評価されたと聞きました(まだ認定証をもらってませんが)。皆さんの努力の成果だと云えましょう。

日本の風土や常識を全く考慮しないのが、インターナショナルなグローバルスタンダード。現場には多数の軋轢が生じ、不満やストレスがあちこちで爆発したと聞きます。ただ、特に今年になってから何かが徐々に大きく変わってきたことを肌で感じました。これ、もしかしたらすごいことなんじゃないかなと思います。それを先日、ある事務スタッフが話していたことばが端的に示していました。

最初は、彼は先生方に相手にされませんでした。「おまえな、俺たちがどれだけ忙しいか、みたら分かるやろうが!そんなものできるわけがないやろ!」・・・それはこまごましたカルテの記載であり、早々に仕上げなければならない退院サマリーのことです・・・それが、最後には80%以上の先生がきちんと書いてくれるようになったのです。わたしも「少なくともサマリーは絶対ムリだろう」と思っていました。人間、やればできるのだということを学びました。「それと、救急外来から患者の日頃の病状の問い合わせが極端に減りました」とも。どういうことかというと、皆が同じルールに従って決められた場所に決められたことをきちんと書いているので、自分でパソコンを繰ればそれだけで確実に欲しい情報が手に入るようになったわけです。

「あなた方が自分で決めたポリシーなのだから、決めたことには従って動くべきです」・・・サーベイヤーの語ることは一貫していました。それは医者や看護師やパラメディカルだけではなく、掃除のおばちゃんも床屋や売店や花屋さんもみんな同等にそのポリシーを知っておかなければならないということ。言い換えれば、この病院に働くすべての人が平等に自分たちの決めたポリシーを理解して行動することを求めているのがJCI。恐るべし、JCI。されど、さすがはJCI。そんな気がしました。

| | コメント (0)

膵臓がん

わたしが担当している受診者の方に膵臓がんがみつかりました。何となく続く腹部症状が気になって、かかりつけ医を通してうちの病院でいろいろ精査をしたら、進行したすい臓がんでした。

わたしと同い年の男性。最近お孫さんが生まれて、もっと長生きしたいから禁煙をしようかな、と云い始めた方。半年前には一通りの人間ドック検査だけでなくPET検査も受けたのに、そのときには何も異常がありませんでした。心配になって画像を見直してみましたが、やはり当時の画像には異常は見つけられませんでした。

こういう結果を見たとき、やはり無力感に苛(さいな)まれます。あんな高い金を払って受けた検査に何の意味もなかったのではないか?毎年受ける検査はただの自己満足ではないのか?・・・実は、正直なところわたしはこの世界に入ってからずっとそう思ってきました。生活習慣病は、「乱れた生活を模範的なものに」自分の生活を自分のカラダの求める形に変えさせる良いきっかけになるので人間ドックの意義は大きい。でも、がんはどうか?そのときに見つかればいいけれど、たまたま半年後に発見されるものであればいかんともしがたく、むしろ「こないだの健診では問題なかったから」と、早期発見を妨げる理由付けにもなりかねない。意外に、毎年の検査に意義がないかもしれないのはがんの方ではないかしら。

ただ、やはりこれだけは云いたい。人間、悟ったり、悟る方向に向かい始めたら、残る寿命は短いかもしれないということ・・・理由などありません。単なる経験上の感覚的な意見です。

| | コメント (2)

ナッツを食べるほど死亡少ない

どうだい♪ 待っていたぜそのレポート!

ナッツ類の摂取と死亡リスクの低下に関連,最大20

米Harvard Medical SchoolのYing Bao氏らが、看護師(Nurses’ Health Study;NHS),医師(Health Professionals Follow-up Study;HPFS)を対象とした大規模観察研究のプール解析を実施して、ナッツ類の摂取状況と総死亡あるいは各種疾患による死亡との関連を検討したところによると(N Engl J Med 2013; 369: 2001-2011)、ナッツ類を全く摂取しない群に比べ、1週間当たりの摂取頻度が多くなるほど総死亡リスクが有意に低下しており、週7回以上の摂取群では20%の総死亡リスク低下が示されました。疾患別死亡でも、がん、心臓病、呼吸器疾患による死亡リスクが低下しているそうですから、皆さん、堂々とナッツを食ってください。

そう云いながら、ダイエットのために大好物のピーナッツを買わなくなって数週間・・・病気のリスク云々は良いとして、この腰回りのプヨプヨは、やはり食いすぎない方が効果があるように思うのです。昨夜も、「やせたかったら間食にナッツを食べなさい」というのをテレビ番組で云ってましたから、理論的には食っても大丈夫だと分かっているのですが・・・「ほどほど」ができるヒトがうらやましいです。

| | コメント (0)

精の付くもの

「最近、家内が料理をいっぱい作るようになったから食べ過ぎる」

先日の人間ドックである受診者の男性がぼやきました。がんを繰り返し発症させてしまう旦那さんのために、奥さんは”精の付くもの”をたくさん作って体力をつけてもらいたいと思うのでしょう。愛する旦那さん想いの奥さんの心配り・・・美しきかな夫婦愛!

なのですが、旦那さんの糖代謝が悪化し、脂肪肝ができ始めてきています。明らかにカラダが栄養を持て余し始めていますので、これは一大事です。がん患者さんや難病患者さんの免疫力、抵抗力を高めるために必要なのはカロリーではありません。先日紹介した梶本修身先生の本(『最新医学でスッキリ!「体の疲れ」が消える本』(成美堂出版))にも、高カロリー食は返って細胞の疲労を招いて、元気が出るどころか逆効果だということが書かれていましたが、わたしも同感です。もともとカラダが求めていないヒトにとって、返ってカラダに無駄に負荷をかけるかもしれないことに注意が必要です。

免疫力を高める!・・・やはり行き着くところはきちんとした生活リズムであり、質のいい睡眠であり、適度な運動であり、リラクゼーションであり、ビタミン・ミネラルと良質のタンパク質(牛肉より鶏肉のイミダペプチドが一番だということを勉強したばかり)であり・・・。でも、こと食事に関しては、「がんに効果があるモノ」「カラダに良いモノ」ばかりを集めてしまう(サプリも含めて)と、ただの”偏食”になりかねないこともご注意あれ。身内や愛するヒトのためにできることは何でもしてあげたい、という気持ちは痛いほどよくわかりますが、でも本人がよほど身を削るような生活を続けてきたというのでなければ、基本的には体質なので、無理やり手を加えようとしてもカラダが拒絶するのではないかと思います。カラダはココロみたいな気の遣い方をしてはくれませんから。

| | コメント (0)

「かたい」

「かたい」の漢字。意外にいろいろあります。

「堅い」「固い」「硬い」「難い」・・・まあ、「難い」がちょっと色の違うことはわかりますが、それ以外の使い分けはできますか?わたしは、あまり自信がありませんでした。でも、辞書変換の注意書きを読んで何か納得できましたので、この際ここに記しておきます。

「堅い」の反対は「もろい」

「固い」の反対は「ゆるい」

「硬い」の反対は「やわらかい」

| | コメント (0)

偏食の勧め

内村航平の偏食に医師が賛同

先日、インターネットの記事でこういうのを読みました。つまり、イチロー選手が野菜を食わずに肉ばかり食っていても大リーガーになれたとか、内村航平が野菜を食わずにチョコレートばかり食っていたのにあんな健康で立派な体になったということを云っています。「例えば、最近“子供が肉ばかり食べたがる”という声をよく聞きますが、それは体が冷えていて温まる食品を求めているためだと考えられます。単なる好き嫌い、偏食を直さなくてはと考えるのではなく、なぜそれを食べたがるのかを考えるべきなのです」という石原結實先生(『自分の好きな物だけ食べれば病気は治る・防げる』講談社刊)のことば。

基本的にわたしも同感です。「バランスの良い食事」とは標準的な平均点の体質の人のためのものであって、各々の顔が違うように、各々に体格が違うように、そして各々の生活の仕方によってカラダが求めるものが違うのは、当たり前です。

ただ、あくまでも”結果論”であることも忘れてはならないと思います。「カラダが求めているものを求めている分だけ与える」のは理想なのですが、アタマが必ず横やりを入れます。カラダが「もういい」と云ってもアタマは「まだほしい、だってそれ好きだもの」と駄々をこねる。すると、必要以上に食いすぎる・・・それは文字通りの偏食なわけです。でも、これを実生活の中で区別するのは至難の業です。「この子はチョコレートが大好きなの。野菜は大嫌いなの」と野放しにさせたら、肥満児になり虫歯になり若くして糖尿病になったとしたら、それはカラダの求めに従っていなかったことになりますが、それはいわば「後の祭り」。カラダの求めるものを求めるだけ与える訓練が子どものころからできないのであれば、一般ピープルの生き方を教えてあげた方が無難かもしれません。だって、イチローにしろ、内村にしろ、見るからに偏屈そうでしょ。大好きでも「要らない」と思ったらその日は突然食わなくなることができるオトコでしょ。彼らはどうみても普通じゃありません。

| | コメント (0)

サクサク

最近、わたしのiphoneの調子が今ひとつで、なかなかつながらないことがよくあります。しばらくクルクル回るのを眺めていると妙にイライラしますが、それを見ながら、こんな時間がむかしは普通だったなあ、と思い出した次第。

東京で仕事をしていたころ、検査データのLow Dateを大きなテープのリールから巻き取りながら、ひとつのデータ処理をするのに長ーい時間がかかっていました。学会のためのデータ処理を休日返上でやっていたときなど、データ処理の一工程が終わるのを待つ間に、何度も居眠りをしたものです。大量のデータからこれだけの処理をするのにこの程度の時間がかかるのが当たり前だったあのころは、この時間が全然気にならなかったのですが・・・。

便利になって、大量のデータ処理能力が別世界のそれになっている現在、そんな待ち時間がちょっとできるだけでイライラしてしまう。何をするにもせっかちになっている自分が居ます。あの当時、こんなに大量のムダな時間があったのだなと思うのだけれど、今だったらこんな時間があったらあれもできた、これもできたと思うかもしれないのだけれど、すっかり諦めてしまっていたあのころは逆にココロを休める時間であったりもしました。あのボーっとする時間がなかったらずっと何かをし続けたわけで、その分だけ早く仕事が終わって、その分だけ他に遊ぶことができた、というわけではなかったであろうことは明白。

ま、それはそれとして、やっぱり冷静に考えると、このWi-FiやLTEなのになかなかつながらない状態は普通ではありません。故障かしら?

| | コメント (0)

顔相

遠くからガハガハと我が物顔で高笑いしてる濃い顔の先生が学会場に居りました。どこかの大学教授のようです。その横には、苦虫を噛みつぶしたようなしかめ面で不機嫌そうな表情のイケメンドクター。あれは某病院の部長先生。笑ってはいますが鋭い目つきと不遜な態度・・・自信の表れなのでしょうが、それがたとえよく知っている人であっても、「できたらあまり関わりたくはない」と思ってしまうわたしです。目が合って、「やあ」と手を上げて近寄ってこられようものなら、きっと何か鋭い質問をしてくるような気がしてドキドキするに違いないのです。

学術集会に出てみると、その学会ごとに独特な空気があります。臨床系の学会や理数系の学会では、鋭い目つきと額にシワを寄せて何か考えている医者の印象があります。これは、それらの学問の持つ特性から、日頃の環境で極めれば極めるほどにそういう顔つきになっていくヒトが増えてくるのでしょうか?それとも逆に、そういう顔相の人たちがもともと集まってくるだけなのでしょうか。

学会に来て、そんな人間観察ばかりしているわたしは、きっと場にそぐわない、間抜けな顔をしているのでありましょう。

| | コメント (0)

誤字

書類や原稿の中の誤字は、もちろん注意し必ず訂正します。以前は、メールや手紙の中の誤字も、「間違っていたよ」とよく指摘していました。でも、最近、やりません。世間の文字文化が誤字、誤植だらけになっても平気でいるようだから。プライベートの文章ではなく、インターネットの公式サイトや学術雑誌ですら文字変換の間違いやひらがなの消し忘れの2つや3つは当たり前になってしまっていますから、個人のメールやfacebookの投稿の間違いなんかかわいいものだと思うようになりました。

歳のせいか、わたし自身もよく打ち間違うようになりました。むかしは一字でも間違えたら屈辱だから事細かに再確認していたのですが。やっと最近バージョンアップして訂正できるようになりましたが、数か月前までfacebookの投稿は公表したが最後、文字の訂正ができませんでした(訂正したければ全部削除して一から書き直さなければなりません)。最初はプライドが許しませんでしたが、「えーい、もういいや!」と思うようになりました。相手の文章にある誤字や誤植を指摘できるということは、もうすでに正しい漢字変換や訂正された文章が自分のアタマの中ではわかっていることになるのですから、意味は十分伝わっているわけで、ならそれでいいんじゃね?というのが、最近のわたし。

一旦活字になり、ネットや電波に乗ってしまった文字は消えないのだというのが今のネット文化。取り返しがつかないことになるから、送信する前に必ずしっかり吟味しなさい!とあちこちで注意される一方、もう送られてしまった間違いは変えようがないんだからしょうがないや!と開き直る文化にもなっていて、読む側も「修正できないんだからこっちでわかってやるしかないんじゃないの?」と寛大になる。なにしろ、むかしの恋文や文字数限定の携帯メールと違って、LINEやTwitterなんて、思いついた端から区切りながらそのまま単語ごとに送信していくのだから、「吟味」なんていうことば、今にこの世から無くなるかも知れません。

| | コメント (0)

うつになる

先日、妻とケンカした。夜中まで対戦ゲームばかりしている妻に「バカじゃないのか!あなたは生活の優先順位が間違ってる!」と。

不機嫌のまま仕事をした。診察をしていると、妙にわたしの顔を怪訝そうに見つめる受診者が多い。何?顔に何かついている?と不安になって診察室の鏡を覗き込んだがいつもと変わらない。「?」という顔をするのは聞き取れないから?いつも以上に大きな声で話してみるがどこか反応がおかしい。

気分転換のために1階にある医局に降りてみた。医局のとなりの部屋でスタッフの話し声が聞こえた。「先生の云っていることはわかるけど、あれは理想論であって、実際はムリだよね」・・・それは、わたしのことだ。裏にわたしが居ることに気づかずに話しているのだろうけれど、気になる。彼は前からそう云っていたし、陰で批判されているわけでもないのに、何か気になる。

昼休みに事務所に行った。わたしが通る度に皆各々に顔をあげて、わたしの顔を意味ありげにみている気がする。「何?」 遠くで話をしているスタッフをみると、わたしの陰口を叩いているのではないかという気がする。すれ違うスタッフはみんなよそよそしい感じがし、何かひとり孤立していく気がしてならない。午後の仕事までまだ時間があったが、居場所がなくて早めに診察室に逃げた。

うつになるときって、こんな感じで始まるのだろうか?

| | コメント (0)

プロフェッショナルその2

先日、わたしの地元で開催される予定だったプロバスケットの公式戦が急きょ中止になりました。普通は体育館で行う試合を、地元にある屋根付きドームの総合競技場で行う企画で、コート作りから場内整備まできちんと準備されていたのですが、当日になって相手チームから「風も吹くし気温も変わるし、これでは十分なパフォーマンスができない」とクレームが出てコミッショナー裁定で中止になったと聞いています。

たしかにちょうど季節外れの大きな台風が来ましたが、それも含めて試合環境はお互いにすでに前もって十分わかっていたこと。それを直前になって「イヤだ」「パフォーマンスが云々」と云い始めるのは、プロとしていかがなものか・・・「プロ意識」とは何かを考えさせられる”事件”でしたから、あれから1ヵ月近く経過しましたがいまだにあの一件は気になってしょうがありません。「プロフェッショナルとして最高のパフォーマンスをお客様に魅せるのが仕事」と云う前に、「お客様や関係者の期待していることをどんな環境でも最大限努力して叶えること」の方が、プロとしては最優先なのではないのでしょうか?

わたしはERの当直をしません。一度打診されたことはありますが、「もう患者さんのニーズに応えるだけの力がないから」と固辞させてもらいました(「プライド」2008.4.6)。でも、そんなわたしでも、酔っぱらって帰っている途中に、路上で意識消失して倒れているヒトを見かけたときに、「今は酔っぱらっていてプロとしての十分なパフォーマンスができないから」と云って通り過ぎることなどできるはずがありません。

ちょっと思っていたより寒いし無風じゃないんだけど、でも一旦「する」って云ったんだから、このままやりましょうよ!って、むしろ相手チームの方が云ったりなんかしたら、「さすが、プロ!」と絶賛されて、絶対カッコ良かったのになー・・・と思うと、いまだに残念でなりません。

| | コメント (0)

報道記者

「何に使ったんですかー!」
「なぜ、やったんですかー!」

例の公金横領犯人が日本に帰ってきたニュースのときに、護送される犯人に向かって、例によって、どこかの報道記者が無意味に叫んでいました。

これって、どうして何十年も前からこうなんでしょう?もの凄くイヤな空気が流れます。誰が考えても、そんな質問に答えるはずがないシテュエーションで、雑音のようにその乱暴で無骨な声が虚しく響くわけですが、たとえばどこかの医者を装って電話に呼び出しておいてマンションの斡旋をしようとする業者や、毎日送られてくる見るからに怪しい迷惑メールなどと同じ空気がします。「黙ってないで何か云わないか!存在をアピールしてこい!」とか、意味のないことを会社の上司に要求されるのでしょうか。まるでそれが「皆が思っていることを代弁してあげているだけだ」とか嘯いている感じがして、とにかく、ものすごくイヤです。加害者の家族や被害者にしつこく聴く無神経な記者にはもっと腹が立ちますが・・・。

普通に黙っていたって何も得られないのだから、ダメもとでどんどんエグイ質問するのがマスコミの最低限の姿勢だ!という前時代的な考え方がいまだに変わらずまったく進歩していないことがどんどんイヤになってきていて、思わずそのニュースのチャンネルを替えてしまいました。

| | コメント (0)

信号無視

最近妙に、何事もなかったかのように赤信号で交差点に突っ込んでくる営業車に何度も遭遇します。先日の学会のときには、青信号になるのを待って横断歩道を渡りはじめたら、赤信号を最後に突っ込んできた○○運送のトラックに「ボクは死にまっしぇーーん!」状態の寸止めを食らわされてびっくりしました。

よほどお急ぎのこととお察ししますが、どれも社名が大きく出ている車を運転しておられます。有名な大手運送会社やタクシー会社、あるいは地元の介護施設や病院車・・・皆さま、会社名を背負って運転していることを忘れてはおりますまいか?以前、信号無視して突っ込んできながら、慌てて立ち止まった歩行者のわたしたちに眼を飛ばしたタクシー運転手がいて、「あの会社のタクシーなんてもう絶対乗らない!」と、一緒に居た若いスタッフが憤慨していましたが、まあそうなって当然でしょう。

とりあえず、あんな無謀運転の車とのトラブルに巻き込まれないように、注意して生きていきましょう。これから年の瀬までは特に皆さまくれぐれもご注意ください。

| | コメント (0)

車線変更

サッカーの応援で大分から帰る途中、トンネルの中で突然車線変更する大型トラックを見かけました。別のトンネルでは今度は県外ナンバーのスポーツカーが同じように追い越し禁止表示を無視して、縫うように車線変更して走り去っていきました。同じような光景は2週間前にも見ました。

「若いね」と、つい独り言を云ってしまいました。若いころはわたしも平気であんなことやってみたことがあります。なんかそういうのがカッコいいと思っていました。あるいは「オレは急いでいるんだ」オーラを出したくてたまらなかったころがありましたが、あるときから、それがとてもくだらないことに思えて来て、若いころに「カッコ悪い」と思っていた交通法規遵守を、きちんとできることの方が返ってカッコ良く見えてきました。それは、自分が救急病院の医師としてERに従事するようになったからです。

「交通事故? 絶対オレは大丈夫!ちゃんと見ているし運転には自信があるんだから」と彼らは思っています。でも、夜中に衝突事故を起こして救急車で担ぎ込まれてくるバカ者の10人中10人がみんなそう思って運転しているのです。こんなバカ者のために夜中に叩き起される当直の夜は、ホントにアタマに来ていました。「お前らのバカ運転のために、今日もほとんど徹夜なんだぞ!」と。それが酒気帯び運転のバカ者たちだった日にはもっとアタマに来ます。ERの周辺が妙に酒臭くて、ちょっと赤ら顔なのは興奮しているせいではないに違いない仲間のバカ者たちに状況説明をしてもらいながら、「バカたれが!」とアタマに血が上っているのでほとんど聞き流していたことを思い出します。

この日は、帰路の2時間半の間に、事故処理の現場を3か所通り過ぎました。

| | コメント (0)

疲労感なき疲労

健康に目覚めた人たちの到達点は結局”健康運動”であり、より活発に活動し、人生の張りが出て来て生きがいに向かって突き進んで行くのが理想像のように見えます。でもそれこそが、長期疲労、慢性疲労のもとであり、過労死などの原因になりかねない、と梶本修身先生は力説するわけです(「間違いだらけの疲労の常識 だから、あなたは疲れている!」永岡書店)。

やりたいことができて、好きなことをやっていると、疲労感などなく、毎日が充実しています。でも、それは『疲労感なき疲労』なのであり、「ぜんぜん疲れない」「睡眠時間が少なくても平気」という人は要注意なのだと云います。疲労因子FFが増えていても必ずしも疲労感を感じない・・・充実感や達成感はカラダからの疲れのサインを脳に無視させるのです。これを「脳がマスクされている状態」と云います。これは人間にしかない前頭葉の発達によってもたらされます。カラダには疲労がたまっているのに、それを認識できない状態が『疲労感なき疲労』なのです。

本書の冒頭にあるチェックリスト10個のうち、

  5. 休みの日は、外出するようにしている
  6. 毎日、運動することにしている
  7. ゴルフやフィットネスで仕事のストレスを発散

に「はい」と答えることは潜在疲労度を増す要素になると聞いて愕然。まさに、これらはわたしの生活の基本だからです。そういえば仙台のasuka3hさんから、いつもそう忠告されてきていました。錆びつくことは避けるがよろしい!と(笑) たしかに活動家ほど早死にして皆に惜しまれるわけですが、彼らを見ていると、疲労感が封印されてしまうから慢性疲労を取り除けないのだということがよく理解できます。疲れを溜めないことのためにやりたいことをやらずにいることは楽しいのか?と考えると悩んでしまいますが、少なくとも疲労のサインを感じられるカラダにはなっていたいから、疲労回復のために何をしたらいいのか、とりあえず本書をもう少し読み進めましょう。

| | コメント (2)

疲れが消える(後)

(つづき)結局、たどりつくところは、最近のわたしの超マイブームである「睡眠」と「サーカディアンリズム」と「目の疲れ」に行きついたご縁には驚くばかりです。やはりこれが今年の旬なんだなと密かに悦に入っているわたしです。ちなみに、疲れをとる食材は「鶏肉」(イミダペプチド)に勝るものはないそうです(これ以上は書きません。買って読んでください)。

本の中に、ふと目を留めた単語が2つあります。1つ目は『ゆらぎ』です。森林浴が疲れを癒してくれるのは、「マイナスイオン」などといった怪しいもののおかげではなく、「ゆらぎ」の存在のおかげなのだそうです。「1/fゆらぎ」は電器メーカーの扇風機のCMで初めて知ったことばですが、自然界は「ゆらぎ」の集まりです。木漏れ日がキラキラ輝き、鳥の鳴き声も水のせせらぎも、やわらかい心地良い風も、すべてが「ゆらぎ」です。これが自然界に存在するから疲れが取れているということは大変重要です。逆に、「ゆらぎ」のない環境を考えてみてください。日の光が入らない地下室のチラつきのないLED照明のもとで、エアコンで室温を一定に保って、ドアも閉め切った中で仕事をする・・・何も妨げのない静かな環境下で、さぞかし仕事がはかどるだろうと思われがちですが、きっとすぐに疲れ切ってしまうことでしょう。

二つ目は「ヒトヘルペスウイルス」。ヒトヘルペスウイルスは幼少時に誰もが感染し、ずっと体内に棲みつきます。健康なときは静かに体内にいますが、『体調不良になるとこのウイルスはそれを逸早く察し、体内から逃げ出そうとします」(P92)という表現がとても面白いと思いました。常に体内をモニタリングして体調に黄色信号が灯ると「このカラダから脱出しなければ」という具合に活性化するのだそうです。だから唾液や皮膚や粘膜に出て来て他の宿主に移り住もうとたくらむのだとか、回復すると「やれやれ」というようにして再び体内に戻ってくるとか、楽しい表現ですね。

| | コメント (0)

疲れが消える(前)

学会に行く時間を利用して、やっと梶本修身先生の『最新医学でスッキリ!「体の疲れ」が消える本』(成美堂出版)を読むことができました。最近のわたしは決して”疲れている”とは感じていませんが、でもこの本を読んでいるとやっぱり”疲れている”んだなと思います。

ひとことで云えば、『疲れは万病のもと』そして、『ムリはいけない』、ということですね。ついがんばろうとするし、「がんばらない」は堕落、「がんばる」は美徳、というのが日本人のココロなのだけれど、「ムリはいけないよ」とカラダはいろいろなサインを出してやめさせようとしているのです。「飽きた」は、脳から出す疲れのサイン・・・運転に飽きた、今日はジョギングしたくない、視野が狭くなって最低限のものしかみえなくなる、眼精疲労は脳の疲れ・・・カラダで最も疲れているのは自律神経です。「疲れた」は「休め」のサイン!それだけを、ぜひとも覚えておきましょう。

疲れの原因物質<FF>と疲労回復物質<FR>・・・車の駆動のはなしではありません。疲労因子=Fatugue Factorが見つかったのは2008年だそうです。疲れのおおもとの活性酸素で細胞を錆びさせるとき、酸化した物質から出る老廃物の一種から誘発される物質がFFで、これが直接疲れを起こす原因物質だそうです。「疲れている」ということはこれがたくさん増えいた状態です。一方、FFが多くなると、疲労回復因子=Fatigue Recovery Factorが出てくるしくみがあるそうです。同じ運動をしても翌日に疲れが残るヒトと残らないヒトがいるのは、このFRの量が違うということです。これが回復力。どうしたらFRが増えるのか?鶏肉だったり、睡眠だったり、ゆらぎだったり・・・詳しくは、本書をお読みください。  (つづく)

| | コメント (0)

歩く

わたしは、学会に行くとできるだけ歩くことにしています。学会場がホテルから歩いて30~40分以内のところにある場合は、よほどの大雨か炎天下でない限りは、歩きます。学会が地方である場合は特にそうしています。交通機関を待つのが面倒くさいとか路線のことがよく分からないとかいう理由もたしかにあるのですが、むしろそれよりも「歩いている」という満足感に浸っていたいというのが本心です(笑)

小心者なので街の人に声をかけたりすることはできませんが、その地の街並みや空気を感じながら、きっと他の学会参加者は知らないであろう路地や店をみつけるのは、ちょっとした隠れた楽しみになっています。

東京の人たちはいつもよく歩くなあと感心していましたが、聞いてみると意外に歩かないそうです。いかに歩かないで済むかを考えている・・・そういえば東京に住んでいたころ、地下鉄をひとつ次の駅まで乗った方が乗り換えに移動が少ないとか、車両のどのあたりに乗った方が降りてからの移動距離が少なくて済むとか、かなり研究している人ばかりだったことを思い出しました。とはいえ、やはり東京の人は歩くことを面倒くさがらず、そして速い。わたしも速い方だと思っていますが、いつも周りに取り残されてしまいます。

歩くには本当にいい季節です。金曜日からの福岡の学会でも毎日しっかり歩きました。以前住んでいた街(とはいえ35年も前のこと)だからもう少し知っているつもりでしたが、新しい発見ばかりです。ただ、できたらスーツに革靴の出で立ちではなくてもっとウォーキングを愉しめる格好で歩きたいものだと思いました。

| | コメント (0)

講演依頼

先日、ある中学校の先生がうちの病院に講演依頼に来られました。生徒たちに講話をしてもらいたい、とのこと。すでに期日も決まっていました。「わたしたちも日頃から生徒たちに話しているのですが、やはりお医者さんが医療の立場から話していただけた方が説得力があるんじゃないかと思いまして」・・・来られた先生はそんな云い方で切り出してきました。

「で、具体的に何を話してほしいのですか?」と聞いたら、「それは先生にお任せします」と即答。「いや、それは、いい加減すぎるでしょ!」・・・きっと気を遣ってそう云ってくれたのでしょうけれども、カチンときてつい怒鳴ってしまいました。「何でもいいから話してくれたらいいんです」という云い方は、自治体の健康教室などのときにもときどき耳にしますが、それは「した」という既成事実だけほしい、というひと時代前のお役人仕事でしかありません。

誰を対象に、何について話してもらいたいか、特にどういう内容をわかってもらいたいのか・・・依頼する側の熱意がどの程度あるのかが一番大切です。それが中学の生徒であれ、老人会のお年寄りであれ、目的が明確でないかぎり、何も感じてはもらえません。ヒマつぶしの昼下がりのお話し会にしかなりません。まあ、依頼する側はそれでもいいやと思っているのかもしれませんが、依頼される側もそれを聴く側も、それでたまったものではありません。

それでも結局、来週、その依頼された講話をしに中学に行かなければなりません。職員会議で決まったとおりに事を収めたい担当者の先生の思惑通りです。生徒たちも、いい迷惑でしょうに。

| | コメント (0)

愛おしさ

夏の間、いままでの散歩コースの4~5分の1くらいしか歩けなくなっていたうちの老犬が、最近またフルコース歩けるようになりました。「涼しくなったから?」とか「アレルギー治療のために少量のステロイドを飲むようになったから?」とか妻は云います。それもあるかもしれないけれど、実は他に理由があることをわたしは知っています。

小一時間、歩いている間中わたしは彼女の姿を見、彼女の歩調に合せるようにしました。いままでもしていたつもりでしたが、今考えると、まったくそうではありませんでした。なぜなら、今まではゆっくり歩いているつもりでも気付くと必ず彼女のリードを引っ張る形になっていたのです。つまり、自分が思っているいる以上に彼女の歩調はゆっくりにかわっていたのですが、それに全然気づかなかったのです。引っ張られると必ず立ち止まって動こうとしなかった彼女が、リードを引かないようにしてあげただけで、極めてゆっくりではありますがしっかりとしたペースで普通に歩いてくれました。

歩調を合わせてココロで寄り添うこと。たとえばまだヨチヨチ歩きのわが子を見守りながら寄り添う母親と、足取りがおぼつかないなりにマイペースの母親に寄り添って歩く娘と、どう違うのか。同じ愛おしさでも、きっと質はまったく違うのです。ついこないだまでもっと早くしっかりと歩いていた母の歩みには、どうしてもそのころの残像が重なって邪魔をします。今の母親の歩調は、もっともっとおぼつかなくなっているのです。「ペースを合わせる」のではなく、一緒に語り合って歩くと分かる本当のペース。うちの老犬とは直接会話できませんが、最近はココロの中で会話しています。だから、全行程を彼女を愛おしむ目で見つめながら歩くことができるのです。

自分のペースを守りながらそれでもわたしのペースに気を遣ってくれるようになった彼女のことを、本当に愛おしいなあ、と感じました。なんか二人だけの空間にいる恋人同士みたいな小一時間になっています。

| | コメント (0)

身体時計

老化の理由を「身体時計」で説明(2013.10.31掲載)

「身体時計(Body Clock)」が発見されたという報告がアメリカUCLAからなされました(「Genome Biology」10月21日号)。ここでいう「身体時計」は、最近話題の「体内時計」ではありません。ヒトの組織の各々の生物学的年齢(寿命)を表現するものです。それによると、各々の組織の生物学的年齢の進み方には差があって、「老化と戦うには、まず、それを客観的に測定する方法が必要だ。身体時計は加齢のプロセスの加速と抑制の解明につながる」と、発見者のSteve Horvath氏が述べています。

腫瘍細胞は健康な組織より36歳も早く老化する、というのは理解できますが、乳房組織は他よりも2~3歳早く老化し、乳がんがあるとその周りの健康な組織は12歳早く老化するという報告はちょっと驚きました。

とても興味はあるのでここに挙げてみましたが、このダイジェストを読んでも、あるいは原本を読んでも、今一つよく理解できません。まあそのうち、日本のどこかの学会で日本の誰かが分かりやすく解説してくれるでしょう。テレビ番組でやるかもしれません。そのときを待つとして、一応今は、「身体時計(Body Clock)」という単語を覚えておくだけにしておきましょう。

| | コメント (0)

勉強会

先日の勉強会は、「睡眠と生活習慣病、ブルーライトハザード」が本来のテーマでした。講義をしたあとの質問コーナーで、地域の特定保健指導をしている保健師さんからこんな質問をもらいました。

●24時間稼働の工場勤務者やタクシー運転手など、深夜勤務をしている人のメタボ指導はどうしたらいいでしょうか?

わたしたちの誰もが悩まされているポイントです。以前ここでも書きました。「真夜中は別の顔マニュアル」を作ってはどうか?と。夜は寝るモノ。夜に出て来るべきホルモンは夜に寝ないと出てこないことを前提にしたとき、シフト労働者や深夜労働者が抱える問題はかなり深刻なのですが、それをしないわけにもいきません。たしかに、深夜勤務のヒトにはメタボ腹のオジサンや若者が多いですよね。「寝ないと太る」を実証しているように見えます。

ただ、一言で「深夜労働者」と云っても、実体は千差万別です。24時間稼働の工場勤務のように、昼間と全く同じ仕事をこなす人もいれば、一般病棟の看護師さんや警備員さんのように、夜中に起きているものの大したエネルギー消費はないもの、あるいはタクシー運転手のようにカラダは動かさないけれど昼間以上に神経を使って働いている人など・・・これらを同じ尺度でマニュアル化することはできないように思われます。やはり結論としては、ケースバイケースで各自オーダーメイドの指導をしなければならないことになるのでしょう。

どなたか、明快な回答を考えついた方がおられたら、是非教えてください。

| | コメント (0)

ベクトルと心電図

「”ベクトル”なんて聞いたこともありません」

先週、うちの施設内で心電図の勉強会をしているときに2人の若いスタッフがそう云いました。学校の数学か物理で習ったでしょうが! ベクトルの概念が分からないと心電図を理解することはできません。勉強会のあとで、俄か数学教室になりました。

ベクトル(Vector)」とは、”空間における大きさと向きを持った量”のことを云います。「分からなかったら帰ってWikipediaで勉強してごらん」と云ってみたものの、今調べてみたら大したことは書かれていませんでしたし、ちょっと詳しいのになるともう全くチンプンカンプンな数式にまみれてお手上げ(笑)

力は、始点と方向と大きさの3要素でできており、これを1本の矢印(→)で表します。矢印の起点が空間における力の始点(力が起きている場所)、矢印の長さが力の大きさ、矢印の方向が力が作用する方向です。心臓の場合は右上後ろが始点でそこから左下前に向かって矢印を引くことができます。この矢印を心電図で表すために重要な概念が、「力の合成と分解」・・・この辺りでアタマが放棄してしまった過去があるのではないでしょうか。矢印で示された力をどこかの一点から眺めたとき、三次元を二次元で見ることになります。その矢印を、自分に向かう力の成分とそれに直角の自分に関係ない成分とに分けるわけですが・・・分かるかなあ。これが理解できると、力の考え方がすっきり分かるようになって、心電図波形が簡単に理解できるのですが・・・ここにこれ以上書いても埒が明かないかもしれません。

ちなみに、「ベクトル心電図」のはなしではありません。

| | コメント (4)

エレベーター

朝、診察室のある4階に向かおうと、エレベーターの前を通り過ぎてスタッフ用非常階段に向かいました。エレベーターを待つスタッフと挨拶を交わして通り過ぎました。

「先生は、がんばりますね」・・・あるスタッフが声をかけてくれました。エレベーターを使わずに階段を使っていることを云っているのでしょう。「エレベーターを使うとなんか自分に負けた気がしますもんね」と云って階段を駆け上がっていた人も以前はいました。

わたし、別にがんばっているわけじゃないんですよね。みなさんは「エレベーターがあったらそっちを使うのが常識」と思い込んでいるみたいですけれど、わたし、エレベーターを見ても「それに乗りたい」という衝動に駆られないのです。抱え上げられない荷物を持っているとか、それしか上がる手段がないからとかいう特殊事情のときを除けば、どちらかというと”乗りたくない”部類の器械です(笑)。若干閉所恐怖症的なところもありますし。

道を歩いていて、毎日行列ができているパン屋さんやケーキ屋さんがあったとして、食べたくもないパンやケーキをゲットするためにそこに並びたいと思うか?というのと同じ感覚ですかね。「わたしがそうなのだからあなたもそうに違いない」と思い込まないことですね。だから、エレベーター前でわたしと目線を合わせて気まずそうな顔をする必要はありませんよ(一応、スタッフはエコのためにエレベーターを使わない、という決め事はありますけど)。わたしは好きでやっているのだから。

| | コメント (0)

子どもの早寝は義務

「うちは夜の7時に夕食を取り始めて、8時には終わります。その後は何も食べません。子どもを早く寝させるために一緒に早めに床に就くからです。」

先日、アラフォーの女性の受診者さんにそういう方がおられました。とても素晴らしいことだと思いました。夕食の時間がどうこうではなく、夜更かししないでお子さんと一緒に寝てしまうということ・・・。最近は、小さな子どもたちが夜更かしし過ぎです。サーカディアンリズムのためにも、成長ホルモンの分泌のためにも、理屈抜きで「子どもは早寝」をしなければなりません。

わたしたちの子どものころは夜9時までには床に就くのが義務でした。だから、「ザ・ガードマン」はかろうじて見れましたが、「キーハンター」はなかなか見ることができませんでした。子どもがそれ以上遅くまで起きているのは”不良”でした。ところが、最近はお父さんお母さんが夜更かしするから一緒に子どもたちも遅くまで起きています。夜中のディスカウントストアやコンビニには小さな子どもを連れた家族連れ・・・ファミレスでもみかけます。そんな生活をしてきた子どもたちは、完全に生活リズムが壊れ、朝起きが苦手な人間になります。でも、冒頭のお母さんの家のように早くから早寝を習慣にしてきた子どもたちは、カラダもアタマもきちんと成長することができます。「うるせえなあ、そんなこと。だって、むかしと違って今は夜中まで楽しいことだらけなんだからしょうがないだろ」と平気でいうご両親を見ていると、本当に危機感を覚えました。むかしだって、親は宵っ張りだったんです。夜中まで大人の楽しみをしていたのです。でも子どもは寝させられました。そこに理屈はありません。「子どもはタバコを吸ってはいけないし、酒を飲んではいけないのと同じように、早く寝なければならない」だったのです。家が狭くても狭くなくても関係なく、です。

時代は変わりました。生活パターンも変わりました。でも、人間のカラダは遠いむかしから何も変わりません。せめて成長期の間だけでも本来の生活をさせておかないと、出来上がるべきカラダも細胞も神経も、未成熟のままになってしまうことくらい、考えれば簡単に分かりそうなものです。

| | コメント (0)

同じことを書く

このブログを書き始めた当初、内容が同じ(以前に書いたことのある内容)ではないかを慎重にチェックしてアップしていました。途中から歴史が長くなってくるとチェックもなかか難しくなってきましたが、一応、内容検索などをしてみてからアップしていました。初めてひらめいた感じがしたので嬉々として下書きしたのに検索したら1年前にまったく同じことをアップしていて断念せざるを得なかったとか、気付いたら数か月ごとに周期的に似たような内容をアップしていたとかいうこともありました。

ただ、最近はそんな検索もいたしません。まったく同じことを数か月前に書いたのだとしてもそれでいいのではないか?と思うようになったからです。たまたま今日初めて読むヒトがいるかもしれず、そのヒトにとっては今日が初めての文章ですし、何よりも、今ひらめいたことは、以前書いたときにひらめいたこととは「とき」が違いますから、それを書いた自分もまた以前の自分とは違うのだから、違う自分が書いた文章ならそれでいいのではないかと。何度も書きたくなった内容はきっと何度も伝えたい内容なんだと思えばいいのではないかと、結論づけました。

まあ、簡単にいえば、面倒くさくなっただけなのですけどね。意外に、これと同じ文章が、半年前にこのブログにあったりするかも・・・。なんか、書いたような気がしてきました(笑)

| | コメント (2)

機関誌

家の片づけをしていたら、いろいろな機関誌が出てきました。企業から送られてくる月刊誌、テレビとか住宅会社とかクレジット会社とか資格を有する団体とかあるいは個人経営の知人のリフォーム会社などからも定期的に送られてきます。

自分で年間購読している機関誌と違って、無料で送られてくるこれらの機関誌を開けて読むことは、実はほとんどありません。よほど時間が余っていたり、他に見るモノがなかったとしても、病院などの待合室にそれしかなかったとしても、たぶん手に取らないと思います。せいぜい東京まで出張で利用する航空機の中に置いてある機関誌を読むことがある程度でしょうか。

でも、提供する側は、毎月の紙面を埋めるためにアタマを悩ませていることを知っています。うちの施設も以前は定期的に機関誌を発行していました。わたしが編集委員長をしていた時期もあります。何を題材にするか、読者が興味を持ってくれるのはどんなことか、文章がおかしくないか、毎回大変なのです。でも・・・そんなことは分かっていますけど、読まないです。封を開けずに袋ごと捨ててしまうことすらあります。勿体ない、というか、申し訳ないなあと思いながら、すべてバッサリと整理させていただきました。

| | コメント (0)

« 2013年10月 | トップページ | 2013年12月 »