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誤字

書類や原稿の中の誤字は、もちろん注意し必ず訂正します。以前は、メールや手紙の中の誤字も、「間違っていたよ」とよく指摘していました。でも、最近、やりません。世間の文字文化が誤字、誤植だらけになっても平気でいるようだから。プライベートの文章ではなく、インターネットの公式サイトや学術雑誌ですら文字変換の間違いやひらがなの消し忘れの2つや3つは当たり前になってしまっていますから、個人のメールやfacebookの投稿の間違いなんかかわいいものだと思うようになりました。

歳のせいか、わたし自身もよく打ち間違うようになりました。むかしは一字でも間違えたら屈辱だから事細かに再確認していたのですが。やっと最近バージョンアップして訂正できるようになりましたが、数か月前までfacebookの投稿は公表したが最後、文字の訂正ができませんでした(訂正したければ全部削除して一から書き直さなければなりません)。最初はプライドが許しませんでしたが、「えーい、もういいや!」と思うようになりました。相手の文章にある誤字や誤植を指摘できるということは、もうすでに正しい漢字変換や訂正された文章が自分のアタマの中ではわかっていることになるのですから、意味は十分伝わっているわけで、ならそれでいいんじゃね?というのが、最近のわたし。

一旦活字になり、ネットや電波に乗ってしまった文字は消えないのだというのが今のネット文化。取り返しがつかないことになるから、送信する前に必ずしっかり吟味しなさい!とあちこちで注意される一方、もう送られてしまった間違いは変えようがないんだからしょうがないや!と開き直る文化にもなっていて、読む側も「修正できないんだからこっちでわかってやるしかないんじゃないの?」と寛大になる。なにしろ、むかしの恋文や文字数限定の携帯メールと違って、LINEやTwitterなんて、思いついた端から区切りながらそのまま単語ごとに送信していくのだから、「吟味」なんていうことば、今にこの世から無くなるかも知れません。

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