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最期の選択(後)

(つづき)

がんがある。治療しなければ死ぬ。もう平均年齢に達したカラダだから、十分生きたわたしだからこれで死んでも本望です。という達観しきった気持ちでそれを云っているのだろうか。日本人は本心を明かさない人種です。「人間はいずれ死ぬモノ」と自分に云って聞かせながらも目の前に宣告された確実な死は怖いはずです。放っておけば死にますと云われて、平静でいられるとは思えません。でも、”取り乱さない”ことも日本人の美徳。さらに、「この歳で大きな手術を受けたり先進医療を受けたりしたら大金を出させてしまうし看病に費やす時間も多い。これ以上生きて家族に迷惑をかけるのは申し訳ない」と云う気持ちが自分の「生きたい(死にたくない)」という願望を大きく凌駕してしまうのかもしれません。「生きたい」のか「生きたくない」のか、年齢や体力とは別次元のところで葛藤があっているに違いないのに、「医療の適応ではありませんから諦めてください」と引導を渡すこと・・・本人や家族のためにもそれはとても重要なことだと割り切って救急医療をやってきましたが、本当はどうなんだろう。たとえ自分の意志でそう決めたとしても、その後、世間からも家族からも神様からも見放された強烈な孤独感が襲ってくるのではないだろうか。

5年前、14歳の誕生日を1ヶ月後に控えて、はーはー云いながら苦しむ1週間を一緒に過ごしながら、断末魔の悲鳴に似た最期を看取ったことを思い出しました。まあ、少なくとも今、目の前にいる老女は老女ですけれど、とても元気そうで、今「最期を語るなんて、失礼千万!」というのが、本人の本当のココロでしょうか。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

ジャイ先生こんにちは。
当たり前ですが寒いですね。今朝は至る所が白く凍りついていました。窓を開けると寒気が入り、暖まった部屋の空気が一瞬にして凍てつく様です。
我が家にも13歳になる柴犬の老女がおり、日に日に毛艶もなくなり白っぽくなっています。
人間もわんこも年を取り衰えていく姿は切なさを感じます。
私は高齢者の関係の仕事をしているのですが良く直面するのが「延命措置」特に胃瘻造設についての家族の選択です。常日頃本人が延命措置は一切しないと口にしていてもいざその様な状況になったとき、なかなか難しい問題となって降りかかってきます。
本人に意思決定するだけの判断能力によっても違いますが、どちらにしても家族は苦渋の決断に迫られます。延命措置をすることで寿命は延びても健康寿命が延びるわけでは無いのです。
そこに関わる様々な問題も出てきますよね。本人を取り巻く環境、経済的なこと、家族の介護力や精神的な負担等、一筋縄ではいかない命に関わることです。
仕事上冷静に相談業務をしていますが、これが自分の母だったらと考えるととてつもなく途方に暮れてしまいそうです。
常々家族に後悔を残させない最期を遂げたいと思いますがなかなか簡単なことではないですね。
なんだか取り留めのない文章になってしまいました、すいません。

投稿: あんこ | 2013年12月21日 (土) 13時13分

あんこさん

お寒うございます。

さっき、散歩に行くために外に出たら雨が降り始めていて急きょ中止したところ、まあ、うちの老女が不服極まりない!という顔でずっと吠えています。

胃瘻は、結局「人間」を「生物」に変身させていく道具だと思います。口から物が入るかどうか・・・大きな境目ですね。

投稿: ジャイ | 2013年12月21日 (土) 17時56分

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