« 2013年11月 | トップページ | 2014年1月 »

2013年12月

お友達リスト

年賀状の宛名選びをしながら、ふと、「あれ?そういえば最近Twitterにもfacebookにもアップがないな」と思う人が数人。気になって、facebookのお友達リストを確認してみると、いつの間にか消えていたりします。これは意図的に自分との関わりを切った(新しい人間関係へリセットさせた時に「要らないな」と思われた)か、あるいはSNSの世界から離れたか(何かイヤなトラブルに巻き込まれたなどで)なんだろうな、と想像します。Twitterの場合はアカウントを作り直すのが簡単でこうなるともはや別人。まあ、携帯電話の番号やE-メールのアドレス変更も似たようなもですけど。

後者はやむを得ないとして、前者の場合(検索してみるとちゃんとSNSの世界の中に存在していることが分かってしまったとき)は、ちょっと気を遣ってしまいます。自分は何の連絡もなく、なぜ切られたのだろう?何か気に障ることをした?何か縁を切りたい事情ができた?などなど。きっと大した理由などなくて気分転換にリセットしているだけなのでしょうに、向こうの姿が見えないからどんどん疑心暗鬼になって、妄想を膨らませます。若い子たちがうつ病になったりネット依存になったりするのもこういうことがきかっけなのかもしれません。あるいはストーカー行為に走る輩も・・・。

その中のひとりに年賀状を出してみました。気を遣ってリストから一旦外しましたが、むしろ出した方が良いかなっていう気がしたものですから。勝手な詮索が無意味な妄想かもしれませんし、それでイヤなら返事が来ないでしょうし。

昨日、やっと年賀状を投函できました。遠方の皆さん、今年も年賀状はちょっと遅れるかもしれません。良いお年を!

| | コメント (6)

病気相談

「ここ1ヶ月、右手くすり指の関節が痛くてよくならないんだけど、なんだろうか?」

「それ、ゴルフのしすぎなんじゃないの?ボク、前そんな感じになったことあるよ」

「そんなんじゃない!もっと奥の方からだもの。リウマチかなんかじゃないかな」

「えー、腫れてるの?」

「腫れてはいないけど。でも、普通じゃないんだもの。おばさんもリウマチだし・・・」

「更年期障害じゃないの?」

「何、ふざけたこと云ってんのよ。真面目に相談しているのに」

「じゃあ、早めに整形外科に行った方がいいと思うよ」

「いや、病院に行くほどのことでもないような気がするのよね」

さてさて、何を求められているのかしら、この似非医者に。

| | コメント (0)

使命全う

このブログは、晴れて丸6年を経過し、今日から7年目に入ります。

節目のときが、区切りのつけ時。

実は、このブログの当初の目的が今年で全うします。いくつかの機関誌に依頼されていた定期コラムのネタストック・・・思いついた小さなことを忘れずに記録することと、締め切り間際になってあわてなくてもストックから引っ張り出してチョンチョンとつなぎ合わせれば楽だということ。思惑通り、きちんと締切に間に合わせて原稿を出すことができたのは、このブログの継続のおかげです。

そんな依頼コラムの契約が、来年1月号掲載のものですべて終了します。一時期は3誌くらい並行していた人気コラムニストの仕事がやっと終わります。

ということは、このブログの使命もまた終わることになりますから、良い区切りだなと思うんですけどね。・・・いや、止め切りませんけどね。これを毎日書く時間にジョギングでもしたら健康的なんじゃないかな、とかこの時間がなければまた自転車通勤する時間に充てられるんじゃないかな、とか思ったりもして、少し違った新しい人生を送るのもいいんじゃないかな、とか思いつつ、結局酒飲む時間が増えるだけかしらね。

とりあえず7年目もよろしくお願いします。

| | コメント (0)

漢字

今年を漢字一字で表現すると・・・というのがいつの間にか定番になってしまっていて、何かにつけ漢字一字を要求されます。日本全体としての今年の漢字は『輪』、わたしが応援するJリーグチームの今年の漢字は『淡』でした。

さて、では自分の今年を表す漢字は?と考えてみました。事あるごとに必死に考えてみたのですが、どうしても浮かびません。俳句や禅問答に似て、これはアタマを使いますし、教養とセンスが問われますので、なかなか慎重にならざるを得ませんが、そんなことをド返ししてもまったく浮かびません。そうか、センスがない凡人は、まずは今年の3大ニュース!とかを並べるのが常道だな・・・と思ったけれど、それまた何にも浮かびません。「今年、わたし、何をした?」「今年の自分て、何?」・・・突き詰めていけばいくほど何か虚しくなってきます。やむを得ず刹那刹那の記録=facebookの写真をながめてみると、結婚25周年だったということ以外には特別何も出てきません。これは困った。漢字を見つけられないことよりも今から重い腰を上げる年賀状の文面のネタが何もないなんて!

何もないから『無』とか『空』? これは返って「無の境地を極めた」みたいな感じでボツ。応援するサッカーチームがJ2に落ちたから気持ちと併せて『失』か『落』?いや、わたしの一年でしょ?そんな感じを選ばなければならないほどの負のアクションも皆無だったから違う。変わらないのだから『不変』?あ、2文字だ。『静』? いや、ココロは常に怒り心頭だった気もする。『常』? なんか違う。

先日配信された日経ビジネスオンライン(2013.12.16号)に『禅』のはなしがありました。「禅という漢字は、しめすへんに、単純の「単」の字で構成されています。つまり、複雑なものをシンプルに捉え直す直観力を磨くことが修行の1つの目的です。溢れる情報の中で何が重要なのか、本質を見抜く洞察力や忍耐力、意思力を養うことだと言い換えることもできるでしょう。」という山川龍雄編集長のコメントがなんかちょっとかっこよかった。

などと、アタマを休ませてみたけど、浮かばず。というか、なんかどうでも良くなってきました。何もなくても来年は来るさ。

| | コメント (0)

血圧測定

わたしもそれ、賛成です。

血圧正常者に対する血圧測定は、年一度でいいかもしれない

日本プライマリケア連合学会 海外家庭医療雑誌 表題翻訳プロジェクトの企画協力で、みちのく総合診療医学センター副センター長の佐々木隆徳先生のおはなし・・・例によってCareNet(2013.12.23配信)の記事です。

「国民全体の血圧水準も横ばいで推移しており、高齢社会を背景にしながらも血圧管理を取り巻く環境は向上していると思われます。このことから、高血圧と診断されていない定期通院している患者については、必ずしも受診のたびに血圧測定を行わなくてもいいのかもしれません」と。

高血圧のない372人の成人と新たに高血圧と診断された68人で、外来受診のたびに血圧測定した群と、年に一度の血圧測定のみの群に分けて検討したところ、感度は2群に差がなく(毎回測定=100%、年一度測定=92.6%)、特異度はむしろ年一度測定の方が高かった(毎回測定=70.4%、年一度測定=82.0%)というものでした。

わたしが働いてきた職場では、待合室に血圧計はありましたが、循環器外来では診察室で医者が測りましたし、それ以外は測るのがルーチンではありませんでした。でも、たまたま測った血圧が高かったがためにずっと気にするヒトは居ます。それをきっかけに家庭血圧を測ってくれるのならともかく、「気になっている」と云いながら怖いのであまり測ろうとせず、あのときのが何かの間違いであったかあるいは何か特殊な事情であったかに違いないと、自分に云って聞かせようとされます。ヒトが高血圧になり始める最初のポイントはそんな感じでしょう。そういう点では、受診のたびに毎回測って早期発見するのは有効のようにも見えますが、たとえ最初のポイントが見つかるのが1年後であっても、治療効果に大差はないと思います。

もっとも、血圧が上がったとき、その高い値を目の当たりにしたとき、見なかったことにしようとしたり、いつもと違うから器械がおかしいと云い張ったりするのは、ちょっとみっともないからやめましょうね。

| | コメント (0)

心雑音

健診や人間ドックの診察で、心雑音が聴こえるヒトは少なくありません。でも、前回までの記録をみると「異常なし」と書いてあるものばかり。健診の心雑音聴取はとても大事だということは以前ここで書きましたが・・・突然ですがカミングアウトします。なんか最近、心雑音を指摘するのが面倒くさくなってきました。

健診だ(症状があって病院に来たのじゃない)し、よほど大きくて病的な音でなかったら、少なくともわたしの”立派な”聴診器だから聴こえるような音なんてたぶんどうでもいい音(弁膜症があるとしても治療の対象にもならないような)なのだから。「オレはスゴイな。一般医者が聴き取れない音を聴き取ってやった!」って自己満足したところで何の役にも立たないし、いらんことを指摘して受診者本人が気にしてしまうくらいなら、聴こえない方が良いのじゃないかしら、とさえ思ったりします(いやごめんなさい。最後の文章は今考え付いたこじ付けです)。

そんな面倒くささが先に立って、最近診察していてもほとんど「異常なし」にしてしまいます。心雑音なんて、耳さえ節穴にしておけば、文字通り「ただの雑音」なのですから。でも、先週、念のために外来に精査に出したら「僧房弁逸脱症のため手術します」って返事が来てたよなあ。あのときの音はどの程度だったかなあ。

| | コメント (0)

騒音が乳がんを作る?

道路や鉄道の騒音は乳がんリスクを増大させる?

なかなかインパクトのあるタイトルが先日配信されてきたCareNetにありました。

「デンマークがん協会研究センターのMette Sorensen氏らは、デンマークの人口ベースのコホートにおいて、居住地における道路や鉄道の交通騒音と乳がんリスクの関連を検討した。その結果、交通騒音によりエストロゲン受容体陰性乳がんのリスクが増大する可能性が示唆された。」というものです(International Journal of Cancer誌オンライン版2013年11月8日号に掲載)。

50~64歳の女性を12年追跡して、閉経後乳がんの発症の確認だけでなく、各々が居住していたすべての場所の道路や鉄道の交通騒音を計算したというのですから、やっぱり疫学調査って根性と情熱が要りますね。

結果としてわかったことは、乳がん全体としては関連がなかったけれど、エストロゲン受容体陰性乳がんのリスクは騒音量に比例して増加するということです。エストロゲン受容体陰性乳がんとか陽性乳がんとかのことに全然詳しくないので、「へぇ~」と思うしかないのですが、交通騒音として耳から入るストレスや体内を揺らす音波などが影響を与えるのか、それとも交通騒音による「イライラ」が悪いのか、あるいは騒音量の問題ではなくて騒音量に比例して大気汚染がひどいとか、排気ガスがエストロゲン受容体陰性乳がんを引き起こしたとかなのか・・・普遍的なデータとして世に認められるまではまだかなりの追試がいるでしょうね。何しろ、都市開発や交通産業などの利権が絡むドロドロっとした世界のはなしだから一筋縄ではいきますまい。ちょっとした興味だけでやった疫学調査なのに、そのままこれがライフワークになってしまう若き公衆衛生学レジデントさんなんかが居たりしたらおもしろいのですが。

| | コメント (0)

聞き流し

人間ドックの結果説明をしていると、「へーそうなんですかー」「はーなるほどー」と必要以上に感嘆符を入れるのがクセの方と、「はい、そうですね」「そのようですね」とことあるごとに”そんなこと知ってますよ”オーラを出そうとする方とがあります。今は学校の先生方の受診が多いのですが、どうも学校の先生方にはこの両極端パターンが多く、特に男性は前者、女性は後者が多い印象を受けています。

説明する側としてはどっちもやりにくいのですが、もちろん後者の方がやりにくいです。基本的に聴く耳を持っていませんから、「あなたが思い込んでいることは多分間違いですよ」、あるいは、「遠いむかしの検査結果を今も免罪符のように信じ込んでいると危険ですよ」と伝えようとしているのに、「はい、わかっています」って対応をされてしまうとそれ以上は云えなくなってしまうのです。「だから、分かってないでしょ!違うんだってば!」と言葉を荒げてしまうと、それでなくてもプライドで対応しているメンツを傷つけてしまって元も子もなくなるから、そんな云い方はできませんし。「え、そうなの?」と思ってもそれを表に出さない習慣づけしてしまっているヒトも居ます。そういうヒトは「あら」と思ってくれるから何らかのリアクションを帰ってからしてくれますけど、そうでない方は何も変わりません。最終的には「別にわたしの給料査定に響くわけでもないから、いいや」と、わたしも切り捨てることで太刀打ちしています(笑)

何事もそうですが、聞く耳持たない方やプライドが邪魔をして聞き流しにかかる習慣が身についているヒトは、多くの情報をムダに捨てている気がして、もったいないな、と思います。もちろん「わたしはかかりつけの●●先生の云うこと以外は信用しません!」とかいう妄信的な信者の方は全然オッケーですが、そういうのがないヒトは、こっそりアンテナを高くした方が得だと思いますよ。

| | コメント (2)

反省

半年前の血糖値が115だったのに今回の結果が130だったことに大きなショックを受けていた男性の受診者さん。「心当たりがあります。前回まではとても一生懸命がんばっていたのだけれど、最近甘いものを食べるのが増えてきていたから、ヤバいな、と思っていたところです」と、彼は頭を掻きながら弁明しました。果物が好きで、おいしいからつい食べてしまうのだと。

いや、いいのですけど・・・こういう方はどうしても自分の体質を受け入れようとしません。値が悪くなったのは自分の努力が足りないから。今一度ストイックな生活に戻せば必ずや正常に戻るはずだ!と思い込んで自分を追い込みます。いや、いいんですけどね、どうせしなければならないのだから。でも、体質なのだから徐々に思うようには行かなくなるはずです。現代社会で生きていれば、インスリンの反応は最終的には追いつかなるはずなのです。

がんばってもよくならないとき、自分のやり方が間違っているからだと思い込まないこと。そして、”ストレス”も血糖を上げる大きな誘因がということも忘れないでほしいものです。

「インスリンの出始めが遅れる体質だから、今後お子さんやお孫さんに引き継ぎます。是非、若い子たちに若いうちから注意するように伝えてください」と話したら、またまた落ち込まれてしまいました。「・・・わたしから糖尿病の歴史が始まってしまうのですね。一族の歴史に汚点を残してしまった」・・・だから、違うんだってば。そんな考え方自体を、この機会に変えてほしいなあ。

| | コメント (4)

わたしやる気満々です!

「今回の結果は悪いことを覚悟してきました。今回はわたし、とにかくやる気満々で来ましたから、今日は食事のことや運動の仕方などをしっかり教わって帰ろうと思います。そして明日と云わず、今日から頑張ります!」

先日わたしが結果説明をしたある女性。問診欄にもその想いが熱く書かれていましたが、それを話題にするとまた本人の口から改めて熱く語られました。すばらしいことです。健診が生活習慣を見直すきっかけになってくれれば本望です。がんばってほしいと思います。

「で、運動はどれくらいしたらいいんですか?30分くらいでいいんですか?」

最後にそう聞く姿を見ながら、ダメかな今回も、と思ってしまったわたし。しなければいけないからしようと思うけど、しないですむならしたくないし、するとしても最低限で効果がある効率的な方法をしないともったいないじゃない・・・という思いを正直に顔が語ってくれました。世のダイエットを始めようとする皆さんの大部分がそんな感じなのでしょうけれど、それは長続きしませんぞ。あるいは成果が出たとたんに止めてしまってリバウンドする最悪のシナリオですぞ。

「いや、いくらでも、やっただけ効果はあるんじゃないですか。好きなことから続けられるものを始めてください」・・・そうやさしくお答えしておきましたが、求める答えではなかったからなのか、ちょっと不服そうでした。今回失敗したら、医者の答え方が自分の気持ちを萎えさせたから、とか云うかもしれませんね。

| | コメント (0)

最期の選択(後)

(つづき)

がんがある。治療しなければ死ぬ。もう平均年齢に達したカラダだから、十分生きたわたしだからこれで死んでも本望です。という達観しきった気持ちでそれを云っているのだろうか。日本人は本心を明かさない人種です。「人間はいずれ死ぬモノ」と自分に云って聞かせながらも目の前に宣告された確実な死は怖いはずです。放っておけば死にますと云われて、平静でいられるとは思えません。でも、”取り乱さない”ことも日本人の美徳。さらに、「この歳で大きな手術を受けたり先進医療を受けたりしたら大金を出させてしまうし看病に費やす時間も多い。これ以上生きて家族に迷惑をかけるのは申し訳ない」と云う気持ちが自分の「生きたい(死にたくない)」という願望を大きく凌駕してしまうのかもしれません。「生きたい」のか「生きたくない」のか、年齢や体力とは別次元のところで葛藤があっているに違いないのに、「医療の適応ではありませんから諦めてください」と引導を渡すこと・・・本人や家族のためにもそれはとても重要なことだと割り切って救急医療をやってきましたが、本当はどうなんだろう。たとえ自分の意志でそう決めたとしても、その後、世間からも家族からも神様からも見放された強烈な孤独感が襲ってくるのではないだろうか。

5年前、14歳の誕生日を1ヶ月後に控えて、はーはー云いながら苦しむ1週間を一緒に過ごしながら、断末魔の悲鳴に似た最期を看取ったことを思い出しました。まあ、少なくとも今、目の前にいる老女は老女ですけれど、とても元気そうで、今「最期を語るなんて、失礼千万!」というのが、本人の本当のココロでしょうか。

| | コメント (2)

最期の選択(前)

我が家の15歳と8ヶ月になる老犬の前足に腫瘍ができました。「大きくなるようならがんの可能性があるけれど、小さく切るにしろ大きく切るにしろ全身麻酔をする必要がある。さすがに体力的なことを考えるとその選択肢はないと思う」と先生に云われました。さらにもう一つ、顎の下に大きなこぶを発見しました。それを触れたとき、先生の顔色が変わりました。「これ、顎下リンパ節です。明らかに腫れていますね。リンパ腫かもしれない」・・・リンパ腫はこの犬種に良く見られるがんのひとつです。「それでも今触ってみた限り他のリンパ節は腫れてないみたいなので様子を見ましょう。有効な抗がん剤はありますけど、この歳ですから・・・。」

お互いに「もう十分天寿を全うしている年齢だし、辛い思いをさせたくないから、自然に任せよう」ということで暗黙の了解をしている感があります。この子の父も肝臓がんでしたが最後まで自然に任せて看取りました。

それでは、これが人間ならどうなのだろうか?寝たきり老人のことを考えていた矢先だったので、ついそちらにアタマが行きました。自分の母親に対して、「もう80歳だから、がんが見つかっても治療をする意味がないから、何もしないでください」という云い方ができるだろうか。だから、「体力がもたないから治療はできないだろうし」という云い訳文を付けるのだろうかと思いますが、我が家の老犬にしろ人間にしろ、そこには全く本人の意思が入っていません。イヌの場合は已むを得ませんが、人間の場合は本人の希望があります。「もういい年だから何の治療も受けたくありません」と本人が云う場合がほとんどだと思うのですが、それは皆が皆、本当に本心なのでょうか?    (つづく)

| | コメント (0)

酸性度

酸性度の高い食事で糖尿病発症リスク6割増

MTPro 2013.12.17号で配信された国際糖尿病会議2013の記事です。フランスの女性66000人を14年追跡したところ、食事の酸性度を示すスコアが高いグループでは低いグループの6割増しで糖尿病リスクが高かったというもの(Diabetologia 2013.11.14)。

スコアがプラスになればなるほど、糖尿病になりやすいということになりますが、ここで用いられるスコアPRALとNEAPとは、

PRAL(mEq/日)=0.49×タンパク質(g/日)+0.037×リン(mg/日)-0.021×カリウム(mg/日)-0.026×マグネシウム(mg/日)-0.013×カルシウム(mg/日)

NEAP(mEq/日)=54.5×タンパク質(g/日)/カリウム(mEq/日)-10.2

で示されています。つまり、タンパク質やリンが多い食材ほど糖尿病になりやすく、カリウムやマグネシウムやカルシウムが多い食材ほど糖尿病になりにくいということ。これはつまり、糖尿病になりやすい人は、もともとカリウムやマグネシウムやカルシウムが豊富な食材は好きではないということでしょうね。ということは、このスコアが出されたからと云って、糖尿病治療がやりやすくなるのかといえば・・・どうでしょう。

| | コメント (0)

マスク

冬場になって、今年もマスク姿が増えました。医療現場では1年中マスクしている医療スタッフがたくさんいます。なんか、マスクしてないと落ち着かないとか不安になるとか、いわば職業病のメンタル障害になろうとしている人もいるかもしれません。

わたしはマスクが苦手です。さすがに自分が咳をしたり風邪をひいていたりする場合はやむを得ずしますけど、それでも最低限にしています。いや、もちろん、本来マスクは飛沫感染の予防なのですから、相手と対峙するときこそしておかなければならないことは十分承知しています。花粉症やPM2.5対策のマスクでない限り、ひとりでいるときにしている必要は何もありません。マスクは周りがいるからするものです。毎日、他人と対面してお話をするのがわたしの大部分の仕事ですからこの季節はマスクを常時しておくのが今の感染医療の常識だということは承知しています。でも、相手に自分の口元を隠して話すことがとても失礼に当たる気がしてならないのです。医療者としてあるまじき考え方ですから、どうしてもすべきときは、「今日はマスク越しの会話になって申し訳あっりません。聞き取りにくかったら聞き返してください」と最初に謝ることにしています。大体の方は「大丈夫ですよ」と答えてくれますけど・・・。こっそりジレンマの日々を過ごしています。とりあえず早く風邪を完全に治そうと思います。

| | コメント (2)

適性

組織のある幹部が急きょ辞めてからもうすぐ1年近くになります。病院から、代わりに抜擢されたスタッフが見事にその穴埋めをしてくれました。

以前の方は真面目に仕事に取り組みました。組織を運営するに当たって中間管理職的な中ばさみの中で悩み苦しみました。その苛立ちと焦りは、きびしく真っ当な理論で仕事を進めようとし、ことあるごとに部下スタッフとも上司とも軋轢を生み始め、うまくいかなくなっていきました。”一身上の都合”で急きょ辞められましたが、おそらくそれが限界だったのではないかと推測します。

その後、任命されてきたSさん。これがまた対照的に人当たりが柔らかく、スタッフの中にすっと溶け込みました。場がなごやかになり、部下スタッフも悩みやアイデアを気軽に打ち明ける関係になりました。ただ、よく見ていると、Sさんはなかなかのつわものです。「そうね、そうよね、わかるわかる」と云いながら、気づいたら嫌がっていた仕事をきっちりさせています。わたしへの仕事の振り方も同様で、「もう引き受けたのでしてくれないと困ります」という云い方はしません。「先生、忙しいでしょ。そうですよね。そこでちょっとこれお願いできませんかね」とやってきて、「わあ、ホントですか?ホントにしていただけるんですか?いやあ忙しいのにすみません」となり、「先生、ちょっと拝見しましたけど、これすごくわかりやすですね。お忙しいのにいつこんなことされたんですか?」とおだて、最後に仕事が終わった後にもさりげなくやってきて「もう完ぺきでした、さすがですねー!やっぱり先生にお願いして正解だったー!」と締めた挙句に、「また、お願いしますね」と云って去っていくのです。

同じことを云って、同じことを部下にさせるとしても、そして部下もしなければならないことはわかっていても、上司がどういう云い方で指示してくれるか、どういう目で自分を見てくれているか、その眼差しをきっちりと感じています。Sさん、あんたは若いのに、すごいわ。

| | コメント (0)

ワイン好き

1日グラス2杯以上のワインを飲んだ女性は2型糖尿病リスクが37%減少

世界糖尿病会議からの日経メディカルのレポートから、こういう記事がありました。さすがはフランスからの報告です。ワイン摂取量と2型糖尿病リスクとの関係を追ったコホート試験、French E3N cohortの結果、1日グラス2杯以上のワインを飲んだ女性は、飲まなかった女性に比べて2型糖尿病発症リスクが37%減少したというものです(Nutrition Hormones and Women's HealthのA.Vilierら)。しかもさすがはお国柄、「10-15歳で定期的にワインを飲み始めた女性は、生涯飲まなかった女性に比べて、成人になってからの2型糖尿病のリスクが低い」と、堂々とティーンエイジャーからのワイン呑みを推奨しています(笑)。

こういう研究と報告をするヒトは、酒好きに違いない。そして、こういう記事を目ざとく見つけ出すわたしのような輩もまた、酒好きである。酒嫌いの研究者や指導者は、不本意にもこういう結果が出たら、仮説が間違っていたとは思わず、研究や検討のプロセスに何か間違いがあるのではないかと、きっと何度も再試験や再検討を繰り返し、下手をすると表に出ないままになるかもしれない。

糖尿病治療に酒は有効(特に蒸留酒は推奨)という医者もいます。もともとカロリーの少ない飲み物なのだから、酒だけ飲むか、精進料理を肴にしたら、むしろ低カロリーで食事療法に適している、と云い切ります。この手の医者は、基本的には酒好きではない気がします。「飲みたかったら飲めば?」という皮肉が込められている感じがするのは、その理論があまり現実的ではないからです。糖尿病の酒好きは、概して、酒も好きだけど高カロリーの酒の肴も大好きなはずだからです。

ま、とりあえず、今回の報告は、酒好き医者にはもってこいのデータ。忘れないうちにスライドにしておかなければ(笑)

| | コメント (0)

欧米には、なぜ寝たきり老人がいないのか(2)

(つづき)

欧米の生き方=歳を取っても最後まで自分の意志で自分の人生を決めていくことを「正解」とするとき、日本人のように周りに依存し家族に依存する一方で周りに迷惑をかけないように自分がガマンして丸く収めようという生き方はどこか劣ることのようにみえます。でも、それは文化です。子どものときから一人前の人間として、一人で生きていかせる教育をする文化の歴史と、子どもは親が守り、親は子が守るのがヒトの有るべき道として教育する文化の歴史は基本が別物なのだから、だとしたらそれを混同することなく、日本らしい文化のままで貫き通さないと、インターナショナルとかグローバルスタンダードとかいう横文字に踊らされて、不器用で世間知らずな日本人は、人知れず途方に暮れるミゼラブルな人生を歩むことになりかねません。

わたしは、医療が寝たきりを作り出した、とは思いません。病人を作り上げ、ムダに治療をした挙句に自然の流れを冒涜した結果だという感覚はあまり抱きません。ただ、延命処置・・・これはなかなか難しい問題です。医療が発達していなければ選択肢はなかったわけですが、「生かすも殺すもあなた次第。さ、どうしますか?」と家族に医者が迫る時、日本人の文化は「可能な限り努力をする」を選ぶように教育されてきました。というか、それをしないと「人非人」。おまえは親を見殺しにするのか?と云われるのは怖い。自分も寝覚めが悪いから「苦しめるのは可哀想だから、何もしないでください」という勇気はなかなか湧いてこないのが、日本人らしさなのかもしれません。親族がたくさん集まれば集まるほど、延命処置はやらざるを得なくなります。わたしはそれを悪いとは思いません。結局は残る者の満足。残る者のココロを安らかにすることが重んじられてもしょうがないと思います。ただ、それで生き延びた大切なご家族の介護に、自らが疲れ果ててしまっています。それを社会が悪い、制度が悪い、政治が悪いといってもしょうがない気がします。

すみません、asuka3hさん、全然違う方向に書き進んでしまったので、やめておきます(笑)

| | コメント (2)

欧米には、なぜ寝たきり老人がいないのか(1)

asuka3hさんからのご質問で読ませていただきました。

老いのレッスン、「欧米には、なぜ寝たきり老人がいないのか」

「寝たきり老人」は日本の専売特許で、欧米ではあまり見かけない。スエーデンの場合は、延命処置をしないからだ、という宮本顕二氏の記事はまあ別として、日本人は畳で寝るから簡単につかまり立ちできないとか、狭い部屋なのでバリアフリーが難しく車いす生活もままならないとか、あるいは日本人の老人に対する考え方の違い(=老人を敬い、何もしなくても良いように家族や若い者が気遣いするのがよいとする)や入院期間の長さなども挙げられていました。

ただ、わたしは別のことを考えました。むかしの日本人は寝たきりだったか?もちろん、寿命も短く、まさしく寝たきりになれるほど医療水準が高くはなかったことはありますが、歳を取ったからとか足が不自由だからとかいう理由で悠々自適な隠居生活を送るようなヒトはさほど多くはなかったはずです。年老いても、動ける限りは農作業をし、家事をし、若い者に迷惑をかけたくない、という想いで生きてきたように思います。それが、日本人の日本人らしい美徳であり、生き方でした。

日本人に寝たきり老人が増えた理由、それは日本が中途半端に欧米化し、欧米的な人生の考え方がスマートでカッコいいと考えるようになってからなのではないかと思うことがあります。病後のリハビリ制度が、欧米に比べて日本は貧弱です。できるだけ早く離床し早く退院させるのが良いというデータを元に可能な限り短い在院日数で追い出しますが、出てからのリハビリ制度が日本にはほとんどありません。欧米は地域が守り、家族以外の周りのコミュニティが守るのが当たり前なので、退院後の医療介入の方が濃厚ですが、日本にはそれがありません。ありませんというか、なくなりました。良くも悪くも「隣組」・・・隣近所がみんなで守り助け合う文化は日本の方が欧米より深かったかもしれないのに、戦後の「カッコ良く生きる社会」への転換はコミュニティどころか家族の在り方さえも変えました。だから、早々に中途半端に追い出された患者さんは家にいるしかなく、家族も本人も何をしていいのかわからず、中途半端に動けなくなります。  (つづく)

| | コメント (0)

シリアル

糖尿病予防に効果的な食物繊維は「野菜・果物」でなく「シリアル」

メルボルンの世界糖尿病会議2013で中国から発表された記事です。食物繊維が2型糖尿病の予防に効果的とされている(食後高血糖を起こさないから)けれど、食物繊維の前向きコホート研究のメタ解析をしてみたところ、糖尿病のリスクを最も有意に下げたのは「シリアル」であって、野菜、果物、豆類の食物繊維については、いずれも関連が見られなかったというのです。むしろ野菜、果物、豆類の食物繊維はリスクを増加させている研究もあるとか。発表者のRong氏は、シリアルファイバーは2型糖尿病リスクを有意に下げるが、果物や野菜、豆類の繊維は2型DMリスクとは関連しないのかもしれないと云っています。

「シリアル」ってご存知ですか?製造番号のことではないですよ(笑)。、トウモロコシ、米、大麦、小麦などを加熱調理した上で長さ1cm程度の薄い破片に成型したもので、コーンフレークとかが有名。これに牛乳をかけて朝食にするのがどこかアメリカっぽくて良い!とブームになったのはいつの頃だったでしょうか。今は、シリアルバーとかクッキータイプとかになって食べやすくなっています。でも、結局シリアルは穀物です。”穀物”と云えば、ダイエットを考えるヒトや高血糖を予防しようと考えているヒトにとってはいわば敵ではないですか! 実はこれが食後高血糖予防に唯一効果がある食物繊維だ!なんて結果は、皮肉ですね。一体、それは本当なのでしょうか?

| | コメント (2)

自信

先日、地域で行われたマラソン大会に参加していた当院の医師が、途中、心肺停止状態で倒れている男性を見つけて即座に心臓マッサージを始め、そのおかげで一命を取り留めました。その若い医師は初めての経験だったそうですが、救急医療に携わっている日常だからこそ対応できたのだろうと自ら話していました。

思えば、もう20年近く前、空港で飛行機に乗るためのシャトルバスの中で、突然泡を吹いて倒れた男性に遭遇し、思わずかけよって心臓マッサージをしたことがあります。数回したら「プー!」と意識を取り戻したので事なきを得て私はそのまま飛行機に乗り込みました。循環器救急の医師としてバリバリだったあの頃、意識を失って倒れていて脈が触れなかったら何も考えずに即マッサージをする、というのは常識でした。というよりもカラダが勝手に動いていました。人間は「急変する」というのが当たり前に想定されていたからです。

さて、そんなわたしが今、同じシテュエーションになったときに躊躇なく心臓マッサージができるだろうか?現在はシステマティックに一番効果があるマッサージのリズムが数年ごとに改められ、AEDの普及と併せて一般市民も蘇生術ができる時代です。わたしがそこ退けそこ退け!で割り込んできてマッサージ始めたら「それ、間違ってますよ」とか云われたらどうしよう、とか思うと二の足を踏みます。それ恥ずかしいよねと意味のないプライドが見え隠れ。わたし、ちゃんと1年前にICLS講習(日本救急医学会主催の医療従事者のための蘇生トレーニングコース)を受けて修了書をいただいているんですよ。でも、というより、だから・・・今がむかしと全然変わってしまったことを知ってしまったがために、逆に行動力をにぶらせる気がしてなりませぬ。

| | コメント (0)

どっちもがまん?

「『1日6食の小分け』より『朝昼2食』の方が減量・血糖管理に効果」

オーストラリアのメルボルンで行われた世界糖尿病会議(2013.12.2-6)の学会ダイジェストが日経メディカルから配信されてきました。その中に、糖尿病患者の食事のとり方として、これまで1日の取るべきカロリーを5~6回に小分けにして食べるのが良いと考えられていたけれど、朝昼2回の食べ方にした方が減量効果が大きいだけでなく、空腹時血糖やインスリン感受性も有意に改善した、という発表内容が報告されていました(チェコH.Kahleova氏)。同氏は、「同じ食事制限をした場合、朝昼2回の方が6食に分けるよりも良い結果をもたらした。朝昼2回食は一度にたくさん食べるけれど、夜に食べないのが良いのだろう」と説明しています。

血糖コントロールで重要なのは「食後高血糖を起こさない」ことであり、そのためには一気にドカ食いしないのが肝要だと云われてきました。また食事の回数が少ないと一回当たりのエネルギー吸収率が上がってしまうので、一回の量を少なくしてチマチマ分けて食うのが良いとされていますから、これはそれを覆すなかなか興味深い内容です。

でも、どっちの食べ方をしても結局は「がまん」を強いるわけで、一回一回の量をがまんする(もっと食べたい気持ちを抑える)のも大変ですが、丸半日何も食べずに夜の空腹を乗り切るのも大変です。結局どっちががまんしやすいか、ということになります。糖尿病患者さんは「食事に対するがまんができない」性格があることを忘れてはいないでしょうか。だから、実験ならなんとかできるけれど、それを一生、となると、実際にはどっちも至難の業なのではありますまいか?

| | コメント (0)

アディポロン

メタボリックシンドロームの内臓脂肪の概念から有名になった善玉ホルモン=アディポネクチン。これを制御できるならば、メタボはおろか糖尿病や動脈硬化のコントロールが可能になるはずだとばかりに、各大学が研究を始めて10年にもなります。

この度、その第一人者である東京大学医学部附属病院糖尿病・代謝内科の門脇孝教授、山内敏正講師らの研究グループが発見したのが「アディポロン」です。アディポネクチンというホルモンが受容体という鍵穴にはまり込むと、インスリンの働きを良くしたり動脈硬化を修理したりするから”善玉ホルモン”と云われます。ところがメタボになり内臓脂肪が増えてくるときちんと働けるアディポネクチンが少なくなり、空(から)の鍵穴が増えてきます。この空の鍵穴にはまれるアディポネクチンが足りないのなら、代わりにこっそりはまり込めるスペアタイヤ役の”アディポネクチンもどき”があればいいのではないか? 簡単に書くと、まあそういう発想です。そんな”もどき”が「アディポロン(AdipoRon)」(アディポネクチン受容体活性化低分子化合物)という物質です。

もちろんこれは、面倒くさい運動なんかしなくても、食事制限なんかしなくても、今と同じぐうたらな人生を送っていても、メタボや糖尿病を改善させられる「夢の薬」になりうる!というものですから・・・本末転倒になりそうな気がしないでもありません。

| | コメント (0)

実は・・・するんです。

最近よくテレビで、「実は、●●するんです!」とか「○○なんです!」とか、断定的な表現をする女性レポーターが多いのですが、聞いてて何か耳障りです。きっと原稿を書いたのはディレクターか誰かなのだと思うのですが、どうしてそんな曖昧な情報に断定的な語尾を堂々とつけるのかが分かりません。

だって、医療情報などを聴いていると、それウソじゃないけど他にもいっぱい理由はあるよ!というようなものにも「実は○○が原因だったんです!」とか平気で断定します。きっと、聞きかじりの情報から、これに間違いないと勝手に決めた誰かがそんな原稿を書くのだと思うのですが・・・。もっとしっかり裏をとってからかましてくださいよ!

まあ、流行なんでしょうけど、わたしにはとっても耳障り。

| | コメント (0)

冠動脈石灰化スコア

冠動脈石灰化スコア、密度スコアを加えることでリスク予測能上昇/JAMA

配信されてきたCareNet(2013.12.02)によると、「冠動脈石灰化(CAC)容積スコアと冠動脈性心疾患・心血管疾患イベントリスクには正の関連が、またCAC密度スコアと同イベントリスクにはCAC容積値とは独立した有意な負の相関関係があることが明らかにされた」とあります。JAMA誌オンライン版2013年11月18日号掲載の報告だそうで、具体的なサマリーが書かれていました。

字面を追いかけながらも、わたしの中でこの手のデータにどうしても食指が動かないのが分かります。数か月前も、冠動脈石灰化スコアを臨床現場で計測している近くの先進的な病院に見学に行きました。健診の新しいメニューに入れられないかを検討するために。しかし、「これが分かって、何になるの?」というわたしの疑問にまだだれも明快な答えを出してくれません。簡単に云えば、「冠動脈に石灰化が強いほど狭心症や心筋梗塞などに罹る危険性が高い」から、そういう人たちは厳重な動脈硬化危険因子の是正に努めるべきである、というのでしょ。人間、なかなか行動変容できないから、ビジュアルに訴えてショックを受ければ自分で頑張る(きちんと生活療法をするとか、忘れずに薬を飲むとか)きっかけになるでしょ、ということでしょうか。

でも、結局はリスク評価です。そこに石灰化があると高い確率で心筋梗塞になるとしても、一生懸命がんばってもその石灰化は消失しませんから、そのリスクは一生軽減しない(頑張らなければ悪化するのかもしれませんが)ことになります。全然頑張らなくても心筋梗塞にならないひとはたくさんいますし、石灰化がなくても心筋梗塞に罹るひともいます。わたしの冠動脈にも石灰化がありますが、それを見て修行僧のような人生を歩み始めたかというとそうでもありません。むしろ気味が悪くなって運動をしなくなりました(笑)。

結局、専門医・学者さんの学問上の興味の域を脱しないような気がしてなりません。

| | コメント (0)

間食指導の情報ファイル

定期的に送ってくる保健指導リソースガイド。特定健診・特定保健指導に従事する医療スタッフ向けの情報満載ですが、最近はなかなか新しい考え方が盛りだくさんです。「スローカロリー」の考え方もここの情報(スローカロリーの情報ファイル~低カロリーでも0カロリーでもない~」から知りました。

で、今回送られてきたのは「『間食指導』で考える生活習慣改善アセスメント~第2:関心期」です。

”わかっちゃいるけどやめられない”人たちへのアプローチ。なかなか面白いので、興味がある方はご覧ください。

「”わかっちゃいるけど、やめられない”;人は、頭では良くないと理解できていても、行動に移すことができないことが問題です。特徴としては、2つあげられます。まず、「できない理由(言い訳)が多い」こと。自分にはそれに対応出来ない理由があることを明言し、それを言い訳に思考停止してしまいます。周りの人など外的要因を理由にすることが多く、だから仕方ないといった方向へ片付けがちです。2つ目は、「行動変容することが、本当に自分のプラスになるのかを迷ってしまう」こと。将来の健康より、直近の障害(断ることで気まずい思いをする、食べることを我慢することでストレスがたまる等)を避けたい気持ちが立ちはだかり、あきらめてしまいます。どちらにせよ、生活改善にとりかかるきっかけがつかめず、行動に踏み出せない状況なのです。」とありました(佐野喜子/神奈川県立保健福祉大学)。いいとこ突いてますなあ。いいとこ突かれると逃げ場がなくなるんだよなーと思いながら読み進めます(笑)。

「従来の保健指導では、「健康行動にはメリットがある」ことが大前提でした。しかし、仕事や人間関係の方が優先で「自分の健康は二の次」と考えている人は少なくありません。いきなり、指導者の価値観や常識を押しつけるのではなく、相談者の生活ポリシーを認めた上で、疾病の予防や健康行動について、どのように考えているのかを確認します。」という<支援のポイント>に相槌を打つわたしです。

| | コメント (0)

もっと前を向こう

「これは、絶対ストレスのせいだから。あの6年前の交通事故のときから眠れなくてイライラしてきたからこうなったんだから!」「強い抗生剤を2週間続けて飲んだら、その後から血圧が下がらなくなったんですよ」

頸動脈エコーの肥厚した動脈壁の画像と脳MRIの深部白質病変の画像を見ながら、その60歳代半ばの女性は、しかめっ面に一層拍車をかけた表情をして、一気にそうまくし立てました。どうも彼女は、脳ドックを受けると決めたときからこれを結論にしたかったのだろうと察しました。

たしかに大きなストレスだったのでしょう。となりで寝ている旦那さんの寝言がうるさくて3時間しか眠れなかったのだとグチっていました。たしかにストレスは生活習慣病を悪化させますし、動脈硬化も助長するでしょう。でも、それだけではこんな動脈硬化所見は作り出せないといえます。やはり、基本的には持って生まれた体質であり、治療中の高血圧や糖尿病のなせるわざだと考えた方が正解でしょう。

そんなことよりも、わざわざ脳ドックを受けに来て異常所見を見つけ出してしまった今の段階で、長い間続いた過去のストレスの苦しみを語りたい気持ちは分からないでもないですが、でもその行為はあまり意味がないように見えます。この苦しみを旦那さんが一笑に付しているようにも見えません。血圧は白衣高血圧だと主張しますが、だから何?という感じです。過去の出来事がどうであれ、そのことはそろそろこの辺に置いておいて、もっと前を向きませんか?「今からどう生きるか?」と云うことに、過去のエピソードはまったく用をなしません。どうせなら、うちの人間ドックを初めて受けたことをきっかけにして、今日から前に向かって進むことにしてみませんか。

| | コメント (0)

一筋縄ではいかない

アラフィフの妙齢の女性。

悩ましい結果です。昨年もわたしが結果説明をしました。今年は5kg太りました。昨年は順調にダイエットしたけれど、「今年は運動ができずに一気にリバウンドした」、と自己反省しておられます。特段、検査データに問題があるわけではありませんが、糖尿病家系の影響からか、若干血糖値が高くなってきました。

これはうちの妻も似たような感じで、突然ポッコリ出てきたお腹をさすりながら、「もう一度カロリー制限しなきゃ」と口走っています。

でも・・・きっとそんな単純な理屈では解決できないと思います。単なるカロリー出納の問題だけではなく、一旦飢餓状態に陥ったカラダを早く元に戻したいとするカラダの反応もあります。しかもそれに”更年期”という女性にだけ押し寄せる最大の変化が加わるから、それはもう一筋縄でいかなくなるわけです。体質やら、遺伝因子やら、生活習慣やら、女性ホルモンやらが、複雑に入り乱れてカラダとココロをもてあそんできます。

だから、絶対に、深刻になったもの負けだと思います。わたしは男性だから、基本的に他人事だから、「おとこになんかわかるか!」と一瞥されそうですけど、とにかく理屈では通用しないお年頃になったのですから、もう少し受け入れるべきものは受け入れるのがよろしかろうと思います。

以上。

| | コメント (4)

老いは突然に

今週は、とことん老いの話でいきましょう。

最近、化粧のノリが急に悪くなっただの、体型が戻らなくなっただのとグチるようになった妻に、「だって、尋常じゃないくらいの夜更かしをしたり、日頃の姿勢が悪くなってきたからじゃないの?」とアドバイスしたのですが、彼女は不本意そうで、どうも聞く耳を持ちません。だって「それは今に始まったことではなくてずっと同じ生活をしているのに、今になって急に老いてきたのだから、原因は他にあるはずだ」と。

そうじゃありません。老化はあるとき突然やって来るのです。細胞は、生まれたときからずっと外敵にさらされています。それでも負けずに健気に頑張って戦っています。細胞は直線的に衰えるのではなくて、ギリギリまで持ちこたえていますが「もうダメ!」となった瞬間に一気に押し倒されてしまうのです。それは胃の粘膜でも、皮膚の細胞でも、脳細胞でも、どこでも基本的には同じです。

結局、アンチエイジングは自然の摂理への冒涜(ぼうとく)。ただ、準備された細胞が本来あるべき姿は、きっと今の世の中のストレスにさらされることを前提にはなっていないはずなので、アンチエイジングに効果があるとしたらそれはサプリやエステではなくて、早寝早起きと良好な睡眠と日々の姿勢・・・どうもこれに勝る方法はないのではないか、と最近強く思うようになってきました。

でもそれは意外に大変。だからこそ皆ができないでいるわけで、それでも必死に頑張ったら本当にアンチエイジングは保証できる!という確証がないと、人間だれしも動こうとしないんですよね。

| | コメント (0)

年齢不詳

先日、地元大分の商店街を歩いていたら向こうから歩いて来るごま塩アタマのお年寄りが、わたしの方をじっと見ているような気がしました。そんな知り合いはおらんし、と思って目線を合わせない様によそ見をして通り抜けましたが、後で考えると、もしかしたら学生時代の同級生だったかも、という気がしてきました。「やあ」と声をかけられた同級生がどうみてもじいちゃんだったことは何度も経験しています。そのときは「おれ、こんな年寄りと同い年なんやなー」と落ち込んだものです。くだんの男性も「あれ?もしやあれはジャイじゃないのか?」と半信半疑で近付いてきていたのかも・・・。

その翌日、よく当たると有名なタバコ屋さんに年末ジャンボを買いに行きました。わたしの前に立っているおっちゃんにタバコ屋のオヤジさんが何か話していました。「これ、応募すると何かがもらえるかもしれませんから、是非出してみてください」とハガキを渡していました。わたしの番になって宝くじを買った後に同じハガキを出して来ました。「これ応募したら何か当たるかもしれんけんな、出してみて」・・・さっきのおっちゃんに対するのと口調が明らかに違います。わたしが見た限り、あのおっちゃんは、わたしよりはるかに年下だと思うのですが・・・わたしの身なりで「若い」と判断されたのかしら?。

「あなたは、基本的に年齢不詳だからね」・・・という妻のことばは、褒めことばと取って良いのかしら?

| | コメント (0)

当選番号

年末ジャンボ宝くじを買いました。なかなか当たりませんが、当たったことを思い浮かべて何に使うか夢見る時間が好きで、お金に少しでも余裕があるとつい買ってしまいます。先日、お年玉付き年賀はがきも買いました。今年はどうしようかと思案しましたが、結局例年と同じ数だけ買いました。

考えてみれば、最近は宝くじの当選番号も年賀状のお年玉当選番号も調べるのがとても億劫になってきています。若いころは、当選番号発表の日の晩には新聞のその数字を食い入るように見つめながら確認していました。宝くじは、自分で確認した上で売り場で再確認をしてもらい、大量の年賀状の場合は最低2回はチェックしました。

それがいつのころからか全然調べなくなりまして・・・「あなた何のために宝くじ買ってるの?」と妻に呆れられるありさま。下手をすると次の季節のジャンボ宝くじが売り出されても調べていなかったりします。新聞をとるのを止めたこともありますが、自分で調べることはまったくなくなり、直接売り場で器械で調べてもらいます。だから、「おしい!番号が1つ違っていただけ!」とかいう感動がまったくなくなりました。年賀状の場合は気づいたら交換期限を超えてしまっていたことも。

「人間、面倒くさくなった瞬間から歳を取りはじめますよ。気を付けてください。これからはアンチエイジングが一番大切なんですから!」と人間ドックの受診者さんのすべてに語っているわたしですのに、自分はというとこんな超面倒くさがり屋になってしまっていました。

何事ももっとガツガツ生きなければなりますまいな!

| | コメント (0)

既読症候群(後)

(つづき)

「既読症候群」ということばがあります。相手が自分の入れたメッセージを読んだら”既読”と表示される機能がLINEにはあります。わたしは、「これはとても便利な機能だな」と思っていました。Eメールだと、相手が返信してくれない限り、読んだのか読んでないのかわからなかったので、連絡事項がつながったのかどうか確認できなかったのですが、”既読”が表示されると、相手が知ったことが簡単にわかるからです。ところが世間ではこの機能が問題になっているそうです。相手のメッセージを読んだ瞬間、というかLINEをつないだ瞬間、相手に”既読”が送られるのです。そのまま返信しないと「読んでおきながらなぜ返信しない?」と相手を怒らせるかもしれない。次から仲間外れにされるかもしれないと不安になるのだそうでうです。さらに、ずっと”既読”にならないと「どうして相手は自分のメッセージを読んでくれないのか?無視されているかも?」と不安になるのだとか。そのために常にスマホの確認をしなければならない。 わたしもスマホ依存・ネット依存のオヤジだなと自負していましたが、全然次元の違うところで世の若者たちは病んでいっておりました。

ゲームにしても、夜中まで盗人ゲームをする妻に「本末転倒だ!」と叱ったら、仲間がいるから無視できない、ここで頑張れるときにがんばってあげないとこれで負けたら自分が仲間から非難される、と云われました。アラフィフ主婦までもが病んでおります。

だから、ネットやスマホとの関わりは、家庭内や自分だけのルール作りでは何も解決しない時代です。ネットの害を述べることよりも、仲間や社会全体でルール作りをしないことには埒があきません。

| | コメント (0)

« 2013年11月 | トップページ | 2014年1月 »